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健康のために生きるな。筋トレ至上主義だった私が気づいた「人生の主役」の勘違い



1. 健康は大前提。でも、それが「目的」になるとおかしくなる

健康って大事です。これはもう生きる上で大前提です。

体が終わっていたら気力も判断も落ちるし、動けないと選べる人生も減る。だから健康を軽く見る気はまったくありません。

ただ、「健康のために生きる」ようになると、少し順番がおかしくなります。

本来は、やりたいことがあるから体を整えるのであって、体を整えることそのものが人生の中心になると苦しくなってきます。

食事も運動も睡眠も全部ちゃんとやっているのに、なぜか楽しくない人がいるのは、私のように、ここが入れ替わっているからだと思います。

2. 筋肉が「自己採点」になった時期

私も一時期、そっちに寄っていたことがあります。

「筋肉こそが至高」ぐらいの気持ちでいました。鋤えている自分のほうが正しいし、だらけている自分より価値がある、みたいな感覚も少しあったと思います。

トレーニングも食事も、やればやるほど自分を管理できている感じがして、その感じが気持ちよかった。実際、体は変わるし、数字も伸びるし、達成感もある。ハマる理由はよく分かります。

でも、あれって健康になっているというより、健康を使って自分を評価し始めていたんだと思います。

今日は食事がちゃんとしていたから良い日、トレーニングできなかったから少しダメ、みたいに。そうなると、体を整えることが生活を支える手段ではなく、自分を採点する側に変わっていきます。

ここまで行くと、筋肉はついても人間が少し面倒になります。少なくとも、以前の私はたぶん少し面倒だったと思います。

3. 365日減量食のリアル「美しい体」の代償

もう少し、具体的な話をします。

私は基本的に365日減量食です。ジャンクな食べ物は一切口にしない。毎朝毎晩決まった時間に体重と体脂肪率を測り、記録を残し、少しでも崩れがあればすぐ調整します。いつでも2ヶ月あれば大会に出られるコンディションを保つようにしています。

「いつでも美しい体でいたい」――その気持ち自体は嫌いではありません。むしろ、それがあるからここまで続けてこられた。

ただ、その代償は、正直に言うとかなりあります。

「美しい体」のために失っていたもの

・体脂肪率が低すぎて、年中疲労感がある
・バルクアップできないと分かっているのに、食べられない
・飲みに誘われても断る。食事制限があるから好きなものを食べられない
・甘いものも食べたいのに一切我慢している
・誰からも食事に誘われなくなる
・お土産も「食べ物以外」を気を使って選ばれてしまう
・体が崩れると自分が好きになれない。嫌悪感を感じてしまう

確かに、年中美しい体です。それは事実です。

でも、その「美しい体」のために、人とのつながりが減り、楽しみが消え、自分を縛るストレスが増えている。そして「こんな人生面白いのか」と周りから思われている。

これは、外から見れば「健康的」かもしれない。でも、人生として健全かと言われると、正直、どこか歪んでいたと思います。

体が崩れることへの嫁悪感があるということは、「体の状態」と「自分の価値」が完全にくっついてしまっているということです。体脂肪が少し増えただけで自分が嫌いになるとしたら、その採点基準は結構きつい。

4. ストイックの先にあった息苦しさ

健康って、本来は自由度を上げるためのものだと思っています。

行きたい場所に行ける、やりたいことをやれる、好きな人とちゃんと会える。そのために体が動く状態を保つ。ここに意味がある。

なのに、健康そのものが目的になると、今度は不健康なものを全部敵にし始める。たまの夜更かしも、気楽な外食も、だらっとする時間も、全部どこか後ろめたくなる。

そこまでいくと、元気になるための習慣が、生活を狭くしてしまうことがあります。

飲みに誘われても断る。お土産も食べ物以外になる。甘いものが食べたいのに我慢する。――これらは全部、「健康的な行動」のはずです。でも、その結果として人との接点が減り、日常の小さな楽しみが消え、ストレスが溜まっていく。

もちろんストイックにやる時期が悪いとは思いません。追い込む時期があるから分かることもあるし、自分の限界を知る経験としては意味があります。ただ、それをずっと正義にすると本末転倒です。

5. 健康は「主役」じゃなくて「裏方」

人生には健康以外の目的があるはずなのに、健康管理だけが上手い人になって終わる可能性がある。これは少し怖いです。

結局のところ、健康は大事だけど主役ではないんですよね。

主役は、「何をしたいか」「どう生きたいか」「誰といたいか」――そっちのほうだと思います。筋トレも食事も睡眠も、それを支えるためにある。

「美しい体」と「豊かな人生」は、一見両立できそうですが、実際にはかなりの場面でトレードオフが発生します。そのときに「どっちが主役か」が決まっていないと、体を選んで人生を捨てることになりかねない。

6. 順番さえ間違えなければ、全部うまくいく

いまは、筋肉があることより、ちゃんと楽しめる体でいることのほうが大事だと思っています。

健康は守ったほうがいい。

でも、健康のためだけに生き始めるとおかしくなるので、順番だけは間違えないほうがいいと思っています。

まとめ〜3つの教訓

教訓1:健康は「手段」であり、「目的」ではない
体を整えるのは、やりたいことをやるため。その逆ではない。この順番が入れ替わると、どんなに努力しても楽しくない。

教訓2:ストイックは「時期」であり、「正義」ではない
追い込む経験には価値がある。でもそれを日常の基準にし続けると、自分も周りも苦しくなる。365日減量食を続ければ体は美しいが、失うものも大きい。

教訓3:「楽しめる体」が、一番の健康
筋肉の量や体脂肪率より、「今日、楽しめたか」のほうが健康のバロメーターとしては優秀。体は人生を楽しむための道具であり、展示物ではない。

― 最後に

これは筋トレを否定する話ではありません。むしろ、5年間真剣にやってきたからこそ気づいたことです。

365日減量食を続け、飲み会を断り、甘いものを我慢し、体が崩れるたびに自分を嫌いになる。そこまでやって初めて見える景色があります。

「健康のために生きていないか?」

この問いを自分に投げかけてみてください。答えが「Yes」に寄っているなら、それは順番を見直すサインかもしれません。

体は、人生を楽しむための「裏方」であり続けるのが、一番健康的な生き方だと思います。


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