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「砂漠に行きたい」と検索したら、鳥取が出てきた

「何もない場所に行ってみたい」と思ったことは、ないだろうか。

平日の夜だった。洗い物を終えて、ソファに沈み込んで、配信の続きを再生する。画面いっぱいに映ったのは、見渡すかぎりの砂だった。

『VIVANT』である。正直に言えば、物語の筋よりも先に、あの景色に持っていかれた。地平線まで、何もない。砂の起伏が、光の角度でゆっくりと表情を変える。人工物がひとつも映り込まない画面を、私はしばらく黙って見ていた。

気がつくと、スマホで「砂漠 日本」と検索していた。深夜の、いちばん無防備な時間帯の検索履歴である。う

そこで出てきたのが、鳥取砂丘だった。

厳密には、砂丘と砂漠は別物らしい。雨の量が違う。草も生える。そういう説明をいくつか読んで、なるほどと思いながら、それでも写真をスクロールする手は止まらなかった。日本海から吹きつける風がつくった、大きな砂の斜面。人が小さく写り込んでいて、そのスケール感で急に現実味が出る。ここは電車と車で行ける。パスポートもいらない。

しかも、夜は星がよく見えるらしい。鳥取は空の暗さを売りにしていて、星を見に行くツアーのようなものもあるようだった。砂の上に寝転んで、星を眺める。私が勝手に妄想していた光景と、そんなに遠くない。

それから暇さえあれば地図を眺めている。中国地方には、ほとんど縁がない。修学旅行でも行かなかったし、出張でも通らなかった。私にとって、地図の上でだけ知っている場所だ。だからこそ、行ってみたい気もする。

なぜ、こんなに「砂」に惹かれるのだろう。

しばらく考えて、たぶん逆なのだと思った。私が求めているのは砂ではなくて、「何もないこと」のほうだ。

私の日常は、足りないというより、多すぎる。通知、締切、買い置きの残り、見なくてもいい誰かの休日の写真。ひとつひとつは小さいのに、全部あわせるとけっこう重い。

砂漠の映像には、それがなかった。砂と光と風だけがあって、あとは全部ない。あの「ない」に、私はほっとしたのだと思う。

考えてみれば、「何もない」を見に行くためにわざわざ遠くまで出かけるというのは、なかなか贅沢な話である。何もないなら、家にいてもいいような気がする。でも家には、洗っていない食器も、返していないメッセージもある。ないようで、ぜんぶある。だから、遠くまで行く必要があるのだと思う。

サン=テグジュペリの『星の王子さま』に、こんな一節がある。

砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ

王子さまが、砂漠を歩きながら口にする言葉だ。

初めて読んだのは子どもの頃で、そのときは意味がよく分からなかった。今は、少しだけ分かる気がする。何もないように見える場所だからこそ、たったひとつの大事なものが、はっきり見える。逆にいえば、ものが多すぎる場所では、自分にとっての井戸がどこにあるのか、分からなくなってしまう。

……と書いてみたものの、少し格好つけすぎかもしれない。実際のところ、私はそんな立派なことを考えて砂丘に行きたいわけではない。ただ、砂の上に寝転んで星を見たいだけだ。たぶん、それだけだ。そして、それでいいのだと思っている。

シルバーウィークあたりに行けないかな、と思っている。まだ宿も取っていないし、そもそも休みが取れるかも分からない。同僚には言っていない。言ってしまうと、行かなかったときに少し恥ずかしいからだ。

でも、この「行きたい場所がある」という状態が、案外いい。月曜の朝、電車の中で砂丘の写真を眺める。たったそれだけで、その週が少しだけ軽くなる。実際に行けるかどうかとは、別のところで効いている。

妄想は、タダである。

行ける行けないは、あとで考えればいい。砂漠でも、離島でも、隣の県の温泉でもいい。検索して、写真を眺めて、地図で場所を確かめる。それだけで、自分の世界の地図が、ほんの少しだけ広くなる。

私の地図には、いま鳥取がある。

もし本当に行けたなら、砂の上で見た星のことを、また書こうと思う。行けなかったら、来年の今ごろ、同じことを言っているかもしれない。

それはそれで、悪くない。

あなたの地図には、どこがあるだろうか。

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