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チョコを規則で縛るとは、ちょこざいな

私の働く会社は義理チョコを渡すと、自動的に本命チョコになります。

入社してすぐ受けた社内規則の研修で、そのことを知りました。

コンプライアンス、個人情報の取り扱い。
難しい言葉がずらりと並びます。

一箇所だけ、浮いた規則が目に入りました。

「義理チョコ禁止」

我が社では、社員同士の贈答品が禁止されています。
これは実にありがたい規則で、精神衛生上、とても助かります。

研修講師は、大真面目な顔で、こう付け加えました。

「本命チョコは禁止ではありません」

会社の規則というのは、個人の感情までは縛りきれないもののようです。


そもそもなのですが、バレンタインのチョコに「義理」という概念を発明したのは、一体どこのどなたなのでしょうか。

よく考えてみれば、これはかなりの発明です。
恋愛感情を伴わない贈答行為に、わざわざ「義理」という名前をつけ、社会全体にそれを流通させた。
ノーベル平和賞とまでは言えませんが、少なくともお菓子業界の功労賞くらいは検討されているはずです。

発明者は、チョコレートメーカーの誰かではないか、という説を考えてみました。
売り上げを伸ばすために、「本命だけでは市場が小さい」と考えた誰かが、「では、好きでもない人にも配る文化を作ろう」と提案した。
だとすれば、その人はかなり優秀な社員だと思います。
恋愛感情という、本来お金では買えないはずのものの「周辺」に、うまいこと商業的な隙間を見つけたことになるからです。

別の説も浮かびました。
発明者は女性社員の誰かかもしれません。
上司や同僚に配るチョコを、「本命」と誤解されると気まずい。
だから、あらかじめ「これは義理です」というラベルを自分で発明して、自分の身を守ったのかもしれません。
だとすれば、これは生活の知恵に近いです。

あれこれ考えてはみたものの、結局、結論には辿り着けませんでした。
どうも、この手の文化というのは、誰か一人が発明したというより、みんなが少しずつ都合よく使っているうちに、いつの間にか定着してしまうもののようです。

考察はここで、打ち切ることにします。


もらう側は、必死に「義理か本命か」を見抜こうとするそうです。
パッケージの高級感、渡すときの目線、会話の長さ。
そういったものを、いちいち判定材料にするのだとか。

「学校で教えてくれないこと」という言葉をよく見かけますが、これもぜひ授業に加えていただきたい。

義理チョコ鑑定学。

単位は取りにくそうです。


試しに、自分なりの基準を作ってみます。
目線が一秒以上合えば本命の疑いあり、一秒未満なら義理。

と、ここまで書いていて、ふと手が止まります。

そもそも私は、誰からもチョコをもらったことがありません。
判定する機会そのものが、私にはないのです。

もらう予定などない私が、気をつけなければならないのは、渡す側の立場です。

義理チョコを渡せば、規則に触れます。
つまり社内で渡した瞬間、それがたとえチロルチョコ一個であっても、本命であることが確定してしまうのです。
あなどれない規則です。

チロルチョコ一個の重みが、社内だけ違います。

恐ろしいことに、この規則の前では、金額もパッケージも関係ないのです。
渡した、という事実だけがすべてを決めます。
だとすれば、私はこれから一生、社内でチロルチョコを渡すことはできません。

人生の選択肢が一つ、消えました。


そもそも、私が社内でチョコを渡す機会というものが、存在するのか。
ちょこっと真剣に検討してみることにします。

会社で会話をする機会は、ほとんどありません。
出勤時の「おはようございます」、退勤時の「おつかれさまでした」これくらいです。

これだけの接点で、突然チョコが割り込んでくる場面など、どう転んでも訪れそうにありません。

とはいえ、会話がまったくのゼロというわけでもありません。

「お仕事、慣れてきましたか」
「最近、頑張られていますね」

そんな、優しい声かけをいただくことがあります。
私は、こういう優しさに弱いです。

それで恋に落ちる、というような大それた話ではありません。
ですが、バレンタインデーの前になると、「義理チョコの一つくらい渡そうかな」という、ちょこっとよこしまな気持ちが、顔を出します。

でも、規則があります。
だから私はチョコを渡しません。

ところが、今年のバレンタインデー前、会社のビルを出たところで、同僚がチョコを渡している場面に出くわしてしまいました。

会社のビルを出たところ、つまり社内でなければ禁止ではない。

のでしょうか。

私にはわかりません。
それを誰かに確認するような野暮なことも、もちろんしません。

でも気になることがあります。
受け取った側は、どう感じたのでしょうか。
社内ではないから義理なのか。
本命は禁止されていないのだから、本命なのか。
それとも、単に皆がいる場所で渡すのが恥ずかしかっただけなのか。
義理か本命かを見抜く難易度が、ちょこっと上がっているのかもしれません。

結局、どちらだったのかは、わからないままです。
規則があってもなくても、他人の気持ちというのは、そう簡単には見抜けないものなのです。

会社では、皆が真面目に仕事をしています。
決められた時間に出勤して、決められた仕事をして、帰る。
そんな毎日の中にも、規則では決められないものが、人と人との間にはあります。

「お仕事、慣れてきましたか」
「最近、頑張られていますね」

そんな一言だけで、嬉しくなります。

たぶん私がチョコを渡したくなるのも、ホワイトデーのお返しが欲しいとか、打算的なものではありません。
いただいた優しさに、ほんのちょこっと、何かを返したい。
ただ、それだけのことなのだと思います。

私は、これからも規則を守ります。
チョコは渡しません。

その代わり、いただいた「優しさ」には、ちゃんと「ありがとうございます」と返そうと思います。
それなら規則に触れることにはなりません。

人の優しさまでは、規則で縛りきれないのです。

もし来年のバレンタインデー、ビルの前でチョコを渡す場面に通りかかったら、渡されていたのがどんなチョコだったのか、こっそり確認してみようと思います。

義理チョコ鑑定学。
やはり学校で習っておきたかったです。



本編は以上です。

今回は「エッセイしりとり」という企画で書かせていただきました。

回してくださったのは、「心と体を整える」記事をつづっています、canamin🍭さん。
優しくて繊細で可愛い、たいせつな相互フォロワーさん。
バトン系は考えることが多すぎて、行わないことにしている私。
事前に、ご連絡をいただきまして、思いやりのある優しいやり取りをする中で、私の方から「下さい」とお願いしました。

この企画は8月31日まで。
ここで誰かに回して新作エッセイを1本書いてくださいとお願いするのは、酷なので、私はアンカーを務めさせていただきます。

マイキーさんという方が今回企画してくださったようです。
「エッセイしりとり」のタグは投稿時点で500を超えています。
大きな広がりを見せたこの企画の運営、お疲れさまです。


最後に。

私は書き続けたいです。
今はメンバーシップを頑張りたいです。
なので、メンバー2,000人超のメンバーシップの中を見に行って、
勉強させていただこうとと思います。


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