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教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝䞊巻・第十九章 䌝説の誕生旧翻蚳版・未収録

【アナトヌル・フランス『ゞャンヌ・ダルクの生涯』完蚳プロゞェクト】1908幎発行の名著を、膚倧な独自泚釈ずずもに珟代日本語で蘇らせる個人翻蚳プロゞェクトです。継続的な掻動維持ず出版支揎のため、䞀郚を有料公開ずしおいたす。

▌総合目次・リンク集なぜ、21䞖玀に『ゞャンヌ䌝』を完蚳するのか

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【この章のポむント】
- 肥倧化したゞャンヌの功瞟
- 戊況が奜転した理屈よりも「奇跡」を奜んだ民衆
- ã€Œæ­ªæ›²ã•れたむメヌゞ」が積み重なる

19.1 英雄譚の森の䞭ぞおずぎ話ず珟実

 戊争で䜕が起きおいるかを芋極めるのはい぀も困難だ。
 圓時は、物事がどのようにしお起こったのかを明確に理解するこずはたったく䞍可胜だった。

 オルレアン包囲戊では、行政官たちが集めた数々の巧劙な戊争兵噚が盞圓圹に立った。珟堎には、そのこずを認識できる鋭い人もいたに違いない。

 しかし、人間は䞀般的に、結果を奇跡的な原因にしたがるものだ。
 オルレアンの人々は、自分たちの解攟の功瞟を、圓初は町の守護聖人である聖゚ニャンず聖ナノェルトに、そしお次に、神の乙女ゞャンヌに垰属させた。圌らが目撃した出来事に察しお、これほど簡単で、単玔で、自然な説明はないず信じおいたのである。[1550]

 オルレアンの元・行政官町圹人で、シャトレの公蚌人だったギペヌム・ゞロヌ第十二章で登堎は、包囲戊の解攟に関する短い蚘録をみずから曞き、眲名した。

 その䞭で圌は、昇倩祭前日の氎曜日、サン・ルヌの芁塞がたるで奇跡のように襲撃され占領されたず蚘しおいる。

「神から遣わされたゞャンヌ・ラ・ピュセルがそこに珟れお、戊いを助けた」

 そしお、翌土曜日には、ロワヌル川にかかる倧橋の端にあるレ・トゥヌレル芁塞にお、受難以来もっずも明癜な奇跡によっおむングランド軍の包囲が解かれたず述べおいる。
 さらに、ギペヌム・ゞロヌは、ゞャンヌ・ラ・ピュセルがこの䜜戊を指揮したず蚌蚀しおいる。[1551]

 包囲戊の目撃者であり、珟堎にいた圓事者自身が、出来事の抂芁を明確に理解しおなかったずしたら、珟堎から遠く離れた人々はなおさら、出来事に぀いおたずもに考えるこずが可胜だろうか

 フランス軍の勝利の知らせは、驚くほどの速さで広たった。[1552]
 信頌できる正確な蚘録は簡朔だ。しかし、おしゃべりな聖職者・曞蚘官の雄匁さず、民衆の想像力によっお「包囲戊の物語」はたっぷり補完された。

 ロワヌル遠埁オルレアン包囲戊埌の残党蚎䌐ず戎冠匏に向かうシャンパヌニュ遠埁は、圓初はほずんど知られおおらず、おずぎ話のような䌝聞だけが䞀人歩きしお広たった。
 そういう眉唟な話を、人々はごく単玔に超自然的な出来事ずしお受け止めおいた。

 王宀秘曞官が、王囜各地の郜垂やキリスト教各囜の君䞻たちに送った手玙の䞭で、ゞャンヌ・ラ・ピュセルの名は、あらゆる勇敢な行為ず結び付けられおいた。
 ゞャンヌ自身も、圌女に仕える修道士の曞蚘官を通じお、自分が成し遂げたず固く信じおいる偉業を口述筆蚘させお党䞖界に知らせた。[1553]

 実際には、王の顧問や隊長たちがゞャンヌに助蚀を求めたこずはほずんどなく、聞いたずしおもごくわずかで、郜合のよいずきだけ圌女を呌び出した。ずころが、事実に反しお「すべおがゞャンヌを通しお行われ、王はすべおのこずをゞャンヌに盞談した」ず信じられおいた。

 すべおの功瞟が、ゞャンヌのみに垰属されたのだ。

 ゞャンヌの人柄・実像personnalitéは「奇跡に芋える行為」ず結び぀き、膚倧な「奇跡の寓話のサむクル」の䞭に埋没しお、英雄譚の森の䞭ぞず消えおいった。[1554]

⚠人柄・実像personality文脈的に、単なる性栌・人栌ではなく、䌝説によっお塗り぀ぶされる前の「䞀人の生身の人間ずしおの実像」を指しおいる。

⚠さらに補足英蚳版序文で、著者は「私は、乙女ラ・ピュセルを呜ある人間ずしおよみがえらせた。それが私の眪である」ず述べおいる。
぀たり本曞は、聖人化される過皋で剥ぎ取られたゞャンヌの人間らしい魅力を取り戻すこずを目的に曞かれたこずに留意したい。

19.2 英雄譚の森の䞭ぞ黒幕の蚈画

 圓時、悔悛の念にかられた人々がいた。圌らは、王囜のあらゆる灜難を民衆の眪のせいだず考え、謙虚さ、悔い改め、償い懺悔に救いを求めおいた。[1555]

 圌らは悪の終焉ず、地䞊における神の王囜を期埅しおいた。

 ゞャンヌは、少なくずも圓初は、そのような信心深い人たちの䞀人だった。
 ずきどき、神秘䞻矩の改革者らしく、「む゚スこそが聖なるフランス王囜の王であり、シャルル王は圌の代理人にすぎず、王囜を『神の封建領地』ずしお保持しおいるだけだ」ず語っおいた。[1556]

 ゞャンヌは他にも、自分の䜿呜はすべお慈善ず平和ず愛であるずいう印象を䞎える蚀葉を口にした。たずえば、「私は貧しい人や困窮しおいる人を慰めるために遣わされた」ずいった発蚀だ。[1557]

 玔粋で誠実で善良な䞖界を倢芋た、心優しい悔悛者懺悔者たちは、ゞャンヌを自分たちの聖人・預蚀者ずみなした。圌らは、ゞャンヌ自身が䞀床も口にしたこずのない啓発的教蚓的な蚀葉を、ゞャンヌのものにした。

「乙女ゞャンヌ・ラ・ピュセルが王のもずに来たずき」

 圌らは蚀った。

「圌女は王に぀の玄束をさせた。぀目は、王囜を攟棄しお、それを神に返すこず。぀目は、圌に背き、圌を苊しめたすべおの人を赊すこず。぀目は、貧乏人も金持ちも、友も敵も、すべおの者を奜意的に受け入れるほどに自らを卑䞋するこず」[1558]

 あるいは、以䞋のような単玔で魅力的な寓話の䞭で、ゞャンヌが䜿呜を果たす様子を、繰り返し衚珟した。

「ある日、乙女は王に莈り物を授けおほしいず頌んだ。
 王が同意するず、乙女はフランス王囜を芁求した。
 王は驚いたが、玄束を撀回しなかった。

 乙女は莈り物を受け取るず、
 王の公蚌人人に莈䞎蚌曞を粛々ず䜜成させ、
 声に出しお読み䞊げさせた。

 王が読み䞊げを聞いおいる間、
 乙女はそばに立っおいる人々に
 王を指しおこう蚀った。

『芋おごらん、王囜で最もみじめな階士だよ』

 それからしばらくしお、
 乙女はフランス王囜を攟棄し、
 それを神に返した。

 その埌、乙女は神の名においお、
 シャルル王にそれ王囜を授け、
 この厳粛な譲枡行為を
 文曞に蚘録するよう呜じた」[1559]



 ゞャンヌは、「1429幎の掗瀌者ペハネの日月24日に、フランスにはむングランド人は䞀人も残っおいない」ず予蚀したず信じられおいた。[1560]

 これらの単玔な人々は、聖人ゞャンヌの玄束が、圌女が定めた日に実珟するず期埅しおいた。

 圌らは、「月23日にゞャンヌがルヌアン垂ノルマンディヌの銖府に入り、翌日の掗瀌者ペハネの日に、パリの䜏民は自発的にフランス王に門をひらいた」ず蚀い匵った。

 実際、月には、事実ず異なるにもかかわらずこれらの物語がアノィニョンでたこずしやかに語られおいた。[1561]

 フランスおよびキリスト教䞖界党䜓に倚数いたず思われる宗教改革者たちは、乙女がむングランド人ずフランス人を修道院の方匏で組織し、圌らをひず぀の信心深い乞食pious beggarsの囜民、悔悛者の兄匟団にするだろうず信じおいた。

⚠信心深いpious立振舞いに衚れた信心のこず。善人ぶった「停善」の意を含む。なお、 devoutは心からの信仰をいい、倖に衚れるずは限らない。

 圌らによるず、以䞋が䞡圓事者の意図であり、条玄の条項であった。

「囜王シャルル・ド・ノァロワは、
 普遍的な恩赊を䞎え、
 すべおの過ちを忘れる甚意がある。

 むングランドずフランスは、
 悔悟ず悔い改めに立ち返り、
 善良で拘束力のある和平を
 締結しようず努めおいる。

 乙女自身が、圌らに条件を課した。

 乙女の意志に埓い、
 むングランド人ずフランス人は
 幎間たたは幎間、
 小さな十字架を瞫い付けた
 灰色の修道服を着甚するこず。
 毎週金曜日は、パンず氎だけで暮らすこず。
 劻ず䞀䜓ずなっお暮らし、他の女性を求めないこず。
 自囜を防衛する以倖の目的で戊争をしないこずを神に誓う」[1562]

⚠補足ゞャンヌを教唆しおいる黒幕はおそらく、のちの宗教改革者に぀ながる修道士たちで、圌らはゞャンヌを通じおシャルル䞃䞖に䞊蚘の宣蚀をさせたかったらしい。
19.2前半郚分の寓話ず合わせお考えるず、たずは囜王に土地財産を攟棄させお、みずからを卑䞋させお《《謙虚な身分》》におずしめ、最終的には英仏の囜民党員を「信心深い乞食」に  よく蚀えば枅貧な托鉢修道士にする蚈画だったず。どう考えおもカルトじゃないか

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