台風が来るとうれしかったのに、いつから「来ないで」と祈るようになったんだろう
台風が近づいている、というニュースを見ると、いまでも胸の奥が少しだけざわっとする。
子どものころ、その「ざわっ」は、わくわくだった。
天気予報で「大型の台風が接近」なんて言葉が出ると、私はこっそり期待した。
学校が休みになるかもしれない。
明日のテストが飛ぶかもしれない。
雨戸を閉める父の横で、神妙な顔をしながら、内心では「もっと来い、もっと来い」と思っていた。
ただし条件があった。
平日に来てくれないと意味がないのだ。
せっかくの暴風警報も、土曜や日曜にぶつかってしまっては、なんの得にもならない。金曜の夜にニュースを見て、進路がそれて週末に直撃しそうだとわかると、本気でがっかりした。「なんで休みの日に来るんだよ」と、自然相手に文句を言っていた。あのころの私にとって、台風は災害である前に、まず「学校を休ませてくれるかもしれない、ちょっとしたお祭り」だった。
それが、どうだろう。
いま台風が近づいていると知ると、私が真っ先に考えるのは仕事のことだ。電車は動くだろうか。動かないなら、何時に出ればいいのか。前日のうちにあれを片づけて、これを連絡して……。ベランダのものを家の中に入れ、傘の予備を確認し、スマホの充電を満タンにする。心のなかでつぶやく言葉も、すっかり変わってしまった。
「頼むから、来ないでくれ」。
来てほしくて仕方なかった台風に、いまは来ないでくれと祈っている。
同じ台風なのに。
いや、台風はきっと、昔もいまも、ただ発生し流れていくだけなのだ。
変わったのは、私のほうだ。
おもしろいな、と思う。
同じ物事でも、立つ場所が変われば、こんなにも見え方が変わる。
子どもにとっての台風と、働く大人にとっての台風は、まるで別ものだ。
守られる側にいたときと、何かを守る側になったときとでは、世界はちがう顔を見せる。
そして、同じひとりの人間のなかでも、時間がたてば考え方は変わっていく。「もっと来い」と願った子どもと、「来ないでくれ」と祈る大人は、地続きの同じ私だ。どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけじゃない。ただ、流れていく時間のなかで、私が少しずつ移り変わっていっただけ。
あのころの「わくわく」を失ったことを、私はちょっと惜しんでいた。でも、それは失ったというより、移り変わったということなんだろう。守られる立場から、守る立場へ。お祭りを待つ子どもから、備える大人へ。流れる川のように、私はちゃんと先へ進んできた。
同じものを見ても、昔とちがう感じ方をする自分に気づいたとき。
「歳をとったな」とため息をつくのもいいけれど、「ちゃんと変わってこられたんだな」と、そっと自分をねぎらってあげてもいい。
台風は毎年やってくる。来てほしくない、と思いながら、私はまた備えをするのだろう。そうやって変わり続けながら、それでも私はちゃんと生き続けていく。
次の台風が過ぎたあと、空がやけに澄んで見えたなら——それはきっと、また少し、流れていった証なのだと思う。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 