水曜日のダウンタウンに登場した歴史の生き証人
さて今日はもう14時間くらい記事を
書き続けただろうか。
これが本日最後の記事になると思う。
水曜日に「水曜日のダウンタウン」を見た。
この番組は現在地上波で放送されている中で
随一のとがった番組だと言っていいだろう。
挑戦的な企画が多いために、
当たり外れが大きいが、
時に感動的な作品を生み出すこともある。
かつて徳川慶喜の実物を見たことがある人や
忠犬ハチ公の実物をみた人を
探し当てたこともあった。
今回もなかなかの興味深い取材だった。
今週の説のひとつが
「この人がいなくなってしまったら
もう作れなくなってしまうもの結構ある」
というもので、主に職人さんによる
手作業によって生産されている、
今となっては絶滅危惧種的な
工業製品とその作り手たちを
訪ねてまわるというものである。
その中でベーゴマを作っている会社は
日本で2社しかなく、職人は7人のみ。
そして今回はその内の鋳物の街、
埼玉県川口市にある「日三鋳造所」
というところを訪ねたのだが、
そこで二人の職人が登場してくれた。
一人が80歳、もう一人は 84歳だ。
私が特に心惹かれたのは、84歳の方。
この方はなんと
樺太(サハリン)出身だという。
樺太の南半分(北緯50度以南)は
1905年から1945年までの40年間、
日本の領土だったのだ。(ポーツマス条約)
しかし日本のポツダム宣言受諾少し前の
1945年8月11日に、北緯50度線を越えて
攻め込んできたソ連軍に追われ、
樺太の人々は命からがら北海道に逃げた
ということがあった。
しかしそれも81年も昔のこと。よもやここで
その当事者に会えるとは思わなかった。
その時彼は5歳(本人証言、数え歳かも)
だったが、樺太からの逃避行の時、
ソ連の潜水艦からの雷撃を受けたと語った。
これは世に「三船殉難事件」と伝えられる
事件のことだ。
緊急疎開船、
小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸が
ソ連潜水艦からの魚雷による攻撃を受け、
二隻が撃沈、一隻が大破したというものだ。
これらのどの船に乗っていたか不明だが
三船あわせておよそ6000人の引き揚げ者の内、
1700人ぐらいが亡くなるという
悲惨な事件だった。
そのような歴史の生き証人のような人が
今でも生きておられ、
しかも現役のベーゴマ職人として
お仕事を続けられているというのは
全く人生の不思議さを感じさせることだ。
彼の腰は長年の腰をかがめて作業する
ベーゴマ鋳造の影響だろうが、
90度近くに折れ曲がり、
その曲がった部分に大きな瘤ができていた。
しかしそれでも彼は、
ベーゴマ作りは楽しい仕事。
いつまでたっても1年生のような気持ちで
取り組んでいる、と語った。
そして死ぬまで続けたいとも。
どうして、この番組は数々の
くだらない企画の中に、
不意打ちのように
こんなお話をぶちこんでくるのだろう。
それともそもそも人生が
くだらないことの連続の中に、
このように特別なことが潜んでいる、
ということなのだろうか。
そんなことを思った視聴体験だった。
近いうちに千島や樺太、カムチャツカや
アリューシャンの記事を
書きたいと思っており、
この記事はその前振りでもある。
終わった!

