記憶は写真に写るのか
都会から修学旅行で来た小学生が写ルンですで写真を撮っていた。聞けばスマホもデジカメも持参禁止なので、コンビニで買ったそうだ。「3000円もした」と言っていた。
プラス現像代で2000円くらいかかるのは知っているのだろうか。いまや27枚の写真を撮るのに5000円もかかる贅沢品だ。
その子たちの写ルンですの使い方を見ていると、「残したいもの」を撮るという、まさに人と写真のかかわりの原初的な姿があった。私はそこに静かな感動をおぼえた。
「撮って」と手渡されたので1枚シャッターを切った。ファインダー越しの笑顔。カチャン、という懐かしいシャッター音。その写真を私が見ることはないだろうというほんの少しの切なさ。スマホやデジカメにはない感覚が残る。
以前の記事で書いたように、私も写ルンですのレンズを再利用したUtulensを愛用している。
写ルンですによる写真がスマホやデジカメよりも「記憶に近い」といわれる理由は、主にレンズ特性による。
中心部だけ比較的明瞭で、周辺は減光や像が流れるといった特性が人間の視覚に似ており、加えてネガフィルム特有の粒状感や色調が人間の記憶の感情補正に近い効果を出す。
近年のデジカメは高解像度を追求した結果逆に記憶らしさから遠ざかってしまったが、写ルンですによる写真は人間が過去を思い出すときの像に偶然近づいてしまったと言える。
これは日本人特有の感覚ではなく、欧米でもノスタルジーと結びついたフィルム回帰の一環として写ルンです(海外での商品名はQuickSnap)は人気がある。日本では「エモ」の文脈で消費されがちだが、欧米ではカルチャー選択としての要素が強い。



これらの写真はISO100のモノクロフィルムを用いて、撮影時はそのままISO100で露出を計り、現像時にISO400相当に増感するという手法をとっている。
このレンズは急激にトーンが落ちるので、2段増感でもシャドウの情報が欠落する。加えてハイライトの破綻、粒状性の増加、中間調の圧縮諧調により、記憶や夢のようなイメージを生むのが狙いだ。
