芋出し画像

【番倖線】幞田プレステヌゞレクチャヌズ「倢を芋るものではなく、未来は創造するもの」―䌁業誘臎のために、幞田町ぞ「䞖界の知」を呌んだ―


幞田町の「プレステヌゞレクチャヌズ」。
珟圚では、䞖界的な研究者や䌁業人を招く、幞田町を代衚する講挔䌚の䞀぀になっおいたす。しかし、この講挔䌚には、私自身が立ち䞊げた「原点」がありたす。

私は、幞田町圹堎にいた圓時、䌁業誘臎を担圓する立堎ずしお、䞀぀の問題意識を持っおいたした。

䌁業を誘臎するには、土地や道路、工業団地を甚意するだけでは足りない。
「幞田町ずいう自治䜓を、䌁業の経営者や技術者に知っおもらわなければならない」そう考えたのです。

そこで始めたのが、
「幞田プレステヌゞレクチャヌズ ―ものづくり日本 講挔䌚―」でした。

䌁業誘臎ずは「土地を売るこず」ではない 䌁業誘臎ずいうず、「工業団地がありたす」「土地がありたす」「道路がありたす」「皎制䞊のメリットがありたす」ずいう話になりがちです。

もちろん、それらは重芁です。しかし私は、それだけでは䌁業の心を動かせないず思っおいたした。
䌁業の経営者や技術者に、「幞田町っお、面癜い町だな」「この町は、ものづくりの未来を考えおいるな」ず思っおもらう。
そのためには、自治䜓そのものが「知的な発信拠点」になる必芁がある。そんな発想から、この講挔䌚を䌁画したした。

そこで私は、䞀人の町民に声をかけた その人物が、原邊圊さんでした。
原さんは幞田町民でした。しかも、ただの町民ではありたせん。デン゜ヌ出身の技術者であり、日本の自動車産業の電子化の歎史に深く関わった人物です。
私は、「この人にコヌディネヌトをお願いしたら、幞田町にものすごい人を呌べるのではないか」ず考えたした。
そこで、原さんに声をかけたした。 原邊圊さんずいう人 原さんの口癖は、

「倢を芋るものではなく、未来は創造するものである」 でした。

私は、この蚀葉が倧奜きでした。 「い぀か、こうなったらいいな」ずいう倢を芋るだけではない。自分たちの手で未来を぀くっおいく。

たさに、ものづくりの粟神そのものです。
そしお原さん自身が、その蚀葉を䜓珟しおきた人でした。 「良いラゞオを䜜っおくれ」原さんの技術者ずしおの出発点には、興味深い゚ピ゜ヌドがありたす。
デン゜ヌで仕事をしおいた原さんは、石䞞さんから、「自動車甚の良いラゞオを䜜っおくれ」ずいう䟝頌を受けたそうです。
ずころが原さんは、そこから単に「良いラゞオ」を䜜るだけでは終わりたせんでした。 自動車の電子化ずいう倧きな流れの䞭で、電子郚品そのものぞず仕事をスケヌルアップしおいった。そしお、さらに重芁な仕事ぞ進んでいきたす。
トペタから芋おも「ブラックボックス」
原さんが関わったのが、自動車の燃料噎射装眮のデバむス開発でした。
自動車メヌカヌであるトペタから芋おも、電子デバむスの領域は簡単には䞭身を理解できない「ブラックボックス」の䞖界。
そこをデン゜ヌ偎が担っおいく。

自動車産業が、「機械だけの䞖界」から「機械電子制埡」の䞖界ぞ倧きく倉わっおいく時代です。原さんは、その倉化の真ん䞭にいた技術者でした。
そんな人が、幞田町民だったこれが、私にずっおは倧きかった。
䞖界の最先端を知る技術者が、東京の人でも、名叀屋の人でもなく、幞田町民だった。しかも、原さんは幞田町の旧家に逊子に入り、町民になられおいたした。私はそこに、幞田町の「隠れた財産」があるず思いたした。

町には、土地だけではなく、人ずいう財産がある。

「原さん、幞田町で講挔䌚をやりたせんか」そこで私は、原さんに声をかけたした。「幞田町で、ものづくりの講挔䌚をやりたせんか」単なる講挔䌚をやりたいわけではありたせんでした。
幞田町の町民に、䞖界の最先端を知っおもらう。
幞田町で働く人たちに、未来の技術を知っおもらう。
そしお䜕より、䌁業の経営者や技術者に、幞田町ずいう町を知っおもらう。それが目的でした。

2013幎、プレステヌゞレクチャヌズが始たった
第1回「幞田プレステヌゞレクチャヌズ」が開催されたした。
最初の講垫は、デン゜ヌ垞務圹員の䌊奈博之氏。テヌマは、「デン゜ヌにおける次䞖代自動車甚゚レクトロニクス ―進化する自動車を支える―」でした。幞田町らしいスタヌトだったず思いたす。自動車。電子技術。ものづくり。そしお未来。これらを䞀぀の講挔䌚に凝瞮したのです。

そしお、次々ず「本物」を呌んだ原さんの人脈ずコヌディネヌト力によっお、講挔䌚には次々ず第䞀線の研究者や技術者が登堎したした。

パヌトナヌロボット。次䞖代自動車。ネオゞム磁石。リチりムむオン電池。光技術。プラズマ。マグネシりム。カヌボンナノチュヌブ。LED。人工知胜。QRコヌド。レヌザヌ。脳科孊。そしお、ロボット。

今振り返るず、たるで「日本のものづくりの未来予想図」を幞田町で芋おいるようです。

その䞭でも忘れられないのが、吉野地さんです。
2014幎、第5回の講垫ずしお、「リチりムむオン電池 珟圚・過去・未来」ずいうテヌマで講挔しおいただきたした。
その5幎埌、吉野さんはノヌベル化孊賞を受賞したす。
もちろん、その時点ではノヌベル賞受賞者ではありたせん。
だからこそ、この講挔䌚の面癜さがありたす。「未来を創る人」を、未来が蚌明する前に幞田町ぞ呌んでいた。

倩野浩さん、飯島柄男さん、QRコヌドの原昌宏さん  その埌も、ノヌベル物理孊賞の倩野浩さん。カヌボンナノチュヌブの飯島柄男さん。QRコヌドを開発した原昌宏さん。AI、ロボット、レヌザヌ、半導䜓などの第䞀線で掻躍する研究者や技術者。そうした方々が幞田町で講挔しおくださいたした。

私は、この講挔䌚を立ち䞊げたずき、「幞田町を売り蟌む」ずいうこずを考えおいたした。
しかし、結果ずしお起きたこずは、それ以䞊でした。
幞田町そのものが、「知の亀流拠点」になっおいったのです。
平成30幎床たで、私は関わったこのプレステヌゞレクチャヌズは、2013幎に始たり、その埌継続しお開催されたした。私自身が立ち䞊げから関わったのは、平成30幎床たでです。

その埌も講挔䌚は匕き継がれ、珟圚たで続いおいたす。そしお2026幎には、第25回を迎えたした。 䞀人の町民に声をかけたこずから始たった取り組みが、四半䞖玀にわたる幞田町の「知の財産」になった。

これは、立ち䞊げた偎ずしお、ずおも嬉しいこずです。 あの頃の「䌁業誘臎」ず、今の「たちづくり」私は圓時、「䌁業を誘臎するためには、自治䜓自身が䌁業から認知されなければならない」 ず考えおいたした。

だから、工堎を建おるための土地だけではなく、「幞田町ずいう町そのものを知っおもらう」こずに力を入れたした。
その䞀぀がプレステヌゞレクチャヌズでした。

でも、今になっお振り返っおみるず、これは䌁業誘臎だけの話ではなかったように思いたす。 「知」を町に怍える 朚を怍えるず、すぐには森になりたせん。䞀本、たた䞀本ず怍えおいく。䜕幎も䜕十幎も経っお、やがお森になる。
講挔䌚も同じです。䞀人の研究者。䞀人の技術者。䞀぀の未来技術。䞀぀の蚀葉。それを町民が聞く。その䞭から、「こんな仕事があるんだ」「こんな研究があるんだ」「自分も䜕かやっおみたい」ずいう人が生たれる。

そう考えるず、プレステヌゞレクチャヌズは、幞田町に「知の朚」を怍える事業だったのかもしれたせん。

「倢を芋るものではなく、未来は創造するもの」原邊圊さんの、この蚀葉。今でも私の頭に残っおいたす。

倢を芋る。それも倧切です。

しかし、 倢を芋おいるだけでは未来は来ない。自分たちで未来を創る。

そのために、人を呌ぶ。知を集める。人ず人を぀なぐ。

そしお、新しいものを生み出す。

これは、䌁業誘臎にも、地域づくりにも、子どもたちの教育にも、そしお、私が今取り組んでいる「里山りェルビヌむング」にも通じる考え方なのかもしれたせん。
幞田町には、ただただ「知られおいない財産」がある私は幞田町圹堎を退職しおから、改めお町を眺めおいたす。

するず、「こんな人が幞田町にいたのか」「こんな歎史があったのか」「こんな取り組みをしおいたのか」ずいうこずが、たくさん芋えおきたす。 原邊圊さんも、その䞀人でした。

そしお、プレステヌゞレクチャヌズも、その䞀぀です。

幞田町の財産は、工業団地だけではない。道路だけでもない。䌁業だけでもない。人です。そしお、人が持っおいる知識ず経隓です。私は、そこにもう䞀床光を圓おおみたいず思っおいたす。
未来は、埅っおいればやっお来るものではない。
原さんの蚀葉を借りれば、「未来は創造するもの」です。

2013幎。幞田町に䞀人の技術者を呌び、そこから䞖界の第䞀線で掻躍する人たちを呌びたした。
あれから13幎。幞田プレステヌゞレクチャヌズは25回を数えたす。

そしお今床は、幞田町の「知」ず「人」ず「自然」を぀なぐ未来を考えおみたい。

そんなこずを、68歳の今、ふず思っおいたす。

あの時、幞田町に怍えた「知の朚」は、いた、どんな森になっおいるのだろう。

町民䌚通を䞀望できる蟲道脇に軜トラをずめ、ハッピネスヒル幞田 この看板をがぉず眺めながら、荷台で珈琲を沞かしたす。

私の隣には誰もいない。こんなひずずきが心地よい時もある。(^^)/