会社の上司に突然呼ばれてなんじゃろうとびくついていたら「戦争の資料集めてるんだってね」ーありがたくご寄贈いただきました!
会社で仕事が一段落したところ、だいぶ上の上司から手すきの時に来てほしい、と社内チャットに連絡が。すぐ来い、と言われていないので、へまをやらかしたわけではないが、ほとんど話す機会のない上司なのでなんじゃろうと出向いてみたら「信州君、確か戦争の資料を集めていたよね」ー。
まあ、展示会とか活動をしていることは一応、直属の上司には話していましたが、ここまで上だと、いったいどっからとか思いましたが「日露戦争ころのものなんだけど、家で見つかったので、もし、役にたつなら…」と差し出されたのがこちらの3点。

中の人「いただきたいです!」(即答)。
中身を拝見して、いろいろ由来など話しましたが、後から勘違いと分かり赤面のいたりですが、また、会う機会があれば訂正してお伝えしようと。
まずこちら、「日露戦争実況画報第一号」。奥付がなく、どこの誰がつくったかは分かりませんが、蛇腹状で、12枚の石版画と説明がついていました。


中の絵は、とにかくこんな調子の壮絶なもの。


南山の激戦など、第一号だけに緒戦の場面です。陸軍の絵しか入っていないので、別に海軍用があったのか、陸軍の凱旋式に合わせた出版だからかなど、不明点は多いですが、カラー写真のなかった時代、こうした石版画はまだ日露戦争のころは人気だったようです。一方、日清戦争ではやった錦絵報道は、日露戦争では衰退していました。

この本がどういう由来で来たか、というのは、どうやらこのハガキがヒントになりそうです。「明治三十七八年戦役陸軍凱旋観兵式記念絵葉書」とあります。



裏返すと、この観兵式の記念切手を貼り、そこにやはり記念スタンプが押してあります。長野とあるので長野の郵便局で押されたものでしょう。全国で発売されたとみられます。スタンプの日付、1906(明治39)年4月30日から、当時の信濃毎日新聞を調べてみますと、この日、東京の青山練兵場で式が行われていました。


名誉軍旗とされたものが26あり、そのうちの一つは長野県の上伊那郡朝日村(現・辰野町)出身の連隊旗手が持っていたものと地元紙らしい記事が載っています。

そして4月30日付の紙面には、東京でのこの記念はがきと切手を求める人で死者も出たとか。嘘か誠かは分かりませんが、掲載してありました。

そんな混雑の中で売られた貴重品が二つも手元に来たことは、これも何かのご縁でしょう。収蔵品として、また、お目にかける機会をつくりたいと思います。一方で、こうしたグッズや熱狂が、戦争の原動力でもあったのだろうと推測され、総立ちになる危険性もうかがえました。
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