シベリア抑留者が着用していたとみられる旧ソ連の軍服「テログレイカ」を入手ー戦争は終わっても終わらない
このたび、埼玉県出身の方と思われる人がシベリア抑留から帰還した際、着用していた旧ソ連軍の軍服「テログレイカ」を入手しました。

テログレイカ(Telogreika / Телогрейка)は、旧ソ連軍が1930年代から1960年代にかけて採用していた綿入りのキルティング防寒ジャケット(およびズボンを含む防寒着一式)です。ロシア語で「身体(telo)を温めるもの(greika)」を意味し、ロシアの過酷な冬を生き抜くために開発されたということです。最大の特徴は、縦方向に細かくステッチが入った独特のキルティング構造ということで、この品は、その典型的な特徴を示しています。
ちなみに、この品は埼玉の業者が上下セットで市場に出したものということで、ズボン側には1947年製のスタンプがあったということです(予算の問題で今回は涙を呑んで上だけ入手)。こちらの上衣には特別な記載はありませんが、セットで出てきたことから、同じ年に生産され、支給されたものとみて良いでしょう。
では、まず現物を仔細に見ていきます。全体的に外側に汚れはありますが、激しいものではありません。ボタンもそろっていますが、いずれも錆がだいぶ浮いています。

ボタンに特別な刻印はなく、平板で簡素なつくりです。

目立つダメージとしては、左袖の肘付近の上側に充て布での補修がされています。

裾には少しのほつれがあります。

一方、内側は破れもなく、汚れも感じられません。そして、糸で名前を縫い込んであります。

「大川戸」とあります。ネットで調べたところ、埼玉県の一部地域にみられる珍しい苗字だそうです。シベリア抑留者関係の名簿で調べたところ、抑留死者にはこの苗字はなく、全国抑留者協議会埼玉県連合会が1987年に発行した『生ける証言:ソ連抑留体験記録』という体験集で、大川戸姓の方の投稿がありました。ご本人かどうかはともかく、どうやらこの地域と縁のある方のものと分かりました。

背面には、ウエストを調節するための平紐が付けられています。

テログレイカにも細部でいろいろ差があるということでしたが、こちらの品の、刻印のないボタン、背後のウエスト調節がベルトではなく紐であることから、物資不足の戦争終結間もない時期の生産品である特徴を備えているということになります。また、中身もごわごわした感じで、未精製の綿が汗や湿気を吸って部分的に固くなっている状態を示します。
ただ、腕の部分のダメージはあり、ボタンもさびているものの、内側に着ていたとしても汚れが目立たず、ダメージも着つぶしてという感じではありませんでした。この服が支給された後、一定の過酷な作業に従事してやぶくなどしたものの、その期間は一年にも満たないものだったと推測します。おそらくこの服の持主は、1947年から48年にかけて帰還できたのではないでしょうか。
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シベリア抑留は、捕虜を早期に帰還させるというポツダム宣言にも反し、また、捕虜に苦役をさせるという国際法違反の行為であり、到底、許されるものではありません。この点はしっかり押さえておかねばなりません。
そして、長野県の関係者も、シベリア抑留の体験者は多いです。長野県からは全国一の人数の満蒙開拓団と満蒙開拓青少年義勇軍が送り出されていて、太平洋戦争末期の「根こそぎ召集」により、現地でお年寄りと子どもを除く男性の大部分が関東軍に配備されました。このため、敗戦時、民間人ではなく軍人として連れ去られた方が多く、手記もさまざまな方が残しておられます。
戦争が終わっても、その影響はさまざまな形で続きます。このテログレイカは、そんな歴史の証人になってくれます。いずれ、皆さんに直接見ていただく機会を持てればと思っています。
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