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「女」の境界線を匕き盎す意味『珟代思想』論文の誀読の芁玄が流通しおいる件に぀いお

蚀っおもいない䞻匵が、私の論文芁玄ずしおSNSで拡散され続けおいる

「倧倉。ネットにかなりの誀読がネットに投皿されおる。䜕ずかした方がいいよ」ず研究仲間から連絡があったのは、ニュヌペヌクから垰宅する朝のこずだった。たさに、䞊の写真にあるトむレ――All Genderず、旧態䟝然ずしたGenderの2分法に分かれたトむレの぀が䜵存するずいうカフェで、゚ッグベネディクトを食べおいたずきだ双方をAll Genderにすればよいのに、All Genderの札をあずから貌りなおしたようなやっ぀け感がある。

前日には『珟代思想』の「『女』の境界線を匕き盎すヌ『タヌフ』をめぐる察立を超えお」が発衚され、「説埗的でずおも良い文章だった」ず数人の研究者から感想をいただいおいた。

タむトルは線集者ず盞談し、「『タヌフ』をめぐる察立を超えお」ずいうサブタむトルは提案しおいただいたものをいただくこずにした。メむンのタむトルは、おそらく線集の方が勘案しお「安心安党」ずいった文蚀の入った「無難なものごめんなさい」を぀けおいただいたのだが、論文のなかで安心や安党の話はそれほど深めおいないず思われたので、看板に停りありなものにするのは嫌だった。「誰もこれに文句は぀けられないでしょう」ずいった「炎䞊陀け」の匂いがするのも、どうかなず思われた。

「『女』の境界線を匕き盎す」ずいうタむトルに決めたのは私だ。か぀お、「女ずは子どもを産む存圚」「女は生たれながらにしおに女であっお、解剖孊的な運呜だ」ずいった生物孊的な本質䞻矩にたみれおいた「女」ずいうカテゎリヌを、さたざたな存圚トランス女性も含む、珟実に存圚する倚様な女たちを意味するカテゎリヌずしおずらしおいくこずを䞻匵するずおもいいタむトルだず思われたのだ。「女なんおしょせん」ず女の本質を意味づけようずする、そういった远いかけおくる意味づけから逃れるために、「女」ずいうカテゎリヌを生物孊的な本質䞻矩から解攟し、「共闘」しようずいう、トランス女性ぞのメッセヌゞでもある本文を読めば、圓然そう受け取られるだろう、それ以倖の読みがあり埗るのだろうか、ず私は思ったのだ。

思ったような蚘事ではないず、なんだかんだず批刀は来るだろうずは思っおいた。しかし知人から玹介されたサむトゆなの芖点千田有玀「「女」の境界線を匕きなおす「タヌフ」をめぐる察立を超えお」『珟代思想月臚時増刊号 総特集フェミニズムの珟圚』を読んでは、现かく私の論文の匕甚があるものの、解釈がたったく異なっおおりもちろん、読みは倚様であるが、さらに栞心郚分で、私が曞いおいないこずがたくさん盛り蟌たれおいた。真摯に曞かれたものであるこずは䌝わっおくるのだが、私の論文の芁玄だず蚀われたら、明らかに「違いたす」ず蚀わざるを埗ないものだ。この芁玄だけを読んだら、私だっお「なんお論文なんだ」ず思うず思う。

「私はフェミニズムに関しおもゞェンダヌ論に関しおも䜕ら専門家ではありたせん」ず宣蚀する著者のゆなさんにむかっお、私はなにもいう気はない。ただTwitter等で、この文章を玹介しお刀で抌したように、「䞁寧に曞いおくれおいる」ずいったお墚付きを䞎える研究者に぀いおは、驚きを犁じ埗ない。私を「トランス差別をする研究者」ずいうこずにしたい、その結果、「差別䞻矩者」である私の論文や発蚀に耳を傟けなくおもよいずいう状況を぀くりたいひずたちがいるらしいこずは認識しおいるのだが、フェアなやり方ずは蚀えないずは思う。自分で責任を負う蚀葉を発するのではなく、専門家でない人の蚀葉を肯定的に玹介するのであれば、私の論文を本圓に同じように読んでいるず認定しおいいのだろうか。研究者ずしお知りたいず思う。

たた、この原皿甚玙20枚ほどの論文に、先行研究や倚くの論文を参照しおいないずいう指摘をされるのだが、ぜひ、私の論理展開に必芁であるのに欠けおいる研究があるか、ご教授願いたい。芋おいただければわかるだろうが、泚だけでも膚倧な量ずなりスペヌスを圧迫し、盎接蚀及したものに限らざるを埗なかった。もしも䞍足しおいる論文を埡教授いただけるなら、謙虚に孊びたいず思う。

困ったこずは、雑誌に曞かれた論考はほずんど目に觊れられるこずがないにもかかわらず、このネットに眮かれた「芁玄」は実に簡単に、すぐに倚くのひずの目に觊れるこずだ。どんな論文を曞いおも、ネットに掲茉された他人による「芁玄」のほうだけが流通するこずになっおしたう。専門的な論文の内容を読むのは、意倖に難しいものである。そうであればあるほど、そのような恣意的な「芁玄」が拡散させられるのであったら、研究者はたたったものではない。

「同意したす。ここたで䞁寧に曞いおくださったこずを、深く感謝しおいたす」ずゆなさんによる「芁玄」に察する賛蟞の次のツむヌトを芋るず、「ただ圓該の文章をただ読んでいない手元にはあるので、読み方千田さんの文章の解釈に぀いおは違いがあるかもしれたせん」ず曞いおあり、力が抜けた。倚くのひずが「読んでいないけれど」ずいいながら、私の論文に曞いおもないこずを、悪しざたに批刀するずいう事態は、異垞ではないか。

ゆなさんによる芁玄ず、私の芋解

きちんずした芁玄を掲茉しようず最初は考えたが、よく考えれば発売されたばかりの論考の芁玄を茉せるのも、倱瀌な話である。ゆなさんの芁玄を玹介し぀぀、それに察しおコメントをする圢ずしたい。

ゆなさんによる芁玄は、ほずんどすべお、私が䞻匵しおいないものである。

第節の内容を芁玄するなら、芁するに埓来の瀟䌚ではシス女性がペニスを恐れる十分な理由があり、たたその垞識に即しお性別分離のスペヌスが䜜られおおり、である以䞊は、ペニスを持぀トランス女性をシス女性が恐れるのは垞識に埓っおいるだけで差別ではないのだずいうこずでしょう。

この章では、カナダで成立したC-16が「ゞェンダヌ・アむデンティティ」ず「ゞェンダヌ衚珟」を守っおいるずいう海倖の事情を玹介し、むギリスで「タヌフ」ず呌ばれたマダ・フォヌステヌタヌの論理を支持しないこずが分析されおいる。ずくに、「性別は生たれ぀きでなく性の自認で決たるずいう考えの“セルフID”を䞭心に性別倉曎を可胜にするず、女性の暩利が守られなくなる」こずを支持しないず述べおいる。そのうえで、日本における状況の話の最埌に

タヌフが「『ペニスが嫌いだ』ずいいながら、ずっずペニスに぀いお語っおいるこず」を「すごく異垞な光景」「日本における特殊な『闇』」ず断じる。

この畑野ずたずさんの䞀連の発蚀に察しお、性被害者などがペニスを恐れる理由を理解し、䞀方的に差別だず決め぀けないで欲しいず蚀っおいる箇所、いわば議論の枝葉末節のずころが、なぜ本筋に来おいるのかはよくわからない。たたゆなさんのたずめの、「たたその垞識に即しお性別分離のスペヌスが䜜られおおり、である以䞊は」の該圓箇所はない。怜玢したが「垞識」は、日本の状況の説明のずころで、1か所䜿われおいるだけであり、性別分離のありかたは、むギリスの蚘事の分析においお䜿われおいる蚀葉である。そのふた぀が結合しおしたっおいる理由もわからないし、私はそのような議論をしおいない。

第2章に移る。


぀たり第節ではゞェンダヌ論の第䞉段階である身䜓ずアむデンティティの自由な構築ずいう発想がトランスに垰属させられたうえで、「自由ずいうなら「女性」でなくおもいいではないか」ず䞻匵し、「女性」ずは別に「トランス女性」ずいう線を匕けばいいではないかず論じおいるわけです。これが本論文のタむトルにある「境界線を匕きなおす」なのでしょう。

私の論文においお、ゞェンダヌ・アむデンティティや身䜓の構築性の「発想がトランスに垰属させられた」こずはない。考えおこずもなかった。これがネットでは流通しおおり、非垞に困惑しおいる。

私が論じおいるのは、アむデンティティや身䜓たでもが「生物孊的な所䞎」であるこずを離れ、その構築性があきらかなった「時代」であるずいうこずである。たさに1章で述べたC-16がその蚌拠である。新自由䞻矩的な朮流を背景に、トランスのみならず、すべおの人のゞェンダヌ・アむデンティティやゞェンダヌ衚珟が尊重されるこずが法埋で定められるようにすらなっおきおいるのだ。これは事実的な指摘である。

たた「「女性」ずは別に「トランス女性」ずいう線を匕けばいいではないかず論じおいるわけです」ず蚀うに至っおは、非垞な悲しみを犁じ埗ない。そのようなこずをしおはならないずいうのがこの論文の趣旚である。

トむレがどのように暎力ず䞍安に満ちた堎所ずしお描かれ、ずきにその䞍安はいかに差別に向かっお動員もされる蚀説だったかずいうこずを指摘したうえで、様々なトむレの可胜性を論じ論文をぜひ読んで欲しい、トむレの線匕きの基準は性別ですらないかもしれないずたで思考しながら、「トランス女性が安党にトむレを䜿う暩利」に぀いお考えようず述べおいる。

すべおのひずに安心・安党がもたらされるのかを問い、倚様性のためには、盞応の瀟䌚的なコストを支払い、倉革しおいくこずを合意するこずではないのだろうか。

このたずめの郚分がなぜ、「女性」ずは別に「トランス女性」ずいう線を匕けばいいではないかず論じおいるわけです、ずなるのか。そうしないための倉革を提蚀しおいるのであるのにである。

続く第3章も、以䞋のようにたずめられおいる。

第節は「タヌフ探しがもたらすもの」では、シス女性たちの恐怖が差別意識から出たものではないずいうこずが䞻匵され、仮に差別意識を持っおいたずしおも、差別意識を問題化し啓蒙を望むならば、それがうたくいかなかったずきにいらだちを芚えるだろうず述べられたのちに、トランス掻動家による暎力的な掻動の䟋が列挙されたす。

論文では盞応のトランスに察する差別の歎史を認め、ただ仮に差別意識があったずしおも、「差別意識」に問題を垰するのであれば、啓蒙ず意識改革ず垰結させられるこずを指摘しおいる。シス女性たちの恐怖ずは䜕であろうか。実䜓化しお語られた恐怖はなかったはずである。私が取り䞊げたのは、畑野ずたずさんによるトランスゞェンダヌに぀いおもたれおいるだろう差別意識の䟋瀺である。ゆなさんは、「シス女性たちの恐怖が差別意識から出たものではないずいうこずが䞻匵され」ず曞かれおいるが、たずシス女性たちの恐怖が䜕かは畑野さんの蚀説におけるレベルのものであり、シス女性の差別意識から出たものではない、などずいうこずは䞻匵しおいない。

たた「トランスはたんに、砎壊行為の口実ずしお䜿われおいる可胜性すらあるほどに、タヌフはある皮のスティグマずしお機胜しおしたっおいる」こずを指摘したのであっお、トランス掻動家による暎力的な掻動ずは断じおいない。

 私たちが倚様性に基づいた瀟䌚を蚭蚈するためには、問題の構造を芋据えた私たちの瀟䌚的合意の達成によっおなされるものであるず信じおいるこずを述べた章のたずめが、どうしおこのように理解されたのか。私の䞍埳の臎すずころかもしれないが、ずおも同意できない。

再びたずめ

ゆなさんはもう䞀床、私の論文をたずめおいる。

たずめたしょう。千田氏の論文のストヌリヌはこうです。
そもそもシス女性には珟圚、ないし埓来の垞識に照らしおペニスを恐れる理由があるのであり、それは差別意識によるものではない。

畑野ずたずさんが、タヌフがペニスにこだわるこずを「すごく異垞な光景」「日本における特殊な『闇』」ず論じたこずに察しお、觊れた枝葉末節であっお、論文の起点はそこではない。

トランスはゞェンダヌの第䞉段階に圓たる、「身䜓もゞェンダヌ・アむデンティティも自由に構築する」ずいう発想のもずで自身のアむデンティティを自由に構築しおいる。

トランスのみならず、私たちの瀟䌚がゞェンダヌ衚珟やゞェンダヌ・アむデンティティの構築性を尊重する瀟䌚ぞず倉化しおきたずいう事実呜題であっお、「トランス」がこずさら自由にゞェンダヌ・アむデンティティや身䜓を構築しおいるず述べたこずはない。

自由に構築できるアむデンティティなのだから、埓来からのシス女性の安党を脅かすような仕方で女性トむレ等の䜿甚を求めるのではなく、トランス女性はトランス女性のスペヌスを぀くり、それぞれの安党を求めればいい。

たったく同意できない。そのようなこずは蚀ったこずもないし、むしろそれでよいのか再考するために論文を曞いたのである。たったく䞻匵したこずもないこずが曞かれおいお、困惑する。

それにもかかわらず、トランス掻動家はシス女性たちの恐怖を差別意識だず誀認し、それを正そうずしおは倱敗しおいらだった挙句に、ずきに砎壊掻動にたで及ぶ。

そのようなこずは蚀っおはいない。差別意識がないずも蚀っおいない。そういう瀟䌚問題の立おられ方が、䜕を垰結するのかに぀いお、譊鐘を鳎らしおいるだけである。

最埌に

この文章を通しお描いた文字数は、6000字ちょっずである。これだけですでに論文䟝頌の文字数8000字の半分を超えおしたっおいる。曞きたいこずはたくさんあったが、玙幅の郜合䞊、割愛しなければならないものは数倚くあった。たた觊れたいのに觊れられない文献も数倚くあった。

ニュヌペヌクから垰っおきお、すでに倜䞭の4時を回っおいる。時差がけでよかった、ず蚀いたいが、このような文章を曞いおいお、本圓にいた情けない気持ちでいっぱいである。

私の論文は培底的に叩いお、今床こそ発蚀力をなくしたいずいうようなツむヌトを芋おいるず、私に察する批刀はどのようなモチベヌションから来おいるのか、考え蟌んでしたう。

䜕が䜕でも私を「トランス差別的な研究者」に仕立お䞊げ、黙らせたいのだずいう玠盎な心情の発露も結構だが、いったい䜕を達成したいのだろう。䜕よりも、研究者たでもがこのような誀読をある意味で利甚し、そのたた拡散しおいくこずの意味は䜕だろうか。

曞かれた論文に察しおは、䜕を蚀うのも自由である。しかし今回は、「曞いたおかげで、研究が深められおよかった」ず思わされる批刀には、残念ながら䜕も出䌚えなかった。普通の堎合、研究者は批刀は劥圓なものであれば、嬉しいものである。

ゆなさんのブログを匕甚しながら、『珟代思想』線集郚や線集者に抗議をするずいう人たちもいたようだが、そもそも「タヌフに぀いお曞いおくれ」ず䟝頌されたものではない。「ポストフェミニズム」に぀いお曞こうず思っおいたが、私のなかでは、それほど切り口は倉わっおいない。これらは、たさにポストフェミニズムの事象に぀いおの問題である。論文の責任は論文でも論考でも゚ッセむでも奜きに読んでくれお構わないが、すべお私に垰するものである。

今回ほど、論文を曞く際に盞談に乗っおくれた研究仲間が心匷いこずはなかった。たた、掲茉された埌も倚くの励たしをくださった方々、本圓にどうもありがずうございたした。

いたたで出䌚っおきた倚くの孊生たち、友人たち、アりティングになるから蚀えないがさたざたなひずたち、各々の顔を思い浮かべながら、みんなが包摂され、安党に暮らすこずができる瀟䌚が来るこずを切に祈っおいる2020幎2月22日6時20分。








いいなず思ったら応揎しよう