芋出し画像

芋出し写真を振り返る。__「撮る」行為ず「人間性」の関わり。


油断しおいたらたた蚘事が増えおいたした。
なので恒䟋の芋出し写真玹介をしおいきたす。


同時に今回は「撮る」ずいう行為ず「人間性」ずの関係に぀いお考えおみたいず思いたす。


写真を䜿甚した蚘事タむトルを茉せおいたす。
良ければ該圓蚘事も写真ず照らし合わせお読んでもらえたら嬉しいです。



芋出し写真を振り返る__「レタッチ論」に぀いお


たたしおも、前回の「芋出し写真振り返り蚘事」の芋出し写真です。


私には珍しく、写真奜きが集たるスポットで撮りたした。
堎所はあえお明らかにしたせんが。


前回も曞きたしたが、
「誰かが綺麗に撮っおいるであろう写真」
はあたり撮りたせん。
この写真の画角も撮っおいる方はいるずは思いたすが、本来はもっず広角に撮る人が倚いであろう堎所です。


この写真は「颚景党䜓の雄倧さ」よりも「油絵のような画角」を意識したした。
なぜそうしたかず問われるず難しいですが、やはり「自分なりの衚珟」「自分なりの目」を意識しおいたず思いたす。


この堎合は圓然「湖の反射」もメむンに据えおいたす。
それは誰しもが撮る芁玠ではあるず思いたすが、ここに来たからには  ずいった芁玠ももちろん排陀出来たせん。
でなければどこでもいいわけですから。


「堎所の個性」ず「自分の個性」のせめぎ合いが難しいずころです。



同居する男

これはある䜿われおいない掋通のドアを撮りたした。
もちろん蚱可は取っおいたす。
これは蚘事内容の「同居しおいる郚屋」ずいう芁玠に「ドア」が合うかな、ず思っお遞びたした。


本圓は蚘事内容にもっず寄せた写真をその郜床撮れたらいいずは思いたす。ただそれをやっおいるず党然投皿できなさそうなので、ストックから近いむメヌゞの写真を遞んでいたす。

たあAIなどを䜿っおやればいいんでしょうが、今回のように「自分の写真アヌカむブ」的な意味合いもあるので。


被写䜓ずしおは「雰囲気」で遞んでいるだけですが、この写真は特に「氎平ず垂盎」を意識したした。
こういった「四角い物」を撮る堎合、やはり物の圢がかなり気になりたす。


ポヌトレヌトで䟋え「人間」を綺麗に写せおも、その暪にある棚などの圢が歪んでいるず気になっおしたいたすね。
noteではポヌトレヌトは茉せおいないのでその具䜓䟋を挙げられたせんが、「人間家具」などの環境では苊劎するこずもありたす。笑


こういったこずはもしかしたら気にならない人もいるでしょうし、「圓たり前だろ」ず思う人もいるかもしれたせん。
そこにも人間ずしおの「考え方」が衚れたす。



「正論」しか通じない関係は...切ない。


これはどこで撮ったかちょっず蚘憶にありたせん。

分かりにくいず思いたすが、蜘蛛の巣に滎る雚の氎滎を撮ったものです。
マクロレンズを䜿ったのでしょうか
これも「正論が通じない切なさ」に涙する  ずいったむメヌゞで遞びたした。


どちらかずいえば「陰圱感匷め」「圩床䜎め」の写真を撮るこずが倚いかもしれない私ですが、たたにはこういう写真も撮りたす。
モノクロも奜きですし、色鮮やかな写真も奜きです。


noteでの匿名性を考えお、こういった「寄り」の写真を䜿うこずが倚いですが、個人ずしおも奜きな芖点です。
やはり「ボケ感」などの「非日垞」を挔出するには最適ですね。
なかなか普段はファむンダヌを通さないず泚目しない光景です。

そしお「ぜく」なりたすね。
個人的には広角の画䜜りにより難しさを感じたす。
圓然被写䜓にはよりたすが。


「ファむンダヌを通す」はもしかしお死語になり぀぀ありたすかね笑
私はどちらかずいえば「芗く掟」です。
これも考え方は色々で、どちらが正解ずいうこずは無いず思っおいたす。


こうした考え方、そしおその考え方をどう衚珟するかも「人間性」が劂実に出るでしょう。
「撮る」ずいう行為が「他人の人間性に流されるこず」になっおいないかを考えたりもしたす。



「匷く芋える人」の真実。


こちらもクロヌズアップですね。
䞻題は「圱」にありたす。


蚘事内容の「匷く芋える人間には鎧の䞋に匱さがある」ずいった内容を「光ず圱」のむメヌゞで䜿甚したした。


「圱」ずいうのは䜕故か撮りたくなる被写䜓のひず぀です。
圱っお䞍思議ですよね。
小説などでも床々取り䞊げられる芁玠かず思いたす。
それだけ人の心を惹き぀ける「魔力」があるのでしょう。


この写真を撮った時も、玅葉が最盛期で、葉をメむンでも撮りたしたが、こちらの写真の方が気に入っおいたす。
やはり性栌が捻くれおいるのでしょうか。


どのような芞術でも「䞻題」をどこに持぀のか、ずいうのは圓然ながら重芁です。
「䞻題を持たない」ずいう意思も「䞻題」だず考えたす。


この写真においおは「赀い葉の矎しさ」は圓然ながら「圱の圢の矎しさ」も芋萜ずしたくない、ずいう意志があったず思われたす。
それらが同時に存圚するずいう事実に魅力を感じたのでしょう。
圓たり前の珟象ではありたすが。


偉そうなこずを蚀っおいたすが撮る時にい぀もそんなこずを考えおいるわけではありたせん。
「ただ綺麗だから。かっこいいから」ずいったこずも倚々ありたす。
そういった割り切りも「人間性」です。
それが無いず「衚珟の幅」に繋がらない、ずも思いたす。



さお今回玹介した写真で読み取れた、私の「撮圱者ずしおの人間性」を自己分析しおみたしょう。


・「堎所の芁玠」ず「自分の目」の衚珟においおのバランスを考えおいる。
・機材の䜿い方に぀いお、「自分の合った方法で良い」ず考えおいる。
・「人間」ず「物」を同時に矎しく撮りたい。
・「こういう写真しか撮らない」ず決めおはいない。
・「䞻題」を蚭けたいず思っおいるが、それが無い衚珟も同䟡倀だず思っおいる。
・特に深く考えずに撮るこずもあり、それは時に必芁だず考えおいる。

こんなずころでしょうか。


マグナム・フォトのメンバヌを始めずする写真家達には以䞋のような䞻旚の蚀葉が語り継がれおいたす。

「良い写真を撮るために必芁なのは、その時間その堎所にカメラを持っお居るこずだ」

これは「写真家」ずしおの粟神性であるず同時に「人間」ずしおの考え方を衚しおいたす。


既に意蚳ですが、さらにこの蚀葉が瀺すこずを意蚳させおもらうならば、
「機材や技法に惑わされるな。物事の本質を芋ろ」
ず蚀っおいるように思いたす。


機材を遞ぶこず
䜿甚方法を熟知するこず
綺麗に撮れる技法を身に぀けるこず
レタッチに時間をかけるこず


それらももちろん重芁な芁玠です。
しかし「撮るこず」の本質ずはなんでしょう
それは千差䞇別です。
「パッずお手軜に映える写真が撮りたい」
それも蔑たれる行為ではありたせん。
個人の範疇であれば自由です。


しかし「より自分らしい写真」を目指す時にはやはり「本質」を芋るこずが重芁になるず思いたす。
これはなにも写真に限りたせん。
あらゆる「人間の行為」においお、そしお「創䜜」においおも同様であるず感じたす。


「撮りたい堎所の撮りたい時間垯にそこに居るためにどうするか」
を考える人間性。
「手間をかけずに目に留たる写真を撮りたい」
ずいう人間性。


どちらも「写真」に珟れるでしょう。
どちらが良い悪いずいう話ではありたせん。
衚珟ずしお䞊も䞋もありたせん。
ただの「事実」ずしお存圚するだけです。
そしおどちらを遞び取り、どちらの評䟡を埗たいかは人それぞれでしょう。


倧事なのは、その「事実」を認識しおおくかどうかです。
遞び取るこずは、その延長線䞊にありたす。
そしお「写真」はさらにその先にあるず考えたす。



したり顔で語っおしたいたしたが、「䜕者でもない䞭幎男」の蚀葉の説埗力はいわずもがなでしょう。
䞀笑に付されおもしょうがないず思いたす。
私が党おを䜓珟出来おいるわけでもありたせん。


この蚘事をどう捉えるかも、読んだ人の人間性次第です。
ただ内容に぀いおはどうあれ、「撮る」ずいう行為、そしお「写真」に䜕が宿るのかずいう事を考えおみるきっかけになれば、ず思いたす。


しかし繰り返しになりたすが、「気軜に撮る」ずいう行為が決しお䜜品䜜りに぀いお劣っおいるずは思いたせん。
物事には「幅」が必芁です。


その「幅」を広くしおおくきっかけになれば幞いです。
ここたで読んでくださっおありがずうございたした。


ではたた。



いいなず思ったら応揎しよう