子育ては綺麗事ではない
子育ては、綺麗事ではない。
文字通り、砂遊びや泥遊び、よだれと鼻水まみれになるという意味でもそうだが、それだけではない。
時には親子で激しくぶつかることもある。しかも原因は案外くだらない。
先日、長男の名前を“ちゃん付け”で呼んだ。
「恥ずかしいからやめて」
そう言われたのだが、私が尋ねたことに返事をしないので、からかい半分で、わざと“ちゃん付け”で呼び続けた。
今思えば大人げない。
私はそのままキッチンに戻り、ヘッドホンで音楽を聴きながら夕飯の支度を再開するところだった。
すると突然、後ろからお尻のあたりを蹴られてよろけた。振り向けば長男。
腹が立った。というか、ぶちキレた。
“ちゃん付け”したくらいで、普通蹴るか?しかも2階から駆け下りてきて?自分はまともに返事もしないくせに?
私はヘッドホンを装着していたが、それを長男に投げつけ、親子喧嘩の火蓋は切られた。取っ組み合いだ。教育上あまりよろしくない光景である。
たぶん本気でやったら私は負けるし、骨折も簡単にするだろう。そこは一応、ヤツも手加減していたと思う。しかし頭に血がのぼった私は、正常な判断はできていない。掴みかかったけれど、手を押さえられて叩きたくても届かないから、攻撃から口撃に変えた。でも最後にヤツの太ももを抓ってやった。ふん!
一方その頃、次男は「君子危うきに近寄らず」を実践していた。気配を消す、鳴りを潜める、隠密行動。素晴らしい、賢明な判断だった。
乱闘後の夕飯時は、異様な空気になった。
次男はいち早く気配を察知し、食事時には妙に明るく振る舞いながら、安全圏を確保しようとしていたのである。申し訳なくも思うが、流石というか、生きる知恵だと感心した。
しかし、残酷にも私は次男を呼び止めた。
「ねえ、聞いて」
巻き込まれ案件の発生である。
事情を説明した結果、次男の判定は簡潔だった。
「いやー、それはお母さんが悪いよ。だって不快だって言ってるのに、わざとしたんだもん」
ぐうの音も出なかった。
けれど、暴力はやっぱりいけない。
やり返した私も同類だけれど……。
なお、この騒動を夫にも報告した。
夫の反応はさらに簡潔である。
「はいはい」
以上であった。
調停するでもなく、意見を述べるでもなく、ただ嵐が過ぎ去るのを待つ。長年の経験から導き出された生存戦略なのかもしれない。
しかし、喧嘩の果て、力任せにドアを閉めた長男のせいでドア枠がぶっ飛んで外れたままの我が家。休日に黙ってそっと直すのは夫の役目である。
子育てというと、愛情深く見守るとか、寄り添うとか、そんな言葉が並ぶ。もちろんそれも大切だ。
だが現実には、親も子も感情をぶつけ合うときがある。腹を立てるし、言い争うし、挙句の果てに、第三者の次男を巻き込む大騒動だ。
綺麗事だけでは済まない。
いつもニコニコ、綺麗で、ふんわりしてて、否定なんか一切しない、包容力のある、優しいお母さんなんて、空想の生き物だと思う。
それでも翌日になれば、ご飯を作り、学校へ送り出す。洗濯もするし、布団だって干す。喧嘩をしたからといって親子をやめるわけではない。
そんな泥くさい日々の積み重ねが、子育てなのだと思う。綺麗事だけでは済まない。それでも一緒に暮らし、ときに修復しながら、そうやって今日も家族は続いていく。
