男には数字の概念がなかった
父と診療を始めた。とはいえ、わたしの患者はまだ少ない。何十年も父の看板でやってきた医院に、突然息子が帰ってきたからといって患者が湧いてくるわけがない。
そもそもコロナ禍での実家帰りなので田舎ではバイキンマン扱いだった。あの時期の日本って狂ってたよね。めちゃくちゃ書きたいことあるけどそれはまた今度。
掃除に飽きたわたしは診療所全体の数字を見る。FP3級の本を何回か読んだんだから少しは分かる。患者数、売上、経費。……ん? もう一回見る。……これ、俺の給料ないやんw
わたし1人なら何とかなる。でも歯科医師が2人、その分の売上も必要になる。正直父を無理やり引退させようかな(ニチャア)まであった。
博多では技術の研鑽が全てで「経営」や「患者を集める」ということを今みたいに真剣に考えたことがなかった。腕があっても、勉強していても、患者が来なければ何も始まらない。歯科医師になって10年以上。ここに来て初めて「どうやったら患者って来るんだ?」という、商売の基本にぶつかったのである。

下が令和二年の月の新患数
令和元年の秋ごろに居抜き開業に挫折して実家に帰ろうかなって母に実家の数字を聞いた。借金ないなら何とかなるかなー程度の数字だよねこれ。借入して居抜き新規するならこれだとかなりリスキーだ。この程度の数字のところを居抜きして5年以上給料がなくてバイト生活をした先生を知っている。話を聞いたらまさに地獄だった。
この時の焦りがなければ経営を勉強することもなかったと思う。患者が少ないのは怖かったが、時間があったからこそ医院を観察できた。暇は悪いことばかりではない。数字を見て青くなったところから、わたしの医院づくりはようやくスタートした。
「会計がわからなければ、真の経営者にはなれない」
四国boy、数字に殴られる
