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二日酔いの朝、家に薬がないことに気づく

目が覚めた瞬間に、昨日の自分を恨む朝がある。

送別会だった。三年ほど同じ島で働いた同僚が、別の部署へ移ることになった。普段の私はビールを二杯で切り上げる。それ以上飲むと翌日にこたえるとわかっているからだ。けれど昨日ばかりは、断る理由が見つからなかった。注がれれば飲み、乾杯と言われれば飲み、最後だからと言われればまた飲んだ。楽しかったのは覚えている。覚えてはいるのだが、後半のどこかから、記憶の輪郭がぼやけている。

朝、頭の芯が重い。まぶたが一枚厚くなったような感覚がある。台所へ行って水を一杯飲むけれど、それ以上のものは体が受けつけない。冷蔵庫を開けても、自分が何を食べたいのかわからない。ただ扉を閉める。

こういうときに飲める薬があるといいのだが、家には何もない。引き出しを開けても、絆創膏と、いつ買ったのか思い出せない風邪薬があるだけだ。薬局に寄ってから出勤する余裕もない。時計はもう、家を出なければならない時刻を指している。結局、何の手当てもしないまま、私はそのままの状態で家を出る。

電車の揺れが、いつもより体にこたえた。

職場に着いても、頭は半分眠ったままだ。メールを一通返すのに、普段の倍の時間がかかる。数字を三度見返して、それでも自信が持てない。誰にも気づかれていないつもりでいるけれど、自分だけは知っている。今日の私は、いつもの私の七割くらいしか動いていない。

そして、静かに自分が嫌になる。

なぜあんなに飲んだのだろう。三杯目を断る隙は、たしかにあったはずだ。それに——ここからが本当に厄介なのだが——記憶の薄い部分を、頭が勝手に再生しはじめる。あのとき自分は何を話しただろうか。誰かに絡んでいなかっただろうか。言わなくていいことを、言ってしまわなかっただろうか。確かめる方法などないのに、同じ場面を何度も巻き戻す。二日酔いの本体は、頭痛ではなくこの後悔のほうかもしれない。

酒には良い面と悪い面がある。それはわかっている。普段は聞けない話が聞けるし、席が隣になっただけで急に距離が縮む人もいる。ただ、私にとっては悪い面のほうが目立つ。楽しかった三時間の代金を、翌日の一日をまるごと使って払っている感覚がある。損得で言えば、明らかに損だ。

それなら飲まなければいい、という話なのだが、飲み会という場ではそう簡単にいかない。送り出す側として、しめっぽくしたくない気持ちもある。断り続けるのも角が立つような気がして、結局は笑って杯を受け取ってしまう。

酒は飲むとも飲まるるな」——日本に古くから伝わることわざである。

私はこの言葉を、教訓というより慰めとして受け取っている。こういう戒めがわざわざ残っているということは、それだけ多くの人が酒に飲まれてきたということだからだ。何百年も前の誰かも、朝起きて頭を抱え、水を飲み、昨日の自分を恨みながら仕事に出かけたのだろう。学びきれなかった人が大勢いたからこそ、言葉のほうが残った。そう考えると、今朝の私も、ずいぶん長い行列の最後尾に並んでいるだけのような気がしてくる。

そして、こんなことを繰り返しながら、確実に歳は重なっていく。

二十代のころは、同じことをしても「昨日は飲みすぎた」の一言で終わっていた。今は違う。回復に丸一日かかる。二日酔いというのは、体が正直に出してくれる報告書のようなものだと思う。無理がきかなくなったというより、無理をしたぶんの請求書が、きちんと期日どおり届くようになっただけなのだ。若いころは、たぶん請求書が郵便受けの奥で止まっていた。それだけの違いである。

だから今日は、七割の自分で過ごすことにした。急ぎでない仕事は明日に回す。昼は消化のいいものを少しだけ食べる。夕方に無理な予定を入れない。定時で帰る。それだけのことだが、今日の私にできる最善はそのあたりだ。

たぶん私は、次の飲み会でも似たようなことをする。反省が完璧に生きる人間ばかりなら、ことわざなど必要ないのだから。それでも、ひとつだけ変えられることがある。帰りに薬局へ寄って、二日酔いに効く薬をひとつ買い、引き出しに入れておくことだ。今日と同じ朝を迎えたとき、少しだけ楽になれるように。

明日の自分のために、水を一杯置いておく。
たいそうな決意ではなく、それくらいでいいのだと思う。

もし今日、同じような朝を過ごしている人がいたら——大丈夫、今日は七割でいい。

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