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決して朽ちない檸檬

良いですよね、檸檬。
教科書にも載っているので、知っている方が多いでしょう。
梶井基次郎が1925年に発表した不朽の名作です。
私はというと、なんとなくで読んだことはありましたが、深く理解しようとしたことはありませんでした。
今回は檸檬の朗読に際して私なりに調べ、思ったことをまとめておきます。
見当違いな解釈もあるかもしれませんが、同程度の理解度で作品に触れる人には、小さな足がかりになるかもしれません。

青空文庫

まず読みたい方はこちらから全文に無料でアクセスできます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/424_19826.html

梶井基次郎という人を知っておこう

檸檬には多分に自己投影が含まれています。
よって作者の境遇を少しかじってみると、見え方も変わります。
梶井は31歳という若さで病没(肺結核)しており、20歳ごろからすでに血痰が見られたりしていたそうです。(Wikipediaより)
そのため生涯に残した作品も多くはなく、23歳で発表した檸檬には、体調悪化から来る神経衰弱や焦燥感が如実に反映されているように感じます。

描写力が見どころ

この作品の魅力は、作者が実際に過ごしている憂鬱な日常を鋭い五感で捉え、それらを類いまれなる描写力で訴えてくるところにあると思っています。体の防衛本能のようなものが働き、生きたいという切迫感が神経を尖らせる。すると不安の渦中にいる自分は、身の回りから必要以上に多くの情報を拾ってしまう。結果として頭が情報過多になり、思考がショートして、さらに無気力へと落ちていく。そんな負のスパイラルが文章から伝わってきます。
100年後の私たちが読んでも違和感なく入ってくるのは、言葉が伝わるからです。時代を超えて共有される不安や違和感を、これ以上ない表現力でこちらに手渡してくる。だからこそ、この作品は不朽なのだと思います。
そこに奇抜な檸檬の爆弾が鮮烈に輝き、モノクロだった世界を一気に彩ります。

個人の感想

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。

有名な書き出しです。
悩み事や不安が多すぎて、もはや理由なんて特定できない。けれど、とにかくもう怠くてどうしようもない!というのは、程度の差はあれど皆さんも理解できるのではないでしょうか。
この場合は死の病と多額の借金などになるわけで、その重さは相当なもの。それを分かりやすく導入するために、いったんは二日酔いなどの共感できる表現だけでスムーズに伝えます。その後に、一般的な悩みの中でも最上級に重い部類だと示すことで、「ああ、あれのデラックス版か」という分かりやすさを提供しています。ここがまさに不朽ポイント。

何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。

今の感覚からすると陶酔的に見えるかもしれませんが、憂鬱さの描写として面白いし、後段の丸善が少し鼻持ちならない場所に見えてくる分、ここに何か仕掛けてやろうという気分に運びやすい、ちょうどいい助走になっている気がします。

生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。

一応補足しておくと、丸善とは単に現在の丸善ジュンク堂書店のことではなく、当時はまだ珍しい西洋の文具・香水・画集などの輸入品が並ぶ、最先端のセレクトショップという感じです。
Apple Store 銀座にみすぼらしい格好では行きづらいですが、いわばそんな雰囲気の場所なのでしょう。現代なら、積み上げたiPadの上にレモンを置いていたようなものかもしれません。

私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、克明にはぐってゆく気持はさらに湧いて来ない。

不安や問題が迫っているときには、以前どおりの欲が湧いてこない。
それにもかかわらず、かつて好きだった物で得られる脳内報酬を求めて行動に移す。しかし疲れるだけで終わってしまう。
憂鬱な時期を過ごした人、社会人になった人、単純に忙しい人、皆、これに似た感覚に陥ることがあると思います。
普通なら「生き急ぐな!」とか「落ち着ける時間を作れ!」と言いたい。けれど主人公には、人生のタイムリミットを感じざるを得ない状況があります。
発散方法は、普通のやり方、普通の発想ではだめなのだと感じさせられます。

丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。

主人公にはギャグのセンスがあると思います。爆破落ちの発見です。
YouTubeでアニメを投稿している、からめるさんのような、不条理で暴力的だけど無傷で済むギャグに近い。
実際になくなれとか何かを傷つけようという話ではないでしょう。
自分が憂鬱だと自覚させてくるこの場所・空間を、ギャグの場に変えて発散してやろう。いっそ店主の「コラー! ばかもーん! なにをしとるー!」なんて声まで聞こえてきたら、できすぎて笑ってしまうかもしれません。
傷つけず、壊さず、それでも世界をひっくり返した気になれる。ここまでの陰鬱な空気との対比による緊張と緩和、そんな安全な逸脱が、この場面の快さなのだと思います。

まとめ

現代人がよく言われることに、ドーパミン中毒だとか、デジタルデトックスだとかがありますが、要するに脳内のキャパオーバーを指摘しています。
主人公の抱えるものと比べるとかなり小さいのは確かですが、実社会生活と多量のコンテンツで頭が疲れ、楽しめなくなったと思ったとき、いったん離れてみるのも良いかもしれません。
仕事もデバイスも積み木にしたあげく爆破するのです。
そんな発散をしていると、いつしかまた落ち着いて、いろいろなことに向き合うことができたりするかもしれません。

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