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黒住宗忠の「奇跡」の本質とは何か?——大いなる自然と一体化する、神道的人生論

こんにちは。
西炎です。

今回は黒住宗忠をテーマにしたいと思います。
知らない人も多いかもしれませんが、本当に人柄と能力ともに素晴らしい人でかなり私も好きな人です。

黒住宗忠の略歴

黒住宗忠(くろずみ むねただ)は、江戸時代後期に神道の一派である黒住教(くろずみきょう)を開いた宗教家です。
江戸時代の三大新宗教(黒住教・天理教・金光教)の祖の一人とされています。

以下に、その生涯と主な足跡をまとめました。

1. 誕生と幼少期

  • 生誕: 安永御7年12月13日(1785年1月23日)、備前国(現在の岡山県岡山市北区上道地域)の金山寺の神主・黒住家の長男として生まれる。

  • 性格: 幼少期から非常に親孝行で、両親への深い感謝と誠実な人柄で知られていました。

2. 人生の転機と「大病からの生還」

  • 神職の継承: 父の跡を継いで今村宮(岡山市)の神職となります。

  • 母の死と自身の発病: 文化11年(1814年)、母を亡くした悲しみと過労が重なり、翌文化12年(1815年)に当時不治の病とされた結核(当時は肺結核や労咳と呼ばれた)に罹患し、死の淵に立たされます。

  • 「天命直受(てんめいじきじゅ)」の体験: 病床で自らの死期を悟った宗忠は、絶望するどころか、これまで両親や神仏から受けた恩への感謝の念を深めました。そして文化12年11月15日、太陽を拝する修行(日拝)の最中に「大日生神(おほひるめのかみ=天照大御神)」と一体化するような究極の霊的体験(悟り)を得ます。これにより、病は奇跡的に完全に治癒しました。

3. 布教の開始と教団の形成

  • 人助けと教えの普及: 病から回復した宗忠は、自身の体験をもとにして「すべては大御神の分け御霊(みたま)であり、天地のすべては親である」と説き始めました。

  • 「日拝」と「まごころ」: 毎朝太陽を拝み(日拝)、不平不満や怒りを捨てて「ありがたい」という感謝の心(誠の心)で生きることを勧めました。彼の元には、病に苦しむ人々や救いを求める庶民が次々と集まり、多くの奇跡的な病気平癒や救済の御神徳があると評判になりました。

  • 教えの確立: 宗忠自身は「神道の一つの教え(道)」として説いていましたが、その感化力は広く波及し、武士から農民に至るまで多くの信奉者を得ました。

4. 晩年と没後

  • 遷化(死去): 嘉永3年2月25日(1850年4月6日)、京都で門弟たちに見守られながら亡くなりました(享年65)。

  • 宗忠神(むねただのかみ)の神号: 没後、朝廷から「宗忠大明神」の神号が贈られ、のちに明治維新を経て「黒住教」として公認される基礎が築かれました。

黒住宗忠の教えの核心
黒住宗忠の思想は、「陽気暮らし(ようきぐらし)」にあります。太陽の温かさや明るさのように、常に明るく温かい心を持ち、どんな境遇であっても「ありがたい」と感謝して生きることが、病を遠ざけ、人を救う最も尊い道であると説きました。

まとめ
略歴を見るだけでもすごいことがわかると思います。
文字通りに奇跡を起こした人というわけです。

心労などで自分が不治の病になったとき、普通は若ければ

・なぜ自分が?
・もう助からないのでは?

というようにやけを起こしたり、運命を受け入れず、自分を不幸だと思ったりするしかないと思うんですね。
しかし黒住宗忠は不幸を見なかったわけで、それによって奇跡が起きたわけです。
本当にすごいと思いますし、普通こんなことはできませんね。

ちなみにもう1人同じような難病にかかり奇跡的に治った人を知っていますが、やはり黒住宗忠と同様に自分の病気をなるべく意識しなかったと聞いています。

奇跡とはネガティブをどれだけ無視できるかにかかっているのかもしれませんね。

ここからも

・病気になりたくないので病気オタクになった
・犯罪が怖いので防犯を意識している
・災害が怖いので備蓄をしている

といった守備意識が間違いであることがわかります。
潜在意識にネガティブを刻印するので、その過剰に意識するマイナスのイベントは現実化します。

もう少し黒住宗忠の奇跡についてみてみましょう。

黒住宗忠の奇跡の秘密は?

黒住宗忠が数々の奇跡(不治の病からの生還や、難病の治癒など)を起こし、人々を惹きつけた「秘密」は、単なる霊的な神秘現象ではなく、彼の心構えと宇宙(自然)との一体化のプロセスにあります。

宗忠の奇跡の背景にある核心は、主に以下の4つの要素に集約されます。

1. 死の淵での「完全なる自己放棄」と感謝
宗忠が31歳の時に罹患した結核は、当時「不治の病」であり、血を吐き、肉体が衰弱しきった絶望的な状態でした。
普通なら恐れや苦痛に苛まれるところ、宗忠は「ここまで親や神仏に生かしてもらったのだから、この命がここで尽きるのもまた天命である」と、自分の命を完全に受け入れ、感謝に昇華させました。
この「執着の手放し」と「深い感謝」が、心身のエネルギーを一変させる最初のスイッチとなりました。

2. 「日拝(にっぱい)」による宇宙エネルギーの同化
奇跡の決定打となったのが、毎日太陽に向かって行った「日拝」です。
宗忠は、太陽(天照大御神)を単なる遠くの天体ではなく、「宇宙の生命の根源(大御神)」として捉えました。
ただ拝むのではなく、自分自身の肉体や魂が太陽の光や熱と「一体化する(溶け合う)」ような深い没入状態(霊的体験)を経験しました。
現代のエネルギーワークや瞑想でいう「高次元の周波数との共鳴」を、全身全霊で成し遂げたことが、肉体の細胞レベルの治癒(奇跡)を引き起こしたとされています。

3. すべてを「親心」として受け取る世界観
宗忠は、この世に起こるすべての出来事(一見不運に見える病や困難も含め)を、大御神(親)が我が子を育てるための「愛の表れ(親心)」として解釈しました。
不平不満や怒りは気の流れを滞らせ、病気を引き起こす「悪しき心(ひがみ・やっかみ)」であるとし、どんな時でも「ありがたい」と受け止めることで、人間の本来持つ自然治癒力や生命力を最大限に引き出しました。

4. 「陽気(ようき)」の波動による他者治癒
自らが奇跡的に蘇った宗忠は、その後、苦しむ人々に次々と手を差し伸べました。
彼が行った奇跡(病気平癒など)の多くは、特別な術を使ったわけではなく、宗忠自身が発する圧倒的な「陽気(明るく温かいエネルギー)」に、相手が感化されることで起こりました。
宗忠は「人は誰もが神の分け御霊(みたま)を持っている」と説き、相手の中にある本来の光を信じ、共に喜び、祈ることで、相手の凝り固まった心身をほぐしていったのです。

まとめ:奇跡の秘密の本質
黒住宗忠の奇跡の秘密は、「自然(宇宙)の大きなリズムと自分の呼吸・心を完全に調和させ、すべての出来事に『ありがたい』と感謝する生き方を貫いたこと」にあります。

奇跡とは特別なマジックではなく、人間が本来持っている生命の輝きを、極限までピュアな状態に引き出した結果起きた、「宇宙の自然現象」であったと言えます。

何度聞いてもすごい人だと思いますね。

黒住宗忠の奇跡と中村天風の奇跡は似ている

黒住宗忠と中村天風の歩んできた軌跡や、彼らがたどり着いた境地には、驚くほど多くの共通点があります。
どちらも「絶望的な大病(死の恐怖)」をきっかけに、自らの内面を極限まで深め、独自の「宇宙の真理」や「気の法則」に目覚めたというドラマチックな背景を持っています。

二人の奇跡と教えの主な共通点を紐解くと、その類似性がより鮮明になります。

1. 「不治の病」からの絶望と、そこからの回春

  • 黒住宗忠: 31歳の時に当時不治の病とされた結核に罹患し、血を吐き、死の淵に立たされました。その絶望の中で「我が命はここまで」と完全に執着を手放し、感謝の境地に達したことで、天命直授の霊的体験を得て完全に治癒しました。

  • 中村天風: 若くして当時不治の病とされた肺結核に冒され、世界中の名医を頼っても治らず、死の恐怖と絶望のどん底を味わいました。生死の境をさまよった末に、自分の病を克服するための真理を求めて欧米を放浪し、のちにヒマラヤのヨギ(聖者)カリアッパ師と出会って心身を再生させました。

2. 「呼吸」と「宇宙のエネルギー(気・陽気)」の重視

  • 黒住宗忠: 朝日を仰ぐ「日拝」を行い、天地のエネルギー(御陽気)を呼吸とともに体内に取り込み、下腹(丹田)に納めることで心身を健康に保ちました。

  • 中村天風: 天風哲学の核心である「心身統一法」において、宇宙の無限のエネルギー(プラーナ/気)を下腹部(丹田)で呼吸とともに意識的に取り込み、循環させること(積極的精神の維持と呼吸法)を最重要視しました。

3. 「積極的な心(陽気)」と「感謝・調和」の力

  • 黒住宗忠: すべての出来事を親神様の愛(親心)として受け止め、どんな時も「ありがたい」と感謝する「陽気ぐらし」を説きました。

  • 中村天風: 心に浮かぶ消極的な観念(病への恐怖や不安など)を綺麗に振り払い、常に「積極的(明るく、力強く、前向き)」な心構えを保つことが、人間の持つ自然治癒力を最大限に引き出すと説きました(「心に描いた通りの姿になる」という信念)。

二人の決定的な違いとつながり

  • 黒住宗忠は、江戸時代後期に日本の古神道や自然信仰、そして「感謝と太陽(天照大御神)」をベースにして自然発生的にその境地に至りました。

  • 中村天風は、明治から昭和にかけて、東洋のヨガの思想(インド哲学)や近代科学の知見を統合し、より体系的な「心身統一法(天風哲学)」として論理的に構築しました。

時代やアプローチ(神道 vs ヨガ・科学的自己修養)は異なれど、「人間の生命は、大いなる宇宙の生命と一つにつながっている。
だからこそ、心を明るく調和させ、丹田で息をし、感謝と積極性で生きれば、どんな困難や病をも超えていける」という真理の核心において、二人の奇跡は完全に共鳴し合っています。

まとめ
こうしてみれば二人の偉人はとても似ていることがわかりますね。
中村天風の思想の核心は積極思考だと思いますが、黒住宗忠のありがたいという思想と似ている気がします。

黒住宗忠は藩主からも一目置かれた?

黒住宗忠が藩主から直接どう扱われていたかという点については、藩主自身が熱心な信奉者になったという直接的な記録よりも、地元・岡山藩をはじめとする周辺の藩において、藩士や有力者層(武士階級)の間で非常に高い敬意を集めていたという歴史的背景があります。

具体的には、以下のような状況が見られました。

1. 藩の「模範的な家系」としての評価
黒住家は、代々岡山藩の守護神である「今村宮」の神職を務める家柄でした。
また、若き日の宗忠自身が、両親への極めて厚い孝心から藩から表彰を受けたほどの「孝行息子」(中野の孝子)として知られていました。
この時点ですでに、地域や藩の行政・道徳の観点から模範的な人物として一目置かれる素地がありました。

2. 多くの藩士・武士層の入門(岡山藩や支藩など)
宗忠の教えが広がるにつれて、農民や町人だけでなく、岡山藩の重臣や藩士、さらには生坂藩(岡山藩の支藩)、天城藩、姫路藩、三日月藩などの武士階級が次々と門人として加わりました。

  • 岡山藩士で儒臣の河上忠晶や、同じく岡山藩士の石尾乾介(江戸詰の藩士で宗忠と多くの書簡を交わした)など、藩の要職にある武士たちが、その人格と教えに深く心酔していきました。

  • 武士は本来、厳格な儒教や武士道、あるいは既存の仏教・神道に依拠していましたが、身分を超えて「生き神」と慕われる宗忠に帰依したことは、当時の藩社会においても大きな影響力を持ちました。

3. 朝廷や後年の高い評価へのつながり
宗忠の生存中は、あえて既存の政治権力に取り入るような布教はしませんでしたが、その精神感化の広がりは、のちに孝明天皇が黒住教の本部(宗忠神社)を「勅願所」に定めるという、朝廷からの異例の崇敬へとつながっていきました。

結論として
藩主そのものが直接の信者として前面に出ていたわけではありませんが、「藩の守護神の神職であり、若くして表彰された模範的な人物」というベースがあり、のちには多くの藩士たちがこぞって教えを乞うたという意味で、武士・藩政の社会からも非常に重んじられる存在でした。

まとめ
本当にすごいですね。
身分は低かったはずですが、高級武士や天皇にさえも一目置かれる存在だったわけですね。
何か人柄が伝わってくるようなエピソードですね。
多分本当に素敵な人だったのだと思います。

黒住宗忠の逸話

黒住宗忠の人柄や、その驚異的な精神力を物語る有名な逸話をいくつかご紹介します。
彼の優しさ、ユーモア、そして圧倒的な「陽気(明るさ)」が伝わるエピソードです。

1. 「病人を診るな、まず自分を喜ばせよ」の逸話
あるとき、深刻な病気に苦しむ人が宗忠のもとへ助けを求めてやってきました。
周囲の門弟たちは「何か特別な治癒の祈祷や教えを授けるのだろう」と思って見ていましたが、宗忠はその人に対して、病気の苦しみや悩みを一切聞き出そうとしませんでした。

代わりに宗忠は、「今日、何か嬉しいことはありましたか? さあ、どんな小さなことでもいいから、まず面白がって、笑ってごらん」と促しました。
人間は苦しい時ほど心が縮こまり、暗い表情になって気が滞るものですが、宗忠の圧倒的に明るいエネルギーと、「すべてはありがたい」という笑顔に接しているうちに、患者は自然と心がほぐれ、笑顔を取り戻していきました。
宗忠は、「病気を治そうとあくせくするな。自分の心に太陽を灯し、いつも陽気でいることこそが最高の良薬だ」と、どんな時もまず「心の陽気」を保つことを教えました。

2. 自分を悪く言う人にも「ありがたい」と感謝した逸話
宗忠の人格の高さを示すエピソードとして、周囲から激しい嫉妬や中傷を受けた時の話があります。
ある人物が宗忠の教えやその人気を妬み、あちこちで彼の悪口を言いふらし、直接文句を言いに来たことがありました。
普通なら怒ったり言い返したりするところですが、宗忠は怒るどころか、その相手に対して満面の笑みでこう言いました。

「わざわざ私の至らない点を教えてくださり、本当にありがたい。あなたのおかげで、自分の心の曇りに気づくことができました。おかげさまで、また一つ徳を積むことができました」

これを聞いた相手は、あまりの器の大きさと誠実さにすっかり気圧され、のちに改心して熱心な門人になったといわれています。
一切の敵を作らず、すべての出来事を自分の成長の糧(ありがたいこと)に変えてしまう宗忠の真骨頂が表れたエピソードです。

3. 最期まで「陽気」を貫いた臨終の逸話
嘉永3年(1850年)、宗忠は京都で亡くなりますが、その最期の瞬間まで驚くほど穏やかで、普段と変わらない様子でした。

いよいよ旅立つという時になっても、悲壮感や苦痛の色は見せず、周囲に集まった門弟たちに笑顔で語りかけ、いつも通り「ありがたい、ありがたい」と感謝の言葉を述べながら、まるで眠るように息を引き取ったと伝えられています。
生前から「人間は死ねば大御神のもとに帰り、大いなる命の懐に包まれるのだから、何一つ悲しむことはない。死とは新しいお役目のはじまりである」と説いていた宗忠は、自らの死をもって、その教えが真実であることを体現したのです。

まとめ
つい批判されると正論でも腹が立つもので、冷静でいれるかはわかりませんね。
しかし黒住宗忠は違いますね。
本当に素敵ですね。
彼の性格をまとめれば

・明るい(ポジティブ思考)
・謙虚

ということではなかったかと思いますが、私は強く憧れる人ですね。

黒住宗忠の有名な言葉

黒住宗忠が遺した、心に響く有名な言葉や教えをいくつかご紹介します。
彼の思想の核心である「感謝」「陽気」「太陽との一体感」がダイレクトに表現された言葉です。

1. 「ありがたい」の一言

「ありがたい、ありがたい」と、何事につけてもこの言葉を口に出しなさい。

  • 解説: 宗忠は、日々の生活の中で良いことがあった時だけでなく、困難や苦難に直面した時でさえも「ありがたい」と口にすることを勧めました。感謝の言葉を唱えることで心が調和し、物事の捉え方が変わり、運命や健康状態までもが好転していくという教えの基本です。

2. 人の心と太陽の光

人の心に曇りがなければ、我が心はそのまま天照大御神の御心である。

  • 解説: 宗忠は、特別な神様が遠くにいるのではなく、人間一人ひとりの心の中に大御神の分け御霊が宿っていると考えました。不平不満や欲を捨て、心を澄ませれば、誰もが太陽のように明るく温かい存在になれると説いています。

3. 健康と「気」のあり方

病は気の持ちようというが、その気とは「御陽気(おようき)」のことである。常に明るく、温かい気を下腹に納めよ。

  • 解説: 自らの結核を克服した経験から、心構え(気)のあり方が肉体に与える影響の大きさを知っていた宗忠の言葉です。暗い心(陰気)を捨て、常に明るいエネルギー(陽気)を丹田(下腹)に満たすことが、病を治し健康を保つ秘訣であると説きました。

4. すべてを「親心」と受け止める

天地の間に起こるすべてのことは、親が子を育てるための慈愛の表れである。

  • 解説: 自然の営みや、自分に降りかかる一見不条理な出来事も含めて、すべてを「大いなる親(大御神)の愛」として受け止める世界観です。この視点を持つことで、人生の苦悩が感謝へと変わるとされています。

宗忠の言葉はどれも、小難しい哲学や複雑な修行を説くものではなく、「毎日の呼吸を整え、太陽に感謝し、笑顔で生きる」という、誰もが今すぐ実践できるシンプルな真理に満ちています。

まとめ
本当に美しい言葉ですね。
本当に生きていた人なのか疑わしいほど素晴らしい言葉です。
かといって真似をして実践しようとしても難しいかもしれませんが、最初は外形からでもいいと思います。

黒住宗忠の和歌

黒住宗忠は、生涯にわたって300首を超える和歌(御歌・御神詠)を詠んでおり、その教えの神髄や心情がわかりやすい言葉で表現されています。
黒住教ではこれらが大切な経典の一つとして伝えられています。

その中でも、特に代表的で教えを象徴する有名な和歌をいくつかご紹介します。

1. 「何事も」の歌(感謝と陽気ぐらしの教え)

「何事も有り難いにて世に住めば、向かう物事みな有り難いなり」

  • 意味・解説: どんな出来事であっても、それを「ありがたい」と受け止めて世の中を生きていくならば、目の前に起こるすべてのことが残らずありがたいものに変わっていく、という教えです。苦難や困難をも自分の成長の糧として喜びに変える、宗忠のポジティブな生き方が表れています。

2. 海と山の歌(心の広さと大らかさ)

「海あれば山もありつる世の中に せまき心をもつな人々」

  • 意味・解説: この世の中には広い海もあれば高い山もあるように、様々な環境や変化があるのだから、人間がくよくよと狭く、陰気な心を持って暮らしてはいけないよ、と人々に呼びかけた歌です。天地自然のスケールに合わせて、大らかな心で生きる大切さを説いています。

3. 神と人との一体の歌

「天照らす神の御心 人心(ひとこころ) ひとつになれば生き通しなり」

  • 意味・解説: 人間の心が、太陽(天照大御神)の明るく温かい大御心と完全に一つに調和したならば、生死の苦しみを超えて、命が永遠に生き通していく(大いなる自然と一体となって生きる)という境地を詠んだ歌です。

4. 辞世(伝御神詠)とされる歌

「目を開けて空仰ぎ見よ仰ぎ見よ 天照る神の道は一筋」

  • 意味・解説: 亡くなる前夜、教団の今後を尋ねられた宗忠が力強く詠んだとされる一首です。迷うことなく、しっかりと天(太陽)を仰ぎ見て、神の教える「誠の道」を真っ直ぐに進みなさいという、門下生に向けた力強い遺言であり導きの歌となっています。

まとめ
かなりの和歌を詠んでいるようですね。
はじめて知りましたが、私は和歌はやりませんので技術うんうんはわかりません。
ただ詠んでいる歌は平時に言っていることと首尾一貫しているように思えます。

天照を生涯求めて生きたと思うのですが、現代人のようにすぐに外の天照を参拝するのでなく、自分の中の天照を活性化せよということだと思うんですね。
それによって生命力も活性化され、病気が治るという仕組みだと思います。

黒住教は黒住宗忠が自身で創設した?

黒住教は黒住宗忠自身によって開かれました。

宗忠が34歳を迎えた文化11年11月11日(1814年)の冬至の朝、日拝(太陽を拝む修行)の最中に、宇宙の根源である天照大御神と自らの生命が完全に一体化する究極の霊的体験(天命直授:てんめいじきじゅ)を得ました。
黒住教では、この日を「立教(教えがひらかれた日)」としています。

もともと今村宮(岡山市)の神職の家系であった宗忠は、自らが大病(結核)から奇跡的に生還した体験と、その中で得た「すべては神の分け御霊であり、感謝と陽気な心で生きることが大切だ」という教えを、苦しむ人々に説き始めました。

宗忠自身が組織を大きくしてやろうと政治的に働きかけたわけではありませんが、彼の圧倒的な人柄や奇跡的な救済の力に惹かれ、数万人の人々(武士から農民まで)が自然と集まり、門人となっていったことで教団の基礎が築かれました。

まとめ
黒住宗忠は本当に自身の発案で宗教を起こしたのでしょうかねぇ?
少しこの点、疑問に思います。
彼の性格を考えたときに、弟子が創設したのかなぁと以前は思っていました。

黒住宗忠は人生で伊勢神宮に参拝した?

黒住宗忠は生涯に6回もの伊勢神宮参拝(参宮)を行っています。

天照大御神を最高神として深く崇敬し、自らの教えの根幹にも据えていた宗忠にとって、伊勢神宮への参拝は非常に重要な意味を持っていました。
当時の岡山から伊勢への往復は、歩きを中心として1ヶ月以上もかかる過酷な道のりでしたが、彼は生涯をかけて何度も足を運んでいます。

こうした伊勢神宮や皇祖神への篤い崇敬の念は、のちの黒住教と伊勢神宮との深い結びつき(教団の行事として「伊勢参り」が行われるなど)へと受け継がれています。

まとめ
現代でも大阪から伊勢神宮までの参拝は結構大変です。

まだ暗いうちに起床して、眠さと戦いながら高速を走り伊勢神宮まで行くわけですが、朝に弱い私には過酷でした。
非常にきれいな雰囲気で、また行きたいですが、現代でも簡単に行ける場所ではないですね。

黒住宗忠は伊勢に行ってどういう感想を持ったのでしょうか?
もし可能なら感想も聞いてみたいですね。

黒住教の教えは?

黒住教の教えは、一言で表すと「すべてに感謝し、明るく温かい心(陽気)で、朗らかに生きること」です。

難解な戒律や複雑な修行を厳しく課すものではなく、日々の暮らしそのものを神聖な営みと捉える点が大きな特徴です。
その教えの核心にある主なポイントをいくつかご紹介します。

1. 天地万物はすべて「親神」の分け御霊

  • すべての存在の根源には最高神である天照大御神(大御神)があり、この世界はすべて大御神の大きな愛(親心)によって支えられていると考えます。

  • 人間もまた、その神から命の分け御霊(みたま)をいただいた尊い存在であると説きます。

2. 朝日を拝む「日拝(にっぱい)」

  • 毎朝、昇ってくる太陽(日の出)に向かって、深い感動と感謝の心で祈りを捧げる「日拝」を最も大切な実践としています。

  • 太陽の光やエネルギー(御陽気)を呼吸とともに体内に取り込み、下腹(丹田)に納めることで、心身を健康に保ちます。

3. 「難あり有り難し」の精神と徹底的な感謝

  • 人生において良いことだけでなく、困難や苦難(難)に直面したときでさえも、「自分の成長や気づきのための親神様の愛である」と受け止め、「ありがたい」と感謝に変えていく生き方を重んじます。

  • 不平不満、愚痴、怒り、そして自分を過信して他人を見下す「慢心」を戒め、心を常に澄んだ状態に保つことを説いています。

4. 「まること」の生き方

  • 黒住教には「まること」という独特の言葉があります。これは、物事に角を立てず、丸くおさめること、あるいは天地自然の大きな調和(丸い状態)と同化して生きることを意味し、円満で和やかな人間関係や心持ちの基本となっています。

まとめ
黒住教の教えは、特別な修行者だけのものではありません。
「毎日の日常の中で太陽に感謝し、どんな境遇でも笑顔を絶やさず、まわりの人々と温かい心で関わり合って生きる(陽気暮らし)」ことこそが、人間が最も人間らしく、健やかに生きる道であると教えています。

「日々の暮らしそのものを神聖な営みと捉える」
これは本当にどの宗派でも理想だと思うのですが、これがなかなかできないんですよね。
嫌なことがあれば心が汚れますし、不安になれば心がやはり揺れると思います。
いつも反省するところですね。

夜、静かになり冷静になると恥ずかしくなることは多々あります。

黒住宗忠は神になったので、真言や祝詞などはある?

黒住宗忠は、亡くなった後に朝廷から「宗忠大明神(むねただだいみょうじん)」などの神号が贈られ、神として祀られるようになりました(現在は黒住教の本部である宗忠神社などで「宗忠神」として祀られています)。

しかし、彼が残した教えや黒住教の祈りのスタイルにおいて、密教や修験道のような呪文のような「真言」を唱えるということは基本的にありません。

その主な理由は以下の通りです。

1. シンプルな言葉と「呼吸・感謝」が中心
黒住教の祈りや実践の基本は、密教のような複雑な呪文や印を結ぶことではなく、非常にシンプルです。

  • 「ありがたい、ありがたい」という感謝の言葉を口に出すこと。

  • 朝日に向かって息を吸い込み、太陽のエネルギー(御陽気)を丹田(下腹)に納める「日拝」を行うこと。

2. 人間本来の「素直な心」を重んじる思想
宗忠は、難解な経典や秘密の真言を唱えることよりも、「自分の心を曇らせず、親神様(天照大御神)と同じ明るく温かい心(誠の心・陽気)になること」を何よりも大切にしました。
そのため、形骸化した呪文を唱えるよりも、日常生活の中で感謝の気持ちを実践することが重視されています。

まとめ
黒住宗忠は「神」として祀られていますが、密教のような真言を用いることはなく、代わりに「ありがたい」という言葉による感謝と、太陽を仰ぐ「日拝」や呼吸法が、信仰における中心的な実践となっています。

黒住宗忠と丹田

黒住宗忠は、太陽の光やエネルギー(御陽気)をただ体に取り込むだけでなく、「下腹(丹田)に納める」ことの重要性を説いています。

黒住教の教えや宗忠の残した言葉において、丹田(下腹)は以下のような意味と実践法で語られています。

  • 「御陽気」を下腹に納める

    1. 宗忠は、「日に二百回、三百回と、有り難く御陽気をいただきて、下腹に納めよ」と説き、太陽の陽気や天地の気を呼吸によって下腹(丹田)にしっかりとおさめることを勧めています。

  • 下腹で息をすることの効用

    1. 「怠らず御陽気を吸えよ。——下腹で息をせよ。——長息をすれば長生きをする」と語り、丹田を意識した呼吸(腹式呼吸や長息)を行うことで、肉体的な健康だけでなく、心までもが強く勇ましくなるとされています。

  • 心身の安定と気の充実

    1. 下腹に気が満ちることで、病を遠ざけ、いかなる困難や難病をも克服するエネルギーの源になると教えられています。

まとめ
大阪の有名な神社として住吉大社があります。
この御祭神は息長足姫命といいます。
生存時は神功皇后といったのですが、この神名はずっと不思議でした。
あるとき師匠から聞いたのですが、住吉というと金運や現世利益の場所とされますが、実は健康の神でもあると聞きました。

息が長いと書くわけですが、特殊な呼吸法によって寿命や健康寿命を伸ばす仕掛けがあるわけですね。
この黒住宗忠の言っていることとかなり近いと思いますね。

現在病気の人ほど意識してほしいこと

私のところには精神疾患の相談もよくあります。

心療内科の欠点を知っているという記事を書いていることもその原因かもしれません。

たとえば精神疾患は異常な考えが浮かび、それに支配されるので正常に生活できないという脳の異常作動を指します。
これは最終的には認知療法といってその考えを無視して普通の人のように生きるしか治す方法はないのでしょう。
しかしそれまでの間、無視できないので、無視できる確率を高めるために脳の神経伝達物質のバランスを正常に近づける必要があります。
それがSSRIやセロトニン増加では無理であると欧米の研究で10年以上も前に出ているというのが私の主張です。

それ以外の臓器系の病気も同様です。
病院に行って不定愁訴まで治るほうが稀なので、あきらめる前に今回の記事の内容が届くといいなぁと思いました。


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