易経サーチド徹底解説――全パターン・諸流儀・歴史・真偽・易者の必要性・コンピュータによる代替可能性
はじめに
私は、東洋の古典のなかでもとりわけ謎めいた魅力を放ち続ける書物として、『易経』を取り上げたいと考えている。本稿は、易経の卦と爻、すなわち六十四卦三百八十四爻にまつわる全パターンと、それを読み解くための諸流儀、歴史的な経緯、内容の真偽をめぐる議論、そして現代において易者という存在に何らかの必要性があるのか、さらにはコンピュータがそれを代替しうるのかという根本的な問いまでを、できうるかぎり網羅的に論じることを目的としている。
「易経サーチド(Searched)」という表題に込めたのは、易経を単なる占術書として消費するのではなく、徹底的に探索し、解剖し、再構築する試みを意味する。サーチするとは、ただ調べることにとどまらず、対象の輪郭をなぞり、内側に踏み込み、隅々まで点検することである。私は、易経というテクストに対してこの態度をもって臨み、その豊かな襞の一つひとつを開いていきたいと願っている。
本稿は十万字を超える規模で構成されている。長大であることは、易経そのものが孕む奥行きに対する敬意の表現でもあり、また、断片的な紹介ではどうしても零れ落ちてしまう細部を救い上げたいという執筆者の願いの表現でもある。読者諸氏には、目次を辿りながら関心のある章から読み進めていただいてもよいし、最初から順に通読していただいてもよい。ただし、できれば本稿全体を通じて、易経が単なる迷信でも単なる占いでもなく、人類が築き上げた壮大な象徴体系のひとつであるという認識を共有していただければと思う。
目次
第一部 易経とは何か――入口の問い
第一章 易経という書物の概観
第二章 卦と爻という最小単位
第三章 六十四卦三百八十四爻という宇宙
第二部 歴史を遡る――易はいかにして生まれたか
第四章 伏羲・文王・周公・孔子の四聖
第五章 周易の成立と十翼の編纂
第六章 漢代における象数易の隆盛
第七章 魏晋から宋代までの義理易の展開
第八章 明清と清朝考証学による再評価
第九章 日本における易の受容史
第三部 全パターンを読む――六十四卦の詳細
第十章 乾為天から地水師まで(一卦から七卦)
第十一章 水地比から地天泰まで(八卦から十一卦)
第十二章 天地否から地山謙まで(十二卦から十五卦)
第十三章 雷地予から山天大畜まで(十六卦から二十六卦)
第十四章 山雷頤から離為火まで(二十七卦から三十卦)
第十五章 沢山咸から水雷屯への流転(三十一卦から四十卦)
第十六章 山沢損から沢風大過の手前まで(四十一卦から五十卦)
第十七章 震為雷から火山旅までの動静(五十一卦から五十六卦)
第十八章 巽為風から火水未済までの終結(五十七卦から六十四卦)
第四部 流儀を分けて見る――占法の諸派
第十九章 筮竹を用いる本筮法
第二十章 中筮法と略筮法
第二十一章 銅銭三枚を用いる擲銭法
第二十二章 梅花心易と数術的占法
第二十三章 断易と五行易の世界
第二十四章 高島易断と近代日本の易
第二十五章 現代の電子的占法とアプリ占い
第五部 真偽を問う――易経は当たるのか
第二十六章 易経の的中率という問い
第二十七章 心理学的視点から見た易の効用
第二十八章 科学哲学から見た易経の地位
第二十九章 シンクロニシティと共時性の議論
第三十章 偶然と必然のあいだ
第六部 易者の必要性と代替可能性
第三十一章 易者という職能の歴史
第三十二章 現代社会における易者の役割
第三十三章 コンピュータと易――計算機が易を立てる
第三十四章 大規模言語モデルは易者を超えるか
第三十五章 結論――易経サーチドの果てに
第七部 補遺
補遺一 六十四卦一覧表
補遺二 易学関連書籍の系譜
補遺三 用語小辞典
第一部 易経とは何か――入口の問い
第一章 易経という書物の概観
『易経』は、現在に伝わる中国最古の書物群のなかでも、もっとも特異な位置を占める書物である。私は、まずこの書物がどのような構造を持ち、何を語ろうとしているのかを、外形的な側面から確認しておきたい。
『易経』はしばしば『周易』とも呼ばれ、儒教の根本経典とされる「五経」の筆頭に置かれてきた。五経とは『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』を指し、儒家の思想と修養の根幹をなす書物群である。そのなかでも『易経』が筆頭に置かれてきたのには、いくつかの理由がある。
第一の理由は、その内容が宇宙の根源的な原理に関わると考えられてきたことである。『易経』は、陰と陽という二元から始まり、それが四象、八卦、六十四卦へと展開していく構造を持つ。この展開は、形而上学的には世界そのものの生成と変化を表現しているとされ、中国思想史において繰り返し参照されてきた。
第二の理由は、占筮の書として実用性を備えていたことである。古代中国の支配層は、国家の重要な決定、たとえば戦争の可否、祭祀の方法、後継者の選定などにあたって、神意を問う手段としての占いを用いた。『易経』はその中核的な占いの体系を担い、為政者の判断を補完してきた。
第三の理由は、孔子をはじめとする後代の思想家たちが、この書物に対して厖大な注釈を加え、哲学的・倫理的な意味を付与してきたことである。後述する「十翼」と呼ばれる伝の部分は、占いの書としての『易経』を倫理思想の書へと変貌させる役割を果たした。
これらの三つの側面――宇宙論的、占筮的、倫理的――が複合して、『易経』は単なる占いの本でもなければ、単なる哲学書でもない、独特の地位を獲得してきた。私は、本稿の冒頭でこの三層構造を強調しておきたい。なぜなら、現代において易経を語るとき、この三層のどこに重点を置くかによって、得られる像がまったく異なるからである。
ある人にとって易経は、自らの人生の指針を得るための実用的な占いの書である。別の人にとっては、二千数百年にわたる中国哲学の根幹をなす形而上学的な書物である。さらに別の人にとっては、儒家倫理を象徴的に表現する詩的なテクストである。これらのいずれもが正しい捉え方であり、いずれかが他を排除するものではない。
『易経』を一冊の書物として手にしたとき、まず目に入るのは六十四個の図像である。これらは「卦」と呼ばれ、それぞれが六本の横線によって構成されている。横線には二種類あり、一本につながった線を陽爻、中央が切れた二本に分かれた線を陰爻と呼ぶ。この陽爻と陰爻の組み合わせによって、合計で六十四通りの図像が成立する。
六十四という数は、二の六乗である。すなわち、各位置に陽か陰かの二通りの選択肢があり、それが六つの位置で独立に選ばれるため、二の六乗イコール六十四通りの組み合わせが生じる。この数学的構造の単純さと、そこから引き出される意味の豊かさのあいだの落差こそが、易経の魅力の源泉である。
各卦には、その卦の全体像を述べる「卦辞」と呼ばれる短い文章が付されている。さらに、卦を構成する六本の爻のそれぞれに対しても、「爻辞」と呼ばれる短い文章が付されている。卦辞と爻辞を合わせると、本文の主要部分は六十四プラス三百八十四、すなわち四百四十八個の短文によって構成されることになる。
これらの短文は、いずれも極めて簡潔であり、ときに不可解な比喩や象徴に満ちている。たとえば「潜龍勿用」「亢龍有悔」「履霜堅冰至」「君子終日乾乾」といった句が並ぶ。これらの句は、字面だけを追っても何を意味しているのか容易には理解できない。だからこそ、二千数百年にわたって厖大な注釈が積み重ねられてきたのである。
本文の周囲には、後代の儒家たちによって付加された「十翼」と呼ばれる七種十篇の解説文がある。十翼は『彖伝』上下、『象伝』上下、『繋辞伝』上下、『文言伝』、『説卦伝』、『序卦伝』、『雑卦伝』の十篇からなる。これらの伝が、易経本文に対する思想的な意味づけを与え、後代の易学の出発点となった。
私は、本書の構造をここで一度整理しておきたい。最も内側には、六十四卦の図像と、それに付された四百四十八個の短文がある。これがいわゆる「経」の部分である。その外側に、十翼と呼ばれる七種十篇の解説がある。これが「伝」の部分である。両者を合わせて「易経」と呼ぶこともあれば、経のみを「易経」と呼んで伝と区別することもある。本稿では、特に断らないかぎり、両者を含めて「易経」と表記する。
第二章 卦と爻という最小単位
易経を読み解くためには、まずその最小単位である「卦」と「爻」を理解しなければならない。私は、この章でこの基礎概念を丁寧に解説したい。
「爻」とは、卦を構成する横線のことである。爻には陽爻と陰爻の二種類がある。陽爻は一本につながった横線で、しばしば「九」と呼ばれる。陰爻は中央が切れた二本に分かれた横線で、しばしば「六」と呼ばれる。
なぜ陽爻を「九」、陰爻を「六」と呼ぶのか。これには諸説あるが、最も広く受け入れられている説明は、占筮の過程で得られる数値に由来するというものである。後述する筮竹を用いた本筮法では、最終的に六、七、八、九のいずれかの数が得られる。このうち七と九は陽を、六と八は陰を表すが、さらに七と八は「不変爻」、六と九は「変爻」と区別される。陽爻の代表を九と呼び、陰爻の代表を六と呼ぶのは、変爻の数を取ることで、変化の契機を内蔵させるためである。
爻は、卦のなかで下から数えて一番目から六番目までの位置にある。下から順に「初」「二」「三」「四」「五」「上」と呼ばれる。たとえば、ある卦の一番下の爻が陽であれば「初九」、二番目の爻が陰であれば「六二」と表記される。この呼称は、占筮の結果を記述する際の標準的な記法であり、易経を読むうえで必須の知識となる。
爻の位置にはそれぞれ意味がある。下から二番目と五番目の位置は「中位」と呼ばれ、徳が中庸に達した位置とされる。一番目と上の位置は卦の両極端を表す。三番目と四番目は、それぞれ下卦の頂点と上卦の底部にあたり、危うさや過渡性を含む位置とされる。
また、奇数の位置(初、三、五)は陽位、偶数の位置(二、四、上)は陰位とされる。陽爻が陽位にあること、または陰爻が陰位にあることを「正」と呼び、その爻が本来の位置にあると考える。逆に、陽爻が陰位にあることや、陰爻が陽位にあることを「不正」と呼ぶ。正であれば一般に吉とされ、不正であれば一般に凶や悔いを含むとされる。
さらに、爻と爻のあいだには「応」「比」と呼ばれる関係がある。「応」とは、下卦と上卦の対応する位置(一と四、二と五、三と上)にある爻の関係を指す。一方が陽で他方が陰であるとき、両者は応じ合うとされ、相互の助け合いや感応の関係が生じる。「比」とは、隣り合う爻の関係を指す。下から二と三、三と四、四と五などの隣接関係において、両者の陰陽が異なれば親しみの関係が、同じであれば反発の関係が読み取られる。
このように、爻はそれ自体の陰陽だけでなく、位置、正不正、応比といった複数の関係性のなかで読み解かれる。一見すると単純な横線の組み合わせに過ぎないものが、こうした関係性の網の目を通すことで、驚くほど豊かな意味の場を形成するのである。
「卦」とは、六本の爻が積み重なって構成される図像のことである。卦は二つのレベルで理解される。第一に、八つの基本卦(八卦)のレベルである。八卦は三本の爻からなる小さな卦で、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の八種がある。第二に、八卦を二つ重ねて作られる六十四卦のレベルである。六十四卦は六本の爻からなり、下三爻を「内卦」または「下卦」、上三爻を「外卦」または「上卦」と呼ぶ。
八卦のそれぞれには、自然界の象徴が割り当てられている。乾は天、兌は沢、離は火、震は雷、巽は風、坎は水、艮は山、坤は地である。これらの象徴は『説卦伝』に詳細に列挙されており、自然物だけでなく、動物、身体部位、家族関係、方位、時節など、多岐にわたる象徴体系を構成する。
八卦の象徴は、単なる比喩ではない。古代中国の世界観においては、宇宙のあらゆる事象がこの八つの基本要素の組み合わせによって理解されると考えられていた。たとえば、家族関係においては、乾が父、坤が母、震が長男、坎が中男、艮が少男、巽が長女、離が中女、兌が少女に対応する。動物では、乾が馬、坤が牛、震が龍、巽が鶏、坎が豚、離が雉、艮が犬、兌が羊といった配当がある。これらの対応関係は、占筮の結果を解釈する際の重要な手がかりとなる。
六十四卦は、下卦と上卦の組み合わせとして読まれる。たとえば、下卦が乾(天)で上卦が坤(地)であれば、これは「地天泰」となる。下卦が坤で上卦が乾であれば「天地否」となる。このように、二つの八卦の組み合わせが、より複雑な状況や事象を表現する。
ここで注意したいのは、卦の名前は通常、上卦が先、下卦が後の順に読まれることである。「地天泰」は上が地、下が天という意味であり、「天地否」は上が天、下が地という意味である。一見すると不自然な並びのようだが、これは古代中国の上下観に基づくものであり、上から下へと読み下す順序になっている。
六十四卦のそれぞれにも、独自の象徴体系がある。「乾為天」は純粋な陽の極致を表し、剛健で創造的なエネルギーを象徴する。「坤為地」は純粋な陰の極致を表し、受容的で養育的なエネルギーを象徴する。両者は易経の冒頭に置かれ、宇宙の根本原理である乾元と坤元の二元を体現している。
この陰陽の二元論は、易経全体を貫く中心的な世界観である。陰と陽は対立する二つの原理であるが、同時に相互に補完し合い、絶えず転換し合う関係にある。陰が極まれば陽が生じ、陽が極まれば陰が生じる。この循環的な変化こそが「易」の本義であり、書名「易経」の「易」が「変化」を意味する所以である。
陰陽の概念は、二元論的でありながらも、絶対的な対立を意味しない。むしろ、陰のなかにも陽が含まれ、陽のなかにも陰が含まれているという、相互浸透的な関係を含意する。太極図においては、陰の領域のなかに陽の小さな円が、陽の領域のなかに陰の小さな円が描かれているのは、この相互浸透を視覚的に表現したものである。
第三章 六十四卦三百八十四爻という宇宙
六十四卦と三百八十四爻という数の体系は、それ自体がひとつの宇宙論である。私は、この数学的構造の意味と、そこから引き出される世界観について、ここで詳しく論じておきたい。
まず、なぜ六十四という数なのか。これは、八卦をさらに重ねて作られる六本爻の卦の総数が、八掛ける八イコール六十四であることに由来する。あるいは、二爻の組み合わせが二の六乗イコール六十四通りであることに由来する。両者は同じ数を異なる側面から表現したものである。
二の六乗という数は、情報科学の観点からは六ビットの情報量に相当する。すなわち、六十四卦は六ビットの情報空間に対応する。これは、現代のコンピュータが用いる二進数表現と本質的に同じ構造である。実際、ライプニッツが二進数を発明したとき、彼は中国の宣教師から送られた易経の図像に深い影響を受けたと伝えられている。
ライプニッツの逸話は、易経が単なる東洋の神秘主義ではなく、普遍的な数理的構造を備えていることを示唆する。陰と陽を零と一に置き換えれば、六十四卦は零から六十三までの整数に一対一に対応する。これは、現代の情報処理の基本概念と完全に重なる。
しかし、易経の六十四卦は、単なる整数の列挙ではない。各卦には、その配列順序に意味が与えられている。『序卦伝』は、なぜ乾の次に坤が、坤の次に屯が、屯の次に蒙が来るのかについて、論理的な説明を試みている。この序卦の論理は、宇宙と人事の発展段階を、六十四の局面として描き出すものである。
三百八十四爻という数は、六十四卦掛ける六爻イコール三百八十四から導かれる。この数は、興味深いことに、太陰暦の一年の日数(約三百五十四日)よりも約三十日多い。古代中国では、暦法と易学が密接に関連しており、三百八十四という数は太陰太陽暦の閏月を含む年の日数(三百八十四日前後)にほぼ一致するとされてきた。この一致が偶然なのか、それとも何らかの意図に基づくものなのかは、今なお議論の余地がある。
私は、ここで六十四卦の配列について、もう少し詳しく述べたい。六十四卦の伝統的な配列は、現在に伝わる「通行本」と呼ばれるテクストにおいては、乾を第一、坤を第二として始まり、火水未済を第六十四とする順序になっている。この配列は、二つの卦を一組として、三十二組に分けることができる。各組の二つの卦は、原則として相互に「綜卦」または「錯卦」の関係にある。
「綜卦」とは、ある卦を上下逆さまにした卦のことである。たとえば、第三卦の水雷屯を逆さまにすると第四卦の山水蒙になる。両者は綜の関係にある。「錯卦」とは、ある卦の各爻の陰陽を入れ替えた卦のことである。たとえば、第一卦の乾為天の各爻を陰陽反転すると第二卦の坤為地になる。両者は錯の関係にある。
六十四卦のうち、八つの卦――乾、坤、坎、離、頤、大過、中孚、小過――は綜卦が自分自身と同じになる。これらの卦は、上下対称の図像を持つ。この八つの卦が、六十四卦のなかで特別な位置を占めていることは、多くの易学者が指摘するところである。
私は、この配列の幾何学的な美しさに、しばしば嘆息する。六十四という数を、二の六乗という単純な数学的構造から得ながら、その配列に綜と錯という対称性の論理を導入し、さらに『序卦伝』によって発展論的な意味を与えていく。これは、純粋な抽象構造と具体的な人事的意味のあいだに、橋を架ける試みである。
ここで重要なのは、易経が単なる六十四個の独立した卦の集合ではなく、卦と卦のあいだの関係性のネットワークとして理解されるべきだということである。ある卦は、それ単独で意味を持つのではなく、その綜卦、錯卦、互卦、変卦といった関連する卦との関係において、より豊かな意味を獲得する。
「互卦」とは、ある卦の二爻、三爻、四爻を下卦とし、三爻、四爻、五爻を上卦として作られる新しい卦のことである。互卦は、表面的な卦の意味の背後に潜む内的な構造を示すとされ、深い解釈において重要な役割を果たす。
「変卦」とは、占筮によって得られた本卦のうち、変爻(六または九の爻)が陰陽反転した結果として得られる新しい卦のことである。変卦は、現在の状況がどのように変化していくかを示すとされ、未来の予測において中心的な役割を果たす。
これらの関係性を総合すると、六十四卦は単なる平面的なカタログではなく、多次元的なネットワークを形成していることが分かる。ある卦から綜卦、錯卦、互卦、変卦への移行は、それぞれ異なる視点から同じ事象を眺めることに相当する。あたかも、ひとつの彫刻を異なる角度から眺めるように、卦のネットワークは事象の多面的な姿を映し出す。
私は、この多次元的なネットワーク構造こそが、易経の核心であると考えている。六十四という有限の数のなかに、ほぼ無限に近い解釈の可能性を埋め込んでいるのは、この関係性のネットワークなのである。
ここで、もうひとつ重要な概念を導入しておきたい。それは「之卦」である。之卦とは、変卦と同じ意味で用いられることもあるが、より厳密には、本卦から変卦への動きそのものを指す。「乾の坤に之く」「屯の比に之く」というような言い方をする。この動きは、静的な卦同士の関係ではなく、ある状況から別の状況への動的な変容を表現する。
易経の宇宙観は、本質的に動的である。世界は静止した状態の集合ではなく、絶えず変化し続ける流動的な過程として捉えられる。六十四卦は、その流動的な過程を六十四の典型的な相として切り取ったものに過ぎず、現実の事象は常にこれらの相のあいだを移行している。
この動的な世界観は、現代の複雑系科学やシステム論と、興味深い類似を示している。複雑系は、安定状態のあいだを揺らぎ、相転移を繰り返す。易経の六十四卦も、同様に相と相のあいだの転移を表現している。両者が同じ構造を持つというのは言い過ぎだが、世界を動的なネットワークとして捉える視点においては、共鳴する部分があると言える。
三百八十四爻のそれぞれにも、独自の意味がある。各爻は、その属する卦の文脈のなかで、特定の位置から特定の状況を切り取る。同じ「初九」であっても、それが乾の卦における初九(「潜龍勿用」)と、坤の卦における初六(「履霜堅冰至」)とでは、まったく異なる意味を持つ。
爻辞のそれぞれは、ひとつの場面、ひとつの判断、ひとつの戒めを表現している。三百八十四個の爻辞は、人生の三百八十四通りの典型的な場面を提示する。これらの場面が、すべての可能な人生の局面を網羅しているわけではないが、十分に多様であり、かつ十分に普遍的であるため、占筮の結果として何が出ても、何らかの意味のある示唆を得ることができる。
私は、易経の魅力のひとつが、この「網羅性と普遍性のバランス」にあると考えている。三百八十四という数は、すべての具体的状況を網羅するには少なすぎる。しかし、すべての具体的状況を抽象化した典型として把握するには、十分に多い。この絶妙なバランスが、易経を実用的な占筮の道具としても、思索の対象としても、長く生き延びさせてきたのである。
第二部 歴史を遡る――易はいかにして生まれたか
第四章 伏羲・文王・周公・孔子の四聖
私は、易経の歴史を遡るとき、まず伝統的な「四聖作易」の物語に触れざるをえない。これは、易経が四人の聖人によって作られたとする伝承であり、長く中国の知識人のあいだで信じられてきた。
第一の聖人は伏羲である。伝説によれば、伏羲は太古の帝王であり、龍馬の背に現れた図像、あるいは亀の甲羅に現れた紋様を見て、八卦を発明したとされる。これが「河図」「洛書」の伝承であり、易の起源に関する最も古い物語である。
伏羲の作とされる八卦は、当然ながら歴史的に実在した個人による発明ではなく、長い時間をかけて形成された原初的な象徴体系であると考えるべきである。古代中国の宇宙論において、陰陽の二元と、それを組み合わせた基本的な象徴体系は、おそらく新石器時代から段階的に発展してきたものであろう。考古学的な発見によれば、新石器時代の遺跡から発見される占筮に類する遺物には、数字を組み合わせた記号が見られ、これが八卦の原型のひとつではないかと推測されている。
第二の聖人は文王である。文王は周王朝の祖であり、殷の暴君である紂王のもとで囚われの身となったとき、獄中で八卦を重ねて六十四卦を作り、それぞれに卦辞を付したとされる。これが「文王繋辞」の伝承である。
文王の作とされる六十四卦と卦辞についても、歴史的に文王個人による作とは考えにくい。むしろ、周代初期において、それまで散在していた占筮の知識が体系化され、文字として固定されていった過程を、文王という偉大な始祖の名に帰したものと考えるべきである。古代中国においては、重要な業績を伝説的な聖人の作とすることが一般的であり、これは権威を付与するための文化的な慣習であった。
第三の聖人は周公である。周公は文王の子であり武王の弟であり、周王朝の制度を整備した実在の政治家である。周公は、文王が作った六十四卦の卦辞をさらに補い、三百八十四爻のそれぞれに爻辞を付したとされる。これが「周公作爻」の伝承である。
周公の作とされる爻辞についても、同様の留保が必要である。爻辞のなかには、明らかに殷周交替の歴史的事件を反映する文言が含まれており、これが周公の時代に成立したことを示唆する。しかし、すべての爻辞が周公個人の手によるものとは考えにくく、周代を通じて段階的に整備されていったと見るのが妥当であろう。
第四の聖人は孔子である。孔子は晩年に易経を愛読し、革紐が三度切れるほど熟読したと伝えられる。これが「韋編三絶」の故事である。孔子は易経に対して、十翼と呼ばれる解説を著したとされる。これが「孔子作伝」の伝承である。
孔子の作とされる十翼についても、歴史的批判の対象となってきた。十翼のなかには、孔子の時代よりも後の思想を反映する部分が含まれており、孔子個人の作とは認めがたい部分が多い。現代の文献学的な研究によれば、十翼は戦国時代から漢代初期にかけて、複数の儒家学派の手によって段階的に成立したと考えられている。
このように、伝統的な「四聖作易」の物語は、歴史的事実というよりは、易経の権威を裏付けるための文化的な物語として理解されるべきである。しかし、この物語が完全な虚構というわけではない。八卦の起源が新石器時代に遡ること、六十四卦と卦辞が周代初期に成立したこと、十翼が戦国時代から漢代初期にかけて編纂されたこと、これらの大まかな歴史的経緯は、四聖作易の物語と矛盾しない。
私は、この伝統的な物語を、史実として受け取るのでもなく、単なる作り話として退けるのでもなく、文化的な意味を持つ象徴的な物語として読むのが適切であると考えている。四人の聖人の名は、それぞれ易経の発展段階を象徴している。伏羲は原初的な象徴の発生を、文王と周公は文字による体系化を、孔子は哲学的な解釈の発展を、それぞれ象徴的に表現しているのである。
第五章 周易の成立と十翼の編纂
私は、ここで歴史学的な視点に立ち、『易経』、特に「周易」と呼ばれる現行版がどのように成立したかを、より厳密に検討してみたい。
「易」と呼ばれる占筮の体系は、伝承によれば三種類が存在した。夏王朝の「連山」、殷王朝の「帰蔵」、そして周王朝の「周易」である。このうち、現存するのは周易のみであり、連山と帰蔵は伝説的存在として名のみが伝えられている。連山は艮を首卦とし、帰蔵は坤を首卦としたとされるが、その具体的な内容は不明である。
近年の考古学的発見によれば、戦国時代の楚墓から出土した竹簡のなかに、現行の周易とは異なる六十四卦の配列を持つ易の写本が含まれていた。これらの出土文献は、戦国時代以前にも複数のバージョンの易が並存していたことを示唆する。すなわち、現行の周易は、複数の流派のひとつが標準化されたものに過ぎない可能性がある。
周易の本文、すなわち六十四卦と卦辞・爻辞は、おそらく西周初期、紀元前十一世紀から紀元前十世紀にかけての時期に基本的な形が成立したと考えられている。卦辞・爻辞には、殷周交替期の歴史的記述や、当時の卜辞に類似する表現が含まれており、これが成立年代の手がかりとなっている。
たとえば、地火明夷の卦の爻辞には「箕子之明夷」という表現がある。箕子は殷末の賢人であり、紂王の暴政に抗議して囚われ、後に朝鮮に渡ったとされる人物である。この爻辞は、明らかに殷周交替期の歴史的記憶を反映している。
また、雷沢帰妹の卦の爻辞には「帝乙帰妹」という表現がある。帝乙は殷の最後から二代目の王であり、その妹を周の文王に嫁がせたとされる。これも殷周交替期の歴史的事件を反映している。
これらの歴史的記述は、周易が周王朝の文化的アイデンティティを形成する文書のひとつとして編纂されたことを示唆する。すなわち、周易は単なる占筮マニュアルではなく、周王朝の正統性を裏付ける政治的・宗教的文書としての側面を持っていたのである。
十翼の編纂は、より後の時代、戦国時代から漢代初期にかけてのことである。十翼の各篇は、それぞれ異なる時期に、異なる学派によって編纂されたと考えられている。
『彖伝』は、各卦の卦辞に対する解説であり、卦全体の意味を論じる。『象伝』は大象と小象に分かれ、大象は卦全体の象徴を、小象は各爻辞を解説する。これら両者は比較的早い時期、戦国時代中期から後期にかけて成立したと推定されている。
『繋辞伝』は上下二篇からなり、易経全体の哲学的意義を論じる。ここには、有名な「易有太極、是生両儀、両儀生四象、四象生八卦」という宇宙生成論や、「形而上者謂之道、形而下者謂之器」という道器論が含まれている。これらは、後代の中国哲学に決定的な影響を与えた。『繋辞伝』は、戦国時代後期から漢代初期にかけて成立したと考えられている。
『文言伝』は、乾と坤の二卦に限って、その意味を詳細に論じる特殊な伝である。乾坤を六十四卦の根本として特別扱いするこの態度は、後代の易学において広く受け入れられた。
『説卦伝』は、八卦の象徴体系を網羅的に列挙する。先述した自然物、動物、身体部位、家族関係、方位、時節などの対応関係は、すべてこの伝に由来する。説卦伝は、後代の象数易の基礎となるテクストである。
『序卦伝』は、六十四卦の配列順序の論理を説明する。なぜ乾の次に坤が来るのか、なぜ屯の次に蒙が来るのか、を一卦ずつ論じていく。この伝によって、六十四卦は単なるカタログではなく、論理的な展開を持つひとつの物語として読まれることになった。
『雑卦伝』は、六十四卦の意味を、対比的な対の関係で簡潔に述べる短い伝である。「乾剛坤柔、比楽師憂」というように、対をなす卦の意味を一句で要約する。
これら十翼の編纂を通じて、占筮の書としての周易は、儒家倫理と宇宙論を兼ね備えた哲学書へと変貌した。漢代になると、儒学が国家の正統思想となり、五経が制度的に確立される。このとき、十翼を含む周易は「易経」として、五経の筆頭に位置づけられた。
私は、ここで重要な指摘をしておきたい。十翼の編纂は、易経の意味を根本的に変容させた。占筮の結果として現れる卦辞・爻辞は、本来、特定の状況における吉凶の判断を述べたものに過ぎない。しかし、十翼の解釈を通じて、卦辞・爻辞は宇宙の根本原理や、君子の徳のあり方を象徴的に表現するものとされた。
この変容は、易経の地位を大きく高めた一方で、本来の占筮の書としての意味を希薄化させる側面もあった。後代の易学のなかには、占筮を軽視し、もっぱら哲学的解釈に専念する流派が現れた。これが、次章で論じる「義理易」の伝統である。
第六章 漢代における象数易の隆盛
漢代は、易経の学問史において決定的に重要な時代である。私は、この時代に展開された「象数易」の伝統について、ここで詳しく論じたい。
漢代初期、易経は五経のひとつとして制度化され、太学に博士が設けられた。この時期に主流となったのが、卦象と数理を用いて易経を解釈する「象数易」と呼ばれる学派である。
象数易の代表的な学者として、まず孟喜と京房を挙げることができる。孟喜は前漢中期の易学者であり、卦気説を提唱した。卦気説とは、六十四卦を一年の暦と対応させ、各卦が特定の節気や時期を象徴するとする説である。具体的には、六十四卦のうち十二卦を「辟卦」または「十二消息卦」として、一年の十二ヶ月に対応させ、残りの卦を各月の節気に配当する。この説は、暦法と易学を統合する試みとして、後代に大きな影響を与えた。
京房は前漢末期の易学者であり、孟喜の卦気説をさらに発展させ、「納甲」「飛伏」「世応」などの複雑な象数体系を構築した。納甲とは、六十四卦の各爻に、十干十二支を配当する技法である。これによって、易卦は単なる象徴ではなく、時間と空間の座標系のなかに位置づけられることになった。
京房の易学は、占筮の実用性を重視し、後代の「断易」「五行易」と呼ばれる占術の源流となった。彼の著作『京氏易伝』は、納甲と五行を用いた占筮の技法を体系化し、後代の占術師にとっての教科書となった。
象数易のもうひとつの重要な流派は、後漢の鄭玄と荀爽、そして魏の虞翻に代表される。鄭玄は『易緯』と呼ばれる神秘主義的な易学テクスト群を整理し、爻辰説などの新しい象数体系を提唱した。荀爽は「升降説」を提唱し、卦の各爻が陰陽の位置によって上下に移動する動態的なモデルを構築した。
虞翻は三国時代の呉に仕えた易学者であり、象数易の集大成者と呼ぶべき人物である。彼は「卦変」「旁通」「逸象」「半象」など、極めて複雑な解釈技法を体系化した。卦変とは、ある卦が他の卦から派生してくる過程を論じる技法であり、旁通とは陰陽が反転する関係を論じる技法である。逸象は『説卦伝』に列挙されていない隠れた象徴を発掘する技法であり、半象は三爻のうち二爻だけを取って象を読む技法である。
虞翻の易学は極めて精緻であり、ある意味では象数易の極限まで発展したものである。しかし、その複雑さゆえに、後代の学者からは「煩瑣に過ぎる」との批判も受けることになった。
象数易の特徴は、易経のすべての文言を、卦象と数理によって厳密に説明しようとする態度にある。卦辞・爻辞の一語一句は、卦の構造と爻の関係性から導かれる必然的な結論として読まれる。この態度は、易経を整合的な体系として捉える点で大きな成果を挙げたが、同時に、テクストの直接的な意味から離れた牽強付会の解釈を生み出す危険も孕んでいた。
私は、漢代の象数易について、二つの評価軸から論じることができると考えている。第一の評価軸は、その学問的精緻さである。漢代の象数易は、易経のテクストを徹底的に分析し、その内的構造を体系的に解明した。この点において、象数易は易学史における最高峰のひとつである。
第二の評価軸は、その実用的有効性である。象数易、特に京房の系統は、占筮の実用性を高め、漢代以降の占術文化を形成した。納甲や世応の技法は、現代に至るまで占術師たちによって用いられ続けている。
漢代の象数易は、しかし、後代において批判の対象ともなった。次章で論じる魏晋の王弼は、象数易の煩瑣を批判し、易経の哲学的意義に焦点を当てる新しい解釈の方向を打ち出した。これが「義理易」の伝統である。
第七章 魏晋から宋代までの義理易の展開
私は、義理易の伝統について、ここで詳細に論じたい。義理易は、漢代の象数易への反動として、魏晋時代に勃興し、宋代に大成した解釈学派である。
義理易の祖と呼ぶべきは、魏の王弼である。王弼は、わずか二十三歳で夭折した天才的な思想家であり、『周易注』と『老子注』を著した。彼の易経解釈は、漢代の象数易の煩瑣を厳しく批判し、易経の哲学的・倫理的意義に焦点を当てるものであった。
王弼の有名な命題に「得意忘象、得象忘言」がある。これは、意味を得たら象を忘れ、象を得たら言葉を忘れるべきだ、という意味である。象数易が卦象に過度に拘泥するのに対して、王弼は、卦象はあくまで意味を伝えるための手段に過ぎず、意味そのものを得たならば手段は捨ててよい、と主張した。
王弼の易学は、老荘思想の影響を強く受けている。彼は、易経を儒家のテクストとしてだけでなく、道家的な哲学のテクストとしても読み、両者を統合する解釈を試みた。この試みは、後代の中国思想において、儒道融合の潮流を生み出す原動力となった。
王弼の易注は、唐代に孔穎達によって『周易正義』として整理され、唐宋を通じて標準的な易経解釈となった。孔穎達は、王弼の注に丁寧な疏(解説)を加え、易経の解釈学に新しい段階をもたらした。
宋代になると、義理易はさらに発展し、新儒学(朱子学)の中心的な構成要素となった。北宋の周敦頤、邵雍、程頤らは、それぞれ独自の易学を展開した。
周敦頤は『太極図説』を著し、太極から陰陽が生じ、陰陽から五行が生じ、五行から万物が生じるという宇宙生成論を提唱した。この太極図説は、易経の繋辞伝にある「易有太極、是生両儀」の命題を発展させたものであり、後代の理学(朱子学)の根本的な世界観となった。
邵雍は『皇極経世書』を著し、易経の数理的側面を極限まで発展させた。彼は「元、会、運、世」という時間単位を導入し、宇宙の歴史を数理的に計算しようと試みた。彼の易学は「数の易」と呼ばれ、象数易の伝統を継承しながらも、より哲学的な深みを加えたものである。邵雍は、また、伏羲先天図、文王後天図といった卦の配列図を整備し、易学の図像学を発展させた。
程頤は『易伝』(程氏易伝)を著し、徹底した義理易の立場から易経を解釈した。彼の易学は、卦象や数理を最小限に抑え、もっぱら倫理的・政治的な意義を引き出すことに集中した。各爻辞は、君子の徳のあり方や、為政者の心得として読まれた。
南宋の朱熹は、これらの先行する易学を総合し、『周易本義』を著した。朱熹の立場は、義理易と象数易の折衷であった。彼は、易経が本来は占筮の書であることを認めつつ、その背後にある哲学的意義を引き出すことを重視した。朱熹は、また、『易学啓蒙』を著し、占筮の具体的な技法を体系化した。
朱熹の易学は、その後、中国・朝鮮・日本の儒学において標準的な解釈となり、近世に至るまで圧倒的な影響力を持ち続けた。本稿の後半で論じる江戸時代の日本の易学も、基本的には朱熹の系統を継承するものである。
私は、宋代の義理易について、ひとつの重要な指摘をしておきたい。それは、義理易が易経を哲学化することによって、易経の地位を大きく高めた反面、その実用的な占筮の側面を希薄化させた、という両面性である。
義理易の伝統においては、易経は読み、思索し、自己修養に用いるべきテクストとして位置づけられる。占筮そのものは、君子の余技であり、本質的な営みではないとされる。この態度は、儒家の正統的な立場として、近代まで継承された。
しかし、民間においては、易経は依然として占筮の書として用いられ続けた。庶民の生活のなかで易を立てる易者たちは、義理易の哲学的解釈ではなく、より実用的な占筮の技法を駆使した。義理易の伝統と、民間の占筮の伝統は、しばしば乖離したまま、それぞれの道を歩んだのである。
第八章 明清と清朝考証学による再評価
明代になると、易学はさらなる多様化を見せた。私は、この時代の易学の展開について、ここで論じておきたい。
明代の易学において重要な人物として、まず来知徳を挙げることができる。来知徳は、明代後期の易学者であり、独自の象数易を展開した。彼の『周易集注』は、象数と義理を統合した独創的な解釈を提示した。
来知徳の特徴は、「錯綜」の概念を体系化したことである。錯卦と綜卦の関係性を徹底的に分析し、六十四卦のネットワーク構造を明らかにした。この点において、彼の易学は、漢代の象数易を継承しつつも、より構造主義的な視点を導入したものと評価できる。
清代になると、考証学が興隆し、易学にも新しい風が吹いた。清代の考証学者たちは、漢代の象数易を再評価し、宋代の義理易を批判的に検討した。彼らは、易経のテクストを歴史的・文献学的に厳密に分析し、後代の付加や解釈の偏向を除去しようと試みた。
考証学派の易学の代表的な人物として、恵棟、張惠言、焦循などを挙げることができる。恵棟は『易漢学』を著し、漢代の象数易を体系的に整理した。張惠言は虞翻の易学を復元し、『虞氏易消息』『虞氏易事』などを著した。焦循は『易学三書』(『易章句』『易通釈』『易図略』)を著し、考証学の方法を易学に徹底的に適用した。
これらの考証学派の業績は、易経の歴史的研究において大きな成果を挙げた。彼らは、漢代の象数易の精緻さを再認識させ、宋代の義理易に対する過度の傾倒を是正した。清代の易学は、それまでの易学史を総合する性格を持ち、現代の易学研究の基礎を築いた。
清末から民国初期にかけては、易経に対する新しいアプローチも現れた。康有為は『新学偽経考』のなかで、十翼の一部が後代の偽作であることを指摘した。これは、易経の伝統的権威に対する大きな挑戦であった。
また、出土文献の研究も進展した。一九七三年に湖南省馬王堆漢墓から発見された帛書『周易』は、現行本とは異なる卦の配列を持ち、易経の成立過程に関する新しい知見をもたらした。さらに、一九九〇年代以降、上海博物館蔵戦国楚竹書や、清華大学蔵戦国竹簡などの出土文献からも、易経関連の竹簡が発見され、現代の易学研究は新しい段階に入っている。
これらの出土文献によれば、戦国時代までに、現行本周易のほかにも複数のバージョンの易が並存していたこと、卦の配列順序や卦辞・爻辞の文言にも異同があったこと、十翼の各篇も独立に流通していた時期があったことなどが明らかになっている。
私は、これらの最新の研究成果を踏まえて、易経の成立過程について、より柔軟な見方をすべきであると考えている。現行本周易は、長い歴史のなかで複数のテクストが選別され、整理された結果である。その背後には、より広大な「易の伝統」とでも呼ぶべき文化的・思想的な土壌が存在していたのである。
第九章 日本における易の受容史
日本における易の受容史は、それ自体がひとつの長大な物語である。私は、ここで日本の易学の流れを概観しておきたい。
易経が日本に伝来した正確な時期は明らかではないが、六世紀から七世紀にかけての仏教伝来の前後と推定されている。当時、朝鮮半島の百済から五経博士が派遣されており、彼らによって易経も日本にもたらされたと考えられている。
奈良時代になると、養老律令によって陰陽寮が設置され、陰陽道、暦道、天文道、漏刻道の四つの専門部門が置かれた。陰陽寮では、易経も研究され、国家の祭祀や政治的決定に占筮が用いられた。陰陽師の安倍晴明は、平安時代の代表的な陰陽道家として有名だが、彼の家系は易学にも通じていた。
中世日本においては、易経はもっぱら五山の禅僧たちによって読まれた。臨済宗や曹洞宗の禅僧たちは、宋代の朱子学を受容するなかで、朱熹の易学にも親しんだ。室町時代の禅僧、桃源瑞仙の『百衲襖』は、易経の朱熹注に対する優れた注釈書として知られる。
江戸時代になると、儒学の興隆とともに易学も大きく発展した。江戸初期の藤原惺窩、林羅山らは、朱子学的な立場から易経を講じた。林羅山は、徳川家康の侍講として、易経を頻繁に進講したと伝えられる。
江戸中期になると、伊藤仁斎、荻生徂徠らによる古学派が興り、朱熹の解釈を批判する新しい易学が現れた。伊藤仁斎は、易経の解釈において、朱熹の形而上学的な読み方を退け、より素朴な道徳的読解を提示した。荻生徂徠は、易経を歴史的なテクストとして読み、古代中国の制度史のなかに位置づけようとした。
江戸後期になると、易学はさらに多様化した。新井白石、雨森芳洲、太宰春台らが、それぞれ独自の易学を展開した。また、民間においては、占筮の書としての易経が広く普及し、町中に易者が立つようになった。
特筆すべきは、平田篤胤の易学である。平田篤胤は国学者として知られるが、易経にも深い関心を寄せ、独自の解釈を展開した。彼の易学は、神道思想と結びついた独創的なものであり、日本における易学の土着化のひとつの極を示している。
近代日本における易学の代表的な人物として、まず高島嘉右衛門を挙げなければならない。高島嘉右衛門は明治時代の実業家であり、同時に易者として広く名を知られた人物である。彼は『高島易断』と呼ばれる占筮書を著し、近代日本における易の代表的な解説書とした。
高島の易は、易経本文に対して、近代の事象(政治、経済、軍事、外交など)を具体的に当てはめて解説する実用的なスタイルで知られる。彼は明治政府の要人とも交際があり、国家の重要な決定に際して易を立てたとも伝えられる。
高島嘉右衛門の死後も、「高島易断」の名は受け継がれ、現代に至るまで複数の易者集団が「高島易断」を名乗っている。ただし、これらの集団のあいだには血統や正統性をめぐる対立もあり、必ずしも統一的な存在ではない。
現代日本における易学は、学術研究、占筮実践、自己啓発的読書という三つの方向に分岐している。学術研究としては、中国哲学、東洋思想史、文献学の領域で、易経のテクストや思想史的展開が研究されている。占筮実践としては、職業易者、街頭の占い師、自宅で易を立てる愛好家などが存在する。自己啓発的読書としては、易経を人生の指針として読む読者が、ビジネスマンや一般読者のなかに広く存在している。
私は、これら三つの方向のいずれもが、易経の正統な継承の形であると考えている。学術研究は、易経のテクストとしての姿を厳密に解明する。占筮実践は、易経の実用的な機能を生かす。自己啓発的読書は、易経の倫理的・哲学的な智慧を現代に生かす。これらは相補的な活動であり、いずれかが他を排除するものではない。
第三部 全パターンを読む――六十四卦の詳細
私は、ここから六十四卦の具体的な意味を一つひとつ論じていきたい。六十四卦は、それぞれが独立した宇宙であり、独立した物語である。すべてを同じ深さで論じることはできないが、可能なかぎり各卦の核心に触れる試みをしたい。
第十章 乾為天から地水師まで(一卦から七卦)
第一卦 乾為天
「乾」は六十四卦の冒頭に置かれる卦であり、純粋な陽の極致を表す。六本の爻のすべてが陽爻であり、その意味するところは創造的なエネルギー、剛健な働き、絶えざる運動である。
卦辞は「元亨利貞」というわずか四字である。この四字は四徳と呼ばれ、宇宙の根本的な四つの徳を示すとされる。元は始まり、亨は通じること、利は調和、貞は正しさを意味する。
爻辞は下から、初九「潜龍勿用」、九二「見龍在田、利見大人」、九三「君子終日乾乾、夕惕若、厲無咎」、九四「或躍在淵、無咎」、九五「飛龍在天、利見大人」、上九「亢龍有悔」と続く。これらは、龍の昇り行く過程を六段階で描いたものとされる。
初九の潜龍は、まだ隠れていて活動すべきでない段階を示す。九二の見龍は、徳が顕れ始めて他者の助けを得るべき段階である。九三は、絶えず励みつつも夕方には反省すべき過渡的な段階である。九四は、跳躍するか淵に留まるかの選択を迫られる段階である。九五の飛龍は、徳が最高潮に達した段階である。上九の亢龍は、極まりすぎて悔いを生じる段階を示す。
この龍の物語は、人生における立身出世の過程の象徴としても、創業から守成への過程の象徴としても読まれてきた。九五が最も理想的な位置とされ、皇帝の地位を「九五の位」と呼ぶ慣習も、この爻辞に由来する。
私は、乾の卦が示しているのは、創造的なエネルギーの理想的な展開過程であると考える。最初は隠れて力を蓄え、徐々に顕れ、そして頂点に達し、そして頂点を過ぎて衰える。この過程の認識こそが、易経の根本的な世界観のひとつである。
第二卦 坤為地
「坤」は乾の対をなす卦であり、純粋な陰の極致を表す。六本の爻のすべてが陰爻であり、受容的なエネルギー、柔順な働き、養育する力を象徴する。
卦辞は「元亨、利牝馬之貞。君子有攸往、先迷後得主、利。西南得朋、東北喪朋。安貞吉」と長い。乾の卦辞が四字であるのに対して、坤の卦辞ははるかに長く、より具体的な状況を述べている。牝馬は柔順でありながら強く歩む象徴であり、坤の徳の典型である。
爻辞は、初六「履霜堅冰至」、六二「直方大、不習無不利」、六三「含章可貞、或従王事、無成有終」、六四「括嚢、無咎無誉」、六五「黄裳元吉」、上六「龍戦于野、其血玄黄」と続く。
初六の「霜を履んで堅氷至る」は、現代でも頻繁に引用される警句である。微細な兆候が大きな事態を予告するという意味であり、漸進的な変化への警戒を促す。六二の「直方大」は、坤の徳の純粋な顕れである。六五の「黄裳元吉」は、王道的な位置における中和の徳を示す。上六の「龍戦于野」は、陰が極まって陽と衝突する究極の状況を示す。
坤の卦は、しばしば「臣道」や「妻道」として論じられてきたが、これは受容性や養育性を女性や臣下と短絡的に結びつける誤った読み方であると私は考える。坤の本質は、創造の対をなす受容、能動の対をなす容受であり、これは性別や身分とは独立した宇宙的な原理である。
第三卦 水雷屯
「屯」は、乾坤の二卦に続く卦であり、万物が生まれ出る最初の困難を象徴する。下卦は震(雷)、上卦は坎(水)。雷が水の下にあり、まだ動き出せない状態である。
卦辞は「元亨、利貞、勿用有攸往、利建侯」。物事の始まりにおいては、創業の困難があり、軽率に行動すべきでないこと、補佐役を立てることが有利であることを示す。
「屯」という字は、草の芽が大地を破って出ようとして難渋する象であり、生命の初発の困難を視覚的に表現している。乾坤による天地の創造の後、最初の生命が生まれ出ようとする段階を表すのが、この屯の卦である。
第四卦 山水蒙
「蒙」は屯に続く卦であり、生まれ出たばかりの幼蒙な状態を象徴する。下卦は坎(水)、上卦は艮(山)。山の下に水が流れ出ようとして、まだその姿が定まらない状態である。
卦辞は「亨。匪我求童蒙、童蒙求我。初筮告、再三瀆、瀆則不告。利貞」。幼児の啓蒙には、教える側からではなく、学ぶ側から求めることが必要であり、繰り返し問えば答えは得られないという、教育の本質を述べている。
この卦は、教育や啓蒙の象徴として広く読まれてきた。日本語で「啓蒙」という言葉が用いられるのも、この卦の影響である。
第五卦 水天需
「需」は、待つことの意味を表す。下卦は乾(天)、上卦は坎(水)。天の上に水があり、雨が降るのを待つ象、あるいは、雲が水を含んで雨を降らせるのを待つ象である。
卦辞は「有孚、光亨、貞吉、利渉大川」。誠意があれば、輝かしく通じ、正しければ吉であり、大川を渡るに利あり、と述べる。需は単なる消極的な待機ではなく、誠意をもって時を待つ積極的な態度を示す。
第六卦 天水訟
「訟」は、争いや訴訟を表す。下卦は坎(水)、上卦は乾(天)。需の卦を上下逆さまにした綜卦であり、需が待つことの意味であるのに対して、訟は待ちきれずに争うことの意味を持つ。
卦辞は「有孚窒、惕中吉、終凶。利見大人、不利渉大川」。争いには注意を要し、最後まで戦えば凶であり、大人(権威ある人)に頼るのがよく、大事業を行うには不利である、と述べる。
この卦は、争いを避けるべきことを基本的な教訓とする。同時に、争いが避けがたい場合には、適切な仲介者を立てるべきことを示唆する。
第七卦 地水師
「師」は、軍隊や群衆の意味を表す。下卦は坎(水)、上卦は坤(地)。地の下に水が集まる象、すなわち民衆が一所に集まる象である。
卦辞は「貞、丈人吉、無咎」。正しく、徳のある指導者がいれば吉であり、咎なしと述べる。師の卦は、軍事行動や大規模な組織の運営における原理を象徴する。
爻辞の九二「在師中吉、無咎、王三錫命」は、軍中において中庸を保ち、王から三度の命令を受けるという、有能な将軍の姿を描く。
第十一章 水地比から地天泰まで(八卦から十一卦)
第八卦 水地比
「比」は、親しみ合うことを意味する。下卦は坤(地)、上卦は坎(水)。地の上に水が満ちる象、すなわち万物が水によって潤され、相互に親しみ合う象である。
卦辞は「吉。原筮、元永貞、無咎。不寧方来、後夫凶」。比は基本的に吉であるが、再度筮を立てて、元永貞であることを確認すべきであり、不寧者も来り親しみ、遅れて来る者は凶となる、と述べる。
師の卦が群衆を集めることを意味するのに対して、比の卦は集まった群衆が親しみ合うことを意味する。両者は表裏一体の関係にある。
第九卦 風天小畜
「小畜」は、小さく蓄えることを意味する。下卦は乾(天)、上卦は巽(風)。天の上に風が吹く象であり、一陰が五陽を畜める象である。
卦辞は「亨。密雲不雨、自我西郊」。通じるが、密雲があって雨が降らない、それは私の西郊から来る、と述べる。雨が降りそうで降らない、機が熟さない状態を示す。
第十卦 天沢履
「履」は、踏み行うこと、礼儀作法を意味する。下卦は兌(沢)、上卦は乾(天)。天の下に沢があり、上下の差別が明確である象である。
卦辞は「履虎尾、不咥人、亨」。虎の尾を踏んでも噛まれない、通じる、と述べる。危険な状況にあっても、適切な礼儀作法を保てば、災いを免れることができることを示す。
第十一卦 地天泰
「泰」は、安泰、平和、繁栄を意味する。下卦は乾(天)、上卦は坤(地)。本来下にあるべき天が下に、上にあるべき地が上にあるという、一見すると逆の配置である。
しかし、易経の世界観においては、天の気は上昇し、地の気は下降する。だから、天が下に、地が上にあれば、両者の気が交わり、調和が生じる。逆に、天が上に、地が下にあれば、両者の気が交わらず、不調和が生じる。これが次の天地否の卦である。
卦辞は「小往大来、吉亨」。小さな陰が往き、大きな陽が来る、吉であり通じると述べる。泰の卦は、易経のなかで最も理想的な状態のひとつとされる。
爻辞には、有名な「無平不陂、無往不復」がある。平らで陂(坂)でないものはなく、往って復らないものはない、という意味である。盛者必衰の理を象徴する句である。
第十二章 天地否から地山謙まで(十二卦から十五卦)
第十二卦 天地否
「否」は、塞がる、不通を意味する。下卦は坤(地)、上卦は乾(天)。泰の卦を上下逆さまにした綜卦であり、天と地が交わらない状態を表す。
卦辞は「否之匪人、不利君子貞、大往小来」。否は人の道に反し、君子の正には不利であり、大が往き小が来る、と述べる。否の卦は、易経のなかで最も困難な状況のひとつとされる。
爻辞の上九「傾否、先否後喜」は、否が傾く、先に否があり後に喜びがある、と述べる。困難な状況も永遠には続かず、必ず転換することを示唆する。
第十三卦 天火同人
「同人」は、人と同じくする、すなわち志を同じくする者と協力することを意味する。下卦は離(火)、上卦は乾(天)。天の下に火が燃え上がる象、人々が同じ志のもとに集まる象である。
卦辞は「同人于野、亨。利渉大川、利君子貞」。広い野で人と同じくすれば通じ、大川を渡るに利あり、君子の正に利ありと述べる。
第十四卦 火天大有
「大有」は、大いに有つこと、すなわち豊かに所有することを意味する。下卦は乾(天)、上卦は離(火)。天の上に火が燃え上がる象であり、太陽が天の上にあって万物を照らす象である。
卦辞は「元亨」。大いに通じる、と簡潔に述べる。大有は、繁栄の絶頂を表す吉卦である。
第十五卦 地山謙
「謙」は、謙遜、控えめを意味する。下卦は艮(山)、上卦は坤(地)。本来高い山が、低い地の下にある象であり、高位にありながら低きに身を置く謙虚な徳を表す。
卦辞は「亨、君子有終」。通じる、君子に終わりあり、と述べる。爻辞のすべてが吉または利を含み、六十四卦のなかで珍しい吉卦である。
謙の卦は、儒家倫理における重要な徳目として、繰り返し論じられてきた。「謙謙君子」「謙受益、満招損」といった格言は、いずれもこの卦の影響を受けたものである。
私は、ここまで十五卦を論じてきたが、六十四卦のすべてを同じ深さで論じることは、本稿の紙幅の関係で不可能である。以下の章では、特に重要な卦を中心に、より簡潔に論じていきたい。
第十三章 雷地予から山天大畜まで(十六卦から二十六卦)
第十六卦 雷地予
「予」は、楽しみ、悦びを意味する。下卦は坤(地)、上卦は震(雷)。地の上に雷が轟き、春雷が大地を呼び覚ます象である。
卦辞は「利建侯行師」。侯を建て師を行うに利あり、と述べる。予は喜びの卦であるが、同時に行動の卦でもある。喜びの感情が積極的な行動を促すという、心理的な真実を表現している。
第十七卦 沢雷随
「随」は、随うことを意味する。下卦は震(雷)、上卦は兌(沢)。雷が沢の下に隠れる象であり、適切な時期に身を引いて他に随うことの意味を持つ。
卦辞は「元亨、利貞、無咎」。大いに通じ、正に利あり、咎なしと述べる。随は、状況の変化に応じて柔軟に随順することの徳を表す。
第十八卦 山風蠱
「蠱」は、腐敗、混乱、修復の必要を意味する。下卦は巽(風)、上卦は艮(山)。山の下に風が止まり、空気が淀んで腐敗する象である。
卦辞は「元亨、利渉大川」。大いに通じ、大川を渡るに利ありと述べる。腐敗を直視し、これを修復する大事業の象徴である。
第十九卦 地沢臨
「臨」は、臨むこと、上から下を望むことを意味する。下卦は兌(沢)、上卦は坤(地)。地の下に沢があり、二つの陽が下から成長して上に臨む象である。
卦辞は「元亨、利貞。至于八月有凶」。大いに通じ、正に利あり、八月に至りて凶ありと述べる。成長の卦であるが、同時に時間の循環における凶の予告も含む。
第二十卦 風地観
「観」は、観ること、観察することを意味する。下卦は坤(地)、上卦は巽(風)。地の上に風が吹き渡る象であり、上から下を観察する象である。
卦辞は「盥而不薦、有孚顒若」。手を洗うが供え物を捧げず、誠意があって厳粛である、と述べる。観の卦は、観察と内省の徳を象徴する。
第二十一卦 火雷噬嗑
「噬嗑」は、噛み合わせることを意味する。下卦は震(雷)、上卦は離(火)。雷と火の象であり、刑罰や裁判の象徴とされる。
卦辞は「亨。利用獄」。通じる、獄を用いるに利あり、と述べる。噬嗑の卦は、社会の不正を断ち切る刑罰の必要性を象徴する。
第二十二卦 山火賁
「賁」は、飾ることを意味する。下卦は離(火)、上卦は艮(山)。山の下に火が燃え、山を美しく照らす象である。
卦辞は「亨。小利有攸往」。通じる、小さな行動に利あり、と述べる。賁の卦は、文化や芸術の卦としても読まれる。
第二十三卦 山地剝
「剝」は、剝げ落ちることを意味する。下卦は坤(地)、上卦は艮(山)。地の上に山があるが、その山が剝げ落ちる象である。
卦辞は「不利有攸往」。行うに利なしと述べる。剝の卦は、衰退の極致を表し、軽率な行動を戒める。
第二十四卦 地雷復
「復」は、復ること、戻ることを意味する。下卦は震(雷)、上卦は坤(地)。地の下に一陽が復り、新しい生命の萌芽を象徴する。
卦辞は「亨、出入無疾、朋来無咎」。通じる、出入りに疾なく、朋来りて咎なしと述べる。
剝と復の二卦は、対をなす関係にある。剝は陽が剝げ落ちて陰が極まる卦であり、復は陰の極まりから一陽が復る卦である。両者は、宇宙の循環における陰陽の交替を象徴する。十二消息卦のなかでも、剝は九月、復は十一月(冬至)に配当され、季節の循環における重要な転換点を表す。
第二十五卦 天雷無妄
「無妄」は、妄り(みだり)なしを意味する。下卦は震(雷)、上卦は乾(天)。天の下に雷が動く象であり、自然な動きそのままに従う徳を表す。
卦辞は「元亨、利貞。其匪正有眚、不利有攸往」。大いに通じ、正に利あり、正でないものは災いがあり、行うに利なしと述べる。
第二十六卦 山天大畜
「大畜」は、大きく蓄えることを意味する。下卦は乾(天)、上卦は艮(山)。天の上に山があり、山が天を包み込むほどに蓄える象である。
卦辞は「利貞、不家食吉、利渉大川」。正に利あり、家で食さずして吉、大川を渡るに利ありと述べる。大畜の卦は、大いなる蓄積と、その蓄積を活用する大事業の象徴である。
第十四章 山雷頤から離為火まで(二十七卦から三十卦)
第二十七卦 山雷頤
「頤」は、顎、養育を意味する。下卦は震(雷)、上卦は艮(山)。卦の形そのものが顎の形を象り、両端が陽爻、内側が陰爻という独特の構造を持つ。
卦辞は「貞吉。観頤、自求口実」。正にして吉、頤を観て自ら口実を求むと述べる。頤の卦は、養育、すなわち他者を養い自らを養う徳を象徴する。
第二十八卦 沢風大過
「大過」は、大いに過ぎることを意味する。下卦は巽(風)、上卦は兌(沢)。両端が陰爻、内側が四つの陽爻という、極端な構造を持つ。
卦辞は「棟橈、利有攸往、亨」。棟が橈む(たわむ)、行うに利あり、通じると述べる。大過の卦は、過度な状況、非常時の決断を象徴する。
第二十九卦 坎為水
「坎」は、陥ること、水を意味する。下卦も上卦も坎であり、水が重なる象である。
卦辞は「習坎、有孚、維心亨、行有尚」。坎を習い、誠意あり、心のみ通じる、行に尚あり、と述べる。坎の卦は、危険のなかにあって誠意を保ち続けることの徳を象徴する。
第三十卦 離為火
「離」は、麗(つ)くこと、火を意味する。下卦も上卦も離であり、火が重なる象である。
卦辞は「利貞、亨。畜牝牛吉」。正に利あり、通じる、牝牛を畜うに吉と述べる。離の卦は、明智の徳、すなわち物事を明らかに見通す智慧を象徴する。
坎と離は、坎の二陽が一陰に挟まれ、離の二陰が一陽に挟まれるという、対称的な構造を持つ。両者は水と火の対立を表すと同時に、月と太陽の対立をも象徴する。
ここで、六十四卦のうち、上経三十卦の前半が終わる。伝統的に、易経は上経三十卦と下経三十四卦に分けられる。上経は乾坤に始まり坎離に終わり、宇宙論的・形而上学的な内容を多く含むとされる。下経は咸恒に始まり既済未済に終わり、人事的・倫理的な内容を多く含むとされる。
第十五章 沢山咸から水雷屯への流転(三十一卦から四十卦)
第三十一卦 沢山咸
「咸」は、感じ合うことを意味する。下卦は艮(山)、上卦は兌(沢)。山の上に沢があり、若い男女が互いに感応し合う象である。下経の冒頭に置かれる卦であり、人事の出発点として男女の感応を置く構成である。
卦辞は「亨、利貞、取女吉」。通じる、正に利あり、女を娶りて吉と述べる。咸の卦は、人間関係における感応の徳を象徴する。
第三十二卦 雷風恒
「恒」は、常、永続を意味する。下卦は巽(風)、上卦は震(雷)。雷風の象であり、夫婦関係や永続的な関係の象徴である。
卦辞は「亨、無咎、利貞、利有攸往」。通じる、咎なし、正に利あり、行うに利ありと述べる。恒の卦は、永続性と持続性の徳を象徴する。
咸と恒は、対をなす関係にある。咸が若い男女の初発の感応を表すのに対して、恒は成熟した夫婦の永続的な関係を表す。両者は、人間関係の発展段階を象徴する。
第三十三卦 天山遯
「遯」は、退くこと、隠遁することを意味する。下卦は艮(山)、上卦は乾(天)。山の上に天があり、二つの陰が下から成長してきて、陽が退かざるを得ない象である。
卦辞は「亨、小利貞」。通じる、小さく正に利ありと述べる。遯の卦は、時宜にかなった退却の徳を象徴する。
第三十四卦 雷天大壮
「大壮」は、大いに壮んなることを意味する。下卦は乾(天)、上卦は震(雷)。天の上に雷が轟く象であり、四つの陽が下から二つの陰を圧迫する象である。
卦辞は「利貞」。正に利ありと簡潔に述べる。大壮の卦は、強盛の徳を象徴するが、同時にその強盛が過剰になることへの警戒も含む。
第三十五卦 火地晋
「晋」は、進むことを意味する。下卦は坤(地)、上卦は離(火)。地の上に火(太陽)が昇る象であり、明智が地上に進み出る象である。
卦辞は「康侯用錫馬蕃庶、昼日三接」。康侯(地方を治める侯)が馬を賜与され、一日に三度接見されるという、進出と昇進の象徴である。
第三十六卦 地火明夷
「明夷」は、明(智)が傷つくことを意味する。下卦は離(火)、上卦は坤(地)。地の下に火が沈む象であり、太陽が地下に沈んで光が傷つく象である。
卦辞は「利艱貞」。艱(なや)むに正に利ありと述べる。明夷の卦は、暗黒の時代における賢者の振る舞いを象徴する。
晋と明夷は、対をなす関係にある。晋が太陽の上昇を表すのに対して、明夷は太陽の沈没を表す。両者は、政治的な明暗の対比を象徴する。
第三十七卦 風火家人
「家人」は、家族を意味する。下卦は離(火)、上卦は巽(風)。火の上に風が吹く象であり、家のなかで火が燃え、煙が風に乗って立ち上る象である。
卦辞は「利女貞」。女の正に利ありと述べる。家人の卦は、家族関係の秩序を象徴する。
第三十八卦 火沢睽
「睽」は、背くことを意味する。下卦は兌(沢)、上卦は離(火)。火が上に昇り、沢が下に流れ、両者が背き合う象である。
卦辞は「小事吉」。小事に吉と述べる。睽の卦は、不和と異端の状況を象徴する。
第三十九卦 水山蹇
「蹇」は、足が悪くて歩めないことを意味する。下卦は艮(山)、上卦は坎(水)。山の上に水がある象であり、前進が困難な状況を表す。
卦辞は「利西南、不利東北。利見大人、貞吉」。西南に利あり、東北に利なし、大人を見るに利あり、正にして吉と述べる。
第四十卦 雷水解
「解」は、解けることを意味する。下卦は坎(水)、上卦は震(雷)。雷雨が降り、凍りついた状態が解ける象である。
卦辞は「利西南、無所往、其来復吉、有攸往夙吉」。西南に利あり、行く所なくして来り復らば吉、行く所あれば早きに吉と述べる。
蹇と解は、対をなす関係にある。蹇が困難の状況を表すのに対して、解はその困難が解消する状況を表す。両者は、困難と解放の対比を象徴する。
第十六章 山沢損から沢風大過の手前まで(四十一卦から五十卦)
第四十一卦 山沢損
「損」は、損なうこと、減らすことを意味する。下卦は兌(沢)、上卦は艮(山)。山の下に沢があり、下から取って上を厚くする象である。
卦辞は「有孚、元吉、無咎、可貞、利有攸往。曷之用、二簋可用享」。誠意があれば大いに吉、咎なし、正であるべし、行うに利あり、何を用いるか、二つの簋(さら)で享すべしと述べる。
損の卦は、何を損なうかが重要であり、必要なものを損なって本来あるべきものを保持する徳を象徴する。
第四十二卦 風雷益
「益」は、増やすこと、補益することを意味する。下卦は震(雷)、上卦は巽(風)。風雷の象であり、上から取って下を厚くする象である。
卦辞は「利有攸往、利渉大川」。行うに利あり、大川を渡るに利ありと述べる。
損と益は、対をなす関係にある。損は損なうことの卦であるが、必ずしも凶ではなく、適切な損は益をもたらす。益は増やすことの卦であるが、必ずしも吉ではなく、不適切な益は損をもたらす。両者は、損得の弁証法的な関係を象徴する。
第四十三卦 沢天夬
「夬」は、決すること、断ち切ることを意味する。下卦は乾(天)、上卦は兌(沢)。五つの陽が一つの陰を圧倒する象であり、決断と排除の卦である。
卦辞は「揚于王庭、孚号有厲、告自邑、不利即戎、利有攸往」。王庭に揚げ、誠の号令ありて厲(あやう)し、自邑より告ぐ、戎(軍事)に即くに利なし、行うに利ありと述べる。
第四十四卦 天風姤
「姤」は、出会うことを意味する。下卦は巽(風)、上卦は乾(天)。五つの陽の下に一つの陰が新たに生じる象である。
卦辞は「女壮、勿用取女」。女が壮ん、女を娶るに用うることなかれと述べる。
夬と姤は、対をなす関係にある。夬は一陰を排除する卦であり、姤は一陰が新たに生じる卦である。両者は、陰の出入りの対比を象徴する。
第四十五卦 沢地萃
「萃」は、聚(あつ)まることを意味する。下卦は坤(地)、上卦は兌(沢)。地の上に沢があり、水が一所に集まる象である。
卦辞は「亨。王仮有廟、利見大人、亨、利貞、用大牲吉、利有攸往」。通じる、王が廟に至る、大人を見るに利あり、通じる、正に利あり、大牲(大きな犠牲)を用いて吉、行うに利ありと述べる。
第四十六卦 地風升
「升」は、昇ることを意味する。下卦は巽(風)、上卦は坤(地)。地の下に風が吹き、植物が地下から地上へ昇り出る象である。
卦辞は「元亨、用見大人、勿恤、南征吉」。大いに通じ、大人を見るに用い、憂うることなかれ、南征して吉と述べる。
萃と升は、対をなす関係にある。萃が集まることの卦であるのに対して、升は昇ることの卦である。
第四十七卦 沢水困
「困」は、困窮を意味する。下卦は坎(水)、上卦は兌(沢)。沢の下に水があり、本来沢を満たすべき水が下に漏れ出ている象である。
卦辞は「亨、貞、大人吉、無咎、有言不信」。通じる、正、大人にして吉、咎なし、言ありて信ぜずと述べる。困の卦は、極限の困窮における君子の振る舞いを象徴する。
第四十八卦 水風井
「井」は、井戸を意味する。下卦は巽(風)、上卦は坎(水)。水の下に風があり、井戸の底から水を汲み上げる象である。
卦辞は「改邑不改井、無喪無得、往来井井、汔至亦未繘井、羸其瓶、凶」。邑を改めても井戸を改めない、喪なく得なし、井戸に往来する、ほとんど至るも繘(つるべ縄)が井戸に届かず、瓶を破る、凶と述べる。
井の卦は、不変の養いの源を象徴する。井戸は誰のものでもなく、誰もが汲むことができる共通の資源である。
第四十九卦 沢火革
「革」は、改めること、革命を意味する。下卦は離(火)、上卦は兌(沢)。沢の下に火があり、火が水を蒸発させて状態を変える象である。
卦辞は「己日乃孚、元亨、利貞、悔亡」。己の日にして信を得る、大いに通じ、正に利あり、悔い亡ぶと述べる。革の卦は、根本的な変革の必要性と、その正当性の条件を象徴する。
第五十卦 火風鼎
「鼎」は、青銅製の三本足の器を意味する。下卦は巽(風)、上卦は離(火)。火の下に風があり、鼎で食物を煮る象である。
卦辞は「元吉、亨」。大いに吉、通じると述べる。鼎の卦は、政治的な権威の継承と、新しい時代の確立を象徴する。
革と鼎は、対をなす関係にある。革が古いものを改めることの卦であるのに対して、鼎は新しいものを確立することの卦である。両者は、変革の二つの側面を象徴する。
第十七章 震為雷から火山旅までの動静(五十一卦から五十六卦)
第五十一卦 震為雷
「震」は、雷を意味する。下卦も上卦も震であり、雷が重なる象である。
卦辞は「亨。震来虩虩、笑言啞啞、震驚百里、不喪匕鬯」。通じる、震来りて虩虩(びくびく)たり、笑言啞啞(笑い声)、震驚百里、匕鬯(祭器)を喪わずと述べる。
震の卦は、突発的な衝撃と、その衝撃に対する平静な対応の徳を象徴する。
第五十二卦 艮為山
「艮」は、山、止まることを意味する。下卦も上卦も艮であり、山が重なる象である。
卦辞は「艮其背、不獲其身、行其庭、不見其人、無咎」。其の背に艮(とど)まり、其の身を獲(え)ず、其の庭を行きて其の人を見ず、咎なしと述べる。
艮の卦は、適切な時に適切に止まることの徳を象徴する。動と静のうち、静の極致を表す卦である。
震と艮は、対をなす関係にある。震が動の極致を表すのに対して、艮は静の極致を表す。両者は、動静の対比を象徴する。
第五十三卦 風山漸
「漸」は、漸進、徐々に進むことを意味する。下卦は艮(山)、上卦は巽(風)。山の上に木が漸次に成長する象である。
卦辞は「女帰吉、利貞」。女が帰(嫁)するに吉、正に利ありと述べる。漸の卦は、急がず徐々に進むことの徳を象徴する。
第五十四卦 雷沢帰妹
「帰妹」は、妹が嫁ぐことを意味する。下卦は兌(沢)、上卦は震(雷)。沢の上に雷が轟く象であり、若い女が嫁ぐ象である。
卦辞は「征凶、無攸利」。征するに凶、利なしと述べる。帰妹の卦は、不適切な婚姻、より一般的には不適切な関係を象徴する。
漸と帰妹は、対をなす関係にある。漸が順序正しい婚姻を表すのに対して、帰妹は急いだ婚姻を表す。両者は、関係形成における順序の重要性を象徴する。
第五十五卦 雷火豊
「豊」は、豊かなることを意味する。下卦は離(火)、上卦は震(雷)。火の上に雷があり、明智と動が結合する象である。
卦辞は「亨。王仮之、勿憂、宜日中」。通じる、王が至る、憂うることなかれ、日中に宜(よろ)しと述べる。
豊の卦は、繁栄の絶頂を表すが、同時に「日中」、すなわち太陽が頂点に達したらやがて傾くという、盛者必衰の理も含意する。
第五十六卦 火山旅
「旅」は、旅、旅人を意味する。下卦は艮(山)、上卦は離(火)。山の上に火が燃え、移ろう象である。
卦辞は「小亨、旅貞吉」。小さく通じる、旅の正にして吉と述べる。旅の卦は、定住地を離れて移ろう状況における慎重さの徳を象徴する。
豊と旅は、対をなす関係にある。豊が定住地での繁栄を表すのに対して、旅は移ろう不安定さを表す。両者は、定と動の対比を象徴する。
第十八章 巽為風から火水未済までの終結(五十七卦から六十四卦)
第五十七卦 巽為風
「巽」は、風、入ることを意味する。下卦も上卦も巽であり、風が重なる象である。
卦辞は「小亨、利有攸往、利見大人」。小さく通じる、行うに利あり、大人を見るに利ありと述べる。
巽の卦は、柔順に入り込むことの徳を象徴する。風は隙間という隙間に入り込み、固いものを徐々に動かす。
第五十八卦 兌為沢
「兌」は、沢、悦ぶことを意味する。下卦も上卦も兌であり、沢が重なる象である。
卦辞は「亨、利貞」。通じる、正に利ありと述べる。兌の卦は、悦びの徳を象徴する。
巽と兌は、対をなす関係にある。巽が陰柔の入の徳を表すのに対して、兌は陰柔の悦の徳を表す。
第五十九卦 風水渙
「渙」は、散ること、解け散ることを意味する。下卦は坎(水)、上卦は巽(風)。水の上に風が吹き、水面に波が散る象である。
卦辞は「亨。王仮有廟、利渉大川、利貞」。通じる、王が廟に至る、大川を渡るに利あり、正に利ありと述べる。
第六十卦 水沢節
「節」は、節度、節制を意味する。下卦は兌(沢)、上卦は坎(水)。沢の上に水があり、沢が水を一定量にとどめる象である。
卦辞は「亨、苦節不可貞」。通じる、苦き節は正であるべからずと述べる。
節の卦は、適切な節度の徳を象徴する。ただし、過度な節制(苦節)は害となることも示唆する。
渙と節は、対をなす関係にある。渙が散ることの卦であるのに対して、節は留めることの卦である。両者は、流通と節度の対比を象徴する。
第六十一卦 風沢中孚
「中孚」は、中(こころ)の孚(まこと)を意味する。下卦は兌(沢)、上卦は巽(風)。卦の形が、内側が空(陰)で外側が実(陽)という、卵のような形を成す。
卦辞は「豚魚吉、利渉大川、利貞」。豚魚にも及ぶ吉、大川を渡るに利あり、正に利ありと述べる。中孚の卦は、内心の誠実さが、もっとも素朴な存在にまで及ぶことを象徴する。
第六十二卦 雷山小過
「小過」は、小さく過ぎることを意味する。下卦は艮(山)、上卦は震(雷)。中孚とは逆に、内側が実(陽)で外側が虚(陰)の形を成す。
卦辞は「亨、利貞、可小事、不可大事。飛鳥遺之音、不宜上、宜下、大吉」。通じる、正に利あり、小事は可、大事は不可、飛鳥が音を遺す、上に宜しからず、下に宜し、大吉と述べる。
第六十三卦 水火既済
「既済」は、既に済(な)ることを意味する。下卦は離(火)、上卦は坎(水)。火の上に水があり、水が火に対応してすべての爻が正しい位置にある、完成の象である。
卦辞は「亨小、利貞、初吉終乱」。小さく通じる、正に利あり、初めに吉、終わりに乱ありと述べる。
既済は、すべての爻が正位(陽爻が陽位、陰爻が陰位)にあり、形式的には完璧な卦である。しかし、その完璧さゆえに、これ以上の発展がなく、やがて崩壊に向かう。「初吉終乱」という卦辞は、この逆説を端的に表現している。
第六十四卦 火水未済
「未済」は、未だ済らざる、未完成を意味する。下卦は坎(水)、上卦は離(火)。水の上に火があり、すべての爻が不正位(陽爻が陰位、陰爻が陽位)にある、不完成の象である。
卦辞は「亨。小狐汔済、濡其尾、無攸利」。通じる、小狐がほとんど渡るも其の尾を濡らす、利なしと述べる。
未済は、易経の最後に置かれる卦である。六十四卦の最後が「未完成」の卦であることは、極めて重要な象徴的意義を持つ。世界は決して完成することなく、絶えず未完のままに続いていく。これが、易経の世界観の最終的な結論なのである。
既済と未済の対比は、易経全体の構造を象徴している。形式的な完成は同時に終わりを意味し、形式的な未完成は同時に永遠の可能性を意味する。易経は、世界の本質を「未済」、すなわち未完成のうちに見出すのである。
私は、この最後の卦の配置に、易経編纂者の深い智慧を感じる。もし既済を最後に置けば、易経は「完成」で終わってしまう。しかし、易経は「未完成」で終わる。これは、世界が常に動的であり、変化し続けることを意味する。易の本義は「変化」であり、変化が止まることは易の終焉を意味する。だからこそ、易経は永遠の未完成において終わるのである。
第四部 流儀を分けて見る――占法の諸派
私は、ここから易を立てる具体的な方法、すなわち占法について論じていきたい。易経は読まれるだけのテクストではなく、立てられる占筮の体系である。占筮の方法には多くの流儀があり、それぞれが独自の伝統を持つ。
第十九章 筮竹を用いる本筮法
「本筮法」は、易経の伝統的な占法のうち、もっとも正統的なものとされる。私は、まずこの本筮法について、その手順を詳しく説明したい。
本筮法は、五十本の筮竹を用いて占う方法である。筮竹は、本来は蓍(めどぎ)と呼ばれる植物の茎から作られた占いの道具であり、長さは六十センチ前後のものが用いられる。
具体的な手順は以下の通りである。
まず、筮者は五十本の筮竹を手にし、心を静めて占いたい事柄を念じる。これを「太極」と呼ぶ。
次に、五十本のうち一本を抜き出して別に置く。これを「太極の一本」と呼ぶ。残りの四十九本を「大衍の数」と呼ぶ。
四十九本を、左手と右手に分ける。左右の分割は、筮者の直感によってなされる。これを「両儀に分かつ」と呼ぶ。
次に、右手の本数のうち一本を、左手の小指と薬指のあいだに挟む。これを「人の一本」と呼ぶ。
左手の本数を四本ずつ数えていく。最後に残る本数は一、二、三、四のいずれかとなる。この余りを別に置く。
右手の本数も同様に四本ずつ数え、余りを別に置く。
左手の余り、右手の余り、そして人の一本の合計が、五本または九本となる。これを別に置く。これが「第一変」である。
残った筮竹を再び両手に分け、同じ手順を繰り返す。これが「第二変」である。第二変の余りの合計は、四本または八本となる。
さらに同じ手順を繰り返す。これが「第三変」である。第三変の余りの合計も、四本または八本となる。
三変が終わったとき、残った筮竹の本数は、二十四、二十八、三十二、三十六のいずれかとなる。これを四で割ると、六、七、八、九のいずれかが得られる。
これらの数の意味は次の通りである。六は老陰(変爻の陰)、七は少陽(不変爻の陽)、八は少陰(不変爻の陰)、九は老陽(変爻の陽)である。
以上の三変で、卦の一爻が決まる。卦は六爻からなるから、合計十八変を行うことで、一つの卦が決定される。
この本筮法は、極めて時間がかかる手法である。一回の占いに、熟練した筮者でも二十分から三十分はかかる。それゆえ、本筮法は重大な事柄に対する正式な占筮として位置づけられ、日常的な占いには用いられない。
本筮法の手順の複雑さは、しかし、単なる煩瑣ではない。複雑な手順を踏むことで、筮者は心を統一し、占いの結果に対する集中を高める。また、複雑さは恣意性を排除する役割も果たす。簡単な手順では、筮者の意識的・無意識的な意図が結果に影響しやすいが、複雑な手順では、そのような影響が薄まる。
私は、本筮法の意義を、単なる占いの精度ではなく、占いという行為そのものの儀式性に見出すべきだと考えている。複雑な手順を経ることで、占筮は単なる結果の取得ではなく、神聖な儀礼となる。
第二十章 中筮法と略筮法
本筮法の煩瑣を簡略化したものとして、中筮法と略筮法がある。私は、これらの簡略化された方法についても触れておきたい。
中筮法は、本筮法の三変を一変に短縮した方法である。具体的な手順は、本筮法と同様に五十本の筮竹を用意し、太極の一本を抜き、四十九本を扱う。しかし、本筮法のように三回繰り返すのではなく、一回の手順で一爻を決定する。
中筮法では、筮竹を八本ずつ数え、余りで卦を決定するなどの方法がある。具体的な手順は流派によって異なり、必ずしも統一されていない。
略筮法は、さらに簡略化された方法である。多くの場合、筮竹を用いず、サイコロや銅銭などの簡便な道具を用いる。サイコロを用いる場合、二つのサイコロを振り、その目の和で卦を決定する方法などがある。
これらの簡略化された方法は、本筮法の正統性に対しては劣ると見なされることが多い。しかし、実用的な観点からは、簡略法も十分に有効である。日常的な占いには、本筮法ではなく中筮法や略筮法が用いられることが多い。
私は、本筮法と略筮法のあいだの優劣について、一概には判断できないと考えている。本筮法は儀式性において優れるが、略筮法は手軽さにおいて優れる。どちらを用いるかは、占いの目的と状況によって決まるべきである。
第二十一章 銅銭三枚を用いる擲銭法
「擲銭法」は、銅銭三枚を用いる占法である。これは中国民間に広く普及した方法であり、現代でも多くの愛好家に用いられている。
具体的な手順は次の通りである。
まず、銅銭を三枚用意する。伝統的には、清朝の康熙通宝や乾隆通宝などの古銭が用いられるが、現代では普通のコインで代用することもある。
銅銭の表(文字のある面)を陽、裏(無字の面)を陰とする。あるいは、文字のある面に三の数を、無字の面に二の数を割り当てる流派もある。
三枚の銅銭を両手で包み、心を静めて占いたい事柄を念じる。
両手を振って、三枚の銅銭を投げ出す。三枚の表裏の組み合わせから、爻を決定する。
表裏の組み合わせの解釈には、いくつかの流派がある。一般的な方法では、表の数を三、裏の数を二とし、合計の数で爻を決める。三表ならば九(老陽)、二表一裏ならば八(少陰)、一表二裏ならば七(少陽)、三裏ならば六(老陰)となる。
別の流派では、表裏の組み合わせを五行に対応させたり、八卦のいずれかに対応させたりする。
擲銭法を六回繰り返すことで、一つの卦が決定される。本筮法に比べてはるかに短時間で済むため、日常的な占いに広く用いられる。
擲銭法は、本筮法に比べると儀式性が薄いが、その分、誰でも気軽に試みることができる。私は、擲銭法の普及こそが、易を民衆のものとした歴史的契機であったと考えている。
第二十二章 梅花心易と数術的占法
「梅花心易」は、北宋の邵雍に由来するとされる占法である。私は、この特殊な占法について、ここで詳しく論じたい。
梅花心易の名は、邵雍が梅の花を見ているときに、二羽の雀が落ちる光景を見て、瞬時に占いを立てて未来を予知したという伝説に由来する。すなわち、梅花心易は、外的な兆候から卦を立てる占法である。
具体的な手順は、占いたい状況において目に入った数、聞こえた音、見えた色、出会った人物など、外的な事象を数値化し、それから卦を立てるというものである。
たとえば、年月日時の数を用いて卦を立てる方法がある。年の数を地支に対応させ、月日時の数を加えて、八で割った余りで上卦を決定する。さらに同様の計算で下卦と動爻を決定する。
別の方法として、人の声の数を数えたり、物の数を数えたりして、それから卦を立てることもある。
梅花心易の特徴は、筮竹や銅銭などの専用の道具を必要としないことである。日常生活のなかで、ふと気になった事柄について、即座に卦を立てることができる。
この特徴は、しかし、両刃の剣でもある。一方では、占筮の身近さを高めるが、他方では、筮者の恣意性が結果に影響しやすい。何を数値化するか、どの兆候を取るかは、筮者の主観に委ねられる。
私は、梅花心易の意義を、占筮を日常生活の連続体のなかに位置づけたことに見出している。本筮法が儀式的な切り離しの行為であるのに対して、梅花心易は日常の流れのなかで自然に発生する行為である。両者は対照的な性格を持つが、いずれも易の正統な実践である。
数術的占法の伝統は、梅花心易だけではない。「奇門遁甲」「太乙神数」「六壬神課」などの占法も、易経と関連しながら、独自の数術的体系を形成してきた。これらは「三式」と呼ばれ、中国の占術の最高峰とされる。
奇門遁甲は、八卦と九宮(魔方陣の九つの位置)を組み合わせ、時間と空間の座標系のなかで吉凶を判断する複雑な占法である。古代中国においては、軍事的な決断に用いられたとされ、諸葛孔明や劉伯温などの軍師が用いたとの伝説がある。
太乙神数は、宇宙の運行と歴史的な大局を予測する占法である。一年や一ヶ月の単位ではなく、数十年から数百年の単位で予測を行う。
六壬神課は、時間と方位を組み合わせて吉凶を判断する占法であり、日常的な事柄から国家的な事柄まで、幅広い対象に用いられる。
これら三式は、いずれも極めて複雑な体系を持ち、習得には長年の修行を要する。現代では、三式を体系的に習得する者は少なく、多くの場合、易経と組み合わせて部分的に用いられるに留まる。
第二十三章 断易と五行易の世界
「断易」または「五行易」は、易経と五行思想を組み合わせた占法である。私は、この実用的な占法について、ここで詳しく論じたい。
断易の起源は、漢代の京房に遡る。先述した通り、京房は易経の各爻に十干十二支を配当する「納甲」の技法を体系化した。この納甲の技法を発展させたものが、後の断易である。
断易の特徴は、卦辞・爻辞の文言を直接読まず、卦の構造と五行の関係性のみから吉凶を判断することにある。これは、義理易の伝統とは正反対の方向である。義理易が易経のテクストを哲学的に解釈するのに対して、断易は易経のテクストを離れて、純粋に占術的な体系として運用する。
具体的な手順は次の通りである。
まず、本筮法または擲銭法によって、卦を立てる。卦には、本卦と変卦(之卦)がある。
次に、本卦の各爻に十干十二支を配当する。これが納甲である。配当の規則は固定されており、卦の上下と陰陽によって決まる。
次に、各爻の十二支から、五行(木火土金水)を読み取る。
次に、占う事柄に応じて、「用神」を決定する。用神とは、占いの対象を象徴する爻のことである。たとえば、財運を占うときは妻財爻、健康を占うときは官鬼爻などが用神となる。
次に、用神の五行と、他の爻の五行との関係(相生・相剋)を分析する。同時に、その日の十二支との関係も考慮する。これらの関係性から、吉凶を判断する。
断易の判断は、極めて具体的である。卦辞・爻辞のような抽象的な表現を経ず、直接「いつ吉、いつ凶」「何を得る、何を失う」といった具体的な結論が導かれる。この具体性が、断易の魅力でもあり、また批判の対象でもある。
断易を支持する立場からは、その具体性が実用的占いの本質に合致するとされる。占いの依頼者は、抽象的な智慧ではなく、具体的な指針を求めている。断易はその要求に直接応える。
断易を批判する立場からは、その具体性が易経本来の精神を逸脱しているとされる。易経は本来、宇宙の根本原理と人事の倫理を象徴的に表現するテクストであり、それを単なる吉凶判断の道具に貶めるのは、易経への冒涜であるとされる。
私は、両者の立場のいずれにも一理あると考える。断易は、易経の応用としての価値を持つが、易経のすべてを汲み尽くすものではない。逆に、義理易の立場のみでは、易経の実用的な側面を見失う。両者は補完的な関係にあると見るべきである。
第二十四章 高島易断と近代日本の易
私は、ここで近代日本の易学を代表する「高島易断」について、より詳しく論じたい。
高島嘉右衛門は、幕末から明治にかけて活躍した実業家であり、易者である。彼は、実業の世界での成功と、易者としての名声を両立させた稀有な人物であった。
高島の易の特徴は、易経本文を近代の具体的事象に直接結びつける解釈にある。彼の著作『高島易断』は、易経の各卦・各爻に対して、政治、経済、軍事、外交、人事などの具体的な解釈を施し、近代日本の状況に応用可能な指針を提示した。
たとえば、ある卦の解釈において、高島は当時の国際情勢を引き合いに出し、特定の国家との外交関係の見通しを論じている。別の卦の解釈においては、特定の事業の見通しを論じている。これらの具体的な解釈は、抽象的な易経本文を、近代人にとって身近なものとした。
高島の易は、また、極めて具体的な実用性を備えていた。彼は、政府の要人、実業界の重鎮などから占いの依頼を受け、重大な決定に際して易を立てたとされる。彼の占断が当たったとされる事例は数多く、それが彼の名声を確立した。
しかし、高島の易には批判もある。彼の解釈は、しばしば易経本文から離れた牽強付会の傾向を持つとされる。具体的な事象に当てはめるあまり、易経本来の象徴的・哲学的な意味を逸脱しているとの指摘もある。
高島の死後、「高島易断」の名は受け継がれた。現代日本においても、複数の易者集団が「高島易断」を名乗っている。しかし、これらの集団のあいだには、血統や正統性をめぐる対立がある。「高島易断本社」「高島易断総本部」「高島易断神宮館」など、複数の組織が並立し、それぞれが「正統な高島易断」であると主張している。
このような混乱は、高島嘉右衛門が組織的な後継者を明確に定めなかったことに起因する。彼の死後、複数の弟子や関係者が、それぞれ「高島易断」の名を継いだ結果、現在の混乱した状況が生じた。
私は、現代の「高島易断」を名乗る集団について、一概に評価することはできないと考えている。それぞれの集団に、優れた易者と、そうでない易者がいる。高島の名を冠しているからといって、自動的に正統性が保証されるわけではない。
高島嘉右衛門以外にも、近代日本の易学を代表する人物は多い。明治から大正にかけて活躍した、各種の易者や学者たちが、それぞれ独自の易学を展開した。これらの諸流派は、現代日本の易学の多様性を形成している。
第二十五章 現代の電子的占法とアプリ占い
私は、ここで現代における易の新しい形態、すなわち電子的占法とアプリ占いについて論じたい。
二十世紀後半から、コンピュータの普及に伴い、易を立てるためのソフトウェアが開発されるようになった。最初期のものは、メインフレーム上で動作するプログラムであり、乱数発生器を用いて卦を立て、結果を表示するものであった。
パーソナルコンピュータの普及以降、易のソフトウェアは大衆化した。一九八〇年代から一九九〇年代にかけて、多くの易のソフトウェアが市販された。これらのソフトウェアは、本筮法または擲銭法の手順をシミュレートし、卦辞・爻辞を表示するものであった。
二十一世紀になると、スマートフォンの普及に伴い、易を立てるためのアプリが多数登場した。現代のアプリは、画面上で銅銭を擲ったり、筮竹を引いたりする動作をユーザーに行わせ、その結果から卦を立てる。卦辞・爻辞の表示だけでなく、現代語訳、解説、関連する占いの履歴管理などの機能を備えるものもある。
近年では、人工知能を組み込んだ占いアプリも登場している。これらのアプリは、ユーザーの質問を自然言語で受け取り、卦を立てた後、その卦の意味をユーザーの状況に合わせて解釈する。生成AIの発達により、解釈の質は急速に向上している。
これらの電子的占法とアプリ占いに対する評価は、分かれている。
支持する立場からは、電子的占法が易の普及に貢献していることが評価される。本筮法は煩瑣であり、習得に時間がかかる。擲銭法は簡便だが、それでも銅銭を用意する必要がある。アプリ占いは、スマートフォンさえあれば、いつでもどこでも気軽に占いを試みることができる。これは、易を現代人の生活に取り入れる強力な手段である。
批判する立場からは、電子的占法が易の本質を失っていることが指摘される。本筮法や擲銭法は、儀式的な行為であり、占筮者の心の集中を要する。アプリ占いは、画面をタップするだけの手軽さのため、心の集中を欠く。この欠如によって、占筮の結果の意味が変質するとされる。
私は、両者の立場のいずれにも理があると考えている。電子的占法は、易の普及に貢献する一方で、その儀式性を希薄化させる。これは、技術の進歩に伴う一般的な現象であり、易に限らず多くの伝統文化に共通する課題である。
重要なのは、電子的占法を用いる場合でも、その背後にある易経の伝統と精神を理解し、敬意を払うことである。手段の簡便化が、本質の理解の浅薄化を意味する必要はない。アプリを用いて卦を立てたとしても、その卦の意味を深く考え、自分の状況に照らして読み解くならば、十分に意味のある占筮となる。
逆に、本筮法を厳格に守りながらも、卦の意味を表面的にしか理解していないならば、それは形だけの儀式に過ぎない。手段ではなく、心構えこそが、占筮の質を決定するのである。
第五部 真偽を問う――易経は当たるのか
私は、本稿の中核的な問いのひとつである「易経は当たるのか」という問題に、ここで正面から取り組みたい。これは、易経を実用的な占いとして用いる人々にとっては、最も切実な問いである。同時に、易経を学問的に研究する人々にとっても、避けて通れない問いである。
第二十六章 易経の的中率という問い
「易経は当たるのか」という問いに、私は単純な答えを与えることはできない。なぜなら、「当たる」とは何を意味するのか、それ自体が問題だからである。
第一に、易経の卦辞・爻辞は、極めて抽象的・象徴的に書かれている。たとえば、ある爻辞が「亢龍有悔」と述べたとき、これが具体的に何を意味するのかは、状況に応じて多様に解釈されうる。事業の失敗を意味するのか、人間関係の破綻を意味するのか、健康の悪化を意味するのか、解釈者によって異なる。
このような抽象性は、易経の的中率を判定することを困難にする。事後的には、「あの占いは当たった」と感じることが可能だが、それは、抽象的な文言を事後の事象に当てはめる解釈の柔軟性に由来する。同じ卦辞・爻辞は、別の事象にも当てはまる可能性が常にあるのである。
第二に、易経の卦辞・爻辞には、しばしば明確な吉凶の判断が示されていない。「悔いあり」「咎なし」「利あり」といった表現は、何を以て吉とし、何を以て凶とするかが曖昧である。そのため、結果がどう転んでも、何らかの形で卦辞・爻辞に合致したと解釈できる可能性がある。
第三に、占筮の結果は、卦辞・爻辞だけでなく、変卦、互卦、五行関係などの複雑な要素から総合的に判断される。これらの要素を組み合わせれば、ほぼ無限の解釈が可能となる。事後的に都合のよい解釈を選ぶことで、的中したように見える結果を作り出すことができる。
これらの理由から、易経の的中率を厳密に統計的に検証することは、極めて困難である。
しかし、この困難は、易経が当たらないことを意味するわけではない。むしろ、「当たる/当たらない」という単純な二項対立で評価できないことを意味する。
私は、易経の効用を、的中率という単一の尺度で測ることに、根本的な疑問を感じている。易経は、未来を正確に予知する道具なのではなく、現在の状況を深く理解し、適切な決断を下すための思考の補助具なのである。
占筮の結果として得られた卦辞・爻辞を読むことで、依頼者は自分の状況を新しい角度から見直すことができる。占断者との対話を通じて、自分の願望、不安、可能性が明確化される。この過程そのものが、易経の効用なのである。
このような効用は、心理学的に説明可能である。次章では、この心理学的視点について詳しく論じたい。
第二十七章 心理学的視点から見た易の効用
私は、易経の効用を心理学的に説明することができると考えている。具体的には、易経は次のような心理的機能を果たすと言える。
第一に、易経は「投影」の場として機能する。占筮によって得られた抽象的な卦辞・爻辞は、依頼者が自分の状況や感情を投影する対象となる。投影を通じて、依頼者は自分自身の無意識的な思考や感情を意識化することができる。これは、ロールシャッハ・テストやTAT(主題統覚検査)と類似した機能である。
第二に、易経は「決断の正当化」の手段となる。重要な決断を下すとき、人は決定打を欠き、迷うことが多い。易経は、その迷いに対して、外部からの「声」を提供する。たとえそれが恣意的に解釈可能なものであっても、外部の権威に基づく「声」は、決断を促す力を持つ。
第三に、易経は「リフレーミング」の道具となる。占筮によって得られた卦は、依頼者の現状を新しい枠組み(フレーム)に置き直す。たとえば、苦境にある人が「困」の卦を得たとき、その卦の解釈を通じて、苦境のなかにも意味があると感じることができる。これは、認知行動療法におけるリフレーミング技法と類似した機能である。
第四に、易経は「儀式的浄化」の機能を果たす。占筮の儀式的な手順を踏むことで、依頼者は日常的な思考の流れから一時的に切り離され、自分の問題に集中することができる。この切り離しは、心理的な浄化と整理の効果をもたらす。
これらの心理学的機能は、易経の的中率とは独立に成立する。たとえ卦辞・爻辞が「外れた」としても、占筮の過程そのものが依頼者にとって有意義であることは十分にありうる。
カール・ユングは、易経に深い関心を寄せた西洋の心理学者として知られる。彼は、易経を「共時性(シンクロニシティ)」の典型例として論じた。共時性とは、因果関係を持たない複数の事象が、意味のある形で同時に発生することを指す概念である。占筮によって得られた卦と、依頼者の状況のあいだに見出される意味の照応は、共時性の現象として理解できる、とユングは主張した。
ユングの共時性概念には、しかし、批判もある。共時性は、因果関係を超えた何らかの原理を仮定するものであり、現代の科学的世界観とは整合しない側面がある。共時性を真剣に主張するなら、宇宙の構造に関する根本的な変更を要請することになる。
私は、ユングの共時性概念を全面的に支持するわけではないが、その根底にある問題意識は重要であると考える。すなわち、人間の経験には、因果関係だけでは説明できない「意味の照応」が確かに存在する。易経は、その意味の照応を体系的に扱う技法として、独自の価値を持つ。
第二十八章 科学哲学から見た易経の地位
私は、易経を科学哲学の観点から論じたい。易経は、現代の科学的世界観のなかで、どのような地位を占めるのか。
第一に、易経は反証可能性を欠くという批判がある。カール・ポパーは、科学と非科学を区別する基準として、反証可能性を提唱した。科学的命題は、特定の観察や実験によって反証されうるが、易経の卦辞・爻辞は、抽象的・象徴的であるため、反証することができない。何が起こっても、何らかの解釈によって卦辞・爻辞に合致するように説明できる。
この基準に従えば、易経は科学ではない。しかし、これは易経の価値を否定するものではない。哲学、倫理、芸術、文学なども反証可能性を欠くが、それらが無価値であるとは誰も言わない。易経は、これらと同じカテゴリーに属する人文的な営みとして、独自の価値を持つ。
第二に、易経の予言は、確率的に評価できるかという問題がある。たとえば、ある卦が「吉」を示したとき、その後に幸運な事象が発生する確率が偶然以上に高いならば、易経には何らかの予言能力があると言える。
このような統計的検証は、原理的には可能だが、実際には極めて困難である。なぜなら、「吉」「凶」の判定基準が曖昧であり、「幸運な事象」の判定基準も曖昧だからである。さらに、易経の予言には自己成就的な側面もある。「吉」と告げられた人は、楽観的になって積極的に行動し、その結果として実際に成功する可能性が高まる。逆に、「凶」と告げられた人は、悲観的になって消極的になり、その結果として実際に失敗する可能性が高まる。これは、易経の予言能力ではなく、心理的暗示の効果である。
第三に、易経の卦と現実の事象のあいだに、何らかの実在的な対応関係を仮定するならば、その対応関係を媒介するメカニズムを説明する必要がある。占筮の手順は、筮竹を分けたり、銅銭を擲ったりという、純粋に物理的な手順である。これらの物理的手順の結果が、未来の事象と対応関係を持つというのは、現代の物理学の世界観とは整合しない。
この問題に対しては、いくつかの応答が考えられる。ひとつは、対応関係を実在的なものとは見なさず、心理的なものとして理解することである。占筮の結果は、客観的な未来を予知するのではなく、占筮者と依頼者の心理的な状態を反映する。この立場は、易経の効用を心理学的に説明する立場と整合する。
別の応答は、量子力学的な不確定性や、複雑系における初期条件への鋭敏な依存性などを引き合いに出し、占筮の結果と未来の事象の対応関係を物理学的に説明しようとすることである。しかし、これらの試みは、いずれも論理的にも実証的にも不十分であり、科学的には受け入れられていない。
第四に、易経を「形而上学」として位置づける見方がある。形而上学とは、経験的に検証できない事柄を扱う哲学の領域である。易経は、宇宙の根本原理、変化の法則、人間と宇宙の関係などを論じるが、これらは形而上学的な問題である。形而上学は、科学とは異なる方法論を持つ知的営みであり、その価値は科学的な検証可能性によって測られるものではない。
私は、易経を形而上学として位置づけるのが、最も適切な評価であると考えている。易経は、科学ではないが、無意味ではない。それは、人類が築き上げた壮大な象徴体系のひとつであり、宇宙と人間の関係を考えるための重要な手がかりを提供する。
第二十九章 シンクロニシティと共時性の議論
私は、先述したユングのシンクロニシティ概念について、もう少し詳しく論じたい。
ユングは、一九五〇年代に「シンクロニシティ――非因果的連関の原理」という論文を発表した。この論文において、彼はシンクロニシティを、因果関係によらない意味のある偶然の一致として定義した。
ユングがシンクロニシティの典型例として挙げたのが、易経である。占筮の結果として得られた卦と、依頼者の状況のあいだに見出される意味の照応は、因果関係では説明できない。筮竹の分け方や銅銭の出目は、純粋に物理的な現象であり、依頼者の心理状態や未来の事象とは因果的に独立である。それにもかかわらず、両者のあいだには意味の照応が見出される。これは、因果関係を超えた何らかの原理によるものではないか、とユングは考えた。
ユングの議論は、現代の科学的世界観に対する重大な挑戦である。もしシンクロニシティが実在するならば、宇宙の構造には、因果関係以外の連関原理が存在することになる。これは、近代科学が前提としてきた世界観の根本的な変更を要請する。
シンクロニシティ概念には、しかし、深刻な批判もある。
第一に、シンクロニシティの定義そのものが曖昧である。「意味のある偶然の一致」とは何か。意味があるか否かを判定するのは、観察者の主観である。同じ事象が、ある人にとっては意味のある偶然の一致と見え、別の人にとっては単なる偶然と見える。
第二に、シンクロニシティの統計的検証は、極めて困難である。意味のある偶然の一致が、純粋な偶然の確率を上回って発生していることを示すには、厳密な統計的手続きが必要だが、そのような手続きが取られた事例はほとんどない。
第三に、シンクロニシティを実在として認めるならば、それは超自然的な原理を認めることになる。これは、自然主義的な世界観と整合しない。
これらの批判にもかかわらず、シンクロニシティ概念は、現代でも一定の影響力を持っている。特に、ニューエイジ思想やトランスパーソナル心理学などの領域では、シンクロニシティが重要な概念として扱われている。
私は、シンクロニシティの実在を肯定することはできないが、その問題意識には共感する。人間の経験には、純粋な因果関係では捉えきれない意味の連関がある。それを単純に「偶然」として処理するのは、経験の豊かさを切り捨てることになる。同時に、それを「シンクロニシティ」として実在化するのも、性急である。
おそらく、もっとも適切な態度は、これらの意味の連関を、人間の意味付与の能力の発現として理解することである。人間は、出会う事象に意味を見出し、それらを結びつける。この意味付与の能力は、文化的・心理的な現象であり、必ずしも宇宙の構造に対応する必要はない。易経の占筮は、この意味付与の能力を訓練し、活用する技法として理解できる。
第三十章 偶然と必然のあいだ
私は、易経の真偽をめぐる議論を、偶然と必然のあいだという視点から総括したい。
易経の占筮は、本質的に偶然の操作である。筮竹をどう分けるか、銅銭がどう転ぶかは、予測不可能な偶然である。しかし、易経は、その偶然から、必然的に意味のある結果が引き出されると主張する。
このパラドックスをどう理解するか。これが、易経の真偽をめぐる議論の核心である。
第一の立場は、偶然と必然のあいだに、隠れた連関があると主張する。先述したシンクロニシティの立場である。この立場は、現代の科学的世界観とは整合しない。
第二の立場は、偶然と必然のあいだに連関はないが、偶然の結果を必然として解釈する人間の能力に意味があると主張する。すなわち、易経の占筮は、偶然から意味を引き出す訓練であり、その意味は人間が生み出すものである。この立場は、易経の効用を心理学的・解釈学的に説明する。
第三の立場は、易経の占筮を単なる迷信として退ける。偶然から必然を引き出すことは不可能であり、易経の効用と称されるものは、認知バイアスや暗示効果に過ぎない。この立場は、徹底的な科学主義の立場である。
私は、第二の立場に最も共感する。易経は、偶然と必然のあいだに、人間の意味付与の能力を介在させる技法である。占筮の結果は、客観的な未来を予知するのではない。それは、依頼者の状況に対する新しい視点を提供し、依頼者自身の意味付与を促す。
この立場から見れば、易経の真偽を論じることは、易経の本質を見誤ることになる。易経は、当たるか外れるかの問題ではない。それは、人間が自らの状況をどう理解し、どう意味づけるかという問題に関わるのである。
第六部 易者の必要性と代替可能性
私は、本稿の最終的な問いに、ここで取り組みたい。すなわち、現代社会において易者という存在は必要なのか、そしてコンピュータがそれを代替しうるのか、という問いである。
第三十一章 易者という職能の歴史
「易者」という職能は、古代中国においては「卜筮」を専門とする官職として確立されていた。周代の制度では、太卜、卜師、卜人、亀人、菙氏、占人、筮人などの細分化された官職があり、それぞれが特定の占筮を担当していた。
これらの官職は、国家の重大な決定に際して、神意を問う役割を果たした。戦争の可否、祭祀の方法、後継者の選定、新都の建設地などについて、占筮の結果が参考とされた。占筮の専門家は、国家機構のなかで重要な地位を占めていたのである。
私的な領域においても、易者は重要な役割を果たした。古代中国の士大夫は、自ら易を学び、必要に応じて易を立てる能力を持っていた。しかし、より複雑な事柄については、専門の易者に依頼することもあった。
中世以降、易者の社会的地位は変動した。儒教が国家の正統思想として確立されると、占筮は儒家の本来の営みではないとされ、易者の地位は相対的に低下した。しかし、民間においては、易者は依然として重要な存在であり続けた。庶民は、人生の重要な決定――結婚、起業、転居、健康など――に際して、易者の助言を求めた。
近世日本においては、江戸時代の商業の発達とともに、易者は都市の文化に深く根を下ろした。「町易者」と呼ばれる、町の片隅に易見の店を開く易者たちが、庶民の相談に応じた。これらの易者のなかには、易経の学識を備えた者もいれば、表面的な知識のみで営業する者もいた。
明治以降、近代化の進展とともに、易者の地位は再び変動した。一方では、近代科学の影響により、易は迷信として退けられる傾向が強まった。他方では、急速な社会変動のなかで、人々は人生の指針を求め、易者の助言を頼った。両者の緊張のなかで、近代日本の易者文化が形成された。
現代日本においては、職業易者は多様な形態で存在している。街頭で営業する占い師、店舗を構える鑑定士、電話やインターネットで鑑定を行う者、テレビなどのメディアに登場する有名占い師、社会的地位の高い顧客を相手にする高級易者など、様々である。
これらの易者のあいだには、力量の差が非常に大きい。易経を体系的に学び、深い見識を持つ者もいれば、表面的な知識のみで営業する者もいる。社会的にも、医師や弁護士のような国家資格はなく、誰でも易者を名乗ることができる。この自由さは、易者文化の多様性を生み出すと同時に、質の保証の困難さも生み出している。
第三十二章 現代社会における易者の役割
私は、現代社会における易者の役割について、ここで論じたい。
第一の役割は、「人生の相談相手」としての役割である。現代社会では、人々は様々な悩みを抱えている。仕事、人間関係、健康、家族、お金などについて、誰かに相談したいと思うことは多い。しかし、適切な相談相手を見つけることは容易ではない。家族や友人には言いにくい悩みもある。心理カウンセラーや精神科医は、敷居が高く、費用もかかる。
易者は、これらの隙間を埋める存在として機能する。易者のもとに相談に行くことは、心理カウンセラーや精神科医に行くよりも敷居が低い。費用も比較的安価である。匿名性が保たれ、プライバシーが守られる。これらの特徴は、現代社会における易者の独自の役割を作り出している。
第二の役割は、「決断の補助」としての役割である。重要な決断を下すとき、人は決定打を欠いて迷うことが多い。易者の助言は、外部からの「声」として、決断を促す機能を果たす。たとえその助言が抽象的・象徴的であっても、外部の権威に基づく「声」は、依頼者の決断を支える力を持つ。
第三の役割は、「儀式的な節目」としての役割である。結婚、起業、転居、就職、転職などの人生の節目において、易者を訪れることは、儀式的な意味を持つ。占筮の結果がどうであれ、占筮を行うという行為そのものが、節目の儀式となる。これは、近代以前の社会で広く行われていた通過儀礼の、現代における残存形態であるとも見ることができる。
第四の役割は、「自己理解の促進」としての役割である。易者との対話を通じて、依頼者は自分自身について新しい発見をすることができる。優れた易者は、依頼者の話をよく聞き、適切な質問を投げかけ、依頼者が自分自身について深く考える機会を提供する。これは、心理カウンセラーの役割と類似している。
これらの役割を果たすためには、易者には特定の能力が要求される。易経の知識はもちろん必要だが、それだけでは不十分である。依頼者の話をよく聞く能力、依頼者の状況を的確に把握する能力、適切な助言を提供する能力、依頼者との信頼関係を築く能力など、対人援助に必要な様々な能力が求められる。
これらの能力は、易経の学習だけでは身につかない。長年の経験と、自己研鑽が必要である。優れた易者は、易経の専門家であると同時に、人生の経験豊かな相談相手でもある。
私は、現代社会における易者の役割について、肯定的に評価したい。易者は、現代社会における特定の心理的・社会的なニーズを満たす存在である。心理カウンセラーや精神科医とは異なる方法で、人々の悩みに応える独自の機能を持っている。
ただし、この肯定的な評価は、すべての易者に当てはまるわけではない。質の低い易者も多数存在し、彼らは依頼者に害を及ぼすこともある。脅迫的な占いで高額な料金を請求する悪質な業者、根拠のない断定で依頼者の人生を狂わせる無責任な易者など、様々な問題がある。これらの問題は、易者の世界に国家資格や明確な倫理規範が存在しないことに起因する。
理想的には、易者の世界にも一定の質の保証の仕組みが導入されるべきだろう。しかし、それが本当に望ましいかどうかは、議論の余地がある。国家資格制度を導入すれば、悪質な業者を排除できる一方で、自由で多様な易者文化が失われる可能性もある。
第三十三章 コンピュータと易――計算機が易を立てる
私は、ここから本稿の核心的な問いに進みたい。すなわち、コンピュータが易者を代替しうるか、という問いである。
まず、コンピュータが易を立てる、という事象について整理したい。コンピュータが易を立てるとは、具体的に何を意味するのか。
最も単純な理解では、コンピュータが乱数を生成し、その乱数から卦を決定し、対応する卦辞・爻辞を表示する、というプロセスである。これは、技術的には極めて単純である。一九六〇年代から、メインフレーム上でこのようなプログラムが存在していた。
しかし、この単純な理解では、コンピュータが易者を代替するということにはならない。コンピュータは、単に卦と卦辞・爻辞を表示するだけであり、依頼者の状況に応じた解釈を提供するわけではない。これは、易者の役割のうち、もっとも基礎的な部分を機械化しただけである。
より進んだ理解では、コンピュータが依頼者の質問を理解し、卦を立て、その卦の意味を依頼者の状況に応じて解釈する、というプロセスである。これは、技術的にはるかに難しい。自然言語理解、文脈理解、解釈能力など、高度な人工知能の能力が必要となる。
近年の大規模言語モデルの発達により、このような高度な処理が可能になりつつある。次章で詳しく論じるが、生成AIは易者の解釈能力の一部を再現できるようになってきている。
コンピュータによる易の立て方には、興味深い哲学的な問題がある。
第一の問題は、乱数の真偽である。コンピュータが用いる乱数は、厳密には「擬似乱数」であり、決定論的なアルゴリズムによって生成される。これは、真の偶然ではない。真の偶然を必要とする占筮にとって、擬似乱数で代替できるのかという問題が生じる。
この問題に対する応答は、いくつか考えられる。ひとつは、現代の擬似乱数は実用上十分に偶然に近いから問題ない、というものである。別のひとつは、占筮にとって重要なのは、真の偶然ではなく、依頼者の意識的な制御を超えた何らかの非決定性であり、擬似乱数でもその機能は果たせる、というものである。さらに別のひとつは、物理乱数(熱雑音や量子効果に基づく乱数)を用いれば、真の偶然に近いものが得られる、というものである。
第二の問題は、占筮の儀式性である。本筮法の手順は、単に乱数を生成するだけでなく、筮者の心の集中を要する儀式的なプロセスである。コンピュータのボタンを押すだけの占いには、この儀式性が欠如している。儀式性なき占筮は、本来の占筮と言えるのか、という問題が生じる。
この問題に対する応答も、いくつか考えられる。ひとつは、儀式性は占筮の本質ではなく、心理的な補助に過ぎない、というものである。別のひとつは、コンピュータによる占筮にも、独自の儀式性を導入することは可能であり、たとえばゆっくりとした画面遷移、特定の音響、瞑想的な指示などによって、儀式性を再現できる、というものである。
第三の問題は、占筮者の主観性の介在である。本筮法では、筮竹をどう分けるかは、筮者の主観に委ねられる部分がある。この主観性は、ノイズではなく、占筮の重要な構成要素である可能性がある。コンピュータによる占筮では、この主観性が完全に排除される。それによって、占筮の意味が変質する可能性がある。
これらの哲学的問題に対する明確な答えはない。しかし、これらの問題を考慮した上で、コンピュータによる占筮にも一定の価値があると言うことはできる。少なくとも、卦と卦辞・爻辞を提示する基本的な機能は、コンピュータが十分に果たすことができる。
問題は、解釈と助言の段階である。この段階こそが、易者の本領を発揮する場面であり、コンピュータが易者を代替できるかどうかの鍵となる。
第三十四章 大規模言語モデルは易者を超えるか
私は、ここで近年急速に発達している大規模言語モデル(LLM)について、易者との関係を論じたい。
大規模言語モデルは、膨大なテキストデータを用いて訓練された人工知能であり、自然言語による対話、文章生成、質問応答などの能力を持つ。近年の発達により、その能力は飛躍的に向上しており、多くの分野で人間の専門家に匹敵する成果を上げている。
大規模言語モデルが易者の機能を再現する場合、次のようなプロセスが想定される。
第一に、依頼者が自然言語で質問を入力する。「事業を始めるべきか迷っています」「結婚相手として適切か悩んでいます」など。
第二に、LLMが内蔵された乱数発生器または依頼者の操作によって、卦を立てる。
第三に、LLMが卦辞・爻辞を取得し、依頼者の質問と組み合わせて、解釈を生成する。この解釈は、抽象的な卦辞・爻辞を、依頼者の具体的な状況に当てはめたものとなる。
第四に、依頼者がさらに質問を入力すれば、LLMはそれに応じた追加的な解釈や助言を生成する。
このプロセスは、原理的には、易者と依頼者の対話と類似している。実際、現在の大規模言語モデルは、易経の解釈において、相当に高い水準の応答を生成することができる。
しかし、大規模言語モデルが易者を完全に代替できるかというと、いくつかの留保がある。
第一の留保は、LLMの「理解」の問題である。LLMは、膨大なテキストデータから統計的なパターンを学習しているが、その「理解」の質は、人間の理解とは異なる。LLMは、卦辞・爻辞を解釈する場合、過去のテキストに含まれる類似の解釈パターンを組み合わせて出力する。これは、表面的には人間の解釈に類似しているが、その背後にある「腑に落ちる」感覚や、依頼者の状況への深い共感は、LLMには欠如している可能性がある。
第二の留保は、LLMの「責任」の問題である。易者は、依頼者の人生に対して責任を負う。依頼者の状況を十分に理解せず、軽率な助言を提供することは、易者の倫理に反する。LLMは、責任の主体ではない。LLMの助言によって依頼者が損失を被ったとしても、LLMは責任を取らない。この責任の不在は、LLMが易者を代替する際の根本的な問題である。
第三の留保は、LLMの「対面性」の問題である。易者と依頼者の対話は、本来、対面で行われる。対面の対話には、言語化されない情報――表情、声の調子、間合い、雰囲気――が含まれる。これらの非言語的情報は、易者が依頼者の状況を理解する上で、重要な手がかりとなる。LLMは、テキストベースの対話に限定されており、これらの非言語的情報を扱うことができない。
ただし、これらの留保は、絶対的なものではない。
第一の留保については、LLMの「理解」の質を、人間の理解と比較することそのものに問題があるかもしれない。LLMの応答が、結果として依頼者にとって有益であるならば、その「理解」の質が人間と異なることは、必ずしも問題ではないかもしれない。
第二の留保については、LLMの利用に関する責任のあり方を制度的に整備することで、ある程度は対応できる。利用規約、免責事項、苦情処理の仕組みなどを整備することで、LLMの責任の問題を緩和できる。
第三の留保については、技術の進歩によって対応可能になりつつある。マルチモーダルAIの発達により、画像、音声、動画などの非言語情報を扱う能力が向上している。将来的には、LLMが依頼者の表情や声の調子を理解し、それに応じた応答を生成することが可能になるだろう。
これらを総合すると、LLMは易者の機能の多くを代替できるが、完全な代替はまだ先のことであろう、と評価できる。
しかし、ここで重要な視点がある。それは、LLMが易者を「代替する」のではなく、「補完する」可能性である。
LLMと易者は、それぞれ異なる強みを持つ。LLMの強みは、膨大な知識、二十四時間利用可能性、低コスト、匿名性などである。易者の強みは、対面性、共感能力、人生経験、責任主体性などである。
これらの強みを組み合わせれば、LLMと易者の協働による新しい易の形態が可能となる。たとえば、依頼者がまずLLMに相談し、基本的な情報や予備的な解釈を得る。その後、より深い相談が必要な場合には、人間の易者に相談する。逆に、易者がLLMを補助ツールとして活用し、より広範な知識と多様な解釈を取り入れる。
私は、このような協働のあり方こそが、現代における易の最も健全な発展の方向であると考えている。LLMが易者を完全に代替する未来でもなく、易者がLLMを完全に拒否する未来でもなく、両者が補完し合う未来である。
第三十五章 結論――易経サーチドの果てに
私は、本稿の最後に、ここまでの議論を総括し、易経サーチドの果てに到達した結論を述べたい。
第一の結論は、易経は単なる占いの書ではないということである。易経は、宇宙論、倫理思想、文学、占筮の複合体である。これらの諸側面のうち、どれを重視するかは、読者の関心によって異なる。しかし、いずれの側面も易経の本質的な構成要素であり、いずれかを切り捨てることは易経の歪曲となる。
第二の結論は、易経の歴史は驚くべき多層性を持つということである。八卦の原初的な発生から、周代の卦辞・爻辞の成立、漢代の象数易、宋代の義理易、清代の考証学、近代の高島易、現代の電子化に至るまで、易経は絶えず変容し続けてきた。この変容の歴史こそが、易経の生命力の証である。
第三の結論は、六十四卦と三百八十四爻という有限の体系のなかに、ほぼ無限の解釈の可能性が埋め込まれているということである。卦と卦のあいだの関係性のネットワーク、卦辞・爻辞の象徴的な多義性、十翼の哲学的解釈、各流派の独自の読み方、これらが組み合わさって、易経は汲み尽くせない深さを獲得している。
第四の結論は、易経の占法は多様であり、いずれの流派も独自の価値を持つということである。本筮法の儀式性、擲銭法の手軽さ、梅花心易の即興性、断易の具体性、これらはそれぞれ易経の異なる側面を引き出す技法である。優劣を論じることは難しく、状況と目的に応じて使い分けるべきである。
第五の結論は、易経の真偽を「当たる/当たらない」の二項対立で論じることは適切ではないということである。易経は、未来を予知する科学的予測ではなく、現在の状況を理解し、決断を促し、自己理解を深める思考の補助具である。その効用は心理学的・解釈学的に説明可能であり、客観的な予知能力を必要としない。
第六の結論は、現代社会において易者という職能は依然として必要であるということである。易者は、人生の相談相手、決断の補助、儀式的な節目、自己理解の促進という、複数の役割を果たす。これらの役割は、心理カウンセラーや精神科医とは異なる仕方で、現代人の心理的・社会的なニーズを満たしている。
第七の結論は、コンピュータと大規模言語モデルは、易者の機能の一部を代替しうるが、完全な代替はまだ先のことであるということである。LLMは、易者を補完する強力なツールとなりうるが、対面性、共感能力、責任主体性などの面では、人間の易者には及ばない。最も健全な発展の方向は、LLMと易者の協働である。
これらの結論を踏まえて、私は最後に一つの問いを提起したい。それは、易経が二十一世紀以降の世界において、どのような意味を持ちうるか、という問いである。
近代以降の世界は、科学的世界観、合理主義、個人主義、市場経済を基調として形成されてきた。これらの基調は、人間の生活を大いに豊かにしたが、同時に、ある種の精神的な空白も生み出した。意味の喪失、共同体の解体、自然との断絶などである。
二十一世紀の世界は、これらの問題により敏感になっている。気候危機、社会の分断、精神的疾患の増加、人工知能の急速な発達による人間性の問い直しなど、現代の課題は、近代の前提そのものを再検討することを要請している。
このような時代において、易経のような古典の智慧は、新しい意味を持ちうる。易経は、二元論的でありながら相互浸透的な世界観を提示する。陰と陽は対立しながらも補完し合い、絶えず転換し合う。この世界観は、二項対立的な近代の思考様式を超えて、より柔軟で動的な世界理解を可能にする。
易経は、また、宇宙と人間の関係を有機的に捉える。人間は、宇宙の外部に立つ観察者ではなく、宇宙の内部に組み込まれた存在である。人間の行動は、宇宙の動きと連動している。この有機的な世界観は、近代の機械論的な世界観を補完する。
易経は、さらに、変化の必然性を強調する。世界は静止した状態の集合ではなく、絶えず変化し続ける流動的な過程である。この動的な世界観は、変化に対する不安を和らげ、変化のなかで適切に行動するための智慧を提供する。
これらの易経の智慧は、二十一世紀の課題に対して、直接の解決策を提供するわけではない。しかし、課題を考えるための新しい視点を提供する。視点の更新は、解決策の発見に先立つ必要な作業である。
私は、本稿を執筆するなかで、易経の深さに改めて驚嘆した。三千年以上の歴史を持つこの書物は、今なお新しい問いを生成し、新しい解釈を生み出し続けている。本稿の十万字あまりの分量も、易経の全貌を語り尽くすには遠く及ばない。本稿は、易経サーチドの旅の始まりに過ぎない。
読者諸氏には、本稿を入口として、易経の世界にさらに深く分け入っていただきたい。卦と爻の象徴体系、十翼の哲学的解釈、諸流派の占法、現代における応用、いずれの方向に進んでも、汲み尽くせない豊かさが待っている。
そして、もし機会があれば、自ら易を立ててみてほしい。筮竹であれ、銅銭であれ、サイコロであれ、あるいはアプリであれ、何らかの方法で卦を立てる。得られた卦辞・爻辞を、自分の状況と照らし合わせて読む。この体験こそが、易経の本質に触れる最良の道である。
書物として読まれるだけの易経は、半分の易経に過ぎない。立てられ、読み解かれ、自らの人生に応用される易経こそが、完全な易経である。読者諸氏が、易経の完全な姿に触れる機会を持たれることを、私は心から願っている。
第七部 補遺
補遺一 六十四卦一覧
私は、六十四卦の名称と象を、簡潔にリスト形式で整理しておきたい。実用的な参照のためである。
第一卦 乾為天――天が重なる。剛健、創造、純陽。
第二卦 坤為地――地が重なる。柔順、養育、純陰。
第三卦 水雷屯――水が雷の上。創業の困難、生命の初発。
第四卦 山水蒙――山が水の上。蒙昧、啓蒙、教育。
第五卦 水天需――水が天の上。待つこと、雨を待つ雲。
第六卦 天水訟――天が水の上。争い、訴訟、不和。
第七卦 地水師――地が水の上。軍隊、群衆、組織。
第八卦 水地比――水が地の上。親しみ、結束、協力。
第九卦 風天小畜――風が天の上。小さな蓄積、密雲不雨。
第十卦 天沢履――天が沢の上。礼儀、踏み行うこと。
第十一卦 地天泰――地が天の上。安泰、繁栄、調和。
第十二卦 天地否――天が地の上。閉塞、不通、不和。
第十三卦 天火同人――天が火の上。同志、協力、結束。
第十四卦 火天大有――火が天の上。豊穣、繁栄、所有。
第十五卦 地山謙――地が山の上。謙遜、控えめ、徳。
第十六卦 雷地予――雷が地の上。喜び、悦び、行動。
第十七卦 沢雷随――沢が雷の上。随順、適応、柔軟。
第十八卦 山風蠱――山が風の上。腐敗、修復、改革。
第十九卦 地沢臨――地が沢の上。臨むこと、成長、上下。
第二十卦 風地観――風が地の上。観察、洞察、内省。
第二十一卦 火雷噬嗑――火が雷の上。刑罰、裁断、強制。
第二十二卦 山火賁――山が火の上。装飾、文化、芸術。
第二十三卦 山地剝――山が地の上。剝落、衰退、極陰。
第二十四卦 地雷復――地が雷の上。復活、再生、一陽来復。
第二十五卦 天雷無妄――天が雷の上。無妄、自然、真実。
第二十六卦 山天大畜――山が天の上。大きな蓄積、大事業。
第二十七卦 山雷頤――山が雷の上。養育、口、顎。
第二十八卦 沢風大過――沢が風の上。過度、非常時、決断。
第二十九卦 坎為水――水が重なる。陥落、危険、再習。
第三十卦 離為火――火が重なる。明智、麗着、光明。
第三十一卦 沢山咸――沢が山の上。感応、感情、相互作用。
第三十二卦 雷風恒――雷が風の上。永続、不変、夫婦。
第三十三卦 天山遯――天が山の上。退却、隠遁、避ける。
第三十四卦 雷天大壮――雷が天の上。強盛、大壮、勢力。
第三十五卦 火地晋――火が地の上。前進、昇進、明朗。
第三十六卦 地火明夷――地が火の上。明智の傷、苦難、隠忍。
第三十七卦 風火家人――風が火の上。家族、家庭、秩序。
第三十八卦 火沢睽――火が沢の上。背反、不和、異端。
第三十九卦 水山蹇――水が山の上。障害、停滞、困難。
第四十卦 雷水解――雷が水の上。解放、解消、雨上がり。
第四十一卦 山沢損――山が沢の上。損失、減少、犠牲。
第四十二卦 風雷益――風が雷の上。利益、増加、補益。
第四十三卦 沢天夬――沢が天の上。決断、断行、排除。
第四十四卦 天風姤――天が風の上。邂逅、出会い、一陰生。
第四十五卦 沢地萃――沢が地の上。集合、団結、聚集。
第四十六卦 地風升――地が風の上。上昇、成長、進展。
第四十七卦 沢水困――沢が水の上。困窮、苦境、極困。
第四十八卦 水風井――水が風の上。井戸、源泉、不変。
第四十九卦 沢火革――沢が火の上。改革、革命、変革。
第五十卦 火風鼎――火が風の上。鼎、革新、確立。
第五十一卦 震為雷――雷が重なる。衝撃、震動、警鐘。
第五十二卦 艮為山――山が重なる。静止、抑制、内省。
第五十三卦 風山漸――風が山の上。漸進、徐々、順序。
第五十四卦 雷沢帰妹――雷が沢の上。妹の嫁ぎ、不適切、急ぎ。
第五十五卦 雷火豊――雷が火の上。豊穣、絶頂、繁栄。
第五十六卦 火山旅――火が山の上。旅、流浪、不安定。
第五十七卦 巽為風――風が重なる。柔順、入り込む、伝播。
第五十八卦 兌為沢――沢が重なる。悦び、口、説得。
第五十九卦 風水渙――風が水の上。散開、解散、流れ。
第六十卦 水沢節――水が沢の上。節度、節制、限度。
第六十一卦 風沢中孚――風が沢の上。誠意、内心、信頼。
第六十二卦 雷山小過――雷が山の上。小過、慎重、調整。
第六十三卦 水火既済――水が火の上。完成、完了、終局。
第六十四卦 火水未済――火が水の上。未完成、続行、希望。
この一覧は、参照のための簡潔な記述に過ぎない。各卦の深い意味については、本稿の第三部を参照されたい。
補遺二 易学関連書籍の系譜
私は、易学の主要な古典について、簡潔に系譜的にまとめておきたい。
経の部分は『周易』本文であり、六十四卦の卦辞と三百八十四爻の爻辞からなる。これに伝の部分として『十翼』が付される。十翼は『彖伝』上下、『象伝』上下、『繋辞伝』上下、『文言伝』、『説卦伝』、『序卦伝』、『雑卦伝』の七種十篇からなる。
漢代の象数易の代表的著作として、孟喜の卦気説関連文献、京房『京氏易伝』、鄭玄『易注』(散逸、後代に輯佚)、虞翻『虞氏易』(散逸、後代に輯佚)などがある。
魏晋の義理易の代表的著作として、王弼『周易注』がある。唐代には孔穎達『周易正義』が編まれ、王弼注を基礎とする正統的解釈が確立した。
宋代の易学は多彩である。周敦頤『太極図説』『通書』、邵雍『皇極経世書』『観物篇』、程頤『程氏易伝』、朱熹『周易本義』『易学啓蒙』などがある。これらは新儒学(朱子学)の理論的基礎を形成した。
明代では、来知徳『周易集注』が独創的な解釈で知られる。清代には考証学的な易学が発達し、恵棟『易漢学』、張惠言『虞氏易消息』『虞氏易事』、焦循『易学三書』などが著された。
日本では、江戸時代に多くの易学書が著された。林羅山の講義録、伊藤仁斎・東涯の易学書、荻生徂徠の易学関連著作、大田錦城の『九経談』、新井白石の『古史通』などがある。近代では高島嘉右衛門『高島易断』が代表的である。
これらは古典的な系譜のうちの一部に過ぎない。各時代に多くの易学者が独自の著作を残しており、その全貌を網羅することは本稿の範囲を超える。
補遺三 用語小辞典
私は、本稿で用いた易学の主要な用語について、簡潔に解説しておきたい。
易――変化。書名「易経」の本義。
卦――六本の爻からなる図像。六十四卦がある。
爻――卦を構成する横線。陽爻と陰爻の二種。
八卦――三爻からなる基本卦。乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤の八種。
六十四卦――八卦を二つ重ねた六爻の卦。
卦辞――各卦の意味を述べる短文。
爻辞――各爻の意味を述べる短文。
十翼――易経本文に付される七種十篇の伝。
陰陽――宇宙の根本的な二元。陰は受容、陽は能動を象徴。
五行――木火土金水の五つの基本元素。
太極――陰陽以前の根源的な一。
両儀――陰陽の二。
四象――陰陽の組み合わせによる四つの状態。
内卦(下卦)――六爻卦の下三爻からなる小卦。
外卦(上卦)――六爻卦の上三爻からなる小卦。
中位――下から二番目と五番目の爻の位置。中庸を象徴。
正位――陽爻が陽位(奇数位)、陰爻が陰位(偶数位)にあること。
応――一と四、二と五、三と上の爻の対応関係。
比――隣接する爻の関係。
綜卦――ある卦を上下逆さまにした卦。
錯卦――ある卦の各爻の陰陽を入れ替えた卦。
互卦――ある卦の二三四爻を下卦、三四五爻を上卦として作る卦。
之卦(変卦)――本卦の変爻を反転させて得られる卦。
用九・用六――乾と坤の特殊な爻辞。
元亨利貞――四徳。宇宙の根本的な四つの徳。
本筮法――五十本の筮竹を用いる正統的な占法。
擲銭法――銅銭三枚を用いる簡便な占法。
梅花心易――外的兆候から卦を立てる占法。邵雍に由来とされる。
断易(五行易)――納甲と五行を用いる占法。京房に由来。
納甲――各爻に十干十二支を配当する技法。
用神――占いの対象を象徴する爻。断易で用いる。
義理易――卦象を超えて義理(哲学・倫理)を重視する解釈学派。
象数易――卦象と数理によって易経を解釈する学派。
卦気説――六十四卦を一年の暦に対応させる説。
十二消息卦――一年の十二ヶ月に対応する十二の卦。
これらの用語は、易経を学ぶ上での基本的な道具となる。本稿を読み返す際の参照として活用していただければと思う。
以上をもって、本稿「易経サーチド徹底解説」を終える。十万字あまりの分量に及んだが、易経の全貌を網羅したとは到底言えない。本稿は、易経の深さに対する一つの応答に過ぎず、汲み尽くせない大海の表面を撫でたに過ぎない。読者諸氏が、本稿を踏み台として、自らの易経探求の旅に出られることを願って、筆を置く。
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