【映画考察】スーパーマン│なぜバレない!?髪の分け目とメガネだけの“変装”が成立する理由
〜飛行機でも鳥でも超人でもない男〜
私の映画好き人生は子供の頃に観たスーパーマンから始まる。
もちろん、子供の頃は単純な感想しかなかった。
『映画って凄いな。人が空飛んでる。』
『色んなパワー使って解決して面白い!』
でも、映画にハマるには十分だった。
そして、大人になるにつれて、これは単なるスーパーヒーローの話ではない、と思うようになる。
かなりの“いい大人”になった今も心惹かれるのには、いくつか理由があるが、そのひとつが“変装”にあると思う。

クラーク・ケントは背が高くて体格もいい。
姿形は、あの有名なスーパーマンとソックリ。
なのに、誰にも疑われず、正体はバレない。
なぜか?
それは、パッと見の似てる似てないではなく、挙動が違うからだろう。
スーパーマンは、胸を張り、自信に満ちた笑みを浮かべる。
人々をまっすぐ見つめる目には愛が満ち溢れ、その力をためらいなく使って、悪に立ち向かう。
一方でクラーク・ケントは、いつもオロオロして頼りない。
少しドジで、鈍感で、お人好し。
優しくて良い人だけど、“それ以上ではない人”という感じ。
常に周囲を気にし、その割りには肝心な場面で、なぜかいつも姿を消す。
(この差を絶妙に演じ分ける、クリストファー・リーヴの演技も素晴らしい。)
ちなみに、彼には、3つの名がある。
・スーパーマン 地球の人々が呼ぶ呼称。
・カル・エル 故郷クリプトンでの出生名。
・クラーク・ケント 地球での名前。
どれも同じ人物を指しているはずなのに、そのどれもが、少しずつ違う。
カル・エルとしてクリプトンで過ごしたのは、生まれて間もない頃まで。
スーパーマンとしては、“人々の中での役割”として成立。
そしてクラーク・ケントは、最も長く過ごした地球での名前でありながら、最も“演じている時間”でもある。
では、本来の彼とは何なのか。
スーパーマンか。
カル・エルか。
それとも、クラーク・ケントか。
もし彼がクリプトンで育っていたら、スーパーパワーを得ることはなく、普通のクリプトン人の一人として生きていたはず。
今の“強さ”は、地球の環境によって得たものだから。
そんな彼は人間社会の中では、あえて“不完全さ”を演じている。
それは、目立たずに社会へ溶け込むためには、“普通”では足りないから。
むしろ、少し劣っているくらいのほうがいい。
脅威にも、競争相手にもならない存在。
人はそういう相手にこそ、無意識に安心する。
おそらく彼は、そのバランスを理解している。
どんな人間が最も無難で、安全で、疑われないのかを。
それは経験から学んだものでもあるだろう。
強すぎる力は、ときに敬意ではなく、警戒や拒絶を生む。
だからこそ彼は、その力を人前では見せない。
その選択の根底には、地球での育ての親、ケント夫妻の教えや人柄がある。
力を使わない、という選択の重み。
その力を使えば、何でもできるはずなのに、それでも悪用せず、善であり続ける。
生まれ持った資質だけではなく、育てられた環境も大きいと思う。
そして、成長したある日、“生みの親”からのメッセージを発見する。
少しくらい見下されても、動じない。
評価されなくても、揺らがない。
それは“弱さ”ではなく、むしろ、自分の力と使命を理解している者だけが持てる、別種の強さ。
彼は、地球でたったひとりの存在。
見た目は同じでも、異星人。
母星はすでに消滅し、帰る場所もない。
彼は、ただ溶け込んで耐えながら生きるのではなく、“誰かのために力を使う”という使命に活路を見い出す。
その使命が、彼の孤独を支えているのだと思う。
なお、今回はクリストファー・リーヴ演じるスーパーマンシリーズのみに焦点を当てて書いています。
他にもスーパーマンの映画化作品はいくつもあり、それらも観ていますが、
個人的に一番思い出があり、思い入れの深い作品として考察しました。
他の作品も視野に入れると、また違った考察になると思いますが、それはまた別の機会にでも🎞
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