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大平洋戦争下、日本は縄、むしろ、かますといった藁工品の不足に悩んでいましたー無理を承知で乗り越えた国策紙芝居「国思ふ」で叱咤

 こちら、大平洋戦争中の1943(昭和18)年2月5日、日本教育紙芝居協会製作の国策紙芝居「国思ふ」です。提供・産業組合中央会、脚本・鈴木景山、絵画・浦田重雄。よく、紙芝居=子ども用、と思われますが、国策紙芝居の大部分が大人向けでした。そしてこの作品は産業組合中央会が資金を出して作ったことから分かるように、農村での上演を意図したものでした。

 当時、農村の藁工品は、日本の輸送を特に支えていました。梱包、輸送には藁縄、むしろ、かますといったものが不可欠でした。しかし、増産の要求の上に、大事な働き手は戦争に行ってしまった農村です。藁工品の生産率は1942年にはかますで61%、縄76%、むしろだけは92%となっていましたが、袋状にする手間のかかるかますの不足は重大な問題でした。

 そしてこの紙芝居。九州のある県の実話を元にして、増産で苦しい中、かます1万枚という要求に見事対応する内容で、各農村に叱咤激励する意味も込めて作られたものであることは明白です。

 舞台の村は架空。コメの収穫が終わるとすぐ麦まきが待っています。そんな忙しい最中、婦人副業組合長岩田まきさんには、心配ごとが。

 それは、11月10日までに1万枚のかますを供出せよ、という指示。忙しい中、作業が進まない。そこへ県庁から出頭の手紙が。

 組合仲間も、とても期日には無理として延期を岩田さんにお願いします。

 さて、県庁です。役人は、かますは軍用と説きます。

 「戦争はその無理を突破しなければ勝てんのだ」。かますも兵器と。

 岩田さんはその言葉に感激し、やると誓っていました。

 しかし、村へ戻る汽車の中で我に帰り、とんでもないことになった、無理、と思いつつ村に帰ります。

 意を決して経過を話し、とにかくできるところまでやって、あとは自分が責任を取ると。その決意にうたれる一同。

 そして、岩田さんの自宅で、組合員たちはやる気を見せ、共同作業所を用意し、決死の覚悟でと誓います。

 岩田さんが提供した畑に婦人組合員が協力して1日で共同作業所を建設、電気もひいて、さっそくその日から取り掛かります。そして夜は遅くまで、朝も2時間早起きして取り組みます。

 分業体制も整って、能率が上がってきます。岩田さんは薩摩芋でつくった手製のあめを配って士気を高めます。

 そして産業組合長の手配で、さらに2カ所の共同作業所が。夜12時まで働く者、徹夜で朝まで働くものと、2手で必死の作業と。

 各家庭から出られない人も、できる限り奮闘。

 最後の徹夜が明けて、とうとう1万枚のかますが完成しました。

 県庁の係員も感動。岩田さんも組合員も、感涙にむせぶ。

 そして日の丸の下、女の力を持ち上げます。そして演者、皆に「明治天皇御製 国思ふ」の唱和を求めます。「国を思ふ 道に二つはなかりけり いくさの庭に たつもたたぬも」

          ◇
 この紙芝居、幸いケースごと入手し、解説文も残っていましたので、作品の特徴と政府方針を掲げます。紙芝居を実演して終わりではなく、そこから現状の講話と取り組むべきことまで、話を持っていくとしています。気分を昂揚させて、それを現実につなげさせるということです。

 冒頭にあげた生産率や、この政府方針などは、講話資料として入れられていたものです。国策紙芝居の使われ方の一端が、ここに示されています。

 鈴木景山という、当時の一流の脚本家の手で、思わず感動してしまうものに仕上がっています。一方、中身をよく考えてみますと、戦争がいかに人々の労力を絞り上げるかが見えてきます。戦争とは、平時ならいらない労力を必要とするのです。そしてそれを担うのは、普段から一生懸命働いている人たち。なお一層の働きを要求されていくのです。戦争は、人々をさまざまな形で縛り上げるものだということが感じられれば、この紙芝居を今の世に伝える意味が出てくるかもしれません。

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