「ゆっくり食べる」とはどういうことか?
気づいてしまった。
先日、友人と食事をしていたときのこと。
気づいたら、私だけ食べ終わっていた。
しかも友人はまだ半分も食べていない。テーブルの上には私の空の皿と、友人のまだ湯気が立つ料理。なんとも言えない沈黙。
「…早いね」
そう言われた。笑顔で。でもその笑顔の奥に「もしかしてあなたは、せっかちすぎ?」という感情が透けて見えた気がした。(気のせいかもしれないが、気のせいにしておけない。)
私の食事、だいたい何分か?
⌛️3分。
いや、もしかしたらもっと速いかもしれない。計ったことがないのは、計るのが怖いからだ。
口の中に頬張れるだけ頬張り、咀嚼しながら次の一口を準備し、飲み込む前に追い飯する。これを高速ループで繰り返す。食事というより補給作業だ。
思えば、温泉も「カラスの行水」スタイル。
サウナも「整う」前に出てしまう。
じっとしてゆっくり何かをする、というのが昔から壊滅的に苦手だった。
せっかちDNAが全身に宿っているのだ。
でも、さすがにマズいと思った
品がない。
せっかちすぎて悪印象。
人と食事をするとき、ペースが合わないと相手を孤独にさせてしまう。
「一緒に食べてるのに、なんか一人で食べてる感じ」
という、あの微妙な空気。
これはいかん。変えたい。ゆっくり食べたい。
でも、「ゆっくり食べる」って、具体的にどういうことなんだろう?
「ゆっくり食べなさい」と言われても、ゆっくりの解像度が低すぎて何もわからない。「もっとリラックスして」と言われてもリラックスの仕方がわからないのと同じだ。
というわけで、観察した
「ゆっくり食べる人」を、まじまじと観察してみた。
職場の同僚、カフェの隣の客、家族。じーっと見ていたら少し不審者っぽくなってきたが、気にせず続けた。科学者の目で見た。
すると、彼らにはいくつかの共通点があった。
共通点① 口に入れる量が、少ない
衝撃だった。
ゆっくり食べる人の一口が、小さい。
上品、という言葉がよく似合うサイズだ。
私の一口と比べてみると、もはや別の競技をしている。私が「大食い選手権」なら、彼らは「茶道」だ。
思い返すと、私はずっと「口に入る最大量」を一口の単位にしていた。頬が少し膨らむくらいが普通だと思っていた。普通じゃなかった。
一口の量を減らすだけで、食事のテンポが自然とゆっくりになるらしい。
なるほど。
当たり前だが、気づいていなかった。
共通点② よく噛む
これも観察して初めて気づいた。
ゆっくり食べる人は、咀嚼の回数が多い。
私の咀嚼は「確認作業」程度だ。「固形物じゃなくなったな、よし飲み込もう」という最低限のチェックをして即通過させる。
いわば胃への速達便だ。
でも彼らは違う。噛むたびに、なんというか、「味わっている顔」をしている。目が少し細くなって、表情がふわっとする、あの顔。
あれか。あれが「美味しい」ということか。私も美味しいとは思っているが、あの顔になったことは一度もない気がする。
共通点③ 「会話」も食事の一部にしている
これが一番の発見だった。
ゆっくり食べる人は、よく喋る。
食べて、話して、笑って、また食べる。そのリズムが自然に「間」を作り出していた。
私はどうか。食事中の会話を、どこかで「食べる作業の邪魔」だと思っていた節がある。返事はする。でも心のどこかで「早く食べ終わりたいのに」と思っていた。
食事は作業じゃない。 そうか、そうだったか。会話込みで「ごちそう」なのだ。人と食べる意味はそこにあったのか、と50年以上生きてきてようやく気づいた。遅い。
共通点④ 箸を、置く
観察していて気づいた、地味だけど決定的な違い。
ゆっくり食べる人は、箸を置く。
会話の間、考える間、飲み物を飲む間。
そのたびにそっと箸を箸置きに戻す。
一方、早食いの人間の箸はずっと空中にある。 会話しながらも箸は次の獲物を狙ってホバリングしている。飛び立つ準備を常に整えている。
完全にハンターの目だ。
箸を置く、というたったそれだけの動作が、食事全体のテンポを整えていたのだ。
まとめ:ゆっくり食べるとは「余白を作ること」だった
結局のところ、ゆっくり食べるというのは、食事の中に「間」を作ることだと気づいた。
一口を小さく。よく噛む。箸を置く。喋る。次の一口を選ぶ。
どれも難しいことじゃない。でも爆速マンには、その「間」がどうにも落ち着かなかっただけだ。
温泉にゆっくり浸かれない人間が、食事もゆっくりできないのは、ある意味一貫していた。
でも、変えられる気がしてきた。
まず今日から、箸を置いてみようと思う。そこからだ。
とりあえずの目標:食事時間10分超え。(現状3分)
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