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<戦時下の一品>日章旗、旭日旗と軍隊の茶碗を集めましたー壊したら国旗損壊罪か(嗤)

 身の回りにどれだけ国粋的なものがあるか、茶碗に的を絞りましたら、これぐらい集まってきました。以前紹介したものもありますが、比較のため、ここでまとめてお見せします。

 過去に紹介した3点に、今回4点を加え、日章旗や軍隊をデザインした7点の子ども向けお茶碗がそろいました。絵柄の組み合わせ内容で大きく4種類に分類しましたので、それぞれ見ていきます。

 まず「日章旗・旭日旗と乗り物」の組み合わせです。

オープンカーと日章旗・旭日旗、桜の花
持った時にはこんな感じ

 このころは、自家用車など庶民には難しい時代ですから、夢があったでしょう。日章旗と旭日旗は並べて3つをつるしている形です。

 同じく自動車と旗ですが、こちらの自動車は流線形のもの。流線形が流行ったのは1930年代ですので、この茶碗もそのころのものとみられます。

流線形自動車と日章旗・旭日旗
持つとこんなです。タクシーの雰囲気でしょうか

 そしてこちら、機関車と日章旗・旭日旗です。機関車は身近な存在でしたから、子どもたちも楽しく感じる絵柄だったでしょう。

機関車と旭日旗、桜
手にもつとこんな感じ

 旭日旗のみで、こちらは軍隊が強調されたデザインとなっています。
 ちなみに、1937年7月7日の盧溝橋事件に端を発した日中戦争開戦に合わせて「汽車ポッポ」が童謡として発表されます。歌詞は、走る汽車から兵隊が日の丸を振って出征するのを、子どもたちが万歳をして見送るという内容でした。こちらのデザインは、まさにそんな光景もイメージさせてくれます。

 次に「旭日旗と軍隊」の組み合わせ、2点です。軍を主役にしているので、日章旗は入れず、旭日旗のみにしています。

 こちらは、旭日旗と行軍する兵隊です。旭日旗には房が付いていて、連隊旗と同じデザインです。はっきり、軍の象徴として描いてあります。

 こちらは、飛行機機と騎兵、そしてやはり房の付いた旭日旗です。飛行機のうち、手前は1931(昭和6)年9月18日の柳条湖事件を謀略で引き起こして始まった満州事変から実践投入された92式偵察機によく似ています。満州事変当時に作られた可能性があります。

手前の上翼単葉のスタイルの機体は、満州事変当時のものとみられる

 そして騎兵。旭日旗はやはり房付きです。爆発の効果をデザインしてあり、戦闘中を意識したもの。満州事変当時につくられたとみて間違いないでしょう。

 そして「軍隊のみ」のデザインがこちらです。「ニクダン三勇士」とあり、満州国建国から列強の目をそらすために謀略で引き起こされた第一次上海事変の際、戦死した3人の工兵の戦場美談をデザインしています。

鉄条網に破壊筒を持って迫る工兵

 実際は一本の長い破壊筒を3人で抱えていたのですが、デザインが難しかったせいか、1人ずつ抱えているものにしてあります。お茶碗のカーブに合わせると、確かに変な感じになりますよね。ここは事実よりデザイン優先での処理です。

 肉弾三勇士については、こちらのリンク先をごらんください。

 最後に「日章旗・旭日旗と子ども」の組み合わせです。

万歳する男女と日章旗・旭日旗
2人とも水兵服か

 子どもたちが日章旗や旭日旗に万歳をする、という、国家への帰属を一番感じさせるデザインです。

 これらのお茶碗は、どこからの指示があったわけではなく、数あるデザインのうちの一つとして作られたものでしょう。おそらく、満州事変から日中戦争開戦あたりまでの時期に作られたと推測します。世間の話題になっていることを取り入れるのが商売ですし、こうした色付けが自由に出来たのも、国内の戦争への負担が少なかった時期だからこそです。

 こうしたものに身の回りを囲まれて、自然に軍隊が身近に感じられる雰囲気もつくられていったことでしょう。売れればいい、という行動も、その時代の方向を補強していったのではないでしょうか。

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