万博トイレ費用は高いか
大阪万博で設置した2億円のトイレを河内長野市に移設するという
ニュースが出ていた。移設費は1億円だという。
万博開催自体に多くの異議が飛び交っていたし、
2億円トイレは格好の批判対象でもあった。
建築物に対する一般の方々の意識というのは
そんなものだ。
「2億円」という額面のみに関心があって
その中身には全く感知しない。
「無駄だ」と主張するならば、その根拠が欲しいところだが
根拠云々よりも、感性に基づいた批判に終始される印象がある。
万博には1日だけ行った。
件のトイレには行かなかった。
混んでいそうなのと、たまたま移動ルートと違ったから。
会場の端っこの、だいぶ空いているトイレには行った。

意匠的にも構造的にも、
だいぶ気合を入れて設計・施工したんだろうなぁという印象。
設備的には、

どう?
壁換気扇かよ。この高さ(低さ)かよ。
ま、その程度の印象。
天井扇とダクトの費用もケチったか?
それを意匠に全振りしたのか?
ま、その程度の感想。
このトイレに幾らかかったか、知らない。
でもそもそも、トイレの工事費というものは
パッと見で判断できるようなものではない。
「このトイレは平米あたり何万円だから
決して高額ではない、いや、安いくらいだ」
そんなご意見も散見されたが、
そういう「平米単価」もどうなんだ、と思う。
トイレのハコそのものの費用もあるけれど、
便器や洗浄便座のグレードがかなり費用に寄与する。
そして、給水引込や排水の行先が
ものすごく影響する。
「2億円」に、給排水インフラの費用が入っていたのかどうか、
それによって議論の前提が全く違ってくる。
田舎に設ける場合であれば、
浄化槽の費用だけでかなりのものになるから
平米単価なんて算出しても、
都市部のトイレと比較のしようもないのだ。
それに。
「移設」と言っても、
工事現場にあるような仮設トイレを吊って、運んで、据える、
そんな簡単な作業ではないのだ。
移設されるのは、飽くまでハコと便器と照明とか。
給水、排水、電気のインフラは移転先で新たにつくる。
「移設費1億円」の中身もまた、
全く不明なのである。
中身の全くわからない「2億円」「1億円」の額面だけを見て
いったい何を批判できるというのか。
結局のところ、
「その1億円、オレにくれれば、有効に使ってやったのに」
ただのやっかみなのかもしれない。
もちろん、
「その1億円で、一体何人の生活困窮者が助けられると
思うのか」
「建築よりも人間に投資すべきではないのか」
そういう議論も、おかしいとは思わない。
世の中、必要は無限にある。
限られた資金を、どのように配分するか。
それが政治であり、経済なのだろう。
そしてそこに、いろいろな利害関係や損得勘定や
権力がからんでくるから、
いわゆる「不正」が取り沙汰されることになったりもする。
ある人にとっては「不正」
ある人にとっては「正義」
そんな事態は、多々あるのだ。
お隣の国ではそういう事態が苛烈で
大統領はみんな退任後に逮捕収監されてしまうが
ネロナムブルの思考はお隣に限った話ではない。
「コンクリートから人へ」という
公共工事罪悪論によって
日本の建設業は壊滅的打撃を食らった。
そういう主張がある。
実際にその弊害を現在見ることができると思う。
一面で、正当な主張でもあるかと思う。
しかし全面的に肯定するものでもない。
バブル期、確かに「無駄」と思える公金の使い方が
多々あったのではないか。
否定されるべき公共工事も、確かに存在していたのではないか。
そのようにも思うから。
ワタクシの限られた狭い小さな周辺領域において
批判を受けても仕方がないだろうと思う事業を
体感したし、ね。
「こうすればいいのに」
「こうすべきだった」
「だからダメなんだ」
「あいつを糾弾しろ」
威勢のよい、勇ましい、得意げな、正義ヅラした、
そんな言葉は人々に対して訴求力がある。
今やネット上で誰でも発信できるから、
(未だに電凸するような輩も少なくないそうだが)
過激な論説は一定の支持を得て、ますます広まる。
なになに庁舎新築が何十億円。
役場ばっかり無駄遣いしやがって。
もしも、ただ額面だけを見ているのならば
ぜひ、中身を検証してみていただきたい。
分散していた機能を集約化することにより、
また老朽化した多数の施設を統合することにより
維持管理費や職員の通勤費が
削減されているのかもしれない。
設計者のものすごい努力によって、
極限までコストカットしつつ、美観と機能を追求した
すごい建物なのかもしれない。
学会誌や建築誌に載ったり表彰されたり
ということは全くないけれど、
すごく使いやすい、優れた計画の庁舎なのかもしれない。
維持管理がシンプルでコストのかからない
わかりやすい設備計画だったりするかもしれない。
そのうえで、何十億円の費用がそれに見合うかどうか。
短期的・長期的に、どうなのか。
批判者が直感的に「高っ!」と感じる額面について
多くの人たちが、多くの検討を経ていることが
一般的なのである。
「批判」は、必要なことだ。
なんでもオッケー! というのは、まずい。
批判に耐える、説明責任を果たせる、
そんなプロジェクトが望ましいことは確かだ。
一般の人が、専門的領域に疎いのも仕方がない。
だから、直感的に批判したくなるのも、理解できる。
(ワタクシ自身も、自分の専門外については同様なのだから)
が、批判が目的化して、
理屈の通らない、ただの「言いがかり」となってしまう例も
少なくないように思われる。
多少無理筋でも、声が大きければそれなりに通用してしまったり。
川勝前知事の大井川論は、どうだったのかな。
後世にその評価が定まるのかもしれない。
ともかくも、
「2億円トイレの移設費1億円」
そんな記事タイトルだけ見て
条件反射的に非難の声を上げるのは
何かおかしいなと思うのである。
記者という人たちの、
とりわけ建設に関する知識の乏しさといったら
目も当てられないように思うのだ。
(「万博トイレ費用は高いか」おわり)
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