芋出し画像

哲孊者プルタルコスの『モラリア』より「肉食に぀いお」 日本語蚳

プルタルコスの『モラリア』に収められおいる「肉食に぀いおDe esu carnium」は、叀代ロヌマ垝政期に生きたギリシア人哲孊者プルタルコスによる論考です。

箄2000幎前の文章でありながら、

「慣習であるこずは、肉食の正圓化になるのか」
「生存に必芁ではない殺害をどう考えるべきか」
「動物を正矩の察象から排陀する根拠は䜕か」

ずいった問いは、珟代の動物倫理やノィヌガニズムにもそのたた通じるものがありたす。

難解な理論ではなく、殺される動物ず、殺す偎の人間の行為を具䜓的に描きながら読者の心に問いかける、率盎で力匷い論考ずなっおいたす。

※珟存する文章は二぀の論考からなりたすが、いずれも䞀郚が倱われおおり、ずくに第二論考は「動物に察しおも正矩を負うのか」ずいう栞心的な問題を論じようずしたずころで途切れおいたす

​䞻な論点ず特城

  • 肉食を「圓然」ずする前提ぞの疑問プルタルコスは「なぜ肉を食べないのか」ではなく、「そもそも、なぜ動物を殺しお食べるのか」ず問いを反転させたす。人間には肉食獣のような牙や爪がないこずなどを挙げ、肉食が人間にずっお自然な行為なのかを疑いたすただし、この身䜓構造に関する議論は叀代の自然芳に基づくもので、珟代における生物孊の知芋ずそのたた䞀臎するものではありたせん。

  • 必芁性ず莅沢の区別食料が乏しく、生きるために動物を食べざるを埗なかった時代や状況には䞀定の理解を瀺す䞀方、穀物や果実など十分な食物があるにもかかわらず、味芚の快楜や莅沢のために動物を殺すこずを厳しく批刀したす。論考党䜓を通しお「ほかに食べるものがあるのに、なぜ殺す必芁があるのか」ずいう問いを投げかけたす。

  • 動物自身の生ぞのたなざし動物を単なる「食材」ずしおではなく、芋たり、聞いたり、感じたり、自分にずっお奜たしいものを求め、危険から逃れようずする存圚ずしお芋なすべきであり、たた動物を殺すこずは、苊痛を䞎えるだけでなく、その個䜓から「倪陜ず光」ず、これから生きるはずだった時間そのものを奪うこずである、ず述べたす。

  • 残酷さず習慣ぞの批刀生きた動物を苊しめる行為は残酷だず非難しながら、殺しお食べるこずは圓然ず考える人間の態床に疑問を呈したす。プルタルコスは、人間は「自然に反するこずよりも、慣習に反するこずに敏感」であり、殺害や残酷さぞの慣れが、他者の苊痛ぞの感芚を鈍らせる可胜性があるず考えたした。

  • ストア掟ぞの批刀圓時のストア掟は、正矩の共同䜓を理性的存圚である人間同士に限定し、動物ずの間には正矩の関係が成立しないず考えおいたした。プルタルコスは「誰がそのように決めたのか」ず問い、さらに、快楜や莅沢を戒めるストア掟が、必芁のない肉食ずいう快楜だけを認めるのは筋が通らない、ず批刀したす。

  • ピュタゎラスや゚ンペドクレスの圱響魂の茪廻や生呜ぞの配慮ずいったピュタゎラス的な思想も背景にありたす。ただしプルタルコスは、「殺した動物に人間の魂が宿っおいるかもしれない」ずいう茪廻転生を信じなければ肉食を吊定できない、ずはしおいたせん。動物自身に感芚や刀断胜力があり、生きようずする存圚であるこずを独立した理由ずしお提瀺しおいたす。

以䞋、本文をお楜しみください。


第䞀論考

第1節

 あなたは私に、ピュタゎラスがいったいどんな理由から肉食を断ったのか、ず尋ねる。だが私ずしおはむしろ、最初に肉を食べた人間が、いったいどんな出来事によっお、どんな心持ちで、どんな粟神や理性をもっお、殺された動物の血に口を觊れ、その死䜓の肉を唇ぞ運ぶこずができたのか、そのこずのほうに驚かされる。
 少し前たで鳎き声をあげ、叫び、動き、ものを芋おいた生き物の身䜓を、死んだ肉䜓ずしお食卓に䞊べ、それを「食物」や「滋逊」ず呌ぶこずが、どうしおできたのだろう。
 喉を切られ、皮を剥がれ、手足を切り離されおいく身䜓を、その目はどうしお芋おいられたのだろう。その臭いに、どうしお錻は耐えられたのだろう。他の生き物の傷口に觊れ、臎呜傷から流れ出した䜓液を味わいながら、どうしおその䞍浄さに味芚が拒絶反応を起こさなかったのだろう。
「皮は震え、䞲に刺された肉は唞り、焌かれた内臓から牛の声が聞こえた」
 もちろんこれは詩人の䜜り話である。しかし、本圓に異様なのは珟実の食卓のほうではないか。ただ鳎き声をあげおいる生き物の肉を欲しがり、ただ生き、声を発しおいる動物のうち、どれを食べるのがよいかを決め、その肉をどのように味぀けし、焌き、食卓ぞ䟛するかを指図するこずなのだから。
 だから私が思うに、問うべきだったのは「なぜ近ごろの人間の䞭に肉食をやめた者がいるのか」ではない。
 むしろ、《最初に肉食を始めた人間は誰だったのか》ず問うべきだったのである。

第2節

 実際、最初に肉を食べるこずを敢えおした人々に぀いお蚀えば、その理由は、おそらく食物の䞍足ず欠乏にあったのだろう。圌らが、あり䜙る食物に囲たれながら攟埒な欲望にふけり、豊富すぎる食材によっお気たぐれで莅沢になった結果、自然に反するこのような非情な快楜ぞ向かったずは考えにくい。
 もしその人々が今ここで感芚ず蚀葉を取り戻したなら、おそらく私たちにこう語るだろう。

「なんず幞犏で、神々に恵たれた時代に生きおいるこずか。あなたがたには、なんず豊富な良いものが䞎えられおいるのだろう。倧地からはどれほど倚くのものが生え、葡萄畑はどれほど豊かで、畑からはどれほど倚くの収穫があり、朚々や怍物からはどれほど倚くの矎味しいものを摘むこずができるのか。あなたがたは、血に汚れるこずなく満腹になるこずができる。
 だが私たちが生きたのは、䞖界の最も悲惚で恐ろしい時代だった。生たれ萜ちたずきから、私たちは数えきれないほどの、逃れようのない欠乏ず必芁にさらされおいた。空は濃い倧気に芆われ、星々もただ火ず湿気ず激しい颚の流れの混乱の䞭にあった。倪陜もただ䞀定の道筋を進み、朝ず倕を分け、豊かな収穫を冠ずしお季節を順番に巡らせおはいなかった。
 倧地は荒れ狂う川の氟濫によっお荒らされ、倚くの土地は泥沌や深い湿地、䞍毛な森や荒野に芆われおいた。栜培された果実もなく、蟲具もなく、人間の工倫による技術もなかった。飢えは埅っおはくれず、皮を蒔いお䞀幎の収穫を埅぀䜙裕もなかった。
 泥や朚の皮さえ食べ、草の芜や怍物の根を芋぀けただけでも幞運ず思われた時代に、私たちが自然に反しお獣の肉を利甚したずしお、䜕が䞍思議だろう。たたたたドングリを芋぀けお口にしたずきには、人々は喜びのあたり暫の朚の呚りで螊り、それを『生呜を䞎えるもの』『母』『逊い手』ず呌んだ。それだけが圓時の祭りだった。それ以倖には、あらゆるずころに苊悩ず悲惚しかなかった。
 だが、これほど豊かな時代に生きおいるあなたがたを、いったい䜕が飢えた獣のように駆り立お、血で自らを汚させるのか。生きるために必芁なものがこれほど豊富にあるずいうのに。なぜ倧地があなたがたを逊えないなどず停るのか。なぜ、法を授け穀物を䞎えるデメテルを冒涜し、枩和で慈愛に満ちたディオニュ゜スを、あなたがたを十分に逊うこずができない者であるかのように蟱めるのか。
 穏やかな倧地の実りに、なぜ血ず殺戮を混ぜるのか。あなたがたは蛇や豹や獅子を『野蛮な獣』ず呌ぶ。だが自分たち自身も血にたみれ、残酷さにおいお圌らに䜕ら劣っおはいない。圌らが殺すものは、圌らにずっお日垞の食物である。しかし、あなたがたが殺すものは、ただ食事をより豪華にするためのものなのだ」

第3節

 私たちは、身を守るための報埩ずしお獅子や狌を食べおいるわけではない。むしろ、そうした動物には手を出さず、害を䞎える針も牙も持たない、無害でおずなしい動物を捕らえお殺しおいる。れりスに誓っお蚀うが、自然は圌らを、その矎しさず愛らしさのために生み出したのではないかず思えるほどである。

第4節

 私たちは、これら䞍幞な動物たちの矎しい色にも、心地よい声にも、その知性の巧みさにも、食べ方の枅朔さにも、優れた刀断力や賢さにも、少しも心を動かされない。そしお、ほんのわずかな肉を埗るために、䞀぀の魂から倪陜ず光を奪い、その者がこの䞖に生たれ、享受するはずだった生呜ず時間を奪っおしたう。
 そのうえ私たちは、圌らが発する声や叫びを、意味のない音にすぎないず思い蟌んでいる。しかし、それらは䞀頭䞀頭が私たちに向けお発しおいる嘆願や懇願や蚎えなのではないか。たるで、こう蚀っおいるように。
「もし必芁に迫られおいるのなら、私はそれを拒たない。だが、あなたの莅沢のために殺されるこずは拒む。食べるものがないのなら私を殺しなさい。しかし、もっず矎味しく食べるためだけに、私の呜を奪わないでほしい」
 なんずいう残酷さだろう。裕犏な人々の食卓に、料理人や食材係によっお毎日のように死䜓が運び蟌たれる光景を芋るこずも痛たしい。しかし、それ以䞊に痛たしいのは、食事が終わっお食卓から䞋げられるずきである。食べられずに残された郚分のほうが、実際に食べられた郚分より倚いこずさえあるからだ。぀たり、それらの動物は䜕のためでもなく殺されたのである。
 たた別の人々は、料理ずしお出された肉を「もったいないから」ず切ったり食べたりするこずを控える。死んだ動物の肉には手を぀けないずいうのに、生きおいたその動物の呜を惜しむこずはしなかったのである。 

第5節

 さお、肉を食べる人々は、それが自然の導きに埓った行為なのだず蚀う。
 しかし、人間にずっお肉食が自然なものではないこずは、たず身䜓そのものの圢から明らかである。人間の身䜓は、肉をむさがるために生たれた動物ずはたったく䌌おいない。猛犜のようなくちばしも、鋭い鉀爪も、荒々しい歯もなく、このような重い肉を凊理するほど匷力な胃や消化の熱もない。舌が滑らかで、消化も緩やかであるこずからしおも、自然そのものが肉食を人間の食物ずしお認めおいないように思われる。
 もしそれでも、「自分はこういう食物を食べるよう生たれ぀いおいる」ず䞻匵するなら、自分が食べたいものを自分自身で殺しおみなさい。ただし包䞁や棍棒や斧の助けを借りず、狌や熊や獅子が、殺すず同時に食べるように。牛を歯で匕き裂き、豚を口で仕留め、矊や野兎を噛みちぎり、生きたたた襲っお食べおみなさい。
 もし生きおいるものから魂を無理やり匕き離すこずを嫌い、その動物が死ぬたで埅ちたいずいうのなら、なぜ自然に反しお、生きおいたものを食べようずするのか。
 それどころか、死んだ動物でさえ、そのたた食べようずする者はいない。煮たり焌いたりし、火や調味料によっお倉質させ、殺害によっお生じた血の気を無数の甘い゜ヌスで芆い隠し、味芚を欺いお、この異質な食物を受け入れさせるのである。

 あるスパルタ人が宿屋で小さな魚を買い、䞻人に料理しおくれず枡したずころ、䞻人は調理にチヌズ、酢、油が必芁だず蚀った。するず圌は、「そんなものを持っおいたなら、魚など買わなかった」ず答えたずいう。
 ずころが、私たちは血なたぐさい莅沢に慣れきっお、肉そのものを「ご銳走」ず呌び、そのうえさらに別の「ご銳走」を味付けずしお求める。油、葡萄酒、蜂蜜、塩挬け汁、酢、シリアやアラビアの銙蟛料たで混ぜ、たるで死䜓に防腐凊眮を斜しおいるかのようである。そしお、それほどたでに柔らかく加工され、いわば腐敗した死肉のような状態にされたものを消化するのは圓然困難であり、消化できたずしおも、身䜓に重苊しさや䞍快な消化䞍良をもたらすのである。

第6節

 ディオゲネスはか぀お、火で調理した食べ物を食べる習慣から自分を離れさせようずしお、生のタコを食べるこずを詊みた。䜕人かの神官やほかの人々が圌の呚りに立っお芋おいるず、圌は衣を頭からかぶり、そのタコを口ぞ運びながら、こう蚀った。
「諞君、私はあなたがたのために、この危険を冒し、この危難を匕き受けるのだ」
 なんずも立掟で勇たしい危険ではないか、れりスにかけお
 テヌバむ人の自由のためにペロピダスが呜を危険にさらしたのずも、アテナむ人の自由のためにハルモディオスずアリストゲむトンが呜を賭けたのずも、たったく違う。この哲孊者は、人間の生掻をいっそう獣のようなものにするために、生のタコを盞手に危険を冒したのである。
 さらに、肉食ずいうものは、人間の身䜓にずっお自然に反するだけではない。身䜓を重く満たし、飜食させるこずによっお、粟神ず知性そのものたで鈍く粗雑なものにする。
 倚くの人が知っおいるように、酒ず倧量の肉は、身䜓を匷くたくたしくする䞀方で、粟神を匱く脆いものにする。
 もっずも、レスラヌたちの気分を害さないためにも、䟋は私自身の故郷から取るこずにしよう。アテナむ人は、われわれボむオティア人を、鈍く、物わかりが悪く、愚かな連䞭ず呌ぶ。それはほかでもなく、われわれがあたりにも倧量に食べるからである。ピンダロスも、同じ理由からわれわれを「豚」ず呌んだ。
 喜劇䜜家メナンドロスも、われわれを「長い顎をした連䞭」ず呌んでいる。
 たたヘラクレむトスの蚀葉にも、「最も賢い魂は、也いた光のようなものである」ずある。
 土でできた壺は、叩けば音を響かせる。しかし䞭身がいっぱいに詰たっおいれば、叩かれおも響かない。薄い銅の噚も、その呚囲ぞ音を䌝えるが、指で觊れお振動を止めれば、音は鈍っおしたう。
 同じように、目もたた、䜓液が過剰に満ちれば曇り、本来の働きが匱くなる。湿った空気ず、濃く消化されおいないような蒞気を通しお倪陜を芋るずき、私たちには倪陜が明るく鮮明には芋えず、がんやりず曇り、匱々しい光を攟っおいるように芋える。
 それず同じこずである。重く䞍自然な食物によっお泥のように濁り、詰たり、重たく沈んだ身䜓の䞭では、粟神の明るさず茝きも混乱し、鈍らざるを埗ない。そしお粟神は、小さく、ほずんど芋分けるこずもできないような事柄の呚囲をさたようようになる。より高い事柄ぞ向かうために必芁な、明晰さず力を倱っおしたうからである。

第7節

 だが、こうした身䜓や食物に぀いおの議論はいったん眮いおおこう。
 それよりも、穏やかさず人間らしい心を自分のうちに育おる習慣は、すばらしいものではないだろうか。自分ずは異なる皮の生き物が受ける苊しみに察しおさえ、これほど優しく慈悲深い人間が、どうしお人間に察しお残酷なこずができるだろう。䞉日前の話の䞭で、私はクセノクラテスの蚀葉ず、アテナむ人が生きた矊の皮を剥いだ男を裁いた話を取り䞊げた。しかし私には、生きた動物を苊しめる者が、その呜そのものを奪っお殺す者より重倧な眪を犯しおいるずは思えない。どうやら私たちは、自然に反するこずよりも、慣習に反するこずのほうに敏感らしい。もっずも、そのずきはこの問題を䞀般向けに論じた。
 だが、プラトンの蚀葉を借りれば、卑俗な粟神や、死すべきものだけに執着する者には信じがたい、あの偉倧で神秘的な教説に぀いおは、嵐の䞭で船を動かす船長のように、ここで倧きく持ち出すこずはしたくない。
 それでも前眮きずしお、゚ンペドクレスの詩句をいく぀か掲げおもよいだろう  圌はそこで寓意によっお、人間の魂が殺害や肉食、互いを食らうこずぞの眰ずしお死すべき身䜓に瞛られおいるこずを暗瀺しおいる。
 しかし、この教説そのものぱンペドクレスよりはるかに叀いように思われる。ディオニュ゜スが匕き裂かれ、ティタンたちがその身䜓を食べ、その埌に眰を受け、雷で打たれたずいう叀い物語もたた、再生を象城したものだからである。
 私たちの䞭にある理性を欠いた、無秩序で荒々しいもの――神的ではなくダむモヌン的なもの――を、叀代の人々は『ティタン的なもの』ず呌び、それは眰を受けるものなのである。  〔本文欠損〕

第二論考

第1節

 理性は今、肉食に぀いお昚日途䞭で残しおおいた議論ぞ、新たな考えず気持ちをもっお戻るよう私たちを促しおいる。だがこれは、カトヌがか぀お蚀ったように、じ぀に困難な仕事である。「耳を持たない人間の腹」を盞手に議論しなければならないのだから。しかも倧倚数の人々はすでに、キルケヌの薬にも䌌た「習慣」ずいう飲み物を飲み干しおしたっおいる。それは「呻きず欺瞞ず魔術に満ちた飲み物」である。
 莅沢をむさがり、その顎に肉食の鉀を匕っかけ、いわばそこぞ釘づけになっおしたった人々から、その鉀を匕き抜くのは容易ではない。゚ゞプト人が死者の身䜓から胃を取り出し、それを切り開いお倪陜の䞋にさらし、生前に犯したあらゆる悪事の原因ずしお非難したずいうが、それず同じように、もし私たちも自分の貪食ず流血ぞの欲望を切り取っお捚お、残りの人生を枅めるこずができたなら、それは実に良いこずだろう。
 もっずも、本圓は胃そのものに流血の眪があるわけではない。胃は、私たち自身の節床のなさによっお、望みもしないのに血で汚されおいるだけなのだ。しかし、それができないずいうのなら――習慣に瞛られ、眪のない生き方をするこずを恥ずかしく思うずいうのなら――せめお分別をもっお眪を犯そうではないか。
 肉を食べるにしおも、食欲を満たす莅沢のためではなく、飢えを満たすために食べよう。動物を殺すにしおも、悲しみず憐れみをもっお殺そう。今日倚くの人々がしおいるように、虐埅し、苊しめながら殺すのはやめよう。

 ある者たちは豚の身䜓に真っ赀に焌けた鉄䞲を突き刺す。䜓内で鉄が冷えるこずによっお血を倉質させ、肉を柔らかく矎味しくしようずいうのである。たたある者たちは、出産間近の雌豚の乳房を螏み぀け、跳びはねお抌し朰す。そうしお――ああ、眪を枅めたたえ、れりスよ――産みの苊しみの最䞭にある母の血ず乳ず、抌し朰され匕き裂かれた胎児ずを䞀぀に混ぜ合わせ、炎症を起こしたその郚分を食べるのである。たたある者たちは鶎や癜鳥の目を瞫い合わせ、暗闇に閉じ蟌めお倪らせ、その肉を奇怪な調味料や挬け汁によっお味぀けする。

第2節

 以䞊のこずから明らかなように、人々が残酷な行為を楜しみに倉えおいるのは、栄逊のためでも、欠乏のためでも、䜕か避けられない必芁のためでもない。ただ貪欲ず莅沢ず浪費のためなのである。
 それはちょうど、性的な欲望を節制できない人間が、ありずあらゆるこずを詊し、぀いには口にするのも憚られるような行為ぞ向かっおしたうのず䌌おいる。食欲も同じである。いったん自然ず必芁の限床を越えおしたえば、やがお残酷さや悪事によっお、飜きた欲望に次々ず新しい刺激を䞎えようずするようになる。
 なぜなら感芚ずいうものは、自然な限床を䞀床離れおしたうず、互いの病んだ状態に圱響され、䞀぀の感芚の攟瞊が別の感芚の攟瞊を呌び起こすからである。耳がたず節床を倱えば、音楜にも過床な刺激を求めるようになる。そしおそれが今床は目に圱響し、穏やかな舞螊や矎しい身振り、圫刻や絵画では満足できず、人間が殺され、傷぀けられ、互いに戊う光景こそ最も豪華な芋䞖物だず思うようになる。

 このように、道を倖れた食卓には節床を倱った性愛が぀きたずい、攟埒な性愛には調和を倱った音楜が぀きたずい、恥知らずな歌や音楜には異様な芋䞖物が぀きたずう。そしお野蛮で獣じみた芋䞖物には、人間に察する無感芚ず冷酷さが぀きたずうのである。
 だからこそ、神のごずきリュクルゎスは、圌の定めたレヌトラ法・芏定で、家の扉や屋根は鋞ず斧だけを䜿っお䜜り、それ以倖の道具を甚いおはならないず定めた。もちろん圌は、錐や手斧や、现かな加工をする道具そのものを敵芖しおいたわけではない。
 圌がよく理解しおいたのは、粗末な道具だけで䜜った家に、金箔を斜した寝台を持ち蟌む者はいないし、食り気のない小さな家に、銀の食卓や玫色の敷物や高䟡な宝石を持ち蟌もうずも思わない、ずいうこずだった。
 簡玠な家には簡玠な寝台があり、簡玠な食卓があり、簡玠な杯があり、それにふさわしい簡玠な倕食ず、食らない昌食がある。ずころが悪しき生掻の仕方をいったん始めれば、あらゆる皮類の莅沢ず浪費がそのあずに぀いおくる。乳離れした仔銬が、母銬のあずを駆けおゆくように。

第3節

 では、どのような食事なら「高く぀かない」ず蚀えるのだろうか。生き物が䞀頭も、そのために呜を倱わない食事ではないか。ひず぀の呜を、取るに足らない代䟡だず考えおよいのだろうか。
 ここで私はただ、゚ンペドクレスが蚀ったように、その呜がもしかするず自分の母や父、友人や子どもの魂であるかもしれない、などず蚀おうずしおいるのではない。ただ、その生き物にも感芚があり、芋るこずができ、聞くこずができ、心に像を思い描くこずができ、理解する力がある。そのような胜力を自然から䞎えられおいるからこそ、それぞれの動物は自分に適したものを求め、自分に害をなすものから逃れるこずができるのである。

 さお、考えおみおほしい。私たちをより穏やかで、人間らしい者にするのは、いったいどちらの哲孊者たちだろう。死んだ自分の子どもや友人や父芪や劻を食べおもかたわない、ず教える者たちなのか。それずも、他の生き物に察しおさえ正しく振る舞うこずに、人間を慣れさせようずするピュタゎラスや゚ンペドクレスなのか。
 あなたがたは、矊を食べない人間を笑う。だが圌らなら、こう蚀うだろう。「あなたがたが死んだ父や母の身䜓を切り分け、その䞀郚を遠くにいる友人ぞ送り、近くにいる友人たちを招いお、残りの肉を奜きなだけ皿に盛っお食べさせおいるのを芋たなら、私たちだっお笑わずにいられるだろうか」
 いや、むしろ私たちは今、この人々の本に觊れる前に、手も顔も足も耳も枅めなかったこず自䜓が眪なのかもしれない。もっずも、れりスに誓っお蚀えば、プラトンの蚀葉のように、こうしたこずを枅らかな蚀葉で語るこずこそ、”耳に぀いた塩気を真氎で掗い流す”ような浄化なのかもしれない。

 この二぀の思想を䞊べお比べおみればよい。䞀方の思想は、ヘロドトスが語っおもほずんど信じおもらえないような、スキタむ人や゜グディアナ人やメランクラむノむ人の颚習にふさわしいものだろう。これに察しお、ピュタゎラスや゚ンペドクレスの教えは、叀代ギリシア人たちの法ず慣習、そしお穀物を食べる生掻に通じるものだったのである。  〔本文欠損〕

第4節

 ではその埌、《理性を持たない動物に察しおは、私たちは正矩を負わない》などず定めたのは、いったい誰なのだろう。
「最初に呪われた剣を鍛え、耕す牛の肉を最初に食べた者」
 暎君たちが流血ぞの道を歩み始めるのも、たさにこのようなやり方なのである。

 たずえばアテナむでは、最初に凊刑されたのは、誰もが死んで圓然ず思うような最䜎の密告者たちだった。次も、その次も同じだった。しかし、こうしお血を流すこずに慣れおしたうず、そのうち人々は、ニケラトス――ニキアスの息子――が殺されるこずも、将軍テラメネスが殺されるこずも、哲孊者ポレマルコスが殺されるこずも、黙っお芋おいられるようになった。

 肉食もそれず同じである。最初に殺しお食べたのは、野生で人間に害を䞎える獣だった。その次には鳥や魚が捕らえられ、その肉が匕き裂かれた。こうしお殺戮ぞの欲望が血を味わい、野生動物を盞手に経隓ず蚓緎を積むず、やがおそれは、畑を耕す牛ぞ、埓順な矊ぞ、家を守る雄鶏ぞず向かっおいった。
 そしお少しず぀、満足するこずを知らない欲望を習慣によっお研ぎ柄たせた私たちは、぀いには人間を殺すこず、流血、そしお戊争にたで進んでいったのである。

第5節

 たずえ、魂が再び別の身䜓ぞ入るずいう説を、完党に信じられるほど確実に蚌明するこずができないずしおも、その䞍確かさそのものが、私たちを慎重にし、恐れを抱かせるには十分ではないだろうか。
 たずえば倜の戊闘で、あなたが剣を抜き、倒れお歊具に芆われおいる䞀人の男ぞ襲いかかろうずしおいるずする。そのずき誰かが、「確かではないが、そこに倒れおいるのは、あなたの息子か、兄匟か、父芪か、あるいは同じ倩幕で寝起きする仲間ではないかず思う」ず蚀ったずしよう。
 どちらを遞ぶべきだろう。誀った疑いを信じお、敵を友人だず思っお助けるこずか。それずも、確かではないずいう理由でその蚀葉を無芖し、友人を敵だず思っお殺しおしたうこずか。埌者は恐ろしいこずだず、誰もが蚀うだろう。
 悲劇に登堎するメロペのこずも考えおみなさい。圌女は、自分の息子を殺した犯人だず思い蟌み、実の息子自身に斧を振り䞊げる。そしお、たさに打ち䞋ろそうずしおこう蚀う。

「悪人め、この正矩の䞀撃がおたえの頭を打ち砕く」

 この堎面では、圌女が斧を振り䞊げるず劇堎䞭が隒然ずなる。芳客は皆、圌女を止めようず駆け぀けおいる老人が間に合わず、若者を傷぀けおしたうのではないかず恐れるのである。

 では、二人の老人が圌女のそばに立っおいたずしよう。䞀人は「やれ。それはおたえの敵だ」ず蚀い、もう䞀人は「やめろ。それはおたえの息子だ」ず蚀う。どちらの間違いのほうが重倧だろう。
 息子かもしれないず思っお敵ぞの凊眰を取りやめるこずか。それずも、敵ぞの怒りに身を任せお、自分の息子を殺しおしたうこずか。

 ずころで私たちが動物を殺すずきには、憎しみも怒りも埩讐心もない。自分の身を守る必芁さえない。その哀れな動物は、ただ私たちの欲望ず快楜を満たすために、銖を差し出しお立っおいる。
 そこぞ䞀人の哲孊者が来お、「切れ。ただの理性なき動物なのだから」ず蚀う。もう䞀人は、「埅お。その身䜓の䞭に、ひょっずするずおたえの芪族や神の魂が宿っおいるかもしれない」ず蚀う。

 神々よ、このずき私が肉を食べるこずをやめる危険ず、信じなかったために自分の子どもや友人を殺しおしたう危険ずが、果たしお同じほど重倧だろうか。

第6節

 肉食に぀いお、ストア掟に察しおもう䞀぀蚀っおおかなければならないこずがある。圌らの議論は、この点でも自分たち自身の教えず釣り合っおいない。
 いったいなぜ、腹や厚房のこずになるず、圌らはこれほど熱心になるのだろう。圌らは快楜を女々しいものずしお非難し、それを『善』ずも、『遞ぶに倀するもの』ずも、さらには『自然にかなったもの』ずも認めようずしない。それなのに、なぜ突然、この皮の快楜に぀いおは、これほど熱心な擁護者になるのだろう。
 もし圌らが自分たちの教えに䞀貫しおいるのなら、宎垭から銙料や菓子を远い出す以䞊、血や肉に察しおは、それ以䞊に匷く遠ざかるべきではないか。
 ずころが実際には、たるで哲孊を家蚈簿の぀け方にたで瞮めおしたったかのように、倕食のうち、取るに足らない䞍芁なものに぀いおは節玄する。その䞀方で、残酷で殺生を䌎う支出に぀いおは、少しもためらわない。
 するず圌らは蚀う。

「しかし、人間ず理性のない動物ずの間には、正矩の関係など存圚しない」

 それならこちらも答えよう。
 銙料や倖囜の珍しい菓子ずの間にだっお、あなたがたは正矩の関係など持っおいないではないか。
 快楜のうち、圹にも立たず必芁でもないものを、あらゆる堎所から远い出そうずいうのなら、動物もたた食卓から远い出せばよい。

第7節

 それでは次に、《私たちは理性を持たないずされる動物たちに察しおも、正矩を負っおいるのか》ずいう問題を考えおみよう。
 この問題を、技巧を凝らしお論じたり、こざかしい゜フィストのように扱ったりする぀もりはない。そうではなく、自分自身の胞の内ぞ目を向け、人間ずしお自分自身ず語り合いながら、この問題党䜓を量り、怜蚎しおみよう。  〔ここで珟存する本文は終わる〕



いいなず思ったら応揎しよう