「AIとの壁打ち」は「自分との対話」なのか?
最近知人が「AIと壁打ちしてたら自然と自分との対話ができて、考えがまとまった」と言っていた。
それって「自分の思考」としての純度はどのくらいになるのだろう。
AIとの壁打ちは、自分との対話なのだろうか。
書くという、自分との対話
自分の気持ちや思考を脳から取り出す行為=書き出す、ということを、小さい頃からの習慣にしている。
わたしにとって「日記を書く」とは、まさにこの行為である。
その日にあったことの羅列は、行動記録。
「日記」は、感じたことから展開される思考を整理するためのもの。
どう思ったかを文章にする。
一度言語化されたものを客観的に読み、それに対してどう思うかをまた文章にする。
また読んで、書く。
これを繰り返すことで思考が展開されたり、整理されていく。
全て、自分の思考の世界での出来事です。
わたしとしては、これは自分との対話なのだと思っている。
自分の考えを取り出し、客観的に見て、時には時間を置いて考え、それに対する答えをまた書く。
この繰り返しはまさに、自分相手にラリーを続ける壁打ちだなぁと思っていた。
しかしそうか、今はAIを相手に壁打ちすることも確かにできるなぁと思った。
だが、やはりそこで一度立ち止まって考えてしまう。
AIとの壁打ちは、自分との対話と言えるのだろうか?
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