【番外編】31年前、私は「防災まちづくり」をやっていた その答えが、学校ビオトープと「アニミズム」だった
31年前。私は、幸田町役場の防災担当をしていました。
当時の私の仕事は、幸田町地域防災計画をつくること。
地震が来たらどうする。
火災が起きたらどうする。
避難所はどこにする。
誰が何を担当する。
そんなことを一生懸命考えていました。
でも、ある時、ふと思ったのです。
「計画をつくるだけで、本当に地域は強くなるのだろうか?」

防災に必要なのは「日頃のつながり」
災害は、いつ起こるかわかりません。
その時に、「あなたは誰ですか?」
では、間に合わない。
隣のおじいちゃんは大丈夫か。
一人暮らしのおばあちゃんは避難できるか。
小さな子どもはどうするか。
障害のある人はどうするか。
災害時には、行政だけではどうにもなりません。
結局、頼りになるのは、
普段からの地域のコミュニケーション。
私はそう考えるようになりました。
そして、もう一つ大切なことに気がつきました。
地域の大人たちが、防災活動を何年も続けるためには、
「防災だから参加してください」だけでは弱い。
そこには、楽しさが必要だ。
そして、想い出が必要だ。そう思ったのです。
大人になっても、心の中には「小学生」がいる
そこで考えたのが、子どもの頃の原風景でした。
私たちが小学生だった頃。
学校の周りには、小川がありました。水が流れていて、魚がいて、草が生えている。今では失われてしまった、そんな風景です。
でも、その風景は、私たちの心の中には残っている。
だったら、学校に、もう一度小川をつくったらどうだろう。
子どもたちのためだけではありません。
そこに地域の大人たちも集まってくる。
昔の子どもだった大人たちが、
「昔はここに川があったな」
「こんな魚がいたな」
「俺たちの頃は、ここで遊んだぞ」
と語り始める。
それなら、防災のための「地域のつながり」もつくれるのではないか。
そう考えました。

深溝地区の「ボスたち」に話を持っていった
そこで私は、地元・深溝地区の重鎮たちに話をしました。
「小学校に、昔の小川を復活させませんか?」
ところが、ここで面白いことが起きました。
ちょうど深溝小学校に黒柳校長が着任していた。
そして話を聞いてみると、その校長先生の同級生が、地元のいわば「ボスたち」だった。昔から地域を支えてきた人たちです。
私は、「これはいけるかもしれない」と思いました。
でも、もう一つ問題がありました。
どうやって小川をつくるのか。
単なる庭園では面白くない。
子どもたちが自然を感じる場所にしたい。
地域の人たちが愛着を持てる場所にしたい。
そこで、私は大学の先生に相談することにしました。
山田辰美先生との出会い
私が話を持っていったのが、常葉大学の山田辰美先生でした。
「学校に小川を復活させて、地域の人たちと自然を感じられる場所をつくりたい」
そんな話をしたところ、山田先生から示されたのが、
「アニミズム」という考え方でした。
自然の中に生命を感じる。
人間だけが自然の外にいるのではない。
水も、木も、石も、生きものも、人間も、
みんながつながっている。
私は、「なるほど……」と思いました。
これは、私が考えていたことに近い。
「ビオトープをつくりましょう」
そこで、山田先生を黒柳校長と地域の方々に紹介しました。
すると・・・ めちゃくちゃ受け入れられた。
話が、とんとん拍子に進みました。
そして始まったのが、深溝小学校のビオトープづくり。
昔の小川を復活させる。水を流す。生きものが暮らせる場所をつくる。
子どもたちが自然と触れ合う。
そして地域の大人たちも、そこに関わる。
単なる「学校施設」ではありません。地域みんなの場所です。
「小学校の教室のボス」が地域のボスになる
私は、防災まちづくりを考える中でもう一つ、大切にしていたことがあります。
子どもの頃の教室には、「ボス」がいた。
もちろん、乱暴な意味のボスではありません。
私が理想としていたのは、「強きをくじき、弱きを助ける」ような存在です。
クラスの中で何かあった時、「あいつ、大丈夫か?」と気にかける。
困っている子がいたら助ける。
そんな子が、地域の大人になった時、今度は地域の中で、
「あのおばあちゃん、大丈夫か?」
「一人暮らしの人はいないか?」
「避難できない人はいないか?」
と気にかける。
私は、防災とは、こういう人間関係なのではないかと思いました。
そこで、まずつくったのが、 深溝防災まちづくり委員会です。
そして、その下に三つの部会を置きました。
① 深溝小学校ビオトープ部会
自然と子どもをつなぐ。
昔の小川を復活させる。
地域の原風景を次世代に残す。
② 盆踊り部会
地域の人が集まる。
顔を合わせる。
一緒に踊る。
世代を超えてつながる。
③ 和太鼓部会
音で地域をつなぐ。
子どもも大人も参加できる。
地域の記憶をつくる。
実は、全部「防災」だった
今振り返ると、
「なんで防災委員会の下に、ビオトープや盆踊りや和太鼓があるんだ?」
と思われるかもしれません。
でも、当時の私には、全部つながっていました。
ビオトープで会う。
盆踊りで会う。
和太鼓で会う。
そこで顔を覚える。
名前を覚える。
「あの人は一人暮らしだ」
「あの人は足が悪い」
「あの家には小さな子どもがいる」
そういうことを、地域の人たちが自然に知る。
そして、いざという時、
「あの人を忘れない」
ことができる。
私は、それこそが防災だと思ったのです。
「防災訓練」だけでは、人はつながらない
防災訓練の日だけ、
「隣近所で助け合いましょう」と言っても、なかなか難しい。
普段、話をしたこともない人を、災害時に突然助けることはできません。
だから、平時に楽しいことを一緒にやる。
その中で、人と人との関係をつくる。
その関係が、非常時には「助け合い」に変わる。
私はそう考えました。
楽しさこそ、防災を続ける力になる。

当時平均年齢は55歳でした。
深溝小学校のビオトープは、その後、
全国学校ビオトープ・コンクールで優秀賞を受賞しました。
そして現在も、「地域の方々と共に造ったビオトープと水車小屋」
として学校に残っています。
30年以上前に、「こんな場所があったらいいな」
と思ってつくったものが、今も残っている。
これは、ちょっと嬉しい。
そして、今になって思います。
あの時、山田辰美先生から教えていただいた
「アニミズム」という考え方。
それは単に「自然を大切にしましょう」という話ではなかった。
人間も自然の一部。
地域も自然の一部。
そして、人と人との関係も、自然との関係も、切り離して考えない。
そんな見方だったのではないかと思います。
人の心に、木を植える
子どもたちが遊ぶ。
そして、地域の大人たちが集まる。
それは、人の心に小さな風景を植えること
だったのかもしれません。
今、私は「里山ウェルビーイング」という言葉を使っています。
そして、「人の心に木を植える」と言っています。
考えてみれば――
私は31年前から、
ずっと同じことをやっていたのかもしれません。
