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昆虫食と人類5000年史——なぜ我々は虫を嫌悪し、しかし食べ続けてきたのか


はじめに——一皿のコオロギが映し出すもの

二〇二三年春、徳島県の県立高校が食物科の調理実習でコオロギパウダーを使った試食を希望者に提供した。たったそれだけのことが、全国的なバッシングへと発展した。「子供に虫を食べさせるな」というクレーム電話が殺到し、SNSでは陰謀論にまで議論が飛躍した。同時期、敷島製パンが取り組んだコオロギパン事業も、虚実ないまぜの誹謗中傷の的となった。事実関係としては、希望者だけが食物科の調理実習で試食したにすぎないし、政府が「コオロギ事業に六兆円の補助金を出している」というネット上で拡散された数字も、後にファクトチェックで誤りであると判明している。それでもなお、世論の反発は収まらなかった。

この騒動は、ひとつの根源的な問いを我々に突きつける。

——人類は、なぜ「虫を食べる」という行為に、これほどまで強い嫌悪を抱くのか。

そしてもうひとつ。

——その嫌悪は、本当に合理的なのか。

少し冷静に歴史を眺めてみよう。人類の祖先は、約七百万年前に類人猿との共通祖先から分岐して以来、間違いなく昆虫を食べ続けてきた。霊長類学者が観察するチンパンジーの「シロアリ釣り」は、人類進化を理解する上で最も重要な行動のひとつである。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、その著書『動物誌』のなかでセミの幼虫の最も美味な収穫時期を論じ、自らも好んで食したと伝えられている。古代ローマの貴族たちは、ワインと小麦粉で太らせたカミキリムシの幼虫を「コッスス」と呼んで珍味とした。聖書『レビ記』は虫を食べることを忌避すべきとしながらも、「跳び脚を持つもの——イナゴ、コオロギ、バッタの類」は食べてもよいと特例を設けた。新約聖書の『マタイによる福音書』第三章四節は、洗礼者ヨハネがイナゴと野蜜を食していたと記す。日本においても、平安時代の薬物辞典『本草和名』にはイナゴ食の記述があり、江戸時代の百科事典『守貞謾稿』にはイナゴを串に刺して蒲焼にする様子が描かれている。

つまり、虫を食べることは、ある特定の地域における奇妙な慣習などではない。人類史の本流のなかで、五〇〇〇年——いや、もっと長い時間——営々と続いてきた、ごく普通の食習慣だったのである。むしろ、現代の都市生活者が抱く強烈な拒否反応のほうこそ、歴史的にも生物学的にも、ある種の「逸脱」と呼ぶべきものかもしれない。

それでは、なぜ我々はこの普遍的な食習慣を「忘れた」のだろうか。あるいは、なぜ近代化のプロセスが進めば進むほど、虫食への嫌悪は強まったのだろうか。そして、二一世紀になって再び国連食糧農業機関(FAO)が「未来のタンパク質源として昆虫を」と提唱したとき、なぜそれは陰謀論のレトリックに絡め取られていったのか。

本稿は、この一連の問いに対して、考古学、進化心理学、栄養学、文化人類学、環境科学、産業論の知見を横断しながら、約一〇万字の射程で徹底的に答えていく試みである。結論を先に述べておけば、昆虫食をめぐる我々の感情は、決して単純な「合理/非合理」の二分法で語れるものではない。それは進化的に深く刷り込まれた防御反応であり、文化的に形成された嗜好であり、そして同時に、近代という時代が生み出した特定の感性のあらわれでもある。

虫を食べるか食べないか——この問いは、結局のところ、我々が何者であり、これからどう生きるのかという、もっと根源的な問いに通じている。

第一部:進化が虫を食わせた——人類前史の昆虫食

1-1. 霊長類における昆虫食の普遍性

そもそも、霊長類というグループにとって昆虫食は何ら特別なことではない。むしろ、それは進化の出発点に位置する、ごくありふれた食性である。霊長類学の研究によれば、最小のものから最大のものまで、ほぼすべての霊長類が——頻度の差こそあれ——昆虫を食料源として利用していることが分かっている。樹上で暮らす小型のメガネザルやガラゴは、ほとんど純粋な昆虫食動物である。彼らの大きな目と俊敏な動きは、夜間に飛び回る昆虫を捕獲するために進化したと考えられている。

しかし興味深いのは、霊長類のなかでも体サイズが大きくなるほど、純粋な昆虫食ではエネルギー収支が合わなくなるという法則である。昆虫はカロリー密度こそ高いが、一匹あたりのカロリーは小さく、捕獲にエネルギーを要する。だから大型霊長類が虫だけで生きるのは難しい。ところが、人類の最も近い親戚であるチンパンジーは、この制約を見事な「テクノロジー」で克服した。

1-2. チンパンジーのシロアリ釣り——人類進化のロゼッタストーン

一九六〇年、若き霊長類学者ジェーン・グドールは、タンザニアのゴンベ国立公園で、チンパンジーが小枝を加工してシロアリの巣穴に差し込み、付着してきたシロアリを舐め取る行動を観察した。これは、人間以外の動物がツールを使うことが記録された、史上初の事例だった。

このシロアリ釣り(termite fishing)行動は、その後の研究で、チンパンジーの群れごとに技法が異なる「文化的多様性」を持つことが明らかになっている。コンゴ盆地のチンパンジーは、地下のシロアリ巣を破る穿孔用の棒と、シロアリを釣り上げる細い棒という「ツールセット」を使い分ける。これは「動物界で最も洗練された道具使用」と呼ばれる水準にある。

栄養学的に見れば、この行動は理にかなっている。ゴンベの研究者たちが計算したところ、長時間のシロアリ釣りは、約五〇〇キロカロリーのエネルギーと、三〇グラムの脂質、五〇グラムのタンパク質をもたらす——つまり、脊椎動物の肉に匹敵する栄養価が得られるのである。シロアリの集中する季節には、雨が降って土壌が湿り、シロアリが地表近くに上がってくる。チンパンジーはこの環境のシグナルを読み取り、季節的に強くシロアリ釣りに従事する。

このことが人類進化に持つ意味は計り知れない。我々の祖先もまた、似たような行動をしていた可能性が極めて高いからだ。

1-3. アウストラロピテクスのシロアリ食——南アフリカの骨製ツールが語るもの

二〇〇一年、ボルドー大学のフランチェスコ・デリコとヴィットウォーターズランド大学のルシンダ・バックウェルは、南アフリカのスワルトクランス遺跡とステルクフォンテン遺跡から出土した骨製ツールを分析した論文を、米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表した。これらのツールは下部旧石器時代のもので、約一八〇万年前から一〇〇万年前に堆積したと考えられる地層から出土している。それらを残したのは、頑丈型のアウストラロピテクスである「パラントロプス・ロブストゥス」、あるいは初期のホモ属の人類であった可能性が高い。

それまで、これらの骨製ツールは「地中の塊茎を掘り出すための道具」だと解釈されていた。しかしデリコらは、現代の実験で芋掘り用と「シロアリの巣に突き刺す」用とで異なる摩耗パターンを生み出し、化石の摩耗パターンを比較した。結論は明確だった——これらの骨は、シロアリ釣り、あるいはむしろ「シロアリ掘り」のために使われた道具であった。

つまり、約一七〇万年前の人類の祖先は、すでにシロアリを食べるために専用の道具を作っていたのである。これは、初期人類の食生活において昆虫食が果たしていた役割の重要性を強く示唆している。チンパンジーが今も使う技術と、化石記録の示す祖先の行動が、ここで奇妙な響きあいを見せる。

1-4. なぜ昆虫食は進化の出発点になりやすいのか

人類学者ジュリー・J・レスニックは、その著書『Edible Insects and Human Evolution(食用昆虫と人類進化)』のなかで、こう論じている。人類とその直接の祖先は、進化の全行程を通じて昆虫を食べ続けてきた、と。これは決して大袈裟な主張ではない。

考えてみれば理由は明白である。第一に、昆虫は生物量(バイオマス)が圧倒的に大きい。地球上の動物バイオマスのうち、昆虫が占める割合は群を抜いている。第二に、昆虫は栄養価が高い。タンパク質、脂質、鉄、亜鉛などのミネラルを濃縮した形で含む。第三に、捕獲に必要な技術的ハードルが、大型動物の狩猟と比べて遥かに低い。第四に、季節性と地理的偏在性こそあるものの、世界のほとんどの場所で何らかの種が利用可能である。

逆に問うなら——なぜ我々の祖先が、これほど利用しやすい栄養源を無視するという選択肢があり得ただろうか。答えは「あり得ない」である。だからこそ、昆虫食は人類史の文字どおりの「基層」を形成しているのだ。

1-5. 旧石器時代の証拠——糞石と洞窟壁画

考古学的証拠は、この推論を裏付ける。米国オザーク山地の洞窟から出土した先史時代の糞石(コプロライト、人類の糞便の化石)を分析した研究では、アリ、甲虫の幼虫、シラミ、さらにダニ類などの節足動物の残骸が確認されている。これは、初期の人類が日常的にこれらの生物を摂取していた直接的な証拠である。

さらにスペイン北部のアルタミラ洞窟の壁画——年代測定では約三万年前から九〇〇〇年前のものとされる——には、食用昆虫の採集と野生のハチの巣の場面が描かれている。これは、旧石器時代の人類がすでに昆虫を意図的に採集し、その重要性を文化的に表現するに足る対象として認識していたことを物語っている。

中国山西省の遺跡からは、紀元前二五〇〇年から二〇〇〇年頃の野生カイコ(Triuncina religiosae)の繭が出土している。繭には大きな穴があけられており、これは中の蛹が食べられたことを強く示唆する。つまり、絹を取るためではなく、栄養を取るために繭が利用された——シルクロードに先立つ、もうひとつの「昆虫の道」がそこにあった。

人類は、虫を食べることを、忘れたのではなかった。我々はずっと、それを食べていた。我々が「忘れた」とすれば、それは比較的最近の話なのである。

第二部:文字に残された五〇〇〇年——古代文明と昆虫食

2-1. メソポタミアと近東——文字記録の始まり

「昆虫食(entomophagy)」という言葉は、ギリシャ語のἔντομον(éntomon、昆虫)とφαγεῖν(phagein、食べる)に由来する。この語自体は近代の造語であるが、その指す行為そのものは、人類の最古の文字記録と同じくらい古い。

近東および中国における昆虫食の最初の文字証拠は、紀元前二〇〇〇年から一〇〇〇年頃に遡る。アッシリア帝国の首都ニネベ(現在のイラク北部)の遺跡から出土した宮殿の浮彫りには、給仕たちが串に刺したイナゴを王セナケリブの食卓に運ぶ様子が描かれている。これは紀元前七世紀のもので、当時のメソポタミア王宮で、イナゴが贅沢な食材として供されていたことを示している。

聖書のなかにも、近東世界の昆虫食文化が反映されている。『出エジプト記』には、エジプトに降り注いだ十の災いのひとつとして、地を覆い尽くすイナゴの大群が登場する。それは恐怖の対象であったが、同時に食料でもあった。『レビ記』第一一章二〇節から二三節は、こう規定する。羽のあって四つ足で歩く飛ぶ虫は忌むべきものである、と。しかし続けて、こう例外を設ける——「跳び脚を持つもの」、つまりイナゴ、ハゲイナゴ、コオロギ、バッタの類は、食べてもよい。

なぜこの例外なのか。考えられる理由は単純である。それらは、近東地域に大群で発生し、効率よく捕獲でき、しかも蛋白源として極めて優れていたからだ。紀元前の人々は、栄養学を知らなくとも、経験的にイナゴの栄養価を理解していた。それは食料安全保障の文脈で「神に許された蛋白源」として制度化されたのである。

2-2. アリストテレスのセミ——古代ギリシャの昆虫食論

紀元前四世紀、ギリシャの哲学者アリストテレスは、生物学の祖と呼ぶに足る著作『動物誌(Historia Animalium)』を書いた。そのなかには、昆虫食に関する驚くほど具体的な記述がある。

アリストテレスは、セミ(テッティクス、tettix)について論じる際、こう述べている——セミの幼虫は、地中で十分に成長して殻が破れる前の段階こそが、最も美味である、と。さらに成虫については、初め雄が美味だが、交尾の後は卵を抱えた雌のほうが好まれる、と細かい食味論を展開する。

これは、アリストテレスが単なる学者として観察したのではなく、自らも好んでセミを食していたことを強く示唆する。ギリシャの古典学者アンドリュー・ダルビーは「セミはローマよりもギリシャでよく知られた食材であった」と論じ、煮たセミは膀胱の不調の治療にも用いられたと記している。

プラトンの対話篇『パイドロス』には、ソクラテスとパイドロスが川辺で対話する場面が描かれる。そこでは木陰のセミの合唱が、対話を彩る音楽的モチーフとして機能する。セミはギリシャ文化において、復活と不死の象徴であり、アポロ神に捧げられた聖なる生き物であった。それを食すことは、決して野蛮な行為ではなく、自然との濃密な交わりとして肯定されていたのである。

2-3. 古代ローマの「コッスス」——貴族の珍味

古代ローマにおいては、昆虫食はさらに洗練されたかたちで展開した。プリニウス(大プリニウス、紀元二三/二四年〜七九年)の『博物誌(Historia Naturalis)』には、ローマの貴族たちが「コッスス(cossus)」と呼ばれる虫を珍味として愛したという記述がある。

このコッススは、樹木——特にオークの幹のなかに住む大型甲虫の幼虫である。研究者によって、これがクワガタ(Lucanus cervus)の幼虫なのか、カミキリムシ(Prionus coriarius)の幼虫なのか、あるいはボクトウガの幼虫なのかについては議論があるが、いずれにせよ、木質に潜む大型の幼虫であったことは確かである。

驚くべきことに、ローマの食通たちはこの幼虫を「肥育」していたのである。プリニウスは、コッススを小麦粉と——時にはワインと——共に瓶に入れ、太らせたうえで食卓に供したと記している。これは事実上、人類史における「昆虫養殖」の最古の記録のひとつである。二〇二一年に「ミルワーム粉末」をEUが新規食品として承認したとき、それを驚きをもって迎えたヨーロッパ世論は、自分たちの祖先が二〇〇〇年前にすでに同じ甲虫の幼虫を肥育していたことを、ほとんど忘れていたわけである。

ローマの自然学者アエリアヌス(紀元二〜三世紀)もまた、『動物の性質について(De Natura Animalium)』のなかで、イナゴの食習慣を詳述している。当時の中東地域では、イナゴは大きな網で捕獲され、ローストするか茹でて食された。羽と脚を除き、頭と胴体を別々に食べたという。その味は「魚に少し似ているが、より旨い」と表現されている。

2-4. 中国——食用と薬用の融合

中国における昆虫食もまた、極めて古い起源を持つ。前述したように山西省の遺跡では紀元前二五〇〇年頃のカイコの繭が食用とされた痕跡が見つかっているが、文字記録もそれに遅れることはない。

唐代(六一八〜九〇七年)の料理書には、スズメバチの幼虫や蛹を用いた料理法が記載されている。中国の漢方医学においても、昆虫は重要な薬物として位置づけられた。冬虫夏草(コウモリガの幼虫に寄生するキノコ)、蝉退(セミの抜け殻)、桑螵蛸(カマキリの卵嚢)など、現代でも漢方薬店で売られる素材の多くは、本来「虫」を出発点としている。

中国においては「食」と「薬」のあいだに明確な境界はなかった。だから昆虫は、ある時は珍味として、ある時は治療薬として、絶え間なく食されたのである。

2-5. メソアメリカ——昆虫食の楽園

世界の昆虫食地図を眺めるとき、最も豊穣な伝統を持つ地域のひとつが、メソアメリカ——とりわけメキシコである。今日でもメキシコでは推定四五〇種以上の昆虫が食用とされており、これは世界最多の数字である。

スペイン人到来以前のアステカ文明では、すでに様々な昆虫が食卓に上がっていた。「エスカモレス(escamoles)」と呼ばれるオオアリの卵——「メキシコのキャビア」とも称される——は、リュウゼツラン(アガベ)の根元から採集され、バターと共に炒められた。これは王侯貴族の供物としても扱われた、極めて格付けの高い食材だった。

オアハカ地方の「チャプリネス(chapulines)」——コマル(鉄板)で炒り、ライム汁とチリで味付けしたバッタ——は、現在もタコスや酒のつまみとして広く愛されている。アガベ虫(メスカルの瓶に入っている虫)も、メキシコ料理における伝統的な食材である。

メキシコ南東部チアパス地方では、なんと二七種ものイモムシが食されると報告されている。アステカ文明が栄えていた頃から続くこの食文化は、スペインの植民地化を経て、教会による「異教の食」としての抑圧を受けながらも、しぶとく生き残った。今日、オアハカ料理は世界遺産級のガストロノミーとして国際的に評価されているが、その中核には昆虫食が脈々と生きているのである。

2-6. 古代日本——イナゴの記録

日本における昆虫食の歴史も、決して浅くはない。縄文時代の遺物の調査からは、縄文人が昆虫を食していた可能性が指摘されている。確実な文字記録としては、平安時代に編纂された日本現存最古の薬物辞典『本草和名(ほんぞうわみょう)』の中に、イナゴを食していたことを示す記述が現れる。

中国から伝わった漢方薬には昆虫が用いられることが多かったから、日本においても薬用としては多種多様な昆虫が利用されていたと考えられる。稲作の伝来とともに、稲の害虫であるイナゴを「害虫防除」と「栄養補給」という一石二鳥の目的で食用化する習慣も定着した。日本の昆虫食は、農業生態系のなかにビルトインされた、極めて合理的なシステムとして発展したのである。

このように、紀元前から紀元後数世紀にかけて、人類の主要な文明圏——メソポタミア、ギリシャ・ローマ、中国、メソアメリカ、そして東アジア——のいずれにおいても、昆虫食は確固たる位置を占めていた。それは原始的でも例外的でもなく、文明と並走する、ごく一般的な食習慣だったのである。

第三部:中世から近世まで——昆虫食の継続と変容

3-1. ヨーロッパ中世——熱帯への退行

紀元一世紀以降のヨーロッパでは、興味深い変化が起こり始める。それまで地中海世界の食卓に普通に上がっていた昆虫が、徐々に「貧困の食物」あるいは「異教的なもの」として位置付けられるようになっていったのである。キリスト教的な食の規範のなかで、「清潔/不浄」の二分法が強まり、地を這う生物への忌避が制度化された。中世以降、ヨーロッパにおける昆虫食は、主として熱帯地域に限定される地域的現象となっていく。

ただし、これも単純な「消滅」ではなかった。ルネサンス期になると、イナゴやセミは「健康的で栄養豊富な食物」として、再評価される動きも見られた。トルコをはじめとする東方諸国の人々がイナゴやバッタを食すという情報は、博物学者たちのあいだで知られ、また様々な疾病の治療薬としても利用された。

3-2. 中世日本——イナゴ食の定着

ヨーロッパで昆虫食が衰退傾向を見せた頃、日本では逆に昆虫食が地域社会に深く根を下ろしていく。江戸時代になると、イナゴ食は完全に庶民の食文化の一部として定着した。

喜田川守貞が著した『守貞謾稿』(一八三七年から書き継がれた当時の風俗誌の決定版)には、「螽蒲燒賣(イナゴの蒲焼売り)」の項目があり、イナゴを串に刺して蒲焼にして売り歩く露店商人が描かれている。江戸時代の人々はイナゴだけでなく、ゲンゴロウ、タガメ、各種の幼虫——カミキリムシの幼虫(柳の虫)、ボクトウガの幼虫、ブドウスカシ——なども食していた。蜂の幼虫、すなわち「蜂の子」は、特に山間部で珍重された。

調理法も多様だった。揚げる、茹でる、佃煮にする、串焼きにする。とりわけ佃煮——醤油と砂糖で煮詰める保存食——は、イナゴの素朴な風味を最大限に引き出す調理法として、現代まで受け継がれている。

3-3. 信州・伊那谷——日本昆虫食文化の聖地

長野県南部の伊那谷(いなだに)——天竜川に沿って南北に伸びる盆地一帯——は、日本における昆虫食文化の事実上の中心地である。海に面しない内陸部であるこの地域では、海産物が乏しく、貴重な動物性タンパク質源として昆虫食が発達した。

伊那谷では今でも、四つの代表的な昆虫食材が伝統食として生き残っている。まず「イナゴ」——コバネイナゴ(Oxya yezoensis)を水田で手作業で集め、佃煮にする。捕獲には高度な技術や道具を要さず、子供たちが遊びを兼ねて捕獲することも多かった。次に「蜂の子」——クロスズメバチ(Vespula flaviceps)の幼虫を、甘露煮や炊き込みご飯にする。長野県では「蜂追い(すがれ追い)」という伝統的な捕獲方法が今も残る。森林内に餌を仕掛けてクロスズメバチをおびき寄せ、細い赤い糸を付けた餌を持ち帰らせ、その後を追跡して地中の巣を探し出すという、極めて高度な漁猟技法である。

三つ目は「カイコ(蚕)の蛹」——絹を取った後の副産物として利用される。製糸業が盛んだった時代、伊那谷でも、信州各地で大量のカイコ蛹が食用とされた。そして四つ目が「ざざむし」——天竜川の清流に棲むトビケラなどの川虫の幼虫である。これは伊那谷以外ではほとんど食されない、極めて地域特異的な食材だ。寒の時期に川の浅瀬を踏んで虫を網に追い込む「踏み漁」によって獲られ、佃煮や唐揚げにして食される。

3-4. 三宅恒方の調査——大正期の昆虫食地図

日本における昆虫食の全国的調査として最も重要なのは、大正時代に昆虫学者・三宅恒方によって行われた「食用乃薬用昆虫に関する調査」である。この調査では、当時日本で食用とされていた昆虫が約五五種にのぼることが報告された。

この数字は驚くべきものである。世界最大の食用昆虫種数を誇るメキシコの約四五〇種には遠く及ばないにせよ、北海道から沖縄まで、地域ごとに固有の昆虫食文化が成立していたことを示している。

ところが第二次大戦直後の調査では、食用とされる昆虫は約二〇種にまで減少していた。わずか三〇年ほどの間に、半分以上の食用昆虫種が日常の食卓から姿を消してしまったのである。これは、明治以降の急速な欧米化と、戦後の食生活の劇的な変化が、日本の昆虫食文化に致命的な打撃を与えたことを物語っている。

3-5. 朝鮮半島の「ポンテギ」——絹産業の副産物文化

日本と同じく東アジアの絹産業国家であった朝鮮半島では、カイコの蛹を食する「ポンテギ(번데기)」の文化が発達した。

ポンテギは、文字通り「蛹」を意味する韓国語である。蒸すか茹でたカイコの蛹を、紙コップに入れ、楊枝を刺して食べるストリートフードだ。香りは「ナッツのようで、エビにも似て、缶詰のコーンのような匂い」と表現される。食感はしっかりとして弾力があり、噛むと独特の汁が口に広がる。

韓国における養蚕業は四〇〇〇年もの歴史を持つが、ポンテギ食が広く一般化したのは、製糸過程の副産物である蛹が大量に発生する養蚕地域においてだった。朝鮮戦争(一九五〇〜五三年)とその後の戦後の貧困期(一九六〇〜七〇年代)には、安価で栄養価の高いタンパク源として、ポンテギは韓国社会に深く浸透した。現在もスーパーマーケットの缶詰コーナーで、ポンテギ缶を見かけることができる。また「ポンテギタン」というスープ形式でも食され、屋台のお酒のつまみ(アンジュ)として愛されている。

ポンテギは、世代を超えて評価が分かれる食材である。高齢世代にとっては郷愁の食材であり、若い世代にとっては「臭くて食べられない」と敬遠されることも多い。ここに、近代化が昆虫食に与えた両義的な作用が、最も鮮明な形で表れている。

3-6. ヨーロッパの蜂蜜採集と「半養殖」

ヨーロッパで「直接に虫を食う」という習慣が減衰した中世から近世にかけても、「虫由来の食品を食う」という形での昆虫との関わりは、決して途絶えなかった。その典型が、養蜂である。

蜂蜜と蜂蝋は、ヨーロッパ中世社会において極めて重要な物資だった。砂糖の普及以前、蜂蜜はほとんど唯一の甘味料であり、蝋は灯火・印璽・薬の基剤として不可欠だった。修道院は中世ヨーロッパにおける養蜂技術の中心地であり、ハチの群れを管理する高度な技術が発達した。

ハチそのものを食べることはなくとも、ハチが作り出す物質を高度に利用していた——これは「半昆虫食」とでも呼ぶべき関係性である。同様の関係は、コチニール(カイガラムシから作られる赤色染料・食品着色料)、ラックカイガラムシ(樹脂・染料)、絹(カイコ)など、世界中で見られた。我々は、食材としては「忘れた」かもしれないが、物質生産の媒介者としては、虫を一度も手放してこなかったのである。

第四部:近代化と「昆虫食の忘却」——なぜ西洋世界はそれを失ったか

4-1. 産業革命と食の標準化

一九世紀以降の産業革命は、人類の食生活を根本から変えた。鉄道による食料の長距離輸送、冷凍技術、缶詰、化学肥料、工場式畜産——これらの技術革新は、食料の生産と流通を空前の規模で工業化した。

この大変革のなかで、昆虫食は決定的な位置を失う。なぜか。理由は複数ある。

第一に、工業化された畜産が、安価で大量の動物性タンパク質を提供できるようになった。鶏、豚、牛が大量生産されるようになると、食料供給における昆虫の重要性は相対的に低下した。

第二に、農薬の登場である。二〇世紀後半、合成農薬が大規模に使用されるようになると、田畑からイナゴをはじめとする食用昆虫が激減した。同時に、農薬汚染された昆虫を食べることは健康リスクともなった。日本の伊那谷でも、戦後の農薬使用量増加と共に、イナゴの個体数は大きく減少した。

第三に、「文明化」のレトリックである。一九世紀の西洋人類学・植民地主義の文脈において、「虫を食う民族」は「未開」「野蛮」と分類された。西洋諸国の植民地化を受けた地域の支配層は、しばしば伝統的な昆虫食を「恥ずべき食」として捨て、ヨーロッパ式の食事を模倣することで「文明化」を演出した。日本においても、明治以降の急速な欧米化は、昆虫食を「田舎の風習」「下層階級の食物」として周縁化していった。

4-2. 衛生概念の革命

第四の、そしておそらく最も決定的な要因は、衛生概念の革命である。

一九世紀後半、ルイ・パスツールやロベルト・コッホらによる細菌説の確立は、人類の世界観を一変させた。それまで「瘴気(しょうき)」や「悪い空気」によるとされていた病気が、目に見えない微生物——細菌、ウイルス、寄生虫——によって引き起こされることが分かった。

これに連動して、ハエ、ゴキブリ、ノミ、シラミ、蚊といった昆虫が、病気の媒介者として「不衛生」のシンボルとして社会的に定着していった。マラリア、デング熱、ペスト、チフス、コレラ——多くの感染症が昆虫媒介あるいは衛生環境と関連付けられ、「虫=病気」という認知的連合が強固に形成された。

これは生物学的には正しい理解である。しかし問題は、この連合が「ある特定の害虫」を超えて「昆虫一般」に過剰般化されたことである。バッタも、コオロギも、カミキリムシの幼虫も、ハエやゴキブリと「同じ虫」というカテゴリーに括られ、まとめて「不潔なもの」として処理されるようになった。

養殖された清潔なイエコオロギが、便所のゴキブリと栄養学的に同等であるかのように扱われる現代の認識は、この一九世紀的な衛生観念のシンプル化の延長線上にある。

4-3. 都市化と「自然との距離」

第五の要因として、都市化を挙げないわけにはいかない。

二〇二一年に発表された「都市化—嫌悪仮説(urbanization–disgust hypothesis)」を検証する研究は、日本国内で約一万三〇〇〇人を対象に大規模調査を実施した。その結果、都市化のレベルが高い地域に住む人ほど、昆虫に対する嫌悪感が強いことが統計的に確認された。

研究者たちは、その理由を二つの経路で説明する。第一に、都市化は「人が屋内で虫を見る機会」を増やす。屋外で見るバッタは「自然の一部」と認知されるが、屋内で見るゴキブリやハエは「侵入者」「病原体運搬者」として認知される。だから、屋内で見られる虫は屋外で見られる虫よりも強い嫌悪を引き起こす。

第二に、都市化は人々の「自然史的知識」を低下させる。田舎で育った人は、無害なバッタと危険なスズメバチを区別できる。しかし都市で育った人は、両者を一緒くたに「虫」として恐れる傾向がある。知識の欠落は、嫌悪の対象を不必要に拡大させるのである。

この発見は、極めて重要な示唆を含んでいる。なぜなら、世界の人口の急速な都市化(二〇五〇年には世界人口の七割近くが都市に住むと予測される)は、嫌悪反応をさらに広範化させることを意味するからだ。皮肉なことに、未来において昆虫タンパク質が必要となる時代——人口爆発と気候変動が食料安全保障を脅かす時代——のまさにその時、人々は最も虫を「嫌悪」する条件のもとで生活していることになる。

4-4. 第二次大戦と日本の昆虫食衰退

日本における昆虫食の衰退は、戦時中・戦後に一度逆説的な「ピーク」を迎えた後、急激に進行した。

戦時中および終戦直後の食糧難の時代、イナゴはまさに「お腹を満たし生きるのに必要な栄養をとる」ための切実な食物だった。多くの日本人にとって、イナゴ食は飢餓の記憶と結びついていた。戦中・戦後の困窮を象徴する「貧者の食」というイメージが、ここで深く刻み込まれた。

その後の高度経済成長と共に、食卓は劇的に豊かになり、肉、魚、卵、乳製品が安価に手に入るようになった。すると人々は、競うようにして「貧しさの象徴」だった食を捨て、「豊かさの象徴」である西洋的な食を採用した。

これは、心理学的には完全に理解できる動きである。社会的階層を上昇したい人ほど、下位階層が食べていた食物を避ける傾向がある。新興のミドルクラスは、農村の食を捨て、都市の洗練された食を採用する。日本の昆虫食衰退は、単なる味覚の変化ではなく、社会階層と食のアイデンティティの問題でもあったのだ。

その結果、戦後数十年で、日本の昆虫食は長野・岐阜などごく一部の山間部に縮退した。「我々はかつて昆虫食大国であった」という事実そのものが、多くの日本人の記憶から消えていったのである。

第五部:現代世界の昆虫食地図——二〇億人がそれを食べている

5-1. 世界の昆虫食人口

二〇一三年、国連食糧農業機関(FAO)が発表した報告書『Edible insects: future prospects for food and feed security(食用昆虫——食料・飼料安全保障の将来展望)』は、現代世界における昆虫食の規模を初めて体系的に整理した画期的な文書である。

その推計によれば、世界で約二〇億人が昆虫を伝統的食生活の一部としている。記録されている食用昆虫種は一九〇〇種を超える。世界一九五カ国のうち、約八〇パーセントの国で何らかの形で昆虫が食用とされている。

最もよく食される昆虫目(もく)は、甲虫類(コウチュウ目、約三一パーセント)、毛虫類(チョウ目、約一八パーセント)、ハチ・スズメバチ・アリ類(ハチ目、約一四パーセント)、バッタ・コオロギ・キリギリス類(バッタ目、約一三パーセント)と続く。地理的には、サハラ以南アフリカ、東南アジア、中南米が三大食用昆虫文化圏を形成している。

5-2. 東南アジア——タイ、世界最大の昆虫食市場

東南アジアは、昆虫食において世界的に最も活発な地域である。なかでもタイは「世界の昆虫食首都」と呼ぶに足る規模を誇っている。

タイにおける主要な食用昆虫は、コオロギ、バッタ、カイコの蛹、竹虫(タケツトガの幼虫)、ヤシオオオサゾウムシ、赤蟻、タガメ、セミなど多岐にわたる。バンコクのストリートフードの屋台では、油で揚げて塩や唐辛子で味付けした昆虫が、コンビニのスナックと同じくらい当たり前に売られている。

タイの昆虫食産業の特徴は、養殖の発達である。コオロギの養殖は産業化されており、二万を超える農家がコオロギ養殖に従事していると報告されている。これは、伝統的な野生採集の昆虫食を、現代の食料供給システムへとシームレスに接続した稀有な事例である。

5-3. アフリカ——モパネワームとシロアリ

アフリカ大陸では、特にサハラ以南の地域で広範囲に昆虫食が行われている。コンゴ民主共和国、ジンバブエ、南アフリカ、ボツワナ、ナミビア、ウガンダ、ナイジェリア、カメルーン、ケニア、ザンビア、マラウイ、ルワンダなど、数えきれない国々で食用昆虫は日常の食卓に上がる。

最も経済的に重要な食用昆虫は、間違いなく「モパネワーム(Gonimbrasia belina)」である。これは「ワーム」と呼ばれるが、実際にはヤママユガ科の蛾の幼虫である。モパネの木の葉を食べて育つこの幼虫は、南部アフリカに広く分布し、ンデベレ語で「アマツィンビ」、ツワナ語で「ディファネ」など、地域言語ごとに固有の名前を持っている。

モパネワームは、栄養学的に驚異的である。乾燥モパネワーム一〇〇グラム中に約三五グラムのタンパク質を含む——これはサーロインステーキ(牛肉、約二〇グラム)や鶏胸肉(約二一・五グラム)を上回る。鉄分含量はさらに圧倒的で、一〇〇グラム中五一ミリグラム——牛肉の三・一ミリグラム、鶏胸肉の〇・四ミリグラムと比べて遥かに高い。

毎年南部アフリカで約九五億匹のモパネワームが収穫され、その経済規模は約八五〇〇万ドルに達するとされる。南アフリカからジンバブエ、ボツワナ、ナミビアにかけての国境を越えた取引も活発で、年間五〇〇〇万ドル超の規模に上るという推計もある。雨期の到来とともに虫が大発生する数週間の収穫期には、家族総出で森に入り、テントを張って集中的に採集を行う——これは、単なる食物獲得ではなく、年に一度の社会的・文化的祝祭でもある。

シロアリ(特に女王アリ)もまた、アフリカ全土で広く食される。雨期に巣を飛び出す有翅シロアリは、夕暮れ時に光に集まったところを大量に捕獲され、フライパンで炒められる。香ばしくて脂質に富む、栄養価の高い「贈り物」である。ヤシオオオサゾウムシの幼虫——西アフリカでは珍味中の珍味とされる——も、油の豊富さから特に評価が高い。

5-4. メキシコと中南米——五〇〇種の食卓

前述の通り、メキシコは世界最多の食用昆虫種を持つ国である。約四五〇種という数字は、長く独自の食文化を発展させてきた結果である。

オアハカのチャプリネス、エスカモレス、アガベ虫、それに「アウアウトレ(ahuahutle)」——七種類の半翅目・同翅目昆虫の卵から作られる「メキシコ式キャビア」——など、その多様性は驚異的である。チアパス地方では二七種類のイモムシが食され、ハチ目に属する六七種の昆虫もそこに加わる。葉切りアリ(Atta属)の女王アリは、二つの種が商業化されている。

中南米全体に目を向ければ、ブラジルで約一四〇種、コロンビア、ペルー、エクアドルでも様々な昆虫食文化が存在する。これらはいずれも、植民地化以前の先住民文化に深く根差している。

5-5. 中国——伝統と新興産業

中国における食用昆虫種は、報告によれば約二三五種に達する。これも世界有数の数字である。中国南部の市場では、サソリの揚げ物(厳密にはサソリは昆虫ではないが食文化的には連続している)、ジャンボセミの揚げ物、カイコ蛹、コオロギなどが日常的に売られている。

近年、中国では昆虫養殖の産業化が急速に進んでいる。山東省を中心に、コオロギ、ミルワーム、アメリカミズアブの大規模養殖場が設立されている。これらは食用、飼料用、そして輸出向けの粉末プロテインとして、世界市場に供給されている。

5-6. 日本の現状——伊那谷を守る人々

現代の日本において、商業的に流通している昆虫食材としては、長野県を中心とした地域の「イナゴの佃煮」「ハチの子の甘露煮」「ざざむしの佃煮」が代表である。これらは郷土料理として、観光客向けの土産物としても販売されている。

加えて二〇二〇年代に入って、新たな動きが出てきた。コオロギを粉末化して食品に練り込む「コオロギフード」のスタートアップが複数立ち上がっている。無印良品が「コオロギせんべい」を発売したのは二〇二〇年。徳島県の食品ベンチャーが学校給食でコオロギパウダーを使った試食を提供したのは二〇二二年から二〇二三年。敷島製パンが「Korogi Café」シリーズを展開したのも同時期である。

これらの動きは、単純に伝統的な昆虫食を復活させようとするものではなく、新規食材としての昆虫を、現代の食品工業の文脈に組み入れようとする試みである。その意味で、これは「昆虫食の復興」というよりも「新規食料源の探索」と呼ぶべきかもしれない。そして、ここに二〇二三年の大バッシングが結びついていく。

第六部:なぜ我々は虫を「気持ち悪い」と感じるのか——進化心理学の解剖

6-1. 嫌悪(disgust)の科学——ポール・ロジンの仕事

「虫を食べる」という想念に対して我々の多くが感じる強烈な拒否反応——これを進化心理学では「嫌悪(disgust)」と呼ぶ。嫌悪研究の世界的権威であるペンシルベニア大学のポール・ロジン教授は、一九六〇年代以降、半世紀以上にわたってこの感情を研究してきた。

ロジンの定義によれば、嫌悪とは「ある対象を口に取り入れることへの強い拒絶反応」である。この対象は「汚染特性(contamination properties)」を持つ——つまり、他の食品にほんの一瞬触れただけで、その食品全体を「食べられないもの」にしてしまう、という性質である。

例えば、ジュースのなかにゴキブリが入っていたとして、そのゴキブリを取り出した後でも、多くの人はそのジュースを飲もうとしない。ロジンの実験は、この現象が文化や年齢を超えて広く観察されることを示した。重要なのは——これは「合理的な衛生判断」ではない。ゴキブリは数秒で除去でき、ジュースには細菌的にも化学的にも問題がない。それでもなお、人は飲めないのである。

ロジンは、この現象を「魔術的思考(magical thinking)」と呼ぶ。「接触の法則(law of contagion)」——一度汚染されたものは、たとえ物理的に分離されても汚染が残る——と「類似の法則(law of similarity)」——形が似ていれば本質も似ている——が、嫌悪反応の中核にある。

興味深いのは、子供にはこの汚染感覚が乏しいことだ。ロジンの実験では、ゴキブリの入っていたジュースを子供は平気で飲むことが多い。汚染感覚は、生まれ持ったものというより、生後八年ほどかけて文化的に習得されるものらしい。つまり、嫌悪は本能であると同時に、文化的に形作られた感情でもあるのだ。

6-2. 行動免疫システム理論

進化心理学のもうひとつの重要な概念が、心理学者マーク・シャラーが提唱した「行動免疫システム(behavioral immune system, BIS)」である。

生物学的免疫システム——白血球や抗体——は、体内に侵入した病原体を排除する。しかし、生物学的免疫を動員するのはエネルギー的に高コストである。だから進化は、もっと安価な「最初の防衛線」を作った。それが、心理的・行動的な病原体回避システムである。

行動免疫システムは、環境中の病原体の存在を示唆する手がかりを検知し、感情的・認知的な抗病原体反応を引き起こし、行動的な回避——「近づかない」「食べない」「触らない」——を促す。腐った匂い、変色した食物、皮膚の発疹、体液の漏出——これらは病原体の存在を示唆する典型的なシグナルである。我々はそれらに対して、嫌悪と回避反応を、ほぼ自動的に示す。

なぜ我々は虫に嫌悪を感じるのか——進化心理学の答えは明確である。虫は病原体の典型的な「指標」だからだ。死体に湧くウジ、腐敗物に集まるハエ、糞便を運ぶゴキブリ——昆虫は、人類の進化史を通じて、腐敗・死・排泄物・病気との連合を強く持ってきた。

二〇二一年に日本で実施された大規模オンライン調査(一万三〇〇〇人)は、「行動免疫システムによる嫌悪反応が、現代の昆虫嫌悪の根底にある」ことを実証した。重要なのは、この嫌悪反応は環境のなかで「拡張・誇張」されるという点である。都市化が進み、行動免疫システムが反応する手がかりが屋内に増えると、嫌悪の対象範囲も拡大する。

6-3. エラー管理理論——なぜ過剰反応は適応的か

進化心理学のもうひとつの重要な理論が「エラー管理理論(Error Management Theory, EMT)」である。これは、判断ミスのコストが非対称的な場合、心理的メカニズムは予測可能な形で「バイアス」を持つように設計されている、という理論である。

虫を例に取ろう。判断には二種類のエラーがありうる:

  • タイプI(偽陽性)エラー——本当は安全な虫を「危険」と誤判断する。コスト:食料機会の損失。

  • タイプII(偽陰性)エラー——本当は危険な虫を「安全」と誤判断する。コスト:病気、寄生虫感染、最悪の場合は死。

進化的に見れば、タイプIIのコストはタイプIのコストよりはるかに大きい。だから自然選択は、虫に対して「過剰に反応する」方向にバイアスをかけてきた。我々の祖先のうち、虫に強い嫌悪を示した個体は、たまに食料機会を逃したかもしれないが、感染症で死ぬリスクを大幅に下げた。だから生き残り、子孫を残した。

「嫌悪は非合理ではない」——進化心理学者ジェフリー・ロックウッドの言葉を借りれば、それは「最も恐れた者の生き残り(survival of the scaredest)」の結果なのだ。

しかしここに、現代の問題がある。我々の心は、洞窟住居の祖先たちの生存環境に最適化されており、清潔な養殖施設で育てられたイエコオロギを評価するようには作られていない。我々の嫌悪反応は、現代の食品衛生の現実に対して、過剰に作動するのである。

6-4. 食物新奇恐怖(food neophobia)——「未知のもの」への警戒

嫌悪と並んで、昆虫食を阻む心理学的要因として「食物新奇恐怖(food neophobia)」がある。これは、新規な・未知の食物に対する恐怖や回避傾向である。

食物新奇恐怖もまた、適応的な意味を持つ。狩猟採集生活では、未知の食物を試すことは、栄養機会の発見につながる一方で、毒物による中毒リスクも伴う。だから人類は、子供時代——母乳から離乳食、そして家族の食物へと移行する時期——には新しい食を積極的に受け入れる「ネオフィリア(neophilia、新奇愛好)」傾向を持つ一方で、年齢を重ねるにつれて「ネオフォビア(neophobia、新奇恐怖)」が強くなる傾向を持っている。

アメリカの研究によれば、新しい食文化を受け入れやすい年齢——ネオフィリアが強い年齢——は約七歳までである。それを過ぎると、新たな食を試すことは「不要なリスク」として処理される傾向が強くなる。

これは、なぜ昆虫食を子供時代に経験した世代と、そうでない世代との間で、受容度が大きく異なるかを説明する。長野県伊那谷の高齢世代がイナゴを当たり前に食べ、彼らの孫世代はそれを敬遠する——この世代間ギャップは、単なる世代差というより、食物新奇恐怖の発達タイミングの問題でもあるのだ。

6-5. 認知的同化のメカニズム——なぜ「粉末」なら受け入れやすいのか

昆虫食産業が、コオロギを「粉末化」して既存の食品に練り込む戦略を取っているのには、明確な心理学的根拠がある。

研究によれば、消費者の昆虫食受容度を左右する主要因のひとつは「視覚的可視性(visibility)」である。虫の形がそのまま見える食品は受容されにくく、加工されて元の形が分からなくなった食品は受容されやすい。

これは、嫌悪が「形」「動き」「触感」といった具体的な感覚手がかりに強く依存するからだ。コオロギを粉末化することで、これらの手がかりは消失する。一方で、栄養成分は保持される。だからコオロギせんべいやコオロギパンは、消費者の嫌悪反応を回避しつつ、栄養と環境負荷低減のメリットを訴求できる——理屈の上では、そうである。

ただし、ここにジレンマがある。「虫が入っていることが分からないようにする」というアプローチは、消費者の自己決定権を侵害しかねない。EU の規制が「昆虫由来であることを必ずラベル表示せよ」と義務付けているのは、まさにこの問題を踏まえてのことだ。匿名化(虫の姿を隠す)は心理的受容を促すが、透明性(虫由来であることを開示する)は信頼を維持する——この二つの原理は、しばしば対立する。

6-6. ロックウッドの「昆虫恐怖症」研究

進化心理学者ジェフリー・ロックウッドの著書『Insectopedia』をはじめとする研究は、人間の「昆虫恐怖症(entomophobia)」が、なぜ他の動物(例えば爬虫類)への恐怖と質的に異なる強度を持つかを論じている。

ロックウッドの主張のひとつは、興味深い。彼によれば、人間が昆虫を特に恐れるのは——昆虫だけが「身体の侵入者」になりうる動物だからである。蛇は咬むが、皮膚の上で完結する。猛獣は襲うが、外部から襲う。ところが昆虫は、耳に入る、皮膚の下に潜る、鼻から侵入する、口から呑み込まれる——「身体の境界を越えてくる」生き物なのだ。

映画『エイリアン』や『ディストリクト9』が、虫的なクリーチャーを「侵入者」として描くのは偶然ではない。「身体の侵入」という根源的恐怖は、虫的フォルムに深く結びついている。「虫を食べる」ということは、その侵入を自ら歓迎するという、ある意味で究極のタブー破りを意味するのだ。

第七部:栄養学の真実——コオロギは本当に「優れた」食品か

7-1. タンパク質含量——肉類と比べた絶対値

昆虫食を推進する論者がまず強調するのが、その圧倒的な栄養価である。客観的なデータを見てみよう。

イエコオロギ(Acheta domesticus)の場合、乾物(水分を除いた状態)一〇〇グラム当たり約六〇〜七〇グラムのタンパク質を含む。研究によって数値は変動するが、平均的には六五グラム前後とされる。これは、牛肉(生肉での約二〇パーセント、乾物換算で五五〜六〇パーセント)や鶏肉と比べて、決して劣るものではない。

ミルワーム(Tenebrio molitor、コクヌストモドキの幼虫)の場合、乾物一〇〇グラム当たり約七四グラムのタンパク質を含む——これは、コオロギを上回る数字である。トノサマバッタ(Locusta migratoria、移動性のイナゴ)も、乾物約六七〜七二グラムのタンパク質含量を持つ。

ただし、ここには注意が必要である。これらの数値は「乾物」での比較である。生のままでは、昆虫は水分を多く含むため、絶対的なタンパク質量は鶏肉や牛肉と同等程度である。「乾物換算でコオロギは牛肉の三倍のタンパク質」といった主張は、しばしば「乾燥していない牛肉と乾燥したコオロギ」を比較した不公平な数字なので、注意が必要だ。

7-2. アミノ酸スコアと DIAAS

タンパク質の「量」だけでなく「質」も重要である。栄養学では、必須アミノ酸のバランスを評価する指標として「DIAAS(消化可能必須アミノ酸スコア)」が用いられる。これは、人体の必須アミノ酸需要に対して、その食品がどれだけ満たせるかを評価する。

二〇二四年に発表された研究によれば、イエコオロギの DIAAS は約九六・六パーセント、トノサマバッタが約八九・七パーセント、ミルワームが約一〇三・三パーセント——いずれも「優良なタンパク質」と評価される水準である。一〇〇パーセントを超えるミルワームは、特に高評価のタンパク質源と言える。

特筆すべきは、ロイシンの含量が高いことだ。ロイシンは筋タンパク質合成を促進する必須アミノ酸で、運動後の回復に重要な役割を果たす。プロテインバーなど、アスリート向け食品に昆虫由来タンパクを使う動きは、この栄養特性に基づいている。

7-3. 微量栄養素——鉄、亜鉛、B12

タンパク質以上に、昆虫が栄養学的にユニークな貢献をするのは、微量栄養素においてかもしれない。

特に鉄分含量は注目に値する。前述の通り、乾燥モパネワームは一〇〇グラム中約五一ミリグラムの鉄を含む——これは牛肉の十数倍である。コオロギも、一〇〇グラム中五〜九ミリグラムの鉄を含み、多くの肉類より優れている。世界の発展途上国では鉄欠乏性貧血が依然として主要な公衆衛生問題であり、ここに昆虫タンパクの実用的意義がある。

亜鉛も同様に豊富である。マグネシウム、リン、銅、マンガン、セレン、ビタミンB2(リボフラビン)、ビタミンB12——これらも昆虫から摂取できる。ただし、注意すべきはビタミンB12についてだ。多くの昆虫種では、ビタミンB12 含量は一〇〇グラム当たり一マイクログラム未満であり、牛肉(一・四マイクログラム)には及ばない。「植物性食品にビタミンB12 はないので昆虫食で補える」という主張は、種によっては必ずしも正確ではない。

7-4. 脂質——オメガ3とオメガ6

昆虫の脂質含量と脂肪酸組成も、栄養学的に重要な論点である。

研究によれば、コオロギは飽和脂肪酸を全脂肪酸の約四〇パーセント含み、これは比較的高い数値である。一方、ミルワームは飽和脂肪酸を約二四・七パーセントしか含まず、不飽和脂肪酸の比率が高い。

特に興味深いのは、コオロギの脂肪のなかにEPA(エイコサペンタエン酸)とDHA(ドコサヘキサエン酸)——魚油に含まれる重要なオメガ3脂肪酸——が検出されることである。ミルワームではこれらは検出されない。コオロギのオメガ3/オメガ6比率は、現代の西洋食において欠乏しがちな比率を補正するのに有用である可能性が指摘されている。

7-5. キチン——食物繊維としての可能性

昆虫の外骨格を構成する「キチン」は、長らく「ヒトには消化できない」と考えられてきた。しかし近年の研究は、この見方を大きく修正している。

二〇二三年に『Nature Food』誌に発表された論文では、コロラド州立大学のティファニー・ウィア教授とウィスコンシン大学のヴァレリー・スタル研究員が、昆虫由来のキチンとオメガ3脂肪酸が腸内マイクロバイオームに与える影響について包括的なレビューを行った。

彼らの結論は、ヒトの細胞は実際にキチンを分解する酵素を産生しており、消化過程でキチンが部分的に吸収されることが分かってきた、というものである。さらに、彼らの以前の研究では、二五グラムの日常的なコオロギパウダー摂取が、腸内の有益な細菌叢の増加と関連することが示された。

つまり、キチンは「食物繊維」として、特にプレバイオティック(善玉菌の餌)として機能する可能性がある。これは、肉類には欠けている重要な栄養機能である。腸内環境の改善は、免疫機能、抗炎症作用、代謝健康など、多面的な健康効果につながりうる。

ただし、ここにも注意点がある。キチンの消化能力には個人差があり、一部の人では消化不良、腹部膨満、ガスの発生、下痢といった症状を引き起こす可能性もある。研究者たちは、より大規模な人間介入試験が必要だと強調している。

7-6. 種ごとの違いと飼料による変動

「昆虫は栄養豊富」という言説は、しばしば過度に単純化される。実際には、種、発育段階、性別、飼料、加工方法によって、栄養成分は劇的に変動する。

二〇二三年のポーランドの研究では、同じ飼料で育てたゲオロギ(Gryllodes sigillatus、ジャマイカコオロギ)とミルワームを比較した結果、ミルワームのほうがタンパク質、マグネシウム、不飽和脂肪酸において優れる一方、コオロギはEPA/DHAを含むという独自の優位性を持つことが示された。

飼料による変動も大きい。クリケットにビール醸造の残渣(醸造副産物)を与えると、タンパク質と炭水化物の含量が増加する。カボチャの果肉を含む基質を与えると、脂肪含量が増加する。つまり、昆虫の栄養価は、その「育て方」によって柔軟に設計可能なのだ。

これは、産業として見れば極めて大きなアドバンテージである。例えば「鉄分強化コオロギ」や「オメガ3 富化ミルワーム」など、特定の栄養目標を狙った「機能性食品」として昆虫を設計できる可能性がある。

第八部:健康リスクの全体像——昆虫食は本当に安全か

栄養学的な優位性をいくら強調しても、安全性が担保されなければ食品として成立しない。昆虫食には実際、いくつかの注意すべき健康リスクが存在する。これを誠実に整理しておこう。

8-1. 甲殻類アレルギー交差反応性——最大のリスク

昆虫食の最も明確で、最も真剣に受け止めるべき健康リスクは、甲殻類アレルギーとの交差反応性である。

昆虫と甲殻類(エビ、カニ、ロブスター等)は、節足動物門に属する近縁な生物群である。両者の筋肉組織には、「トロポミオシン」というタンパク質が含まれている。このトロポミオシンが、甲殻類アレルギーの主要原因抗原であり、同時に昆虫を食べた際にも同様のアレルギー反応を引き起こす交差反応性を持つ。

シェルフィッシュ(甲殻類)アレルギーは、世界人口の約二パーセントが持つとされる。米国だけで約六五〇万人が甲殻類アレルギーを持ち、ピーナッツアレルギーの約二倍の有病率である。これらの人々がコオロギ、ミルワーム、その他の昆虫を食すると、IgE 介在性のアナフィラキシーを起こすリスクが高い。

加えて、ハウスダストマイト(チリダニ)にアレルギーを持つ人も、昆虫タンパクと交差反応を示すことが報告されている。これは、ダニも節足動物であり、トロポミオシンとアルギニンキナーゼという別のパンアレルゲンを共有しているためだ。

二〇二〇年の研究では、昆虫種によってトロポミオシンの交差反応性に差があることも示された。例えば、ある昆虫種ではエビへの反応に近く、別の種ではそれよりも弱い反応を示す——という個別性がある。しかし、臨床的には「甲殻類アレルギーを持つ人は、すべての昆虫食を避けるべき」というのが原則的な勧告である。

EUの新規食品規制(2025年のミルワーム承認を含む)では、すべての昆虫食品に「甲殻類アレルギーを持つ人に過敏反応を引き起こす可能性がある」という旨のラベル表示が義務付けられている。これは、消費者保護のための重要な措置である。

8-2. 生食のリスク——寄生虫と病原菌

野生で採集した昆虫の生食は、極めて危険である。

二〇一九年の研究では、検査した昆虫養殖場の約八一パーセントから寄生虫が検出され、約三〇パーセントの養殖場ではヒトに対して病原性のある寄生虫——条虫の幼虫や原虫類など——が発見された。これは、適切に管理されていない養殖場でも、寄生虫感染のリスクが存在することを示している。

野生採集の昆虫はさらにリスクが高い。サルモネラ菌、黄色ブドウ球菌、リステリア菌などの病原性細菌、酵母、カビ、各種寄生虫——これらが付着している可能性がある。日本の食品ベンチャー業者は「生で食べないこと」「野生の虫を食べないこと」「衛生管理された製造販売の食品を選ぶこと」を明確に注意喚起している。

幸い、加熱処理——煮る、揚げる、ローストする——は、これら病原体のほとんどを死滅させる。タイで商業生産されているコオロギや、EUで承認されているミルワーム製品は、いずれも標準的な食品安全プロセスを経ている。問題は、規制のない地域での野生採集や、SNS等で見かける「生きた虫を食べる」パフォーマンスである。これらは確実な健康リスクを伴う。

8-3. 重金属と農薬の蓄積

昆虫は、生育環境の汚染物質を体内に蓄積する性質がある。重金属(鉛、カドミウム、水銀、ヒ素など)、農薬残留物、ダイオキシン類などが、飼料や生育環境から虫の体に移行する可能性がある。

これは特に「野生で大量発生したバッタを採集する」「都市環境で捕獲する」といった場合に、重大なリスクとなる。中国における野生バッタの大量採集では、過去に農薬汚染による中毒事例が報告されている。

商業的な養殖環境では、こうしたリスクは大幅に低減される。EU の規制では、養殖飼料の安全性が厳しく管理されており、最終製品についても重金属と微生物汚染の検査が義務付けられている。それでも、養殖の急速な産業化に対して、長期的な安全性データはまだ十分とは言えない、という指摘もある。

8-4. 動物由来感染症(ズーノーシス)のリスク

家畜から人間へと伝播する感染症——「動物由来感染症(zoonosis)」——のリスクについては、昆虫食は哺乳類や鳥類の食肉と比べて、相対的に低いと考えられている。

昆虫は系統分類学的にヒトから遠く離れているため、ヒトと共通して感染する病原体は比較的少ない。鳥インフルエンザ、豚コレラ、SARS、COVID-19 など、近年人類を脅かしている動物由来感染症の多くは、哺乳類や鳥類由来である。昆虫起源のヒト感染症の主要例は、媒介者(蚊、ダニ、ハエ)による伝播がほとんどであり、「昆虫そのものを食べることによる感染」は限定的である。

ただし、これは「ゼロリスク」を意味しない。アフリカでの一部のイモムシ食では、毒性のある植物を食べた個体に毒が蓄積し、人間にも健康被害を及ぼした事例が報告されている。また、特定の昆虫種における細菌毒素(例えば、ハチ目昆虫の死体に蓄積するヒスタミン類似物質)への配慮も必要である。

8-5. 抗栄養素と毒性

一部の昆虫には、シュウ酸、フィチン酸、タンニン、シアン化物前駆体、アルカロイド類など、健康に影響しうる「抗栄養素(antinutrients)」や毒性成分が含まれる。これらは植物食昆虫が、植物由来の防御化合物を体内に取り込んだ結果である。

例えば、コロラドハムシなどのジャガイモ食昆虫は、ジャガイモの毒(ソラニン)を蓄積しうる。トウワタを食べるマダラチョウの幼虫は、心毒性のあるカルデノリドを含む——これは捕食者を防ぐ進化的戦略だが、人間にとっても毒となる。

伝統的な昆虫食文化を持つ社会は、こうした毒性昆虫を経験的に避けてきた。しかし、新興の昆虫食産業が広範な種を商業化していく過程で、長期的・大量消費における未知の毒性リスクは、依然として研究の対象である。

8-6. キチンの過剰摂取

前述の通り、キチンは食物繊維としての健康効果が期待されているが、過剰摂取は消化器症状を引き起こしうる。慢性的な腸炎症性疾患を持つ人、過敏性腸症候群(IBS)の人などは、キチン摂取によって症状が悪化する可能性も指摘されている。

要するに、昆虫食は——多くの食品と同様——「適度な量」を「適切に加工された形」で摂取することが重要だ、というのが常識的な結論である。

第九部:環境・サステナビリティ——昆虫食は本当に「地球に優しい」か

9-1. 食料安全保障の文脈——FAO 二〇一三年報告書

二〇一三年五月、FAO(国連食糧農業機関)が発表した『Edible insects: future prospects for food and feed security』は、昆虫食を世界的に再評価する転換点となった。

報告書の問題意識は明確である。二〇五〇年までに世界人口は九〇億人に達すると予測される。これに対応するためには、現在の食料生産量を実質的に倍増させる必要がある。しかし、農地は希少であり、農地拡大は持続可能ではない。漁業資源は乱獲され、気候変動と水不足は食料生産にさらなる打撃を与えうる。約一〇億人が慢性的飢餓状態にある現在の世界に対して、また食料供給の効率化と多様化が急務である。

この文脈において、昆虫食は——FAO の主張によれば——重要な「補助的解決策」を提供しうる。報告書は、昆虫の栄養価、養殖の環境効率性、安全性プロファイルを包括的にまとめ、政策決定者、農家、企業に対して「昆虫タンパクへの投資」を促した。

9-2. 温室効果ガス排出量の比較

昆虫食の環境的優位性として最もしばしば引用されるのは、温室効果ガス排出量の低さである。

オランダのワーヘニンゲン大学の研究によれば、ミルワーム一キログラム当たりの温室効果ガス排出量は、豚肉一キログラム当たりの排出量の十分の一から百分の一に相当する。牛肉と比べた場合、コオロギは温室効果ガス排出量を一〇から一〇〇倍削減できるという推計もある。

なぜこれほど大きな差が生まれるのか。理由は複数ある。

第一に、牛などの反芻動物は、消化過程でメタンを大量に発生させる。メタンは、一〇〇年スパンで CO2 の約二八倍の温室効果を持つ強力な温室効果ガスである。一頭の牛は年間で一五四〜二六四キログラムのメタンを発生させる。一方、コオロギやミルワームはメタンをほとんど発生させない。シロアリやゴキブリの一部の種は例外的にメタンを発生させるが、食用養殖されるコオロギ・ミルワーム・バッタ・アメリカミズアブはいずれも、ほぼメタンフリーである。

第二に、飼料変換効率(feed conversion efficiency)の差である。これは「同じ可食量を得るのに必要な飼料の量」を指す。コオロギは、鶏の二倍、豚の四倍、牛の一二倍の効率で飼料を肉に変換できる。これは、昆虫が「変温動物」であり、体温維持に代謝エネルギーを使う必要がないことが大きい。

牛肉一グラムの可食タンパクを得るには、ミルワームの八〜一四倍の土地と約五倍の水が必要である。鶏肉一グラムの場合でも、ミルワームの二〜三倍の土地と五〇パーセント増しの水が必要である。

9-3. アンモニア排出と土壌・水質汚染

温室効果ガスだけでなく、家畜由来のアンモニア排出も、土壌の酸性化と地下水の富栄養化を引き起こす重大な環境問題である。

研究によれば、豚はコオロギの八〜一二倍のアンモニアを体重増加一キログラム当たり排出し、バッタと比べると最大五〇倍以上のアンモニアを排出する。これは、家畜の糞尿管理にともなう環境負荷の差として、極めて重要である。

9-4. 土地利用と都市型農業との親和性

昆虫養殖のもう一つの環境的利点は、土地利用効率の高さである。

牛肉一キログラムを生産するには、約一〇〇平方メートルの土地が必要とされる(飼料生産用の農地を含めて)。一方、コオロギ一キログラムを生産するには、わずか数平方メートルで足りる。さらに、昆虫養殖は「垂直農業(vertical farming)」と親和性が高い。コオロギやミルワームの飼育コンテナを天井まで積み上げることで、単位面積当たりの生産性を劇的に高めることができる。

この特性は、都市部や森林伐採が問題となる地域における、新たな食料生産システムの可能性を示唆している。アマゾン熱帯雨林を切り開いて牛を放牧する代わりに、都市の倉庫でコオロギを育てる——これは、フードシステムと環境保護の調和を目指すうえで、潜在的に重要なシナリオである。

9-5. 廃棄物の再利用——循環型農業

昆虫養殖のさらに革新的な側面は、有機廃棄物を飼料に転換できることである。

アメリカミズアブ(Hermetia illucens)の幼虫は、特に廃棄物処理能力に優れている。生鮮食品の残渣、家畜糞、農業副産物——これらを飼料として与えることで、廃棄物処理と高タンパク質生産を同時に実現できる。EU では、アメリカミズアブの大量養殖が、水産養殖飼料・家禽飼料・ペットフード向けに急速に拡大している。

これは、いわゆる「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」の理想を、文字通り「食物連鎖」の中で実現する取り組みである。タイのコオロギ農家がブルワリー(ビール醸造所)の使用済み穀物を飼料として活用するのも、同じ理念である。

ただし、これらの利点を全面的に肯定する前に、いくつかの留保も必要である。第一に、現状の昆虫養殖のエネルギー収支は、施設の電力使用量(冷暖房・換気・照明)を含めると、報告されているほど劇的ではない場合もある。バイオガスや再生可能電力を用いた施設運営が前提条件となる。第二に、養殖規模が拡大すると、飼料市場における需給バランスや、家畜飼料との競合が生じる可能性がある。すべての養殖虫が「廃棄物」だけで育つわけではない。

9-6. 持続可能性のジレンマ——熱帯地域の野生採集

サステナビリティの観点で重要な問題のひとつが、伝統的な野生採集の昆虫食を「過剰収穫」によって脅かしてしまうリスクである。

南部アフリカのモパネワームは、約三八万四〇〇〇平方キロメートルのモパネ林に生息する。年間九五億匹の収穫は持続可能なレベルだが、近年は需要拡大と都市住民への商業流通の増加により、未成熟の個体まで採集される事例が増えている。本来、伝統的な収穫法では、一定割合の幼虫が成虫化して次世代の卵を生むまで待つ。しかし、商業的圧力が強まると、この「持続的収穫」の伝統が崩れる。

メキシコのアガベ虫、タイの竹虫、アジアのオオツチカイコ——いずれも野生個体群の保護と、収穫の持続可能性の両立が課題となっている。

FAOの報告書は、こうした課題に対して「サステナブルな養殖への移行」を提唱している。野生採集に依存し続けることは、食料安全保障の観点でも生態系保護の観点でも持続不可能である。だからこそ、商業的な養殖技術の確立が、長期的な戦略として必要なのだ。

第十部:産業と政策の現在地——昆虫食ビジネスの世界地図

10-1. グローバル市場の規模

昆虫タンパク市場は、二〇二〇年代に入って急速に成長している。市場調査会社による予測は会社によって幅があるが、いくつかの代表的な数字を示そう。

グランドビューリサーチ(Grand View Research)によれば、二〇二三年の世界の昆虫タンパク市場規模は約四億八三〇〇万米ドルで、二〇三〇年には約一五億一〇〇〇万米ドルに達すると予測される(年平均成長率一六・九パーセント)。フューチャー・マーケット・インサイツ(Future Market Insights)は、より大きな成長予測を出しており、二〇三五年に約四〇億七九八〇万米ドルに達する見通しを示している。マーケット・リサーチ・フューチャー(Market Research Future)は、二〇三五年に約八五億米ドルに達するとの強気な予測を出している。

これらの予測は前提や対象範囲が異なるため、一概に比較できないが、共通するのは「年率一五〜四〇パーセント」という驚異的な成長率である。これは、新興食品カテゴリーとしては、植物性肉やラボ培養肉と並ぶ最速の成長領域のひとつである。

地域別に見ると、ヨーロッパが市場の約三七パーセント(二〇二三年時点)を占め、規制環境の整備と消費者の環境意識を背景に、最大の成長地域となっている。北米、アジア太平洋がそれに続く。

10-2. 用途別構成——飼料が主流

意外かもしれないが、現在の昆虫タンパク市場の主要用途は、人間用食品ではなく、家畜飼料・水産飼料・ペットフードである。動物飼料セグメントは、市場全体の約四〇パーセント超を占める。

これには合理的な理由がある。ヨーロッパでは二〇一七年に水産養殖向け、二〇二一年に家禽・豚向けに昆虫タンパクの飼料利用が認可された。これは、人間向け食品としての規制よりもハードルが低かった。さらに、養殖魚の飼料の主要源であった南米産のフィッシュミール(漁獲魚由来の魚粉)は、海洋資源の乱獲問題と価格高騰により、代替源を必要としていた。アメリカミズアブの幼虫粉末は、フィッシュミールに比肩する栄養価とコスト競争力を提供する。

主要プレイヤーとしては、フランスの「Ÿnsect」「Innovafeed」「NextProtein」、オランダの「Protix」、アイルランドの「HEXAFLY」、カナダの「Enterra Feed」「Entomo Farms」、米国の「Aspire Food Group」「Beta Hatch」「Chapul Farms」、タイの「Global Bugs」、イタリアの「Bugsolutely」などが知られている。これらの企業は、いずれも数百万ドル〜数億ドル規模の資金調達に成功している。

10-3. EU の規制——新規食品としての承認プロセス

ヨーロッパにおける昆虫食の規制を概観しよう。EU では、一九九七年五月一五日以前に「域内で著しく消費された実績がない食品」は「新規食品(Novel Food)」と定義され、欧州食品安全機関(EFSA)による厳格な安全性評価を経たうえで、欧州委員会の承認を経て市場に投入できる。

二〇一八年に施行された改定新規食品規則(Regulation (EU) 2015/2283)以降、いくつかの昆虫種が段階的に承認されてきた。

二〇二一年、ミルワーム(Tenebrio molitor)の乾燥幼虫が、最初の昆虫由来「新規食品」として承認された。続いて二〇二一年中にトノサマバッタ(Locusta migratoria)の冷凍・乾燥・粉末形態、二〇二二年初頭にイエコオロギ(Acheta domesticus)の冷凍・乾燥・粉末形態、二〇二二年に小型ミルワーム(Alphitobius diaperinus、暗澹型ハナムグリ幼虫)の冷凍・乾燥形態が承認された。

二〇二三年一月、部分脱脂したイエコオロギ粉末が追加承認された。そして二〇二五年一月二〇日、UV処理した全ミルワーム幼虫粉末(フランスのNutri'Earth 社)が承認され、二〇二五年二月一〇日から市場に投入された。UV 処理によりビタミンD3 含量が増強された製品で、パン・ケーキ・パスタ・加工ジャガイモ製品・チーズ・果物野菜のコンポートなどへの添加が認められている。

二〇二五年第三四半期時点で、EU で承認された昆虫由来「新規食品成分」は七種類に達している。EFSA は二〇二五年だけで一〇件の昆虫関連の肯定的安全性意見を出しており、今後さらに承認が続く見込みである。

ラベル表示の義務は厳格である。昆虫成分は「原材料リストに必ず明記」されなければならず、ラテン語の学名と一般名の両方が併記される必要がある。さらに、甲殻類アレルギーへの注意喚起、UV処理を経たビタミンD含有量の表示なども義務付けられている。「知らずに虫を食べさせられる」ことは、少なくとも法的にはあり得ない仕組みになっている。

10-4. 米国とイギリスの状況

米国では、FDA(食品医薬品局)が昆虫食品を一般食品として規制している。明示的な「新規食品」カテゴリーはないが、「適切な加工」と「ラベル表示」が義務付けられる。アメリカではコオロギを使ったエナジーバー、プロテインパウダー、スナックなどが、主にニッチ市場で流通している。

イギリスでは、EU離脱(ブレグジット)後の独自規制が確立されつつある。二〇二四年一月以降、英国市場で昆虫食品を継続販売するには、二〇二三年一二月三一日までに新規食品申請を行っていることが条件となっている。現時点で申請が有効な昆虫種は、イエロー・ミルワーム、イエコオロギ、ジャマイカコオロギ、アメリカミズアブの四種である。

10-5. 日本の状況

日本においては、食用昆虫を直接規制する特別な法令はなく、一般的な食品衛生法の枠組みで扱われている。これは、長野県を中心に伝統的な昆虫食が継続してきた歴史的経緯を反映している。

二〇二〇年代に入って、日本国内でも昆虫食スタートアップが複数立ち上がった。徳島県の「グリラス」、東京の「TAKEO」、神奈川の「BugMo」、福岡の「bugoom」など、コオロギの養殖と食品化を中心に事業を展開する企業が存在する。無印良品の「コオロギせんべい」、敷島製パンの「Korogi Café」シリーズ、Pasco との連携などにより、一般消費者の目に触れる機会も増えた。

しかしながら、前述の通り二〇二三年の社会的反発を受けて、日本における昆虫食産業は逆風のなかにある。事業を縮小・撤退する企業も出ており、市場の拡大は当初の楽観的な予測ほどには進んでいない。

10-6. ベンチャーキャピタルの動向と「ヘイプ」の終焉

ベンチャー業界の視点から見ると、昆虫食産業は二〇一七年〜二〇二一年頃に大きな期待を集めた「ヘイプサイクル」のピーク段階にあった。フランスの Ÿnsect は、二〇二〇年にシリーズC で三億七二〇〇万米ドルという、欧州フードテック史上最大級の資金調達に成功した。

しかし二〇二二年以降、世界的な利上げと景気減速、消費者受容の予想以上の遅さ、コスト構造の改善の難しさを背景に、業界全体は「冷却期」に入っている。複数の主要プレイヤーが事業規模の見直し、雇用削減、戦略転換を余儀なくされている。

これは、新興技術分野には付き物の「期待先行」の修正局面である。長期的に見れば、気候変動と人口増加というメガトレンドは変わらないため、昆虫タンパクの構造的需要は引き続き存在する。しかし、それが「いつ」「どのような形で」現実化するかは、技術コスト、消費者教育、規制環境、文化的受容のすべてが連動する複雑な方程式である。

第十一部:陰謀論・SDGs 疲れ・感情政治——なぜコオロギは「敵」になったか

11-1. グレート・リセット陰謀論と昆虫食

二〇二〇年代に入って、昆虫食をめぐる議論は、栄養学や環境科学の枠を大きく逸脱して、政治的・感情的な領域へと拡大していった。その中心にあるのが、いわゆる「グレート・リセット(The Great Reset)」陰謀論である。

「グレート・リセット」は、もともとは二〇二〇年六月、ダボス会議で知られる世界経済フォーラム(WEF)の第五〇回年次総会で議論された、COVID-19 後の経済再建計画の名称である。気候変動対策、デジタル化、ステークホルダー資本主義、社会的包摂——これらの議題が含まれており、SDGs と内容的に近い。

しかし、この計画は、米国のトランプ支持層を中心とする一部の極右系メディアと陰謀論コミュニティによって、「世界エリートが秘密裏に進める世界破壊計画」として再解釈された。彼らの語り口によれば、「世界の支配層は、自分たちだけが美味しいステーキを独占し、それ以外の者たちには虫を食事として押し付けようとしている」。「リベラルな世界秩序」が昆虫食を奨励しようとしている——というのが、この陰謀論の中核的な筋書きである。

WEF が二〇二〇年に「将来のタンパク質源として昆虫を考えるべきだ」と主張する記事を公開したことが、この陰謀論に拍車をかけた。

カナダのオンタリオ州では、主にペットフード用にコオロギを生産する工場が、地元保守系メディアと陰謀論アカウントによって攻撃の標的となった。「政府が国民にひそかに昆虫を食べさせる準備を進めている」というツイートが拡散し、地元政治家までこれに加担して大炎上。これは、二〇二〇年代の「コオロギ食陰謀論」が、国境を越えて拡散していく典型例となった。

11-2. 日本における二〇二三年の大バッシング

日本における昆虫食バッシングは、世界の動向と連動しながら、独自の盛り上がりを見せた。

きっかけは二〇二二年から二〇二三年にかけての複数の事件である。徳島県の県立小松島西高校・食物科が、調理実習でコオロギパウダーを試食提供したことに対して、「子供に虫を食べさせるな」というクレーム電話が殺到した。同時期、敷島製パン(Pasco)がコオロギパウダー入りの商品を販売したことに対して、不買運動の呼びかけと誹謗中傷が拡散した。「他の Pasco 商品にもコオロギパウダーが混入している」という事実無根のデマや、「敷島製パンはディープステートの手先だ」という荒唐無稽な言説まで現れた。

東京大学の鳥海不二夫教授が実施した Twitter(現 X)のデータ分析は、興味深い結果を示している。昆虫食関連ツイートの大半が「反対派」のもので、その内訳は二つのクラスタに分かれていた。クラスタA は陰謀論的でない一般的な反対派で、過去の陰謀論拡散率は約八・四パーセント。クラスタBは陰謀論色の強い反対派で、過去の陰謀論拡散率は約四五・七パーセント。

つまり、反対派の中核に陰謀論者がいることは事実だが、それ以外の「一般的な拒否反応」を持つ人々のほうがむしろ多数派だったのである。これは重要な発見である。「反対派 = 陰謀論者」という単純化は誤りであり、昆虫食への抵抗感は、もっと広く深い感情的基盤を持っているのだ。

11-3. 「サステナビリティ疲れ」と感情のバックラッシュ

ジャーナリストの雨宮処凛氏らが指摘するように、昆虫食バッシングの背景には「SDGs 疲れ」や「サステナビリティ疲れ」がある。

メディアは、過去一〇年ほど、SDGs を「美しい話」として無批判に取り上げ続けてきた。プラスチック削減、再生可能エネルギー、ジェンダー平等、フードロス削減——どれも重要な課題だが、「いいこと」として一方向的に推進されることへの違和感が、社会の一部に蓄積していた。

加えて、昆虫食には固有の問題がある。それは「美味しさや調理法といった食べ物自体の売り」ではなく、「SDGs や食糧問題の文脈」で売り込まれてきたことだ。「環境のために虫を食え」「未来の食糧危機に備えて虫を食え」という言説は、消費者にとって命令的・道徳的な圧力として感じられやすい。

そうした「社会的重要課題」に関連付けられた強い売り文句は、反論どころか嫌悪感を覚えることすら許されないような印象を与え、結果としてより強い反発を生んだ——ある昆虫食事業者は、ブログでこう述べている。「食べたい人が食べればいい」と思っている事業者にとっては不本意な状況だが、構造的にそうした反発が起こりやすい仕掛けに、自分たちのビジネスが組み込まれてしまっていたのである。

11-4. 牛乳廃棄問題との結びつけ

陰謀論者・反対派の主張の一つに、「コオロギを食わせるくらいなら牛乳を守れ」というフレーズがある。これは、二〇二〇年代初頭の日本における酪農の経営難——飼料価格高騰、生乳需要減少、廃棄問題——を、「コオロギ食推進」と対立的に位置付けるレトリックである。

このフレーミングの問題は、両者の時間軸が全く異なることだ。牛乳廃棄は「現在の問題」で、コオロギ食は「将来の課題」である。両者は本来、別の議論の対象であり、リソース配分上の対立を強調すべきではない。にもかかわらず、感情的なレベルでは「コオロギ推進 = 牛乳軽視」という連合が形成され、酪農従事者への共感を装いつつ、実は単に昆虫食への忌避感を正当化する言説となった。

11-5. 食の自己決定権と「強制」のレトリック

陰謀論・反対派の言説の根底には、「強制への恐れ」がある。「政府がこっそり昆虫を食わせようとしている」「気付かないうちに食品に混入されている」——こうした不安は、新型コロナワクチンをめぐる議論と構造的によく似ている。

これに対して、客観的な事実は明確である。EU 規制も日本の食品表示制度も、昆虫成分の表示を義務付けている。消費者は、商品の原材料表示を見れば、昆虫が含まれているかどうかを判断できる。「気付かないうちに」食べさせられることは、システム上ほぼ起こりえない。

しかし、不安は事実だけで消えるものではない。「企業や政府を信頼できない」という心理的構えを持つ人にとっては、どれだけ表示制度が整備されても「裏で何かが起こっている」という疑念は残る。これは、現代の制度的信頼の脆弱性を物語る現象である。

11-6. 「食べたい人が食べればいい」という原則

成熟した社会的議論の出発点は、おそらくこれである——「食べたい人が食べればいいし、食べたくない人に強制すべきではない」。

これは、ベジタリアニズム、宗教的食制限、グルテンフリー、ハラル、コーシャ、ヴィーガニズム、ペスカタリアニズム、有機食品志向——すべての食の選択に対して適用される原則である。昆虫食もその例外ではない。

問題は、議論が極端化したことで、この穏健な原則すら見失われてしまっていることだ。推進派の一部は「環境のために皆が虫を食べるべき」という道徳的圧力を発し、反対派の一部は「社会に虫食品が存在すること自体が許せない」という排除的姿勢を取る。両極端のあいだに、健全な共存の余地が見えにくくなっている。

長野県伊那谷の人々が、何百年にもわたって、隣人に強制することなく、自分たちのペースで昆虫食を継続してきたのは、極めて成熟した在り方である。そこに学ぶべきは多い。

第十二部:文化人類学的再考——食とは何か

12-1. 食のシンボリズム——人類学者の視点

人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、有名な命題を残している——「食べ物は栄養として摂取される前に、まずシンボルとして思考される(good to think before they are good to eat)」。

何を食べ、何を食べないかは、単に栄養や健康の問題ではない。それは、自分たちが何者であるかを定義する、文化的・社会的・宗教的なアイデンティティの問題である。

イスラム教徒は豚肉を、ヒンドゥー教徒は牛肉を、ユダヤ教徒は甲殻類・豚肉・乳肉混食を避ける。ジャイナ教徒は植物の根菜まで避ける。これらの食タブーは、単に「健康上の理由」では説明できない。それは、自分たちの共同体を「他者」から区別する、境界線としての機能を持っている。

昆虫食もまた、こうしたシンボリックな境界線として機能してきた。「我々西洋人は虫を食べない」という主張は、「彼ら(虫を食べる民族)」との文化的距離を確認し、自らの「文明度」を表明する語りとして、近代以降に強く機能した。

裏返せば、現代の昆虫食推進論は、この近代の境界線を曖昧化する企てとも捉えられる。グローバル化が進み、文化的境界が崩壊しつつある時代において、食はその境界線を最後に守る最前線となる。だからこそ、食をめぐる議論は、しばしば論理を超えて感情的になるのだ。

12-2. 「Yuck Factor」と進歩のジレンマ

社会哲学者は、新しい技術や食物に対する直感的な拒否反応を「ヤック・ファクター(Yuck Factor)」と呼ぶ。試験管ベビー、遺伝子組換え食品、ラボ培養肉、そして昆虫食——いずれも、最初は強い感情的拒否反応を引き起こしてきた。

倫理学者レオン・カスは、こうした嫌悪反応のなかに「叡知(wisdom of repugnance)」が含まれていると主張する。直感は、理性が捉えきれない深い真実を察知している可能性がある、と。

一方、別の倫理学者たちは、嫌悪反応は単なる「文化的偏見」であり、進歩を阻害する保守的バイアスにすぎないと反論する。試験管ベビーは今や当たり前の医療技術であり、当時の反対論は迷信に基づくものだったではないか、と。

昆虫食の場合、どちらの立場が正しいのか。おそらく答えは「両方、あるいはどちらでもない」である。我々の嫌悪反応には、確かに進化的に根拠のある合理性(病原体回避)が含まれている。しかし同時に、それは「全ての昆虫」「あらゆる文脈」に過剰般化されている。文脈に応じて、嫌悪を尊重すべき場合と、嫌悪を超えるべき場合とがあるのだ。

12-3. 食の階層と「贅沢としての昆虫食」

興味深いのは、昆虫食の社会的位置づけが、文化と時代によって正反対になりうることだ。

メキシコのエスカモレス、日本の蜂の子、ローマのコッスス——いずれの社会でも、これらの昆虫は「希少な珍味」として高級食材の地位にあった。富裕層の食卓を彩る、ステータス・シンボルとしての昆虫食。

ところが同じ社会、あるいは別の時代において、昆虫食は「貧者の食」「飢饉時の代替食」として、社会階層の最下層の食物として位置づけられることもある。日本の戦中・戦後のイナゴ食は、まさにこの典型である。

同じ「コオロギを食べる」という行為が、ある文脈では「先進的・洗練された・サステナブル」と評価され、別の文脈では「貧しさの象徴・後進性の表現」と評価される。これは、食の意味づけがいかに文脈依存的であるかを物語っている。

二〇二〇年代の日本における昆虫食推進が、世論の反発を強く受けたのは、おそらくこの「意味の不安定さ」が一因である。「未来的・サステナブル」というポジティブな意味づけと、「ゲテモノ・貧者の食」というネガティブな意味づけが、消費者のなかで競合し、後者が優勢になってしまった——これが、二〇二三年バッシングの文化人類学的な構造である。

12-4. アフリカ・アジアの伝統への敬意

しばしば見落とされる視点として、現在約二〇億人の人々が日常的に昆虫を食している、という事実がある。世界の三分の一近くにとって、虫を食べることは異常でも珍しくもない、ごく普通の食習慣なのだ。

タイの市場で売られているコオロギ、コンゴの市場で売られているイモムシ、メキシコのオアハカで売られているチャプリネス——これらは、何百年、何千年と続いてきた文化的実践である。それを「未開」「奇習」と眺める態度は、結局のところ、近代西洋中心主義的な偏見に過ぎない。

二〇二三年に日本で起こった「コオロギ食バッシング」が、世界的にどう映ったかを考えてみる価値はある。SNS では、アフリカ人や東南アジア人のユーザーから、「日本人がコオロギを気持ち悪いと言って大騒ぎしているが、我々はずっとそれを食べてきた。なぜそれが問題なのか」という声が上がった。

これは、グローバル時代における文化相対主義の重要性を改めて思い起こさせる出来事である。我々が「気持ち悪い」と感じる食は、世界の誰かの「日常」であり、「ご馳走」かもしれない。その逆もまた、いくらでもある。文化的多様性を尊重するということは、こうした食の多様性を尊重することでもあるはずだ。

12-5. 未来への展望——共存の地平

最後に、未来の食料システムにおける昆虫食の位置づけについて、現実的な見通しを述べておきたい。

短期的には——おそらく今後一〇年程度——昆虫食が西洋世界や日本で「主食」となることはないだろう。消費者受容度の壁、コスト構造、流通インフラの未整備など、解決すべき課題は多い。

中期的には——二〇三〇〜二〇四〇年代——昆虫タンパクは、特にペットフード、水産養殖飼料、家畜飼料といった「動物飼料」の分野で、主流の地位を占める可能性が高い。これは、消費者の直接的な認知を必要とせず、コスト競争力と環境メリットだけで成立する市場である。アメリカミズアブ幼虫由来の魚粉代替品が、その先頭を走っている。

長期的には——二〇五〇年以降——気候変動と人口動態の変化が、人類の食料システムに大きな圧力をかけることは確実である。その時、昆虫タンパクが「主食の一翼」を担う可能性は、現時点で予測することは困難だが、可能性として残しておく価値がある。

そのとき、昆虫食は、いまの「植物性ミルク」や「人工甘味料」のように、当たり前の選択肢のひとつとして、スーパーマーケットの棚に並んでいるかもしれない。あるいは、伝統的なコオロギ料理が、いまの寿司や麻婆豆腐のように、グローバルな食文化のなかでひとつの確立されたカテゴリーになっているかもしれない。

そのどちらが起こるにせよ、——人類が虫を食う、というこの古い慣習は、形を変えながら、これからも続いていくことだろう。

結論——嫌悪を超えて、知性のなかで

本稿は、昆虫食という主題を、進化生物学から食品科学、文化人類学から産業経済まで、横断的に検討してきた。最後に、五つの結論を簡潔に提示して、本稿を閉じたい。

第一に、昆虫食は人類史の例外ではなく、本流である。約一七〇万年前のアウストラロピテクスから現代の二〇億人まで、人類は虫を食べ続けてきた。「西洋的に虫を食べないこと」のほうこそ、歴史的・地理的に見れば、ある種の例外現象なのである。

第二に、虫への嫌悪は、進化的に根拠のある合理的反応であると同時に、過剰般化された感情でもある。我々の祖先が病原体を避けるために発達させた「行動免疫システム」は、現代の清潔な養殖環境を正しく評価するようには設計されていない。だから、嫌悪を「単なる偏見」と片付けることも、「絶対の判断」として崇めることも、ともに知的に粗雑である。

第三に、栄養学的・環境学的に見れば、昆虫食には合理的なメリットが多い。タンパク質含量、必須アミノ酸プロファイル、鉄分・亜鉛などの微量栄養素、低温室効果ガス排出、高い飼料変換効率、廃棄物再利用の可能性——これらは、科学的に検証された事実である。ただし、甲殻類アレルギーの交差反応性、寄生虫リスク、重金属蓄積、養殖技術の長期的安全性データの不足など、留保すべき事項も同様に存在する。

第四に、現代社会における昆虫食をめぐる議論は、栄養学や環境科学だけでは解けない、文化的・政治的・感情的な複雑性を持っている。二〇二三年の日本における大バッシングは、その複雑性が爆発的に表面化した事例だった。陰謀論への単純な反論ではなく、「サステナビリティ疲れ」や「食の自己決定権」への配慮を含む、より深い対話が必要である。

第五に、そして最も重要なこととして——「食べたい人が食べればいい」という原則は、極めて健全である。長野県伊那谷の人々が、何世代にもわたって自分たちのペースで昆虫食を継続してきた在り方は、現代の食文化の議論に対する深い知恵を提供している。強制でも禁止でもなく、各人の選択を尊重した上で、多様な食文化が共存する社会——それが、虫を食べるか食べないかを超えた、もっと大きな問いへの答えとなるはずだ。

我々が虫を食べるか否か——それは、結局のところ、我々が誰であり、これからどう生きるのかという問いの、ごく具体的な一形態にすぎない。

地球上に七百万年前から続く、人類とそのいとこたちの「シロアリ釣り」の伝統は、おそらくこれからもどこかで、姿を変えながら、続いていくだろう。それを我々の食卓に招くか招かないかは、我々ひとりひとりの選択である。

ただ、選択する前に、知っておきたい——我々はかつて、間違いなく虫を食べていた。そして、世界の二〇億人は、今もそれを食べている。我々の祖先も、現代の同時代人も、決して「異常」ではない。彼らも我々も、ただ、ヒトという、雑食性のサルの仲間として、自分たちの環境と時代に適応した食を選んでいるだけなのだ。

その事実を、嫌悪に流されず、論理に固執しすぎず、ただ深く知ること——本稿が、その小さなきっかけとなれば、これに勝る喜びはない。

本稿は、二〇二六年五月時点での文献調査に基づく解説記事である。引用した研究、規制、市場規模等の数字は調査時点のものであり、将来的な変更があり得る。また、特定の昆虫食品の摂取については、個人の健康状態、アレルギー、地域の規制等を踏まえて、必要に応じて専門家に相談されたい。

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