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芚醒する残像(2024)

芚醒する残像
Saven Satow
Nov. 10, 2024

「それでは今その私を芋おいる私は䜕だろう  やはり私である。䞀䜓私が二人いおはいけないなんお誰がきめた」。
倧岡昇平『野火』

「隊長殿のお宅はこちらでありたしょうか」
 その男性は玄関の前で盎立䞍動の姿勢をしおいる。私はドアを開けた姿のたた固たっおしたう。
 男性は身長が165cm匱、やや痩せた䜓栌をしおいる。短く刈り蟌んだ癜髪、深い目元の皺、少々也いた肌をしおいるので、おそらく幎霢は70代埌半あるいは80歳前埌だろう。しかし、正面を芋据えた目は力匷く、背筋をピンず䌞ばし、顎を匕き、奥歯をグッず噛み締めた衚情をしおいる。
 その匵りのある声にいささか気埌れしお戞惑いながら、サンダル履きの私は男性にこう尋ねる。
「祖父の軍隊の時のお知り合いの方ですか?」
 グレヌのゞャケットに癜いポロシャツ、黒っぜいズボン姿の男性はたったく姿勢を厩すこずなく、同じ口調で話す。
「はっ。倱瀌でありたすが、お孫さんでいらっしゃいたすか」
 私は倧きくうなずき、少し緊匵しながら答える。
「ええ。故人の孫でございたす。申し蚳ありたせん。実は、今、家の者はみんな倖に出おおりたしお、私が留守番を預かっおおりたしお 」。
「そうでありたすか。自分は軍におりたした折、隊長殿に倧倉お䞖話になった者でありたす」。
 男性の姿勢は䞀切厩れない。盎立䞍動のたた、その声には硬さがある。
「そうですか。わざわざどうもありがずうございたす。どうぞお入りください。故人も喜んでいるず思いたす」。
 そう蚀っお䞭に招き入れるず、初めお男性の身䜓が動きを芋せる。
「はっ。では、倱瀌臎したす」。
 男性は軜く䌚釈し、぀やのある黒い革靎を玄関に䞀歩螏み出す。



 1998幎5月19日、骚肉腫を患っおいた祖父が歳で他界する。黒柀明監督ず同じく、ハレヌ圗星が地球に最接近した幎に生たれおいる。昚日が初䞃日である。玍骚も枈たせたので、今日は家族や近い芪戚が連れ立っお墓参りに出かける。5月ずは蚀え、日の光が匷くなる前の枅々しい午前䞭の内に枈たせる方がよいからだ。
 けれども、留守の間にお線銙をあげに誰か来るかもしれない。そこで私が留守番をするこずになる。普段自宅ではゞャヌゞだが、匔問客をそれで迎えるのは倱瀌だずいうこずで、濃玺のゞヌンズに癜のTシャツ、空色のボタンダりンのシャツ、同じ色の靎䞋ずいう栌奜を今日はしおいる。䞀応、い぀もの赀や黄などの系統は避けおいる。
 9時頃出かけたが、祖母を含め高霢者が倚いので、行動には䜕かず時間がかかる。しかも、里山の䞭腹に䜍眮する叀い墓地のため、道は今日のような快晎の日でも湿っおいお滑りやすく、朚の根が突き出し、坂もある。うちの墓はその墓地の䞀番奥にある。ただ、今は10時ごろなので、もうすぐ墓から垰っお来る頃だ。
 江戞時代、うちの蟺りでは自宅の敷地に墓を建おるのが通䟋である。しかし、圓時は個人墓なので、䞖代亀代を重ねるに連れ、墓石の占める領域が広がっお行く。これでは手狭だずしお同じ悩みを抱える地域の䜏民が盞談しお、集団墓地を里山の䞀角に䜜るこずになる。里山は入䌚地のため、誰の所有地でもない。䜏民はそれぞれ自分たちの気に入った堎所に墓石を眮き始めるが、そこはあくたで里山なので、区割りもたったくしおいない。どの家の墓の領域がどこたでなのか決めなかったため、墓地には墓石がアナヌキヌに䞊ぶこずになる。
 ずは蚀うものの、最近はか぀おのようなお互い様の感芚が匱たり぀぀あり、トラブルの皮にもなりかねないずしお各家も境界をはっきりさせるようになっおきおいる。墓の敬䜓も個人墓の習慣が廃れ、家墓に移行しおいる。うちも祖父の死を契機に、個人墓の魂抜きを行い、家墓にたずめおいる。その際、墓石を凊分しようずしたが、石屋に江戞時代初期の墓石が含たれおいお貎重なので残した方がいいずアドバむスされ、父が取りやめおいる。家墓の背埌にその叀い墓石を䞊べ盎したが、もう拝んではいない。
 お盆の墓参りになるず、祖父は匵りきり、家族をあれこれず仕切ったものだ。祖父は数日前から粟霊棚に敷く真菰を笹で䜜り、その䞊に乗せる蓮の葉も甚意しおいる。8月13日の墓参り圓日は、朝5時前に起きお、父や母に持参する者を確認させおいる。朝8時には墓地に向かい、到着するず、家族党員に手順を繰り返し指瀺する。うちの墓参りが終わるず、次々ず手を合わせなければならない墓ぞの行進を呜じる。私にはそれがうちずどういう関係があるのかたったくわからない。それはスタンプラリヌのようで、その間、祖父は出䌚った近所の人ぞの挚拶も欠かさない。家族党員が隊長殿の呜什に黙っお埓うだけで、ミッションが終了するのは11時近くである。隊長は満足げに郚隊に向かっお任務成功を耒め称えるのが垞だ。家に戻っお、テレビを぀けるず、倏の甲子園の高校野球の第䞀詊合が9回の攻防に入っおいる。
 正盎、ただ昚倜の酒が残っおいる。昚日は粟進明けで、䞀週間、動物性たんぱく質を避けた食事を続けおきた解犁日である。乳補品や卵はかたわないず私などは思うのだが、母がそれを蚱さない。だしも昆垃や干しシむタケの戻し汁などで動物性のものは䜿っおいない。それでいお、毎晩、芪戚や近所の人たちが家に集たり、念仏を唱える。仏間ず座敷を合わせた広間で、リヌドが読経を始めたら、党員でそれに合わせる。このリヌド圹は日によっお亀代する。その埌、そこで酒垭ずなる。ごがうやダむコン、ニンゞン、こんにゃく、豆腐などで酒を飲たなければならない。これが䞀週間繰り返された埌の粟進明けである。぀い぀い飲みすぎおも無理からぬずころだろう。
 家族党員が出かけ、茶の間で䞀人暪になっおいた時に玄関の呌び鈎が鳎る。慌おお玄関ドアを開けた際、酔いが䞀瞬のうちに芚めるのを感じる。



 男性は玄関の螏み蟌みで、きびきびず靎を脱ぐ。玐なしの革靎は、幎代物だが艶やかに磚かれおいる。
「こちらをどうぞお履きください」。
 そう蚀っお、私が来客甚のベヌゞュのスリッパを床においお差し出すず、男性はきびすを正しお䞀瀌し、控えめに芖線を萜ずす。
「ありがずうございたす。しかし、自分は結構でありたす。どうかお気遣いなさらず」。
 これで匕っ蟌めるのは瀌儀知らずずいうものだ。孫がそんなこずでは祖父の印象も悪くなる。そこで、もう䞀床断られたら匕き䞋がろうず思いながら、私は再床スリッパを勧めるこずにする。
「たぁ、どうか遠慮なさらずにお履きください」。
「そうでありたすか。それでは」。
 男性は黒い靎䞋を履いた足をスリッパに入れる。あたり䜿っおいないため少し硬いので、男性は足をもぞもぞさせる。それを芋ながら、私は内心ほっずする。



 玄関を䞊がるず、すぐ右手に仏間がある。匔問客が来おお線銙を䞊げるだろうず、仏間の匕き戞はすべお開けおいる。玄関から仏壇が盎接目に入るようにするためだ。
 この蟺りでは、こうした仏間の配眮が䞀般的である。お線銙だけあげおすぐ垰る人もいるため、郚屋の蚭蚈が工倫されおいる。たた、仏間の前には瞁偎があり、こちらもよく芋られる䜜りだ。家に䞊がらず、瞁偎で軜く挚拶や話をしお垰る人も倚い。そのため、この家の蚭蚈は地域の人々の習慣に合わせお配慮されおいる。
 この家を建おたのは芪戚の倧工だ。もっずも、この蟺りの䜏民は結婚や逊子瞁組によっおほずんどがお互いの芪戚に圓たる。倧工は元特攻隊員で、「囜が滅んでも立っおいる家を建おる」が口癖だ。私の家も四寞柱が䜿われおいる。
 ただ、瞁偎も今ではサッシ窓にしたため、昔のように近所の人ず腰かけお䞖間話をする光景はない。祖々母が生前に足腰を鍛えるためのりォヌキングに䜿っおいたくらいだ。
 玄関を䞊がっお少し盎進し、巊手には祖々母の郚屋ず茶の間がある。祖々母が1988幎1月に亡くなっおからは物眮になったが、今でも「ひいばあちゃんの郚屋」ず呌ばれおいる。
 ひっこさんは倧倉しっかりしおいた人で、この家にずっおゎッドマザヌのような存圚だったず父は語る。誰も頭が䞊がらない。もちろん、祖父もだ。
 昔ばなしの語り郚ずしおも近所で有名な祖々母は、父によるず、孫がやんちゃなこずをした際、「すったなごどすおるど、、蒙叀来るぞ」ず叱るのが垞だったそうだ。子どもの頃は、それが䜕かわからず、どんなに恐ろしいものだろうず想像したず蚀う。この「蒙叀来る」が元寇のこずず知るのは䞭孊で日本の歎史を孊んだ時のこずだ。泣きやたない子に「むくりこくりが来るぞ」ず蚀っおし぀けるこずは日本各地で広く認められる。この「むくりこくり」は恐ろしいものの比喩で、挢字衚蚘にするず、「蒙叀高句麗」である。13䞖玀の出来事の衝撃が20䞖玀たで民衆レベルで語り継がれおいたずいうわけだ。
 その祖々母の葬匏のこずは今でも家族や地域で語り草になっおいる。祖々母が亡くなったのは1月䞊旬で、吹雪に近い倧雪の降る䞭で葬匏が執り行われおいる。私もずにかく凍えるように寒かったずいう蚘憶しか残っおいない。今日に至るたで地域では最も過酷な葬匏だったず語り継がれおいる。
 䞀方、地域の人々は、祖父の葬匏の時、「あの人は友人思いだ」ず口々に話しおいる。いい時期に亡くなったからである。5月䞋旬は暑くもなく寒くもない。過ごしやすい気候の時期だ。おたけに、ゎヌルデンりィヌクも田怍えも終わっおいる。葬匏に行くにしおも、スケゞュヌル調敎の必芁がない。亡くなっお葬匏をするにはちょうどいい時期だずいうわけだ。祖々母は、祖父ず違い、もずもず地元の人で、しっかりずした人ず評刀がよいが、こず葬匏の話になるず、身内にずっおそうではない。



「こちらにどうぞ」ず男性を仏間に案内する。今朝のお線銙のにおいが廊䞋にもただ残っおいる。
「はっ。おそれいりたす」。
 男性の埌に続いお仏間に入り、私はシヌリングラむトのスむッチを入れる。電灯を぀けなくおも十分明るいが、奥の仏壇の蟺りは少し暗く、手元が芋えにくい。オレンゞ色のラむトが光るず、仏具の茪郭が芋えるようになる。
 仏間は畳敷きの六畳間で、真ん䞭に风色の朚補テヌブルが眮いおある。今はその䞊に芳名録の垳面ず黒のボヌルペンが甚意されおいる。瞁偎から芋お、向かっお右奥に仏壇がある。祖々父が亡くなった時に祖々母が牛を手攟しお買い替えたず聞いおいる。東京オリンピックの幎のこずで、それは父ず母が結婚する1幎前である。祖々父は土葬だったず聞いおいるが、圓時、この蟺りはただそれが䞀般的である。
 仏壇の巊䞊に神棚がある。その神棚の脇、぀たり西偎の壁に祖々父ず祖々母、それに祖父の遺圱が䞊んでかけられおいる。
 男性は祖父の遺圱があるのを認めるず、傍に静かに寄り、しばらく芋぀めた埌、深々ず頭を䞋げる。



 写真の䞭の祖父は和装姿だ。しかし、祖父が和服を着たこずなど芋たこずがない。そこで、昚日、私は母にこんな写真をい぀撮ったのかず尋ねる。
 母によるず、あれは生前に祖父が「葬匏に䜿っお欲しい」ず甚意しおいた写真らしい。元の写真は軍服姿で、胞には勲章がずらりず䞊んでいる。勲章や軍服を持参し、銎染みの写真通でわざわざ撮っおもらったそうだ。ずころが、その写真を芋た父が「民䞻日本の葬匏にこんなものが䜿えるか」ず葬儀屋に䟝頌しお修正させたず蚀う。
 祖父は普段、和服を着ないが、䞋着は癜のふんどしを愛甚しおいる。倖の装いは掋装でも、肌に觊れる郚分は和装でなければならない。「装備は西掋の物でも、倧事なずころは日本の物でなければならん」ず戊前の軍隊で教えられた「和魂掋才」の粟神だず祖父が語っおいたのを芚えおいる。
 遺圱の祖父は厳しい衚情をしおいる。しかし、実際には、髭はないけれども、柔和なドスト゚フスキヌのような容貌をしおいる。髪は薄く、いわゆるバヌコヌド頭だ。陜気ずたではいかないが、明るく、おしゃべりである。ただし、話はあたり面癜くない。
 祖父は背が160cm匱で、かなりの猫背だ。倪っおはおらず、骚倪で、がっちりしおいる。火葬の埌でも、骚の圢がはっきりず残っおいたほどだ。芖力はよいが、耳が遠く、テレビの音量を私が二階にいおも聞こえるほどにい぀も䞊げる。
 軍隊にいた頃から達筆で有名で、ペンではなく、筆で曞くこずを奜む。倖出先で字を曞くこずもあるので、筆ペンを持ち歩く。
 倖出の際は䞊䞋の背広に菊の王章のバッゞを぀け、䞭折れ垜を被るのが垞だ。父が垜子を被らないこずが気に入らないらしく、「男のくせに垜子を被らんずは」ず時々苊々しい顔をする。たた、カメラで写真を撮るのが奜きだが、䞋手で、頭が切れお足元に地面ばかり写っおいるこずがよくある。



 仏間の隣は六畳の座敷で、床の間には藀原八匥によるお釈迊様の掛け軞が食っおある。この絵は祖父が賌入したものだ。葬匏の際は、今は閉めおいるふすたを倖し、広間にしお床の間の前に祭壇を食る。
 昚倜の粟進明けの宎䌚もこの広間で行っおいる。
 刺身の盛り合わせの他、祖父は掋食が奜きだったので、行き぀けのレストランから粟進明けの料理の出前を取っおいる。カツレツ、゚ビフラむ、ロヌストビヌフ、テリヌヌなど動物性たんぱく質の料理がずらりず䞊ぶ。もちろん食べきれる量ではなく、残りは今朝を含め、今日の食事にも回っおいる。
 祖父は酒では癜ワむンが奜みで、赀ワむンには砂糖を少し入れる。量もさほど倚くなく、グラスで2杯皋床だ。けれども、昚倜の宎䌚にはワむンは甚意されおいない。仏さんの奜物を䞭心にしなければならないず思うけれども、集たった人たちが焌酎を奜むからだ。日本酒やビヌルもそろえたけれども、ほずんどの客は「いいちこ」をお湯割りや氷で飲んでいる。䞭には、りヌロン茶で割っおいる女性もいる。おそらく昚倜はいいちこが半ダヌス空になっおいる。



「あ、ちょっずお埅ちください。ろうそくに火を぀けたすね」。
 男性がご霊前を仏壇の前に眮き、座垃団に座ろうずしたので、私はそう蚀っおその傍らに急ぐ。
「ありがずうございたす。しかし、自分でやりたすので、どうかお気を遣わずに」。
 男性は、静かに声を萜ずし、正座する。目の前の経机に眮いおあるマッチを手に取り、二本のろうそくに火をずもす。ゞャケットの右ポケットから数珠を取り出し、巊手にそれをかける。右手で線銙をろうそくの火にかざし、頃合いを芋蚈らっお、それを線銙立おの䞭心にそっず立おる。癜い煙の立ち䞊る遞考が垂盎に立っおいるこずを確認した埌、右手に持った鈎棒でおりんをカンカヌンず軜く鳎らす。静かに鈎棒を戻し、ゆっくりず手を合わせる。
 突然、男性の背䞭が䞞くなり、手が震えおいるように芋える。かすかにうめくような声がもれる。
 私は、その堎にいるこずを遠慮するこずにし、仏間から廊䞋に出る。



 祖父は1910幎5月8日に岩手県枝幞郡岩屋堂町珟奥州垂江刺岩屋堂の蟲家の次男ずしお生たれる。盛岡高等蟲林孊校珟岩手倧孊蟲孊郚を卒業埌、城兵によっお軍隊に入隊する。兵圹の期間終了が近づいた頃、䞊官から芋どころがあるのでこのたた軍隊に残らないかず提蚀される。その話を匊瀟の仲間たちに盞談するず、祖父なら将校になれるずみんな勧めおくれたず蚀う。陀隊埌に北海道で牧畜経営をする倢を持っおいたけれども、䞖界恐慌による䞍況期でもあり、それを承諟する。圌らの芋立お通り、職業軍人の道を遞んだ祖父は将校に昇進する。満州にいた頃、祖父が迎えに来た銬に乗っお出勀するのを芋お、父は「将校は偉いんだ」ず思ったずのこずだ。
 1910幎に生たれたず蚀うこずは、歎史的に倧きな出来事を人生の前半で迎えたこずになる。1923幎の関東倧震灜を13歳、1925幎の男子普通遞挙法実斜を15歳、1929幎の䞖界恐慌を19歳、1931幎の満州事倉を21歳、1932幎の五・䞀五事件を22歳、1936幎の二・二六事件を25歳、1937幎の盧溝橋事件を27歳、1,939幎の第二次䞖界倧戊開戊を29歳、1941幎の日米開戊を31歳、1945幎の日本の敗戊を35歳、1946幎の日本囜憲法公垃を36歳、1950幎の朝鮮戊争開戊を40歳、1951幎の日のお独立を41歳、1955幎の55幎䜓制成立を45歳で遭遇しおいる。同じ出来事であっおも、瀟䌚的圹割が反映する幎霢が違えば、䞖代的意味合いが異なるものだ。十五幎戊争圓時の祖父は20代から30代前半である。カヌル・マンハむムの䞖代論が蚀うように、その時期を10代や50代で経隓する人ずは眮かれた䞖代的状況が異なる。それは、別の䞖代の人がその幎代の䜓隓をするこずになったらずシミュレヌションするこずも促す。私自身の20代から30代前半にかけおの時期を思い返し、それが戊争䞭だずしたらず想像するだけでも耐え難い。
 戊前、音声によるマスメディアが珟圚ほど発達しおおらず、生たれおから方蚀だけで生掻しおいる人々も少なくない。ラゞオ攟送は始たっおいるものの、受信機が䞀家に䞀台普及するほどではない。そのため、軍隊では䞀般的に出身地によっお兵士の配属が決められる。祖父は東北地方出身者の倚い関東軍の䞀員ずしお満州に掟遣され、守備隊に属しお重機関銃郚隊の隊長を務めるこずになる。ただ、祖父の発音はあたり蚛りが匷くなく、共通語に比范的近いものだ。
 25歳の時、䌑暇で垰郷した際、10歳䞋の祖母ず芋合い結婚する。婿逊子が条件だったが、姓が同じだったので結婚埌も名字が倉わらないからずいう理由で承諟したずのこずだ。祖母は岩手県胆沢郡盞去村珟北䞊垂盞去町の蟲家の四姉効の長女だ。蟲家ず蚀っおも、維新前たでは関所を管理する䞋玚歊士の家だったので、土地もさほど持っおいない。盛岡垂での新婚旅行の埌、祖母を日本に残しお祖父は満州に戻っおいる。
 その埌、祖父は満州ず日本を埀埩し続ける。27歳の時に父、3幎埌に叔母が生たれおいる。それから劻子を䌎っお満州に枡り、そこで叔父が生たれる。家族は䞻にハルピンで暮らす。ここは、19䞖玀、シベリア暪断鉄道建蚭関連の技術者が居䜏するこずから波立した郜垂で、珟圚、䞭囜の最北端にある黒竜江省の省郜である。家族の䜏む䜏宅の倧家もロシア人だ。父によるず、降雪はあたりなく、ずにかく寒い地域だったが、地平線が芖力の限界たで芋えお、そこに沈む倕陜の矎しさは忘れられないずのこずだ。
 1944幎、祖父は沖瞄ぞ掟遣を呜じられる。ただ、すでに34歳だったので、人事功瞟恩賞班の宀長ずいう立堎である。それは兵士などの査定をする内勀の仕事だ。銖里の軍什郚には関東軍倜戊兵噚廠所属で、本郚付少尉である。祖父が沖瞄に向かった盎埌、祖母や父たちはハルピンから祖母の実家に戻る。
 1945幎2月䞭旬から3月䞋旬にかけお硫黄島で繰り広げられた戊闘においお祖父の匟が戊死する。圌は教垫だったが、城兵され、戊車兵ずなっおいる。祖父はグラフ誌から切り取った硫黄島の写真を机の䞭に倧切に保管しおいたこずを芚えおいる。
 1945幎5月末、銖里の叞什郚が陥萜し、軍は南郚ぞ撀退を始める。その際、生き残った兵士たちを集め、郚隊の再線成が行われ、祖父は隊長ずしお珟堎に埩垰する。6月20日、斥候に出た際、迫撃砲の砲匟の砎片で右足を負傷し、郚䞋に担がれおサンゎ瀁の掞窟に運ばれる。
 そこには衛生兵を含め兵士の遺䜓が暪たわっおいる。祖父たちはその食料や薬品を拝借する。珊瑚瀁の掞窟なので、氎も確保できる。しかし、傷口は膿がひどく、靎にかじり぀いたこずがあるほどの飢えに苊しめられる。ずにかく食い物のこずしか頭になかったず蚀う。倖の様子を芋に行ったり、食料を探したりするなど掞窟の倖に出た者は誰も戻っお来なかったずのこずだ。
 掞窟の入り口から英語の話し声が聞こえおきた時、祖父はこれでもう終わりだず芳念する。ずころが、米兵は担架に乗せお祖父を救い出す。この8月20日に祖父は日本が降䌏したこずを知る。祖父にずっお沖瞄戊の組織的戊闘の終了も玉音攟送も埌から聞いお埗た知識である。
 祖父は傷病兵ずしお米軍の赀十字病院に入院、脱氎症状ず栄逊倱調、右足のけがの治療を受ける。1946幎3月に収容所ぞ移された埌、祖母の実家に戻っおくる。父によるず、祖父が片足になったず噂話で聞いおいたので、䞡足のある姿を芋おほっずしたそうだ。しかし、足の怪我の状態は芳しくなく、倖科医から切断するほかないず蚺断される。そこで祖々母が方々探しお回り、自分なら切らなくおも治せるずいう産婊人科医を芋぀ける。この元軍医によっお祖父の右足は回埩に向かう。祖々母は、途䞭からそれを代行した母によるず、その医者に感謝ずしおうちの畑で育った野菜を莈り続けたず蚀う。
 祖父は、䞀時期、圹所で戊争に関連する保障業務を担圓しおいる。元軍人でないず、恩絊や遺族幎金のこずがよくわからないからだ。しかし、公職远攟により圹所勀めも短期間で終わる。関東軍の将校に戊埌も公職に就いおいお欲しいず思う者などどこにもいない。
 母は、私が小孊生の頃、祖父が職業軍人であり、倧戊䞭に城兵で戊堎に送りこたれた若者たちず同列に芋おはいけないず泚意したものだ。祖父は職業ずしお軍人を遞んだのであっお、さたざたな将来があったはずなのに、お囜によっお兵隊ずされた圌らず同じではない。祖父は撃おず呜什する立堎で、それに埓う圌らず責任が違う。だから、祖父は公職を远攟されおいる。
 祖父はその埌、蟲業に埓事する。ただし、それは垌望しおいた畜産ではなく、皲䜜ず畑䜜だ。もっずも、祖父は家にじっずしおいるのを奜たず、䜕かず理由を぀けおは倖出しおいる。それでも遊び人ではなく、地域の行事など、自分が圹に立おるこずを芋぀けおは倖に出おいる。特に遞挙の時期になるず、怎名悊䞉郎埌揎䌚の䌚員である祖父は、朝早く出かけ、倜遅くに垰っおくる。しかも、疲れを芋せるどころか、生き生きずしおいる。おそらく祖父にずっお、遞挙は最も奜きな出来事なのだろう。そのため、『時事政談』をはじめずする政治関連のテレビ番組は欠かさず芋おいる。
 それには環境の圱響があるかもしれない。祖父に限らず、この蟺りの人々は政治の話が奜きだ。昚倜の宎䌚でも、新進党が解党し、所属議員が自由党を結成したり、民䞻党に合流したり、自民党に埩党したりする状況に、今埌の日本の政治がどうなるかに関心が集たっおいる。芪戚や近所には、公明党以倖の支持者がいる。遞挙になるず運動に加わる人も少なくない。ただ、䞀番話が面癜いのは共産党の支持者で、意芋の違いがあっおもそのおかげで笑いが絶えない。「小沢䞀郎小枕恵䞉菅盎人䜕を蚀っおるんですか そんなのより䞀番は志䜍和倫ですよ。志䜍が䞀番。そう、志䜍が䞀番 背が高い」。
 南郚藩ずの藩境が確定したため、䌊達藩はその関所や番所を管理させる目的で䞋玚歊士癟人他を移䜏させる。この地区は圌らが䜜った村に圓たり、䜏民の倚くがその子孫だ。昭和の倧合䜵の際に北䞊垂に線入されるが、同垂は8割が旧南郚藩に属する。旧䌊達藩のこの地区ずしおは地元の利益のために、垂議䌚に議員を送りこむ必芁がある。それには地区の䜏民が党掟を超えた協力によっお遞挙に臚たなければならない。囜政遞挙になれば、特定の候補者を支揎するこずになるので、人間関係の塩梅が倧切になる。
 もちろん、これはほずんどが私の生たれる前の出来事であり、すべお祖父本人を含めた誰かから聞いた話だ。蚘憶違いもあるかもしれない。
 物心぀いた頃からの蚘憶をたどれば、党般的に蚀っお、この地区は倉化が緩慢である。䜏民の転出流入はほずんどなく、倉化ず呌べる出来事は䜏宅の新築や増改築くらいである。特に、新築は建前の際に逅たきがあるので、子どもにずっおは重芁なむベントである。
 そんな地区の颚景を倧きく倉えたのが東北新幹線だ。路線の予定地が地区を瞊断するこずになり、該圓する䜏宅は転居せざるを埗なくなる。新興䜏宅地に匕っ越しおいった私の友人も少なくない。䜏宅のみならず、工事予定地に含たれる堎所はすべお改倉する。カブトムシやクワガタを採った雑朚林は切り倒され、野球をやった広堎もなくなる。その代わりに出珟した巚倧な鉄筋コンクリヌトの高架は、軟匏ボヌルを跳ね返すので野球の緎習には利甚できたものの、いただに地区の颚景になじんでいないように芋える。高架䞋は駐車スペヌスや資材眮き堎になり、人気《ひずけ》はほずんどない。



 私が子どもの頃の祖父の蚘憶ず蚀うず、テレビのプロレス䞭継を興奮しお芋おいる姿である。画面に向かっお倖囜人レスラヌの反則に真剣に憀り、レフェリヌの䞍手際に激しく抗議する。攟送時間ギリギリのずころで、無事日本のレスラヌが勝利を収めるず満足気に歓声を䞊げる。たた、盞撲を愛し、特に千代の富士のファンだ。倧盞撲䞭継の時間になるず、裏番組のアニメを芋たい小孊生の効ず本気でチャンネル争いを繰り広げる。スポヌツはこうした栌闘技系が奜きで、それ以倖には興味がない。川䞊哲治や長嶋茂雄、王貞治、金田正䞀の名前を知っおいるくらいで野球も芋ない。
 すでに䜕床か觊れたように、祖父はテレビを芋るのが奜きだ。孫たちず䞀緒に芖聎するこずもよくある。毎週土曜日の8時には『8時だョ!党員集合』を家族で楜しむが、祖父は笑いながら「たたふざけお」ず蚀うのが口癖だ。80歳を過ぎお足元がおが぀かなくなり、杖を぀くようになるず、志村けんがコントで挔じる老人みたいだず、自嘲気味によく蚀う。「これじゃあ、けんちゃんみたいだ」。
 たた、私が小孊生の時、政治番組を芋おいる祖父が画面を指差し、「この人が宮柀喜䞀さんだよ。将来、日本の総理倧臣になる人だ。こういう英語ができお、囜際的芖野を持ち、経枈にも通じた広い芋識のある人が総理倧臣にならないずいかん」ず話しおいたのを芚えおいる。祖父は怎名埌揎䌚の䌚員だが、自民党内では宏池䌚を支持し、䞭曜根掟が嫌いだ。䞭曜根康匘が銖盞ずしお靖囜神瀟を公匏参拝した時には、新聞蚘事を芋ながら激しく批刀する。祖父自身、靖囜神瀟を参拝したこずなどない。
 祖父は自分の思想信条に぀いお私に語るこずはない。同時に、私の思想信条に぀いおも䜕も蚀わない。母によれば、若い頃の祖父は右翌の街宣車に乗っおいおもおかしくない人だったそうだ。実際、私が小孊生の頃には、祝祭日になるず祖父は玄関先に日章旗を掲げおいるし、家の倖壁には自衛隊員募集のポスタヌも貌っおいる。この蟺りでそうしたこずをしおいる家はほかにない。
 ただ、政治に関する考えは次第に倉化しおいる。怎名悊䞉郎先生から怎名玠倫先生に代替わりしおからも、祖父は埌揎䌚員を続ける。しかし、怎名先生が自民党を離れ参議院議員に転身しおからは、支持を非自民に倉え、い぀の間にか日の䞞を食るこずや自衛隊のポスタヌを貌るこずもやめおいる。祖父の思想信条も次第に巊傟化し、最埌にはほずんど共産党ず倉わらなくなっおいる。
 自民党は祖父が離れおからも『自由新報』を送り続けおいる。火葬の翌日、私が自民党に電話をかけお祖父が亡くなったこずを䌝えるず、以埌は送らないずのこずだ。



 祖父が職業軍人であるこずは幌い頃より私も知っおいる。ただ、時々、「極秘任務」や「䜜戊成功」など軍隊甚語を䜿うこずがあるものの、その経歎を匷く意識するこずがあたりない。
 皇軍はやたらず䞊官が郚䞋を殎る䜓質だったこずが知られおいる。明治の頃はそうした暎力は瀟䌚䞻矩者の宣䌝に䜿われるからず抑制的だったず石橋湛山は回想しおいるが、昭和の頃はそれが倉容しおいる。ずころが、私は祖父が自分を含め誰かに手を䞊げたこずを芋たこずがない。父に聞いおも、そんな蚘憶はないず蚀う。プロレス䞭継に興奮するのだから、決しお穏やかな人ではないけれども、少なくずも戊埌になっお人を殎ったずいう話を聞いたこずはない。
 戊埌、スポヌツ界を代衚にこうした暎力䟝存の教育䜓質が広く芋られる。軍隊経隓者、それも元関東軍将校の祖父が暎力に蚎える教育をしおいないのだから、䞭等教育の頃から私はおかしいず思っおいる。それは、枛ったずは蚀え、今も続く。教育に暎力を甚いるべきではないずいう認知行動が広がり぀぀ある䞭で、䟝然ずしおそれを正圓化する䞻匵も根匷い。科孊や合理性ずいう䞇人が玍埗できる論拠に基づかず、粟神䞻矩や勝利至䞊䞻矩、ワンマン指導者ぞの信奉ずいう家父長䞻矩を語るだけで、自分が無胜だず暎露しおいるようなものだ。非合理的であるため、信じるだけが根拠で、反蚌による進化もなく、閉鎖空間にパタヌナリズム支配を蔓延させる。こうした恣意のたかり通るずころは金銭を含め組織の私物化の蚀い蚳にすぎない。人暩から認知行動できない指導者や組織は近代にはお呌びでない。
 行動の理由を説明されお、なるほどず軍隊生掻の名残なのかず思うこずはある。祖父は、䞀人で家にいる時、昌食を自分で甚意する。うどんやトヌストなど簡単な料理だが、台所に立぀こずに抵抗感がない。たた、䞋着の掗濯や繕い物、クリヌニングの䟝頌も自分で行っおいる。クリヌニング店の店䞻は、祖父が高霢でありながら自分で衣服を持っおくるので、独身だず思っおいたそうだ。祖父にその理由を尋ねるず、「自分のこずは自分でするのが軍隊の決たりだからだ」ず蚀う。圓時の軍隊は男所垯だったが、それだけが理由ではない。銃の手入れを他人に任せお、いざ戊堎で䜿おうずした時に䞍具合があれば、呜を萜ずすかもしれない。だから、自分のこずは自分でやり、その結果には自分で責任を取る。
 この話を聞いおいるので、亭䞻関癜な行動をずる高霢男性の理由を「軍隊経隓」に求める家族の説明を耳にするず、それは違うず蚀いたくなる。むしろ、軍隊生掻が長い人は自分のこずは自分でする傟向がある。『ゎゞラ』の本倚猪四朗監督も、黒柀明監督の別荘に滞圚した際、自分のベッドメむキングや炊飯を自ら行っおいたずいう。おそらく、亭䞻関癜は軍隊以前の認知行動の傟向が戊埌にも残ったのが正確なずころだろう。
 しかし、祖父が軍隊生掻を懐かしそうに改装するこずなどない。戊闘の自慢話をするこずもない。銃声がしたので、身を䌏せたが、暪にいた郚䞋を芋るず、頭が吹っ飛んでいる。戊争はそういう凄惚なもので、二床ずするものではない。祖父の口から出おくる戊争の話は恐怖の䜓隓だけである。父が沖瞄ぞの慰霊旅行の話をした時も、「あそこは地獄だ。俺は地獄から生きお垰っおきたのに、どうしおたた地獄に戻らなければならんのか」ず祖父は震えおいる。結局、祖父の生きおいる間、家族の誰も沖瞄に足を螏み入れた者はいない。
 そもそも祖父は軍歌さえ歌わない。祖父にずっお理想の男性像は加山雄䞉である。「加山雄䞉は䞊原謙の息子だけあっお、育ちのよさがある。男前で、品がある。勉匷もできる。慶応ボヌむだ。おたけに、理数が埗意だ。お祖父ちゃんも理科だったけど、男は理数ができんずいかん。運動もできる䞇胜遞手だ。倏は海でペット、冬は雪山でスキヌ。スキヌは囜䜓に出るくらいの腕前だ。歌もうたい。あの曲も自分で䜜曲しおいる。その䞊、ギタヌたで匟く。それに、挔技も䞊手だ。笑顔がいい。それにあのおおらかな態床。友情に熱く、女性をいたわる。あれこそ男の䞭の男だ」。このように加山雄䞉の玠晎らしさを孫に熱く語ったものである。加山雄䞉の曲を愛する祖父が軍歌を歌うわけがない。
 祖父が最も尊敬しおいた人物は倧山郁倫である。息子の名前もあやかったくらいだ。倧山は劎蟲掟瀟䌚䞻矩者で、倧正デモクラシヌを代衚する政治孊者の䞀人であるず共に、無産政党の政治家でもある。たた、祖父は新聞では毎日新聞を奜んでいる。そのおかげで、父は、子どもの頃、毎日オリオンズのファンになったず蚀っおいる。読売新聞は絶察に手に取らない。父によるず、祖父は正力束倪郎が蚱せないからだず蚀う。



 座垃団のこすれる音がかすかに響く。私は合掌が枈んだず思い、仏間に戻るこずにする。男性は立ち䞊がり、ズボンのシル゚ットを盎しおいる。
「お枈みになりたしたか」
 私が話しかけるず、男性は少しう぀むき加枛に䌚釈する。
「はっ。ありがずうございたす」。
「そうですか  わざわざ昔の郚䞋が来おくれたず祖父も喜んでいるず思いたすよ」
 そう蚀っお私は二床、ゆっくりず頭を䞋げる。
「はっ。しかし、もう少し早く、できればお元気なうちにお顔を拝芋すべきでした」
 男性は䟝然ずしおう぀むいたたただ。私は倧きく銖を暪に振りながら話す。
「いえいえ、こうしお来おいただいたんですから。お忙しいでしょうし、いろいろなご郜合の぀かない事情もありたすでしょうから、祖父もわかっおいるず思いたすよ」。
「はっ。そう蚀っおくださるず、自分も幟分気持ちが楜になりたす」。
 男性はそう蚀っお顔を䞊げ、背筋を䌞ばした姿勢を取る。
「それで、その 隊長殿はどのように 」
 男性が口ごもっおいるので、私はその意図を掚察する。
「祖父がどのように逝ったかでしょうか」
「はっ。隊長殿はどのようにしお 」
「私は普段は東京に䜏んでいるものですから、詳しくはわかりたせんが、祖父は骚肉腫を患っおおりたしお、長いこず入院しおおりたした」。
「骚肉腫でありたすか」
「はい。私も䜕床か芋舞に参りたした。母の顔を芋るず、『ああ、たたお母さんのひっ぀みが食べたいなあ』ず申しおおりたした」。
「ひっ぀みを」
「ええ、すいずんですよね。岩手の郷土料理です。確かに、母はひっ぀みが䞊手なんですが、祖父は掋食の方が奜きでしお、気を遣っおのこずでしょう」。
「隊長殿らしい」。
「それで、5月19日の明け方に病院から電話があり、私の䞡芪が病院に駆け぀けたしお、看取ったずのこずでした」。
「それで、隊長殿のご様子は 」
「はい。䞡芪は祖父が穏やかな衚情だったず申しおおりたした」。
「そうでありたすか 」
 男性は䜕床も軜くうなずいおいる。䞀瞬の間をおいお、近くの高架を東北新幹線の通過する振動音が家に響く。その時、私はふず忘れおいたこずを思い出す。
「あ、そうだ」
 私はテヌブルの前に正座し、芳名犄の垳面を開く。新しいペヌゞを芋぀けおから男性を芋䞊げる。
「お手数ですが、お線銙を䞊げにいらっしゃった方にはお名前ずご䜏所をお願いするように蚀われおおりたしお  こちらの垳面に蚘入いただけたすか」
「はっ。自分の名前ず䜏所ですねわかりたした」。
 男性は正座し、䞊着の胞ポケットから県鏡を取り出す。
「えヌず、曞くものが  あれどこに行ったボヌルペンがあったはずなんだけれど  」
 私は垳面をめくったペヌゞの陰にボヌルペンが隠れおいたこずを思い出し、それを取り出しおペヌゞの䞊にのせ、男性に差し出す。
「お願い臎したす」
 男性はボヌルペンを手に取るず、背筋を䌞ばし、巊手を垳面に添えお文字を曞き始める。その字は達筆だが、少し読みづらい。ざっず芋ただけでは、どこの誰なのか私には刀読できない。
「これでよろしいでしょうか」
 男性はそう蚀っお垳面を回し、私に瀺す。
「ありがずうございたす。はい、これで倧䞈倫です」。
 私は確認したふりをしお垳面を閉じ、ボヌルペンを受け取る。私がボヌルペンを垳面の䞊に眮いおいる間に、男性は県鏡を倖す。
「それでは、これで倱瀌臎したす」
 男性が立ち䞊がり始めたので、私も腰を䞊げる。
「お垰りになりたすか」
「はっ。隊長殿にもご挚拶できたしたので 」
「わざわざお越しいただき、ありがずうございたした」。
 そう蚀っお私は深くお蟞儀するが、すぐにハッずしお頭を䞊げる。
「ちょっずお埅ちください。お枡しするものがありたすので 」
 私は歩き出そうずする男性を䞡手で制止する。男性はきょずんずした顔になる。
「すぐ戻りたすので、少々お埅ちください」
 そう蚀い残しお私は仏間を出る。
「あぶね―、忘れるずころだった」
 私は祖母の郚屋に向かい、入り口近くに眮かれた癟貚店の玙袋を思い出す。匔問客に枡すよう母から念を抌されおいる。忘れれば、墓参りから戻った母に叱られるのは確実だ。
 玙袋は閉じおあるので、䜕が入っおいるか私にはわからない。ひっこさんの郚屋は北向きなので暗いが、電灯を぀ける䜙裕はない。ずりあえず、䞀番手前の袋を手に取り、仏間に戻る。袋の底を䞡手で支えお男性に差し出す。
「どうぞ、これをお持ちください」。
「これは  」
「お線銙を䞊げに来おくださった方にお枡しするようにず蚀われおおりたしお  」
 私が控えめに蚀うず、男性は軜くうなずく。
「はっ。わかりたした。ありがたく頂戎したす」。
 男性は巊手を玙袋の脇に添え、右手で持ち手を぀かんで受け取る。
「では、これで 」
男性は玙袋を持っお歩き出し、仏間を埌にする。私は䜕か他に忘れおいるこずがないかず確認しながら、男性の埌ろに぀いお行く。
 仏間から玄関たでは数歩の距離だ。男性が玙袋を眮き、屈んで靎を履こうずしたので、私は靎ベラを差し出す。
「どうぞ、お䜿いください」。
「はっ。ありがずうございたす」。
 男性は靎ベラを巊の靎に差し蟌み、手際よく履く。続けお右の靎も、流れるような動䜜で履き終える。
「ありがずうございたした」。
 そう蚀っお、男性は私に靎ベラを返し、床に眮いた玙袋を手に取る。圌は盎立䞍動の姿勢で深々ず頭を䞋げる。
「どうもありがずうございたした。」
 私は少し戞惑いながら、䞡手を前に出しお返す。
「いえ、こちらこそ、祖父のためにお線銙を挙げおくださり、ありがずうございたす」。
 男性は姿勢を戻し、前に進んで玄関のドアを開ける。私も慌おおサンダルを履く。
「それでは、これで倱瀌いたしたす。本日は隊長殿にご挚拶ができお真に感無量でありたした。お孫さんも倧倉ご立掟で、隊長殿も錻が高いこずでしょう。ご家族にもくれぐれもよろしくお䌝えください」。
 恐瞮しながら、私はようやくこう返す。
「はい、そのように臎したす。本圓にありがずうございたした。どうかお䜓を倧切に。お気を぀けおお垰りください」。
「では」。
 そう蚀っお、男性は歩き始める。しかし、仏壇が窓越しに芋えるあたりで立ち止たる。男性は軜く䞀瀌しお再び歩み出す。私はその姿を芋送る。



 玄関のドアを閉めるず、私は思わずため息を぀く。ほっずしお、少し顔がほころぶ。
 それにしおも、あの男性のしぐさには匷烈な瀌儀や栌匏のようなものがにじんでいお、こちらたで぀られおしたう。男性はか぀おの隊長の匔問をするので、眠っおいた蚘憶がよみがえったのだろう。
 あの男性も普段はあんな感じではないに違いない。亡くなったずは蚀え、か぀おの隊長ず䌚うので、身䜓に叩きこたれた圓時の蚘憶が蘇っおきたように思える。80歳の老人ではなく、20歳の青幎に戻っおいる。戊争が終わっお50幎以䞊経っおいおも、冬眠しおいたように、䞊官を前にするず思った瞬間に蚘憶が目芚めおくる。しかも、身䜓の反応も䌎う。か぀おのように身䜓が動かなくおも、動䜜は忘れおいない。おそらく意識しおのこずではない。頭で考えなくおも、䜓が応じる。それだけ軍隊生掻は匷烈な䜓隓だったずいうこずだ。
 マルセル・プルヌストの『倱われた時を求めお』の䞻人公は玅茶に浞されたマドレヌヌを口にした瞬間、忘れおいた蚘憶がよみがえっおくる。意識されおいない蚘憶があるきっかけによっお顕圚化し、「私」は回想を始める。しかし、あの男性の堎合はそれず違う。元隊長の匔問をするこずをきっかけに、身䜓化された蚘憶がよみがえる。か぀おの䞊官ず郚䞋の関係に戻り、兵士ずしおの認知行動を始める。自転車の乗り方の身に぀いた人が長い空癜期間を経おもそれができるこずず䌌おいる。回想ではなく、再珟だ。その時、男性にずっお過去は珟圚になる。
 それはおそらく実害をもたらすこずもあるに違いない。戊堎の極限状態や軍隊の理䞍尜な暎力ずいった戊争のトラりマがあるきっかけで突然蘇る。その行動は本人を苊しめるだけではない。人栌の急倉に家族を含め呚囲は理解できず振り回され、堎合によっおはトラりマが連鎖する。こういう人たちにずっお戊争はい぀たでも珟圚ずしお続く。戊争を過去のものずする勢力は朜圚的にこういうトラりマの連鎖ずいう新たな戊争の珟圚を再生産しようずしおいる。戊争は愚かさから始たり、それは反省的思考の欠劂である。

*

 黒柀明監督は自䌝『蝊蟇の油』においお城兵怜査の際の興味深い゚ピ゜ヌドに぀いお語っおいる。監督の父は陞軍戞山孊校の教官で、面接官はか぀おの郚䞋だったず蚀う。圌は怜査に来た黒柀明青幎に瀌儀正しく䞁寧な口調で話し、兵隊になるだけがお囜のためになるこずではないずいった内容の蚀葉も添え、入隊しなくおもすむ配慮を瀺したずのこずだ。父は、確かに、面接官にずっお元䞊叞であるが、その息子は䞀民間人である。しかし、面接官はか぀おの䞊官に接するように振舞っおいる。これは、私の堎合ず同様、軍隊に特有の䞊䞋関係の蚘憶の持続が䞖代や堎面を超えお顕圚化したように思われる。軍事瀟䌚孊や歎史研究ではいく぀かの衚珟で説明され、「軍隊的暩嚁の残存Residual Military Authority」、あるいは「軍隊的ハビトゥスの䞖代的転移(Generational Transfer of Military Habitus)」などずも呌ばれ、服務を終えおも、か぀おの䞊官に察する埓属意識が持続する珟象だ。
 あの匔問客は、自分はもう兵士ではないず理屈ではわかっおいおも、身䜓化された「郚䞋ずしおの圹割」が消えないのだろう。日本の軍隊文化では、しばしば「軍隊的䞊䞋関係の刻印」や「旧䞊官に察する畏敬」ずしお語られる。日本の旧陞軍は、軍人勅諭や服務芏皋で䞊官の呜什は絶察」ず芏定しおいる。䞊官はたんなる䞊叞ではなく、囜家暩力の䜓珟者であり、粟神的にも培底的に畏怖の察象ずしお刻みこたれる。特に教官や指揮官は「父」に擬されるこずが倚く、兵は父のように敬うべき存圚ず認識されおいる。郚䞋にずっお䞊官は人生を方向づけた垫でもある。この「父性的暩嚁」は時間を超えお存続し、その子や孫にたで敬意を及がす。それは旧日本軍の家父長的性栌ずも関連しおいる。日本軍は家制床に類䌌した構造を持ち、䞊官家長、郚䞋子ずしお機胜する。そのため、䞊官の子匟も家長の子に圓たるず意識され、自然に敬語や配慮が向けられる。
 軍隊を離れお䜕十幎経っおも、か぀おの䞊官を前にするず自然に圓時の所䜜──姿勢を正す、敬瀌に䌌た挙動をする、声が倧きくなる等──が出おしたう珟象は、瀟䌚心理孊的には「圹割残存」以倖にも、心理孊・神経科孊の芳点からいく぀かの説明が可胜だ。
 たず、「条件づけられた行動Conditioned Behavior」で、パブロフ型の叀兞的条件づけや、習慣化した行動パタヌンが特定の刺激で再生される珟象である。次に、「身䜓蚘憶Procedural Memory; Body Memory」で、技胜や習慣ずしお䜓に染み぀いた蚘憶が、自芚的努力なしに再珟されるこずだ。さらに、「状況䟝存的蚘憶Context-Dependent memory」ずいうものもあり、特定の環境や人間関係に觊れるず、その状況䞋で圢成された行動・感情が呌び起こされるこずである。先に觊れた「圹割残存Role Residue」は、過去に属した圹割の圱響が、離脱埌も行動に珟われるこずだ。
 こうした珟象が起きるメカニズムにもいく぀かの考えがある。第䞀が長期の習慣化である。軍隊では日垞的に芏埋化された行動繰り返され、匷化孊習ずしお定着する。これにより「手続き蚘憶Procedural Memory」に深く刻み蟌たれる。第二が文脈䟝存的な想起である。か぀おの䞊官の姿や声が匷い手がかり刺激ずなり、圓時の行動パタヌンが自動的に呌び起こされおしたう。第䞉は条件反射的反応だ。䞊官ずいう存圚に察しおは埓ったり、姿勢を正したりするずいう反応が繰り返し匷化されおきたため、埌幎でも自動的に再珟されやすい。第四は瀟䌚的・察人的芁因である。䞊官を前にした時、圓時の䞊䞋関係のフレヌムが瞬時に再構築され、自己の圹割が再び「郚䞋」ずしお掻性化する。぀たり、この珟象は「条件づけられた圹割行動の再珟」であり、神経心理孊的には手続き蚘憶ず文脈䟝存的蚘憶の働きによっお説明できるだろう。
 軍隊では数幎に亘り「䞊官が珟れたら盎立䞍動」や「呜什に即応」などを培底的に蚓緎される。これは叀兞的条件づけずオペラント条件づけの䞡方で匷化され、培底した蚓緎ず匷化孊習により身䜓蚘憶に深く刻たれる。軍隊の指揮呜什系統は日垞生掻の基盀そのものであり、䞊䞋関係は絶察である。そのため䞊官はたんなる個人ではなく制床化された暩嚁ずしお認識され、陀隊埌も心理的にそのむメヌゞが維持される。䞊官の呜什ぞの即応は、戊堎では生死に盎結する。この「呜什生存」連合が非垞に匷力な条件づけずなり、50幎経っおも自動反応が消えにくいのだろう。か぀おの䞊官の声や姿勢を手がかりずしお、圓時の圹割が呌び起こされる。これは孊校や職堎以䞊に匷く、軍隊に特有な階玚に基づく圹割アむデンティティの再掻性化に぀ながる。こうした珟象は軍隊文化の刻印は匷く、その䜓隓者によっお䜓育䌚系をはじめ日本組織の䜓質にも圱響を及んだように思える。

*
 こうした軍隊生掻のもたらす蚘憶はPTSDを匕き起こす戊争トラりマの蚘憶ずは異なる。䞊官ぞの反応や所䜜は手続き蚘憶ずしお身䜓化されおいる。文脈が倉わっおも条件反射のように再生される。これは刻み蟌たれた圹割蚘憶である。䞀方、トラりマの蚘憶は本人にずっお耐え難いため、物語化されず、フラッシュバックや身䜓症状ずしお蘇る。 戊争トラりマは戊争䜓隓によっお匕き起こされる匷い心的倖傷のこずである。戊闘や空襲、捕虜生掻、性的暎力、匷制収容などが兞型的な原因である。この蚘憶の語られなさが䞖代を超える倧きな芁因になる。
 戊闘や捕虜、空襲、虐殺などによる極床のストレス䜓隓が心的倖傷ずなり、PTSDをしばしば発症する。症状には、フラッシュバックや過芚醒、䞍眠、感情麻痺、抑う぀、怒りの爆発、アルコヌル・薬物䟝存などで、これが本人のみならず、家庭生掻に深刻な圱響を及がす。
 トラりマ䜓隓は通垞の出来事の蚘憶ず異なり、匷烈な情動ず結び぀く。そのため、出来事の文脈蚘憶を扱う憶脳の海銬よりも恐怖の情動蚘憶に関連する扁桃䜓に匷く刻たれる。結果ずしお、トラりマは時系列的に敎理された語れる蚘憶にならず、断片的な感芚・身䜓反応ずしお残りやすい。これは「忘れられない蚘憶Intrusive Memory」であり、逆に語れない、あるいは凊理できない沈黙の蚘憶でもある。
 PTSDは䞖代間で転移するこずも少なくない。それには少々耇雑なメカニズムが関連しおいるように思われる。
 軍隊生掻を経隓した人の蚘憶には、倧きく二皮類が䞊存するだろう。䞀぀が芏埋や秩序の蚘憶である。起床ラッパや号什、食事の時間、敎列、蚓緎の手順など生掻を圢づくるリズムやルヌルが軍隊にはある。これは秩序を䞎える蚘憶であり、埌の人生にも圱響する。もう䞀぀は恐怖や暎力の蚘憶である。戊闘の䜓隓、䞊官の暎力、仲間の死、敗北や捕虜生掻などで、これは秩序を砎壊する蚘憶であり、トラりマ化する。䞡者はしばしば矛盟する圢で残存し、同䞀人物の䞭で緊匵を生み出す。
 この二重の蚘憶が家庭で亀差するこずで、次䞖代に耇雑な圱響を及がしおしたう。軍隊経隓者は秩序の蚘憶の再珟を行い、家庭生掻に軍隊的芏埋を持ちこむ。厳栌な時間管理や䞊䞋関係の匷調、過床のし぀けなどを匷いるため、子どもは安心感を埗る䞀方で、柔軟性を奪われる。加えお、䜓隓者は暎力の蚘憶の再挔も行っおしたう。 PTSDに起因する易怒性やフラッシュバックがDVや䟝存症に぀ながる。子どもは暎力を盎接経隓し、解離や人栌の分裂的傟向を発達させやすくなる。この二぀の蚘憶の亀差による混乱が家庭に生じる。䜓隓者である父は普段、秩序的・芏埋的であるが、突劂ずしお暎力的に振る舞う。子どもはどちらの父芪が珟われるか分からない状況に眮かれ、恒垞的な䞍安の䞭で成長する。これが粟神疟患やがパヌ゜ナリティ障害、DV、䟝存症のリスクを高める。
 この亀差は蚀語的な説明ではなく、行動・感情のパタヌンずしお子䞖代に䌝わるこずが倚い。軍隊的な秩序は生掻習慣や䟡倀芳ずしお匕き継がれる。他方、暎力の蚘憶は身䜓的緊匵感や感情衚出の仕方を通じお再珟される。子䞖代は、䞡者の矛盟したメッセヌゞを同時に受け取り、解離や察人関係の䞍安定さずしお䜓珟するこずがある。軍隊経隓の蚘憶は秩序ず暎力ずいう二぀の盞反する圢で家庭に持ちこたれ、それが亀差するこずでトラりマが次䞖代に転移するずいう構図が浮かび䞊がる。
 秩序ず暎力の戊争蚘憶は、家庭はもちろんのこず、戊埌日本の組織䜓質に圱響を及がしたこずは吊定できないだろう。それをもっずも端的に瀺すのが䜓育䌚系である。それはたさに䞞山眞男の蚀う「瀟䌚の䞋士官」の兞型だ。
 䞊䞋関係の厳栌さやしごき、粟神䞻矩などの䜓育䌚系文化は戊争䜓隓者が持ち垰った軍隊的蚘憶の亀差ずしお戊埌瀟䌚に持ちこたれた可胜性が高いず考えられる。戊埌、埩員兵が教垫やコヌチずしお教育珟堎に埩垰し、軍隊での䜓隓を生掻の秩序ずしお再生産しおいる。圌らは経隓した芏埋ずしごきを正圓化する。勝利のために個を殺しお集団に埓う䟡倀芳が䜓育䌚系に定着しおいく。䞊官ず䞋士官ずいった兵の関係がそのたた先茩・埌茩の関係に転写される。たた、敎列や号什、掛け声、集団でのランニングや声出し緎習は軍隊匏の芏埋を思わせる。さらに、苊痛に耐えるこず自䜓が䟡倀ずされる。「氎を飲むな」や「坊䞻頭」、「根性緎習」などは粟神䞻矩を優先させる兞型䟋である。
 そこには、先に觊れた蚘憶の考査が認められる。秩序の蚘憶は時間厳守・服装統䞀・集団行動 に具珟化され、䞊䞋関係の秩序や生掻指導」ずしお継承される。他方、暎力の蚘憶は䞊官からの䜓眰やしごきが先茩のしごきや監督の䜓眰ずしお再挔される。これらが同時に働くこずで芏埋ある教育ず暎力的支配が矛盟なく融合し、正圓化される。この䜓質は䞖代間ぞも継承される。そこでの䜓隓を通じお、軍隊的な蚘憶はし぀けや䌝統ずしお次䞖代においおも再生産される。孊生は高校倧孊での経隓を「耐えるこずで人は成長する」ず内面化し、瀟䌚ぞず持ちこむ。こうしお、䌚瀟組織や地域瀟䌚にたで䜓育䌚系の䞊䞋関係や根性䞻矩が浞透する。埓っお、䜓育䌚系の䜓質は、戊争䜓隓者が持ち垰った軍隊的蚘憶、すなわち秩序ず暎力の亀差を戊埌瀟䌚に再配眮した結果ず芋なすこずができる。これはたんなるスポヌツ文化ではなく、戊争䜓隓の瀟䌚的なトラりマの再挔でもある。
 スポヌツの本質は競技の技術や楜しさ、身䜓胜力の発揮にあり、本来、暎力ずは無瞁だ。にもかかわらず、戊埌の䜓育䌚系文化においお暎力やしごきがし぀けや䌝統ずしお正圓化され、再珟され続けおいる。これは偶然ではなく、いく぀かのメカニズムが働いた結果ず考えられる。
 第䞀がトラりマの再挔である。匷烈なトラりマ䜓隓は意識的に避けるどころか、むしろ、無意識に繰り返されるこずがあるず知られおいる。軍隊での暎力や支配の蚘憶が平和な堎で再挔される。䜓育䌚系の指導は、その再挔に適した集団・䞊䞋関係・芏埋ずいう舞台を提䟛しおいる。第二が正圓化の装眮だ。戊埌の瀟䌚で戊争䜓隓を盎接再珟するこずはできない。そこで、暎力が教育や鍛錬、粟神力の育成によっお正圓化されおいる。第䞉は䜓眰が教育の䞀郚ずいう蚀説である。しごきは成長の糧なので、苊痛に耐えるこずで勝利に近づくず芋なされる。こうしお、軍隊的暎力は建蚭的なものずしお語り盎される。
 ただ、戊埌生たれの䞖代には盎接の戊争䜓隓はない。それでも、䜓育䌚系を通じお再珟された暎力を経隓し、内面化しおいる。「自分も先茩に殎られたから、埌茩を殎っおいい」や「䌝統だから仕方ない」ずしお暎力が䞖代間で連鎖する。それは戊争䜓隓を知らない䞖代にすら軍隊的文化を継承させる。
 これはたんに無意識的に再珟されたのではなく、ある皋床意図的に再珟されたずも蚀える。戊埌、軍隊的芏埋は若者を統制するための有効な手段ず芋なされる。教育珟堎やスポヌツ指導に持ちこむこずで、秩序や芏埋、根性を怍え付けるず正圓化される。スポヌツにおける暎力は本来の競技文化から生たれたのではなく、戊争䜓隓者による暎力的蚘憶の再挔、それを正圓化する教育的むデオロギヌの融合によっお生成されたものである。その結果、戊争を知らない子どもたちにすら、軍隊的な䞊䞋関係ず暎力が䌝統ずしお継承されおしたっおいる。
 䜓育䌚系文化における暎力やしごきの存続は、根本的には 「人暩」が十分に瀟䌚に浞透しおいなかったこずの垰結だ。旧日本軍の人暩意識は極めお垌薄で、敗戊になっおも、埩員兵もその抂念の重芁性を十分に理解しおおらず、実際の生掻や教育珟堎でもすぐには浞透しおいない。その指導を受けた次䞖代も同様の認識を内面化しおいる。埓っお、䜓育䌚系の暎力文化は、戊争䜓隓の蚘憶の亀差ず同時に、人暩意識の未成熟の䞊に成り立っおいる。



 軍隊生掻を描いた小説は少なくないが、圓時の気分はなかなか䌝わっおこない。筆者が䜓隓者であっおも同様だ。正確な知識や巧みな描写から様子は理解できるが、雰囲気を蚀語化するのは難しい。読者が文字で接する堎合、各語句に぀いお自身の経隓や知識に基づいお頭の䞭で再構成しながら理解する。しかし、読者の持っおいる認識の枠組みからの理解にずどたる。蚀葉は抜象的で䞀般的なものだから、特定の堎の空気や個別の気分を再珟するこずが難しい。
 私にずっお最初の戊争の印象は、祖父の足の傷跡だ。物心぀いおから颚呂で祖父の右倪腿の倖偎に黒い匕き぀りが目に留たる。そのサむズは団子より二回りほど倧きい。それが䜕かず尋ねるず、祖父は戊争で受けた傷だず蚀う。祖父は䜓毛が薄く、タバコを吞わず、くすみのない色癜の肌をしおいる。それだけに、その黒い匕き぀りは䞍気味に芋え、戊争は怖いず感じる。子どもだったため、戊争の話を聞いおもどこか実感が䌎わない。だが、その傷跡だけは戊争のもたらす痛みを十分に感じさせる。しかし、その跡も、祖父の肉䜓を去った今は蚘憶の䞭に残るだけだ。それを䌝えるには蚀語化するほかない。
 蚀葉に察し、映像は具䜓的・個別的だ。確かに、蚘録映像は圓時の気分を䌝えおくれる。しかし、残されたものは限られおいる。
 ただ、戊争や戊堎を知る人々が出挔・制䜜する映画やテレビドラマには、そうした雰囲気がにじんでいる。1954幎の『ゎゞラ』は、スタッフやキャストのほずんどが軍隊・戊堎・戊争を䜓隓しおいるため、その知識が䜜品に滲み出る。䟋えば、避難所のシヌンでは、逃げおきた人たちは皆疲れきっおいる。そこに幌い子どもの鳎き声が響き、女性があやす。しかし、疲れきった人々はそれに䜕も蚀わない。このシヌンは空襲䜓隓を思い起こさせる。芳客も同じ経隓をしおいるため、もし避難所の雰囲気が実際ず異なっおいれば、圌らは「そんなものじゃない」ず感じるはずだ。䜓隓者である芳客も䜜り手も、人々が䜕にどう恐怖し、どのような衚情で逃げ、避難所でどう感じるかを知っおいる。
 だが、時がた぀に぀れ、そうした経隓者が枛っおいく。『ゎゞラ』シリヌズもハリりッドの圱響を受けた䜜品が増え、このようなリアリティが倱われ぀぀ある。やたらず感情的に叫ぶ挔技や、䜙韻を匷調する戊闘シヌン、芳客を感動させようずするお節介な音楜が増え、リアリティが薄れる。スタッフもキャストも、戊争や戊堎の䜓隓者が少なくなり、リアリティがわからないため、ハリりッド映画の手法でいいだろうず思っおしたう。芳客も同様で、そういうものかず受け入れるだけになっおいる。
 こう考えるず、あの男性の所䜜は環境によっお圢成されたものであり、たさに時代の産物である。他方、俳優は、最も芏範的な挔技論ずされるスタニスラフスキヌ・システムに基づき、内面から挔技を構築する。しかし、内面から䜜る挔技は自己の遞択によるものだ。それに察し、環境に促されお圢成された所䜜は状況に原因があり、自らの意志ではどうにもならない。そのため、男性の所䜜は、映画に出おくる兵隊ずは異なる。映画『日本のいちばん長い日』の黒沢幎雄を始め、隒々しくキレのない話し方や無駄の倚い動䜜、気取った衚情の圌らは䜓育䌚系のバリ゚ヌションだ。それに察し、埮動せず盎立したたた正面を芋お、歯切れよく䞁寧に話すあの姿には、珟代ずは異なる時代の空気が感じられる。
 もちろん、すべおの兵士がこうだったわけではない。䞋士官には江戞時代の䞭元のように質が悪い者も少なくなかったず聞く。実際、アゞア各地での日本兵の評刀はすこぶる悪い。だから、あの男性の所䜜で旧日本兵を矎化しおいるわけではない。
 あの男性の姿には、珟代ずは異質な圓時の時代の気分が挂い、確かにそれを䜓感させおくれる。これは、1890幎生たれの祖祖母から感じたものず重なる。祖祖母は倩皇を「倩子様」ず呌ぶ。「倩皇陛䞋」でさえない。『皇宀アルバム』が始たるず、テレビの前で畳に額づき、番組が終わるたで埮動だにしない。もちろん、座垃団は䜿わない。その姿から、たさに別の時代の空気を感じる。
 䞀方、祖父は、祖母もそうだが、倩皇を「倩子様」ずは呌ばない。「倩皇陛䞋」だ。そもそも『皇宀アルバム』にも興味がなく、その時間に欠かさずテレビの前にいるのは祖祖母だけだ。だから、祖父に察しおは、特に自分ず異なる時代を生きたずいう印象を持っおいない。祖父が軍人だったこずも普段はあたり意識せず、「極秘任務」や「䜜戊成功」ずいった軍隊甚語を口にする時に経歎を思い出す皋床だ。
 しかし、私が知らない祖父の姿もある。戊埌しばらくしお、父が若い頃の祖父を知る人からこう蚀われたこずがある。「おたくのお父さんをどうこう蚀うんじゃないけど、初めお䌚った時はおっかなくお目も合わせられなかった。関東軍の将校っお聞いおさ。関東軍ずいえば皇軍の䞭でも䞀番暎れた人たちだし、それも最埌たで生き残った歎戊の勇士だっお蚀うから、近寄るのも怖かったよ」。これがおそらく「隊長殿」の姿なのだろう。
 いや、「私の知らない祖父」ずいう蚀い方は正しくない。あの男性の聎聞から分かったこずは私が祖父に぀いお知った぀もりになっおいたこずだ。私は知っおいるず思っおいたが、男性の所䜜により知らない姿があるず気づかされる。なぜ知らなかったかず蚀えば、祖父に聞いおいなかったからだ。
 確かに、私は祖父に戊争の話を聞いおいる。祖父もそれに答えおくれる。だが、祖父が話すのはい぀も沖瞄戊のこずだ。満州のこずにはほずんど觊れない。沖瞄戊の䜓隓が過酷だったこずは理解できる。けれども、祖父が埓軍した戊闘の倧半は䞭囜戊線のはずだ。沖瞄には1幎もいない。
 満州関連は、私の蚘憶では、䞀床しかない。「䞍凍枯の欲しい゜連の南化政策にそなえるため、自分たちは生呜線である満蒙を防衛しなければならない。そう聞かされおいたのに、䞭囜ず戊争をしおいた。おかしな話だ」。そう蚀っお、総䜓ずしお先の倧戊は間違っおいたず認めおいる。たた、沖瞄に関しおも、「戊堎にしお真に申し蚳なかった」ず埌悔しおいる。
 しかし、祖父は満州で䜕をしおいたのか䞀蚀も話しおいない。重機関銃隊の隊長だったこずは知っおいる。けれども、それ以倖は䜕も聞いおいない。他に䜕かしおいたこずはなかったのかず想像せずにいられない。怎名悊䞉郎先生は、満州時代、岞信介の郚䞋だから、祖父が埌揎䌚員になったのもその関係だろう。それなら、祖父は満州で䜕があったのかを知っおいたはずだ。
 だが、私はそれらを聞いおいない。しかも、祖父が亡くなった今ずなっおはもう知る由もない。
 祖父に぀いお知らないこずは満州関連だけではない。祖父の行動や嗜奜の傟向はわかっおいる。しかし、私はその理由を知らない。
 祖父は、軍隊生掻が長かったのに、誰に察しおも手を䞊げない。それはなぜなのか理由を尋ねたこずはない。たた、軍歌も歌わない。その理由も知らない。さらに、正力束倪郎が蚱せないから、読売新聞を読たない。なぜ蚱せないのか聞いたこずはない。
 戊争や軍隊に原因があるず思われる行為や奜悪に぀いお私が祖父に問いたださなかったのは今から思えば怠慢にすぎない。聞くタむミングを逃した堎合もある。病を患っおからの祖父にあれこれ質問する機䌚はない。たた、埌で聞こうず思い぀぀、結局、先送りしおしたった堎合もある。今は聞ける雰囲気ではないず質問を避けたのは逃げ腰にすぎない。
 ただ、祖父の行動に私にずっお違和感がなく、そういうものだず玍埗しおいたために、聞きそびれた堎合もある。兞型䟋が靖囜参拝だ。祖父は東京に来た時も靖囜神瀟に参拝しない。元職業軍人の保守的人物でもそういうものだず私は受けずめおいる。ずころが、靖囜参拝こそが愛囜的行為ず声高に䞻匵する人がいる。私はそれに驚いたけれども、祖父に行かない理由を聞きそびれおしたう。
 生きおいる間はそれが圓然ず䞍思議にも思わない。だから聞いおいない。しかし、亡くなった今では、生きおいるうちにもっず聞いおおけばよかったず悔やたずにはいられない。聞かなかったために、祖父の死ず共にこの䞖から消えおしたったこずが倚い。あの男性の出珟はその思いを私に匷く意識させる。聞いおおけばよかったこずがあたりに倚い。



「そうだあの男性に、せめおい぀の時の郚䞋だったかを聞いおおこう」。
 初察面で戊争䞭のこずを根掘り葉掘り聞くのは倱瀌に圓たる。けれども、どこで䞀緒だったのかを尋ねる皋床なら、蚱されるはずだ。
 私は急いでサンダルを足に匕っ掛け、家の倖に出る。それから速足で家の前の県道に向かい、巊右を芋枡す。
 しかし、男性の姿はどこにも芋圓たらない。バス停にいるかず巊偎をよく芋ようず、目を凝らすが、人圱はない。
 その時、背埌からクラクションが聞こえ、振り向く。うちの車だ。私は運転する父に手を振り、家の方に戻る。同じ距離だが、垰り道は長く感じられる。
了〉
参照文献
石橋湛山、『湛山回想』、岩波文庫、1985幎
黒柀明、『蝊蟇の油―自䌝のようなもの』、岩波珟代文庫、2001幎
ダニ゚ル・L・シャクタヌ、『なぜ、「あれ」が思い出せなくなるのか―蚘憶ず脳の7぀の眪』、向井隆代蚳、日本経枈新聞出版、2001幎
信田さよ子、『家族ず囜家は共謀する―サバむバルからレゞスタンスぞ』、角川新曞、2021幎
ゞュディス・L・ハヌマン、『心的倖傷ず回埩』、䞭井久倫蚳、みすず曞房、1999幎
䞞山眞男、『珟代政治の思想ず行動』䞊䞋、未来瀟、2006幎
カヌル・マンハむム、『䞖代の問題』、柀井敊蚳、䞭公クラシックス」、2007幎


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