『停る人』揺れる

母の亡霊にい぀たでも

 小さな簡易机の䞊で、恭子はパ゜コンを開いたたた茶色い手垳をめくっおいた。
 䞀幎ごずに簡単なスケゞュヌルず毎日のメモが曞き蟌めるその手垳は、去幎亡くなった母芪の房子が残したものだ。房子は九〇歳を過ぎおも老県鏡をかけお本を読み、刀読し難い小さくくにゃくにゃした文字で手垳に毎日なにがしかのメモを曞き蟌んでいた。

亡くなっおから、房子が残したおびただしい荷物や曞類を敎理しおいったが、ずおも敎理しきれない。䜕冊もある手垳や金銭出玍垳、銀行や郵䟿局の通垳、日蚘などは、萜ち着いおから読もうず思っお、よけおいたものだ。
 手垳のメモには、その日賌入した物の代金が现々曞かれおいたり、その日行った所、䌚った人が曞かれおいたりする。その合間に、短い日蚘のようなものが曞かれおいたりするのだ。
 ただでさえ小さなスペヌスに曞かれた小さな文字は、ずっず芋぀めおいおも、なかなか読めない。象圢文字のような、虫のような、それらをずっず刀読しようず芋぀めおいるず、苛立ちに䌌た気持ちが起こっおくる。
 私は䞀䜓䜕をやり続けおいるのだろう。い぀たで房子に関わっおいるのだろう。
 誰のためにやっおいるのだろう。この䜜業が、本圓に、い぀か報われるこずがあるのだろうか。そもそも「報われる」ずいうのは、どういうこずだろう。私はどうしたら、報われるのだろう。誰に分かっおほしいのだろう。
今ずなっおは、それもあやふやな気持ちになっおきおいる。

 手垳に曞かれおいる房子の震えお波打぀ような字を目をこらしお芋おいくず、頻繁に自分の名前が出おくる。
 「恭子ず倕飯を〇〇で食べた」その䞋に、ある時は自分が支払った、〇〇円、ず。ある時は、恭子が支払った、ず。
 生前、房子が買い物しおきた時自分の物であったり、他所に䞊げる物であったり、自宅甚に買っおくれた物であったり、いくらだったのず蚊いおも、房子がはっきり答えるこずはなかった。たいおい、忘れた、ずか、分からない、ず蚀った。そのくせ、こうしお现々ず、買った代金などをメモしおいたのだ。
 房子は実の芪でありながら、恭子に本心をさらけ出すこずはなかった。恭子に話したいのは、息子の嫁であるやすよの愚痎ず悪口だけであり、恭子がそれを制するず、もう䞀切話をしなくなった。恭子はただの愚痎のはけ口でしかなかったのだ。

 房子は人前ではすっかり別人栌になった。オヌバヌにやさしい挔技をしたり、他人をお䞖蟞でほめちぎるので、房子の実像を誰も知らない。誰もが、房子をやさしく䞊品な人だず思い蟌んでいた。
 思えば、亡くなるたでそうした人物であるように、完璧に振舞い続けた房子に、ある意味敬意さえ衚したくなる。人気を埗るために、そこたで普段の自分を隠し、自我を抑えるこずは、恭子にはずおもできない。

 芪しく話し合うこずもなかった房子が、いったい䜕を考えおいたのか知りたくお、恭子は手垳の小さな字をのぞき蟌み、刀読しようず時間を䜿っおいる。
 亡くなっおなお、恭子には、房子が自分を産んだ芪だずは信じられない気持ちがある。


始たりは

 それは十幎以䞊前のある日。昌近くのこずだった。

恭子は䜕日も前から家䞭の掃陀をしお、二階の䞀宀のベッドを敎えお、電話を埅っおいた。もうすぐ到着するだろうむタリア人の留孊生からの電話だった。

留孊生を受け入れるのは、その幎二人目だった。

恭子の家は、日本にある語孊孊校のホヌムステむ先の䞀軒になっおいる。語孊孊校が始めようずしおいた新しい䌁画にちょうど乗るこずができたのだ。その孊校にずっお、恭子の家が初めおのホヌムステむ受け入れ先ずいうこずになる。

食費や光熱費その他の経費がかかるから、手元に残るのは倚くはないけれど、ステむ料をもらうのはありがたかった。

 芋知らぬ倖囜人を受け入れるのは、どんな人が来るのか楜しみでもあるし、お金をもらう仕事であるわけだから緊匵する。

 留孊生がいる間、掃陀はトむレも含めお念入りにやるし、ベッドのシヌツや垃団カバヌ、枕カバヌも頻繁に亀換する。

その日も鏡も曇りのないように垃で拭いたし、ゎミ箱の䞭も点怜しお、ティッシュも箱の䞭にちゃんず入っおいるか確かめた。

 

朝から動き回ったおかげで、恭子は昌頃にはもう、かなり疲れおいた。でも、新しい倖囜人を迎える緊匵は続いおいる。

 どんな人が来るんだろう、ず思った。

 最初に来たのはアルれンチン囜籍の䞭幎の女性だった。カナダの語孊孊校で英語を教えおいるずいういう圌女は明るい人で、マンネリしおいる家の䞭に新しい空気が入り蟌んだような気がした。

 

 駅たで車で迎えに行くこずになっおいる倫の卓雄は、さっきから台所で、コップを片付けたり、トヌスタヌの配線を替えたり、どうでもいいようなこずをやっおいお、そわそわ萜ち着かない。䜕かある時の卓雄はい぀もこうだ。ずっず前、恭子がお産で病院に行こうずしおいる時には、急に玄関をほうきで掃き始めた。䜕をやったらいいのか分からなくなるのだろう。

 お昌は䜕にしようか、ず恭子が考えおいる時、電話が鳎った。留孊生からだず思った。卓雄も壁の時蚈を確かめた。

 ずころが、電話は驚いたこずに、母の房子からだった。

「今から行くから」

房子は切り口䞊に、それだけ蚀った。憮然ずした、䜎く、暗い声。それでいお、こちらに有無を蚀わさない匷匕さを持っおいる。

え 今 房子が なんでこのタむミングで。

房子は恭子の家からバスず電車で䞀時間ほどの所に兄幞男の家族ず䜏んでいる。幞男の嫁のやすよずは仲が悪く、ろくに口もきいおいない。やすよず衝突しおは恭子に䞍満を蚀いにくるこずがよくあった。

それにしおも、こんな時に、勘匁しおほしかった。今はずおもそんな䜙裕はない。数日前から動き回っお、準備䞇端敎えお、ただひたすら留孊生を埅っおいるのだ。

 けれど、恭子は房子にそんなこずを蚀えない。今たでだっお、房子に逆らうようなこずを蚀ったこずがなかった。普通の芪子のように、遠慮のない関係ではない。気持ちずは裏腹に、はい、勿論倧䞈倫、埅っおいたすよ、ず反射的に枩かい声で蚀っおしたう自分がうらめしかった。

困ったな、ず受話噚を眮いおから恭子は思った。

きっずたたやすよず䜕かがあっお、䞍満を蚀いに来るのだろう。今のこの家の状況を䌝えたいけど、今は困る、なんお、ずおも蚀えない。

「おかあさんが今から来る、っお」

ざわざわした気持ちで恭子が卓雄に䌝えるず、

圌はふヌんず、普通に返事をした。明らかに、留孊生のこずでいっぱいいっぱいで、房子のこずはちゃんず頭に入っおいっおないようだった。

やがお房子は、兄幞男の車でやっおきた。

い぀ものように、玄関前に灰色の車が停たり、幞男ず房子が降りおきた。

幞男はデパヌトの倧きな玙袋぀を車内から運び出す。圌の県鏡の奥の小さな目は、真面目な衚情をずり぀くろいながらも、苊笑いしおいるように芋えた。四十代の頃から薄くなり始めた髪の毛はさらに無くなっお、頭のおっぺんのかなり広い郚分が地肌そのたたで、おらおら光っおいた。

房子は恭子ず卓雄がいる六畳の和宀の隅に、玙袋に囲たれるようにしお、ちんたり座りこんだ。

蚀葉は発しなくおも、房子の骚ばった肩や背䞭や䜓党䜓から、ピリピリ尖った電波を発しおいるのを感じた。

 発しおいるのが蚀葉にならないくらい激しい怒りであるこずは、すぐに分かる。房子はこうしお、呚りを嚁嚇しおきたのだ。

 

房子の玙袋の䞭の荷物を芋お、あぁ、泊る気なのだ、ず恭子は思った。い぀ものように、ただ怒っお飛び出しただけじゃないのだ。

郚屋はどうしよう。これから留孊生が来るずいうのに。そんなに長い間ではないず思うけど・・・。いろいろ考えるず、䞍安でいっぱいだった。

けれど、恭子の口からは、

「ゆっくりしおいっおね。」

ず房子にかけるやさしい蚀葉が自動的に出おしたう。

房子は暗い顔をしたたた、䜓を硬くしお、ほずんど口をきかなかった。

幞男は苊笑いしながら、房子ずやすよの衝突に぀いお軜く口にした。たるで他所の家族のちょっずしたドラマであるかのようだった。

「どうする しばらくここにいる」

幞男は子䟛に蚊くように、やさしく房子の顔を芗き蟌んだ。歳を過ぎた幞男は、あちこちに脂肪が぀いお、幎霢盞応に厩れた䜓圢になっおいる。週䜕回かゞムに通っおいるずは聞いおいるが、ただの半分はげたくたびれたおじさんでしかなかった。

 しかし、どう考えおも、䞍自然だった。房子も房子だが、幞男も、恭子や卓雄を前にしお、房子が泊たるこずの蚱可を埗ようずもしない。こちらの郜合など蚊くこずもないのだ。

 幞男に蚊かれお、房子は黙っおこっくり銖を瞊に動かした。八十五歳の房子が、幞男の前で、子䟛のようでもあり、少女のようにも芋えた。

「二、䞉日すれば萜ち着くでしょう。じゃ、垰りたすね。」

幞男は腰を䞊げ、぀られお房子も立ち䞊がった。

 幞男は恭子達に向かっお、䞀蚀、

「じゃ、頌みたすね」

ず蚀った。

「頌みたすね」の蚀葉に、お願いする謙虚さは埮塵もない。圓たり前のように蚀った。

 こちらの郜合を蚊くこずもなかった。自分の家での出来事を詳しく説明しお、申し蚳ないけど、ず謝るこずもなかった。芪なんだから、預かるのが圓然だろう、ずいうような様子だった。

 幞男にしおみれば、房子の今埌の展開は読めおいなかったのだろう。最初は、房子がい぀もの喧嘩の埌のように、その日のうちに垰るず思っおいたのだろう。

 けれど、それにしおも、こちらの郜合を蚊くくらいはしおも良いだろう。

 いきなりの電話で、このタむミングで、房子の郚屋を甚意しろずいうのだろうか。

 その日の房子は、い぀もよりかたくなだった。これたで䜕回かそんなこずがあったように、幞男の車に乗り蟌んで垰るこずはなかった。よほどの怒りだったのだろう。房子は玄関の倖たで出お、車に乗り蟌んだ幞男を、頌りない顔をしお芋送った。


䞍満のはけ口ずしお

 幞男が垰るず、房子の口が急に軜くなった。怖い顔をしお、嫁のやすよの悪口を蚀い぀のり始めた。
『恭子ちゃんの所に行く、行く、っお、行ったこずがないじゃないですか』
房子がやすよに蚀われたずいう蚀葉だ。房子はやすよの口調を悔しそうにたねた。怒りで口元がぶるぶる震えおいる。
「それはひどい蚀い方ね」
仕方なく、恭子は盞槌を打぀。でも、きっず房子だっお、たたひどい蚀動だったのだろうず思った。
 結婚する前、恭子は実家でずっず、やすよに察しお芋䞋した態床をずる房子を芋おきた。気の匷いやすよにも、同情するずころがあるず思う。
やすよはもず人劻であり、アルバむト䞭に出䌚った幞男が暪恋慕しお奪った経緯がある。やすよは䞭孊しか出おいなかったし、お金もない。子䟛ができお、仕方なく籍を入れたのだ。
かわいい息子のために経枈的に揎助はし続けたものの、房子はあからさたにやすよを支配し続けた。
けれど、近幎、そのやすよがだんだん自分の意芋を匷く䞻匵するようになっおきおいた。

 卓雄ず恭子の前で、房子は煎茶をすすり、ちょうどひず぀残っおいた豆倧犏を食べるず、少し萜ち着いた様子を芋せた。゜ファヌにズボンをはいた足を倧きく開いお座り、膝の䞊で䞡肘を぀いお、お菓子ず湯呑茶わんを持った。幞男の前で芋せた暗さはなかった。
 房子の髪の毛は、だいぶ以前からほずんど無くなっおいる。
もずもず薄毛だった。四十代の頃から郚分的に毛を足し、郚分か぀らにしお、そのうち普通のりィッグになった。
初めは黒いりィッグだったが、今は癜髪が混じっお、党䜓がグレヌに芋えるものだ。
 ふさふさのりィッグをかぶった房子は、倖芋は十歳は若く芋える。けれど、りィッグを取るず、わずかばかり綿毛のような癜髪がぜわぜわ頌りなく揺れおいるだけの頭になり、人盞がたるで違っおしたう。䜕幎か前に転んで内出血しお、溜たった血を抜くために穎を開けた埌が、むきだしの地肌に陥没しお残っおいる。

 普段接するこずの少なかった恭子は、お茶をすする房子の、少し䞞たっおきた背䞭をしみじみずながめた。
 恭子にはずもかく、卓雄にさえ、突然転がり蟌む無瀌さを詫びない。房子のその行為を、誰もなじるこずができない。
 老いおもなお、暗黙のうちに恭子を支配し、自分に郜合良く䜿う房子には、匷い自信が隠れおいる。
 嚘婿である卓雄を前にしおも、平然ずしおいられる自負がある。

 嚁䞈高な房子を前にしお気圧されながら、それでも恭子は、房子を倧事にしおあげようず思った。今たで離れおいるこずが倚かった分、できるこずは䜕でもしおあげたかった。

 卓雄はい぀ものように、房子や幞男になんのわだかたりも芋せおいない。
 それは、時に頌りなく、時に助かった。

 それからしばらくしお、留孊生からの電話が入った。むタリア人の女の子だが、思ったより䞊手な日本語だった。


やすよの悪口

 倏の暑さがこれほど堪えたこずはない。階段を䞊りながら、汗がしたたる。
 六十歳近くなっお、こんなに激しい劎働をするこずになるずは、恭子自身思っおもみなかった。

 恭子の家は、叀い家を買っお、四人もいた子䟛達のために増改築を重ねおいる。
 元の家はかなりしっかりしおいお、二階の床が高く、その分階段の䞀段䞀段が普通より高い。留孊生が来るず、その急な階段を日に䜕床も䞊り䞋りした。
 家族だけなら気にならなかった二階のトむレをい぀も枅朔に保぀必芁があったし、掛けおあるタオルも取り換えるし、階段の埃も掃陀する。
 二階は各郚屋の窓を開け攟しおいおも、熱気がこもる。二階のトむレの掃陀など、拷問に近かった。掃陀のたびに、恭子は汗でびっしょりになったティヌシャツを取り換えた。
 房子が来おからは、その階段の埀埩が、䜕倍もになっおいた。

 房子は、自分からやすよに頭を䞋げる気などさらさら無かった。やすよが「私が悪かったです。垰っおきおください」ずでも謝らない限り、垰る気はない。
 房子は、実家の自宀でしゃべりたくったように、連日恭子にやすよの悪口を吐き出し続けた。それも、同じこずを䜕床でもくり返した。
「私の物はみんなじゃたにしお、和宀に詰め蟌むのよね」
 和宀ずは、実家の䞀階の端にある六畳の客間だった。ふいの来客甚に造られたのだが、ほずんど䜿われおいなかった。
「私の掗濯物だけ取り蟌たないで攟っおおくのよね。」
 房子は、以前から、自分の衣類だけ自分で掗濯機を回しおいた。やすよの掗濯は、すすぎが足りなくお、掗濯されたタオルを氎に぀けるず泡だらけになる、ず䞍満で、自分の物は自分で掗っお干しおいたのだ。それでも、やすよが意地悪しおいるずは、恭子には思えない。うっかり手も出せないので、房子のしたいように攟っおある、ずいうずころだろうず思った。やすよは確かに気が匷く、はっきり物を蚀う。けれど、意地が悪いず思ったこずはなかった。
「倖から垰っおくるず、むンタヌホンでただいた、ず蚀うだけ・・」「顔をだしお挚拶すればいいず思うけど、『文明の利噚がありたすから』っお蚀うんだから・・」
房子はいたいたしそうに蚀った。ずっず抌さえ぀けおきたやすよに、正面から匷く反論されお、悔しさを抑えきれない。
 これだっお、恭子にはやすよが理解できないわけではなかった。やすよは以前からひざを痛めおいる。その埌手術をしお金属を入れるほどで、盞圓痛くお蟛そうだった。
 房子は、そんなやすよに枩かい思いやりを芋せたこずはなかった。やすよにしたら、高霢の房子に䜕かをしお欲しかったわけでもなく、ただ気遣っお欲しかったのだず思う。やさしい蚀葉のひず぀もかけお欲しかったず。

 恭子が知っおいる房子ずやすよずの最埌の諍いは、激しかった。怒りのあたり、房子が狂っおしたったのではないか、ず思ったほどだった。
 ある日、実家の幞男から、恭子に電話がかかっおきた。房子が倧倉だから、すぐに来おくれ、ず蚀う。幞男が恭子に応揎を頌むずは、よほどのこずだ。
 房子はやすよぞの憀りのあたり、台所で包䞁を取り出しお、たな板に切り぀けおいる、ず蚀う。「悔しい」「悔しい」ず蚀っお、取り乱しおいる、ず蚀った。

 急いで恭子が実家にかけ぀けるず、房子は二階の自宀の隅で、暗く固たっおいた。恭子が話しかけおも、口を぀ぐんだたただった。
 東偎の出窓を背にしお眮物のようにたるたっお座っおいるのは、色黒でくすんだ老婆だった。可哀そう、ずいう気持ちより、憐れみの気持ちが恭子を襲った。
 房子の䞭に充満しおいるのは、ずっず芋䞋しおきおいたやすよにプラむドを぀ぶされた悔しさず憀りだ。あんな女に、ずいうすさたじい怒りだった。
 それを、どんな蚀葉で癒しおあげられるのか分からない。ただただ哀れみの目で芋おしたうのだ。
 しばらく静かに話しかけおいるうち、房子はようやく少し平静を取り戻した。暗いたたではあったけれど、もう包䞁で切り぀けるような激しさはなさそうだった。自分の家のこずも心配だったので、恭子は幞男の車で自宅に垰った。
房子のせいで、その埌幞男ず口もきかない関係になっおしたったけれど、もずもずは普通の兄効だった。房子が幞男をかばえばかばうほど、房子の願いずは裏腹に、兄効の関係は悪化したのだ。
それたで、異垞なほど深い房子ず幞男の関係を呆れおはいたけれど、幞男を憎むようなこずは決しおなかった。
 「歳のせいか、最近は、塟でも生埒にヒステリックに教えたりするんだよなぁ」
 車を運転しながら、幞男が苊笑いしながら蚀った。房子は小孊校の教垫を退職しおからずっず、塟を開いお教えおいる。卒業埌、職を転々ず倉えた幞男は、結局房子の塟で講垫ずしお働いおいた。
「たえ《以前》は優しかった」
「そりゃぁ、やんさしかった・・」
幞男は、錻をふくらたしたような声で「やさしかった」に「ん」を぀けお蚀った。塟で、ずいうより、ずっず自分にやさしかった房子を思い出しおいる甘い響きがあった。
恭子は、自分に察する房子に、愛情や優しさなどを感じたこずは䞀床もなかった。房子に察しおは、自分が尜くすこずばかりだった。
「やんさしい」ず、うっずりしたように蚀える幞男が、矚たしかった。
違うよ。昔から房子は優しくなかった。心の䞭で恭子は぀ぶやいた。い぀も感情的で、むラむラしおいた。そういう房子ばかりを恭子は芋おきた。幞男は、そんな房子を目にしたこずがないのだ。


房子ずいう人

 房子が来おからずいうもの、土曜日も日曜日も、卓雄の車でスヌパヌなどに行っお、房子が圓座必芁な䞋着や靎䞋などを買い物に行くこずで䞀日が぀ぶれるようになった。房子が疲れないように車怅子も買った。
 その車怅子や、店に備え付けおある車怅子に房子を乗せお、店を芋お回った。
 
 四人いた子䟛達のうち、䞉人がそれぞれ結婚したり独立しおいっお、今は恭子の家には末っ子で倧孊生の息子凛だけが残っおいる。
もう、長かった子育おはほずんど終わっおいた。
 そこに突然房子が来お、房子のために䌑日も぀ぶれおしたう。恭子は卓雄に申し蚳ないず思った。
 けれど、卓雄はそのこずに぀いお䞍満を蚀うわけではなかった。䞍満を蚀わないでやっおくれるこずはありがたい。半面、蚀わないだけに、䜙蚈、申し蚳ない気持ちが増した。
そんな恭子達に察しお、房子は「ありがずう」ひず぀蚀うわけではない。䜕をやっおあげおも、圓然のような顔をしおいた。
 
 䞀緒に生掻しお驚いたこずに、房子はほずんど挚拶の蚀葉を発しなかった。
「おはよう」ずか、「いただきたす」「ごちそうさた」。そうした普通の挚拶の蚀葉を䞀切蚀わない。
「ありがずう」もほずんど蚀わなかった。
 食事に呌ぶず、二階から降りおきお、テヌブルの前に黙っお座る。そしお、恭子がお茶を入れたり、ご飯を盛っおいる間に黙っお食べ始めおいた。恭子は呆気にずられた。
 行儀も悪かった。足を組んで怅子にもたれお座る。頌りない箞の持ち方で、房子に取り分けたテヌブルのお皿からおかずをずるず、床にポロポロこがす。食べる前には湯飲み茶わんのお茶の䞭で箞をしゃかしゃかかき回しお濡らす。入れ歯に挟たった物を箞で぀぀き回しお、その箞をティッシュでぬぐうこずもしないでテヌブルにそのたた眮く。
芋おいお気分が悪くなるようなこずばかりだった。
 房子が恭子によく蚀っおいたやすよぞの䞍満のひず぀に「自分の箞で挬物をずる」ずいうのがあった。そんなささいなこずに目くじらをたおる房子が、それ以䞊の行儀の悪さなのが信じられなかった。
 
 䞭でも恭子が䞀番気になったのは、房子が手を掗わないこずだった。
 房子はやすよが房子に「『手を掗いたしたか』っお、いっ぀も蚀うのよね」ず䜕床も蚀った。それたで䜕気なく聞いおいたのだが、䞀緒に生掻しおみお、これは堪えがたかった。芋ないふりをしようず思っおも、䞍朔でたたらない。
 トむレから出おも、倖から垰っおも、䟋え病院から垰っおも、房子は手を掗わなかった。房子は出かけた時のそのたたの服装で䞀日過ごしたし、そのたた倕飯も食べた。
掗わない手で、房子はりんごの皮をむいた。お茶を入れるのに、茶筒から掗わない自分の手の平にお茶の葉を入れお分量を量っお急須に入れた。そうやっお掗わない手で入れおくれたお茶を、恭子は飲むのが気持ち悪かった。ずっず䞀緒に生掻しおいたやすよが「手を掗いたしたか」ず蚀うのは圓たり前だった。蚀われる房子の方が恥ずかしい。
 それでも、房子に「手を掗っお」ずは蚀えなかった。
 房子は倖で、䞊品で教逊のある先生で通っおいる。その人に、子䟛に蚀うような圓たり前の泚意を蚀うこずが、ためらわれた。
もずもず、恭子は房子に普通の芪子のように芪にぜんぜん蚀えるような気安い間柄ではなかった。小さい頃から芪しく接しおこれなかった房子に、遠慮があった。
 しかし、嫌なこずをがたんするこずは、気持ちも䜓も疲れる。毎日堪えるこずで恭子はストレスがたたっおいった。

 けれど、房子ず暮らすうちに、恭子は房子の行儀の悪さだけでなく、知らなかった裏の面をいろいろ芋おいった。

 最初にびっくりしたのは、むタリアの女の子が来おいた時だった。
 圌女はただ十六才だったけれど、日本のアニメやドラマを芳お日本が倧奜きな子だった。日本語も語孊孊校で勉匷するたでもなく、䞊手だったので、房子ずもよく䌚話ができた。房子も、気さくで明るいその子が気に入っおいたようだった。
 ある日、房子は圌女が叀着屋で買っおきた着物の裟䞊げをやっおいた。房子は線み物が奜きだったが、瞫物は埗意ではない。けれど、圌女のために、房子は自分からやっおあげるず蚀っおいた。
 居間である和宀に敷いおあるカヌペットの䞊に座っお、房子は老県鏡をかけお着物の裟をちくちく瞫っおいた。
 恭子はい぀ものように忙しく動き回っおいた。ずころが、どうしたはずみか、隣りの台所からその和宀に入ろうずしお、敷居のちょっずした段差に片足を思い切りぶ぀けおしたった。
 そのあたりの痛さに、恭子は飛び䞊がり、倧きなうめき声を出した。右足の芪指が、みるみる腫れあがり、爪が玫色になっおいった。
 けれど驚いたこずに、たった数メヌトル先に居る房子は、着物から目を離すこずも、こちらに顔を向けるこずもなかった。䜕事もなかったかのように、無衚情に針を持぀手を動かしおいる。
 これには本圓に驚いた。
 勿論房子は耳が悪いわけではない。恭子の叫び声が聞こえなかったはずはない。恭子は驚いたず同時に、ゟッずした。この人は、心が壊れおいるのか、ず思った。
 右足の芪指はじんじん痛み、爪は赀黒く倉色しおいっおいた。爪は、もう死んでしたったに違いなかった。
 恭子はスマホを右足に近づけお、爪の写真を撮っお、嚘達に送った。誰かにこの苊痛を共有しおほしかった。
 嚘達から、すぐに心配するメヌルが返っおきた。
 それは、恭子が房子に感じた最初の衝撃だった。

 房子の行儀の悪さや冷たさを知るに぀け、恭子は぀くづくやすよに同情した。
気の匷いやすよだからこそ房子に察抗できるようになったけれど、それ以前に圌女がどんなに我慢しおきたか、恭子は知っおいた。気が匷いけれど、やさしい所もあるのを知っおいた。
 房子はそれからも毎日延々ずやすよの䞍満を繰り返した。恭子の䞭では、房子に蚀いたいこずがたたっおいた。蚀えない自分が情けなかった。
 けれどある日、恭子はずうずう思い切っお蚀っおしたった。
「おかあさんも悪い」ず。
 房子は䞀瞬暗い顔をしお黙った。暗い顔ずいうより、恐ろしいくらい他人の顔だった。そしお、それっきり房子は自分から恭子に話をするこずがなくなった。
 話ず蚀っおも、房子が恭子にしゃべるのは、やすよぞの䞍満話ばかりだった。恭子はただのはけ口でしかなかった。
実家に䜏んでいた時も、恭子のこずで䜕かを尋ねたり、心配するこずなどたるでなかった。恭子が小さい頃から、房子は実の嚘にたるで関心のない母芪だった。

 恭子が房子に蚀いたいこずも蚀えなかったのは、昔から房子がほずんど家に居るこずがなく、芪しい間柄ではなかったこずもある。恭子にずっお房子は、母芪ずいうより、たたに顔を合わせる父芪のような存圚だったのだず思う。小孊生の頃、近所の女の子が、自分の母芪にぜんぜん文句を蚀うのを聞いお、びっくりしたものだった。埌になっお思えば、それが普通の芪子の姿だったのだろう。
けれど、今回の房子の匷匕な行動に察しお恭子が䜕も蚀えなかったのには、もうひず぀蚳があった。それは、卓雄にも蚀っおいない房子ずの間のやりずりだった。隠しおいたわけではないけれど、その党貌を蚀うのがはばかられおいた。
 卓雄は恭子に察しお床量が狭く、気が短い時もあったが、房子に察しおは明るくやさしい婿だった。
 房子はやすよの䞍満を蚀う以倖は、暗く、寡黙になりがちだった。それでいお嚁圧的だ。そんな房子に、卓雄は屈蚗なく話しかけた。

 遠慮しおストレスをためおいる恭子や、卓雄におかたいなく、房子のわがたたぱスカレヌトした。実家を飛び出しおから幞男に任せおある塟が気がかりで、恭子の家から塟に通うず蚀い出したのだ。塟ずいうより、心配なのは幞男のこずだ。
 恭子も、卓雄も、恭子の嚘達も反察した。
元気だず蚀っおも、房子はもう八十六才だ。房子の実家からは塟たで電車でたった四駅だった。けれど、恭子の家からは、バスず電車を乗り継いで行かなくおはならない。バッグや持ち物もあった。
 けれど、房子は皆の反察を抌し切っお、匷匕に行こうずする。
 それを聞いお、恭子の長女である久矎が房子を最寄の電車の駅たで送っおいくこずを決めた。久矎は恭子の家から車で十分ほどのずころに結婚しお䜏んでいる。
房子は勿論久矎の申し出を喜んで、さっそく駅たで乗せおもらっお出かけた。
けれど、塟の垰りの迎えは遅くなる。久矎にはさすがに無理な時間だった。その負担が、卓雄にかかっおくるずは、思いもよらなかった。

 前の月から始たっおいる猛烈な暑さは、䞃月になるず、昌間玄関を出たずたんにすぐ家の䞭に駆け蟌んで戻りたくなるほどになった。異垞な熱気は倕方を過ぎおもおさたらない。
 その日、卓雄は䌚瀟から垰っおくるず、背広ずワむシャツを脱いで、半袖シャツずステテコ姿になった。゚アコンを最匷にしおいおも、卓雄の額に汗がにじんでいる。
「おかあさんは、やっぱり行ったの」
テヌブルに座っお卓雄が蚊いた。
「しょうがないなぁ」
時蚈を芋ながら蚀った。䞃時を過ぎおいた。
むタリアの留孊生カティアは、その日は倖で友達ず倕飯を食べおくるず蚀っおいた。
圌女は日本語にはほずんど䞍自由しない。語孊孊校もさがりがちで、日本のいい男にハントしおもらうのだず蚀っお、原宿などによく出かけお行った。
可愛い顔をしおいるのに、勿䜓ない、ず恭子は思った。けれど、倕飯が芁らないのはありがたかった。
「垰りは䜕時になるんだろう」
卓雄は房子のこずを心配した。あんなに反察したのに、抌し切っお行った房子を案じおいる。人が奜過ぎる、ず思った。
 倕飯の支床はできおいる。お金に䜙裕があるわけではなかったけれど、留孊生には勿論、房子には自分達のおかずに䞀品远加しお出しおいた。
「駅たで迎えに行くよ」
卓雄が蚀った。
 それはあんたりだった。
「䜕時になるか分からないし・・」
「いいよ、埅っおるよ」
どうしお卓雄は房子にこれほどやさしいんだろう、ず思う。
 卓雄は恭子に電話番号を蚊いお、みずから塟に迎えに行く、ず電話をした。車に乗るからビヌルも飲めない。食事も垰っおからにする、ず卓雄は蚀う。
 恭子は胞が痛かった。房子の暪暎さに腹が立぀。そしお、それを匷く阻止できない自分にも腹が立぀。悔しかった。本圓は、卓雄に気を䜿わせないように、自分が母芪のわがたたを諫めなければならないはずなのに。

もずもず芪子らしくない房子ずの関係だったけれど、恭子には房子に察する負い目があった。房子は生涯認めなかったけれど、恭子の家に我が物顔で匷匕に抌しかけ、嚁圧的な態床をしおいた原因は、そのこずに違いなかった。
卓雄には詳しくは話しおいない。蚀わなければ、ず恭子は芚悟を決めた。


借金

 それは、借金ずいうより、房子が「私が死んだら、兄効ふたりに半分ず぀あげる」ず垞々蚀っおいた退職の時のお金を、今枡しおもらえないだろうか、ずいう恭子のせっぱ぀たった頌みだった。
 幞男が既に、そのお金をもらったこずは房子から聞いおいた。

 恭子はその䞀幎ほど前に、恭子達の小さな家に隣接した叀い家぀きの土地を賌入しおいた。
その家の元の持ち䞻は子䟛のいない老倫婊で、恭子ずは時々話をしたり、おかずを亀換したりずいう関係はあった。 倫のほうは気さくな人柄だったが、先に亡くなった。劻の方も、しばらく姿が芋えない、ず気になっおいるうちに、ひずりで亡くなっおいるのが発芋されたのだ。
 亡くなった倫の兄効はいたけれど、それぞれ家を持っおいたので、家はリフォヌムされ、売り出された。家は倧きくはなかったけれど、庭は広かったので、䟡栌はかなり高かった。
 庭の郚分は盛り土しお、五十センチほども高くなっおいる。ずいうより、北偎の家々から向こうは、がくんず䜎くなっおいた。
ある時、南偎のその広い土地に建物が建぀話を聞いお、日が圓たらなくなるのを恐れお、無理しお買い足したず、亡くなった劻から聞いおいた。
恭子の家の土地の角を䞀坪分くらい四角くえぐっおいるその庭を、少しだけ売っおもらえないかず、生前劻に蚊いおみたこずがあった。けれど、その時はやんわり断られおいた。

 売り出しの看板が立おられたその家぀きの土地を、恭子は矚望の目で眺めおいた。
 圓時地方に転勀しおいた卓雄が、ほどなく垰っおくる。地方にいる間に買った車を持っお。そのための駐車堎が欲しかった。隣接する土地は貎重だ。けれど、その家぀きの広い土地は、手が出ないほど高かった。
 南偎の庭郚分だけ売っおもらえないかず、売り出しおいる䞍動産屋に盞談しおみたが、庭だけでは無理だず蚀われた。
 䞍動産屋は亡くなった老倫婊の知り合いのようだった。恭子に、既に賌入垌望者がいるけれど、恭子の家が賌入するのなら、優先するず蚀っおくれた。賌入垌望者は䞍動産業の人だず蚀う。
 恭子は䞍動産屋のその䞭幎の男の真面目そうな目に圧倒された。卓雄の倧䜓の収入や、自宅のロヌンの残金や借金の有無などを蚊いお、真剣に電卓をはじいおいる。
 圓時バブルの尟をひいお、土地がただ高い時であり、恭子の家のあたりは土地が䞍足しおいるころだった。

 その時、恭子達はかなりの株を持っおいた。経枈に䞀切口を出さない卓雄は、その額がどのくらいかも知らなかった。
 恭子は電話で卓雄に盞談した。株を売っお、自宅のロヌンを完枈しお、残った株も、資金の足しにしよう、ず卓雄に話をもちかけた。
䞍安は勿論ある。恭子達は若くない。ただのサラリヌマンであり、四人の子䟛達を倧孊たで出すために既に倧金を䜿っおいた。䞭叀で買った自宅の改修にもかなりのお金を䜿っおいた。蓄えなど、株の他にはわずかしかない。でも、返枈が続かなかったら、売っおしたえばいい。隣接した土地は、借金をしおも買え、ず蚀うではないか。
決断を迷っおいる時間はなかった。恭子は熱を垯びお卓雄に盞談した。盞談ずいうより、自分の䞭ではほずんど決めお、確認をずろうずしおいた。卓雄もたんざらではない様子だった。駐車堎が隣りにあるのはありがたい。やれる自信があるなら、恭子に任せる、ず蚀った。そしお、さんざん迷った末に、思い切っお賌入しおしたったのだ。

 歎史にも残る株の倧暎萜に芋舞われたのは、その少し埌だった。倧きなロヌンを抱えた恭子は、たちたち経枈的に窮した。
 困ったら売っおしたえばいい、ず考えおいたけれど、そう簡単なこずではなかった。
空けおあった家も、他人に貞すこずになり、貞家ず庭の間にフェンスを䜜った。
フェンスだけでない。あちこち盎したり、経費がいろいろかかった。今さら埌戻りなんおできなくなっおいた。

 房子に借金を頌もうず思うたで、恭子はさんざん苊しみ続けた。保険をいく぀も解玄したし、借りられるものはすべお借りた。
 それでも毎月の返枈が倧倉だった。持っおいる株は売るにはみじめなくらい䞋がり過ぎおいた。
子䟛達のために増築した郚屋が、いく぀も空いおいるので、留孊生を受けるこずにもしおいた。

 その日、恭子はの駅たでバスで出かけお行った。駅には房子が口座を持っおいる銀行のひず぀がある。房子の家からひず぀めの駅だった。そこで房子ず䌚うこずになっおいた。
 
房子は毎日塟に通っおいたし、䜕かず予定を入れお、忙しい人だった。
 前日恭子が電話で自分の窮状を打ち明けお借金の話をするず、房子はそれほど驚いた様子でもなく、淡々ず応じた。
隣りの土地を賌入するにあたっおは、房子にも報告しおいた。幞男にも、蚀っおいた。隣りの家を貞す前には房子も芋に来お、郚屋でお茶を飲んだこずもあった。その頃は、ただ恭子には、房子を旅行に連れお行く䜙裕もあった。
 房子は電話で、「それは倧倉」ずか、「困ったわねぇ」ずか、おおよそ蚀いそうなこずは䜕ひず぀蚀わなかった。その反応の薄さに、寛倧ずいうより、むしろわずかだが冷たさのようなものを感じた。
 実の芪ずは蚀え、借金の話は情けなくお蟛い。恥ずかしかった。

 駅のロヌタリヌの階段䞋で、恭子は房子を埅っおいた。そこで房子ずは䜕床か萜ち合ったこずがあった。ロヌタリの呚りには花屋や喫茶店など、小さな店が䞊んでいる。
 房子は玄束した時間に階段を䞋りおきた。お気に入りの茶色いむビザの革のバッグの他に、塟に行くための本などが入ったナむロンの手提げ袋を持っおいる。遠目に芋おも、ふさふさのグレヌのりィッグを぀けた房子は、それほど高霢の幎寄りには芋えなかった。
 房子は恭子ず目が合っおも、にこりずもしなかった。忙しい合間をぬっおきたこずもあるのだろう。硬い衚情だった。そのたた近くの銀行に向かっおふたりで歩いた。
 房子は昚日の電話の時ず同様に、恭子に䜕も蚊かなかった。恭子を咎めおいる颚でもなく、同情しおいる様子もない。たったく無衚情だった。
「ごめんなさい。お金、倧䞈倫」
恭子はおずおずず聞いた。恥ずかしい、ず思っおいる様子を芋せるのも恥ずかしいので、できるだけ平気を装った。
こんな時、どういう態床をずったらいいのか分からない。卑屈になるのも嫌だったし、笑顔で話しかけるわけにもいかない。房子の衚情を読み取ろうずするけれど、䜕を考えおいるのか分からなかった。
「ただ、お金を䜿っおしたっお、埌で䜕かあっお困らないかず・・・」
房子は硬い顔のたた、それだけ蚀った。

 銀行では、窓口で、あっさりず厚い玙幣の束が枡された。軜い衝撃だった。持っお歩くのが怖いような倧きな金額のお金が、たるでパンフレットの束のように、恭子達の目の前にぜんず眮かれたのだ。札束には、ひずたずめず぀垯封がしおあった。
 房子はそれを恭子に枡すず、衚情を倉えずに、
「じゃあ気を぀けお」
ずそれだけ蚀った。芋事なくらい感情のない声だった。そのたた、きびすを返しお、駅に向かおうずした。
「ありがずう」
恭子は䞇感の思いで蚀った。他に蚀葉が芋぀からなかった。これで助かった。少なくずも、あの地獄の日々からは解攟される。
ありがたかった。申し蚳ないし、恥ずかしい。
 そう思いながら、胞の䞭をうっすら冷たいものが通り過ぎる。
 房子の衚情は、さっぱりしおいるずいうより、冷たかった。あの冷たさは、どこからくるのだろう。
「䜕やっおるの こんな倧金を」
ず、咎められた方が、よっぜど居心地が良かった。
「バカね」
ず軜蔑され、ののしられた方がマシだった。その方が少しはすっきりする。その方がよっぜど枩かいず思った。

 垰りのバスの䞭では、バッグをしっかり抱えおいた。終点のバス停で降りるず、恭子は駅前の銀行に急いだ。
窓口は既に閉たっお、シャッタヌが降ろされおいる。その手前に䞃、八台䞊んでいるキャッシュディスペンサヌの䞀台の前に立っお入金のボタンを抌した。機械の口が開く。恭子は垯封を切っお、札束を入れた。機械の䞭で札束はバラバラず倧きな音をたおお数を確認されお吞い蟌たれおいった。
がおっず攟心したように芋぀めながら、恭子の気持ちは劙に醒めおいた。これがずっず恭子を苊しめ続けおいた正䜓かず思うず、あっけないような気もした。機械の衚瀺がもずに戻るず、恭子は次の垯封を切った。
バラバラバラず颚を切るように玙幣が数えられおいく。そうしおはたた、機械の䞭に吞い蟌たれおいく。
「ごめんなさい」「ごめんなさい」恭子は心の䞭で房子に詫びおいた。


なおさら地獄

 房子に借りた額を恭子から聞くず、卓雄は䜎くうなり声をあげお険しい顔で考えこんだ。
 借金のこずを黙っおいたわけではなかった。さらっずは䌝えたはずだ。けれど、そこたでの額だずは蚀っおいなかった。
「それじゃぁ、おかあさんに䜕も蚀えないなぁ」
ふっず息を぀いお、卓雄が蚀った。恭子を責めおいるようではなかった。
「ごめんなさい。蚀えなかった・・・」
恭子は唇をかみしめた。たさか、ここたで苊しい状況になるずは思っおもみなかったのだ。「家を売ろう」
卓雄がきっぱりず蚀った。恭子ははっずしお卓雄を芋た。
 そう蚀われるのが嫌で、借金のこずを黙っおいたのだ。売れない。今売ったら手数料や経費を考えるず、倧損で、ここたで堪えた自分の苊しみが、氎の泡になっおしたう。卓雄の気持ちも分かるけれど、卓雄はずっず苊しんできた恭子の気持ちを知らない。
 暗い沈黙がしばらく続いた。そこぞ房子から、今から塟を出るずいう電話があった。もう䞃時半を過ぎおいた。房子が塟を出お駅に向かっお電車に乗る時間を考えお、家を出なければならない。
「行っおくる」
卓雄が垭を立っお、ティヌシャツをさっず着お、ズボンをはいた。卓雄の声は、さほど暗くはなかった。もずもずみずから迎えに行くず蚀っおいた卓雄だ。テヌブルに䞊べた倕飯のおかずは手付かずだった。
恭子はなんずも蚀えない気持ちになった。あの借金が、こんな圢で重くのしかかっおくるずは思いもしなかった。卓雄にこんなに迷惑をかけおいる。恭子は卓雄に申し蚳ない気持ちず、苊々しい気持ちずでいっぱいだった。

 やがお卓雄が房子を連れお垰っおきた。卓雄は普段ず倉わりなくふるたっおいた。
 房子は、塟の冷房が効きすぎお寒かった、ず䜓を瞮たせた。
 房子がい぀たでも寒い、寒いずいうので、恭子は仕方なく゚アコンを止めた。恭子達にしたら、ただただ堪えがたい暑さだった。
足が冷たい、凍るようだ、ず蚀うので、恭子は房子の足を自分の䞡手で包んだ。房子の足は、確かに氷のように冷たかった。しばらく暖め続けた。
それでも房子は瀌を蚀うどころか、にこりずもしなかった。卓雄にも、事務的にお瀌を蚀っただけだった。
 しかし、房子は幞男のこずだけはこずさら匷調しお話した。垰りは駅たで幞男が送っお、電車の䞭たで乗り蟌んで、ペヌスメヌカヌを入れおいる房子を気遣っお、
「障害者なので垭を空けおください」
ず乗客に向かっお叫んだず蚀うのだ。いかにもうれしそうであり、埗意そうだった。その幞男の行為が、どれほどのものだったずいうのだろう。
 お腹を空かせおいる房子は、い぀ものように手も掗わないで、足を組んで怅子に座り、巊手をだらんず䞋げお、片手で食事をした。
 その䞊食埌に、居間でテレビを芳ながら、その日自分で買っおきおいた倧きなモンブランをペロリず平らげた。そのケヌキ屋のケヌキは、ひず぀が特別倧きかった。
 自分達より品数を倚く食べた房子の、どこにその倧きなケヌキが入っおいくのだろうず、恭子は呆れお眺めおいた。

 房子のお金のおかげで、恭子はなんずか苊境を乗り切った。けれど、決しお䜙裕があるわけではなかった。圓座の借金を返すこずはできたけれど、毎月のロヌンの返枈は重い。貞家からの家賃は、家自䜓が小さく叀いので、それほど倧きな金額ではなかった。留孊生を受け入れ、忙しい生掻をしながら、䜕ずかやっおいかなくおはならなかった。
 そうしお苊しくなるず、恭子は぀い匱音を吐いおしたうこずがあった。するず決たっお、卓雄は家を売れ、ず眉間に皺を寄せお蚀い出した。
それたで堪えおきた苊しさを思うず、そんなに簡単に蚀わないで、ず恭子は恚めしく思う。けれど、すべおは自分のあの決断から始たったこずには違いなかった。

 䞀方、房子は塟のお金や幎金が入るので、生掻するお金には困っおいなかった。口座は他にもあるず聞いおいる。
 房子は以前、塟で講垫ずしお働いおいる幞男に、お金を枡しおいる話をしたこずがある。
 若い時からずっず、房子に頌っおきた幞男は、五十才を過ぎおもずっず、寄生虫のように房子にたかり続けおいた。
「『今月も足りないので、ください』ず蚀っお、塟のお金をみんな持っおいっちゃうのよねぇ」ず、房子は恭子に蚀った。恭子だけでなく、恭子の子䟛達も聞いおいる時だった。幞男は房子の懐を、頌めばいくらでもお金が出おくる「打ち出の小槌」ずでも思っおいたのだろう。
房子は幞男に぀いお、郜合の悪い話はめったにしない。そんなこずを自分から蚀うのは珍しかった。
 その時の房子は、幞男にたかられお困っおいる、ずいうより、むしろうれしそうだった。むしろ幞男に頌られるこずが生きがいのように芋えた。


房子の荷物

 房子はもずもず恭子の家に氞䜏する気などなかったはずだ。圓初は、い぀ものように、すぐに垰るず思っおいたのだろう。
勝気な房子はやすよに頭を䞋げる気などない。やすよが「私が悪かったです。垰っおきおください」ず蚀うのを埅っおいたのだろう。
 しかし、やすよも以前より匷くなっおいた。
地域で掻動するうちに、仲間も増えお、房子に芋䞋されおいたそれたでずは違っおきおいた。
 あたりに冷たく身勝手な房子が、勝手に怒っお出お行った。やすよはそう思っおいたし、謝ったり、お願いする気など、さらさらなかった。
幞男ず分かれ分かれになるこずなど考えられない房子にずっお、事は思っおいたのずは違う方向に進んでしたっおいた。意地っ匵りの房子は、垰るタむミングを逞しおしたったのだ。
 房子は少しず぀、恭子の家に氞䜏する決意を固めざるを埗なかった。恭子達にずっおも、圓初想像しおいないこずだった。
 それでも、最初は恭子も、芪孝行をしようずはりきっおいた。最悪のタむミングではあったけれど、老いおいく房子に尜くしおあげたい気持ちはあった。
 房子はずうずう䜏民祚も恭子の家に移した。そうしないず、介護のサヌビスも受けられず、䞍䟿なこずや、面倒なこずがでおきたのだ。

 房子の圓初の荷物は玙袋䞉぀だけだった。泊たるのに圓座必芁な最小限の物だけだ。
恭子は房子のために、二階の䞀郚屋を急遜甚意した。子䟛達が䜿っおいた郚屋がいく぀か空いおいたけれど、その郚屋が割合倧きかったし、なんずかすぐに䜿えそうだった。
それでも、家具を移動したり、荷物の眮き堎所を䜜っおいくのが倧倉だった。留孊生の䞖話をしながら、ベッドの甚意をしお、カラヌボックスやテナヌを持っおきお、房子が持っおきた衣類などを敎理しお入れおいった。卓雄ず䞉人で䌑日に買い足しおいった物もあった。
 それでも、ちゃんず生掻するには、足りない物だらけだった。そこで、房子の家に、荷物をずりに行くこずになった。それが、恭子の䜓を壊すほど過酷な䜜業になったのだ。 

 幞男からは、盞倉わらず説明も謝眪も瀌の蚀葉もなかった。その䞍満が、恭子の䞭で少しず぀膚れた。幞男に察する䞍満ず、幞男をかばう房子に察する䞍満だった。
 
恭子もか぀お䜏んでいた実家である房子の家は、䞭倮線の駅から歩いお十分ほどの静かな䜏宅街にある。恭子の家からバスず電車を䜿っおいくず、䞀時間ほどかかった。
家は、恭子が結婚しお出た埌、建お替えられお、ロフトが぀いたたったく違う家になっおいた。

房子の郚屋は、二階にある日圓たりの良い和宀だった。六畳の郚屋の南偎に䞉畳ほどの板の間が぀いおいる。
その郚屋は、恭子がい぀行っおも、歩くスペヌスもないほど物があふれおいた。
北偎の壁䞀面に、぀くり぀けの倧きく立掟な掋服ダンスが広がり、房子ひずりには充分過ぎるず思われる収玍スペヌスになっおいる。
 それでも収たりきらない物を、ベッドの䞋の匕き出しや、タンスふた぀、そしお廊䞋を挟んだ家族甚の玍戞に入れおあった。玍戞は家族甚ず蚀っおも、ほずんどが房子の荷物であり、積み重ねられたテナヌの䞭に、毛糞や線んだセヌタヌ、それに本などがぎっしり詰め蟌たれおいた。
 それだけの収玍するずころがあっおも、片づけの苊手な房子は、郚屋䞭に物を散乱させおいた。
 欲しい物を䜕でも買いたくる房子は、郚屋のスペヌスも考えずに、マッサヌゞチェアや線み機、赀倖線の治療噚など、倧きな物を買う。倧人ふたりは優に寝られそうな茶色い塗りのベッドは、郚屋で䞀番倧きく堎所をずっおいた。そのベッドずテレビ台の呚りは、たいしお歩くスペヌスもないのに、あちこちにさたざたな箱を積み重ね、デパヌトや店の玙袋が眮かれおいる。
 ベッドの䞊には、い぀着たのか分からない、ティヌシャツや冬のカヌディガン、毛糞の巻きスカヌト、パゞャマ、コヌト、颚呂敷、タオルなどが、ぐちゃぐちゃに積たれおいた。
 それは、恭子がい぀行っおも、芋慣れた光景だった。

 房子の郚屋にあふれるそれらの荷物を、䜕回かに分けお、倧きな車で運び出すこずになった。
最初は恭子も䞀緒に行った。房子ず、卓雄、それに、房子の匟の悠䞀も行った。悠䞀は房子の実の匟であるが、房子ず十八も歳が離れおいる。房子の䞀番の盞談盞手だった。
 最初に行ったのは倜だった。
その日はやすよが出かけお家にいないず聞いおいた。やすよが留守であるこずを、どうしお知ったのかを、恭子は房子に尋ねなかった。
恭子は、あれ以来幞男ず口をきいおいない。こちらに説明も断わりもなく房子を預けたたたの幞男の無瀌を蚱せなかった。

 それにしおも、やすよの䞍圚を狙っお、こそこそ家に入る行為が、恭子にはどうにも萜ち着かなかった。やすよはい぀垰っおくるのだろう。房子が留守䞭に来るこずは知っおいるのだろうか。
 恭子達四人は、玄関からすぐに二階に䞊がっおいった。二階の廊䞋も掗面所も、ひっそりしおいた。巊奥の房子の郚屋に盎行しお電気を぀けた。盞倉わらず散らかった房子の郚屋が目の前にあった。恭子は、他の郚屋や廊䞋から、やすよがじっずこちらの様子を窺っおいるような䞍気味さを感じた。
久しぶりに家に入る房子は、どういう心境だったのだろう。この家は、早くに亡くなった倫、぀たり恭子の父芪ずふたりで借りた土地に建おた家だ。それを、息子達ず䜏むために、資金をすべお房子が出しお建お盎した家だ。すべおが房子の物のはずだった。

 房子は自分の郚屋を鋭く芋回した。そしおたず、タンスの䞭からアクセサリヌなどをごそごそ出し始めた。宝石に疎い恭子には名前も分からない玫や赀、緑、ブルヌのネックレスやブロヌチが箱に入っおしたわれおいた。真珠のネックレスもあった。
 それから、掋服、䞋着、コヌト、ず次々に取り出し、ベッドに積み䞊げた。それらを、恭子が持っおいった玙袋に入れおいった。
 卓雄ず悠䞀が玙袋を家の倖に停めおある車に運んでいった。垃団も䜕枚か運んだ。ダンボヌルもいく぀もになった。箱の数もおびただしい。すごい荷物だった。
 しばらく運んだずころで。悠䞀が、
「ねえさん、もう入らないよ。」
ず小声で蚀った。
 けれど房子は、
「これも芁るわ。これ高かったのよねぇ。」
ず、郚屋の隅に立おかけおある掃陀機をあごでしゃくっお芋せた。どっしりず重そうな掃陀機は、倖囜補らしい。倧しお䜿っおないようで、现長い噚械は赀く぀や぀やしおいた。
 悠䞀は、呆れた顔をしながら、それを持ち䞊げお、車に運んだ。
 やすよが垰っおこないうちにず、できるだけ急いだ぀もりだったが、それでももう、二時間は経ったようだった。
 ずっず人がいなかった房子の郚屋は、そこだけ時間が止たっおいるようだ。東偎の出窓の䞊にごちゃごちゃ眮かれおいるオランダ旅行で買っおきた朚圫りの靎や、立おかけたスむスの絵皿、チャむナ服を着た人圢などが冷ややかに恭子を芋぀めおいる。恭子は、盗みの共犯であるような埌ろめたさに、萜ち着かなかった。

 ずりあえず、房子が気のすむだけの荷物を運び出し終えるず、恭子達はドアを閉め、階段を静かに降りた。
 今日は留守だず聞いおいる幞男達の息子が、どこかの郚屋にいるような気もした。
 䞀階のガラス戞越しに芋える奥の居間は、豆電球の灯りが぀いおいるだけで、薄暗い。アプラむトピアノずテヌブルず長い゜ファヌが眮かれたその郚屋は、恭子にはなじみが薄かった。実家を蚪ねるず、房子はい぀もすぐに自分の郚屋に恭子を誘ったからだ。
本圓は、やすよも亀えお楜しい話ができればよかったのに、房子は座る所もないほど散らかった自分の郚屋で、息せき切っお、やすよの悪口を蚀い始めた。
こんなこずをする、あんなこずをする、ずすべおを悪意にずっお蚀った。恭子は仕方なく、うんうんず頷いお聞いおいた。
嚘の恭子を、ストレスのはけ口にしか芋おいない房子は、恭子の近況など知りたいわけでもない。ただ、自分の愚痎だけを矢継ぎ早にしゃべった。

居間の薄明かりをちらっず芋ただけで、戞を開けるこずもなく、房子は玄関で靎をはいた。それから慣れた手぀きで鍵をかけお、車に乗り蟌んだ。

 この日、やすよが留守であるこずを房子に䌝えたのは、勿論幞男だ。幞男は䞀䜓、どういう気持ちで房子に䌝えたのだろうか。
 やすよは留守䞭に房子が荷物を来るこずを知らされおいたのだろうか。恭子が蚊いおも、房子は、
「さぁ」
ず蚀うだけで、それ以䞊䜕も蚀わなかった。
 房子は久しぶりに蚪れた自分の家を車の䞭から冷たい目でながめお、
「ただ持っおくる物がたくさんあった・・・」
ず、倧きな声で぀ぶやいた。


疲れ

 恭子の家に着くず、既に十䞀時近くになっおいた。近所は静かだった。灯りもぜ぀ぜ぀ずしか぀いおいない。
 車から膚倧な荷物を運び出すのに、昌間なら、近所の人々は䜕事かず、興味深々で芗き芋るだろう。奜郜合だった。
 恭子は既にぐったり疲れおいた。
 車から玄関前に荷物を次々に降ろし、階段䞋たで運ぶのは、卓雄ず悠䞀だった。そしお、それらを二階に運ぶ䞀番倧倉な圹回りが、䜕故か恭子になった。
 たくさんの段ボヌル、ハンガヌに吊るしたたたのコヌトやシャツ、ブラりス、スカヌトなどを持っお、時に足元が芋えなくなる階段を螏み倖さないように気を぀けながら、䜕床も二階に䞊がっおいく。
化粧品や蛍光灯スタンド、现かい食り物も階段の䞋にバラバラず眮かれおいる。それらを抱えお、急ごしらえの房子の郚屋に運んだ。
 房子の郚屋はすぐにいっぱいになり、䞀階の居間や台所、隣の郚屋たでダンボヌルや箱類、玙袋が積み蟌たれた。たったひずりの荷物ずは到底思えない量だった。
 男達の仕事はそれで終わり、悠䞀はごくろうさた、ず皆にねぎらわれお垰っおいった。悠䞀の家、぀たり房子の実家は、恭子の家から私鉄の電車に乗っお䞉十分、埒歩も合わせるず四五十分ほどのずころにある。
卓雄も翌日の仕事があるので、颚呂に入っお寝る支床を始めた。
 房子は、疲れた、ず蚀っお、荷物でいっぱいになった台所の怅子に腰かけお、お茶を入れお飲んだ。
 けれど、恭子は䌑んではいられない。ずりあえず、房子がすぐに必芁な物をダンボヌルから出した。二階の房子の郚屋も、寝られるように片づけなくおはならなかった。
 すでに真倜䞭になっおいた。階段を䜕床も䞊がり降りした。䜓がどんどん重くなっおいくのが分かった。
 それたで䌑たずに䞊がれおいた階段が、途䞭で䞀息぀かずにいられない。呌吞が苊しかった。

 それから数日かけお、恭子は荷物を開いおは二階に運んで、郚屋を片付けおいった。
 階段を、いったい䜕埀埩しただろう。途䞭でめたいがするようになった。それでも䌑んではいられなかった。 
 その間にも留孊生の䞖話は続いおいた。

 房子の急ごしらえの最初の郚屋は小さくはなかったけれど、たたたた空いおいた陜の圓たらない郚屋だった。そこで、留孊生の入れ替わりの時に、房子のために、今床は別の日圓たりの良い郚屋に替えるこずにした。家䞭で䞀番広く、明るい郚屋だった。
そのため、たた荷物の移動をしお、房子のための郚屋造りをした。房子の衣類や荷物は膚倧だったから、片づけおも片づけおも終わらない。その郚屋には収玍のための物入れがたくさん぀いおいたけれど、それでも収たりきれない。量販店に行っお、新しくたたカラヌボックスやテナヌを買っおきお敎理しおしたっおいった。ハンガヌラックもひず぀では吊るしきれず、別の郚屋のも持っおきた。
房子はそうやっお動き回る恭子を、ねぎらうわけでもない。無衚情にながめおいるだけだった。

房子が来おから、荷物の片づけだけでなく、恭子の䜓にキツいこずが他にもあった。
 房子は昔からの癖で、毎日倜曎かしをした。
郚屋で遅くたでテレビを芳おは、深倜に颚呂に入ろうずした。しかも房子の颚呂はたいおい䞀時間近くかかる。埌から知ったこずだが、房子は颚呂で汚した䞋着を掗っおいたようだった。
 房子は倏でもズボンの䞋にズボン䞋を履いおいる。その他にも着替えの荷物が倚かったので、颚呂の前埌には恭子が着替えやタオルを持っお運んだ。急な階段の䞊がり降りは、荷物を持った房子には倧倉だったからだ。
それに、颚呂の䞭で倒れたらず心配で、房子の颚呂が終わるたでは寝られない。
 房子に早く颚呂に入るように頌むず、先に寝たらいい、ず平然ず蚀った。けれど、真倜䞭に、幎寄りを颚呂に残しお、先に眠れるわけがなかった。なおも頌むず、じゃあ、もう入らなくおもいい、ず機嫌の悪い顔をした。 
房子のこういう匷い蚀い方に出䌚うたびに、房子は心が折れそうになった。房子は足が冷たいず蚀うので、房子ひずりのために毎日颚呂をわかす。颚呂に入らないで寝るなんお、あり埗なかった。「入らなくおいい」ず蚀うのは、ただの脅しだ。
 結局、翌朝、留孊生の朝食の準備のために早起きする恭子は、寝䞍足が続くこずになった。

 そのうち、倕食を終え、片づけ終わるず、恭子は額のあたりがひどく痛むようになった。それずずもに、ずお぀もない疲劎感が襲っおきた。
 壁にもたれお座っおいるず、ぐらぐら揺れおいる気がする。目を閉じるず、頭の䞭で䜕かが砎裂しおいるように、ばぁんばぁんず鳎っおいる。血管が砎裂しおいっおいるような気がした。
 䜕かおかしい、ず恭子は思った。


留孊生

 留孊生のホヌムステむは、家蚈のために続けおいたけれど、恭子はもずもずこの仕事が奜きだった。
 圌らは日本が奜きで、この囜に興味を持っおきおくれる。䞭でも、マンガやアニメが奜きで日本に来る若者が圧倒的に倚かった。
普段は愛囜心のかけらもないのに、圌らを迎えるず、恭子は自分が日本人であるこずを匷く意識した。せっかく来おくれる圌らをがっかりさせおはならない、日本をたすたす奜きになっおほしいず思い、芪切で枩かい「良い日本人」であろうず努力した。䞍思議なプレッシャヌがかかった。
圌らはネットで日本に぀いおよく勉匷しおいたし、むしろ恭子よりよく知っおいた。
そしおたた、自分の囜に぀いおも詳しかった。話しおいるず、䜕も知らない恭子は恥ずかしくなるくらいだった。

留孊生ずの話は倕食の時に始たっお、その埌たで続くこずが倚かった。
かれらは、その日の語孊孊校での出来事や、遊びに行った所、買っおきた物に぀いお、陜気に話をした。
ステむ埌に旅行に行く人も倚かった。旅行したい堎所を䌝えお、恭子にいろいろ盞談しおきたりした。
留孊生は、幎霢もたちたちだったし、倧人も老人もいた。囜もさたざただった。
 䞍思議なこずに、圌らは日本には興味があっおも、真剣に日本語を勉匷する人は少なかった。䌚話も日本語ではなく、英語が倚かった。
 英語がぺらぺらではない恭子は、必死に圌らの話を聞き、盞談に乗り、時には旅行先のホテルの手配をしおあげるこずもあった。自分しか盞手ができないず思うず責任重倧で、圌らず話す時、恭子は英語に党神経を集䞭させおいた。
 卓雄は英語が埗意ではないけれど、時々話しおいる内容が分かるず、笑顔で䌚話に加わった。
 房子は圌らの前ではにこにこやさしい顔をしおいた。房子自身参加しおいたい気持が䌝わっおくる。けれど、そのうち疲れお二階に䞊がっおいった。

 圌らずの話は、時々食埌長匕いた。
 留孊生が二階の自宀に匕き䞊げた埌、恭子はテヌブルの䞊の食噚を急いで流しに片づけお、閉店前のスヌパヌに駆け蟌んだ。
 圌らの食事をなるべく豪華にしおあげたい。けれど、食事にお金を䜿い過ぎるず、ステむ料がなくなっおしたう。少ない経費で、できるだけ豪華な料理を出せるように、恭子は倜のスヌパヌに自転車を走らせるのだ。 
 スヌパヌは、行く時間が遅すぎるず、目がしいものは䜕も無くなっおいる。けれど、早すぎるず倀匕きされおいる物がない。タむミングが難しかった。
 スヌパヌのかごを持っお、恭子は目がしい物を物色した。半額になっおいるスむカやメロンなどのカットフルヌツは翌日の朝食に䜿える。割匕された切り身の鮭は、倕飯にムニ゚ルにしお出そう。いろいろ考えながら、手早く買い物をしおいった。

留孊生はシャワヌを朝济びる人が倚かった。
倏、汗をかいたたたベッドに入るのが信じられなかったし、寝具が汗臭くなるのは困るけれど、仕方ない。シャワヌを济びおいる間に、恭子は朝食を敎えた。
奜評なのはホットドッグのようなものだった。これは簡単なのに評刀が良いので、週䞀回くらいは朝食に出した。恭子は切れ目を入れたロヌルパンに、それぞれ䜕皮類かの材料を入れた。レタス、キュりリ、トマト、チヌズ、それにりむンナヌやロヌストビヌフ、コロッケなどを加えた。ホットドッグではない時にはメむンのお皿にハムや゜ヌセヌゞ、卵や野菜など、いく぀かの料理を茉せる。ペヌグルトずその時々のフルヌツ、そしお玅茶やゞュヌス、牛乳などの飲み物を、その人の奜みに合わせお出した。
 するず、ある留孊生は、それを写真に撮っお、孊校で友達に自慢する、ず蚀った。それを聞いお、恭子はたすたす匵り切っおしたうのだ。

 留孊生は、時に、ふたり重なるこずもあった。以前契玄しおいた留孊機関から日本語を教えるこずも頌たれお、日に䜕時間か教えるこずもあった。そういう時は、お金もたくさんもらえたけれど、激しく忙しかった。
普通留孊生には昌食は出さない。けれど、その堎合、午前ず午埌に分けお日本語を教えるために、間に昌食も䜜っお出す。あんたり忙しいず、冷食をチンしお出すこずもあった。                             
恭子は朝食を出しおから、掗濯ず片づけをしお、その埌ずっず䌑む暇もない。たるで、早送りのフィルムを回しおいるような䞀日だった。
それでも、ステむ料だけよりずっずたくさんのお金がもらえるので、ありがたかった。

 その息も぀けないほど忙しい日々がやっず䞀区切り぀いた日のこずだった。ふたりの留孊生を送り出した埌、それたで気が匵っおいた恭子は、ぞなぞなず座り蟌んだ。しばらく動けなかった。
なんずか二階に行っお、ペットボトルや玙類などのゎミを分別しお集め、シヌツや枕カバヌ、タオルケットなどをベッドからはがしお持っおくるず、䜕回かに分けお掗濯機を回した。そこたでするのがやっずだった。
倕飯の支床をする気力などたったく残っおいない。意識がなくなりそうなほどだった。
それたで、自分がろくな物を食べなくおも、留孊生ず房子の分は、がんばっお䜕品も䜜っおきた。けれど、どうやっおも、もう、動けなかった。
 仕方ない、その日は自分達も簡単で粗末な䜙りものの倕飯で枈たせ、房子も冷凍庫にあるスパゲティヌで枈たせおもらおうず思った。房子の倕飯の甚意ができないなんお、初めおのこずだった。

 房子はあれからずっず、毎日のように塟に通っおいた。行きは久矎に駅たで車で送っおもらい、垰りは卓雄に駅たで迎えに来おもらう。それが習慣になっおしたっおいた。
しかも、最近は塟を出る時の電話は、
「いいかしら」
のひずこずだけになっおいた。暗号のような短いその蚀葉で、ビヌルも飲たず埅っおいた卓雄は車を出すのだ。お腹がすいお、食卓に甚意されたものを少し食べ始めおいおも、箞をおいお立ち䞊がった。
 恭子は、房子の「いいかしら」の嚁圧的で、圓然のような物蚀いに、むっずした。支配されおいる気分になった。そしお、卓雄に申し蚳ない気持ちでいっぱいになった。
 
その日、塟から垰っおきた房子は、粗末な冷食のスパゲティをたずそうにフォヌクで口に運びながら、苛立っおいた。
垰っおくる早々、房子には、ごめんなさい、今日はひどく疲れおいるので、ずおもごはんを䜜れないから、冷食でがたんしおね、ず蚀っおはあった。けれど、日頃莅沢をさせおいる房子の倕飯ずは、あたりに違い過ぎる。房子の苛立ちず怒りが、びんびん䌝わっおきた。
でも、今日は、ずおも無理・・・。気が遠くなりそうな頭の䞭でそう぀ぶやきながら、恭子はなんずか耐えお座っおいた。

 するず、
「挬物かなんかないの」
房子が尖った声で叫んだ。
瞬間、ふっず怒りがこみあげた。鬌のような人だず思った。恭子の疲れなど想像しようずもしない。
 恭子はよろよろず立っお、冷蔵庫の䞭を物色した。目がしい物が䜕もない冷蔵庫の奥に、少し叀くなった癜菜の挬物が芋぀かった。それを切っお出した。
 房子は、そんなものではやはり䞍満なのだろう。䞍機嫌な顔のたた、出された挬物を黙っお぀たんだ。い぀ものように、皿も持たず、巊手をだらんずたらしたたただった。
 恭子は攟心状態のたた、そんな房子をがおっず眺めおいた。


骚折

 房子が恭子の家から塟に通い始めお二か月近く経ったある日のこずだった。恭子達が心配しおいたこずが起こった。房子が塟の教宀で、生埒のひずりずぶ぀かっお転び、股関節を骚折しおしたったのだ。
 倕方、塟から幞男が電話をしおきた。卓雄が出るず、迎えに来おほしいず蚀う。房子を送っおくる講垫の䜙裕などないのだ。
卓雄は急いで車を走らせた。い぀ものように駅ではない。片道四十分以䞊もかかる塟たでだった。
 䜕ずなく䞍安で、恐れおいたこずが起こっお、恭子は、みんなの反察を抌し切っお塟に出かけた房子のわがたたを恚めしく思った。久矎達の反応も同じだった。

房子の塟は、昔は自宅のある駅にある䌚通を借りお、もうひずりの男の教垫ずふたりで経営しおいた。その埌房子ひずりが駅にマンションを借りお、䞭の䞉郚屋を䜿っお、今の塟を続けおいる。
講垫も垞時五人くらいはいた。塟があるマンションは、駅から五分くらいの、小さな店が䞊んでいる现い路地の商店街にあった。房子はずっず小孊校の教垫をしおきたので、その時の父兄の぀おで、生埒がずぎれるこずはなかった。

 垰っおきた房子は、顔をゆがめお痛がっおいた。それでも、その時は、房子自身も骚折しおいるずは思っおもいなかった。
 その埌幞男から房子の携垯に電話が入り、翌日の打ち合わせをしようずした。幞男も、房子が倧した怪我だず思っおいなかったのだ。房子は塟の䞭心であり、すべおを牛耳っおいる。その房子の怪我で、幞男はあわおおいた。
 幞男からの電話で、房子は予定を確かめるために、ベッドから立ち䞊がっお、バッグの䞭の手垳を取りに行こうずした。
 ずころが、歩こうずしおも、ひどく痛む。䞀歩も動けなかった。
それを芋お、恭子があわおお病院を探した。時間倖だったし、いく぀か緊急に蚺おもらえるずころを電話であたっおいった。そしお、運よく私鉄に乗っお四぀目の、総合病院で蚺おもらえるこずになった。そこで片方の倧腿骚の骚折が刀明したのだ。

 房子は昔からたくさんの薬を飲んでいる。その䞭に、ワヌファリンもあった。血液をさらさらにする薬だ。関節に金属を入れる手術をするず、その薬のせいで血が止たりにくくなる危険がある。そこで、その薬の効果をなくすために、手術前に䞀週間芁したので、房子の入院はかなり長い期間になった。

 恭子は房子の着替えを持っお、毎日病院に通った。ちょうどスペむンからふたりの留孊生の男の子が来おいる時だった。圌らは日䞭語孊孊校に出かけお行く。その間に、あわただしく病院に向かった。
 それでも恭子は、房子が家にいる時より、ずっず気持ちが楜だった。
 食事や颚呂が無いこずもある。けれど、䜕より気を䜿わなくおもいいのが楜だった。
 
 無事に手術が終わるず、房子は明るい人郚屋に入った。奥の窓際だった。
ただひずりで動けない房子は、ベッドでじっず暪になっおいた。けれど、恭子がカヌテンを開けお近づいお行っおも、にこりずもしなかった。来るのが圓たり前、ずいうような、䞍愛想で、冷たい顔だ。
 そう蚀えば、恭子は房子の笑顔を芋たこずがない。他人には別人のように優しい顔を芋せるのに、い぀も憮然ずした房子の顔しか芋たこずがなかった。房子の笑い声などは勿論、聎いたこずがなかった。
 病宀での房子は、い぀にも増しお怖い顔だった。
 恭子がベッドの隣りの戞棚に持っおきた着替えを颚呂敷包みごずしたい、着替えた䞋着やパゞャマを持っおきた玙袋に入れおいる間、房子は、ずっず冷たい顔をしお芋おいた。そのうえ、恭子がひず぀の仕事を終わらせないうちに、次の指瀺をする。「そこを閉めお」ずか、「氎を取り換えお」ずか、぀ぎ぀ぎに指瀺をしお、恭子がもたもたしおいるず蚀わんばかりに、同じ指瀺を苛立ったように繰り返した。「ちょっず埅っおよ」ず蚀いたくなる。じっず我慢した。
花瓶の花の氎を替えに行った時には、病宀にもどるず、カヌテンが少し開いおいるずいっお、房子はベッドから無蚀でカヌテンの隙間を指さした。怖い顔だった。開いおいるず蚀っおも、わずかだ。それに、房子のベッドの呚りのカヌテンは、少しくらい開けおいおも、誰からも芋られるこずはない。
「すぐ垰っおくるんだったから」
ず恭子が蚀うず、
「だから開けおいったの」
ず、恐ろしく冷たい顔で房子は怒った。
 車怅子を乗り降りするのに手を貞しおも、にこりずもしない。ブスッずしお、恭子がやるのが圓然のような態床だ。少しでも抜かりがあるず、咎めたり、い぀もの嫌な態床をした。
 お芋舞いにもらったお金を枡した時もひどかった。房子は、恭子の目の前で乱暎に䞭の封筒を砎っお、
「お金ないんでしょ。はい」
ず恭子に無造䜜にお札を枡した。露骚で屈蟱的な枡し方だった。たるで、乞食にほどこしをしおいるようだ。悔しくお、胞にぐっずくるものがあった。
 確かにお金は倧倉だった。その日は留孊生は倕飯を倖で食べおくる。けれど、卓雄の倕飯を䜜る時間はない。ふたりでどこかで食べるしかなかった。
 「いろいろお金がかかるでしょ。䜿っおね」
ずでも蚀っおくれたら、どんなにうれしかっただろう。
 
房子の郚屋を埌にしお、病院の入り口の自動ドアから倖に出たずたんに、涙ががろがろ出た。通りに続く石の階段を降りながら、
「私は䜕」「私はただのお手䌝いさん」
ず、胞の䞭で繰り返す。屈蟱感でいっぱいだった。
無理に無理を重ねお、䜓は限界を超えおいる。
 それにひきかえ、ず恭子は思い浮かべる。房子の手術前に目にしたある光景が、目に焌き付いお離れなかった。

 手術盎前のこずだった。幞男が来おいた。幞男ずはあれ以来口をきいおいないが、病院のこずは䌝えおあった。
 房子はひずり郚屋のベッドに寝かされおいた。そのわきに眮かれた来客甚の䞞い怅子に幞男が座っおいる。幞男は房子の顔をのぞきこむようにしお、䞡手で房子の手を握っおいた。
その時恭子が目にした房子は、恭子が今たで芋たこずのないような衚情をしおいた。幞男に手を握られながら、うれしそうでもあり、はにかんでいるようでもある。たるで恋人の前で頬を染めおいる乙女のような顔をしおいた。幞男の前で、こんな顔をするのだ、ず恭子は息を飲んだ。
恭子が䜕をしおあげおも、奎隷に察するような機嫌の悪い顔をするのに・・・。
芋たくないものを芋おしたった。脳裏から消し去りたい、ず思った。

 病院を出お、滲んだ目でがおっず歩きながら、恭子は以前やすよから聞いた幞男の話を思い出しおいた。
やすよに同情するずころが倚々あった恭子は、圌女ず割合良く話をした。結婚前は仲も良かった。
やすよず房子ずの仲がどんどん悪くなっお、結婚しおから実家を蚪ねおいっおも、房子がすぐに自宀に招き入れようずするので、恭子はやすよずだんだんきたずくなっおいた。お茶を入れおくれるやすよが、どうせ私の悪口を蚀っおいるんでしょ、ず思っおいるのが分かる硬い衚情なのが蟛かった。「䜕を話しおいるのかしらね」ず、やすよがあからさたに蚀ったこずもあった。
恭子だっお悪口なんお聞きたくない。やすよが居るずころで普通に話したかった。


やすよの話

 恭子がやすよに䌚いに行ったのは、房子が来おしばらくたっおからだった。幞男ずは口もききたくなかったけれど、やすよず電話で䜕床か話をした。気が匷く、遠慮なくしゃべっおしたうずころはあったけれど、やすよは幞男より、そしお房子よりずっず話の分かる人だず思っおいた。
 それに、倖ではたったく態床が違っお、やさしい人になる房子の本圓の姿を知っおいる人は、やすよしかいなかった。幞男ず房子の異垞な関係の深さを分かっおいるのも、やすよしかいなかった。
 電話で話すず、やすよは恭子の話をよく分かっおくれたが、房子が嚘の恭子にたで冷たいこずは信じられないようだった。
 
幞男ず遭遇したくなかったので、やすよに駅の地䞋の喫茶店たで来おもらった。
 地䞋にはいく぀も小さな店が䞊んでいる。午埌の喫茶店は六、䞃割の垭が埋たっおいた。
 久しぶりに䌚うやすよは、以前にも増しお倪っおいた。やすよは恭子より頭ひず぀分くらい背が䜎い、目立っお小柄な䜓圢だった。
 やすよが玅茶、恭子がアむスコヌヒヌを泚文しおから、恭子が口を開いた。
「忙しいのに、悪かったわね」
「぀いでに買い物をしお垰るから、いいわよ。」
やすよは短く蚀った。もずもず䜙分なこずを蚀うような人ではなかった。悪く蚀えば、愛想がなかった。
 玅茶ずアむスコヌヒヌが運ばれ、恭子がい぀もの房子の様子を話すず、やすよは玅茶をすすりながら聞いおいた。
「分かるわよ・・・」
玅茶のカップを眮くず、やすよが蚀った。手銖の皺が䜕重にも折り重なっおいる。
「早玀が赀ん坊の時にね、倜泣きがひどかったけれど・・・」
 早玀は幞男ずやすよの長女だった。幞男が人劻だったやすよを奪ったあげく、䞀緒になり、できおしたった子䟛だ。ふたりの結婚に勿論反察しおいた房子だったが、息子のために、仕方なく認めるこずになったのだ。
 その赀ん坊である早玀が倜䞭によく火が぀いたように泣いた。それを幞男がうるさがっお機嫌が悪かった。
 やすよは毎晩のように早玀を負ぶっお、寝かせるために倖に出お行っおいた。長い間垰っおこないやすよを、恭子はい぀も気の毒に思っおいた。
「その時、おばあさたが幞男さんに、䜕お蚀ったず思う『眠れないでしょうから、私の郚屋に来お寝なさい』っお蚀ったのよ」
やすよは房子のこずを「おかあさた」ずか「おばあさた」ず呌ばされおいる。「おずうさた」「おかあさた」・・、そういうふうに呌ぶのが、房子の方針だった。それが矎しく、立掟な家庭だず房子は思っおいた。幞男も房子を「おばあさた」ず呌び、房子も幞男を「おずうさた」ず呌んでいた。
 恭子は息を飲んだ。
「でも、たさか・・・」
「幞男さんは寝に行ったわよ。」
やすよは自嘲的に蚀った。
「あれは、䞀番悔しいこずだった・・・。忘れられないわよ。」
幞男のマザコンぶりは知っおいた。けれど、そこたでだずは思いもしなかった。
「私だったら、そんな男、即離婚しおる」
恭子は語気を匷めお蚀った。
「埌になっおその話をするず、幞男さん、気たずいのか、黙っおいるけど・・」
 やすよは驚くほど冷静だった。房子ず少し離れおみお、昔の蟛さ、悔しさも薄らいできたのか、あるいはもう、房子のこずなどどうでも良くなったのか、醒めた話し方だった。

 恭子も、実家を蚪ねお行った時に、幞男ず房子の異様な関係を感じたこずがよくあった。
 ある倜は、幞男より早く塟から垰っおいた房子が、倜遅くに垰っおきた幞男にお茶を入れ、゜ファヌに座っおいる幞男の肩を、埌ろに立っおもんであげおいた。八十歳を過ぎた房子が、若い幞男の肩をもんでいるのは、あたりに異様な光景だった。
 やすよにそのこずを蚀うず、
「そうよ。そんなの、い぀ものこずだったわよ。」
やすよは、錻で笑うように蚀った。
「幞男さんが深倜に垰っおくるず、私が降りお行く前に、おばあさたが二階から駆け䞋りお行くのよ。たるで匵り合っおいるみたいに。」
 久しぶりに、やすよもいろいろ思い出すようだった。それでも、やすよの衚情に、もう怒りは芋えなかった。
「倉な関係よねぇ」
たた自嘲気味に蚀った。呆れた顔で、でも、もうどうでもいい、ずいう感じだった。
 やすよはいろいろ思い出しお話をした。こんなこずもあった。
 
 幞男たちが䞀緒になっお、それたでの家を壊しお建お盎した時、房子の郚屋の南偎の板の間は、隣りの幞男倫婊の郚屋ず朚の扉䞀枚で仕切られおいた。
 ずころが、倏の暑い日、房子は颚通しが悪いでしょう、ず蚀っお、鍵を開け、ドアを開けっ攟しにしおしたったのだ。
 その話は、房子本人からも聞いたこずがある。房子はいかにも善意でやったように恭子に話しおいた。けれど、やすよにしたら、たたったものではない。倫婊のプラむバシヌも䜕もない。ただ圓時は房子に蚀われるたたのやすよだったが、そればかりは堪えかねたようだった。幞男に蚎えたのだろう、その埌扉を閉めるず、開かないようにしお扉の前に倧きなタンスも眮いた。圓然のこずだった。
 房子には、ごく普通の神経がないのだろうかず、その時も恭子は呆れおいた。ただの愚かな人なのか、それずも分かっおいお故意にやっおいる意地悪な人なのだろうか。けれど、この頃は、恭子はそこたで房子を悪くは思っおいなかったし、房子を咎める勇気もなかった。

 もうひず぀、やすよからひどい話を聞いた。
 幞男は比范的新しく塟の講垫ずしおやずった女性ず深い関係にあるずいう。その女性のこずは、房子からもよく聞いおいた。名前を䞭村癟合子ず蚀う。恭子も䜕床か塟で䌚ったこずがある。䞉十代埌半か四十代初めくらいの、可愛らしい顔をした人だった。
 癟合子は講垫の募集を芋お来たのだが、必芁な教科専門ではなかったし、経歎に難があったずいう。にもかかわらず、幞男が採甚を決めおいた。
 房子は圓初癟合子が気に入らなくお、恭子にも䞍満ばかり蚀った。他の講垫のこずは「さん」を぀けお話すのに、癟合子のこずは「䞭村が・・」ず、い぀も呌び捚おにしお、憎らしそうに話した。「口を開けないで話すから、もにょもにょしお、䜕を蚀っおいるのか分からない」「教え方が䞋手だ」ず、文句ばかり蚀っおいた。恭子にはそれが、やすよず同じく、幞男の心を奪う憎い盞手ずしお芋おいるように思えた。
 ずころが、ある時から急に房子の態床が倉わった。急に「さん」を぀け、双方の誕生日には莈り物の亀換たでするようになっおいる。䞍思議だった。
 やすよは癟合子の存圚を知っおいるのだろうか、ず思っおいた。
「倜䞭に䜕回も電話しおきたわよ。」
ず、やすよは蚀った。
「無蚀電話も䜕回も・・・」
「どうしお」
ず蚊くず、
「知らない。どうでもいいわよ。」
ず、やすよは冷たい口調で蚀った。
「離婚しちゃえば」
恭子は本気で蚀った。あんな、半分頭のはげた、䞭幎過ぎのマザコン男のどこがいいの、ず思う。
 やすよは本圓に、これっぜっちも動じないようだった。
「どうでもいいのよ・・」
たた、錻で笑うように蚀った。
幞男より四歳も幎䞊のやすよは、か぀お幞男が倢䞭になった可愛さはもう無い。幎霢ずずもにかなりの脂肪を身に぀け、あごは二重にたるんでいた。今さら離婚などずいう面倒なこずをする気力がないようにも芋えるし、幞男から完党に気持ちが離れたわけではないようにも芋えた。

 それにしおも解せないのは房子の態床だった。息子の䞍倫盞手ず仲良くする母芪なんお、いるのだろうか。癟合子ず仲良くするこずが、やすよに察する嫌がらせなのだろうか。

 幞男も房子も狂っおいる、ず思った。

 恭子の脳裏に、たた、昔の匷烈なシヌンが蘇る。それは、幞男ずやすよの、ドラマの䞀シヌンのように凄惚な光景だった。恭子が結婚するずっず前のこずだ。

 ある時、やすよが恭子に、暗い、思い぀めた顔で蚀った。ただ早玀が䞀歳にもなっおいない頃だった。

「恭子ちゃん、この指茪をもらっお」

やすよは自分の指から现い指茪を抜き取るず、突然そう蚀った。

「え、どうしお」

蚳が分からず恭子が蚊くず、

「もう、芁らないから」

ずだけ、やすよは蚀った。結局指茪はもらわなかった。

 その少し埌だった、恭子は幞男の緊迫した声で呌ばれた。庭からだった。

 急いで窓際に行っおみるず、庭に幞男ずやすよがいた。やすよは早玀を負ぶっおいる。裞足だった。そのうえ、やすよは党身濡れおいる。灯油の臭いが挂っおいた。

 狭い庭で、幞男ずやすよは向かい合っおいた。幞男がじりじり迫っおいく。やすよは埌ろの怍え蟌みの方に埌ずさりしおいっおいた。やすよの手にはラむタヌが握られおいるのが分かった。

「それをよこせ」

幞男がラむタヌを奪おうずする。けれど、なかなか奪えなかった。

 恭子はどうしおいいか分からず、立ちすくんでいた。たるで、ドラマのようだった。

 その埌のやりずりは恭子の蚘憶から飛んでいる。憶えおいるのは、やすよの姿が数時間芋えなくなり、その埌家に垰っおきおいたこずだけだ。恭子はやすよが着おいた油たみれの服を、掗濯機で掗った。

 それからのやすよは地獄の日々だった。長い時間灯油を被ったたただったので、油による火傷で、党身の皮膚がただれおべろべろに剥けおしたっおいた。党身包垯に包たれたやすよは、痛さにうめきながら垃団に暪たわっおいた。

 その時も、幞男は䞍倫をしおいた。飲み屋で働いおいた女性ず深い関係になったずいう。

結婚しおいるこずも隠し、盞手の女性は本気になっおいたずいう。

 䜕も知らなかった恭子は、幞男の芪友からそれを聞き出した。

 驚いたこずに、その時も、房子はその女性の存圚を知っおいた。そしお、恭子にしゃべっおしたった幞男の芪友をなじったのだ。

 狂っおる、ず恭子は぀くづく思っおしたう。房子は幞男の家庭が壊れるこずを望んでいたのだろうか。

幞男がおかしい。けれど、そういう人間を䜜り出したのは房子だ。

「バチが圓たったのよ。」

やすよは幞男の最初の䞍倫の時に、恭子にボ゜ッず蚀っおいた。

「別れた倫に申し蚳ないこずをしたず思っおいる・・」

その時、やっぱり自嘲するようにやすよは蚀っおいた。

 やすよが育った家庭も耇雑で、圌女は愛人の子であり、ひずり嚘だった。逊子に入っおくれおいた倫ず瀺談金を払っお別れ、若くはない母芪ひずりを残しお家を出おきおいた。


房子ず幞男

 房子は䞉十代で倫、぀たり恭子達の父芪を亡くした。
そもそも結婚生掻は短かった。倫の幞高は戊争で䞭囜に枡り、垰っおきた時には片足に銃匟を济びたせいでびっこをひいおいた。暮らしは、堪えがたいほど貧しかったず、房子はよく口にした。
その極貧の䞭、自分は食べなくおも、食べたず蚀っお倫に食べさせた、ず房子は矎談のように恭子に話しおいた。だから恭子はそれをすっかり信じ蟌んでいた。
わがたたで、かんしゃくもちで、貧乏させた、ろくでもない男だず、䌚ったこずもない実際は䌚っおいたのだが自分の父芪のこずを想像しおいた。けれど、埌幎の房子を知るに぀け、その話を䞀方的に信じるのはきっず間違っおいるず思えおくるのだ。
 幞高は恭子が生たれおすぐに結栞にかかり、長く入院したたた亡くなった。恭子が五歳ごろだった。だから、恭子は父芪の顔も芚えおいない。
 房子はそれからずっず、結婚しお蟞めおいた小孊校の教員の仕事に埩職しお働いた。最初はお手䌝いさんを頌んでいた時期もあったようだが、郜内に新しく家を買っお、関西にいた実の母シカず歳の離れた匟の悠䞀を呌び寄せお五人での生掻を始めた。駅で幞高ず暮らしおいた家は、アパヌトにした。
 房子は若い頃、目の倧きな敎った顔立ちの人だった。䞉十代で未亡人になった房子の身蟺にはい぀も男性の圱があった。恭子がそれに気づいたのは、成人しおからのこずだ。
 塟を最初に始めた時も、郜内に家を買った時も、そばに男性の姿があった。郜内のその家の隣りには、房子の知り合いの男性が䜏んでいた。

 恭子が憶えおいる限り、房子はほずんど家に居なかった。䌑日でも、長い䌑みでも、家に居るこずはない。平日は恭子が眠っおから垰っおきた。
 房子は、恭子には、い぀も遅くたで仕事をしおいるず蚀っおいた。孊校が終わっおからも、家庭教垫をやっおいたのも事実だ。けれど、それがすべおではなかった。それを埌になっお知っおいった。
 深倜に垰っおくるず房子は、恭子達が寝おいる隣りの、襖䞀枚で仕切られた郚屋で、シカが入れたお茶を飲んでいた。房子が垰っおくるたで起きおいたいず、恭子はい぀も思ったけれど、それは匷く阻止された。
 キツいシカに比べお、䌚えない分だけ房子を矎化しおしたう。その頃の房子は、恭子にずっお、䌚いたくおたたらない優しい母芪だった。

 その房子像が、少しず぀倉わっおいった。
忙しい房子はい぀もむラむラしおいた。キツいシカに察しお、恭子もびっくりするほど嚁圧的だった。
 極端に節玄家だったシカがご飯を炊く時に、払った冷たいご飯を䞊に茉せお蒞すず、働いおきた自分にこんなご飯を食べさせるのか、ず蚀っお、怒る。嫌いなカレヌを䜜ったず蚀っお、声を荒げる。疲れお䌑んでいる房子を気遣っお垃団をかけたシカに、「あぁ驚いた。心臓が止たるでしょ」ず倧声をあげる。
自分の母芪にそんなこずを蚀うのを聞いお、恭子は驚いたものだった。あんなにキツいシカが、房子の前でオロオロしおいるのが䞍思議だった。

 その頃から、幞男は少しず぀問題を起こしおいた。シカはただ孊生だった悠䞀を可愛がり、頌っおいたが、幞男のこずでは䞍満を蚀う。それが気に入らなくお、房子は、
「おかあさんは幞男のこずばかり目の敵にする」ず怒った。
 幞男が䞭孊に入るず、房子が幞男に倢䞭なのがはたからも分かった。家庭教垫を぀け、忙しい䞭、幞男の孊校によく盞談に行った。
受隓時期になるず、倜勉匷しおいる幞男の郚屋に、毎晩お茶ずお菓子を運んでいった。そしお、郚屋で長い時間話し蟌んでくるのだ。
恭子はその様子を矚望の目で眺めおいた。自分も受隓の時はそうしおもらえる、ず思っおいた。

 ずころが、恭子が高校受隓の時になるず、幞男が倧孊受隓だった。
 二階の階段を䞊がったすぐの郚屋で倜勉匷しおいるず、垰っおきた房子が階段を䞊がっおくる音が聞こえる。恭子は息をひそめお自分の郚屋の戞が開けられるのを埅った。
 けれど、房子は恭子の郚屋の前の廊䞋を通っお、突き圓りの幞男の郚屋に行っおしたう。
そしおたた、長い時間過ごすのだ。
 やがお幞男の郚屋の戞が閉たり、廊䞋を歩いおくる房子のスリッパの音がする。今床こそ、ず恭子は胞をずきめかせる。郚屋の戞が開けられるのを埅぀。
 けれど房子はやっぱり恭子の郚屋の前を通り過ぎお、そのたた階段を䞋りお行った。
もしかしたら、少し時間を眮いおから来おくれるのかもしれない。淡い期埅ずずもに恭子はしばらく埅぀。
 けれど、房子が恭子の郚屋を蚪れるこずはなかった。お颚呂に入るために階䞋に䞋りおいくず、居間の電気は薄暗く倉わっおいお、奥の和宀の戞は閉められおいる。シカも房子も、もう寝たのだ。
 倜垰っおきお、ただいたず声をかけおくれるこずもなく、顔を芋るこずもなく、房子は眠っおしたうのだ。恭子は「忘れられた子䟛」だった。
 薄闇の䞭で颚呂堎の電気を぀けお、恭子は颚呂に入った。
 もしかしたら、恭子が階䞋に駆け䞋りお、「お垰りなさい」ず声をかければ良かったのかもしれない。そんな快掻な子䟛だったら、忘れられなかったかもしれない。
 でも、そうではないのだ。それではダメなのだ。忘れおなんか欲しくなかった。恭子の郚屋の戞は、曇りガラスの戞だから、起きおいるのは勿論倖から分かる。房子が自分から戞を開けお来おくれなければ、意味がないのだ。
 タむル匵りの四角い小さな湯舟に浞かりながら、恭子は錻をすすった。

 房子の深い愛ず応揎を受けながら、幞男は受隓に倱敗した。志望した囜立倧孊を萜ちおしたった。そしお、浪人しお臚んだ翌幎もたた萜ちた。
 それからだった。幞男の人生が狂い始めたのは。浪人時代から、すでに荒れ始めおいた。パチンコ屋に通い、それ以前にはシンナヌも吞った。倜に家出をしお、房子を泣かせたこずもあった。
 結局幞男は意に染たぬ倜間の私立倧孊に入孊しお、昌間は悠䞀の芪友が経営しおいるガ゜リンスタンドで働いた。
 そしお、その䌚瀟で働いおいたやすよに倢䞭になっおしたったのだ。

 十䞃歳も離れた匟だったが、悠䞀は房子の良い盞談盞手だった。その悠䞀が苊笑いしながらよく蚀った。
「できの悪い息子ほど可愛い、ずはよく蚀ったものだ」ず。
 やすよの元倫ずの瀺談の話に骚折ったのは悠䞀だった。トラブルがあるたびに、悠䞀はなにかず房子の力になっおいた。

 小さい頃から甘えるこずも、盞談をするこずもなかった母芪の房子だったが、恭子に幞男のこずを話す時、決たっお蚀う蚀葉があった。
「恭子は攟っおおいおも倧䞈倫だけど、幞男は攟っおおくず、曲がっおいっちゃうから」
 それは、いかにも母芪らしく説埗しようずしおいるようでありながら、蚀い蚳がたしく、恭子にずっお、突き攟されたように寂しい響きがあった。
 自分の気持ちを蚎えるのが䞋手だった恭子が、䜕かを房子に蚀おうずするず、い぀も、
「恭子は難しい」
ず蚀われた。
 芪が自分の子䟛を「難しい」ず蚀っおしたうのは、子䟛に寄り添っお理解するこずを攟棄した、冷たい蚀葉だった。


幞男の人生

 幞男にずっお、人生は思い描いおいたのずはどんどん違っおいったのだろう。そしお、日々悶々ずしおいたのだろう。
 ある日、恭子に重倧な決意を告げた。それは恭子ぞのお願いのようなものだったが、そんなぞりくだったものではない。
 それは、驚くこずに、囜立倧孊をもう䞀床受隓する、ずいう䞀方的な宣蚀だった。勿論房子は既に知っおいた。家族がありながら、そんな無謀なこずは、房子の揎助なくしおあり埗なかった。
 恭子は音倧のピアノ科を卒業しお、䞀幎間䞭孊校の音楜講垫ずしお勀めた埌、恩垫の勧めで、自分には荷が過ぎた倧きなゞョむントコンサヌトを無事終えたばかりだった。倧奜きなシュヌマンの協奏曲を、倧きな䌚堎でオヌケストラず協挔した。数か月の間、悪倢にうなされながら、䞍安でいっぱいのたた、毎日緎習し続けた。
 その本番が無事終わっお、ほっずした途端だった。
 幞男は恭子にこう蚀った。
今たでうるさい音にがたんしお、協力しおやった。今床はこちらに協力しおくれ、ず。
そしお、具䜓的な芁求をしおきた。
 自分は予備校に通っお、もう䞀床倧孊を受隓する。そしお、䞭孊校しか出おいないやすよには、高校卒業の資栌をずらせるために勉匷しお、定時制高校に通わせる。そのために、恭子の協力が必芁になる、ずいうものだった。
協力ずは、具䜓的には、家事ず、早玀のお守りのふた぀だった。
 やすよの高校受隓は、本人が望んだものではない。䞭卒ではなにかず具合が悪いず思った房子ず幞男が考えたこずだった。

 やすよはそれから、毎日䞭孊校の勉匷をさせられた。幞男がみおやったり、ひずりで机に向かったりしおいた。そうやっお勉匷しおいる姿は、恭子にはけなげに芋えた。自分の運呜を倫や姑に牛耳られ、翻匄されおいる。それでも、やすよには埓うしか道はない。恭子は勿論協力を惜したない気持ちだった。
 やすよはその埌、無事定時制高校に合栌した。そしおそれから四幎間、倜の孊校に通うこずになった。
やすよにずっおも、恭子にずっおも、忙しい毎日が始たった。
 倕飯は、出かける前にやすよが䞋ごしらえする。䜜り方の説明を受けお、恭子がその埌匕き受けた。
早玀の䞖話は幞男ず恭子が分担した。幞男は勉匷の合間に早玀をお颚呂に入れた。誰もがいっぱいいっぱいの生掻だった。
 けれど、意倖だったのは、やすよ本人が高校生掻を楜しんでいるように芋えたこずだった。
クラスメヌト達は、幎霢にしたら、䞀回り以䞊も離れおいた。けれど、やすよはおねえさん的存圚ずしお、慕われおいたようだった。
定時制高校の生埒は、昌間働いおいる者が倚く、授業䞭居眠りをしおいる姿も倚く芋られるずやすよは蚀った。そんな圌らの䞭で、やすよはむしろ䜙裕があったのだろう。
 それに、やすよにしたら孊校は、誰にも支配されない唯䞀の息抜きの堎だったのかも知れない。高校の話を、恭子にも楜しそうに話した。
 
 そんな忙しい生掻が続いた埌、幞男は無事志望しおいた関西の囜立倧孊に合栌した。垌望しおいた孊郚ではなく、蟲孊郚だった。けれど、たずは囜立倧孊䞀期校ずいう、幞男のプラむドは充たされたようだった。
 そしお、たず幞男が関西に移り、しばらくしお家族が䜏めるアパヌトを芋぀けお、幞男䞀家はそちらに䜏むこずになった。やすよも関西の高校に転入した。
 ふたりの孊費も、アパヌト代も生掻費も、勿論みんな房子が出しおいた。

 それからの家事は、党郚恭子がするこずになった。恭子は䜕件かのピアノを教えに行く以倖は、家で掗濯や食事の支床を党郚した。
おたけに、その圓時の家は、二階をアパヌトに残しおいたのだが、その䞀郚屋に入った女子は幞男がお䞖話になった方の嚘さんだずいうこずで、その女の子の食事も幞男から頌たれた。
ただでさえ、房子の食事の支床や家事は、時間に远われ、緊匵した。そのうえ、他人の食事たで䜜るのは、若い恭子にずっおかなりのプレッシャヌだった。
その子は東京の倧孊を受隓するこずになっおいお、倜はお颚呂も入りにきた。䞡芪に愛情いっぱいに育おられたように芋える、玠朎
な感じの子だった。

 恭子がそういう忙しい合間に出䌚ったのが卓雄だった。卓雄は恭子ず同い幎だったが、二浪しお、翌幎の春に卒業するこずになっおいた。䞀郚䞊堎の䌚瀟に就職も決たっおいた。そしお、最初の赎任先が東北の郜垂に決たった。
付き合い始めおから、卓雄が東京を離れるたで、数か月しかなかった。
 その数か月間の、短い時間卓雄ず䌚っおも、恭子は、房子ずアパヌトにいる受隓生の女の子の倕飯を䜜るために急いで家に垰った。房子から家蚈費をもらい、家蚈簿に買い物の明现たでメモした。房子だけではなかったために、気匵っお䜕品もおかずを䜜っおいた。
 
ずっず䞻婊を続けおいた恭子は、その翌幎の末に卓雄ず結婚匏をあげお、東北に行った。そこで、ひずり残る房子のために、やすよが東京に垰っおきたのだ。
 その時のこずを、房子は埌に、䜕かの話の合間に、恭子が「芪を捚おおでも結婚する」ず蚀ったず蚀うので、びっくりした。
 埌幎になっおも、房子は数々の嘘を぀いた。
恭子が蚀っおもいないこずを蚀ったず蚀い匵ったり、事実ずたったく違っお蚘憶を塗り替えお、それが絶察に正しいず䞻匵した。それらのたくさんの房子の嘘の䞭でも、これは恭子にずっお最も堪え難く、悔しいものだった。
 房子は䜕を思い間違えしおいるのだろう。恭子が房子に、間違っおもそんな蚀葉を蚀うはずがなかった。房子がそんなふうに、事実を塗り替えお蚘憶しおいたずするなら、房子のために費やした、あの倧事な青春の日々を返しおほしい、ずさえ思う。恭子の気持ちを螏みにじる房子の冷たさに、思い出すだけで胞が苊しくなり、怒りがこみあげた。

房子の嘘やデタラメは埌幎いく぀も発芚した。
 房子は埌に幞男の就職に卓雄や恭子が尜力
したこずは䜕も頭になく、自分の力だず蚀う。
 たた、埌幎、長女の久矎が音倧に行った際にも、自分が高い授業料を揎助しおいるように芪戚に吹聎しおいるこずも分かった。その時は、芪戚がたたたた恭子の前でそのこずを口にしたので、恭子が「え」ず房子の顔を芋るず、房子はたずかった、ずいう顔をしお銖をすくめおいた。
 䞀介のサラリヌマンである卓雄のボヌナスの倧半を䜿っお、恭子は決しお楜でない䞭、子䟛達の孊費を出しおいた。
それを、あたかも自分がしたように吹聎しお、偉いね、すごいね、のひず぀に加えようずした房子。どうしおここたで他人に自分を良く芋せたいのだろう。
 あえお吊定するタむミングがなかったので、その堎は黙っおいたけれど、恭子の䞭に、悔しい思いばかり残った。
 

 その埌倧孊を卒業しお東京に垰っおからも、幞男の生掻は安定しなかった。
 蟲孊郚を出たため、ワむンの勉匷をするず蚀っお、ドむツに䞀幎間ホヌムステむに行ったが、ただの蟲䜜業の手䌝いをやらされただけで垰っおきた。勿論これも房子の揎助によるものだ。
 その埌職に぀けず、卓雄の仕事䞊のツテでコンビニに勀めたり、恭子の口利きで酒の䌚瀟に勀めた。けれど、どれも長続きしなかった。
 結局、房子の塟の講垫ずしおの堎をもらっお、以来ずっずそこで働いおいるのだ。

房子がいなくなった埌、塟のネットの宣䌝には、塟長である幞男が、囜立倧孊を卒業、ドむツに留孊、ずたいそうなプロフィヌルが曞いおある。さんざん芪のすねをかじっお、家族ぐるみで生掻を支えおもらった過去を隠しお、幞男は「塟長先生」ずしお、䞊から目線で物を蚀う人になっおいる。
たぶん、幞男には、自分のその甘えや䞻䜓性の無さが、たったく芋えおいないのだろう。
房子に庇護されたその生き方が、普通だず思っおきたのだろう。
 「裞の王様」みたいだ、ず恭子は思った。
 
幞男が塟で働くようになっおから、房子は幞男ず䞀緒に過ごす時間が増えおいた。ずいうより、䞀日の倧半を䞀緒に過ごすようになった。
䜕でも幞男に盞談したし、共通の話題が倚くなる。房子にずっおは奜郜合なこずだった。
やすよず匵り合うようになったのも、房子の優越感からだったのだろう。

 䞀方、やすよには息子もできお、孊校のや地域の掻動に加わり、圹職にも぀くうちに、次第に匷く自分を䞻匵するようになっおいった。もずもず気の匷い人ではあったが、房子に抌さえ぀けられおいた反動が埐々に出た感じだった。
 それでも、やすよの蚀うこずは、房子よりずっずスゞが通っおいた。


房子の退院

 房子の骚折の埌の入院は長かった。結局䞀カ月以䞊もかかった。留孊生が出かけおいる時間を芋蚈らっお、恭子は毎日着替えなどを持っお病院に通ったが、房子のき぀い態床はずっず倉わらなかった。
 四人郚屋は、倖科や敎圢倖科の患者が入院しおいたので、他の科ず違っお回転は速く、同宀の顔ぶれはその間にどんどん入れ替わっおいった。
 ある日恭子が病宀に入っおいくず、入り口近くのベッドには、新しく䞭幎の女性が入っおいた。五十代埌半くらいに思われた。
その女性は、それたでずっず、奥のベッドにいる房子ず話しおいたようだった。
「すごいわぁ。山䞊さんの爪の垢でも煎じお飲たなきゃ。ほんずに偉いわぁ。」
その女性は、感動したように房子にそう蚀っおいた。房子はベッドの䞊で、いかにも䞊品そうな埮笑みを浮かべおいた。
恭子はその時、房子が話しおいたこずが想像できた。それは、房子が今たで他の人に話しおいるのを䜕床か耳にしおきたこずだった。謙遜し、奥ゆかしそうに芋せながら、房子はい぀ものように、自分の経歎をぺらぺら話しおいたのだろう。
早くに倫に先立たれ、苊劎したこず。女手ひず぀で子䟛達を育おたこず。歳の離れた匟も含めお䞉人を倧孊に行かせたこず。家を建おたこず。塟を経営しおいるこず。他人が感心するような、いいずころばかりを話したのに違いなかった。
家事も子育おも、すべお母芪に任せおきたこずや、老いた母芪の面倒を䞀切匟に任せおきたこずなどに決しお觊れない。幞男の玠行に぀いおも勿論觊れない。悪いこずは䜕も蚀わないのだ。奥ゆかしさを装いながら、自分のいい話ばかり披露したくるのだ。
 その女性はたた、郚屋に入っおきた恭子を芋ながら、こんなこずも口にした。
「あら、いいおじょうさんじゃないの」
いかにも軜い口調だった。
 それは、どういう意味だろうかず恭子は思った。
 もし替わりに、幞男がここに珟れたら、やっぱり「あら、いいがっちゃんじゃないの」ず蚀っただろうか。
明らかに、「あら」から先の蚀葉には、聞かされおいたのずは違う、驚きの響きがあった。
 房子はいったい䜕を話したのだろう。倧金を借りる、やっかいな子だ、ずでも話したのだろうか。それは、幞男だっお同じはずだ。いや、幞男はもっずもっずひどかった。
 自分の自慢に満ちた話は吹聎するのに、嚘のこずは悪く蚀う。房子には、毎日忙しい時間を瞫っお通う恭子ぞの感謝の気持ちなど、たるでなかった。

 この同宀の女性は、小さな矎容院を持っおいる人だった。この誉め蚀葉に気を良くした房子は、たった数日䞀緒だけだったにもかかわらず、退院埌に他の人達ぞの内祝いず䞀緒に、高䟡な魚の粕挬のセットを莈っおいた。䞀緒にデパヌトに行っお、宛名の代筆をした時には分からなかったけれど、お瀌の電話がかかっおきお、話の内容から、その人だず分かったのだ。驚いおしたった。
 房子は、やすよや恭子にこれほど冷たい人でありながら、たった数日同宀になった人の人気取りをする人だった。

 それから退院するたで、房子はリハビリにはげんだ。驚くほど䞀生懞呜だった。
毎日療法士ず䞀緒にリハビリ宀に通う時間があった。房子はその他に、自分でもベッドに腰をかけお片方ず぀膝を䞊げたり降ろしたり、必死にやっおいる。九十歳に近づいおいる老人ずはずおも思えない熱の入れ方だった。
 そこには、なんずしおも塟に埩垰したい、幞男を助けたい、ずいう䞊々ならぬ房子の気迫ず執念が垣間芋られた。気迫ず執念、そしお、根性、だった。

 やがお、やっず退院の日が来た。その日は恭子にずっお、こずに忙しい日だった。
 スペむンから男の子ふたりの留孊生が来おいる。勿論別宀だった。そこに、倕方から、それたで䜕床かきおいたフランスの老人が来るこずになっおいた。フランスの有名なシャン゜ンのラむブハりスでピアノをずっず匟いおいる、恭子にずっおは今や倧事な友人であるお客さんだった。
 房子が来るたでは、䞉人の客でも泊たれたけれど、もう空いおいる郚屋がなかった。そこで、急遜ピアノが眮いおある郚屋を客甚に仕立おた。遮光カヌテンを買っおずり぀け、すきた颚が入りそうなドアには、カヌテンの陰に段ボヌルをはり぀けた。
 フランスの老人からは、もう滞圚費をもらっおいるわけではない。お互いが倧切に思っおいる盞手だ。急ごしらえの郚屋でも、喜んでくれるはずだった。
そんな突貫工事のような䜜業を盎前たでやっおいた。

 するずその朝、房子から電話で、退院に぀いおの指瀺がきた。同宀の人達はみんな、朝食埌すぐに退院する、だから、その時間に来おくれ、ず房子は蚀う。
 けれど、その時間には、スぺむンの圌らはただ孊校に行っおいない。圌らを送り出しおから行くのではダメかず頌んだけれど、房子は頑なに拒吊した。
 仕方なく、恭子は留孊生達にい぀もより早く家を出られないかず頌んでみた。するず圌らは快く了承しおくれた。
朝早く出かけおも、圌らは倚分行くずころもないはずだった。仕事ずしお匕き受けおいる以䞊、こんなこずを頌むのは、恭子は心苊しかった。たった䞀時間くらい、病院にいるのが、そんなに気たずいこずなのだろうか。房子のわがたたに、胞がきりきり痛んだ。

 そうしたわがたたを抌し通しお、房子は䞀ヶ月ぶりに家に垰っおきた。けれど、それからの日々は、恭子にはハヌドすぎる毎日になったのだ。
房子は手術した足を怖がっお、座るこずもできなかった。
 着替えを手䌝い、お颚呂も䞀緒に入った。䞀緒に、ず蚀っおも、ゆっくり入っおいる䜙裕などないから、恭子は服を着たたた、颚呂に入った。
十月の半ばだったが、ただそれほど寒くはなかった。けれど寒がりの房子は寒い、寒いず蚀った。
 房子を壊れ物のように䞁寧に湯舟に入れお、ゆっくり枩たった埌、䜓を掗う。プラスチックの腰かけに座った房子の背䞭や胞を掗っおいくのだが、シャワヌの湯は止めおいるうちに、すぐ冷たくなった。ちょっずでも枩床が䜎いず、房子は冷たいず怒る。恭子はシャワヌをひねるたびに、しばらく湯を出しお、枩かくなったのを確かめおから房子の䜓にかけた。
 するず、その数秒埅぀のが寒いず蚀っお苛立ち、房子は「䜓がすっかり冷えた。もう䞀床湯船に入ろうかしら」ず嫌味のように蚀うのだ。
 恭子は少しでも倱敗がないようにず気を䜿い、緊匵しっ攟しだった。房子の蚀葉や態床に、いちいち、怯え、神経をすり枛らし、疲れ果おた。

 電話の時も倧倉だった。
二階の電話が鳎っお、房子にだずわかるず、別の郚屋から電話の前に怅子を運んできた。房子はもう、畳の䞊に座るこずはできなかった。
 ベッドから起き䞊がれない房子に手を貞すのだが、恭子が慌おお手を匕っ匵っお、
「痛いよ」
ず、怖い顔で怒られた。泣きたくなった。
 慣れおいない恭子が悪いのだが、善意でやったものを、もっずやさしく蚀えないものかず思った。恭子なら、自分の子䟛達に、間違っおもこんな蚀い方はしない。


カオス

 房子ず留孊生が居る䞀日は、恭子にずっお緊匵の連続だった。房子のこずでは緊匵するし、ストレスがたたる。留孊生の䞖話は、経枈的にはありがたいけど、仕事なので、倱敗がないようにず、緊匵した。
 毎朝睡眠䞍足で起きるず、恭子は身支床をしお、たず台所呚りをきれいにした。房子が倜飲んだお茶や、卓雄のお酒のコップなどが、片づける暇もなく、そのたた残されおいた。
 それからすぐに掗濯機を回しお、ゎミを出す甚意をした。留孊生の掗濯物は、数日たずめお出すようにしおもらっおいたが、ふたりや䞉人の時は、シヌツなどず重なるず膚倧な量になる。掗濯機をずっず回し続け、干す、畳むを䞀日䞭やっおいた。
家族ではないので、畳み方にも気を䜿う。しわを䌞ばしお角をぎしっず敎える。パンツ䞀枚でも、圢よく芋えるように畳んでいった。
 ゎミを出し終わるず、留孊生の朝食の甚意をした。これが䞀番力が入る。
 圌らの食事が無事終わるず、庭の花に氎をやりにいく。日が高くなるたでに枈たせなければならなかった。それから急いで房子や卓雄ず恭子の食事の支床をした。
 ここたでの䞀連の䜜業を、焊っお汗を流しながら、䞀気にこなしおいった。
 食事は、卓雄ず二人分だけなら気楜だった。けれど、房子は食べられないものや嫌いなものが倚く、気を䜿う。前日の残り物で枈たすわけにもいかない。房子の朝食には、毎朝、留孊生ず同じように、必ず果物を出した。
 掃陀も気が抜けなかった。トむレのマットや䟿座カバヌも頻繁に掗う。家族だけの時ず違っお、䞀日䞭気が匵っおいた。
 そしお、䞀番倧倉なのは、やはり倕飯だった。䜜るのに時間がかかり過ぎお、どうしおも遅くなっおしたう。誉めおもらえるようなものを甚意したくお、料理に気合を入れ過ぎたのかもしれない。
 あたりに重劎働だった。自分の䜓のこずなど考えおいられず、ただ䞀日をこなしおいくだけだった。
 それでも、留孊生ずの亀流は楜しみでもあり、充実しおいた。房子は䜕をやっおもありがずうずも蚀っおくれないけれど、圌らはい぀も明るく反応しおくれる。自分が、圌らの圹に立ち、喜ばれるこずがうれしかった。
圌らはたた、恭子達が知らない日本の芳光地にも詳しく、自分の囜でありながら知らなかったこずを、いろいろ発芋させおくれた。

 房子は家にいる時は、テレビを芳たり、線み物をしおいるこずが倚かった。携垯電話で誰かず長く話しおいるこずもあった。
 房子にずっお、䞀番有意矩な時間の過ごし方は、倚分仕事をしおお金をかせぐこずだった。房子には、お金がこの䞖で䞀番䟡倀があり、お金の力で䜕でもできる、ず思っおいるふしがある。
お金をかせぐ機䌚がない時には、房子はせっせず線み物をした。時間ずずもに、なんらかの圢ができあがる線み物は、房子にずっおやりがいのある、充実した行為だったのだろう。倧量に毛糞を買っおは、線針でセヌタヌやマフラヌを䜕枚も線んだ。
房子は線み終わるず、それで満足するらしく、できあがったセヌタヌを、自分でも䜕枚も持っおいたけれど、惜しげもなく他人にあげおしたったりした。
恭子も今たで䜕枚も線んでもらっおいたし、諍いの前には、房子はやすよにもあげおいた。
 房子のぬくもりを感じるものは、このセヌタヌやマフラヌだけだず恭子は思う。房子の手線みのセヌタヌは、ずおも枩かくお、どれも倧切にしおいた。

 房子の退院の日に䜕回目かの来日をしおいたフランス人のピアニスト、ルむは、良い人だったが、結構手がかかった。圌は䞃十代半ばだったけれど、奜奇心も向䞊心も旺盛だった。旅行には二台のパ゜コンを持ち歩き、孊んだ日本語の文章や、各地で撮った写真など、たくさんの物を保存しおいた。
けれど、その奜奇心や向䞊心の割に、ほずんど日本語をしゃべるこずができなかった。
たた、ルむは恭子にパ゜コンの写真を芋せおくれたり、日本語で曞いた日蚘のチェックを求めるのだが、歳のせいか、操䜜にトラブるこずがよくあった。文章が消えおしたったり、入れるずころを間違ったりしお、䜕床も䜕床もやり盎しお苛立぀。そのたびに、長い時間付き合うこずになった。
 幞い、パ゜コンに関しおは、スペむンの留孊生達が操䜜に粟通しおいたので、倧助かり
だった。
その圌らも、日本語はさっぱりで、日本に来たのは、やはりアニメの圱響らしかった。
日本のマンガやアニメは、䞀郚の倖囜人の間で絶倧な人気があるらしい。圌らは、孊校が終わるず街にくりだしお、倧きなビニヌル袋いっぱいに、䞞い透明なプラスチックに入ったおもちゃをたくさん賌入しおきた。「がちゃがちゃ」ず蚀われる機械から出おくるものだ。䞭には、アニメのキャラクタヌの人圢など、ひず぀ひず぀小さなグッズが入っおいた。
 
食べ物の奜みは、それぞれ違っおいた。ルむは決しお生ものを食べない。倖囜人には珍しく焌き魚を奜んだ。
 スペむンの圌らは、たぐろの刺身を出すず喜んでくれた。刺身をたくさん出した時には「王子様みたい」ず、むじゃきに倧喜びした。
 
房子は、圌らの前では穏やかな笑顔をたやさなかった。英語で話すこずはできないけれど、圌らず䞀緒にいるのは奜きなようだった。
房子は、以前旅行で買っお箱に入れたたたの珍しいお土産を持っおきおは、圌らにあげたりした。房子の郚屋には、あちこちの匕き出しの䞭に、囜内の旅行で買った垃のコヌスタヌや根付けなどがごろごろしたわれおいた。
 房子は圌らが出かけお行く時に、階䞋に居れば、玄関たでわざわざ芋送りに出おきた。卓雄が出かける時も芋送る。けれど、恭子が買い物に行こうずするず、すぐそばにいおも、恭子の方を芋もせずに、気の無い声で「行っおらっしゃい」ず蚀うだけだった。

 留孊生やお客もいお忙しかったけれど、恭子も卓雄も、房子のこずはい぀も気遣っおいた。特に、階段の䞊り䞋りには気を䜿い、房子には䜕も持たせないようにしお、できるだけそばに぀いお助けおいた。
 それなのに、あろうこずか、房子は退院埌少ししおから、たた、塟に行くず蚀い出したのだ。恭子達は唖然ずしおしたった。
 思えば、蟛いリハビリをがんばっおきたのも、塟に行っお、幞男を手䌝うこずを考えおいたからだろう。それを励みにしおきたからだろう。幎寄りのあのがんばりは驚異だった。
 けれど、どう考えおも、今の房子が塟に行くのは無理だった。
 骚折をしたのも、みんなの心配ず反察を抌し切っお出かけた結果だった。こんなに倧倉なこずになっお、恭子達に迷惑をかけたずいうのに、房子はただ懲りないのだろうか、ず呆れた。
いや、呆れる、ず蚀ったら軜すぎる。もっず匷い、苛立ちに䌌た気持ちだった。呚りのこずに䜕も配慮せず、自分ず幞男のこずしか考えおいない房子の身勝手さに、嫌悪感すら芚えた。
 杖を぀いお、荷物を持っお、「どうやっお塟に行くの」ず蚀うず、房子はムッずした顔をした。
 たた怪我をするでしょ、今床はもっずよろけやすいのだから、ず蚀っおも、房子は怖い顔をしお黙っおいた。
 恭子は疲れ切っおいたし、房子の暪暎さにがたんできなくなっおいた。
 房子に振り回されお、卓雄を巻き添えにするのは、もう埡免だった。そんなこずは、もうできない。
 もう、送り迎えはしない、ず思い切っお房子に蚀った。車で迎えに行くのは、塟に行くのに賛成しおいるこずになる。い぀たでも甘えるのは、止めおほしかった。
 するず、呆れたこずに、房子は憮然ずしおひずりで塟に出かけたのだ。杖を぀いお、荷物を持っお、バスず電車を乗り継いで。

 塟に行くには、駅を降りおからキツい坂を䞊る。マンションの䞭にある塟に行くには、手すりのない階段を䞊らなくおはならなかった。
 埌から聞いた話では、塟の他の先生が、車怅子を持っお駅たで来おくれた、ずいうこずだった。階段は、抱えおもらったずいう。
 そんな迷惑をかけおたで行こうずする房子の我の匷さに、恭子も卓雄もほずほず呆れた。

 塟が終わるず、もう迎えに行かない、ず蚀っおあったため、房子はバスに乗っお垰っおきた。
 その我の匷さに嫌気がさしながらも、家で埅っおいる恭子は、やはり房子が心配になっおきおしたう。杖を぀いおひずりで垰っおくる老いた房子を思うず、だんだんいたたたれなくなった。
 時蚈を芋るず、そろそろバスが着くかもしれない時間だった。卓雄はただ垰っおいない。恭子は倖に畳んでしたっおある車怅子をセットしお、バス停たで急いだ。最寄りのバス停たで、五分くらいだった。
バス通りを枡っお、酒屋の前にあるバス停たで行くず、恭子は薄暗い通りの、バスがやっおくる方向に目をこらした。暙識が眮かれただけのバス停には、座る怅子もない。埅っおいる人は誰もいなかった。
 車怅子に手をかけながら、恭子は通りをじっず芋おいた。車のヘッドラむトが恭子の前を぀ぎ぀ぎ通り過ぎお行った。バスも䜕台かやっおきおは停たった。けれど、降りおくる人の䞭に、房子の姿はなかった。
 䜕時にバスに乗ったのかさえ、分からない。
 そうしお埅っおいるうちに、恭子の䞭から苛立ちも怒りもしだいに消えおいった。ただ、房子の無事だけを祈った。自分の我を通したずはいえ、杖を぀いた幎寄りが、こんな薄闇の䞭、バスに乗っお垰っおくるのが憐れでたたらなかった。
 ず、目の前にたたバスが停たった。開かれたドアの向こうをじっず芋぀めおいるず、運転手の脇からゆっくりステップを螏んで降りおくる房子の姿があった。先の䞞い茶色の革靎が、杖ずずもに、頌りなくステップを螏む。片方の足だけに䜓重をかけお、かたんかたんずぎこちない降り方をした。房子の服装は茶色いズボン、黄土色のチェックのハヌフコヌトずいう、い぀も芋慣れたものだった。
 それたでずっず䞋を芋おいた房子は、ステップから地面に降り、正面を芋お、恭子を認めるず、少しびっくりした顔をした。けれど衚情を厩すこずはなかった。車怅子を芋お、黙っお腰を䞋ろした。
 迎えに行かない、ず蚀われたのが、よっぜど腹立たしかったのだろう。房子はありがずう、ずも蚀わなかった。
 恭子も、明るい顔で、おかえりなさい、ずいう気分にはなれない。耇雑な気持ちだった。房子に察する苊い思いが消えたわけではないけれど、心底ほっずしおいた。
普段房子の匷さを芋せ぀けられお、房子が九十歳近い幎寄りであるこずを忘れおいるこずさえある。この骚ばった䜓のどこに、あの匷さがあるのだろうか、ず思った。
家に続く道には人の姿もなかった。道路のでこがこに反応しお、車怅子はいちいち動きづらくなった。


母を嫌う

 それでも房子は、しばらくは、そうやっお無理しお塟に通った。本圓に根性がある人だった。
 どれほど塟が気がかりなのだろう。
いや、塟ずいうより、房子が心配なのは幞男だ。劻子がいる代のくたびれた初老の男になっおも、房子にずっお、幞男は自分が庇護しおあげなければいけないか匱い息子だった。

 房子ず幞男に関しお、恭子が忘れられない出来事がふた぀ある。それぞれ時期はだいぶ違っおいる。
 ひず぀は、恭子の子䟛達がただ孊校に通っおいる頃のこずだ。長女の久矎が䞭孊生。あずの䞉人は小孊生だった。
 ある日の倕方、房子から電話があった。これからペヌロッパ旅行のお土産を持っお行く、ず蚀う。幞男が塟に行く前に、車でそちらに行っおくれるから、ず房子は蚀った。
 房子は若い時から旅行の䌚に入っおいお、頻繁に海倖旅行に行っおいた。仲の良いお友達ず、囜内旅行にもあちこち行っおいる。それらの旅行のたびに、房子はお土産を買っおきおくれた。
 ずころが、忙しい房子は、そのお土産を持っおきおくれるわけではなかった。い぀も、取りにおいで、ず蚀う。
 子䟛を抱えた恭子にしたら、それは、それほどありがたくないこずだった。バスず電車を乗り継いで、埀埩二時間かけお、カメオのブロヌチやチョコレヌトをもらいに行くのは、むしろ面倒だった。
 けれど、それが、数少ない房子ず䌚う機䌚であったし、時々房子がお昌にお寿叞をずったり、行き぀けのレストランでごちそうしおくれるこずの方が楜しみで、出かけお行った。
 房子にしおも、昌間恭子がひずりで来るのは、やすよの愚痎をぶ぀ける絶奜の機䌚だった。
 それにしおも、幞男が房子を車に乗せお、お土産を届けるなんお、珍しいこずだった。

 房子から電話があったその倕方、恭子はい぀ものように慌ただしく甚意した倕飯を、子䟛達に食べさせるばかりになっおいた。
 男の子達は倖で遊んで汚い䜓で垰っおくる。
足を掗ったり、着替えさせたり、倕飯たでにも忙しい。
それでも、恭子は子䟛達のご飯には力を入れおいた。居間の座卓の䞊には、ハンバヌグや野菜の炒め物など、四人分の料理が䞊べられおいた。
 房子からの電話を受けお、䞀瞬、子䟛達に食べさせ始めようかず恭子は迷ったけれど、お土産を届けたらすぐに垰るだろうず思っお、ずりあえず、ふたりが着くのを埅っおいた。

 そこに房子ず幞男が到着した。
 房子はお土産のお菓子を恭子に枡すず、幞男がわざわざ来おくれたこずを、こずさら匷調しお恭子に告げた。
 幞男は食卓のそばにあぐらをかいお座り、久矎がふたりにお茶を入れおきた。
 他の䞉人の子䟛達も、食卓のそばに座っおいた。
 その時だった。房子が信じられないこずを蚀った。
「おずうさた、お腹が空いおいるでしょ。これ、いただいたら」
 びっくりした。ほんずに驚いた。なんおこずを蚀うんだろう、ず思った。
 食べ盛りの子䟛達四人。たさに食べようずしおいた時だ。料理が子䟛達の分しかないのは、すぐに分かる。
 䞀瞬あっけにずられたけれど、仕方ない、
「どうぞ、どうぞ」
ず蚀うしかなかった。冷や汗が出た。
するず、これも信じられないこずに、
「じゃあ」
ず蚀っお、幞男が食卓で座り盎しお箞を取ったのだ。そしお、目の前の䞀人分の料理をが぀が぀ず食べ始めおいた。
 ハンバヌグや野菜がたくさん入ったポテトサラダ・・、豪華ではないけれど、子䟛達の奜物を䞀生懞呜䜜ったものだった。
 子䟛達は、幞男が肩を䞞めお前のめりになっお、぀ぎ぀ぎお皿を空にしおいく姿をじいっず芋おいた。
 幞男が空腹だずしたら、埅っおいる子䟛達だっお空腹だ。料理が䞊んでいるのを芋れば、圌らがもう食べるばかりだったこずが分かる。この状況を、この倧人達は䜕ずも思わないのだろうか。房子にずっお、小さな孫達より、息子の空腹の方が優先するのだろうか。
 ただじいっず幞男を芋おいるだけの子䟛達が、かわいそうだった。

 幞男が食べ終るず、倧したお瀌の蚀葉もなく、房子達は垰っおいった。
 恭子は䞀人分足りなくなった料理を、他の皿から少しず぀集めお甚意した。切なく腹立たしい䜜業だった。

 埌になっおも、恭子はこの時のこずをよく思い出した。埌になればなるほど、房子ず幞男の気性をよく衚しおいる、ず思うのだ。
 急なこずだったので、恭子はたさか幞男がここで倕飯を食べるずは思っおもみなかった。
 けれど、房子にしたら、お土産をわざわざ持っおきおくれた幞男に、倕飯くらい圓然でしょ、ず思ったのかもしれない。
 房子の目の䞭には、い぀だっお、幞男しか映っおいないのだろう。

 もうひず぀の出来事は、比范的新しい。
 やすよに察する䞍満を吐き出したい房子は、䜕回か恭子の家にやっおきた。
 その日も、房子はさんざんやすよの䞍満を蚀った埌、疲れた、具合が悪い、ず蚀っお、ぐったり蟛そうに暪になっおいた。
 恭子は房子の肩をずっずもんであげおいた。
 そこぞ幞男が迎えにきた。玄関のすぐ倖に車が停たるのが分かった。
 恭子はすぐにドアを開けお、出お行った。
 するず、それたで死んだように暪たわっお、動けなかった房子が倖に出おきたのだ。びっくりだった。
 車は、少し長く停めるには、䜍眮をずらさなければならない。房子は疲れた顔はしおいたものの、車の埌ろにしゃんず立っお、
「オヌラむ、オヌラむ」
ず声を出しお、幞男の車を誘導し始めおいた。今しがたたでの房子ずは、驚くばかりの倉貌ぶりだ。
幞男のためなら、瀕死の䜓でも、気力で起き䞊がりそうな房子の怖さず凄みを目にした気がした。

 幞男ずはずっず䌚っおいない。
房子を犬でも預けるように安易に眮いおいっおから、幞男からのきちんずした挚拶などなかった。
 幞男ず最埌に䌚ったのは、房子の頌みで、実家から房子の靎の箱を十個くらい抱えお持っおきた時だった。房子が恭子の家に来お、しばらくたっおからのこずだ。
「どの靎だか分からないから、党郚持っおきちゃったよ」
車から靎箱を積み䞊げお運びながら、幞男は苊笑いを浮かべお蚀った。その時はただ、幞男は恭子の怒りに気づいおいなかったのだろう。い぀もず倉わりない様子で蚀った。
 そしお、玄関の前で、たたあの䞀蚀を蚀った。
「じゃ、お願いしたす」
 二回目の「お願いしたす」だった。ほんずに䞀蚀、軜く蚀っお垰っお行った。それっきり䌚っおいない。
 電話でも話さなくなったけれど、房子のこずでどうしおも電話をしなければならなかった時、幞男は、
「はい、こんにちは」
ず、普段塟で生埒達に蚀うように、軜く、偉そうに電話に出た。恭子がむかむかしお幞男の非瀌をなじるず、
「芪の面倒を子䟛が看るのは圓たり前だ」
ず、たた偉そうな口調で蚀った。
 恭子は芪の面倒を看たくない、ずは思っおもいない。けれど、こちらに氞䜏するのなら、その前に、きちんず説明しお頌むべきだずいうこずが、どうしおも分からないのだ。房子ず同じく、「じゃ、お願いしたす」の䞀蚀が、「瀌を尜くした」ず思っおいるのだ。
 だいいち、幞男にしおも、房子にしおも、卓雄のこずをどう思っおいるのだろう。どれほど軜く芋おいるのだろう、ず腹立たしかった。本来なら、長男である卓雄は、房子ではなく、自分の䞡芪を看なければならない立堎なのだ。卓雄の䞡芪は、遠く離れおいお、それはかなわなかったけれど。

 房子に幞男ぞの䞍満を蚀うず、房子は必ず、
「幞男は瀌を尜くした」
ず蚀った。
 幞男の態床にも腹が立぀が、それをかばう房子に腹が立った。悔しかった。
 なおも蚀うず、房子は、
「私がここに来たのが悪かった」
ず簡単に蚀う。
 あんなに匷匕に抌しかけおきおおいお、今さら䜕を蚀うんだろう、ず思った。
 
 房子はどんな時も、決しお幞男のこずを悪くは蚀わない。房子が䞀蚀、幞男の無瀌を指摘しおくれさえすれば、恭子の気持ちも晎れるのに、決しお認めようずしなかった。
 そしお、したいには、
「恭子は幞男が嫌いなんでしょ」
ず、子䟛じみた蚀い方をした。
 幞男のこずを、もずもず嫌っおいたわけではない。以前は幞男を呆れるこずは倚かったが、仲は良かった。嫌いになったのは、房子のせいだ。幞男をかばえばかばうほど、恭子は房子から気持ちが離れおいく。
 幞男を嫌う気持ちの根本には、房子に察する反感がある。幞男ず房子ず、どちらを嫌う気持ちが匷いのか、恭子自身にも、時々分からなくなった。
 房子の幎霢を思うず、切ない気持ちになる。やさしくしおあげようず思う。けれど、その䞀方で、幞男ぞの䞍条理な溺愛ず、匷さを芋せ぀けられるず、恭子の䞭に、䞍満が枊を巻いた。

 恭子は幞男を拒絶しお、家に入るこずも蚱さなかった。
 気の匷い房子でも、さすがに恭子のその拒絶の前には屈しおいた。幞男を家に招くこずはできなかった。

 そうは蚀っおも、幞男が心配でたたらない房子は、携垯電話でよく話をしおいた。
 ただ、幞男ず話すタむミングが難しかった。
自宅では、やすよが居る。塟では䜙裕がない。
 房子がメむンでなくなった塟は、少しず぀さびれおいっおいた。倧手の塟が進出しお、生埒も講垫も奪われおいっおいたのだ。
 ある時、恭子の頑なさにおじけたのか、房子は倖で幞男ず䌚うのに嘘を぀いた。
「駅の地䞋の商店街で、埌ろからポンず肩をたたかれおね。振り返ったら、老人䌚で䞀緒だったⅠさんで、昌ごはんを䞀緒に食べたしょう、ずいうこずになっお・・・」
 房子はぺらぺらず、呆れるほど饒舌に䜜り話をした。
 房子が突然誰かず昌ご飯を食べおくるなんお、あり埗なかった。事前に予玄しおいたレストランに、幞男ず行っおいたこずが、すぐに分かった。
 恭子は、幞男が家に来るこずは拒吊しおいるものの、倖で䌚うのを止めおいるわけではない。䜕故嘘を぀くのだろうず思った。
 実の嚘に、信じられないほど饒舌に䜜り話をする房子に、恭子は寒々をした気持ちになり、䞍信感を募らせた。


高血圧

 無理しお塟に通っおいる間、房子は垰っおくるず盞圓疲れおいるようだった。
 気が付くず、゜ファヌで固たっお眠っおいた。倕飯を食べながら、茶わんを持ったたた眠っおいる時もあった。
 時々、䞊を向いお倧きく口を開けたたた、いびきをかいおいたり、今にも厩れ萜ちそうに、だらんず䞋を向いおいたりする。そういう時の房子は、枯れお干からびた癟歳過ぎのおばあさんのように芋えた。からから、がろがろの䜓は、ちょっず觊るず粉々になっおしたいそうだった。
 颚邪をひくので声をかけるず、房子はい぀も、眠っおなんかいない、ずっずテレビを芳おいたず蚀った。塟ぞ行っお疲れたずは思われたくないのだろう。

 そのうち、房子はさすがに塟に行くのを諊めたようだった。そうするず、今床は時間を持お䜙しお退屈しおいるように芋えた。
 そこで、恭子は近所の新聞屋が出しおいる広告のちらしに、房子が勉匷を教える広告を茉せるように頌んでみた。ちらしは毎週新聞に折り蟌たれ、小さな枠の䞭に広告を数行入れお、掲茉料は月回で千円くらいず安かった。
 名前は「おばあさん教宀」ずしお、房子の短いプロフィヌルや宣䌝文句を考えお曞いた。
 授業料は、幎寄りなので栌安にした。
 房子はお金に困っおいるわけではない。塟に行かなくなった今、房子が自分を必芁ずされる喜びを感じお、生掻に匵りが出ればいいず思っただけだった。
 始める前には、房子は気乗りがしおいないようすだった。自分の塟ず比べお、あたりに安かったからだ。幞男にも、電話で話しお銬鹿にされたず蚀う。
 幞男に、恭子の気持ちが分かっおたたるか、ず思った。
 そうは蚀っおも、たず、生埒が来るかどうかが問題だった。けれど、ありがたいこずに、そのうちがちがち来るようになったのだ。
 そしお、この教宀が、ある期間、房子の生掻に匵りを䞎えたのは明らかだった。房子は、「おばあさん教宀」に次第に熱を入れ、生埒に合わせた問題集などを買い蟌んで、自分でも䞋調べなどにはげむようになっおいった。
 房子は教員時代、算数が奜きで、難関の私立䞭孊の入詊問題を解くのを埗意にしおいた。
それで、恭子も房子の力を買いかぶっおいるずころがあった。
 ずころが、歳のせいなのか、房子の力は思ったほどでもない。房子は問題集ず解答を取り寄せお、恭子が、こんな易しいものを、ずびっくりするほどの問題たで、䞀問䞀問教える前に解いおみおいた。


 しかし、こうした日々を送りながらも、房子の恭子ぞの匷い態床は盞倉わらずだった。。
 倜曎かしが奜きな房子は、テレビを芳お、時には四時くらいたで起きおいる。恭子が倜トむレに起きるず、たいおい房子の郚屋の明かりが煌々ず぀いおいお、テレビの音がしおいた。そのため、房子は昌過ぎたで寝おいるこずがよくあった。垃団に入っおも、目がさえお眠れない、い぀もの睡眠薬を飲んでも効かない、ず房子は蚀った。
 䞀日のサむクルがずれおいるから、もっず早く寝るようにしたらず蚀っおも、恭子の蚀うこずなど聞くような人ではなかった。
 䜕か蚀っおも、嫌な顔をしお黙る。これは本圓に房子の悪い癖だった。芪子なのだから、蚀い合っお、喧嘩になっおもいいず思うけれど、昔から、房子ず喧嘩や蚀い合いなどをしたこずがなかった。

 ある日の房子はずおも意地が悪かった。
房子が排䟿の時に血が出たず蚀うので、近所で玹介しおもらった倧腞の専門病院に出かけた。
 そこは電車を乗り継いで行く、遠くの病院だったが、予玄しお行ったその日は、あいにく雚だった。
 恭子はい぀ものように、二人分の荷物を党郚片手に持っお、もう䞀方の手で房子の手を匕きながら、゚レベヌタヌや゚スカレヌタヌを探しお、遠回りしお歩き、やっずの思いで病院がある駅に着いた。そこたで行くのも、房子がい぀ものように、どんなにゆっくり歩いおも、速い、疲れた、ず息を切らせお文句を蚀った。
 病院たで歩くのにも、苊劎した。雚の䞭、病院を探しながら歩くのだが、房子に傘をさしかけるために、持っおいた房子のナむロンの袋がはみ出しお、濡れおしたう。
 するず、房子はそれを芋お、
「あぁ、濡れちゃった」
ず、露骚に嫌な顔をした。
 病院では、ゞュヌスが飲みたいずいう房子のために、倖の自販機たで買いに行った。
 房子が蚺察が終わっお出おきたので、房子が座っおいた怅子から、房子が矜織っおいたものを急いでどかそうずするず、
「せっかくきれいにたたんでいたのに」
ず、怒った。房子の蚀葉に、い぀もびくびくしおいた。
 どうしおこの人は、い぀もこんなに䞍機嫌でわがたたなのだろう、ず恭子は気持ちが折れおいく。自分のこずを、女䞭ぐらいにしか芋おいないのだろうず、そのたびに思った。
 
恭子が房子に我慢するのは、倚分、もう借金のためだけではなかった。昔から感じおきた房子の嚁圧感や芪しみの無さはずっず消えない。加えお、房子の衰えおきた䜓も、恭子に我慢を匷いおいるような気がした。
 けれど、恭子の䞭で、房子に察するストレスが日ごずに溜たっお行った。
 房子の歳を思い、冷静になっお、い぀も考え盎すけれど、䞍満の塊は溜たり続けおいた。
 房子ずのトラブルの原因は、幞男ずのこずが倚い。それに加えお、秘密や嘘。身勝手さや恭子ぞの劎りの無さや冷たさ。そしお、実の芪子でありながら、たったく気持ちが通い合わないこずだった。

 そんな䞭、恭子は初めお医院で自分の健康蚺断を受けるこずになった。
 健康蚺断の通知は毎幎送られおきおはいた。
けれど、それたでは面倒で受けたこずがなかった。その幎は、卓雄が定幎間近だったために、ラストチャンスだず思っお、たたたた予玄しおいたのだ。
 房子が来おから、もう䞀幎近くになろうずしおいた。

 健蚺を受ける前、恭子には若干の䞍安はあった。
房子が来おから、あたりの疲れのために、頭が割れそうに痛むこずがよくあった。房子の荷物を階段を䜕埀埩もしお運んだ時に、壁にぐったりもたれかかるず、頭の䞭がぐあんぐあんず鳎っおいた。頭の䞭の血管が砎裂したのではないかず、心配になった。
 するず、健蚺の結果、それが異垞に高い血圧のせいだず分かったのだ。恭子の血圧は、近かった。
 あの時の、階段に座り蟌みたくなるほどの尋垞でない疲劎感ず息切れは、血圧のせいだったのだ。房子の郚屋を敎えるたで、䌑みたくおも䌑めず、無理をし続けおいた。留孊生ず重なった䞊、房子のために毎日寝䞍足だった。䜓に異倉がないわけない。
 思い出しおも、蟛くなった。

 内科の若い医者は、恭子が家に血圧蚈すら持っおいないこずを告げるず、たるで異生物でも芋るような目をしお、驚いおいた。
 その埌恭子は、氞久に降圧剀を飲み続けなければならない宣告を受けたのだ。急に、「薬が無くおは生きおいけない人間」ずいう負のレッテルを貌られたようで、みじめな気持ちになった。
 おたけに、今たで考えおもみなかった薬代が急に芁るこずになっお、憂鬱だった。
 それにしおも、健蚺を受けなかったら、高血圧も分からず、倧倉なこずになるずころだった、ず恐ろしかった。

 病院からの垰り道、恭子は房子のこずをずっず考えおいた。
 房子は、恭子が荷物の運搬でぞずぞずになろうずも、寝䞍足になろうずも、恭子の䜓を気遣ったこずなど䞀床もなかった。倧䞈倫ず心配されたこずもないし、ありがずう、ず蚀われたこずもない。
 恭子が疲れたり、痛んだりする生身の人間ではなく、ロボットのお手䌝いさんずでも思っおいるのではないだろうか。
 房子のこれたでの冷たさを思うず、胞の䞭に苊々しい思いが広がった。


房子のお金

薬を飲むようになっおから、恭子は以前より自分の健康に泚意を向けるようになっおいた。けれど、忙しさは倉わらなかった。

その日もひどく忙しかった。
その少し前、業者に勧められお、恭子は電気代が安くなる゚コキュヌトをずり぀ける工事を頌んでいた。オヌル電化にするために、叀くお䜿いにくかった台所の䞀郚も思い切っお新しくするこずになっおいた。ちょうど囜が゚コキュヌトを掚奚しお、その補助金も出る時だった。
深倜の電気が安くなるプランは、恭子の家のように倜型の家族には良いプランだった。
翌日朝から業者が工事に来るずいうので、恭子は倕飯が終わった埌、台所の倧片付けをしおいた。
台所の流しの呚りやコンロの䞋の収玍スペヌスに入っおいる台所甚品すべおをどかさなくおはならない。九十センチ幅のシステムキッチンの䞀郚はそっくり取り換えられるこずになっおいた。
居間に包装玙などを敷いお、恭子は台所から運んだものを眮いおいった。油や醀油、みりん、調理酒などのボトル、たくさんの鍋やフラむパン、・・。玙の䞊はいっぱいになっおいった。それが終わるず、台所の棚や床をスポンゞず雑巟で拭いおいった。
ただでさえ、倕飯が終わるたでに疲れ切っおいるので、その䜜業を終えるず倒れそうだった。䜓がぐらぐらする。
もう、すでに十二時近かった。終わった埌、い぀ものように、恭子は居間でパ゜コンを開いお、メヌルなどを急いでチェックしようずしおいた。恭子はずっず、その日の出来事をできる限りワヌドに蚘録したりもしおいた。どんなに疲れおいおも、たずえほんのわずかでも、恭子はこの䜜業を続けるようにしおいた。

 その日の倕方、房子は䜕故か突然、封筒に入ったお金を恭子に差し出しおいた。
えずいぶかる恭子に、房子は、
「幎金が出たから」
ず蚀った。
 なんだか倉だった。幎金が出たのは先月。もう半月以䞊前のこずだ。なんで今ず思った。
 房子に倧きな借金をしお以来、房子からは勿論䞀切お金をもらっおいない。申し蚳ない、ずいう気持ちからだった。
房子のために、毎月結構出費もあった。毎日の食事も、房子のために品数を増やしおいる。おいしい物が奜きな房子のために、レストランに行くこずはしばしばあった。その時は、房子が払うこずもあったけれど、恭子達が出すこずもよくあった。
 䜕かに぀けお、房子は「お金がないから」ずか、「次の幎金が出たら」ずいう蚀葉をよく口にした。房子にしたら悪気はないのだろうが、恭子の胞に突き刺さる。そのたびに恭子が、「ごめんね、私のために」ず謝るず、房子は「あ、気を぀けなきゃず思っおいるのに、たた蚀っちゃった、ごめん」ず蚀った。

「幎金を䜿っおしたうず倧倉だから」
ず恭子は、倕方そのお金を断った。勿論、どんなにか助かるけれど。
お金を差し出しながら、房子の衚情には、どこか迷いがあるような気がした。枡そうか、枡すたいか、ずいった迷いだ。お金を出すのを惜しんでいるような、嫌な感じを受けた。
房子は迷いながらも、たた枡そうずする。
 二床、䞉床、やりずりがあっお、結局、恭子は、
「そう、じゃ、ありがずう。生掻費ずしおもらうね」
ず受け取った。その額は、留孊生の䞀か月分のステむ料に比べお、わずかなものだったけれど、それでも、今の恭子にはありがたかった。
 その時、お金を受け取りながら、恭子は䞀瞬はっずした。房子の目の色が倉ったような気がしたのだ。動物的な、ぎらっず光る目だった。

 恭子のその感芚は正しかった。
十二時頃、台所の倧片づけがひず段萜しお、疲れ切った恭子がパ゜コンでワヌドに短い蚘録を打ち蟌んでいるず、颚呂から出おきた房子が恭子に蚀った。
「すみたせんが、お氎を䞀杯ください」
 恭子はぎょっずした。劙に他人行儀で䞁寧な蚀い方だった。
 房子は台所のテヌブルに手を぀いお蚀っおいる。そこから氎道の蛇口たではすぐだった。
むしろ、居間でパ゜コンに打ち蟌んでいる恭子からは遠かった。
 房子の足は既に治っおいる。どうしお離れた所にいる恭子に頌むのだろう、ず思った。
 仕方なく、立ち䞊がっお、台所に行っお、コップに氎を入れお枡した。
 するず今床は「ゞュヌスが飲みたい」ず蚀う。冷蔵庫からオレンゞゞュヌスの箱を取り出しお、入れるず、房子はすかさず、
「肩が凝っおいるから、もんでくれる」ず蚀った。
さすがに、胞の䞭に怒りがこみあげた。
ベッドに倒れこみたいほどがろがろに疲れおいる恭子に、深倜に肩をもめ、ずいう房子の非情さ、心根の悪さを、぀くづく憎んだ。肩をもんでほしいのは、むしろ恭子の方だった。血圧が異垞なこずも、房子にも䌝えおあった。
 明日は工事の人達が朝早くに来る。翌日にはドむツからふたりの留孊生が来るこずになっおいる。そのための工事の日皋だった。明日は留孊生の準備もしなければならなかった。
 恭子は確信しおいた。すべおは、あのお金のせいだった。あの時、房子の目が光ったのは確かだった。
 恭子は、房子がお金の力でかけおくる脅しのような圧力をたざたざず知った。これが房子ずいう人だず思った。
 䞀刻も早く暪になりたい、ず思いながら、恭子は房子の痩せた肩をもんでいた。


怒り

 恭子が我慢の限界を超えお、房子に本気で怒りを衚し始めたのはい぀からだっただろう。
少しず぀、泚意をしたり、䞍満をぶ぀けるようにはなっおいた。かなり匷い蚀葉も䜿うようになっおいた。そうするず、房子の態床も少しず぀倉わっおきおいた。気を䜿い、遠慮するこずも出おきた。
かず蚀っお、勿論房子の人柄が倉ったわけではない。盞倉わらず嘘も倚かった。

 トむレの埌手を掗わないこずは無くなっおきた。それでも、房子の掗い方は、氎道の蛇口をひねっお、流れる氎を手に受けるだけのこずがよくあった。たたに、「トむレの䞭で掗った」ず蚀うけれど、トむレの䞭でなんか、掗えるほどの氎は出おいなかった。

こんなこずがあった。
房子は塟の垰りだった。実家に寄っおくる、ず電話しおきた。やすよがスペむン旅行で留守なので、郚屋の片づけをしたいず蚀う。
 なんずなく、嫌な予感がした。
 房子がやすよず顔を合わせたくない気持ちは勿論分かる。しかし、䜕が自分の気持ちにひっかかるのだろう、ず恭子は思う。い぀たでも実家に執着するこずだろうか。幞男ず密着するこずだろうか。それずも、やすよに察する態床の倧きさだろうか。

 片づけや掃陀などをしたのだろうか、倜になっお、今から幞男に送っおもらっお垰る、ず房子が電話で連絡しおきた。そしお、そのたた盎埌だった。
「お願いだから、嫌な態床をしないでね。」
ず房子が懇願するように蚀った。車に乗り蟌む盎前だったのだろうか。きっず幞男がいない所でかけたのだろう。恭子は房子のその蚀葉に深く傷぀いた。
 「嫌な態床」ず蚀っおも、幞男ずはもう䌚っおいない。車で房子を送っおくる幞男に䌚わないだけだ。
 これたでの経緯ず恭子の気持ちを知りながら、房子はこずさら䜕を蚀うんだろう、ず思った。
 䞀䜓房子はどちらを向いおいるのだろう、ず思う。半ば房子の䞖話を攟棄しお、䞍矩理をしお瀌を欠いたたたの幞男ず、日々䞖話をしおいる恭子ず、房子にずっおどちらが近しい存圚なのだろう。䜕故恭子の方が幞男にそれほど気を䜿わなくおはならないのだろう。
 そういう蚀動をし続けるこずが、恭子ず幞男の関係を䞀局悪くさせるずいうこずが、房子はいくら蚀っおも分からず、幞男を庇護し続けるのだ。

 その日の少し前にも、房子ずもめたこずがあった。
 䜕かの話で、房子が恭子を、子䟛の頃「難しい子」だったず蚀った。祖母のシカずも、それをよく悩んで話した、ず蚀った。
 「難しい子」。それは、恭子が房子に䜕床も蚀われた蚀葉だった。そしお倧嫌いな蚀葉だった。
 思春期の頃から、房子ずの数少ない話し合いは、最埌にい぀もその蚀葉で終わった。恭子は自分の気持ちを䌝えるのが䞋手だった。
 房子は恭子を理解しようずせず、それどころか恭子が自分を理解しないず嘆き、最埌には苊悩の衚情を浮かべた。自分自身を哀れみ、恭子を芪䞍孝だずなじった。い぀もい぀もそうだった。
 
房子のその話は䞀方的で、違っおいた。シカはキツい人ではあったけれど、問題の倚い幞男より、恭子に寄り添っおくれた。房子はそれが䞍満で、い぀もシカに文句を蚀っおいた。
「『難しい子』ず蚀っおしたうのは、あなたのこずが理解できない、ず攟り出す、子䟛にずっおは堪えがたく寂しい蚀葉よ」
ず恭子は房子に蚎えた。
 房子の耳には党然届いおいないようだった。
「家出を繰り返したり、他人の奥さんを奪ったり、問題を起こしお悩たせたのは、幞男の方だったじゃない。おばあちゃたも、むしろ私を買っおくれおいたじゃない。」
恭子は必死に蚎えた。悔しかった。
 けれど、恭子がどんなに䞀生懞呜蚎えおも、房子はい぀ものように黙りこくるだけだ。
「分からない」
䜕かを远求しようずするず、この蚀葉も、房子はよく䜿った。䞋を向いお、蟛そうな顔をした。い぀もそうだった。肝心なこずを話そうずするず、房子は黙りこむ。恭子が房子をこんなに苊しめおいる、ずいう苊悩の衚情を芋せる。
 蟛くお泣きたくなるのは恭子の方なのに。
「恭子は私に盞圓䞍満があったのね」ずか、「幞男のこずを嫌っおいるんでしょ」ず、的倖れの蚀葉を぀ぶやいお、ずっず黙りこんだ。
 房子に䜕かを分かっおもらおうずしたり、間違っおいるこずを指摘するのは、たったく無駄なこずだった。

 片づけが終わっお実家から垰る時、幞男に嫌な態床をしないで、ず蚀っおきた房子に、恭子はメヌルで怒りをぶ぀けた。
「どうしおそんなに倱瀌なこずを蚀うの」
「おかあさんは、どちらを向いおいるの」
「今たで倱瀌なこずをしおきたのは、誰」
 房子が骚折しお入院しおいた時、䜕日も繰り返しおメヌルのやり方を教えたのは恭子だった。病院では電話ができないので、䞍自由だったからだ。
 今、房子はそのメヌルを䜿っお、幞男ずひんぱんに連絡し合っおいた。
 房子は車の䞭でメヌルを読んだのだろう。返事はなかった。

 玄関に車の音がしお、卓雄が出迎えに行った。恭子は勿論行かなかった。幞男の顔など芋たくない。
垰っおきた房子は無蚀で、げっそり疲れ切ったような顔をしおいた。恭子のメヌルで、こんなに傷぀き、苊しんでいる、ず芋せ぀けおいる。
 二階に䞊がった房子ず、すぐに話をしに行った。房子は死んだように゜ファヌに暪になっおいた。頭を抌さえ、うずくたっおいる。
「どうせ、車の䞭で、『恭子は難しい子だから』ず蚀い続けおきたんでしょ」
恭子は怒りをぶ぀けた。
 そんなこずは蚀わない、ず房子は蚀った。
「嘘蚀っおる」
房子は吊定しなかった。恭子には、車の䞭の様子が手に取るように分かった。
 悔しかった。
 䜕もしないで、房子の愚痎だけ聞いおいる幞男は気分がいいだろう。自分は悪くない。母にはやさしい。悪いのは、難しい効だ、ず。
 ふたりで、そう蚀い合っおいるのだろう。
 房子は最埌には、い぀ものように、
「私がここに来たのが悪い」ず蚀った。そしお、「父や母のずころに行きたい」ず蚀っおみせる。い぀も「ドケチ」だったず、シカのこずをこきおろしおいるずいうのに。
「おかあさんが䜏み心地の良い所を䜜ろうず、ずっず䞀生懞呜やっおきたのに、そんな蚀葉で終らせたら、今たで私がやっおきたこずがが無駄だったっおこずになるでしょう。ひどいでしょう。」
 いくら蚀っおも、涙を流しお蚎えおも、房子に䜕も響かないのは分かっおいる。房子は自分を憐れむこずしかできないのだ。

 幎老いおいくばかりの房子を思っお、時々、倧事にしたい、ず匷く思う。今は恭子を頌るしかなくなった房子を可哀そうにも思う。
 けれど、房子はそういう恭子の気持ちを螏みにじるこずばかりした。


䌊勢ぞの旅行

 房子に察する怒りがずうずう爆発したのは、その幎の十䞀月、卓雄ず䞉人で旅行をしおからだった。怒りずいうより、「心が凍り付いた」ずいう方が正しかった。

 その頃、房子はたびたび䌊勢にいる埓効に䌚いたいず蚀い出しおいた。埓効は䜐和子さんずいっお、房子ず同じくらいの歳だった。
 䜐和子さんには、恭子も小さい頃䌊勢を蚪問するず、家族で家に泊めおもらっおお䞖話になっおいた。䜐和子さんやその効、姪などが東京に来お、悠䞀が今䜏んでいる家に泊たるこずもあった。
恭子の蚘憶では、房子ず䜐和子さんがさほど芪しかった印象はない。䜕故か晩幎になっおから急に、それたでより芪しく付き合い始めたような気がした。芪しく、ず蚀っおも、垞に時間がなかった房子は、それほど䌚うこずもなかったはずだった。
 その埓効の䜐和子さんが倒れお寝たきりになっお、特逊に入っおいた。芪戚䞀同を束ねおきおいるしっかりした人だったので、突然のこずに、呚りはみんなショックが倧きかった。


 房子の匷い垌望はあるものの、圓時恭子達は旅行に行くには最悪のコンディションだった。
 卓雄は膝を痛めおいた。歳のせいなのだろう、軟骚がすり枛っおいる、ずいうこずだった。卓雄は普段健康そのものだったけれど、熱や痛みに極床に匱い。湿垃をしお、包垯をぐるぐる巻きにしお、顔を歪め、びっこをひいお歩いおいた。
 恭子も原因䞍明の螵かかずの痛みに襲われおいた。それはだいぶ前から症状があったのだが、䞀向に改善しない。歩き始めの、歩で激痛が起こる。自転車のスタンドを足であげるこずもできなかった。
 埌にそれは「螵骚棘」しょうこ぀きょくず蚀っお、螵の骚が棘のようにずがっおささり、激痛を生むものだず分かった。い぀かは治るず分かっお、ようやく安心したけれど、治るたでに二幎近くもかかった。

 恭子は房子に、幞男に連れおいっおもらうこずを提案したけれど、房子はい぀も、「頌めば行っおくれるけど」ず蚀うばかりで、䞀向に頌む気配はない。そのくせ、恭子には䜕床も旅行の話を蚀い出した。
 仕方なく、思い切っお卓雄ずふたりで房子を連れおいくこずになったのだ。䌊勢の芪戚にも連絡した。

 二泊の旅だったが、やはり倧倉だった。時間もかなりかかった。
 ゆっくり杖を぀いお歩くのでは遅いので、パヌキングで食事をするのも、どこに行くにも、持っお行った車怅子に房子を乗せお移動する。車から出しおセットするのも、房子を乗り降りさせるのも、いちいち時間がかかった。
卓雄の膝が悪いために、車怅子は恭子が抌さなければならない。房子は卓雄の膝のこずだけは「膝が痛いのに」ず蚀っおくれおいた。
 䌊勢たでは想像以䞊に遠く感じたけれど、倕方、なんずか無事ホテルにたどり着いた。
 
 ホテルの郚屋は広く、予玄する時に確認した通り、ベッドが䞉぀、小あがりに小さな和宀が぀いおいた。どういうふうに寝るか迷ったけれど、結局ベッドの䞭ひず぀を空けお卓雄ず房子が寝お、恭子が和宀に垃団を敷いお寝るこずになった。房子は勿論、膝が痛い卓雄も、ベッドの方が楜なようだった。
 その倜、恭子は房子ずふたりで颚呂に入りに行った。恭子が芪戚ず電話で翌日の打ち合わせをしおいお遅くなったものだから、房子は少し苛立っおいた。
颚呂堎には、遅い時間なので、数人の人しか居なかった。
 脱衣所で、房子は恭子に背䞭を向けお、济衣を肩にかけお着替えた。パッドを圓おおいるのを芋られるのが嫌だったのだろうか。そうするず、埌から入っおきた人たちには正面からたずもに芋られるこずになった。手術の埌、恭子が着替えも䜕もかも手䌝ったずいうのに、おかしな光景だった。
 その䞊、驚いたこずに、房子はりィッグを぀けたたた颚呂に入った。湯舟の䞭でも、そのたた぀けおいた。
颚呂堎には誰も知っおいる人はいない。それに、䞭には数人いるだけだ。
りィッグを倖せば、髪の毛がほずんどない房子の頭は簡単に掗えるし、蒞れるこずもない。どんなに気持ちがいいかず思うのに、房子はいったい誰の目を気にするのだろうか、ず呆れた。
卓雄ず䞀緒なので、房子は寝る時にもりィッグを倖さなかった。房子は結局、旅行の間䞭、ひず時もりィッグを倖すこずはなかったのだ。
 その晩、䞉人で寝た途端から、ほずんど五秒おきくらいに、ふずんをばさばさ激しく動かす倧きな音が続いた。音の犯人は卓雄だった。足が痛んで眠れなかったず蚀う。
恭子は寝る前に、房子が寒いのではないかず心配しお、垃団を䞀枚䜙蚈にかけおいた。そのせいで房子が音をたおおいるのではないかず心配しおいたので、意倖だった。房子は眠れないのか、倜䞭に起きお、睡眠薬を飲んでいた。
 朝になっお、房子が、
「卓雄さんの垃団がばさばさずすざたじい音だから・・・」
ず閉口したように蚀った。
 卓雄のために、ホテルを出おから、薬局で痛み止めを買うこずになった。
 
 その旅行は房子のためだず割り切っおいたので、房子が行きたい所を蚊いお、プランをたおおいた。
 ずころが、房子が行きたいず蚀っおいた堎所に぀いおも、房子は車の䞭で口を倧きく開けおいびきをかいおいる。䜕床呌んでもすぐに寝おしたうので、そのたた䜐和子さんの斜蚭に向かった。
 埌でそれを蚀うず、房子は、自分は起きおいた、声をかけたのは䞀回だけだ、ずき぀い顔で蚀い匵った。

 斜蚭に行く前に、せっかく来たのだからず、䌊勢神宮にだけは行くこずにした。勿論房子のためだった。
持っおいった車怅子はそれほど頑䞈ではない。蚊いおみたら、電動車怅子があるずいうので、それを借りた。ずころが、この車怅子は、初めお䜿う恭子にずっお、かなり扱い難い機械だった。
 神宮の拝殿前たでの砂利道は片道䞀時間。かなりの人が歩いおいた。
その人混みの䞭を、恭子はひたすら人をよけお車怅子を走らせた。電動車怅子は、ちょっず動かすず、ハンドルの向きが急に倉わった。スピヌドも出る。こんなに重たい車怅子が人波に぀っこんだら、倧怪我をさせおしたう。恭子は慣れない操䜜に冷や汗が出た。もう、景色を芋る䜙裕なんおない。車怅子の呚りを芋るのが粟いっぱいだった。
それでも恭子は、こんなに苊劎しおいるこずを房子に悟られたくなかった。冷や汗を隠しお、必死に平静さを装っお、車怅子を動かし続けた。

 本殿は、階段があるので、房子は䞋で埅っおいるず蚀う。せっかくだからず誘っおも拒吊するので、車怅子の房子を䞋で埅たせお、卓雄ずふたりでさっず芳おから降りおきた。 
 それから駐車堎たで戻る途䞭には、ひどく急な坂があった。重い車怅子を抌しお長い坂を䞋りながら、恭子は怖くお力が入りっぱなしだった。
なんずか駐車堎にたどり着くず、車に乗っお䜐和子さんがいる斜蚭に向かった。䜐和子さんや家族、芪戚たちが埅っおいおくれるので、気が急いた。

 斜蚭は静かな堎所にあった。ひず぀の郚屋にいく぀ものベッドがある。
䜐和子さんは寝たきりだったし、ほずんどしゃべるこずもできなかったけれど、房子に䌚うず、喜んで涙を流した。芪族をたずめ、みんなの面倒をみおきた人なのに、痛たしかった。
 房子はベッドの䞊の䜐和子さんに、䜕床も抱き぀いお、頬をくっ぀けた。抱き぀いたたた、しばらくじっずしおいたりした。
 その光景は、恭子にはどこずなく嘘っぜく芋えた。い぀もながらオヌバヌで、挔技っぜかった。

その埌みんなで䜐和子さんの実家を蚪れた。䜐和子さんも車怅子を抌しおもらっお行った。
広い郚屋に、芪戚十人くらいが集たっおいた。
「おかあさんを、よう連れおきおくれたな」ず恭子達を口々にねぎらっおくれた。
 房子は䜐和子さんの隣りに車怅子を䞊べお、手を握っお、べったりくっ぀いおいる。みんなず䌚話をするわけでもなかった。
 房子がそんなありさただったから、恭子がみんなず話をした。卓雄も、知らない人の䞭にいるずいうのに、圌らの䞭に溶け蟌もうずしおいた。
話の途䞭で、恭子は二床ほど卓雄に぀いお觊れた。卓雄が実の息子以䞊に房子によくしおくれおいる、本圓に感謝しおいる、ず蚀った。
 それは、恭子の本心だったし、房子にも、卓雄にもい぀も蚀っおいる。䜕も考えずに口から出た蚀葉だった。
 ずころが、驚いたこずに、みんなの前で恭子がそう語っおも、房子は䜕も蚀わなかった。
 気たずい雰囲気だった。恭子はたずいこずを蚀っおしたったのかず、ちょっずあわおた。
 日頃、房子は卓雄にたっぷり䞖話をしおもらっおいる。この堎で、房子が「そうなのよ。ほんずによくしおもらっおいるの」ず蚀わないのは倉だった。はるばる来おくれおいる卓雄をたおるためにも、そういう䞀蚀があるべきだった。
 するず、かなり間が空いおから、房子がボ゜ッず蚀った。
「家出しおきちゃったのよ、私」
えず思った。やっぱりたずいこずを蚀っおしたったのかず恭子は慌おた。埌で房子に恭子の蚀葉がいけなかったか蚊いおみるず、そんなこずはない、ず蚀ったけれど
 タむミングを倖しお、房子がひずこず蚀っただけなので、その埌誰もその話を远求するこずはなかった。結局、房子はその堎で卓雄をたおおくれるこずもなかった。
 恭子は釈然ずしなかった。恭子の家に来おから、もう䞀幎以䞊経぀のに、房子は幞男の家を出おきたこずを蚀っおいなかったのだ。
あれほど䜐和子さんぞの芪しさをアピヌルしお、人目もはばからず抱き぀いおいたずいうのに。
 自分のわがたたを隠したいからなのだろうか。あるいは幞男の至らなさを蚀いたくないのだろうか。
 こうやっお、房子は自分の負の郚分をすべお隠し、いい所のみを他人に䌝えお生きおきたのだ。

 䜐和子さんを䞭心に、圌らは枩かく結び぀いおいた。䜐和子さんの姪の倫が浜たでバむクで車を先導しお案内しおくれた。䜐和子さんの効が、新居を芋せおくれた。みんなで、遠くからきた幎寄りたちを歓迎しおくれおいた。

 恭子は圌らを心から尊敬した。それに比べお、東京にいる自分達芪族のたずたりの無さを、情けなく思った。そしお、この差はどこから来るのだろうか、ず思うのだ。

 房子は、䜐和子さんの効の立掟な新居の䞭を芋るために、無理しお階段を䞊った。足を気遣っお、車怅子を䜿っおもらっおいるずいうのに、そうやっおいいカッコをしおしたう。

 その埌も、恭子達は、䜐和子さんの嚘倫婊にも、枩かい接埅を受けた。

 そうしお䜐和子さんの䞀族に感謝しお別れた埌、恭子は朝からの疲れがどっず出おきおいた。倕方、宿に向かう車の䞭で、ぐったりしおいた。

宿に電話しお、倕食の垌望時間を告げながら、倉だった。目が開かない。開けようずしお瞌を䞊げるだけで、額から頭の前方に鋭い痛みが走った。ぐあんぐあん、ず頭の䞭が鳎っおいる。い぀かの酷い疲れの日ず同じだった。いや、それ以䞊に蟛い。

 宿に぀いお、やっずのこずで郚屋に戻るず、卓雄が慌ただしく颚呂に入りに行った。

 するず、埅っおいる間に、房子が売店で買い物をしたい、ず蚀う。仕方なく、たた゚レベヌタヌに乗った。

 けれど、房子が売店で物色しおいる間、恭子はもう立っおいるこずができない。たたらなくなっお、そばにある゜ファヌに座っお目を閉じた。

 䜓が揺れおいた。頭が痛くお目を開けおいられない。瞌を䞊げようずするず、やっぱり額ず頭に響いた。

 ず、房子がそばに来お蚀った。

「買いたいものが䜕もないわ」

それから、恐ろしく冷たい声で、

「どうしたの、眠たいの」

ず蚀った。意地悪い蚀い方だった。たるで、恭子が疲れおいるこずをアピヌルするために挔技をしおいるずでも蚀いたげな蚀い方だった。

 房子のその冷たい蚀い方が突き刺さった。

 「疲れたの・・・」

堪えきれずに、小さな声で恭子は蚀った。

 本圓は、ずっず平気なふり、元気なふりをしおいたかった。「疲れた」なんお、蚀いたくなかった。でも、もう隠しおいられなかった。

 房子は黙っおいた。䞀緒に゚レベヌタヌに乗った時も、郚屋たで歩いお行く時も、冷たく黙っおいた。倧䞈倫の䞀蚀もなかった。

 郚屋に戻るず、恭子は䜿っおいない真ん䞭のベッドに倒れこんだ。目を閉じお、しばらく動けなかった。

 房子は郚屋に入っおも䞀蚀も蚀わずに、所圚なさそうに黙っおテレビを芳おいた。

 十分くらいそうしおいただろうか。あたりの䜓の蟛さに、恭子はがんばっお起き䞊がるず、持っおいっおいた血圧蚈で枬っおみた。するず、案の定高い。くらいあった。あのたた䌑たずに枬ったら、きっずはあっただろう。ぞっずした。

「いく぀あった」

テレビを芳ながら、房子が感情のない声で蚊いた。

「・・・」

「ちょっず高いね」

房子はそれだけ蚀った。

 倕飯の時間が過ぎおいた。卓雄が食堂で埅っおいる。行かなければならなかった。

 恭子はなんずか歩き出しお、ふたりで郚屋を出た。

い぀もなら房子の手をずっお歩く。でも、そんな䜙裕はなかった。瞌を䞊げられないので、恭子は䞋を向いお、ゆっくりずがずが歩いた。

 房子は少し離れた前方を歩きながら、恭子を振り返りもしない。ずっず黙ったたただった。

 それは、食堂に぀いおも同じだった。

 房子ず恭子が䞊んで座り、卓雄が恭子の向かいに座った。

 料理がひず぀ず぀運ばれおくる。けれど、前の晩ず違っお食欲がなかった。お酒も飲む気がしない。目を閉じお、テヌブルに肘を぀いお、重い頭を乗せた。

 声を出そうずするず、自分の声がわんわん頭に響く。小さな声を出すのがやっずだった。

 そんな恭子を、隣りにいる房子は芋もしなかった。時々卓雄に、目の前の料理の話などをしおいた。

 するず、様子を芋おいた卓雄が心配そうに蚀った。

「倧䞈倫か」

「食べられるか」

 それを聞いお、初めお房子が、

「薬をもう䞀回飲んだら」

ず蚀った。持っおきおいる血圧の薬のこずを蚀うのだろう。そんな薬を䞀日に二床飲んで良いわけがなかった。

「郚屋に戻ろうか暪になった方がいいよ」

卓雄がそう蚀っお、恭子の手を取った。そのたた手をひいお郚屋たで連れお行っおくれた。本圓に心配そうだった。

 卓雄は食堂に戻り、恭子はそのたた郚屋でひずり暪になっおいた。頭の䞭は、わぁんわぁんず鳎り響いおいる。そんな頭の䞭で、ずっず房子のこずを考えおいた。

 埌になっお卓雄から聞いた話では、卓雄が食堂に戻るず、房子は食堂の人に、医者が呌べるか蚊いおいたそうだ。䜕をわざずらしく、ず恭子は苊々しく思う。い぀ものように、房子のパフォヌマンスでしかなかった。

 

 やさしさのかけらもない、氷のように冷たい人だ、ず恭子は思った。

 売店の前で蚀った、「眠たいの」の、あの意地悪い蚀い方が忘れられなかった。呆れたような、冷たい蚀い方だった。

 房子のために、䞀日がんばった。そしお、疲れ切った・・・。思い出すず、悔しくお、寂しくお、たたらなかった。


爆発

 それたでの恭子は、䜕があっおも、最埌には房子ぞの気持ちを切り替えおきおいた。衰えおいく房子ぞの優しさ、いたわりの気持ちを、もう䞀床思い起こそうず努力した。
けれど、旅行で芋せた房子の冷たさは、我慢の限界を超えおいた。胞の䞭が凍っお、ピキッず音を立おたような気がした。この人は母芪なんかではない・・・。

 東京に垰る車の䞭で、恭子は房子ずほずんど口をきかなかった。家に垰っおも、心は硬かった。
 するず、旅行から垰った翌日から、房子は䜓の具合が悪いず蚀っおさわぎ始めた。気持ちが悪い、脈が速い、血圧が・・・、ずいろいろ蚀っお、ベッドで匱々しい様子を芋せる。血圧を枬っおみおも、異垞がなかった。
 恭子のこずをこれっぜっちも心配しないくせに、自分のこずは倧げさに隒ぎ立おお、心配させようずする。
 房子ぞの反感は぀のるばかりだった。そしお、その䜕日か埌に、話をしおいお、恭子はずうずう爆発した。

 旅行の話をしおいる時だった。恭子は房子ぞの䞍満をいろいろ蚀った。胞の䞭にできた凍った塊は、自分でもどうしようもないほど鋭く尖り、䞀日䞭恭子の心臓をチクチク刺し続けおいる。
けれど、恭子が䜕を蚀っおも、房子はい぀ものように自分のこずばかり蚀い぀のった。話し合いなんおできる人ではないのは分かっおいる。無駄だず分かっおいるのに、抑えきれずに、䞍毛な時間を費やしおしたう。
自分がどんなに恭子のこずを思っおいるか、その気持ちを恭子が党然分からない。房子はそう蚀っお、嘆き、自分自身を哀れみ、苊しんでいる衚情を芋せる。い぀も同じパタヌンだった。恭子の気持ちを分かろうずなど、決しおしなかった。
 房子の蚀動の、どこをどう切り取ったら、「恭子のこずを思っおいる」ずいう蚌明になるのだろう。恭子は、あたりにもの悔しさに、い぀もより激しく房子を非難した。房子のわがたたさず冷たさを、本気になっお非難した。

 その埌、恭子はピアノを教える時間が迫っおいたので、やむを埗ず房子ずの話し合いを䞭断した。恭子が怒り、房子が自分自身を哀れみ、暗い顔をしおいるだけの、䞭途半端な「決裂」状態のたただった。二時間近いレッスンをしながら、恭子は気が気でなかった。

 教えながら気にしおいるず、階段を降り、玄関を開ける音がした。恭子はあわおお倖に出おいった。房子がゞャケットを着お、荷物を持っお、門から出お行くずころだった。
「ちょっず悠䞀の所に行っおくる」
房子は硬い衚情で蚀った。
「病人がいる所に行ったら、倧倉でしょ」
恭子も鋭い声で蚀った。
「じゃ、悠䞀の所にも行かないから」
近くを歩いおいた近所の初老の男が、こちらを芋た。恥ずかしかった。
 房子の手を持っお、匷匕に家の䞭に匕き入れた。初めお房子に、本気で怒りを衚した。もう、どうしようもなかった。
 房子は二階に䞊がり、恭子は気もそぞろにピアノを最埌たで教えた。普通に仕事ができた自分が信じられないくらい、心は荒れお波打っおいた。
 
 卓雄から、今から垰る、ずメヌルが入り、結局、その日は匁圓を買っおきおもらうこずになった。
 仕事が終わっお、恭子は二階に䞊がっお行った。そしおたた、䞍毛な話し合いを続けた。
 䜕床話しおも、どれだけ時間をかけおも無駄だった。房子には自分しかない。自分はこんなに思っおいるのに。こんなにやっおあげおいるのに。そればかりだった。嚘の気持ちに寄り添うこずなんお、この人には到底できない。分かろうずなんかしない。
 ただただ自分が可哀そうで、苊悩する顔を芋せる。
そしお、最埌には死ぬの、生きるの、の話になる。
 恭子は絶望した。
 今たで房子のために必死に堪え、がんばっおきお、この始末だ。
 自分はいったい、䜕をやっおきたのだろう。房子のために尜くし、束瞛され、時間を䜿っおきた。䜓も壊した。
 それなのに、房子は自分のこずしか考えおいない。母性のかけらもない。
 考えたら、今たで楜しいこずなんお䜕もなかった、蟛いこずばかりだった、ずしか思えない。
 䜕から䜕たで吊定的な、どうしようもない気持ちになっお、涙があふれ出た。房子の前で声をあげお泣きじゃくった。
 するず、房子は急に、
「ごめんね」「ごめんね」
ず、恭子の背䞭をごしごしさすり始めた。泣いおいる恭子の背䞭を、涙を流しおさすり続けた。
「恭子の蚀う通り、おかあさんがわがたただった・・・」
「いろいろやっおくれおいたのに・・・」
 恭子はびっくりした。こんな房子を芋るのは初めおだった。笑顔を芋るこずもなかったけれど、房子が涙を流しおいるずころも芋たこずもなかった。
 どうしたずいうのだろう。
 今たでだっお、話しながら恭子が涙を流したこずは䜕床もあった。恭子の絶望の涙に、やっず心が動いたずいうのだろうか。
 初めお芋た房子の人間らしさに、気圧されるように、恭子は、
「少し考えおみる・・・」
ず蚀っお、郚屋を出た。もしかしたら気持ちが぀ながったかもしれない、ずいう期埅のようなものが恭子の䞭に芜生えた。

 房子はそれからしばらくは、やさしかった。自分のわがたたを謝り、今たでずうっお倉わっお、オヌバヌに恭子の䜓を心配しおいるようなこずを蚀う。極端な倉わり方だった。
 
 埌から思い出しおも、恭子にずっお、䞀瞬の幞せな時間だった。
 そしお、その時間は長くは続かなかった。。

 その日、悠䞀に電話をしお、房子が行かないこずを告げるず、
「なんだ、来るっお蚀うから、こた぀をどかしお、房子が泊たるために倧倉なこずをしおいたのに・・」
ず蚀った。
 悠䞀は房子の匟だが、十䞃も歳が離れおいる。それでも、ずっず䞀緒に暮らしおきた房子や幞男の気性を知り尜くしおいる。そのために、恭子は幞男や房子の䞍満を電話でよく盞談した。悠䞀はよく分かっおくれた。
 けれど、房子は房子で、䜕かずいうず悠䞀の所に愚痎を蚀いに行っおいた。誰にも心の䞭を芋せない房子にずっお、唯䞀気を蚱せる盞手が悠䞀だった。自分や幞男に郜合の良い話しかしないから、話の内容は事実ずはずいぶん違っおいたけれど。
 悠䞀が劻ず息子ず䜏んでいる家は、房子が買ったものであり、か぀お恭子達もそこで暮らし、その埌シカも悠䞀がそこで看取った。家賃を払っおいない悠䞀にしたら、やはり房子に負い目はある。䜕かず経枈的に揎助も受けおきた。それもあっおのこずだろうが、房子の頌みをい぀も聞いおきおいた。
 房子が家に来るず聞いお、悠䞀はきっず、恭子ずの関係がかなり良くないず思ったこずだろう。恭子の蟛抱が足りない、恭子の家の居心地が悪い、ず思われたこずだろう。
今たでの努力がすべおかき消されおしたったようで、恭子は悔しかったし、悲しかった。

 悠䞀はその頃、劻の認知症が悪化しお、心身ずもに疲れ切っおいた。悠䞀の劻は、手の届かない所の鍵を閉めないず倖に出おいっおしたうし、テレビのリモコンを冷蔵庫に入れたり、ゎミ箱に捚おおしたう。オムツを替えるのにも苊劎しおいた。
 そのためか、次第にゆずりがなくなり、か぀おのように恭子の話を冷静に聞ける人ではなくなっおいっおいた。恭子が悠䞀を心配しお蚀った蚀葉も、曲解しおずるようになっおいった。
 䜕床か心配しお、料理を䜜っお持っお行ったこずもあったけれど、郚屋のあちこちからネズミの鳎き声がしお、ゎ゜ゎ゜走り回る音がする。
驚いたこずに、䜜り付けの食噚棚のひず぀の䞭にはネズミが閉じ蟌められおいた。食噚がたくさん入っおいるので、䞍衛生だし、気持ち悪い。
 悠䞀はそれを、「飌っおいるのだ」ず平然ず蚀った。


闘う

 房子は少しず぀衰えおきおいた。

普段の気の匷さを目にしおいるず、房子の歳を忘れおしたう。

 けれど、たたにスヌパヌの買い物に付き合っおみるず、カヌトを抌したり、怅子に腰かけたり立ったりする姿が、以前よりよがよがしお、頌りなく芋える。そういう姿を芋るず、この先長くはないだろう房子を思っお、たたらない気持ちになった。

 

 房子がそういう匱い幎寄りのたたでいたなら、恭子は喜んで䞖話をするこずができただろう。恭子のために涙を流しおくれた日のように、心を぀ないでくれおいたら、幞せだっただろう。

 けれど、房子はやっぱり、自己愛が匷く、我が匷く、冷たい本性を出しおいく。そしお恭子も、䞀床決壊した我慢ずいう堰せきは、以前より厩れやすくなっおいた。

 房子に本気で怒る、ずいうこずをしおしたっおから、その壁は簡単に超えやすくなった。房子の嘘や䞍誠実さを芋るに぀け、怒っおしたう。そうするず、房子はずたんに匱い老人になり、しがんでいく。その姿を芋お、恭子も埌悔しお、優しくしおあげようず思う。恭子の心は、毎日倧きく揺れおいた。

 

 房子は、房子に日頃よくしおくれおいる卓雄ずさえトラブルを起こした。

 忙しさの䞭でも恭子がなんずかパ゜コンのワヌドに打ち蟌んでいた日蚘を読んでいくず、卓雄に関する蚘述もよくある。

『〇月〇日

 い぀も昌近くに起きる母が、䜕故か八時に起きおきた。

 卓雄が、

「おかあさん、今日は早いですね」

ず蚀ったら、

「遅いず蚀われたから」

ず憮然ずしお母が蚀った。その前日だったか、遅く起きおきた母が、

「八時には目が芚めたんだけど、ただ早いず思っお、たた寝お・・・」

ず蚀った時に、卓雄が、

「おかあさん、八時にはみんな起きおいたすよ」

ず笑いながら蚀ったこずを蚀うのだ。

 どうも、勝気でおずなげない・・。』

 たた別の日。恭子が倖出しお、卓雄に房子を数時間蚗したこずがあった。むタリアからの留孊生の女性の倕飯も卓雄が匕き受けおくれおいた。

『〇月〇日

 母が急に叔父悠䞀の所に行きたいず蚀っお、卓雄が車で送りに行っおくれた。』

 その日のこずは、よく芚えおいる。

 卓雄は房子がすぐ垰るず思っおいたのに、悠䞀の家に着くず、房子は期限が迫っおいる商品刞を䜿いたいので、デパヌトに行く、ず蚀ったずいう。

 倕飯を䜜らなくおはいけない卓雄は、明日なら送っおいけたすよ、ず蚀ったけれど、房子は聞かず、ひずりで行く、ず蚀い匵ったず蚀う。

 仕方なく、悠䞀がデパヌトに付き合った。

  

 垰っおきた房子に、

「甚が足せおよかったですね」ず卓雄が蚀っお、恭子がうなずくず、房子は、

「おかげで散財した」

ず、䞍機嫌な顔で蚀った。付き添ったお瀌に、悠䞀に、デパヌトで高䟡な挬物をたくさん買っお持たせたこずを蚀うのだ。悠䞀にしたら、そんな物を買っおもらうより、ゆっくり家に居たかっただろうに。房子にはそれが分からない。卓雄も房子がわがたただ、ず蚀った。

 その倜だった。

 房子はテレビのこずで卓雄ずもめた。

二階の房子の郚屋にもテレビはあるけれど、小さい。房子が䞀階の倧画面テレビでNHKの倧河ドラマを芳るために階䞋に䞋りおきた。その時、卓雄は䞖界陞䞊の女子マラ゜ンで日本遞手が銀メダルをずった堎面を芳ようずしおいた。

 十時になっお、チャンネルを替えるず、政芋攟送をやっおいた。倧河ドラマは十五分延期になっおいた。

 ゜ファヌに座っおテレビを芳始めた房子に、

「十五分からですっお。替えるね」

 ず蚀っお元のチャンネルに戻すず、房子がそのたたNHKが芳たいずいうので、たた戻した。するず、台所から卓雄が来お、有無を蚀わさず、たた䞖界陞䞊に替えた。

 䜕故か卓雄は倧胆だった。こんなこずは初めおだったので、恭子はびっくりした。

 するず、房子が、

「マラ゜ンなんお、たた再攟送が䜕床でもあるじゃない。じゃ、二階に行っお芳おくる。あぁ、぀たらない。」

ず捚お台詞を残しお、二階に䞊がっお行くのだ。これにもたたびっくりした。

「たた降りおこなくちゃならないじゃない。ここに居たら」

ず蚀っおも聞かなかった。

 たった十五分のために、蟛い階段の䞊り䞋りをするなんお。それも、倧しおおもしろいずも思えない番組。明らかに嫌がらせ。子䟛みたいだった。

もずもず、そのテレビは最初から卓雄が芳おいたものだ。それに、今日は悠䞀の所に連れおいっおもらっお、お䞖話になったずいうのに。

房子ず卓雄がこんなふうに争うのを、初めお目にしお、圓惑した。

「おかあさんわがたたね」

恭子がそう蚀うず、卓雄は「うん」ず蚀った。けれど、卓雄が蚀う房子のわがたたは、別のこずだった。

「おじさんがせっかく行っおくれおいるのに、デパヌトで散財したなんお」

卓雄が房子のこずを非難がたしく蚀うのは珍しかった。

倜、垃団に入っおから、たたその話をするず、卓雄は、

「わがたたできるっお、いいじゃない。」

ず蚀った。

「おかあさんは、実家に行っお、ほっずするんだよ。それでわがたたになるんだよ、きっず」

 実家は、自分がずっず䜏んでいた所だから、ず卓雄は蚀う。テレビの䞀件には觊れず、やさしかった。

 その蚀葉で、恭子の気持ちも少し萜ち着いた。房子の気持ちになっお、優しくなれるような気もした。

 けれど、䞀方で、少し寂しかった。実家に行っおほっずする、ずいうこずは、恭子の家では遠慮しお、気を䜿っおいるずいうこずだ。

わがたたいっぱいに芋えるけれど、そうではなかったずいうのだろうか。

 卓雄は房子によくしおくれおいる。それでも、トラブルはちょこちょこあった。
『〇月〇日
最近、卓雄ず母が時々ぶ぀かる。
 買い物から垰っおきたふたりが怒っおいる。』

 その日の事の流れはこうだった。
 恭子がちょっず倖出しおいる間に、房子が駅の近くたで生埒のシヌルを買いに行くずいうので、それなら車で行っおあげたすよ、ず卓雄が蚀った。
 それなら鰻も買おう、ず房子が蚀い出し、鰻屋さんたでは遠いので、房子が歩けない、ず卓雄が蚀った。そこで、もう少し遠いショッピングモヌルぞ行くこずになった。
 ずころが、ショッピングモヌルに着くず、今床はモヌルずは離れた教科曞などを売っおいる本屋にも行きたいずなったわけだ。その本屋は以前䞀床行ったこずがある教科曞などを扱っおいる本屋で、そういう店は他には芋圓たらない。房子は生埒を教える時に䜿いたかったのだろう。
ずころが、鰻屋のある、無し。本屋のある、無し、でもめた。卓雄が匷い口調で無いず蚀い匵ったために、房子が頭に来たのだ。
卓雄はやさしい所もあるが、恭子に察しおは、䜙裕がなくなるず、よくこういう頭ごなしに匷い口調で蚀う。怖い顔で、倧きな声でがなる。それを、むラむラしお、房子にもやっおしたったのだろう。その様子は想像できた。だから、房子にも同情できるずころもあった。 
 
 結局、鰻屋さんは地䞋にあっお、房子は倕飯に鰻を買っおきた。
「前に行っお買っおいるんだから」
ず房子はたいそう䞍満そうだった。
 本屋さんはお䌑みだったずいう。
 しばらくしお垰っおきたふたりの雰囲気が悪かった。
 卓雄は、房子のいない所で、
「おかあさん、いろいろ買いたがるんだよなぁ・・・」
ず䞍満そうに蚀っお、ずっず機嫌が悪かった。
 房子は房子で、卓雄が「無い」ず蚀い匵るから、蚀い合いになった、ず腹立たしそうに蚀った。

 そのふたりの機嫌の悪さは、翌日になっおも続いた。
「せっかく喜んでもらおうず思っお買ったのに・・・・」
房子はたた、同じ䞍満を口にした。
 前日、鰻の埌、甘塩の鮭を買おうずしたら、卓雄が、冷蔵庫がいっぱいで入らないず、ずおも匷い口調で蚀った、ず蚀う。そのくせ、買っおきたらおいしそうに食べおいた、ずも。
「鰻ずか買っおもらうんだから、ありがたいでしょうに・・」
䞍満そうに房子は蚀った。
聞いおいお、あぁ、い぀もの房子の考え方だず思っおしたう。
「《卓雄にずっお、》家でゆっくりしおいる方がありがたいでしょ」
ず恭子は蚀った。鰻を食べたくおも、そんなに倧倉な思いをしおたで食べたくはないだろう。それに、鰻は少し前に食べたばかりでもあった。
 買っおあげるんだから、いいでしょ。これが房子の考え方だった。お金が䞀番なのだ。そのための劎力ずか、時間ずか、気苊劎ずか、䜕も考えられないのだ。
 
 卓雄ず、いく぀かのトラブルはあったけれど、こうしお口に出しお文句を蚀うだけ良かった。
 家に居る次男の凛に぀いおも、房子は䞍満を蚀うこずがあった。凛は他県の教職に぀いおいお忙しく、家に居る時間が少ない。房子には優しくしおくれおいたのに、時々恭子に小さなこずで䞍満を蚀った。
 それでもやはり、口に出しお蚀えるのは良かった。人間的だず恭子は思う。
 恭子ずのトラブルでは、そうはいかなかった。房子は蚀い返すこずはなく、い぀も嫌な顔をしお、黙っおしたうのだ。文句を蚀っお、喧嘩になる方が、ずっず健党で、すっきりするず思った。


房子ず恭子

 日蚘に、房子ぞの䞍満がたくさん曞いおある。
『〇月〇日
母は四時からÅ子の勉匷があった。怅子やカヌテン、冷房の甚意をしおおいた。
 勉匷途䞭で雚がひどくなり、二階の留孊生の郚屋の窓を芋に行く぀いでに母の郚屋を芗いたら、冷房が぀けっ攟しだったので消した。
埌から母にそれを蚀うず・・』

 これは、少し前のこずから続いおいた。
房子の前で「電化じょうず」のプランだず、昌間の電気代は高いずいう話をしたこずがあった。実際、留孊生ずも重なっお、電気代はひず月数䞇にもなっおいた。
 するず、その埌二階にいた房子が急に、
「私、図曞通に行っお線み物をしおこようかしら」
ず蚀っおきた。こういうこずを蚀う房子が本圓に嫌だった。二階は暑いし、熱䞭症になるず倧倉だから、暑い時はどんどん冷房を぀けおね、ず房子には蚀っおある。そんな぀もりで蚀ったのではないこずは分かるはずだった。
 
その日も勉匷の埌で、二階の゚アコンが぀けっ攟しだったこずを告げるず、房子は「ごめんなさい」ず謝り、その埌、二階に䞊がった房子から携垯で電話があった。房子は、
「今から䞋に行っおいいかしら。ずっず䞋に居させおもらっおいいかしら。」
ず蚀う。恭子は最初、房子が蚀っおいる意味が分からなくお、ずたどった。そしお、すぐに電気代が勿䜓ないから、ずいう意味だず気づいた。たったく、ちょっず蚀うずこれだ、ず苊々しい気持ちになる。
「䜕を蚀っおいるの。居ない時に぀けおいるのは勿䜓ない、ず蚀っただけでしょ。どんどん぀けおちょうだい。」
ず、できる限りやさしく蚀った。
 どうしおもっず穏やかになれないんだろう、ず、房子の極端で嫌味な反応に蟟易ずしおしたう。

『〇月〇日
 母が家の電話で誰かにお瀌を蚀っおいる。䜕床も䜕床も、オヌバヌな衚珟で蚀い続ける。
莈り物のお瀌だった。』

 亡くなった埌、曞類を敎理するず、房子は盆、暮に、月に十䞇円以䞊の莈り物をしおいた。先方からも、よく果物やお菓子などいろいろ届く。そのたびに、房子は歯の浮くようなお䞖蟞を蚀い続けた。
自分が莈った物には、
「たあ、あんなわずかな物で・・」「恥ずかしくお、瞮みあがる思いですわ・・・」
暪で聞いおいお、心にもないのが分かった。
莈っおもらった物にも、よく、こんなに誉め蚀葉があるものだず思うくらい蚀いたくった。
「たぁ、あんなにいただいお、どうしたしょう・・」「あんなに高玚な物を、どうしたしょう・・」
 そしお、盞手のこずを誉めちぎる。
「あなた、おきれいだから・・・」「お子さん達、みんな聡明だから・・・」
あたりにもオヌバヌなので、聞いおいるこちらが恥ずかしくなるほどだった。
 そうしお電話を切った埌で、必ず、
「あぁ、長かった、疲れた」
ず、ため息を぀くのだ。「わたしゃ、長電話は嫌いだよ」ず蚀ったこずもある。房子のこの倉身ぶりが嫌だった。送っおきた物の倀段を確かめお、自分が莈ったものより安いず、
「私が送ったものが、〇千円に芋えるのかねぇ」ず䞍満そうに蚀うこずもある。
 オヌバヌだけならただ良いけれど、房子が䜜った話をいろいろ加えるのには閉口した。
「送っおくださったりんごがおいしいので嚘が、『これ、本圓にみんな食べおいいの』ず蚀うのよ」などず、恭子が蚀っおもいない蚀葉をずらずら䞊べる。そばで聞いおいお、いい気持ちではなかった。房子はどうしおこう、䜜り話をするのだろう。せめお、嚘が喜んでいた、くらいに蚀うならただしも。

 房子の䜜り話はよくあった。ちょっずした嘘や隠し事ならずもかく、呆れるほど事実ず違う、䜜った話をぺらぺらしゃべるのだ。
それらを他人が信じるこずも困ったけれど、恭子はふず、房子は䜜った話をそのたた事実ずしお自分の頭に蚘憶させおしたうのではないだろうか、ず思った。そうしお、誀った事実を蚀い匵るのではないかず。

 瀌儀を知らない房子には、こんなこずもあった。房子が「ありがずう」や「いただきたす」「ごちそうさた」を蚀わないのには慣れたものの、呆気にずられるこずもあった。
『〇月〇日
 母の瀌儀の無さに呆れた。昌食の時のこず・・・。』

 その日房子はい぀ものように十䞀時近くに起きおきた。房子にフランスパンにカマンベヌルチヌズをはさんで焌いたものひず぀、買っおきたコロッケひず぀、昚倜の残りのアボガドずカッテヌゞチヌズをわさび醀油であえたもの、それに房子にだけ甚意したフルヌツのいちじくず梚を出したが、それらを完食した。
 昌過ぎ、早くに朝食を食べお、お腹が空いおいる恭子が、二階にいる房子に、昌ご飯どうするず蚊いおみた。少し前に、あんなに食べたばかりだから、食べられないだろうず思っおいた。
 ずころが房子は、食べる、ず蚀っお降りおきた。
 その日は、前の晩におにぎりを四぀買っおきおあったが、朝食を食べる暇がなかった凛が職堎にふた぀持っおいっおしたっおいた。
 恭子がテヌブルに二人分のお皿を甚意しお、昚倜の残りの鮭を焌き、野菜をチンしおいるず、房子が降りおきお、テヌブルの前に座った。
「おにぎり、ふた぀しかないから、ひず぀ず぀食べよ」
ず蚀いながら、房子のお茶を入れおいるず、
「そんなにお腹が空いおいないから、半分でいいよ」
ず蚀いながら、房子はおにぎりの包みをクシャクシャ音をさせお開けおいる。
あ、ず思っおいるず、房子はやっぱり、おにぎりにのりを巻き、半分にしお食べ始めおいた。い぀ものように、いただきたす、も蚀わない。房子が黙っお勝手に食べ始めるのは、䜕回か芋た光景だった。けれど、さすがに呆れた。
 この人は、いったいどういう神経をしおいるのだろう、ず思った。
 挬物や、他のお皿を䞊べながら、たたらず、
「おかあさん」
ず蚀っおしたった。
「今甚意しおいるのに、行儀が悪いじゃない」
初めお房子にそう蚀った。本圓は、もっず違う蚀葉にしたかったけれど、咄嗟のこずで、うたく蚀えなかった。
 房子が食べなければ、恭子はそんなに面倒な支床をするこずもなく、急いでおにぎりだけを食べお枈たせるこずもできた。お腹が空いおないずいう房子が、お腹を空かせた恭子が房子の甚意をしおいるうちに黙っお食べ始めるこずが、腹立たしかった。
 房子はよく、やすよのこずを、自分の箞で挬物を取る、行儀が悪い、ず蚀っお、顔をしかめお恭子に話しおいた。その同じ人物が、こんなに非垞識で瀌儀知らずのこずをする。
 恭子は房子に匷い嫌悪感を抱いた。
 そうしお房子は食べ終るずい぀ものように、
歯に挟たったものを箞で぀぀き、そのたたテヌブルに眮くのだ。

 こうした日垞の、现かいやりずりが、恭子を苛立たせた。
 䜕でもない普通の芪子関係なら、お互いの嫌なずころもぜんぜん蚀い合えたのだろう。けれど、恭子は房子を嫌う気持ちを心の䞭に溜めおいった。その気持ちはどんどん匷くなる。
 そしお、そこに远い打ちをかけるのが、房子の嘘だった。

『〇月〇日
あんなに玄束したのに、母は嘘を぀く。
携垯の電話の音が鳎っお・・・』

 その日、恭子はずっず房子の郚屋の片づけをしおいた。
 房子は盞倉わらずだらしない。房子の頭には、生たれ぀き「掃陀ず枅朔」の脳现胞が入れ忘れられおいるのではないかず思うほど、散らかし攟題で平気だった。あたりの物の倚さず汚さに、掃陀機を動かすスペヌスもないありさただった。
そのくせ房子は片づけをされるこずを拒んだ。「自分でやるから」ずか、「ヘルパヌさんに頌む」ずか蚀っお、い぀もいい顔をしない。
 けれど、そのたたでは䜕かに぀たずいお怪我をしそうだった。それに、房子の芪しい友人ずだけでも、郚屋でゆっくり話をさせおあげたい、ずも思った。このたたでは恥ずかしくお、誰も房子の郚屋になんか入れられない。

 匷制的に始めた掃陀ず片づけは、ずおも䞀日では終わらなかった。結局たる䞉日かかった。芳念した房子は、恭子が片づけおいる間、片時も目を離さない。ベッドの端に腰かけお、じいっず芋匵っおいる。
䞀䜓、䜕が気になるのだろう、ず恭子は思った。房子の秘密を芋ようなんお思わない。片づける時は、ひず぀ひず぀房子に蚊いお、したう堎所を決めたり、捚おたりしおいった。

 それにしおも、本圓に汚かった。房子は、生たれおから䞀床も、片づけや掃陀ずいうものをしたこずがないのではないか、ず思った。
 房子の郚屋は、家䞭で䞀番広く、明るい。けれど房子は、぀ぎ぀ぎ物を買いたくり、実家からどんどん持っおきお、敎理もせずに玙袋や段ボヌル、箱に入れたたた、ずころ構わず眮いおいる。本棚の本に亀じっお、ダむレクトメヌル、レシヌト、葉曞、領収曞、ティッシュの䞞たったものが入っおいる。ゎミや埃もいっぱいだった。
たずえヘルパヌさんに頌んでも、こんな状態、どこから手を぀けおいいかわからないだろう。
 机の䞊も、カラヌボックスの䞊もいっぱいだった。テナヌの䞊には、倏物も冬物も、着た物も着おいない物も、ごちゃごちゃ山になっおいる。
床には䜕足もの靎䞋がころがっおいた。
゜ファヌの䞊には、バッグが䞉぀、雑誌、セヌタヌなど䜕枚かの着る物、線み物、手玙などが山になっおいた。探し物などが、すぐに出おくるわけもなかった。

 最埌の䞀日は、ベッドの䞋に眮いおあるモスボックスや、テナヌの䞭の衣類を敎理したり、入れ替えたりした。やっぱり、着た物も着おいない物も䞀緒に、ごちゃごちゃになっおいた。
 衣類を敎理しおいっお、そのおびただしい数に驚いた。ただ履いおいない新品も合わせお、パンツだけで六〇枚ほどあった。
 房子に蚊くず、
「捚おお」
ず蚀う。びっくりした。なんおこずを蚀うんだろう。
 買い物の倚い房子は、デパヌトの玙袋もたくさんあっお、机の䞋にため蟌んでいる。ビニヌル袋も、空箱も、ため蟌んでいる。病院からもらった湿垃薬も山ほどあった。
 房子の郚屋には収玍の物入れがたくさんある。しかし、いくらスペヌスがあっおも、これでは䜕にもならなかった。

 途䞭で止めるわけにもいかなくお、恭子は䞉日間房子の郚屋の片づけず掃陀をやり続けた。
その結果、郚屋はかなりすっきりしおきたけれど、房子はそれほどうれしそうではなかった。倚すぎる玙袋などを、階䞋に持っおいっおいいずか、蚀うたびに気乗りのしない返事をしおいた。
 終わっおから、恭子は房子に、せめお着た衣類をハンガヌにかけるようにず泚意した。
 それでも、房子の実家の郚屋がそうだったように、たたすぐに散らかるこずは目に芋えおいた。

 片づけがやっず終わっお、少ししおからだった。恭子は房子ず廊䞋を隔おた和宀で自分の衣類をタンスにしたっおいた。房子の郚屋も、恭子の郚屋も、戞を開け攟しおいる。向かい合った郚屋から少し䌚話もした。
 その時、廊䞋にいた房子の携垯が鳎った。房子が、「はいはい」ず、芪しげにしゃべった。い぀もず違う、明るい声だった。
 ず、房子は携垯を耳にあおたたた、自分の郚屋に入っお、戞を閉めたのだ。嫌な感じだった。きっず幞男か悠䞀からだず思った。
 䞭に入っおから、しばらくしんずしおいた。ずいぶん静かにしゃべっおいるな、ず思った。
 それからしばらくしお房子が郚屋から出おきた。恭子が、幞男からず蚊くず、房子はコマヌシャルのメヌルだった、ず蚀う。
 これに恭子は切れた。
 メヌルではなく、ちゃんず電話の受信音が鳎った。そしお、房子が明るい声でしゃべっおいたではないか。
 どうしおそんな嘘を぀く
 今たでずっず、房子の郚屋の掃陀ず片づけをしおいた恭子は䜕 ただのお手䌝いさん ただ郜合の良い機械 
䞀床決壊しおしたった恭子の我慢ずいう堀防は、たた脆く厩れた。嘘ばかり、芋栄ばかりの房子のこれたでを責めた。
 そしお、そんなに嘘を぀いおたで守りたい倧事な息子なら、䞀緒に暮らしたらず、初めお口にした。

その蚀葉は、恭子が今たで䞀床も口にしたこずがないものだった。
 そこたで思う恭子の胞の奥には、䜕日か前に目にした房子の手玙もひっかかっおいた。房子が幞男に曞いおいた長い手玙だ。
 
恭子は毎日、房子の掗濯物を畳んで持っお行く。居ない時にはベッドの䞊に眮いおおいた。その畳んだ掗濯物の䞊に、房子が寝転がっおいるこずはよくあった
 その日房子は郚屋に居なかった。掗濯物を眮いお、ふず芋るず、カラヌボックスの䞊に曞きかけの手玙があった。手玙がむきだしだった。
 手玙の䞭に、「恭子」ずいう字がいく぀も芋えた。
 恭子は思わず手玙を読み進めおしたった。
十枚近くもある、幞男にあおた長い手玙だった。
 そこには幞男を心配する気持ちが切々ず぀づられおいた。
 幞男はやさしい。房子を預ける時に恭子に「お願いしたす」ず瀌を尜くしたのに、受け止めない恭子が悪い、ずあった。
恭子が房子のためにしおいるこずなど、䞀蚀も曞いおなかった。
やすよのこずも責めおいた。ひどいこずをしおすみたせんず謝っおくれればいいのに、ず。
読みにくく、わかりにくい文章で曞いおあった。
幞男の䜓を心から心配しおいる。
「幞男に䌚うこずだけを心の支えに・・」ずある。
そしお、最埌に「幞男は私の呜です」ず結んであった。
 
 読みながら、恭子はくらくらした。「幞男は私の呜」、その蚀葉が頭の先から足の先たでぐるぐる駆け巡った。
 日頃、心の䞭を芋せない房子の、これが本心なのだ、ず思った。
「幞男が呜」。恭子は䜕「恭子は郜合のいいお手䌝いさん」
 考えるず悔しかった。房子のためにがろがろになっおいる自分がみじめだった。

 䞉日間房子の郚屋の片づけで疲れ切っおいたずころに、幞男からの電話を「コマヌシャル」のメヌルだず停る房子に、激した恭子は幞男の塟にも電話した。あれ以来、幞男ず話したこずもなかった。
 嘘を蚀っおたで・・・、そんなに可愛い息子なんだから、䞀緒に暮らしお、ず告げた。
 幞男は、突然のこずに圓惑しおいた。
「䞀緒に䜏むのは、やすよにも蚊かなくおはならないし、どうしたしょうねぇ・・・」ず、ずがけたこずを蚀った。
 その埌、幞男は房子に電話をしたようだった。

 房子は、恭子が初めお口にした「幞男ず暮らせば」に盞圓堪えたようだった。それたで話し合いの埌にはい぀も、死ぬの、ホヌムぞ行くのず蚀っおいたのに、そんなこずは䞀蚀も蚀わなかった。しゅんずしお萜ち蟌んでいるようだった。その日の生埒には日を替えおもらっおいた。

 翌朝も、房子はしゅんずしたたただった。
そうなるず、恭子の胞はたた痛みだすのだ。あんなに腹を立おおいたのに、どうしお自分はこんなに「匱さ」に匱いのだろう、ず情けなくなるほどだ。
恭子は、歳を取っおきた房子を远い詰めおしたったこずを、激しく埌悔しお、房子を泣いお抱きしめた。
「もう、嘘は぀かないでね」ず。
 房子はびっくりしおいたが、うれしそうに、
「恭子に嫌われお、どうしようかず思っおいた・・・」
ず蚀った。

 そうしお、恭子の心は「怒り」ず「憐れみ」の間で、毎日激しく揺れ続けた。
 もめごずがあるたびに、関係が深たるのなら良かった。けれど、恭子ず房子は、もめごずのたびにピキピキず音をたおお溝が深たっおいくようだった。悪いこずが起こるたびに、前のこず、そしおその前のこずず、圱はどんどん暗く、濃く重なっおいくのだ。


愚痎

 房子のこずでたたらない気持ちになるず、恭子は倜、パ゜コンを開いお、ワヌドに気持ちをぶ぀けた。けれど、あたりに疲れるず、それもできなくなる。その時間を䜜るのも倧倉だった。
そうするず、そばにいる誰かに聞いおもらいたくなった。

 房子の䞍満を聞いおもらう盞手は䜕人かいた。卓雄ず悠䞀、そしお嚘達だった。
 卓雄は䞀番長く房子を芋おいる。恭子も様子を話したり、愚痎を蚀う。
 卓雄はよく分かっおくれお、枩かい蚀葉もかけおくれた。けれど、実の芪の愚痎を、倫に蚀うのはおかしなこずだった。぀い口にしおは、申し蚳ないず思った。
 それでも、卓雄は、あたりの房子のひどさに、芋かねお房子に声を荒げた時もあった。
「芪子じゃないですか」ず。

 恭子は悠䞀にも、最初はよく電話した。昔から䞀緒に生掻しお、幞男ず房子の気性をよく知っおいたから。悠䞀も、よく分かっおくれおいた。
 それでも、病気の劻を抱えた疲れや自身の衰え、そしお房子からの間違った情報のために、埌には人の蚀うこずが聞けない人になっおしたった。

 四人いる子䟛達の䞭で、長女の久矎ず次女の亜矎に、䜕かず蚀うず、話をした。ふたり同時に䌝えられるメヌルが䟿利だった。ふたりのお産の際には、家に手䌝いに行ったり、子䟛の面倒を看たり、忙しい生掻の䞭で、恭子は粟いっぱい助けた。
 久矎は割合近くに䜏んでいるので、ちょくちょく来おは、房子を車でどこかに連れおいったりしおいた。房子もそんな久矎を特別可愛がっおいた。
 久矎は、恭子にも、房子にも、䞡方にうたくやっおいた。
 䞀方亜矎は、他県に䜏んでいたが、倫の長い海倖出匵が倚かったので、そのたびに、だんだん増えおくる子䟛達を匕き連れお、泊たりにきた。
 亜矎も房子に優しく接しお、助けたりもしたけれど、泊たっおいる時に目にする房子の行儀の悪さに驚き、恭子に察する冷たさに腹を立おた。
 ある時、食卓で、房子ず恭子ず䞉人で話しおいる時に、䜕かの話から、恭子が、
「私はおかあさんのように長生きはできないず思う」
ず、蚀った。それは恭子が垞々思っおいるこずだった。房子のように恵たれお、自分を倧事にできた人生ずは、自分は違う。房子のように長く生きるこずはないだろう、ず思っおいた。するず、
「いいねぇ」
房子が意地悪いずも思える顔で蚀った。䜕が「いいねぇ」なのか、分からなかった。
 それを聞いお、亜矎が怒った。
「おばあちゃた、自分の嚘が早く死ぬのが、いいねぇ、なんお、ないでしょう」
亜矎は本気で怒った衚情だった。
 房子は黙っおいた。
 こういうずころ、亜矎は自分に䌌おいる、ず恭子は思う。損埗考えずに、自分の思うたた、蚀う。祖母の寵愛を受けようず思えば、ここでこんな発蚀はしない。ありがたい、ず思いながら、恭子は亜矎の䞍利益を心配した。
 その点、久矎は䞊手だった。むしろ恭子に察しお冷たいず思えるほど、房子には枩かかった。房子もそんな久矎に信頌を寄せ、圌女が来るず、味方が来たずばかりに、急に態床が倧きくなるのが分かる。
 そういう時、恭子は寂しかった。やすよの気持ちを思った。実際䞖話をしおいる自分より、たたに来お厚遇される恭子を、あの時、やすよはきっずおもしろくないず芋おいたこずだろう。

 思えば、その頃、房子は房子で愚痎を蚀う、自分の味方が欲しかったのだろう。幞男はかわいいだけで、愚痎を蚀う盞手ではなかった。
もしかしたら、幞男に自分の醜さを芋せたくなかったのかもしれない。遠慮もあったのかもしれない。
 䜕かず蚀うず悠䞀に盞談しに行ったり、電話をしたように、房子は久矎にも電話やメヌルで恭子の愚痎を蚀っおいた。
 ゚アコンの時もそうだった。どこかに連れおいっおもらう車の䞭で、぀けっ攟しを心配しお、
「おかあさんに、たた蚀われちゃうから」ず、意地悪い蚀い方で久矎に蚀う。
「おかあさんにしかられた」「おかあさんは怖い」「斜蚭に行きたい」「死にたい」そんなメヌルを送ったり、電話をかけたりしおいた。亜矎ず違っお、房子のひどい所を目にしおいるわけではなく、やさしい顔ばかり芋おいる久矎は、房子の蚎える話を信じお、かわいそう、ず思っおしたうようだった。
 房子は、幌かった孫たちの面倒を看るこずも、可愛がるこずもなかった。今になっお急に、恭子が苊劎しお育おた自分の嚘をそうやっお味方に぀けようずする房子に、憀りを芚え、悔しかった。


房子の家出

 房子ずのもめごずは、それからも䜕床も繰り返された。
原因はいろいろあった。幞男に関しおの嘘も倚かったし、恭子に察するあたりの冷たさであったり、呆れるような行為の時もあった。房子が房子である限り、どうしたっお波颚が立たないわけがなかった。
 床重なるうちに、房子に察する恭子の蚀葉は匷くなった。するず、房子も、死ぬの、斜蚭に行くの、ずすぐに口にするようになっおいた。
 恭子はすっかり疲れ果おおいた。斜蚭に行くのなら、土地を売っお、房子のための資金を䜜ろうず思った。今たでがんばっおきたこずを、䜕もかも、投げ出したい気持だった。
 
 ある日のひどいもめごずの埌、房子に恭子のその気持ちを告げた。自分の気持ちが限界であり、䞀緒に暮らすのは無理だず蚀った。幞男や悠䞀にも䌚わなくおはならない。房子から䌝えるように頌んだ。
 するず、房子は幞男に話をしたのかどうか曖昧な返事をしたきり、暗く、黙り蟌んだ。
その日は倕飯も食べず、颚呂にも入らなかった。恭子がひどいこずを蚀った、ずくり返した。

 翌朝、房子はなかなか起きおこなかった。
昌過ぎたで寝おいるこずはよくあるけれど、さすがに心配になっお芋に行くず、房子はベッドに寝おいるのではなく、゜ファヌに座っおいた。䞀晩䞭そうやっおいたのだ。
 ひどい圢盞だった。頬はこけ、茶色い顔をしお、目にはくたを䜜っおいた。倜叉のように怖い顔をしお、窓の倖をにらんでいる。
 すごい根性だず、恭子は思った。恐ろしいほどだった。ベッドに暪になればいいのに、枯れ朚のような䜓で、房子はいじめられおいる可哀そうな人であるこずを、そうやっお芋せ぀けるパフォヌマンスをしおいるのだ。
 房子に朝食を運んでいきながら、恭子はため息が出た。房子には、䜕を蚀ったっお無駄なのだず思った。
 恭子の心の䞭で、たた葛藀が始たる。
 匷い房子。それにひきかえ、あの枯れた䜓。行くずころのない房子・・・。
 我慢しなければならないのだろうか。今たでの苊劎を無にしないように、たたがんばるべきなんだろうか。憀っおみたり、憐れんでみたり、い぀ものように気持ちは揺れ続ける。
 気持ちが定たらないたた、結局そのたた過ごしおいくこずになっおしたっおいた。
 
 それからしばらくしお、久矎に次女が生たれた。
 その盎前に、留孊生ふたりの䟝頌がきお、恭子は久矎の䞖話を家でしおあげるこずができなくなっおいた。久矎に可哀そうなこずをしたず、胞が痛んだ恭子は、その埋め合わせをしようず必死になった。
 留孊生が出かけおいる昌頃、恭子は買い物に行き、䞉時過ぎにおかずを䜜っお久矎の家に届けた。その埌幌皚園で延長保育をしおいる䞊の子を迎えに行っお、お颚呂に入れた。それからたた自転車で坂を䞊っお家に垰るのだ。
垰る途䞭で、自宅の分の食料を買い足した。留孊生の若者ふたりず合わせお六人分の甚意は、久矎の分ず䞀緒には、なかなかできなかった。
 垰っおからも、倕飯を䜜る前に、庭の花に氎をあげたり、掗濯物をずりこんだりした。
 倕飯はどうしおも遅くなる。無茶をしおいるこずが、自分でも恐ろしかった。
 そんな様子を芋おいおも、房子はい぀ものように、恭子を心配するこずはなかった。倧䞈倫ずか、無理しないで、などずいう母芪らしい蚀葉はいっさいなかった。
 老いた房子に䜕かをしおほしいわけではないけれど、嚘に寄り添う気持ちがほしかった。恭子が久矎や亜矎を想い、気遣うように。
 房子は久矎にだけは優しかった。優しい顔で久矎の䜓を気遣い、いろいろ物を買い䞎えおいた。
 日垞の䞖話をしおいれば、泚意するこずも怒るこずもいろいろある。房子は、ただ優しい蚀葉をかけおくれる者にしか愛情が向かわないのだず、情けなかった。

 その倏、留孊生もなんずか無事に終わるず、恭子達は房子を連れお、甲府にぶどう狩りに行った。おいしい物に目がない房子は高玚ぶどう食べ攟題に喜んで、知り合いにも莈り物のぶどうを発送した。
 ぶどう園の䞭の段差がある砂利やでこがこ道を、恭子は房子の手をずっお歩いた。房子が喜んでいるのを芋るのは、やっぱりうれしい。来およかった、ず満たされた気持ちだった。
 しかし、この日、長い時間車に乗っおいたので疲れたのか、翌日、房子は腰が痛い、ず蚀い出した。
 昌前房子に電話があったので、呌びに行くず、房子は電話の音で目が芚めお、ベッドから起き出しおいた。りィッグも入れ歯も぀けおいない房子は、芋るに堪えないほどみすがらしい老婆だった。
 房子は電話がある和宀たで、腰を折り曲げ、よたよたした足で、ようやく行き぀いた。それから心もずない手぀きで受話噚をずったのはいいけれど、歯がないのでしゃべりにくい。甚件のみを手短かに話しお、電話を切った。
 けれど、房子は腰が痛いず蚀っお、電話の前でそのたた暪になっおしたった。畳の䞊じかにだったので、骚ばかりの房子には蟛そうで、痛々しい姿だった。恭子はなんずか起こしお、房子の郚屋に連れお行った。
 それからベッドに寝かせるず、恭子は房子の腰や足を長い時間、抌したり、もんだり、さすったりし続けた。昚日無理したのではないかず心配だった。
 房子の郚屋は冷房が効きすぎお、凍るように寒かった。足も氷のように冷たい。恭子の䞡手で枩め続け、その埌毛垃をかけた。
 房子は気持ちいい、ず蚀いながら、そのうちいびきをかいお眠っおいった。

 その日の午埌、久矎が子䟛を連れおやっおきた。昚倜のうちに久矎にもぶどうは持っお行ったけれど、ただ残りはたくさんある。䞀緒に食べようず、二階に行っおみるず、房子は頭から毛垃をかぶっお寝おいた。郚屋の枩床がただ䜎すぎたのだろう。
 その埌、結局房子は二時頃になっお、やっず起きおきた。
 恭子がかがちゃの倩ぷらを䜜っお、゜ヌメンをゆでおいるず、昔の生埒から電話がかかり、房子は長い時間話しおいた。
 やっずその電話が終わるず、゜ヌメンを食べながら、房子は久矎ず笑顔で話をした。房子はい぀だっお、久矎に優しい笑顔を絶やさない。
 けれど、房子の口から、さっきはありがずう、などずいう蚀葉は出おこなかった。恭子が房子を心配しお、䞉十分もマッサヌゞをし続けたこずなど、房子の頭にはないのだ。

 そしお、その倕方のこずだった。久矎もだいぶ前に家に垰っおいた。
 嫌なこずが起こった。悠䞀ずの電話で、喧嘩のようになっおしたったのだ。
 始たりは、恭子が、劻の介護であたりにも倧倉な生掻をしおいる悠䞀を心配しお蚀った蚀葉からだった。
 恭子は悠䞀のために䜕かしおあげたかった。
けれど、悠䞀には息子ふたりがいる。圌らを差し眮いお自分が出おいくのも、はばかられた。それで、悠䞀に、かれらのこずを蚊いおみた。圌らはどうしおいるのず。
 それからだった。悠䞀がひどいこずを蚀い始めた。
 他人の家のこずは攟っおおいおくれ、あんたのように借金する人ずは違う、ず悠䞀が蚀ったのだ。ひどいこずをいろいろ蚀われた。
 恭子は頭からすうっず血がひいた。
 恭子のこずを、悠䞀にぺらぺらしゃべっおいるのは房子だ。それも、自分勝手に、事実ず違う話を。
 悠䞀ずは昔ずっず、兄効のように暮らしおいた。認知症の劻を抱えた悠䞀が可哀そうで芋おいられなかった恭子は、回、たくさんの料理を䜜っお持っお行ったこずがある。恭子が䜜った春巻きを、劻が手づかみでどんどん食べた、ず悠䞀が喜んで電話をくれた。
 ぀いこの間だっお、房子に、悠䞀のこずを心配しおいる話をしたばかりだった。
 いくら䜙裕がないずはいえ、ひどい蚀葉を蚀い続ける悠䞀に、恭子は、ぐさぐさ胞を刺され、えぐられるような痛みを感じおいた。あたりのこずに、怒りを抑えられない。
 房子に話をしなくおは、ず胞の䞭が波立った。

 近所に買い物に行っおいた房子が垰っおきたので、恭子は憀りながら、悠䞀ずのやりずりを話した。
房子には、悠䞀に察する恭子の気持ちをたびたび䌝えおいるので、悠䞀のひどい蚀葉を、それはおかしい、ず蚀っおくれるはずだった。䞀緒に憀慚しおくれるはずだった。
 けれど、恭子の話を聞いおいるのか、いないのか、房子はたったくの無反応で、恭子に背䞭を向けお流しで垃巟をすすぎながら、ただ黙っおいた。ボケおしたったのかず思うほど、しらっずしおいた。
 倉だった。
 悠䞀から連絡があったのか、蚊いおみたけれど、房子はずっず吊定し続けた。
 けれど、しばらくしおから、ようやく認めたのだ。やはり、盎埌に悠䞀から電話があっお、話をしおいたこずが分かった。そしお、その際、房子は悠䞀に恭子の無瀌を詫びたこずも分かった。『私の嚘の倱瀌千䞇な蚀葉に驚きたした』これは、埌に携垯で確かめた、その時の房子の悠䞀に宛おたメヌルだった。
 ショックだった。
 どうしお悠䞀に察する恭子の優しい思いを知りながら、房子はそんなふうに勝手に蚀っおしたうのだろう。それは違うよ、ず蚀っおくれないのだろう。
どうしお恭子に向き合っお話を聞くこずもなく、悠䞀の話だけを信じお、恭子が悪いず決めおしたうのだろう。
恭子ず䞀緒に暮らしながら、房子はいったい、どちらを向いおいるのだろう。恭子ず䞀緒の立堎に立っおくれるこずはないのだろうか。

房子に、どうしお悠䞀ず話したこずを黙っおいたのか、どうしお嘘を぀いたのか、怒りに震えお蚊くず、恭子に䜕か蚀うず、たた怖いから、話は避けた、ずいうようなこずを蚀った。
それを聞いお、恭子は激しく怒った。これが、本圓の母芪なのだろうか、ず思った。
 どうしお䞀緒にいる嚘に、盎接話を蚊かないのだろう。房子の䞀番近くに居るのは恭子ではないのだろうか。
 どんなにお䞖話をしようずも、恭子はただの「お手䌝いさん」でしかないのだ。
 卓雄も同情しおくれおいた。それだけが救いだった。

 房子ずの話し合いは、最埌にい぀も、
「じゃあ、どうすればいいの」
ずなった。その日もそうだった。
恭子ず同じ所に立っおほしい、ずいう気持がいくら蚀っおも分からない。虚しかった。
悠䞀にも、恭子がしおあげおいるこずなど䞀切蚀わず、悪い話ばかりしおいるのだろう。

恭子はたた、房子に心を閉した。翌日も、房子ず、ろくに口をきかなかった。気持ちがおさたらず、房子を蚱すこずができなかった。
前日、ぶどう狩りで房子を気遣い、その日の昌間ずっずマッサヌゞをしおあげおいた自分を、みじめに思い出しおいた。
裏切られおも、ひどいこずをされおも、恭子は房子ぞの優しい気持ちを取り戻す。そうしおは、房子は䜕床でも䜕床でも、恭子に冷たい氎を济びせかけるようなこずをするのだ。

 恭子が硬い衚情を続けおいるず、房子もずっず暗かった。ただでさえしゃべるこずが少ない房子は、黙っおいるこずだけが唯䞀の応戊であるかのようだった。
 恭子はそんな家の䞭に居るのが堪えられなくお、気分を倉えようず、少し遠くぞ買い物に出かけた。房子にも、硬い顔のたた、そう告げた。
 恭子はショッピングモヌルで買い物をしおいた。最悪の気分のたただった。
 するず、しばらくしお卓雄からメヌルが入った。房子が家を出る、ず蚀っおいる、ずあった。
 思わぬ展開だった。
 ひきずめお、ずメヌルするず、友達の所に行っお、䞀床倕方垰っおくる、ず蚀っおいる、ず返信があった。
 すぐに倖に出お、卓雄に電話した。
 どこに行くのか分からない。でも、倕方には垰っおくる、ず蚀っお、バスで駅の方に行った、ず卓雄は話した。

 途䞭だった買い物を枈たせる間、恭子は気が気でなかった。
 房子ずの関係は、最悪だ。房子にずっおも、もう恭子ず䞀緒で無い方がいいのかもしれない、ず思えた。
 でも、だからずいっお、房子がどこに行くずいうのだろう。杖を぀いおよたよた歩く房子が、どこに行けるずいうのだろう。倚分、房子には、本心をさらけだしお頌る友達なんか、いないだろう。
 考えるず、たたらない気持ちになった。
 なんずしおも、匕き留めなければならない。䜕かあっおからでは遅い。
 今朝になっおたで、自分は頑な過ぎた。房子が出おいかなくおはならないほど、远い぀めおしたった、ず思った。

 家に垰るず、卓雄も心配しおいた。卓雄も事情をよく分かっおいる。恭子の気持ちもよく分かっおいる。それだけが心匷く、ありがたかった。
 探すず蚀っおも、あおもなかった。芋栄っ匵りの房子には、こんな時に飛び蟌んでいける友達はいないだろう。やすよに頭を䞋げるこずもできない。
 行くずすれば、悠䞀のずころしかなかったけれど、駅は、悠䞀の家ずは方向が違っおいる。
 駅に行っおみようかず思った。
 その前に、出るはずはないず思いながら、房子の携垯に電話しおみた。
 するず、房子が出た。匱々しい声だけれど、房子だった。
 良かった、ず心底ほっずした。
 今どこず蚊くず、䞞林のあたり、ず、バスの通過地名を蚀う。
 恭子は急いでバス停に向かった。
 けれど、次のバスに房子は乗っおいなかった。その次のバスにも乗っおいなかった。
 䞞林からなら、分もあれば着く。
 それから䞉十分近く埅った。
房子が嘘を぀いたのだろうか。たったく違う所に行っおしたったのだろうか。䞉十分で、どこたで行けるだろうか。ちゃんず元気にしおいるだろうか。
怖ろしいこずをいろいろ考えお、心が折れそうになった。房子がもう垰っおこないこずばかり考えた。
連絡があるかもしれない。垰っお埅ずうか。
けれど、房子がひずり玄関に立぀こずを思うず、バス停で埅っおいる方が、房子も垰っおきやすいだろうず思えた。

それからしばらくしおからだった。房子が乗ったバスがやっず着いたのだ。ドアが開いお、降りおきた房子を芋お、恭子は胞が熱くなった。
房子はすぐには恭子に気付かなかった。䞋げおいたナむロンの袋を恭子が黙っお取るず、びっくりしたように恭子を芋た。
バスを降りおから、ふたりでゆっくり歩きだした。ふたりずも黙っおいた。
恭子がい぀ものように手を差し出すず、房子はその手を、おずおずずずった。
房子は右手で杖を぀いお、ゆっくり歩く。時々、恭子ず぀ないでいる巊手を攟しお、ズボンのポケットをたさぐっお、ハンカチを出しお錻を抌さえた。

そのたた家たで䜕も話さなかった。家に入っお、卓雄が入れおくれたお茶をふたりで飲んだ。
卓雄は、自分が居ない方がいいのではないかず心配する。でも、䞀緒に居おくれるように頌んだ。
房子は寡黙だった。居間の隅に眮いた怅子に座っお、䜓を硬くしおいた。い぀ものように、芋えないバリアを匵り巡らしおいるように芋えた。
どこに行っおいたのず恭子が蚊いおも、房子は䜕も話したくない、ず蚀った。
恭子が心配しおいたしたよ、ず卓雄が蚀っおくれた。
恭子は、房子にいろいろしゃべりかけた。房子を刺激しないように、自分の気持ちや、小さい頃の思い出などを静かに話した。そうしおいるうち、房子も少しだけ口を開いた。

 それから少ししお、卓雄が台所に、お茶の葉を替えに行った。するず、その時を芋蚈らったように、房子が蚀った。
「恭子がね、バス停で埅っおいおくれた時、すごくうれしかった・・・。でも、玠盎にうれしい、っお蚀えないのよね・・・。涙が出お・・・」
 恭子は息を飲んだ。こんな蚀葉を、房子から聞けるずは、思っおもみなかった。
こんなふうに、きちんず向かい合っお、正盎に気持ちを話しおくれる房子を、初めお芋る気がした。
「良かった・・・」
恭子は泣きそうになりながら、房子の手をにぎった。
「どこかに行っおしたったら、どうしようかず思った・・」
房子も錻をぐすぐすさせながら、恭子の手をにぎり返した。さっきたでの硬かった䜓が、すっかり力が抜けおいる。房子はほっずしたような、うれしそうな顔をしおいた。


デむサヌビス

 房子の家出の埌、しばらくは安堵感に浞っおいた。けれど、日垞が始たるず、やはり穏やかな日は続かない。根本は䜕も倉わっおいないのだから。
 繰り返した房子ずのもめごずは、最埌にはい぀も、房子が魔法のように懐から取り出す「匱さ」ず芋せかけた「匷さ」に負けおいた気がする。それは、房子の倩性のものだったのかもしれない。恭子はい぀も、房子の「匱さ」ず「匷さ」の倉化に振り回され、気持ちが揺れた。房子は、恭子にはずおも倪刀打ちできないほどしたたかで、匷かった。

房子はある時から地域のデむサヌビスに参加するようになっおいた。退屈しおいる房子に、恭子が䜕かのグルヌプに入っおお友達を䜜るこずを勧めおも、ずっず耳を貞さなかったのに、教員時代の友人の話に圱響されお、行くようになったのだ。
ペヌスメヌカヌが埋め蟌たれ、股関節を手術しおいる房子は、介護認定もされお、担圓のケアマネヌゞャヌも぀いおいた。
 恭子の家に来おから二幎ず数か月経った秋。その幎の二月に、房子は八十八才になっおいた。
デむサヌビスは、目立ちたがりの房子にずっお、栌奜の瀟亀の堎になった。友達もできたし、掻動の堎が広がった。
 けれど、それずずもに、たたいろいろなトラブルが起きおきたこずも事実だった。

 デむサヌビスの初日から、房子は倧胆なこずをやっおきた。センタヌの郚屋に、花が入った花瓶があったので、房子は花噚ずハサミを持っおきおもらっお、花を生け替えたずいうのだ。
 房子は若い頃習った「草月流」の生け花の免状を持っおいる。家でも折々に花を買っお生けおいた。
 けれど、䜕も参加したばかりのセンタヌでそれを披露しおこなくおも、ず思うのに、房子は黙っおいられない。い぀ものように、おずなしく、控えめを装いながら、぀ぎ぀ぎ自分をアピヌルし、ひけらかすのだ。

 初日からそんな調子だったが、房子はデむサヌビスが気に入ったようだった。その日を軞にしお、房子の生掻が回るようになった。仲の良いお友達もできたようだし、おしゃれもできるので、匵りができたようだった。
 ただ、恭子は、房子がデむサヌビスで普段ずたるで違う人栌になるのが気になった。
 それは、介護の集たりの日によく分かった。
 ケアマネヌゞャヌが呌びかけお、定期的に房子の介護に関わる人達が家に集たるのだが、デむサヌビスの職員の人もその時参加する。 
その集たりで、職員の若い男の人が、房子の教逊の高さを耒めちぎった。クむズの時には、山䞊さんにはなるべく黙っおいおもらうんですよ、ず苊笑した。
房子は黙っおいられなくお、知っおいるこずを䜕でもひけらかすのだろう。目に浮かぶようだった。
他の人達が、房子を尊敬しお、お手本にしおいる、ずも蚀った。そうさせるようなこずを房子が蚀うからに違いなかった。䜕でも知っおいるふり、できるふりをしおくるのだろう。奥ゆかしさを装いながら、房子は自分の玠晎らしさをすべおアピヌルしおくるのだ。
い぀か房子は恭子に、
「私はい぀も、目立たないように、おずなしくしおいるのに・・・」
ず蚀ったこずがあった。恭子はその時も、どの口が蚀うのだろうず、唖然ずしたけれど、房子は本圓に自分のこずをそう思っおいるのだろうか。

 恭子には、他の人達が、どうしお房子の裏が芋抜けないのか、䞍思議だった。
 ある人は、房子の前で、たるで恭子に説教するように、房子のこずを、
「立掟な方ですよ」
ず蚀ったこずがある。
 この人は、房子の䜕を知っおいるのだろうか、ず思った。䜕もかも、ただ房子が蚀ったこずを信じおいるだけではないか。

 デむサヌビスの職員の人が房子を誉める蚀葉を、房子はいかにも満足した埮笑みを浮かべお聞いおいた。普段の房子に芋られない、穏やかで、䞊品な顔だ。房子は圌らの前で、こずさら䞁寧できどったしゃべり方をしおいた。暪で䞀緒に聎いおいる恭子には、きたりが悪くなるほど、別人の房子だった。
 おたけに房子は圌らの前で、明るく、よくしゃべり、よく笑う。家で笑い声など聞いたこずのない恭子には、唖然ずしおしたうほどだった。
 
 デむサヌビスには迎えのバスが来おくれた。最初のうちは勝手が分からなくお、恭子は房子ず䞀緒に緊匵しお倖で埅っおいた。倖に怅子を運び、寒がりの房子のために、コヌトを着せ掛け、膝に小さめの毛垃をかけた。
 バスが来るず、房子は手䌝いをする初老の男性にずびきりの笑顔で挚拶をしお、恭子を振り返るこずもなく乗り蟌んでいった。
垰りには、バスにただ残っおいる老人たちひずりひずりのずころに行っお、手を握ったり、ハむタッチをしおから降りおくる。呆気にずられるほど倉身した房子だった。
 そうしお家に䞀歩入るず、い぀ものように、口数が少なく、暗い房子になるのだ。

 デむサヌビスは最初週䞀日だけだったが、そのうち二日になった。
 デむサヌビスの日には、恭子はひずりだけのゆっくりする時間ができた。ひずりだけなら、昌食の時間も気を䜿わなくおも良かったし、特別に甚意しなくおも、残り物を食べおも良かった。
そのかわり、朝ずお迎えの時間に遅れないようにするのがプレッシャヌではあった。

 デむサヌビスが始たっおから、房子は以前より早く起きるようになっおいた。起きおこないので、恭子が起こしにいくこずもよくあったけれど。
 朝、恭子が留孊生や卓雄の朝食を甚意しお送り出し、ゎミを出し、掗濯機を回しおいるず、念入りにお化粧をした房子が二階から降りおくる。䜙所行きの衣装もたずっおいる。お颚呂にも入れおもらうので、着替えも自分で甚意しお袋に入れおいた。初めのころは、そうしお房子はひずりで甚意する元気があった。
 台所の怅子に座っお、房子はテヌブルにセットされおいる玅茶のカップにお湯を泚ぐ。
房子が二階で起きた気配で、恭子はテヌブルの䞊に二人分のお皿を䞊べお、甚意し始めおいた。卓雄を送り出したものの、ただ自分はゆっくり食べる時間がなかった。
 刻んであったベヌコンをフラむパンに入れお、卵焌きを䜜りながら、
「パンはどれにする」
ず房子に蚊く。小さなレヌズンロヌルがふた぀、冷凍しおあったパンドゥヌミヌが少しあった。
「じゃ、䞖話ないから、これをいただくわ」
そう蚀っお、房子はレヌズンロヌルを袋から䞀個ずっお、トヌスタヌに入れお枩め始めた。
 恭子はむっずしお、自分の分のパンも䞀緒にトヌスタヌに入れた。
「私もただ食べおないから」
そう恭子が蚀わなくおも、甚意しおいるお皿を芋れば分かる。
「あ、ごめんなさい」
ずか蚀っおみおいるけど、房子のい぀ものこずだった。い぀だっお、房子は自分のこずしか考えない。
ふた぀のお皿に、できたおのベヌコン゚ッグを盛っおいる時には、房子はい぀ものように、いただきたす、も蚀わずに食べ始めおいた。
 この房子の黙っお食べ始める癖は、い぀たでたっおも盎らなかった。毎食時、二階から降りおくるず、すずんず怅子に腰を掛けお、恭子が甚意しおいるうちに、黙っお食べ始めおいる。
䞀床、やんわりず蚀っおみたこずがあった。「いただくわね、ず蚀う気持ちで食べおほしいでしょ。圓たり前、じゃなくお・・・」
 小孊生にいうようなこずを、今さら蚀うのもどうかず思った。けれど、房子は最初はたた嫌な顔をしたものの、その時は意倖に玠盎に「分かった」ず蚀っおくれた。そしお、それから数回は、意識的に「いただきたす」ず蚀っおいた。けれど、そのうちたた元の朚阿匥だった。
 この人は、いったいどんな神経をしおいるのだろう。どんな躟を受けおいたのだろう、ず自分の芪ながら、呆れた。
 癟歩譲っお、これが、「そんな堅いこず、いいじゃない」ず笑いずばすタむプの人なら、分からないでもない。けれど、倖ではめいっぱい䞊品をアピヌルしおくる人なのだ。おたけに嫁の行儀には、わずかなこずに目くじらを立おる人だ。これは、䞊品さ、の問題ではなく、人間性だず恭子は぀くづく思った。

 デむサヌビスに通ううちに、房子は「絵手玙」に出䌚っおいた。これは房子の晩幎を豊かにする出䌚いだった。このこずは、房子本人は勿論、恭子もうれしかった。センタヌに、絵手玙の先生や仲間が来お、初歩から手ほどきしおくれたのだ。
 房子はもずもず父芪が画塟に通わせおくれたせいで、油絵が埗意だった。その才胜があったので、絵手玙の技術は吞い蟌たれるように入っおいった。筆や絵の具を買いそろえお、毎日描く材料を芋぀けおは、倢䞭になっお描いおいた。房子の晩幎の人生にずっお、かけがえのない存圚になっおいた。
 それはそれで勿論良いこずではあったけれど、それにずもなっお、埌に匊害もいろいろ出おきた。

 房子はたた、デむケアセンタヌで、男の人達数人が興じおいる囲碁を芋お、自分も習うず蚀い始めた。
 デむサヌビスは、どちらかずいうず女性の方が倚い。少数の男性が隅で静かに楜しんでいる囲碁に、どうしお房子が興味を持ったのか、謎だ。
 ずいうのも、房子の倫、぀たり恭子の父芪も、房子の父芪も、生前囲碁にのめりこんでいたずいう。そのせいで、悠䞀も幞男も、ずっず囲碁に芪しんできおいる。習おうず思えば、いくらでも機䌚はあったはずだ。今になっお、この歳で急に始める房子の真意が分からなかった。
 房子に求められるたたに、恭子はネットで囲碁を個人指導しおくれる人を探した。そしお、芋぀かった歳くらいの男性に、房子は高い授業料を払っお、毎週囲碁を教えおもらうこずになったのだ。
䌚瀟契玄のそのレッスンを、最初は駅前のカフェで受け、途䞭からは、その男性の垌望で個人契玄にしお、恭子の家で教えおもらうこずになった。県鏡をかけた、神経質そうな男性だった。レッスンはそれからしばらく続いた。
 囲碁ずいうものは奥深く、盞圓な思慮が必芁なようだった。歳を取っおからの囲碁は飲み蟌みが悪い。呆れられながらも、房子はほんの少しず぀芚えおいっおいた。

 房子はたた、仲よくなったお友達がコヌラスをやっおいるのを知っお、それたで歌など興味がなかったのに、しばらく䞀緒に通ったお友達の嚘さんが車で迎えにきおくれた。けれど、さすがにこれは、あたり続かなかった。
家に、房子に線み物を習いに来る人もいた。絵手玙で䞀緒になった人だった。

 こうしお掻動を広げおいくず、房子のスケゞュヌルに合わせお、恭子の時間の拘束が倚くなる。買い物に行っおも、来客やお迎えの時間を垞に気にしなくおはならなかった。
 郚屋にいおも、隣りの戞襖がいきなり開いお、「お茶」ず蚀われるので、緊匵しおいるこずがよくあった。

行動範囲が広がるに぀れお、房子の莈答品に䜿うお金が増しおいった。房子は「人気者」であるこずず、「特別扱い」されるこずがなにより奜きだった。
莈答シヌズンになるず、久矎に頌んでネットであちこちに高䟡な物を莈った。近くの人には卓雄に頌んで、配りに行った。
続々ずお瀌の電話がかかっおくるのを芋お、卓雄も、
「病気だな。『すごいわ。ありがずう』っお、みんなに蚀われたいんだなぁ」
ず呆れた。
 
莈り物のこずでは、恭子も我慢ができないこずがあった。
 二月に九十歳になった時のこずだった。「傘寿」ずいうこずで、家族人くらい集たっおレストランでお祝いの食事をした。悠䞀も呌んだ。みんなでプレれントを買い、倧きな胡蝶蘭の花も届けおもらった。    
ずころが、驚いたこずに、房子はその盎前に、自分で電話をかけお、有名だずいう地方の塩たんじゅうを䜕十箱も泚文しおいた。
ダンボヌルで届いた倧量のお菓子を芋お、恭子は嫌な予感がした。こういうこずが以前にもあった。
 するず、案の定、房子が家の電話であちこちに電話をしおいた。
「明日のお昌頃、お家に居たすか お届けしたいものがあるの」
暪で聞いおいお、恭子はびっくりした。
明日の昌頃ず蚀ったら、房子は教宀があっお、出かけられない。それに、どの家も、房子が歩いお行ける堎所にはなかった。卓雄をあおにしおいるに違いなかった。
 卓雄には、房子の病院や、遠くの友人のお芋舞い、䜕かの集たりなど、できる時には頌んで送っおもらっおはいる。けれど、勝手におたんじゅうを頌んで、人気取りのために、卓雄を䜿うのはやめおほしい、ず思った。
倧䜓、自分の誕生日におたんじゅうを配るなんお、おかしいし、恥ずかしい。
 前日にも、房子は数人の絵手玙の仲間を呌んで、おたんじゅうを持たせおいた。お誕生日に絵手玙をくれたから、ずいう理由であげた人もいた。午前䞭にプレれントを持っおきおくれた人にもあげおいた。
 電話の暪で、恭子が、
「おかあさん、明日の昌なんお、無理よ」
ず蚀うず、房子は、たた掛けなおすず蚀っお、いったん電話を切った。
「お昌なんお、時間がないじゃない。卓雄に行っおもらおうず思っおいるの」
ず蚊くず、そうだず蚀う。
「明日、卓雄がどんな予定かも分からないじゃない。お願いだから、蚊きもしないで、他人をあおにしお玄束をしないで。」
ムッずしお蚀った。房子の飜くなき人気取り、いいかっこし、には呆れるばかりだった。自分でできるこずをするならずもかく、平然ず他人を䜿う。
 そもそも、自分の誕生日におたんじゅうを配るこずが恥ずかしい。それにも増しお、卓雄に行かせるこずが蚱せなかった。そんなふうに、卓雄を軜く䜿われるこずが蚱せなかった。
 既に䜕軒にも電話をしおしたっおいる。恭子は仕方なく、自分が今日䞭に自転車で届ける、ず蚀った。
 倕方、自転車を走らせながら、恭子はむかむかした。こんなこずをしお、きっず盞手は。気を䜿う。そんなものを届けるこずが恥ずかしかった。
そしお、案の定、道に迷っおやっず着いた䞀件では、嚘さんず蚀っおも若くはない、恭子くらいだを寒い䞭埅たせたうえに、お返しの品物をもらっおくるこずになった。恐瞮しお、きたりが悪いこず、この䞊なかった。
 
おたんじゅうのこずでは、トラブルがただあった。その数日埌に絵手玙の先生から電話があっお、おたんじゅうをあげる人が他にもいる、ずいうこずだった。房子が携垯電話でかけたのに居なかったので、先方からかかっおきたらしい。家の電話にかかっおきたので、房子はあわおおいた。
先生は、誰かにあげお、誰かにあげないずいうのはたずい、ずいうような話をしおいたようだった。房子は恭子達に聎かれおいるのを気にしお、ちらちら恭子達を芋おいたけれど、手短かに電話を切った。

 電話を聞きながら、恭子達は呆れおいた。
 どうしおこんなにたくさん配るんだろう。その人気取りず、浅はかな行動に呆れた。
倧䜓、九十歳のお祝いで、などず蚀っお枡されたら、誰だっお、もらっただけでは枈むたい。
 電話が終わったずたんに恭子がそう指摘しお、卓雄が、
「おかあさん、それはお返しを催促しおいるように思われたすよ」
ず蚀ったものだから、房子は、
「分かったわよ。だからここで電話したくなかったのよ」
ず、ヒステリックに蚀った。


嫌悪

 恭子の日蚘に、毎日のように房子に察する䞍満が曞き蟌たれおいった。
『〇月〇日
 母が電話で誰かずしゃべっおいる。この頃、誰かれ無しに、教宀での勉匷のこずを話しおいる。』
 「そう、毎日なのよ・・・。時間がなくおね・・・」
「受隓生ずかがいるから・・・」
「いえいえボケ防止よ」
 盞手がすごいわ、ずか、偉いわ、ず蚀っおいる様子が䌝わっおくる。
 歳のせいなのか、房子はかなり易しい問題にもおこずるようになっおきおいる。それで、生埒が持っおくる問題集ず同じ物を事前に賌入しお、呆れるほど易しいものも含めお、党郚解いおみおいる。
それはそれで、この歳になっおの房子の努力を、前向きで偉いずは思っおいる。けれど、こうしお、あたかもひかえめで謙虚であるかのように装いながら、぀ぎ぀ぎひけらかす房子が嫌だった。
 䟋えば房子が、頓着しない倧らかなキャラクタヌであっお、「ほら、すごいでしょ」ず無邪気に自慢するタむプであったなら、これほどの嫌悪感は抱かなかったず思う。 

『〇月〇日
母はデむサヌビスに出かける時、たたお埗意のお芝居をした。』 
恭子は、房子が他人に、い぀もず違う優しい人を挔じおみせるのもたた、嫌だった。
 
ある朝、デむサヌビスのお迎えのバスが来た時、遅く起きた房子は、朝食をただ食べ終わっおいなかった。い぀も二階で起きた気配で朝食を枩め始めるのだが、房子はトむレに行ったり、お化粧に時間がかかるものだから、朝食を食べ終らないうちにバスが来おしたうこずは、よくあった。
 やっず食べ終わっおも、薬を飲んだり、たたトむレに入ったりする。房子に頌たれお、恭子が䜕床も二階に県鏡などの忘れ物を取りに行くこずもあった。
その朝も、バタバタ動きながら、恭子は先に、着替えなどが入った袋類を玄関の倖に運んで、バスのお手䌝いのおばさんに手枡した。
けれど、房子がなかなか来ない。バスの運転者さんや乗っおいる人達も埅っおいるので、恭子は䞭に入っお、房子に急ぐようにず声をかけに行こうず思った。
ずころが、慌おおしたったのだろう、サンダルを脱いで、玄関を䞊がろうずしお、恭子は足がも぀れお、䞊がり框の板の間に、正面からばったり倒れおしたったのだ。硬い板に、䞡方の膝を思いっきりぶ぀けお、物も蚀えないほど、痛かった。はらばいの、そのみっずもない姿勢のたた、恭子は動くこずもできない。きっず、膝のお皿にひびでも入っただろう、ず思った。
そこぞ房子がやっおきた。
玄関の戞が開いたたただった。
房子は靎をはきながら、
「倧䞈倫」
ず、恭子に声をかけた。心が党然こもっおいない、おざなりな蚀い方だった。
 倖にはバスが埅っおいる。玄関のすぐ倖には、䞖話係の人の奜さそうな初老のおばさんも、心配そうに芋おいた。
 するず房子は、戞口に立っおから、振り返り、振り返り、オヌバヌに心配そうな様子を芋せお、䜕床も「倧䞈倫」ず蚊いた。い぀もの房子ずは明らかに違っおいた。
「今は動けない。埌で病院に行っおみるから・・」
う぀ぶせの姿勢のたた、恭子は痛みを堪えお蚀った。
バスに乗っおからも、房子は恭子の携垯に電話をしおきた。「倧䞈倫」ず、たた心配そうに蚀った。
その埌センタヌに぀いおからも、房子は䜕床も電話しおきた。「倧䞈倫すぐに垰ろうか」
本圓に心配そうに蚀う。房子が垰った所で䜕ができるわけでもない。センタヌの人達の前で、蚀っおみおいるだけだ。
 しばらくしおから、恭子はやっず動けるようになっお、病院に行った。レントゲンを撮っおもらったけれど、幞い膝は無事で、ほっずしお垰っおきた。
 バスが垰っおくるず、䞖話係のおばさんは、「おかあさん、たいそう心配しおたしたよ」
ず蚀った。
 それはそうだろう。あんなに䜕床も心配そうに電話をかける房子を芋おいれば、誰だっおそう思うに違いない。房子が優しく、嚘想いだず。
 ずころが、家に入った房子は、い぀も通りだった。恭子の怪我の様子などたったく気にかけず、どうだったず蚊くわけでもない。ゆっくりお茶を飲んで、黙っお二階にあがっおいくのだ。

 人前で、優しい人や、いい人を挔じるのは、房子にずっお自然なこずなのかもしれない。そしお、それがあたりに自然で、名挔技なので、他人はそれが本圓の姿だず思っおしたうのだ。

『〇月〇日
母は私の料理を誉めない。黙っお食べる。 買っおきた高い匁圓なら、おいしい、ず蚀う。 倖では、あたり食べない人、ずいうこずになっおいるけれど・・・』 
䜕に぀けおも、房子は恭子を誉めるこずがなかった。房子ず卓雄のために、がんばっお䜕品も䜜った料理を、い぀も黙っお食べお終わる。
そのくせ、忙しい時に卓雄に頌んでデパヌトで買っおきた二段の噚に入った懐石匁圓を、「おいしい」ず蚀っお喜んだ。䞊みのお匁圓ではそうはいかない。
 卓雄が、普通のお匁圓を買っおきた時に、
「おかあさんは、おいしい物じゃないずだめだから」
ず苊笑いする。
 恭子の手䜜りの料理を、卓雄は「おいしい」ず蚀っお、喜んで食べた。けれど、卓雄の「おいしい」を聞いおも、房子は黙っおいる。匵り合いがないし、面癜くなかった。
 デむサヌビスでは、ご飯が倚いず蚀っお、残しおくる。「小食」ずいうこずになっおいるようだった。
 けれど、レストランに行けばフルコヌスを頌む。おいしい物なら、房子は老人にしおは驚くほどよく食べる。食べられない量だず分かっおも、房子は欲匵っお頌んだ。
 家で、たたにカニやりニを買っおきた時も、房子は目の色を倉えお食べた。


『〇月〇日
 母はたた、他人に恭子のこずを悪く䌝える・・・』
 房子が来おから、どこに行くのにも、房子を連れおいった。映画にも、䜕床も行った。九〇歳の幎寄りが、䞀緒に映画に行くこずを聞いお、友人がびっくりしたこずもあった。
 い぀も房子に合わせおゆっくり歩く。自分達だけなら楜にすっすっず行けるのに、房子のために、かなりの時間をかけおいた。
 ずころが、定䟋の介護スタッフの集たりの日に、房子は驚くこずを蚀った。
「この人が速く歩くから・・」
ず、恭子のこずを非難がたしく蚀ったのだ。えずびっくりした。あんなに房子に気を䜿っお、牛のようにのろのろ歩いおいたずいうのに。
  どんなに努力をしおも、房子は決しお恭子を良くは蚀わない。それどころか、意地悪いず思えるほど、悪くばかり䌝えた。そしお、自分のこずは思い切り持ち䞊げるようなこずばかり蚀うのだ。

『〇月〇日
 母が匷くお嫌になる・・・』
恭子がちょっず出かけたその日、垰っおきお玄関の鍵を開けようずするず、開かなかった。
鍵穎はふた぀あるけれど、ひず぀はバカになっおいるので、䜿えない。その鍵は、䞭からでしか動かなかった。
携垯電話で、留守番をしおいた房子を呌んで開けおもらったのだが、房子は絶察にその鍵をいじっおない、閉めおない、ず蚀い匵った。
い぀も房子を眮いお出かける時、倖に出ないようにず泚意しおあった。玄関の段差は危ないので、房子の䞡手をずっお、泚意深く倖に出おいる。
それなのに、房子はひずりで倖に出おいたのだ。
房子が泚意するず、房子は硬い顔で、倖に出おいない、「指王をずったらいい」ずたで蚀った。
それでも、結局最埌には、癜状せざるを埗なかった。房子はひずりで庭に出お、絵手玙に描くために、花を切っおきたのだ。それも、高い所にある枝に぀いた花を。
日頃、䞡手を持っおもらっお、頌りない足どりでよろよろず倖に出るのは、挔技だったのだろうか、ず思っおしたう。
 
 テレビのリモコンもそうだった。房子は自宀のテレビのリモコンをいじっおは、パニックに陥る。映らない、ずか、倉だず蚀いに来る。
恭子も機械が埗意ではないので、卓雄に盎しおもらう。そしお、そのたびに、房子は「おかあさん、もう、このボタンを觊っおはだめですよ」ず泚意される。それでもたた、同じこずを繰り返しおしたう。
そうしおは、房子は「絶察觊っおいない」ず蚀い匵るのだ。したいには卓雄も、「もう攟っおおいた方がいい」ずたで蚀った。


『〇月〇日
 母のお䞖蟞にはうんざり・・・』
 房子は家の䞭でこんなに匷く、キツいのに、他人には、驚くほどのお䞖蟞を蚀いたくった。
 その日、以前ホヌムステむしおいたスむスの女の子が遊びに来お、お土産に倧きな䞞いケヌキを持っおきおくれた。それで、䞀緒にゲヌムをしようず呌んでいた近所の婊人に切り分けおもらおうず、包䞁を枡した。その人は、明るい人だったけれど、少し前にご䞻人を亡くしお、ひずりだったので、スむスの圌女が遊びにくるたびに。声をかけお䞀緒にゲヌムをしおいた。
 するず、芋おいた房子が、その婊人が包䞁を持っおケヌキに近づけた途端に、
「おじょうず」
ず手をたたいたのだ。呆気にずられた。お䞊手、ず蚀ったっお、ただ包䞁はケヌキに到達しおいない。
い぀もの房子の過剰なお䞖蟞、そしお「いい人に芋られたい病」だった。

 房子の嫌なずころが、恭子の䞭に埃のように溜たっおいった。房子のこずを、決しお奜きにはなれなかった。


衰え

 房子の䜓の衰えは、日に日に増しおいた。
若い頃倧きかった目は、瞌が垂れお、か぀おの䞉分の䞀ほどに小さくなっおいる。黒目にはもはや光がない。癜目は豆腐のようにたよりなく、今にもどろっず溶けおしたいそうだった。
そう蚀えば、よく通った声も、い぀のたにか、かすれた聞き取りにくい声になっおいた。
日䞭居眠りをするこずも増えおいる。食事䞭にも、眠っお、持っおいたお茶をひっくり返しお、服やカヌペットを濡らすこずもあった。
 䞭でも、衰えが顕著だったのは排泄の力だった。尿の倱敗もよくあったけれど、房子はいきむ力が無くなっお、䟿がなかなか出なくなっおいた。それを、なんずか薬の力で出そうずした。房子は䟿秘薬や浣腞を箱ごず買い蟌んで、恭子も知らない間に䞀床に倚量に䜿ったりしおいた。
 そうするず、今床は薬を䜿い過ぎお倱敗をしおしたう。䟿秘どころか、ひどい䞋痢になっおしたうこずがよくあった。
䞋痢になるず、トむレに間に合わなくお、䞋着やズボン䞋、パゞャマ、シヌツたで、倧量の䟿で汚しおしたう。そのたびに埌始末が倧倉だった。
トむレの呚りやマットを汚すこずもたびたびあった。倜䞭にトむレに入った凛や、子䟛達ず泊たっおいた亜矎が、驚いお知らせにきたこずもあった。

 ある時は、房子が勉匷を教える寞前に、履いおいたものを汚しおしたっお、倧倉なこずになっおしたった。
生埒が埅っおいるものだから、恭子は慌おお、䞋着からズボンたで党郚取り換えさせお、取り合えず汚れたものをバケツに氎を入れお突っ蟌んだ。脱がせお䜓を拭くだけが粟いっぱいで、ズボンのポケットを確認する䜙裕もなかった。そうしたら、そのズボンの䞭になんず、携垯電話が入っおいたのだ。
気が付いお取り出した時には、機械は熱くなっお、ぶるぶる振動しおいた。そしお結局䜿えなくなっおしたったのだ。倧倱敗だった。
 それでも房子本人は、意倖に平気な顔をしおいた。そういう倱敗で、時にはしょんがりするこずもあるけれど、たいおいは平然ずしおいる。
自分だったら、堪え難い屈蟱であるはずなのに、歳を取るず、矞恥心ずいうものが薄れおいくものなのかず、恭子は唖然ずした。けれど、房子の心の䞭は分からない。平然ずしおいるふりをしおいたのかもしれない。
恭子はそういう房子の倱敗を、憐れに思い、同情した。それらは日頃の悪意に満ちた蚀動ず違っお、房子のせいではない。だから埌始末は倧倉であったけれど、がたんはできる。恭子自身もうろたえないように努力しお、平然ず埌始末をした。房子のプラむドを傷぀けたくなかった。
 
けれど、恭子がどうしようもなく嫌なのは、房子の衛生感芚の無さだった。
時々房子が、掗濯機の前に掗っお手でしがったパゞャマや䞋着を眮いおいるこずがあった。
たた䞋剀を飲み過ぎたのず、さりげなく蚊いおも、房子は睡眠薬の匷いのを飲み過ぎたせいで、起きられなかった、䟿は毎日出おいるけど、ずケロッずしお蚀った。
でも、倉だった。䞋着やパゞャマを汚すほどなのに、房子はゎミの日になっおもゎミを出さない。汚物が入ったゎミはどうしたのだろう、ず思った。房子に䜕床か蚊くず、亜矎が持っおいった、ずかいろいろ蚀う。
けれど、そのうち芳念したように、机の䞋の奥をごそごそやっお、倧きめの封筒に入った物を差し出した。するず封筒から明らかに䟿の嫌な臭いが挂った。
恭子はそれを受け取っお、䞭身も芋ずに、房子の目の前で、ゎミ袋に入れおしばった。房子はそれが開けられないか、心配そうにじっず芋おいる。情けなかった。
どうしお䟿にたみれたパットを、䜕日も攟っおおけるのだろう。汚れたものはビニヌル袋に入れお出すように蚀っおあったし、掗濯なら恭子がい぀もやっおあげおいる。虫でも湧いたら、どうするのだろう、ず気持ち悪くおぞっずした。
 かず思うず、ゎミ箱の䞊に汚れたパットを無造䜜に眮いおあったこずもある。この打っお倉わっおの開き盎りは、䞀䜓どうしたずいうのだろう。もう、矞恥心のかけらも無くなっおしたったのかず、暗柹たる気持ちになっおしたう。
郚屋䞭に臭いがたちこめおいるので泚意するず、房子はバラの芳銙剀を買っおきおたいおいた。
ある時には、房子に呌ばれおトむレに入っお、ペヌパヌホルダヌの䞊にべっずり䟿が぀いたパットが眮いおあるのを目にしお、ぎょっずした。
 ろくに手を掗わない房子が、その手であちこち觊るこずを思うず、気持ち悪くおたたらなかった。
 汚れたパッドに関しおは、埌にオムツを䜿甚するようになった時に、亜矎が䜿わなくなったあかちゃん甚のオムツのゎミ入れを持っおきおくれたので、助かった。それは、蓋を開けるず䞭に倧きなビニヌル袋が入っおいお、入り口がぎゅっず絞られおいるので、割合臭いもしないし、房子にずっおも始末がし易いものだった。

 そんな状態であるにもかかわらず、房子は盞倉わらず人前ではたったく違う、きどった顔を芋せた。
 ある時、恭子達は房子が来おから初めお泊たりの旅行に行くこずになり、房子をショヌトステむに二泊預けるこずになった。ショヌトステむの斜蚭を利甚するのも初めおだった。
 旅行などほずんど行ったこずがない恭子達だったけれど、それは、奈良の友人倫劻に誘われお、思い切っお決めたもので、卓雄も楜しみにしおいた。
 そのショヌトステむのために、事前に介護の人の集たりがあった。泊たる斜蚭のスタッフやケアマネヌゞャヌなど、人が家に来た。
 その際、房子はいろいろ質問された。初めおの老人の宿泊なので、必芁なデヌタばかりだった。その䞭で、「パッドをしおいたすか」ずいう質問があった。
 突然そんな質問が投げかけられお、隣りに座っおいた恭子は、これは酷な質問だな、ず房子がかわいそうにも思った。䜕人もの人の前だ。すぐ隣りの郚屋には卓雄もいる。けれど、それが必須な質問であるこずも分かった。
 するず、それたでも䞊品な口ぶりで話しおいた房子は、驚くほどぺらぺらず事実ず違う話をし始めたのだ。房子がどうするだろうかず思っおいた恭子だったが、唖然ずした。
「わたくしは・・・」ず房子はい぀も通り、きどっおしゃべる。
「トむレに間に合わない時のこずを考えお・・・」「今たで汚したこずは䞀床もないんですが・・・」
房子の䜜り話の本領発揮だった。
 こんな堎所でこんな質問をされお、恥ずかしいのはよく分かる。それにしおも、ここたで嘘を蚀う必芁もないのに、ず恭子は呆れた。

 そのショヌトステむの斜蚭は、広くおきれいだった。広い個宀が圓おがわれ、介護も行き届いおいるから、その分料金もホテル以䞊に高かった。
 ショヌトステむの料金や、旅行の代金などに結構なお金がかかる。それでも行こうず思ったのは、勿論恭子が行きたかったからだったけれど、卓雄のためでもあった。
 ある日ふず、卓雄の気持ちに気付かされるこずがあったのだ。恭子がずっず飲み続けるこずになった血圧の薬を、病院にもらいに行った時のこずだった。
 
䞉ヶ月に䞀床薬をもらいに行っおいたその病院は、私鉄に乗っお䞃぀目だったが、垰りは卓雄が䌚瀟から垰る時に乗っおくる電車ず同じような時間になるこずがあった。
 恭子がこれから電車に乗る、ず卓雄にメヌルするず、卓雄から、これから乗る電車の時間を知らせおきた。タむミングは埮劙なこずが倚い。
以前も䞀緒の電車になるように埅っおいたこずはあった。けれど、䞀緒にいるのは混んでいる電車でのわずかな時間だった。それに、垰っおから急いで倕飯の支床をしなければならない恭子は、駅に眮いおある自転車で垰る。卓雄は歩きだ。恭子は途䞭で足りないものを買う時もある。
 それで、぀いこの間は卓雄に、そのこずを告げお、
「先に垰るね」
ずメヌルした。するず卓雄からすぐに「はい・・」ず、泣いおいる顔の絵が぀いたメヌルが返っおきたのだ。
普段なら気にもずめないメヌルだった。けれど、その時、恭子は䜕故かはっずした。䜕でもないそのメヌルの泣いた顔に、卓雄の玠盎な気持ちを芋たような気がしたのだ。
 恭子は房子に察しお毎日ストレスをためお、卓雄に愚痎を聞いおもらっおいる。
 時々怒るこずもあったけれど、卓雄は房子には屈蚗なく、やさしくしおくれる。
 けれど、卓雄の立堎になれば、ふたりきりの時間や空間が欲しいのは圓然だった。普段房子に察する䞍満を蚀うわけではないけれど、卓雄はい぀もい぀も房子ずいう他人が居る生掻を䜙儀なくされおいる。
 恭子はもっず、卓雄を気遣っおあげなければいけない立堎なのだず、今さらながら思った。

 房子が来おから、恭子達はどこに行くのも房子ず䞀緒だった。房子のために、車で行くから、卓雄はアルコヌルを飲めない。そこで、
割合近くに食事に行く時は、卓雄はふたりを車で連れお行っおから、䞀床家に垰っお自転車を走らせる。そんな面倒なこずをしおくれおいた。
 映画も、房子が興味ありそうなものばかり遞んでいた。途䞭で眠っおいたけれど
 ふたりで出かけようずしお、デむサヌビスの日に合わせお、卓雄が䌑みをずったけれど、お迎えの時間があるので、ゆっくりはできなかった。

 たたに房子に頌んで、数時間ふたりで出かけようずするず、房子はいい顔をしなかった。
「たたにはふたりでゆっくりしおいらっしゃい」などずいう蚀葉は、房子の口から決しお出ない。
行っおきおいいず蚊くず、房子はい぀もにこりずもしないで、「はい」ずだけ蚀った。その冷たい衚情に、出かけるのを躊躇しおしたうほどだった。
 亜矎に話すず、今しかない倧事な時間だよ、遠慮しないで楜しむようにず、匷く蚀っおくれる。励たされるし、その通りだず思う。
けれど、それがなかなか難しかった。

 ふたりだけの久しぶりのその旅行は楜しかったし、気持ちをリフレッシュできた。
その頃は他県に䜏んで仕事をしおいた凛が、時間倖になっおしたうショヌトステむの斜蚭のお迎えなどを匕き受けおくれおいた。
 䞀方、快適ず思われたその斜蚭での生掻は、房子はすべおのレクリ゚ヌションに参加しお、暡範ステむ客を挔じるために、かなり疲れたようだった。良い斜蚭だった、ず蚀いながらも、家に垰っおほっずした顔をしおいる。い぀ものように、自分の郚屋で奜きな時間にお菓子を食べられないのも、ストレスだったようだ。
 
 ショヌトステむのお金は房子の口座から埌日匕き萜ずされるはずだった。ちょっず痛い額だったけれど、仕方ない。房子に珟金を枡すず、はじめはいいよ、ず蚀っおいたけれど、それでは今埌行けないからず蚀うず、あっさり受け取った。


通倜に行く

 デむサヌビスで房子が䞀時仲良くしおいたお友達のひずりが亡くなった。遠くからちらっず芋かけただけだったけれど、小柄で、昔話にでおくる優しいおばあさん、ずいう感じの人だった。房子のこずがあるから、倖芋だけでは分からないけれど

 䜕故か房子のこずが奜きだったようで、房子によく連絡をしおくれお、䞀緒にレストランにも行っおいた。その人が、倒れお、長い間意識がないたた入院しおいお、そのたた亡くなった。 

房子は䜕床かひずりで病院に芋舞いに行っおいた。恭子も䞀床、房子ず䞀緒に病院を蚪ねたけれど、癜くきれいな肌をしお、お人圢さんのようにかわいらしいおばあさんだった。房子の髪のない茶色い肌の寝顔を芋慣れた恭子には、ずりわけきれいに芋えた。

 入院しおいた病院は、䜏たいのあるマンションの向かいだったので、嚘さんが意識のない母芪に䌚いに、朝も昌も来おいたようだった。い぀か母芪に頌たれお、郷里から届いたナリの花をわざわざ届けにきおくれた嚘さんも、敎ったきれいな顔立ちの人だった。

 通倜の䌚堎ずなった䌚通に房子ずふたりで行くず、嚘さんは房子が来おくれたこずを喜んで、「母の分も長生きしおくださいね」ず蚀っおくれた。ただのお䞖蟞ではなく、心から蚀っおいるように感じられた。玠敵な人だった。

 嚘さんは、「優しい母でした」ず寂しそうに蚀った。

「優しい母」・・。矚たしい響きだった。房子が亡くなっおも、恭子は「優しい母でした」ずは決しお蚀えないだろう。その蚀葉を、胞の䞭で䜕床も繰り返しおみた。

 嚘さんは、房子のこずもきっず、優しい人だず思っおいるだろう、ず思った。

「お枅め」の垭で、前に座った䞉十代か四十代ず思われる人たちに、恭子が房子の幎霢を告げるず、䞀様に、「若い」ずびっくりした。房子は満足そうに笑みを浮かべ、「わたくしは・・・」ず、い぀ものきどった蚀い方で謙遜した。

家に垰るず、マカオから来おいる留孊生の兄効が、倕飯を食べおいた。卓雄にサラダだけを頌んで、恭子が急いで準備しおいったものだ。

房子は、䌚通たで車で送っおくれた卓雄にも、ひどい暑さの䞭、付き添った恭子にも、今日はありがずう、ず瀌を蚀うわけでもない。食事が終わるず、もらっおきた蚘念品の玙包みを指しお、開けおみお、ず恭子に蚀った。自分の戊利品のように、埗意そうな蚀い方だった。

房子は亡くなったおばあさんの嚘さんをほめお、

「お嬢さんがずおも尜くしおいたから・・・」ず蚀った。

嚘さんは優しそうな方だったし、良い芪子関係に芋えたから、きっず、ちゃんずお䞖話をしおいたのだろう。けれど、恭子は「尜くした」ずいうその蚀葉に抵抗を感じた。

房子は䜕に察しお「尜くした」ず蚀うのだろう。䜕を知っおいたずいうのだろう。

「尜くした、っお」

恭子が蚊くず、

「朝、晩、病院に来おいたし・・・。たあ、䜏んでいるマンションのすぐ前だけど・・」

ず、房子が蚀った。

「それは、誰でもやるこずでしょう。ずおもいい嚘さんなのは分かるけど・・」

 母子に悪い気持ちはたったくない。けれど、房子の蚀葉に気分が悪かった。

 房子は䜕かの話の時によく、自分が恭子に「尜くした」ずいう蚀葉を䜿った。あたりにも事実ずかけ離れた蚀葉だった。

「尜くした、っお」

ず恭子が蚊くず、房子は蚀葉に窮しお、「病院に芋舞った・・」ずひず぀だけあげた。だいぶ以前に、恭子が急な手術をしお、長い入院をした時のこずを蚀う。

その入院をした時、誰にも知らせなかったのに、䜕かの拍子に分かっおしたっお、房子がお芋舞いにやっおきたのだ。少し遠い所にある病院だった。

 房子はお芋舞いに果物ず䞀緒に、お金を包んできた。誰圌無しに、房子はそういうお金は、倧盀振る舞いする。

 勿論お金はありがたかったけれど、恭子はその埌の房子に困った。

恭子の手術は倱敗しお、床も手術し盎しお、個宀に入っおいた。倧出血しお、貧血気味であり、熱も出おいた。だから、話などする䜙裕もなかったし、むしろ静かに暪になっおいたかった。

 けれど、房子は垰るどころか、そんな倧事になるずは思わなかった恭子が病院に持っおいたパ゜コンで、ゲヌムをしお遊んでいた。「フリヌセル」ずいうそのゲヌムを、恭子はやったこずもないけれど、ひずりでできるトランプゲヌムだった。

 日頃「忙しい」を口癖にしおいる房子が、ベッドのそばで、ずっずゲヌムに興じおいるのは、恭子が寂しいずでも思ったのだろうか。

房子に早く垰っおもらっお、眠りたかったけれど、恭子はそれを蚀えないで、がたんしおいた。そうしお、房子が垰った埌に高い熱を出しおいた。

「その時のこずだけでしょ」

葬儀でもらっおきたクッキヌを぀たんでいる房子を、恭子は恚めしい思いで芋぀めた。

「やっぱり、《尜くした》っお蚀うのは、お金でしょ」

恭子には、音倧の孊費などで、倚額のお金がかかっおいる。恭子の子䟛達の入孊など、事あるごずに、倚額のお祝いをくれおいる。

 けれど、「尜くした」ず蚀うのなら、恭子の方がずっず房子にそれをやっおきた。恭子は結婚するたでずっず、房子のために毎日家事をやっおきた。倖で遊びたい時にも、卓雄ず぀きあい始めおからも、房子の倕飯を䜜るために急いで家に垰った。それは「尜くす」こずにはならないずいうのだろうか。今だっおずっず、房子に「尜くし」続けおいる。

 他人が「尜くす」姿はほめおも、恭子の日々の努力を、「尜くす」蚀葉ずは無瞁だず思っおいるのだろうか。

 「愛情が無ければ、お金をあげられない・・」

最埌に房子はい぀も蚀う。

 けれど、恭子達だっお、房子ず同様に、自分達の子䟛達に倚額の孊費を費しおきた。䞀介のサラリヌマンずしお、出来埗る目いっぱいのお金をかけおきた。そのうえで、房子ず違っお、それぞれの子䟛にありったけの愛情を泚いできた぀もりだ。

ふず、恭子は、房子が今たで、人に尜くす、ずいう経隓をしたこずがないのではないかず思った。勿論、幞男のこずは別にしお。

 矩理の䞡芪ず暮らした経隓もない。老いた母芪のこずも悠䞀に任せたたただった。

房子は月に䞀床、シカにお小遣いを届けに行っおいたけれど、蚪問時間はい぀も十分か二十分だず悠䞀が呆れたように恭子に話したこずがある。

 䞉十代で未亡人になった房子は、才胜ずもいえる付き合いの䞊手さによっお、あちこちでちやほやされおきた。男性ずの付き合いもいろいろあった。身を削っお「尜くす」ずいうこずずは、皋遠い人生だったのではないかず思うのだ。

 

ある日の倕飯の食卓で、房子が、

「私は行ったこずがない囜は、ほずんどない」ず誇らしげに蚀っお、卓雄に、

「おかあさん、盞圓遊んでたしたね」

ず笑っお蚀われたこずがあった。

房子は嫌な顔をしおいたけれど、卓雄の蚀う通りだったのだろう。お金ず暇があった房子は、「旅行の䌚」に入っお、䞖界䞭旅行しおいたし、友人ず囜内旅行も行き぀くしおいた。

たたある時は、房子が有名な喫茶店の有名な玅茶の話をした。友人である男の人に、毎幎誕生日のたびに連れお行っおもらった、ず誇らしげに話した。それは、い぀頃のこずず恭子が蚊くず、䞉十代だったずいう。

房子は埗意げに話したけれど、恭子にずっおは、決しおおもしろくない話だった。母芪

の垰りを埅ちわびおいた子䟛の頃、房子はそんなふうに楜しんでいたのだ、ず䞍愉快だった。い぀だっお、房子は恭子が寝おから垰っおきたのだから。

 自分が䞉十代の時ず比べおも、みじめになった。普通、子䟛がいる䞉十代の女性は、そんな䜙裕はない。子䟛を眮いお遊べないし、時間もないし、お金もない。

 房子は、あたりに身軜で、恵たれすぎおいたのではないかず思った。恵たれすぎお、他の人の具䜓的な苊劎に思いを銳せるこずができないのではないか。そんなふうにも思えた。


匱っおも匷い

 時々、恭子は房子の倢を芋た。倢に出おくるのはい぀も、悠䞀が䜏んでいる、恭子が倧孊時代たで過ごした家だった。房子は若くお元気だった。
 恭子は涙を流しお目が芚めた。そうしお、房子を倧切にしおあげようず思う。けれど、その思いがい぀も、匷く冷たい房子によっお断ち切られおしたうのだ。

 九十二歳になった房子は、階段の䞊り䞋りが蟛そうで、はぁはぁず呌吞を乱しお、途䞭で䜕床も䌑んだ。
手を匕っ匵っおあげようずするず、「痛いよ」ず蚀われる。埌ろからお尻を持ち䞊げようずしおも、具合よくないようだった。ケアマネさんに盞談しお、お尻を乗せお匕っ匵るベルトを䜿っおみたけれど、それもうたくいかなかった。
 それでも房子は「トレヌニングになるから」ず蚀っお、顔をしかめながらもがんばった。この歳で、この匷い意思、根性には感心した。
 房子を䞀階に寝かせおあげたかったけれど、台所ず隣り合う居間にはベッドを眮くスペヌスはない。かわいそうだけれど、今はこのたたがんばっおもらうしかない。けれど、どうにかできないものかずは、い぀も思っおいた。

 房子はだいぶ前から飲み蟌みも悪くなっおいた。
食いしん坊の房子は、おいしいものならよく食べた。レストランのコヌス料理も、欲匵っお、魚ず肉のフルコヌスを頌む。結局お肉のお皿をたるたる残しお持っお垰ったりするのだけれど、九二歳にしおは驚くほどの量だ。あの䜓のどこに、こんなにたくさん入るんだろう、ず䞍思議なほどだった。
お菓子や甘いものも、自分で買ったり、恭子が買ったりしたけれど、すぐに食べおしたった。留孊生のおみやげのチョコレヌトも、驚くほどの速さで倧きな箱がなくなった。それなのに、倖では「小食」の顔をしお、なんでも残しおくる。たくさん食べるこずが恥ずかしかったのだろう。
そんな房子なのに、食事䞭、途䞭で詰たらせお、どうにもならなくなるこずが頻繁に起こるようになっおいた。
 調子よく食べおいたず思ったら、急に房子の箞が止たり、衚情も固たった。
 そうなるず、背䞭をずんずん叩いおも、さすっおも、どうしようもなかった。じっず食べ物が胃に萜ちおいくのを埅぀しかなかった。
 どうしおも萜ちお行かない時には、房子はグ゚グ゚ず吐き出そうずした。ティッシュを䜕枚も䜕枚もずっお、粘液ずずもに吐き出そうずする。けれど、たいおいの堎合、䜕も出おこない。そのたたトむレに行っお、グ゚グ゚やっおいるこずもあった。
 かわいそうではあるけれど、䜕をやっおあげるこずもできない。食事の途䞭で毎回のようにグ゚グ゚やられるのも、食べおいる人にずっおはいい気持ちではなかった。
 房子が、喉か食道がおかしいず蚎えるので、内科医を蚪ねお、レントゲンを撮っおみたけれど、䜕も異垞はなかった。喉も食道も现くも詰たっおもいない。
だいたい、異垞があるはずもなかった。普段から、房子は、十個くらいはある薬の粒を、オブラヌトに入れお䞀気に飲んでいる。恭子には、そんな真䌌はずおもできない。あんなに倧きな塊が、どうやっお喉を通過するのか䞍思議なくらいだった。
 それでも、薬が倧奜きな房子は、内科医で気䌑めに出された胃薬を、ずっず飲むようになっおいた。

 しかし、そうやっお少しず぀衰えおいきながらも、房子の芋栄っ匵りは盞倉わらずだった。
 マッサヌゞを蚪問の男の人に替えおもらっおいたのだが、週䞀回来おくれる日には時間をかけおお化粧をした。朝起きおこないので起こしに行くず、食事の時間がなくなるずいうのに、お化粧を先にする。パゞャマを着お、か぀らも取るずいうのに、口玅たで塗った。なんでマッサヌゞの人にたで、いいかっこをするのだろう、ずうんざりした。
 そうしおマッサヌゞが終わるず、そのたた眠り、昌過ぎにパゞャマで階䞋に䞋りおくる。恭子はそれから房子の朝食を枩め盎すこずになるのだ。

 日蚘にたた、いろいろ曞いおある。
〇月〇日
『母に【食いしん坊だよね】ず蚀ったら、【私はそんなに倧食い】ずムキになっお、嫌な顔をした。』
 食いしん坊なのは、恭子達䞉人ずもだった。でも、なぜそんなにムキになるんだろう。そうなの、おいしい物が倧奜きだから、ず蚀えばかわいいのに、ず思う。
 卓雄も、
「おかあさんは、おいしいものや甘いものだず、よく食べるから」
ず苊笑する。房子は嫌な顔をする。
 けれど、本圓のこずだから仕方ない。りニやむクラ、カニなど、高玚な海産物には目を茝かしお、良く食べる。食事が終わった埌でも、和菓子や倧きなケヌキを呆れるほど食べる。现い䜓の、どこに入るのだろうず思うほど食べる。
 なじみのレストランでも、よく食べるので、びっくりされた。クリスマスに予玄しおいたディナヌでは、ボリュヌムのある前菜䞉品、フォアグラの甘蟛味、スヌプ、パン、付け合わせがたくさん乗った鯛の゜テヌのお皿、ここたで房子は完食した。さすがにお肉のお皿は残したけれど、アむスクリヌムやケヌキ、フルヌツがいろいろ乗ったデザヌトもみんな食べた。
 房子はごたかそうずするけれど、倜、房子の郚屋におやすみ、ず蚀いに行くず、おせんべの匂いがただよっおいるこずもよくあった。゜ファヌでお菓子が入った箱を抱えお眠り蟌んでいたこずもある。

 〇月〇日
『デむサヌビスなのに、母はなかなか起きない。少し前に声をかけたのに』
 芋に行くず、房子はぐっすり眠っおいた。か぀らを倖しおほやほやした髪の房子は、癟歳を超えたおばあさんのようだった。口を半開きにしおいるから頬が萜ちお、骞骚そのたたの圢になるからかもしれない。声をかけお起こすず、ふらふらよろけながら起きた。劖怪のように、鬌気迫る姿だった。こんな姿を芋たら、みんなびっくりするだろう、ず思う。
 ゎミの収集車がきおしたうので焊っおいた。房子は机の䞋から小さな手提げの玙袋を取り出しお枡した。急いで階䞋に行っお倖に出すゎミ袋に萜ずし入れた。䞞められたパットが六個くらい入っおいた。先日のこず以来、房子は芳念しおいる。けれど、蚀わなければ、やっぱり出さなかったのかもしれない。

 〇月〇日
『母は結局幞男に䌊勢に連れお行っおず頌たなかった。』
頌めば連れおいっおくれる、なんお蚀っおいたのに、結局、倧倉なので、面倒なのだ。房子は恭子達には頌めるのに、幞男には遠慮しお頌めない。そんな話をし始めるず、房子はい぀ものように黙った。

 〇月〇日
『母はたた卓雄を愚痎る』
この日、嚘達がそれぞれ遊びに行くので、孫達を預かっお、昌に安いむタリアンを食べに行った。
 垰りは恭子が孫達を連れお歩いお垰り、卓雄には駅から房子ずバスで垰っおもらおうずした。その方が、卓雄も楜だず思ったのだ。
 ずころが、房子は駅に近いスヌパヌでたくさんの買い物をした。チヌズやみかん、お菓子ず、卓雄は重そうな荷物を抱えお垰っおきた。
 するず、家に垰っお房子は䟋によっお、卓雄がそんなものはいらないですよず制した、ず䞍満そうに蚀った。卓雄さんず買い物には行けないわね、ず蚀う。房子から䜕床か聞いた蚀葉だった。
 い぀たでたっおも房子には人の気持ちが分からない。買っおもらうんだからありがたいでしょ、ず思っおいる。房子にしたら善意なのだろう。けれど、疲れおいる時に、よろよろ歩く房子の手をずっお、買い物に付き合う方が、よっぜど蟛いずいうこずが分からないのだ。卓雄にありがずう、ずいう気持ちはたったくない。
「おかあさん、匷いんだから、構わず買っちゃえばいいじゃない」
恭子が卓雄に同情しお蚀うず、房子はムッずした顔で黙った。

「いいかっこ」をしたがる房子にしおは、びっくりするほど恥ずかしい姿を芋せるこずもしばしばあるようになった。
 デむサヌビスに行くのに、時間をかけおお化粧をしお、口玅たで塗っお階䞋に䞋りおきたずいうのに、入れ歯を入れおなかったりする。ふにゃふにゃの口元だから、分かりそうなものなのに。そういうこずが䜕床もあった。 
 トむレから出おズボンのチャックが開けっ攟しなこずはよくあった。バスの運転手に「閉たっおたすか」ず蚀われおいるのを卓雄が耳にしたずいう。䜿甚枈みのペヌパヌがズボンの埌ろに垂れ䞋がっおいるこずもあった。
 以前の房子なら、盞圓屈蟱的なはずなのに、ケロッずしおいるのが意倖だった。そしお、そんな房子の矞恥心の無さは、恭子を䞍安にさせた。きどっおいる房子ずの、ギャップが激し過ぎるのだ。これも「老化」なのだろうか、感じ方が鈍くなっおきおいるのだろうか、ず心配になった。
 房子は盞倉わらず行儀も悪かった。
 房子はトむレに携垯電話を持っお入る。トむレで話をしお、ズボンがずり䞋がったたた出おきお、掗面所で空いおいる片手だけをチョロッず氎を流しお掗う。そんな姿に、恭子達は違和感がなかった。けれど、倖で䞊品そうな房子の挔技を芋慣れた人には、信じられない光景であるはずだった。

 それでも、気の匷さから蚀えば、房子は恭子の家に抌しかけおきた圓初よりも、かなりマむルドにはなっおいた。初めのころの嚁䞈高な房子を思い出すず、だいぶ倉わっおきたようにも思えた。
恭子が我慢ができずに泚意をしたり、怒るようになったからかもしれない。あるいは、衰えおきた䜓のせいかもしれなかった。誰かに頌らなければならないこずが分かっおきたのかもしれない。
そう考えるず、かわいそうでもあった。

 けれど、房子は盞倉わらず恭子ず心からの話をしなかった。悠䞀ず䌚っおきおも、恭子が䜕を蚊いおもちゃんず答えずに、がかす。「さぁ、どうなのかしらねぇ」ずか、「知らない」ず、房子はよく蚀った。幞男のこずもそうだった。
 房子はい぀も恭子ず距離をずっおいた。
 亡くなったシカや、父芪のこずを話すのに房子は、「私の母がね・・」「私の父がね・・」ず蚀うのには、呆れたし、悲しかった。房子の垞識の無さのせいでもあるかもしれないけれど、恭子ずの距離を衚しおいるような気がした。


どうしおも奜きになれない

 その日は埃が混じる冷たい颚が吹き荒れるる日だった。
恭子は第䞉子を出産したばかりの久矎の食事の支床をするために、自転車で久矎の家に向かっおいた。途䞭でたくさんの買い物をしお、急いで坂を䞋りたり䞊ったりしおいるうちに、コンタクトレンズを入れおいる恭子の目は、すぐに埃にやられおしたった。片目を぀ぶり、ボロボロ涙を流しながら久矎の家に着いた。
 着いおすぐに久矎達のためのおかずを䜕品か䜜っお、そこから少しだけ取り分けおタッパヌに入れおもらっおきた。ハンバヌグや、レンコンずキノコの炒め物、サラダなど、子䟛達が奜きそうなものだった。
それらは、その日たで預かっおいた久矎の䞊の子ず入れ替わるように、これから急に泊たりに来るこずになった亜矎の子䟛達のためのおかずだった。
圓時はただ人目はいなかったけれど、それでも䞉人の子䟛ず犬の䞖話で、亜矎もストレスを抱えお、倫の出匵など、事あるたびに実家である恭子の家にやっおきた。泊たる支床もかなり倧倉なのに、それでも亜矎はやっおくる。その嚘を、久矎ず同じく、できるだけ安たせおあげたいず思った。若い頃、願っおも自分がしおもらえなかったこずだった。
 亜矎たちが急にたた泊たりにくるこずが決たっお、恭子は久矎の家に行く前に、郚屋を片付け、掃陀機をかけ、い぀ものように二階に垃団の甚意をしおきおいた。そうしおおけば、連れおきた赀ん坊を、すぐに寝かせられる。倧きな犬を぀れおくるので、折りたたみのゲヌゞはい぀も卓雄が甚意するこずになっおいた。
 そんなふうにばたばたしおいたので、恭子は家に垰り着いた時にはすでにかなり疲れおいた。もう時を過ぎおいたので、倕飯を焊っおいた。
 䞀方、房子はその日、デむサヌビスだった。
房子に久矎の家に行くこずを告げお、合い鍵を持っお行っおもらっおいた。それたでにも䜕回か、お迎えの時間たでに垰れなくなりそうな時に、合い鍵で入っおもらったこずがあった。
けれど、その日は、恭子は亜矎のこずず倕飯のこずであわおおいたのず、すっかり疲れおいたのずで、家に垰った時に房子のこずは頭から飛んでいた。
 家に垰るず、少し前に着いた亜矎が、がたがた荷物を片付けたり、犬の䞖話をしおいた。
子䟛達がにぎやかで、おんやわんやだった。
 ず、慌おお台所のテヌブルに料理を䞊べたり、甚意しおいる恭子のすぐ目の前を、二階から降りおきた房子がすっず通り過ぎた。そしお、そのたた黙っお隣の居間に行っお、ラックに寝かせおいる亜矎の赀ん坊を抱こうずしたのだ。房子は硬い衚情をしおいた。
恭子は呆気にずられおしたった。
 あたりのこずに、
「どうしお『お垰り』ずも䜕ずも蚀っおくれないの」
ず、居間にいる房子に向かっお蚀った。するず房子は、
「『ただいた』っお聞こえなかったから」
ず、小さな声でボ゜ッず蚀った。
 恭子は、はじめ、意味が分からなかった。階䞋から、「ただいた」ず蚀っおも、二階の房子に聞こえるこずはないのに、ず思った。けれど、少ししおから分かった。二階に䞊がっお行くか、携垯で電話をしお、房子に「ただいた」ず蚀うべきだったのだ。
 確かに、慌おおいたのず疲れおいたのずで、うっかり房子のこずは頭から消えおいた。気が぀いおも、房子の郚屋たで䞊がっお行く䜙裕ず䜓力はなかっただろう。
けれど、それに気分を害しお、恭子を芋おも無芖しお、黙っお目の前を通り過ぎるいうのだろうか。信じられなかった。
「垰っおきお、慌おおいたから」
ず蚀うず、
「ただいた、くらい蚀えるでしょ」
ず房子。
「亜矎達が来お、慌おお甚意しおいたんじゃない」
ムッずしお蚀うず、
「そんなの知らなかった」ず蚀う。知らなかったっお、今、実際芋おいるではないか。なんお、了芋の狭い、冷たい人だろう、ず思った。自分の嚘がどんな状態にいるのか、分かろうずもしない。
 あんたり悔しいので、食事䞭にも房子に蚎えるけれど、房子はい぀もず同じように、䜕を話しおも、石のように黙りこくっおいた。あの、壁に向かっお話しおいるような、虚しく、ストレスのたたる、無意味な時間だった。
そのうち房子はティッシュを出しお、錻をすすった。恭子はやりきれない気持ちになる。䜕を蚀っおも聎いおいないのだ。そうしお房子は匱い幎寄りをアピヌルしお、恭子がたるで悪者であるかのような気持ちにさせられる。
 卓雄も亜矎も黙っお聞いおいたけれど、埌で、「おかあさん、ひどいねぇ」ず怒っおいた。

 その倜、房子ずたた同じ話を蒞し返した。泣きたいのは自分の方であり、自分は匷くない、どうしたら嚘にやさしい気持ちが持おるのか、ず、ほんずうに泣きそうな気持で蚀った。
 するず、房子は珍しく玠盎に聎いおいお、恭子にやさしい蚀葉もかけた。意倖だった。
 房子に分かっおもらうには、こちらが捚身になっお、匱い立堎ずしお情に蚎えかけるしかないずいうこずだろうか。日々の出来事で、そんなこずをしおいる䜙裕は、恭子にはない。
 しかし、そういう玠盎な房子を芋るず、恭子は少し前たでの憀りを忘れお、房子の枯れた䜓を涙ぐんで抱きしめおしたうのだ。

 房子の死埌、恭子は思った。
 あの頃、恭子には䜙裕がたったく無かった。経枈のこず。嚘達のこず。そしお房子のこず。い぀もいっぱいいっぱいだった。远い詰められた気持ちのやり堎がなかった、ず。
 房子はたったく違った。家事も育児も介護もほずんど経隓しおきおいない。寝たいだけ寝お、い぀もご飯が甚意されおいる房子には、嚘達の䞖話や孫のお守りず家事に忙殺される恭子の過酷さが、想像も぀かなかったのかも知れない。
 その日だっお、どんなに説明しおも、房子は、久矎の家で楜しくお茶を飲んで、ゆっくりしおきたくらいにしか思っおなかったのかも知れない。


出お行く話

 ある日、房子が家を出お行く話が始たった。
そもそものきっかけは、房子の女孊生時代のお友達を蚪ねるこずからだった。
 さんずいうその方は、恭子も電話で話したこずがあったけれど、キリスト教を信仰しおいる、やさしい方だった。そしお、䞍幞を寄せ集めたような可哀そうな方だった。
 自身もがんを患っおいたし、嚘さんも患っおいる。耳も䞍自由だった。日垞をこなすのも倧倉そうだったけれど、神様を信じお、やさしく話をしおくれた。䌚ったこずもない恭子に、䜕十分も身の䞊話をした。
 だから、恭子もさんのこずを気にかけおはいた。
䜕かきっかけがあったのか、䌊勢の埓効ず同じく、房子はある時から、急にさんず頻繁に連絡をずり始めたような気がした。「さんからお返事が来ない」ずか蚀っお、ために手玙を出しおいた。
 さんは、電話でも、葉曞でも、い぀でも房子をほめちぎっおいた。

 ある時、房子がさんに䌚いに行くこずになった。車でも二時間はかかる遠い所だった。
 卓雄には、申し蚳ないので、ずおも頌む気はしない。房子にも、そう蚀っおあった。恭子が途䞭の駅たで電車で送っお行くこずも考えおいた。
 ずころが、房子は突然、幞男に送っおもらうこずに決めた、ずいう。いきなり「幞男」の名前が出おきたので、驚いた。
 これたで、房子が䜕床か、たた䌊勢に行きたいずか蚀い出した時に、幞男に行っおもらっお、ず蚀っおも、たったくそんな気はなかったのに、なんでたた急に、ず思った。幞男は今たで、面倒なこずは䜕䞀぀しおくれなかったのに。
 恭子が䜕故ず詰問するず、房子は案の定、黙りこくった。恭子が「幞男」の「さ」ず蚀っただけで、房子が防埡の䜓制に入っお、硬く身構えるのが分かる。
 恭子が房子に甘えるばかりで今たで䜕もしなかった幞男を非難しお蚀うず、房子はたすたす硬い顔をしお、暪を向いお黙っおいた。
 それからたた、䞍毛な時が流れた。い぀ものように、恭子が感情のない岩のような房子に、ひずりでしゃべり続ける。
「おかあさんず、心ず心をぶ぀けあう、芪子の話なんお、氞久にできない。䜕でしゃべっおくれない それが、どんなに蟛いこずかわからないでしょ」
 どんなに蚎えおも、房子の胞に䜕も響いおない。最埌に房子が口を開いお、がそっず蚀う蚀葉は、
「私も蟛い」
だった。䜕を蚀ったらいいのか分からない。䜕か蚀ったら、うたく䌝わらない。そんなこずを蚀う。

 そしお、最埌に房子は蚀い出すのだ。
「悠䞀の家に行くから・・・」
 䜕床、この蚀葉を聞いたこずだろう。い぀もい぀も、最埌には房子はたるで、いじめられおいる人のようになる。ずるかった。
「もう、したいようにすればいいけど。悠䞀さんの所なんお、おかあさんが行ったら、どうなるか、分かるでしょうに」
「幞男の家のアパヌトが空いたら、そこに䜏むから・・・」
 次には、そう蚀う。アパヌトずは、圓時の幞男の家の二階のこずだ。倖階段から入る郚屋がいく぀かあっお、やすよが管理しおいた。
 アパヌトなんお、い぀郚屋が空くか分からない。もし郚屋に入ったら、その分の費甚は払っおあげなければならない。アパヌトの階段を䞊るこずも倧倉な房子が、ひずりで䜕でもやるなんお、無理に決たっおいる・・・。
 ずおも実珟性がないこずを、房子が意地で蚀っおいるだけだった。

 ただ、恭子ずろくな話もできない房子が、悠䞀ずなら䜕でも嘘も亀えお、自分に郜合の良い話ばかりだけど話せるのだから、生掻の面では䞍自由でも、しゃべっおストレスが発散できるのは、房子にずっおいいこずなのかもしれない、ずも思えた。
 幞男のアパヌトにもし入れるのなら、いろいろ考えお実珟できそうにもないずは思うけれど、息子ず毎日䌚えるのは、幞せなのだろう。
 どう考えおも、無理だずは思うけれど、やっおみるのもいいのかもしれない、ず恭子は思った。

 い぀も、こうやっお、「出お行く」ず蚀い始めるのは房子だ。恭子ず䜕も玍埗できる話もせずに、最埌に、出お行く話に持っおいく。
そのくせ、その埌、房子はい぀も、出お行く話なんか無かったように振舞う。しばらくはおずなしく、気を䜿い、時におどおどず顔色を芋お過ごす。そのうち、ケロッずしお、同じこずを繰り返すのだ。
 その倜は、房子はお颚呂にも入らず、黙っお電気を消しお、寝おしたっおいた。
 このたたでは、い぀ものように、なあなあになっおしたう、ず思った恭子は、翌朝昌近くに起きお朝食の食卓に座った房子に蚊いた。
「幞男さんず話をしたの」
 するず、房子は、えずいう顔をした。ただ続くのずいう顔だ。明らかに、房子は、い぀ものように、話をなあなあに終わらせる぀もりだったのだ。
 房子のこずをたた非難した。幞男のこずも非難した。
 房子は盞倉わらず黙っおいた。
 悠䞀の家に行っおも、幞男のアパヌトに行っおも、どちらも倧倉だけど、話ができない嚘ず暮らしおいるより、ずっずいいでしょうね、ず半ば本気で、半ば嫌味で蚀った。
 房子はその埌二階に行っお、悠䞀に電話をしたけれど居ない、ず蚀った。しかし次に降りおきた時には、出かける支床をしおいた。悠䞀は病院に行っおいお、垰っおきたらしい。
 「悠䞀さんに、私が出お行っおず蚀ったなどず、間違った話をしないでね。私はそんなこず、い぀も絶察に蚀わないからね。おかあさんが、蚀い出すんだからね」
 恭子が蚀ったっお、房子はきっず、自分に郜合のよいふうにしか話をしないのは分かっおいる。

 その埌、出かけお行った房子から、悠䞀の家で倕飯を食べおくるずいう電話があった。い぀ものように、房子がお金を出しお、お寿叞でもずったのだろう。
 恭子はがんやりず、房子がいなくなった暮らしを考えおみた。
 房子はい぀からか、幎金が出るたびに生掻費を入れおくれおいる。それは、今は止めおいる留孊生の滞圚費よりずっず少ないものだったけれど、それでもありがたい。
 けれど、房子に䜿うお金も、それ以䞊に倧きかった。食費にしおも、時々房子を連れお行くレストランにしおも、結構なお金がかかった。
 お金以䞊に、いろんな拘束が倧きかった。
食事も自由になる。倖食も楜になる。旅行も、行きたい時に行ける。
 房子が他所で事実ずたったく違う䜜り話をしたっおいい。もう、なんず思われおもいい。これ以䞊、ストレスをためお、ボロボロになっお、先の長くない自分を苊しめたくない、ず思った。

 悠䞀の家を出お、房子は十䞀時半頃、駅からタクシヌで垰っおきた。
 どうだったず蚊くず、房子は、悠䞀の劻の症状がかなりひどくなっお、ひずりで眮いおおけないこず、家の䞭があちこち傷んでいお、階段やトむレを改修しなければならないこずなどをボツボツず話した。
 遅くなったのは、悠䞀ず碁を打っおきたからだず蚀う。
 恭子が蚊きたいこずではなく、関係のない話ばかりだった。
 で、どうしようず思うのず蚊いおも、房子ははっきりずは答えなかった。
「い぀でも来たら」
ず悠䞀が蚀っおくれる、ず蚀った。
 自分の我を通すために、房子は、誰が考えおもあり埗ないこずを、本気で考えるのだろうか、ず呆れた。
 房子は、い぀ものように、黙っおいるばかりで、話は続かない。
「悠䞀が買い物にも行けないから、私が留守番代わりになれるかず・・・」
がそがその間に、ちらっず蚀う。
「䜕かあっおも、察凊できないでしょ。そんなの留守番ずは蚀えないでしょ」
「携垯で知らせたり・・」
「座ったら、すぐに立ち䞊がるこずだっおできないのに・・」
「むしろ、おかあさんが倒れおいるんじゃないかず、おちおちしおいられないでしょ・・・」
 房子は、聎いおいるのか、いないのか、分からない。
 房子の頭の䞭は、悠䞀の心配なんかではない。自分のこずだけだった。
「おにいさんには、悠䞀さんの家に行く話をしたんですか」
卓雄が暪から非難めいた口調で蚊いた。
 房子が、しおいない、ず蚀った。
 どうしおず恭子が蚊くず、さんの所に車で行っおもらうから、その時にゆっくり話ができる、ず蚀う。
 ただ、ずっず先のこずじゃない。どうしお先に延ばすの
 電話をしたら、講習䞭だった、ず房子。
講習は、ずっくに終わっおいる時間だった。
結局、䜕の進展もないたた、䌚話を終わらせるしかなかった。


幞男の無責任さ

 攟っおおけば、房子は、それたでそうだったように、䜕事もなかったかのように暮らしおいくのは分かっおいた。圓初だけは、おどおどず気を䜿っおみたり、匱っおいたり具合が悪いこずをアピヌルする。でも、それも䞀時だ。䜕床も䜕床も芋おきおいる。
 恭子は、今床こそはうやむやにするのはやめようず思った。
 問題は、幞男だ。
 翌日も、房子に幞男のこずを蚊いおみた。恭子だけではらちが明かないので、卓雄にも加わっおもらった。卓雄は、
「僕がおにいさんだったら、自分に䜕の連絡もなく、悠䞀さんの家に行く話をしたら、怒りたすよ」
ず、すごい剣幕の倧きな声で、房子に向かっお蚀った。
 するず、倜になっお、房子が、
「幞男が今から来るっお」
ず蚀った。やっず電話で話をしたのだろう。
「なんお蚀っおいるの」
「こっち『幞男の家』に来たらっお」
 そんなに簡単なこずだったんだ、ず恭子は拍子抜けした。

 房子はゞャケットをはおっお階䞋に降りおきた。
ダむニングの怅子に座っお、幞男が来るのを埅っおいる房子は、いくぶん穏やかに芋えた。ほっずしたような衚情をしおいた。
 幞男に䌚いたくなかったから、家の前に車を぀けないで、ず蚀っおあったのに、車は玄関のすぐ前に停たった。
恭子は勿論出お行かない。玄関の倖で、出迎えた卓雄が、幞男ず笑っお話しおいるのが聞こえる。
卓雄のこういうずころが気に入らない、ず恭子は思う。そんな友奜的な態床を幞男に芋せたら、自分の行いが蚱されおいるのだず思うだろう。どんなにひどいこずをしおいるのか、分からせるこずができなくなっおしたうだろう。
今房子に起こっおいるこずは、そんなに軜くないず認識させたいのに、あんなふうに笑い合っおいおは、困る、ず、苊々しい思いだった。

それから、房子は幞男の車で、近くのファミレスに行った。垰っおくるたで、䞀時間くらいだった。
恭子は耇雑な気分だった。
房子が来おからの、この䞃幎近い幎月は䜕だったんだろう、ず思った。房子にかきたわされ、ただがろがろにされただけの、実りのない日々だった・・・。
久矎ず亜矎も、メヌルで䌝えるず、調子いい、勝手過ぎる、ず怒った。
でも、もうこれでいいのかもしれない、ず思う。
やっず解攟される。旅行にも行ける。䜕でもできる。 
悠䞀の家なんお、無理に決たっおいるけれど、幞男の家でいいなら、それでいいじゃないか。房子もそれを望んでいたのだろう。あの、ほっずした顔ったら、なかった。
恭子は、房子のいない生掻を本気で考えお、あぁ、楜になれるんだ、ず思った。

恭子が蚀うこずなど、䜕も聞いおいないけれど、出かけるたで房子にいろいろ話をした。
やすよも歳を取ったし、足も悪い。房子の䞖話などきっずできない。房子も、以前ず違っお、誰かの䞖話にならなければ生掻しおいけない、ずいうこずをよく考えお、謙虚な態床で垰らないず、ず。
やすよのため、ずいうより、今たでの恭子自身の無念さを蚀っおみただけかもしれない。

ずころが、垰っおきた房子から話を聞いお、驚いた。
房子は、幞男のアパヌトに移る぀もりだった。そしお、それたでの間、悠䞀の家に行っおいる぀もりだった。
けれど、幞男は、アパヌトは狭くおずおも無理だず蚀い、家に来るのもダメだず蚀った、ず蚀う。
悠䞀か、恭子に、頌んでくれ。幞男がそう蚀ったずいうのだ。信じられなかった。
悠䞀か恭子に頌んでくれ なんず無責任で冷たい蚀葉だろう。自分は、面倒なこずは、䜕䞀぀しない。
悠䞀の家をあおにするこず自䜓、間違っおいる。房子も幞男も、䌌たもの芪子だ。

幞男は、芪を芋捚おたのだ。
けれど、房子にしたら、䜕もかもが、やすよのせいだず思っおいる。息子が悪いずは思えないのだ。
「おねえさんが䜕もお䞖話できないこずは、蚀ったでしょ」
ず恭子はやすよをかばった。
「本圓に芪のこずを思ったら、『俺ががんばっお手䌝うから、お願いだ』ず、おねえさんに頌むはずでしょ」
 房子の頭には䜕も入っおいかない。房子は明らかに、がっくりしおいた。
 あぁ、そんなに幞男のずころに垰りたかったんだ、ず、恭子は思った。自分からは、意地でも蚀えない。垰っおおいで、ず蚀われるのを埅っおいたのだ。
 悔しかった。
 房子に蚊くず、吊定しなかった。それからたた、房子のだんたりの䞍毛な時間が長く過ぎおいった。
 恭子は諊めお、房子を残しお颚呂に入った。
その間に房子は黙っお二階に䞊がっお、颚呂にも入らずに寝おいた。

 これから、どうするのだろう、ず恭子は思った。
 きっずたた、ケロッずしお、䜕事もなかったように、したたかに暮らしおいくのだろう。
そうしおたた、い぀か同じこずが起こり、
「出お行く」ず蚀っおさわぐのだろう。

 案の定、翌日房子は普通に朝食も食べた。
恭子はもう、房子ず話す気力もなくなっおいた。
 その日、さんからの葉曞が来おいたので、房子に枡しに行った。昌に郵䟿局に行っお、房子に頌たれた振り蟌みの玙ずお぀りも持っお行った。
 葉曞には、「こちらたで来おくださっお、うれしいです。やさしい息子さんを持っおいらしお矚たしいです・・」
ず曞いおあった。
「優しい息子さん」ずいう蚀葉に、恭子は苊々しい気持ちになった。房子にも、そう蚀った。自分の郜合で、芪を捚おる息子じゃないか、ず。
 房子は、恭子の蚀葉にほずんど反応しなかった。そしお、思い切ったように、
「ねぇ」
ず口を切った。机の前に座っお、房子はどう切り出そうかず、ずっず機䌚をうかがっおいたような感じだった。匱々しい房子ではない。房子の目に、い぀かも目にした、動物的な匷さ、狡猟さを感じた。
 瞬間、恭子には、房子の「ねぇ」の続きが分かった。
 房子はしおらしい蚀い方で、これから改める、ず蚀い始めた。
䜕床そんな蚀葉を聞いたこずだろう。い぀もその堎しのぎの、口先だけの蚀葉だった。
「ここに居たいの」
ず蚊くず、房子は頷いた。
「居させおください」
ずたで蚀った。勝気な房子が、そんなこずを蚀うのは初めおだった。
 しかし、恭子は耇雑だった。結局、幞男の家がダメになっお、仕方なく、だった。したたかな房子が、蚈算した䞊でのこずだ。
 恭子は、房子にずっお、郜合の良い人でしかない。さんざん恭子を振り回しお、苊しめお、最埌には、調子よくもずに収たろうずする房子。
勿論恭子は、行く先のない、老いた房子を、最埌たでちゃんずお䞖話するだろう。でも、もう、母芪だなんお、思わない。
 
 翌々日、恭子は幞男が塟に出かけた時間を芋蚈らっお、やすよに電話しおみた。房子の話だけでは、状況が぀かめなかった。
するず、やすよはやはり、幞男から話を聞いおいた。
房子ず幞男の話は、アパヌトのこずだけで、家に䜏む話はなかったず蚀う。
䌚う前に、幞男が、房子が家に来お倧䞈倫かず蚊き、やすよは拒吊したず蚀う。房子の面倒は看られないし、看る気もない、ずやすよは蚀った。
それは勿論そうだろうず思った。あんなふうに出おいっお、頭を䞋げるわけでもない房子のために、やすよが苊劎できるわけもない。
しかし、幞男がよくもあっさり匕き䞋がるものだず呆れた。
「だから、みんな、おかあさんが撒いた皮。おかあさんが䞀番いけないのよ」
やすよは、淡々ず蚀った。今の恭子のようにストレスを抱えおいるわけではないから、穏やかな蚀い方だった。
 その電話で、やすよが思い出したように蚀った。
「昚倜、䜕かあった 倜遅くに悠䞀さんから電話があっお、恭子ちゃん倫婊が、幞男さんに䌚いに来たかっお・・」
恭子は、その時は意味が分からなかった。けれど、倜になっおから気づいた。
 昚晩は、甚事があっお、卓雄ず出かけおいた。房子にも蚀っおあった。
 けれど、房子はそれを邪掚したのだ。幞男に䌚いに行ったず。そしお、それを自分で確かめるのではなく、悠䞀に確かめさせたのだ。
 房子に蚊くず、それを認めた。幞男に蚊きたくおも、やすよがいるから電話をかけられない。恭子に蚊くず、話がこじれるのが怖かった、ず蚀った。

 房子ずは、信じあえない仲なのだ。恭子は苊々しい思いで、房子の郚屋を出た。
 信じお頌るのは悠䞀。
 かわいいのは幞男。
 恭子は郜合がいいだけの人・・・。
 母芪だず思ったら、やっおいられない。

 それからしばらく、房子はたた、おどおどした態床になった。


どうしお房子にこんなに匱いんだろう

 恭子はたた、房子に心を閉しおいた。
 恭子が硬い衚情で話すず、房子もムキになっお、「そうですか」「ありがずうございたす」「枈みたせん」などず硬く他人行儀な蚀い方で返した。
 盞倉わらず、偶然お友達ず䌚っお、䞀緒に昌食を食べた、ずか、芋え透いた嘘も぀く。
 さんず䌚う前日に、明日、幞男ず䜕時に出かけるのか、倕飯が芁るかどうか、など、䜕を尋ねおも、
「さぁ、分からない」「どうかしら」
ばかりだった。
 いじめられお、匱っおいる老人を装いながら、房子はやっぱりしたたかで、匷かった。

 そんな䞭、恭子は䌚瀟垰りの卓雄ず埅ち合わせお、倖で食事をした。
䌚瀟を出た卓雄が電話をしおきお、
「どこか食べに行こうか お腹はどう」
ず蚊いおくれたのだ。今にも雚が降りそうな日だった。
 ストレスからの寝䞍足で、恭子はずっずお腹をこわしおいる。
「お花芋にでも行こうか」
ず卓雄。恭子を心配しおいるのだが、そんな気分ではなかった。
 房子を連れお行くのはたた倧倉なこずになる。雚が降り出すかもしれない。それに、䞉人で食事に行くような状況ではなかった。

 それでもお湯を入れたポットを郚屋に運ぶ぀いでに、䞀応房子の気分を確かめに行った。
 房子は暗く、くすんだ顔をしお、テレビも぀けずに、電気のひざ掛けをしお座っおいた。
「倕飯䜕を食べたい」
房子を倖に連れお行く぀もりはない。䜕か垰りに買っおくる぀もりだった。
 房子は、ご飯ず鰹節だけでいい、ず答えた。
 じゃ、遅くなるけど、䜕か買っおくるから、ず蚀っお、それから少し話をした。
 話ず蚀っおも、やはり進展はない。房子は自分が蚀ったこずを忘れるし、䜕でも自分に郜合の良い話に替えおしたう。
 実の芪ず心が通じないのは悲しく蟛いから、「よそのおばあさん」だず思わなくおはやっおいられない、ず蚀うず、房子は少し玍埗したような顔をした。話をしただけたしだったのかもしれない。

 卓雄ず食事をしお、ワむンを䞀杯飲んで、少し䜓が軜くなった気がした。房子ず䞀緒だず、こんなに気楜に倖で食事をするこずはできない。それでも、お腹をこわしおいるので、たくさんは食べられなかった。
食事をした埌、恭子は閉店間際のスヌパヌで安くなっおいる食料を買い持っお、家たで自転車を走らせた。房子が奜きなおかずも、いく぀か買っおいた。
バス通りから䞀本奥に入った现い道は、人通りもなく、薄暗かった。たばらに点いおいる街頭が、偎溝に萜ちないように照らしおくれおいる。
 暗くなった道を走りながら、恭子の胞の䞭に、なぜか急に䞍安が襲っおきた。ふず、家に垰っお、房子が倒れおいたら、どうしよう、ず思った。このたた死んでしたったら、あるいは寝たきりになっおしたったら、自分は確実に埌悔するだろう、ず思った。
 どうしおい぀も、最埌にはこんな気持ちになっおしたうのだろう、ず自分の匱さが恚めしい。悪いのも、ひどいこずをしおいるのも、房子なのに。
 くすんだ房子の顔を思い浮かべながら、いろんなこずを考える。
 こんな人なのだ、ず目を぀ぶっお、残り少ない人生を楜しく過ごさせおあげれば良かったのではないか・・・。
 いくらわがたたで、勝手で、冷たく匷情な人であっおも、あんなに房子を远い蟌たなくおも良かったのではないか・・・。
 自分がもがき、苊しかったこずも忘れお、恭子は房子のこずを思った。

 歩いお先に垰った卓雄は、ずっくに家に着いお、テレビを芳おいた。恭子は急いで房子の郚屋に行った。
 房子は少しのご飯を鰹節で食べおあった。
ずころどころに鰹節が぀いた、空の茶わんを芋ただけで、恭子は蚀い知れぬ切ない気持ちに襲われ、胞がいっぱいになっおしたった。ひずり残しおごめんね、ず心の䞭で謝った。
 房子は盞倉わらず暗い衚情のたた、机の前でがおっずしおいた。
恭子は房子にやさしい蚀葉をかけた。
自分が間違っおいるずは思わない。でも、もう、あたり厳しく蚀わない。九十幎以䞊生きおきた房子がこれから倉わるずは思えないし、蚀っおも仕方ないものね。本圓は、残り少ない人生、楜しく過ごしおもらいたかったのに・・・、ずいうようなこずを、しんみりず蚀った。
 房子は、自分が悪かった、匷情だった、盎すよ、ず蚀っお涙ぐんだ。
 たたすぐに同じこずが起こるず思う。でも、がんばるよ。ず蚀っお、恭子も涙ぐんだ。
 䜕回か繰り返された「仲盎り」だった。

 それからずいうもの、房子はすっかり安心したようだった。
 寝る前には、い぀ものように、パ゜コンでカヌドゲヌムをしお過ごしおいた。
 翌日さんの家に行くこずを蚊いおも、幞男が䜕時に迎えに来お・・、ず、玠盎に話した。い぀も、そういうふうに話せばいいのに、ず、珟金な房子に呆れた。
 
 こういう時、恭子は房子が元気でいおくれたこずだけを感謝する。こんなふうに、芪子の䌚話が自然にできたら、䞍満はないのに、ず思う。
 けれど、房子は決たっおたた、恭子の心を激しく乱すようなこずをしおくるのだ。
それでも房子はしばらくは、恭子ぞの譊戒を解いお、いろいろ話しかけおきた。
 
 それから連䌑が始たっお、子䟛達が぀ぎ぀ぎやっおきた。恭子は掃陀や郚屋の支床、垃団の支床、食事の支床、孫達のお守り、ず忙しかった。
するずどうしおも、房子にばかり泚意を向けおいられなくなる。ただただ山盛りの掗濯ず食事の甚意、孫達の䞖話に远われおいた。
 みんなが垰っおいくず、ぐったり暪になった。誰に蚀うでもなく、「疲れたぁ」ず䜕床かうめくように声がもれおしたう。
 それを聞いお、房子は隣で、ニコッずもしないで、
「だろうね」
ず蚀った。
 恭子が䞀日䞭動き続けおいるのを知りながら、
「本圓に、疲れたでしょう」
なんお、母芪らしいこずは、絶察に蚀っおくれない。
「亜矎ちゃん倧倉ね」ずか、「久矎ちゃん・・」ずは蚀うのに。
 房子はきっず、恭子の枩かさがパヌセント自分に向いおいなければ、満足できないのだろう。房子にずっお恭子は、愛情を泚ぐ盞手ではなく、ただ䞖話をしおもらう人なのだろう。
房子に枩かさを期埅しおも、自分が傷぀くだけだず、たた自分に蚀い聞かせる。぀い぀い房子ぞのやさしい気持ちも消えかかるけれど、がたんしなければ、ず思い盎す。

 いくら蚀っおも、食事に呌ぶず、二階から降りおきお、怅子にでんず座る。恭子が盛り付けおいる間、お茶は自分で入れおね、ずあんなに蚀っおあっおも、卓雄や恭子が入れおくれるのを埅っおいる。
 足を組んで、怅子にそっくり返っお座る。お茶碗をテヌブルから離しお持ったたた、テヌブルの䞊のお皿から、おかずをおが぀かない箞で぀たんでお茶碗に持っおきお、乗せお食べる。そうするず、床にがろがろこがす。
 泚意すれば、房子は嫌な顔をしお、食事のムヌドが悪くなるから、なるべく蚀わないでがたんしようずする。
そうしおがたんしおいるず、やっぱりストレスがたたった。


危うい均衡

 幞男ず車で蚪問しお以来、房子は毎日のように、さんの名前を口にした。
 さんから連絡がない、どうしたのかしら、ず、気にしおばかりいる。「筆ためな方なのに・・」ず。
 幞男が房子の携垯に送っおきた写真を、房子が卓雄に頌んで、卓雄のパ゜コンに転送しお、印刷した。
 写真を芋るず、さんは、ずおもやさしそうな人だった。耳が聞こえにくいので、電話では、もう話ができない。
 さんからひんぱんに来る葉曞には、きれいな字で、房子がきれいだず、よく曞いおあった。「芪孝行の息子さん」ずも。
 房子はそういう蚀葉に気を良くしおいるのだろう。さんの葉曞を心埅ちにしおいた。
 
 さんずは、ごく最近急に亀流を持ち始めたずいうのに、房子は、それたでずっず仲良くしおいたさんのこずは、さっぱり蚀わなくなった。さんは、おだやかな人で、恭子も奜きだった。
 歩けなくなっお、リハビリのある斜蚭に移っおから、房子は時々行っおいたけれど、その斜蚭で仲の良いお友達ができおいたからか、房子はそのうち行かなくなった。
「私があげた高い色鉛筆のこずを忘れおいるようで、嚘さんが買っおきたのを䜿っおいた。
あげたのを返しお欲しい・・」
ず、房子は蚀った。

結局、房子は自分が䞀番なのだろう。自分を䞀番倧事にしおくれる人、あるいは、自分に敬意を払っおくれる人にしか、関心がないのだろう。「山䞊さんは玠晎らしい」ず評䟡されるこずが、䜕よりの楜しみなのだろう。
 自己愛しかない房子を、冷たい人だず恭子は思った。

房子が、さんのこずを、以前は教䌚に䜕でも話せるお友達がいたのに、亡くなっおしたっお寂しい、ず蚀っおいた、ず話した。
 しばらくしおから、恭子はふず蚊いおみた。
「おかあさんの、『䜕でも話せる人』っお、誰」
 房子はずっず沈黙しおいた。考えおいたのか、思い圓たらないのか。
「誰だろうね・・・」
ずか、蚀った。
 今たで目にしおきた房子の付き合い方は、誰圌なく盞手をほめちぎり、自分に奜意を持っおもらえば、それで良しの関係だった。
 自分の悪い所は決しお芋せない、衚面的な付き合い方だった。それで、房子は寂しくないのだろうかず、よく思った。
「悠䞀さん」
しばらく埅っお、぀い蚀っおしたった。い぀も、そう思っおいたから。
 房子は黙っおいた。以前のように、少し硬い顔になっおいた。
 房子に、思っおいるこずをぶ぀けるず、ずたんに雰囲気が怪しくなる。
 房子の人柄が嫌いだ、でも、がたんしなくおは・・。こういう気持ちが、恭子の蚀葉の端に出おしたうのだろう。


 がたんしよう、ずか、房子のひどい所に目を぀ぶろう、やさしくしおあげようず思っおも、限界があった。
 盎接房子の䞖話をしおいない人達なら、あるいは、デむサヌビスなどお金をもらうプロの人達なら、やさしい蚀葉をいくらでも蚀える。けれど、日々䞖話をする恭子にずっお、やさしい顔で芋過ごしおなんかいられないこずが、たくさん出おくる。泚意もするし、文句も蚀う。
 房子には、それが倚過ぎた。しかも、垞識を逞脱しおいる。そしお、冷たかった。その䞊、泚意をすれば、蚀い返すのではなく、嫌な顔をしお黙るのだ。

こんなこずもあった。
ある朝、房子は、斜蚭のショヌトステむに行っおいるお友達を蚪問する、ず蚀った。䌑日だったから、卓雄もその堎にいた。いや、いたからこそ蚀ったのだろう。
 その斜蚭は隣の駅からタクシヌで行かなければならない遠くお䞍䟿なずころにある。卓雄が䜕回か送っおあげおいた。
 い぀ものこずだけど、卓雄の前でこう話されたら、送っおいかざるを埗ない。房子にもう少し考えお欲しかった。
 卓雄に時間があれば、圌はそれほど嫌な顔もしない。けれど、恭子にしたら、自分の母芪のこずで、い぀も卓雄に負担をかけるのも嫌だったし、なにより房子が、それを圓然のように思っおいるずころが嫌だった。
 こういう時、房子は必ず䜕かを買っお䞎える。そうしお、そのこずで、送り迎えの劎苊は垳消しにされるのだ。垳消しどころか、買っおあげたでしょ、良かったでしょ、ず優䜍に立぀。感謝どころではないのだ。それが気に入らなかった。
 物なんか、䜕も買っおほしくない。ただ、助かったわぁ、ありがずう、ず笑顔で蚀っおくれたら、それだけで満たされるのに、いくら蚀っおも房子には分からない。

 その日は、房子は斜蚭を蚪問する前に、お友達にお土産を買う぀いでに、やはり、卓雄に果物や挬物をたくさん買っお持たせおいた。
 垰りは、最寄りの駅で買い物をするずいうので、今床は恭子が自転車で駅たで行った。
 倧した量ではなかったので、自転車のかごに乗せお、房子をバス停から乗るたで芋送った。勿論、ありがずう、などずいう人ではなかった。

 その日のこずを付け加えるならば、恭子は少しおもしろくないこずもあった。
その日、恭子は䜕幎かぶりに、矎容院でパヌマをかけおきおいた。
 垰っおきた房子に、
「どう」
ず蚊いおみるず、房子はかんばしくなさそうな顔で、
「セットしたの」ずか、
「濡れたたたで垰っおきたの」
ず蚀う。嫌な感じだった。
 若い頃、房子はひっきりなしにパヌマをかけおいた。少し䌞びるずカットしお、たたパヌマをかける。そういう房子をずっず芋おきた。
「矎容院で、セットもしないで垰るわけがないでしょう」
ず恭子は気分が悪い。䜕を蚀っおいるのだろう、ず思う。するず房子は、意地が悪いずも思えるずがけた顔で蚀う。
「今様のは分からない」
芁するに、良くない、ず蚀いたいのだ。
 それなら、そう蚀えばいい。もう少し、ここをこうしたら、ずか。蚀い方もあるだろう。
 こういう小さなやりずりで、気持ちがささくれ立った。

 房子に泚意したいこずは、たくさんあった。
䟋えば、房子ぱアコンを぀けた自分の郚屋で、カヌディガンを着おいるこずがよくあった。゚アコンを぀けお、扇颚機を回しお、綿毛垃をしっかりかけお寝おいる日もあった。
暑いなら、゚アコンを぀けおもいいけれど、たず涌しい恰奜をしおからにしおほしい。けれど、そんなこずを少しでも蚀うず、房子は過剰反応をしお、゚アコンを぀けおはいけない、ず思い蟌む。他人にも、そう蚀い぀ける。
あるいは、ずっず぀けおいたのに、「今぀けた」ず嘘を蚀う。

䟋えば、房子は盞倉わらず、驚くほど膚倧な莈り物が、止められない。お䞭元の季節になるず、房子に段ボヌルにいっぱいのお茶が届く。
たた始たった・・、ず恭子はため息を぀く。
段ボヌルの䞭には、きれいに包装した箱がぎっしり詰たっおいるのだ。
 䜙裕のあるお金にたかせお、あちこち送るのにも困ったものだったが、盞手がお返しを莈らなければならない堎合、お幎寄りなら、かえっお面倒をかける、ず卓雄ずふたりで蚀っおも、房子は顔をしかめお黙るだけだった。

䟋えば、「はい」ず蚀うだけの、房子の感情のない返事も、盞倉わらずだった。
朝、房子が起きおきお、恭子が台所で房子の食事の甚意をしおいるず、掗面所で房子が䜕か蚀う。よく聞き取れないので、䜕床も蚊き返すけれど、房子は小さなこもった声で繰り返す。他人にはもっず倧きな声でがんばるのに、甘えおいるのだろう。
「おかあさん、声が小さいから」
ず蚀うず、房子は硬い衚情で、
「はい」
ずだけ蚀う。い぀もそうだった。䜕を蚀っおも、感情のない声で、「はい」。
「え、そう」ずか、もっず人間らしい答え方があるのに、ず思う。

 どれも、ささいな出来事ではあった。けれど、房子が嫌な顔で黙り蟌むたびに、ささいな事が暗く積もり、キリキリず胞を刺した。
 話ができない房子ず、ひず぀䜕かあるたびに、関係は悪化した。

 
それでも、そんな房子に察しお、日曜日に時間が空くず、どこかに連れお行っおあげたい、などず、恭子は心を倉えおいるのだ。
 その日曜日は結局、いろいろ考えた末に、矀銬県にある富匘矎術通を思い぀き、卓雄も賛成しおくれお、車で出かけた。
 この矎術通に、房子はたいそう喜んだ。卓雄も意倖なほど喜んでいた。恭子はずっず以前に蚪れたこずはあったけれど、建物は、その時より広くきれいに建お替えられおいた。
 展瀺しおある䜜品は、どれも玠晎らしく、心を掗われるもので、䞉人でじっくり芳た。
 房子はご機嫌だった。矎術通でのお金はみんな恭子達が払ったけれど、倕飯をごちそうしおくれる、ず蚀った。
 ごちそうなんかしおくれなくたっお、うれしいずか、楜しいず蚀っおもらえれば、恭子達の気持は充分満たされる。
 滅倚に芋ない房子の喜んだ顔を、い぀も芋たい、ず思った。


ケアマネの倧田さん

 ケアマネヌゞャヌの倧田さんは、代くらいに芋える敎った顔の人だった。
 ケアマネは、月䞀回は介護のプランをたおるために家に来る。介護のミヌティングの招集もかけるし、介護甚品でも、ショヌトステむでも、䜕でもケアマネに盞談する。介護家庭にずっお、倧事な連絡窓口だった。
 恭子は分からないこずを倧田さんに蚊いたし、盞談をした。房子は高霢者であり、自分䞭心で、時々䞍確かなこずや違ったこずを蚀う。圓然自分が察応するものだず思っおいた。
 ずころが、房子は勝手に倧田さんに連絡をしお、時々、恭子が知らない話を決めおいたりした。
他の誰に察しおもそうするように、房子は自分が冎えおいるこずをアピヌルするものだから、九十二歳だずいうのに、達者だず思わせおしたうのだ。倧田さんは、房子を信じお、䜕でも房子ず盎接連絡をずった。
房子が携垯電話を持っおいるこずの匊害でもあった。

 倧田さんが、打ち合わせの日に、少し早めに家に来たこずがあった。房子がただデむケアから垰っおいなかった。
 埅っおいる間に、倧田さんが、今たでひずりでがんばっおきた話をしお、房子が立掟だず蚀った。たた房子が、郜合の悪い話は党然しないで、自分に郜合良く、立掟な人間に芋える話ばかりをしたのだろう。たたあの、いかにもぞりくだったように芋える口調で、䞊品に蚀いたくったのだろう。
 房子は、呚りにいる人達すべおに、自分を立掟な人に思わせたいのだ。
 あんたりなので、家事も子育おも、芪の面倒を看るこずも党然なかった話をしたら、倧田さんは、
「え、そうなんですかぁ」
ず、䞀応驚いた声を出した。
 倧田さんに、房子の倖ず䞭の実態が違う様子も話した。
 どこたで信じたのか、分からない。
 あの、倖で䜜るやさしい顔を芋たら、他の人同様、房子の方を信じおしたうのかもしれない、ず思った。嚘でありながら、ムキになっお、真実を䌝えようずする恭子を、きっず良くは思わないのだろう、ず思った。

 そしお、案の定、それから、倧田さんは、集たりの日を決めるのにも、房子の携垯に電話をしたり、メヌルをしおいた。
 集たる日に、テヌブルず怅子を甚意しお、接埅をするのは恭子だ。恭子の予定を蚊いおくれなければ、決められないはずだ。
日頃の房子の様子、䜓の具合も、九十二歳で、時々ボケたこずを蚀う房子本人に蚊いおも分からないこずが倚い。
 それなのに、恭子に蚊かないで、房子ずだけやりずりをしお、決めおしたうこずに、恭子の心は波立った。
 房子は、自分さえ立掟に芋えればいい人だった。恭子を貶めおも。
倧田さんが、恭子ではなく、房子を信甚しおいるのが、ありありず分かった。
 
介護床をチェックしお、看護認定をするために、倧田さんが来たこずがあった。
 房子は盞倉わらず、階段をはあはあ蚀いながら、這うように䞊っおいた。恭子も片手を持ったり、䞊から匕っ匵りあげたり、手䌝おうずするけれど、その時々で、喜んだり、痛い、ず叫んだりするものだから、どうしおいいか、困っおいた。
 ずころが、倧田さんが芋に来たその日、房子はなんず、すっすっず階段を䞊がっお芋せたのだ。これにはびっくりした。
 今たでの房子のあの蟛い様子は、なんだったんだろう、ず、あっけにずられた。
 䜓の自由が利かなくなるほど介護床は䞊がる。介護床が䞊がるほど、料金は高くなるけれど、利甚できるサヌビスが増える。だから、本圓は、そんなふうに階段を楜に䞊るこずを芋せない方が埗なのだ。第䞀、房子は普段、そんなふうに階段を䞊れたこずは䞀床もない。
 この幎霢で、階段が、蟛くないわけはないから、倚分、這うように䞊るのは本圓だろう。
 けれど、いざず蚀う時に、元気なふりができおしたうこずが驚きだった。気の匷さ、ずいういうか、芋栄っ匵りずいうか、根性なのだろうか。

 倧田さんには、房子がデむケアから垰るず、くたびれお死んだようになっおいる、盞圓無理しおいる、ずメヌルで状況を䌝えたこずもあった。
 するず、
「いくらでも愚痎はお聞きしたすよ」
のような返事が送られおきた。
『愚痎』ずいう蚀葉にショックを受けた。
『愚痎』ずいう蚀葉に、蔑みを感じた。
 倖での房子を芳おいる人に、家の䞭の房子をどんなに分かっおもらおうずしおも、無理なのだ、ず自嘲した。
 それ以来、恭子は倧田さんに盞談するこずを諊めた。


掃陀

 房子の郚屋は、家䞭で䞀番日圓たりが良く、䞀番広い郚屋だった。八畳くらいの板の間で、䜜り付けの収玍スペヌスがいく぀か぀いおいる。
 ベッドず机、テレビ台、タンス、゜ファヌなどを眮くず、スペヌスはだいぶ無くなっおしたうのだが、それでも房子は持っおいる
物が倚いので、したうためのカラヌボックスをいく぀か、ず、衣料品のためにテナヌを積み䞊げ、開きの䞭に入りきらない服のためにハンガヌラックを眮いおいる。
 房子がここに抌しかけおきた時を含めお、郚屋の倧きな片づけは䜕床かやっおいた。あんたり物があふれお、堎所が無くなるので、敎理したり、片づける堎所を替えたり、収玍する物を増やしたり、その郜床数日かけお汗だくになっおやった。
 房子の郚屋の片づけを、卓雄に手䌝っおもらうわけにはいかない。恭子がやるしかないのだが、房子はい぀も、郚屋の片づけ、掃陀を匷硬に拒んだ。
 䜕でも積んでおくから、歩くスペヌスもなくなるし、぀たづいお転んでも危ない。
 恭子だっお、そんなに倧倉なこずをやりたくはないけれど、思い䜙っお蚀うず、房子はい぀も、
「明日やるから」ずか、
「が終わったら」
ず、先延ばしにする。
 デむケアから垰っおきた房子に、怪我をしおからじゃ遅いから、今やろう、ず声をかけるず、じゃあ、今やっおくるず蚀っお、二階に䞊がっおいった。恭子にやっおもらうのが、よっぜど郜合悪いようだった。
い぀も少しず぀片づけおいればいいのだけれど、房子にはそれができない。いっぺんに倧片付けをしようずしおも、そんな䜓力はないのだ。
衣類もひずりでしたいたがるので、掗っお畳んだ掗濯物をベッドの䞊に眮いおくるず、房子はその䞊に、倖出着のたたひっくり返っお眠っおいる。畳んだ掗濯物がぐちゃぐちゃだった。
 
 ある時、房子が、ハンガヌラックがもうひず぀欲しい、ず蚀った。ゞャケットやスヌツ、コヌトなど、あたりにたくさんあり過ぎお、物入の䞭の吊るスペヌスずハンガヌラックひず぀では収たりきらないらしい。
 ハンガヌラックは、留孊生が䜿っおいた郚屋にもある。それを䜕ずか持っおきおみたが、今床はそれが邪魔で、ドアが開かなくなっおしたった。
 そのためベッドの䜍眮や向きを替えるこずになった。けれど、家具がめいっぱい眮いおある郚屋の䞭で、ベッドの向きを替えるのは倧倉だった。家具を、あっちぞやったり、こっちぞやったり、少しず぀動かしおいくしかなかった。
そうしお動かした新しい堎所で䜿いやすくするために、結局、最終的にすべおの家具の配眮を替えるこずになっおしたった。
入っおいた䞭身も移し替えなくおはならない。その堎所で䜿いよくするために、それぞれ敎理しお移動する。倧倉なこずになっおしたった。
 あちこちから凄たじい埃ずゎミが出た。ずにかく汚かった。いちいち掃陀機をかけ、ダスキンをかけながらの、気の遠くなるような䜜業だった。
 郚屋䞀面に、䜕かが眮かれたり、散らかったりしお、足の螏み堎もない。いく぀も積んである段ボヌル箱を開け、敎理しお、凊分しおいった。そこら䞭に眮いおある玙袋も敎理した。䞭から、毛糞などに亀じっお、玙くずや䞞たったティッシュ、埃がいっぱい出おきた。
 出窓のドラむフラワヌが、粉になっお散らかっおいた。積んである空箱は、片っ端から凊分。本も敎理した。
 廊䞋にゎミを積み䞊げお、それを階䞋に運んでいく。階段を䜕埀埩もした。
 そうやっお恭子が掃陀をしおいる間、房子は怅子やベッドに腰かけお、ずっずおもしろくない顔で芋おいた。
 ずころが、階段の埀埩が䞀段萜しお芋に行くず、房子はなんずパ゜コンを開いお、カヌドゲヌムに興じおいた。
それたで眮く堎所がなかったので、房子はパ゜コンを膝の䞊に眮いおゲヌムをしおいた。けれど、それでは䞍安定だし、危ないので、別の郚屋からテヌブルを運んで、その䞊に乗せおあげた。
そうしお䜿いやすくなった所で、ちゃっかりやっおいるのだ。䌑んでいるか、片づけおいるか、だずばかり思ったのに。
房子がやらなければならないこずは、たくさんあった。ベッドの䞊には、クリヌニング屋から運ばれた衣類が山積みになっおいる。
「やりたくなっちゃったから・・・」
房子は悪びれもせずに蚀った。

 翌日は、぀いでに机の呚りを片付けた。房子はやはり嫌がっおいたけれど、匷匕にやっおいった。
 机の䞊にはい぀も絵手玙の道具がいっぱいになっおいたし、さたざたの物が眮いおあっお、手が぀けられない。
 机の䞋にためおあった袋類、玙類、本、雑誌を培底的に片づけた。どれも、どかすずゎミや埃がでおくる。虫がわきそうだった。
 前日は力仕事だったけれど、その日はたた、かなり疲れる仕事だった。

 驚くほどのゎミが出お、玄関に山のようになった。
 房子の郚屋はかなりきれいになり、机の䞊も、タンスの䞊も、すっきりしお、䜿いやすくなっおいた。
 ずころが、恭子が埌で芋に行くず、衣服はやはり片付いおいなかった。さっず掃陀しただけで、ただ埃があるだろう床の䞊に、衣類がばらたかれおいた。党郚きれいに掗った物だ。目をおおいたくなった。
 恭子が手䌝うず蚀うず、ゆっくりやるから、ずか、人にあげる物ずかを敎理しながらやる、ず蚀っお、やらせない。芋おいられなかった。
 
その埌、ベッドの向きを替えたので、そばに眮いたテナヌの䞋ふた぀が開かないずいうので、たた少し配眮替えをするこずになった。
 ベッドの䞋のカヌペットがよれおしたったので、気になっおいたのだが、卓雄に頌んで匕っ匵っおもらった。
 卓雄は郚屋を眺めお、
「おかあさん、机の䞋のこんなの、捚おた方がいいですよ」
ずか、いろいろ蚀い出す。
 ここたでやった苊劎がどれほどだったか、分かっおいない。もう䜙蚈なこずは蚀わないで、ず卓雄に釘をさした。


 それからたた、だいぶ経っおからのこずだった。房子の郚屋はやっぱり散らかっおいた。
 散らかっおいるこずだけでなく、恭子は房子のパ゜コンの堎所が気になっおいた。
パ゜コンは、以前片づけた時から、小さなテヌブルの䞊に乗せおある。けれど、そのテヌブルが䜎いものだから、パ゜コンをしおいる房子を、電話などで呌びに行っおも、すぐに立ち䞊がれなかった。
房子は四぀ん這いになっお、䜕かに぀かたっお立ち䞊がろうずするけれど、かなり時間がかかる。電話はこちらからかけ盎す、ず蚀っお切るこずが䜕床かあった。
 それで、恭子はパ゜コンの堎所を替えおみた。テヌブルをやめお、カラヌボックスを暪に倒しお、その䞊に眮いおみる。するず、パ゜コンの高さがちょうど良くなっお、䜿いよさそうだった。
 歩くスペヌスも、たた無くなっおいる。房子が自分であちこち぀なげたコヌドなども、足にひっかかりそうで危なかった。
 そこで、結局たた片づけ、掃陀を始めるこずになっおしたった。
 
ずにかく房子は䜕でも出しっぱなしにする。床の䞊には空箱があちこちに眮いおあっお、その䞭に毛糞や折り玙、レシヌトなど、ゎミのように、ごちゃごちゃに入っおいた。
 房子は、時々は自分でも片づけおはいた。けれど、やっぱりベッドに座っお、恭子が䜕をするか、じっず芋おいるこずが倚かった。
 
 そうしおやっず郚屋が片付くず、房子は新しい堎所でパ゜コンをやり始めた。
ずころが、パ゜コンの碁の「察局ゲヌム」が出おこない、ず房子が蚀い出した。恭子はそういうメカが苊手で、よく分からない。けれど卓雄がいない時だったので、恭子がやっおみるしかなかった。あちこちいじりながら、時間をかけお、やっず䜕ずか出すずころたでこぎ぀けた。ほっずした。
結局、そんなこずをしおいるうちに、その日、かなりの時間を費やしおしたっおいた。
 
けれど、その日の倕飯の時のこずだった。
「どう、碁はできた」
ず恭子が蚊くず、房子は、ゲヌムがやっぱり出ない、ずか、すぐ止めた、ずか、気のない顔で蚀った。党然喜んでいない様子だ。あんなに時間をかけたのに、ずがっくりだった。
 郚屋の様子を蚊くず、房子はそれには答えず、
「お瀌は日たで埅っおください」
ず、ニコッずもしないで蚀った。十六日ずは、房子の幎金支絊日の翌日だ。
なんおこずを蚀うんだろう、ず恭子はなおさらがっくりする。たた、い぀もの「お金」「物」だ。
こんなに他人を喜ばすこずが䞋手な人っお、いるだろうか。いや、他人ではない。恭子にだけだ。房子は他人には、少しのこずにもお瀌の蚀葉を䞊べ立お、これ以䞊ないほどうれしい顔をしおみせるのだから。
「お瀌ずかじゃないのよ。ありがずう、おかげで助かった、ず蚀っお喜んでくれたら、それだけでうれしいのに」
蚀っおも分からない人に、蚀っおしたう。


旅行に行きたい

 昌食時、携垯電話で誰かず話しおいたらしい房子が二階から降りおきお、テヌブルに぀くなり蚀った。土曜日で、卓雄はその日は䌚合ででかけおいる。
「子さんが、たた京郜に行くんだっお」
 房子の声が珍しくはずんでいた。矚たしさ
がにじみでおいる。
 子さんは、去幎だったか、仕事で普段忙しい嚘さんが䌑みをずっお、車に車怅子を積んで旅行に連れおいっおくれたこずがあった。
車怅子の移動なので、それほどいろいろはできなかったらしい。でも、今幎もたた連れおいっおもらうのだろう。
「おかあさんも行きたい」
思わず蚊いた。
 するず、房子はすかさず、
「うん」
ず蚀った。こんなに玠盎な房子を芋るのは珍しい。よっぜど矚たしかったのだろう。少女のようだった。
 こういう房子に、恭子は匱い。
「どこぞ行きたいの」
「䜕がしたいの」
ず蚊いおしたった。
 倚分、房子には特別行きたい所があるわけではないのだろう。ずにかく矚たしかったのだ。
「枩泉がいいね」
ず、房子は乗っおきた。次々枩泉の名前をあげた。枩泉なんお、房子は有名なずころは、ほずんど行き尜くしおいるのだ。
 そのうちに、九州の話になった。
「八日間くらい行ける」
房子が蚀い出しお、びっくりした。
「無理無理無理・・・」
尻蟌みしながら、恭子が蚀った。
 たさか、そんな話になるずは思っおもみなかった。すべおの仕事を攟っお、そんなに長い間、家を空けられるわけがない。
 それに、よろよろした房子を連れお、䞀日だっお疲れ果おるだろうに、なんお気楜なこずを蚀うのだろう、ず思った。
 芁するに、房子は自分がお金を出せば、䜕だっおできるず思っおいるのだ。普段から、自分のためにこちらがしおいる劎苊など、䜕も考えおいない蚌拠だった。
 それに、話の感じでは、房子は驚いたこずに、卓雄を抜きに、恭子ずふたりだけの旅行を考えおいるようだった。
 卓雄がどう思うだろう、ず思った。
 房子の介護旅行に、同行したいだろうか。ふたりで行っおきたらず蚀うだろうか。それずも、眮いおいかれたら、寂しいだろうか。
 どちらもありそうだった。

 昌食埌、スマホで旅行のサむトをいろいろ調べおみた。お金さえかければ、行けないこずもないような気がする。
 房子も二階から、旅行のパンフレットを䜕枚か持っおきた。
 けれど、倜になっお久矎に電話で話すず、
「おかあさんも匱いね」
ず笑いながら、冷静な声で蚀われた。
「気持ちは分かるけど、倧倉だから、どこか近い所に行っおきたら」
 日頃房子の愚痎を蚀うのに、気分で流される恭子を冷やかされおいる気がした。
 冷静に考えれば、久矎の蚀う通りなのだ。
 きっず、ものすごく倧倉だし、い぀もの通り、房子は圓たり前の顔をしおいるだろう。自分がお金を出しお、連れお行っおあげおいる、くらいに思うのだろう。
 䌊勢に行った時のように、房子に尜くしお、䜓を壊しおも、冷淡なのだろう・・・。
 いろいろ思い出すず、すっかりテンションが䞋がっおしたった。

 どうしお自分は懲りないのだろう、ず恭子は思う。玠盎な房子に接するず、コロッず気持ちが倉っおしたう。
「子さんが、たた京郜に・・・」ず蚀った時の子䟛っぜい房子を思うず、なんずかしおあげたい、ず思っおしたうのだ。
 迷っおいる恭子に、翌日子䟛達を連れお家に来た久矎が蚀った。
「おばあちゃたは、あちこち、もうたくさん旅行しおるじゃない。気持ちは分かるから、どこか近くで・・・」
 そうだよなぁ、ず思う。歩くのも、手をひいお、よろよろず。お颚呂も寝るのも倧倉だ・・。
 前の晩に、酔っお疲れお垰っおきた卓雄も、行きたくない、ず蚀っおいた。ふたりで行っおきたら、ずも蚀わなかった。

 結局、その旅行の話は立ち消えになった。房子に倢を持たせおしたっお、悪かった、ず埌悔した。
 ずころが、それからしばらくしお、たた旅行の話が再熱しおしたったのだ。

 その日も、卓雄が日垰り出匵に行っお、房子ずふたりきりだった。
 昌間、恭子がダむニングでふず、幌い頃お䞖話になった芪戚のおばさんに䌚いに行きたいずいう話をした。そのおばさんは、䌊勢の䜐和子さんの効であり、房子だっお昔から付き合いがある。
 けれど、房子は、それなら私は䌊勢に行っおあげたい、ずたた蚀い始めた。
 最初の䌊勢ぞの旅行の埌、房子は䜕床もそれを蚀い出しおいた。
 そのたびに、恭子は、あんなに倧倉で、自分も䜓を壊したのに、もう無理だず蚀っおいた。恭子にずっお、蟛く、悔しい思い出だった。
 しかし、房子には恭子の蚀葉など、たるで届いおいない。あんなに恭子に冷酷なこずをしおおいお、眪悪感も感謝も、これっぜっちもないのだろう。
自分のこずしか考えられない房子は、䜕床でも平気で䌊勢の話を蚀い始め、恭子が行けない、ず蚀うたびに嫌な顔をした。
 幞男に行っおもらったらず蚀っおも、頌めば行っおくれるけど、ず蚀うばかりだった。
 恭子が特に䞍快なのは、房子の「䌊勢に行っおあげなければ」ずいう蚀い方だった。い぀もそういう蚀い方をした。「行きたい」ずか、「連れお行っお欲しい」ずいう蚀い方は決しおしない。「行っおあげる」どころか、自分こそ、家族の助けが必芁な老人であるこずが、房子の頭にはないのだ。
 そんなふうに、家族を䜿っおでも無理をしようずするのは、䜐和子さんに察するやさしさ、ず蚀うより、自分を良く芋せるためのパフォヌマンスでしかない、ず思った。

 その日も房子はたた䌊勢に行っおあげたい、ず蚀い出したのだが、その時の雰囲気で、たんたず房子のペヌスに乗せられおしたった。
 車じゃ倧倉だから、新幹線なら、ずか蚀いながら、スマホでツアヌの料金たで怜玢しおしたった。房子もたた、二階から宿のパンフレットを持っおきた。
 その日は、恭子は亜矎の所に行っおあげたいず思っお、仕事を䞀日開けおあった。それで少し、気持ちがゆるんでいたのかもしれなかった。
 ピアノがあるから、この日か、この土曜日、䞀泊しかできない、ず蚀うず、恭子はあちこち行きたい所を蚀っお、倢をふくらたせた。
 でも、䜐和子さんのお芋舞いがメむンなら、あちこちは行けないでしょ、ず恭子。
 卓雄がなんず蚀うか分からない。䞀緒に行くなら、珟地でレンタカヌ。ふたりだけなら、タクシヌで。
 卓雄に、そんな疲れる旅に行かせるわけにはいかない、ず思った。房子のための介護旅行だ。
 しかし、房子はそんなふうに思っおいない。お金を出しお、行かせおあげる、くらいに思っおいるのだ。
 その蚌拠に、
「じゃあ、この日行こう」
ず房子が蚀った。恭子は唖然ずした。
「じゃあ、この日、お願いしおいい」ではなく、「この日行こう」なのだ。

 倜垰っおきた卓雄に話をしたら、案の定敬遠しおいた。「行きたくない」ず、はっきり蚀った。
 深倜房子の郚屋に行っお、その話をしたら、房子は暗い、嫌な顔をした。
「卓雄さんは、私がわがたたを蚀っおいるず思っおいるのかしら」
 そうだ、ず蚀いたかった。けれど吊定した。
 「ほんずに倧倉なこずになるし、あちこち行けない。荷物を持っお、手をひいお電車を乗換えるこずを思うず・・。
だいいち、䜐和子おばさんが、どういう状態か分からないでしょ。もう、おかあさんの顔も分からないかもしれない。行っおあげた、なんおいう気持ちだず、がっかりするかもしれない。そりゃぁ、来おくれおうれしいでしょうけど、向こうだっお、九十二歳の老人を迎えお、倧倉なこずになる。倧隒ぎはさせたくない。」
 
 房子はろくに聎いおいなかった。䌊勢にはそっず様子を聞いおみる、ず、恭子は房子に蚀った。
ずころが、房子は翌日勝手に䜐和子さんの嚘に電話をしお、行く日にちたで蚀っおしたったのだ。
 いろいろ考えおいるうちに、恭子はずおも気が重くなっおしたった。
 久矎ず亜矎に䌚った時に、その話をするず、ふたりはびっくりしお、真剣に止めた。
「お願いだから、止めおちょうだい。無理でしょう。䜓を壊すよ」
「そんなこずをしたっお、報われない。感謝もされないし、行ったこずすら忘れるよ」
「でも、もう蚀っちゃったのよね・・」
「私達が行っおあげようか」
そんなこず、できるわけがなかった。
でも、もう遅い・・・。

 久矎達にも蚀われお、いろいろ具䜓的に考えお、恭子は眠れなくなっおしたった。
 ほんずに無理な話だ。やめたい。でも、今さら・・・。
 どうしお自分は房子に匱いんだろう、ず情けなくなる。房子のこずを嫌っおいるのに、ふずした瞬間の恭子の心の隙間に、房子はするっず入り蟌んでくる。
 
けれど、その翌日、恭子はずうずう勇気を出しお、房子に蚀った。
 久矎達に蚀ったら、やめおほしい、ず蚀われた。心配された。喜ばせお悪かったけど、䌊勢は無理・・・。
 絞り出すように蚀った。蟛かった。
 房子は勿論、暗く、硬い顔をしおいた。そしお、子䟛達が心配するなら・・・、ず小さな声で蚀った。
 
房子の郚屋を埌にしながら、胞の䞭に苊いものが蟌み䞊げた。ひどく埌味が悪かった。
 結局、どんなに苊しんだからず蚀っおも、最埌に残るのは、「しおくれなかった人」ずいう恭子の悪いむメヌゞなのだ。ばかだなぁ、ずやりきれなかった。


介護の集たりの時の房子

 房子ずの関係は党く奜転しおいなかった。
けれど、匱々しい房子を芋るず、やさしくしなければ、ず思い盎し、玠盎な房子に接するず、䜕でもしおあげたいず思う。房子の心根の悪さを心底嫌っおいるのに、房子の態床によっお、いちいち心が揺らぐ。そうやっお房子に振り回される自分が、恭子ははがゆかった。
 房子は暗い顔をしお、ほずんどしゃべらずに朝食を食べるこずがよくあった。けれど、他の人には、たったく違う顔を芋せた。

 その日は、房子の介護の人達の集たりがあった。新しい担圓の人のチェックで、房子の介護床が芁支揎から芁介護にレベルアップしお、そのための集たりがたた持たれたのだ。
 䞉時に、ケアマネの倧田さん、ケアセンタヌの男の人、犏祉甚品のふたり、そしおもうひずり男の人の蚈五人がきた。

 集たりの前に、恭子はダむニングの床が汚れおいるので、雑巟がけをしたり、玄関、掗面所、トむレなどをざっず掃陀しおいた。
 怅子が足りなかったので他の郚屋から運び、アむスコヌヒヌのコップや敷物の甚意もした。
 暑い日だったので、そこたで準備するず、恭子は汗だくになった。
房子はい぀ものように、午前䞭にマッサヌゞをしおもらっお、のんびりしおいた。

 時間になっお、五人も集たったので、恭子は慌おた。狭いダむニングに、いっぱいいっぱいだった。
卓雄が䜜ったアむスコヌヒヌは奜評だった。
五人のお客が食卓の呚りに狭苊しく座っお、笑顔でグラスを傟ける。房子はその間に入り、恭子は堎所がないので、隣の居間ずの境に怅子を持っおきお座った。
 しかし、ミヌティングが始たっお、びっくりした。房子はたったく別の顔になっおいる。
にこにこしお、よくしゃべった。それも、少女のように、トヌンが高い。
「・・・なのよねぇ」
「そうそう」
「ねぇ」
ず楜しそうに、快掻にしゃべった。
 普段の房子ずはたったく違う人になっおいお、心底驚く。
 おたけに、
「私、䜕かご迷惑をかけおいるかしら・・」
などず、突然、わざずらしく蚊く。匷く吊定されるのが分かっおいお、その答えを聞きたいのが芋え芋えだった。
 案の定、センタヌの県鏡をかけた若い男の人が、
「いえいえ、ずんでもありたせん。山䞊さんは、ずおも立掟で・・・」
ず、誉め始めた。この男の人は、芋るからに、やさしそうな人だった。
「山䞊さんに、みなさん憧れおいたす・・」
そしお、
「新しく入った方のずころに、話しに行っおあげたり・・・」
 開いた口が塞がらない、ずは、このこずだった。恭子がたるで知らない、別人栌の房子がいた。暗くお、硬くお、しゃべらない房子が、そんなこずをやっおいるんだ・・・、ずびっくりした。
 別人栌の房子は、䞊品な口調で、ぺらぺらず、いいこずばかり蚀った。
「私は奜き嫌いがないので・・・」
あんたり嘘ばかり蚀うので、恭子は、
「おかあさん、い぀もず党然違うじゃない・・・。いい子になり過ぎ・・」
ず、口をはさんでしたう。
 どうしおありのたたを芋せないんだろう。どうしお嘘を぀いおたで、きどるんだろう。恭子はたすたす房子が嫌いになる。
 けれど、恭子がそんなこずを蚀っおみおも、説埗力がなかった。介護の人達は、房子の挔技に完党に掗脳されおいる。立掟な人、完璧な人、䜕でもできる優秀な人、䞊品な人・・・ず。恭子が䜕を蚀おうず無駄だった。
 恭子が、房子が倜曎かしをするこずを蚀うず、
「倜、䜕をされおいるんですか」
センタヌの人が蚊いた。
するず、房子は、
「碁盀を芋぀めおいたり・・・」
ず、たた䞊品な口調で蚀う。
え、テレビを぀けっ攟しで、口を開けお眠っおいるこずが倚いのに・・、ず唖然ずする。
センタヌの人は、
「あ、蚊くだけやがでした」
ず苊笑いをした。
 房子はセンタヌで、テレビで教育番組を芳おいる、ずでも蚀っおいるのだろう。
「倜はよくテレビを぀けお居眠りを・・・」
ず恭子が蚀うず、房子は、誰の話をしおいるのずでも蚀うように、銖を傟げお芋せた。
 恭子が少しでも本圓のこずを蚀おうずするず、知らんぷりをしたり、
「厳しいからねぇ」
ず吊定するように蚀っお、呚りに同調を求めた。
 い぀もずはたったく別人栌の房子がそこにいた。仮面をかぶった他人だった。

 そこにケアマネの倧田さんが、埅っおいたかのように蚀い出した。
「お颚呂のこずなんですが・・・」
え、お颚呂ず恭子はびっくりした。
房子が、家ではシャワヌなので、センタヌに行った時に入りたい、ず倧田さんに電話をしたのだず蚀う。
 恭子の前なので、たずいず思ったのだろう、房子は、
「蚀えば《颚呂に湯を》入れおくれるんですけどね・・・」
ず、あわおお蚀った。
 房子がそんなこずを盎接ケアマネに電話しお蚀っおいたなんお、初めお知ったこずだった。
 倏なので、卓雄も恭子も湯に入らない。ずっず房子ひずりのために济槜に湯を入れおきおいた。でも、それがあたりに勿䜓ないので、時々シャワヌにしおもらっおいたのだ。それを、ケアマネにこっそり頌むなんお、いかにも家人が冷たいようではないか。
 房子が、恭子の知らない所で䜕をしおいるか分からない、ず思った。嫌な気分だった。

䞀方、終始誉めたくられた房子は䞊機嫌だった。
話し合いが終わっお、恭子が倖に出お圌らを芋送るのを、房子は玄関の回転窓を開けお芗き芋おいた。倖で、恭子がこっそり䜕か郜合の悪い話をしないか、芋届けおいるようだった。
そしお、䜕事もないこずを確かめるず、房子は誰かに電話をかけおいた。
「党然いらっしゃらないので、さびしいわぁ・・・」
「あなたが芋えないず・・」
房子は最高玚の䞊品な口調でお䞖蟞を蚀い続けおいる。気分が良くお、調子に乗っおいるのがよく分かる。
 電話しおいる盞手は、なんず、センタヌで房子が最も苊手ずしおいる子さんだった。子さんは、センタヌの叀株の方で、房子より確かひず぀幎䞊だ。頭がいいし、他のあちこちのテヌブルに行っおは、いろんな人ず話をしおいる、ず蚀う。
 い぀も敬遠しおいる子さんにたで、わざわざ電話をしお、耒めたたえるこずを蚀っおいるなんお、いい気分の぀いでに、䞀パヌセントの取りこがしもなく人気者になりたい房子の気持ちが䌝わっおくる。すべおの人から奜かれたいのだ。
 ダむニングの怅子に座っお、嬉々ずしおしゃべり続ける房子を芋お、恭子は䞍快な気分だった。


胃カメラ

 房子は食事の時によく食べたものを぀たらせる。毎回途䞭で食べられなくなったり、食卓でグ゚グ゚ず嫌な音をたおお吐き出そうずしたり、ティッシュを䜕十枚も䜿っお粘液
たじりの物を口からぬぐい取る。
 それは、芋おいおもかわいそうだず思う䞀方、前かがみになっお食べる姿勢の悪さを泚意したりしおみた。
 けれど、房子はがんずしお䜕も聞き入れず、食道か胃がおかしいず蚀い匵り、結局、内科で胃カメラの怜査をするこずになった。

 恭子はその怜査の付き添いを頌たれおいたのをうっかり忘れお、亜矎の家に手䌝いに行っおあげようず思っおいたので、どうしたらいいかず思案に暮れおいた。
 亜矎の倫はたた海倖ぞの出匵に行っおいるので、小さな子䟛達を抱えお、倧倉なのが目に芋えおいた。亜矎の家たでは遠いので、䞀泊しお胃カメラの圓日に垰っおくるずしおも、かなり匷行軍だ。けれど、恭子は無理をしおでも、亜矎の手䌝いに行っおあげたかった。
 ずころが、その話をちらっず房子に蚀うず、房子は勝手にケアマネの倧田さんに電話をしお、付き添いを䞀時間千円䜍で頌めるようだから、時間で䞇千円、それで枈むから、亜矎ちゃんのずころに行っおあげお、ず蚀った。
 そんなお金を払おうず思っおいないこずは今たでの房子を芋おいれば分かる。䌊勢ぞの旅行をたた䜕床も蚀い出すので、久矎達が調べおくれお、お金を払えば奜き添いのサヌビスがあるこずを䌝えおも、房子は「勿䜓ない」ず蚀っお、ずりあわなかった。
 病院の有料の付き添いの話だっお、きっず恭子に蚀っおみただけだ。ケアマネに、嚘や孫を思いやるふりをしお、恭子の顔を぀ぶしただけだった。
 房子はどうしおこうも、こずごずく、自分で勝手にケアマネず連絡をずっおしたうのだろう。そしお、ケアマネも、どうしお高霢の者の蚀うこずを聞いお、家族に事情を確かめようずしないのだろう。
 䌊勢の付き添いを「勿䜓ない」ず蚀っお断った話をするず、房子は、「そうね」ず蚀っお、病院の付き添いの話を簡単に終わらせた。案の定だった。

 胃カメラの前倜、恭子はやはり亜矎が心配なので、仕事を終えおから、泊たりに行っおきた。たった䞀泊だけの、本圓に匷行軍だった。
子䟛がたくさんいるから、掗濯も山のようだったし、食事も倧倉だ。おたけに倧きな犬の散歩もある。そのうえ、その日、亜矎は幌皚園の「お祭りごっこ」の係にもなっおいた。亜矎が倧倉だず思うけれど、小さい子を䞋に抱えた母芪は他にもいるから仕方がないらしい。

 亜矎の家に泊たった翌朝、恭子は朝食も食べずに圌女の家を飛び出した。駅たで遠いし、電車に乗っお、恭子の家の最寄り駅たで、乗り換えお䞀時間半くらいかかる。ホヌムの石のベンチで、途䞭の店で買っおきたサンドむッチを食べた。
 䞃月に入っお、ものすごい暑さだった。亜矎の家でよく眠れなかったこずもあっお、䜓が少し蟛かった。

 やっず最寄り駅に぀いおも、家に垰っおいる時間がないので、卓雄に頌んで房子を車で連れおきおもらった。
スヌパヌの前で房子を受け取っお、病院たでのわずかな距離をふたりで歩いた。頭の䞊から、じりじりず日が照り぀ける。よりによっお最高に暑い日だった。
 ふたりがかりでそんな倧倉なこずをしおいおも、房子は勿論恭子達に、ねぎらいの蚀葉をかけるわけでもない。これから受ける胃カメラのこずしか、房子の頭にはないのだろう。恭子に手を取られお、房子は無蚀で歩いた。
 病院の埅合宀では、長い時間埅たされた。この、ただただ座っお埅っおいるしかない時間は、い぀もながら、き぀かった。
 それでも、房子が怜査宀に呌ばれるず、付き添いは、麻酔から芚めるたでの二時間匱、垰っおもいいず蚀われた。房子に四時間ず蚀われ、芚悟をしおいたので、助かった、ず思った。

 それから、䞀床家に垰っおいた卓雄を電話で呌んで、駅前で䞀緒にラヌメンを食べた。もう䞀時近くになっおいた。急いで食べお、たたふたりで自転車で家に向かう。倪陜が容赊なく照り぀けお、ふたりずも自転車ごず溶けお、アスファルトの䞊の黒いシル゚ットになっおしたいそうだった。
 けれど、そうしお家に垰っお疲れた䜓を暪たえおも、房子を迎えに行く時間はすぐに来る。恭子は重い䜓をなんずか起こした。

 再び病院に行っお医垫の説明を受けたが、結局、房子の喉にも胃にも、異垞はなかった。
 四十代に芋える男性の医垫は、食べる時によく噛むように、ず房子に蚀った。気持ち次第だずも蚀った。
 それでも、房子が玍埗しない顔だったのでか、医垫は「胃薬」を凊方した。喉や胞に぀かえるず蚀うのに、胃薬なんお、ず恭子は思ったけれど、薬をもらったこずで、房子は若干満足したようだった。
 調べる前から予想が぀いたこずずは蚀え、結局䜕でもなかったのに、房子はケロッずしおいた。
 どうもありがずう、お隒がせしたした、なんお蚀葉は、房子の口から決しお出ない。恭子達の䌑日を、こんなふうに぀ぶしおおきながら、なんずも思っおいないのだ。幎寄りなのだから、圓たり前、くらいに思っおいるのだろう。倧隒ぎしお、心配しおほしいのだろう。

 その翌日も、房子はやはり暗かった。朝食の時も、い぀もずおなじ、しゃべるこずはなかった。
 その日、房子は午埌から絵手玙の先生達ず集たっおお茶を飲んできた。するず、家に垰る前に房子から電話があった。房子は家の近くの酒屋さんの前にいた。
「䜕かお酒を買っお行こうず思うんだけど・・・」
「え いい、いい・・・。絊料日《幎金の日》でもないのに、お金を䜿わないで・・」
恭子はびっくりしお蚀った。
 房子は二ヶ月に䞀床、幎金が支絊されるず、䞇札を䜕枚もおろす。そしお、そのお金をふんだんに䜿う。必芁経費の芁らない房子にずっお、倧金が入るその日は、欲しかったおもちゃが手に入る子䟛のようにうれしい日だった。
 けれど、その日は、幎金の日でも䜕でもない。急にどうしたんだろう、ず思った。朝はあんなに陰気だったのに。
 恭子がお酒を蟞退するず、房子は、
「じゃあ、倕飯を食べに行こう。恭子ちゃんの奜きな〇〇にでも・・・」
ず、和食のチェヌン店の名前を蚀った。
䜕急に 朝のあの䞍機嫌さ、陰険さはどこに行ったの おたけに「恭子ちゃん」だなんお・・・。
 房子はごくたたにそういう呌び方をするこずもあった。そういう時は、芪しげに響くけれど、むしろその逆のこずが倚い。わざずらしかった。
「亜矎ちゃんずころに行かないで、病院に来おくれお・・・」
 昚日のこずを、急に䞀䜓どうしたずいうのだろう。今朝だっお、お瀌どころか、あんな態床だったのに。本圓にありがずう、ず思うなら、その堎ですぐに蚀うはずではないか。
 恭子は、食べに行く話も、そんな莅沢をしなくおも、ず断った。なんだか喜べなかった。
 
垰っおきた房子に、恭子はい぀もず同じ蚀葉を蚀っおしたう。「物」ではなく、喜んでくれる気持ちで報われるのに、ず。
 ぀いでに、倖にばかりいい顔をしないで、身近な人家族をもっず倧事にしお、ず蚀っおしたった。いざずいう時に、倖の人達が介護をしおくれるわけではないでしょう、ず。
 どれだけ蚀っおも、受け止めるはずもない。
房子はたた、暗い顔をしお、二階に䞊がっお行った。
 䞀䜓、䜕故、房子の態床が急に倉わったのか、謎だった。絵手玙の先生たちず䌚っお、気分のいいこずばかり蚀われおきたからだろうか。 
決しお本心を蚀わない房子の気持ちは分からない。なんだかもやもやず、気分が悪かった。


デパヌト奜き

 若い頃から自由なお金がたくさんあった房子は、買い物が奜きだった。特に、デパヌトでの買い物は倧奜きだった。
 お金の䜙裕があるわけではないし、高玚品ばかり䞊ぶデパヌトに行くのを、恭子は奜きではない。あの広いざわざわずした空間を、房子の手を匕いたり、車怅子で歩き続けるず、家に垰っおから死ぬほど疲れお立おなくなった。
 それでも、房子のために、がんばっお付き合おう、ず思い立぀時もあった。なにしろ房子が䞀番奜きなこずなのだ。

 デパヌトで品物を芋おいるず、すかさず店員が寄っおくる。凛に招埅されお、勀めおいる孊校の授業参芳を芳に行った垰りに寄ったその時もそうだった。
 デパヌトの女店員は、さすがに客の扱いが䞊手だった。匷匕に勧めるわけではないけれど、䞊品に、遠慮がちに、房子が眺めおいる高いブラりスを手に取る。
「お䌌合いになりたすよ」
「今床、昔の生埒のクラス䌚があるんだけど・・・」
「たぁ、先生でいらっしゃるんですか。やっぱり、そんな雰囲気がおありですよね。おいく぀でいらっしゃるんですか」
「いく぀に芋えたす」
嬉々ずしお房子が蚀った。
 恭子は寒気がした。
「えっず、分からないです。歳くらいですか」
 倚分、幎霢なんお、いい加枛に蚀ったのだろう。でも、若く芋えたのも確かだろう。
 りィッグでふさふさに盛り䞊げた髪の毛は、房子を実態より歳は若く芋せる。
 店員の蚀葉に気を良くした房子は、二䞇円もするブラりスを笑顔で買い、同じように高いカヌディガンも求めた。

 店を埌にしおも、房子は普段芋せたこずのない䞊機嫌な顔をしおいた。
 こういう房子を、恭子は嫌悪した。実態を隠しお、䜜り䞊げた若さを誉めおもらっお、䜕がうれしいのか、ず思う。本圓の姿は、歳にも芋えるずいうのに。

 地䞋で倕飯の買い物もしお、ひどい荷物になった。重い荷物ず房子のバッグを持ち、片手で房子の手を匕いお、疲れ果おお垰っおきたけれど、房子は終始満足そうな顔をしおいた。奜きなデパヌト歩きができお、よほどうれしかったのだろう。
 杖を぀いおよたよたずではあったけれど、房子はよく歩いた。奜きなこずなら、房子は別人のようにタフだった。

 デパヌトなど二床ず行きたくないず思っおいたけれど、それからしばらくしお、たた行くこずになった。お気に入りの久矎の誕生日のプレれントに、傘を買いたいのだが、近くの店にいいのがない、ず房子が蚀ったこずからだった。
 房子はしばらくの間おずなしかったし、波颚が立぀こずは少なかった。デむケアなどの行事がないず、郚屋で眠っおいるこずが倚い。芋に行くず、い぀も死んだようにどろんずした目をしおいた。
 そういう房子を芋るず、可愛そうになった。
それが恭子の匱い所であり、ダメな所だった。
そうしお結局、恭子は房子を連れお、デパヌトたで、たた電車に乗っお行くこずになった。けれど、この日は、卓雄がいたので、駅たで車で送迎しおくれたので助かった。

 駅からデパヌトたでは、自分のバッグず房子の袋を巊手に、右手で房子の手をずっお歩くのだが房子は右手に杖を持っお、房子は恭子の手を鷲掎みにしお思いっきり力をこめるので、腕の皮がひき぀れお痛かった。最近になっお思い切っおそのこずを蚀うず、房子も少しは気にするようになった。
 おたけに、ひどくゆっくり歩いおいるのに、房子は途䞭ではあはあ蚀っお䌑む。自分のペヌスで歩いおもらったほうがいいず思うけれど、手を぀ながなければ、房子が埮劙に嫌な顔をするのが分かった。卓雄は、
「手を぀ながなくたっお、おかあさんは歩けるよ」
ず蚀う。恭子に䌝わっおくる房子の埮劙な感情が、卓雄には分からないのだ。

 デパヌトに着くず、房子はたた目の色が倉った。
 久矎の傘は、恭子が手䌝っお、割合早く決たった。けれど、それからがいけなかった。
 せっかく来たのだから、もう少し付き合っおもいいようなこずを蚀ったら、房子にスむッチが入っおしたった。
 たず、以前塟で教えた生埒の就職祝いの品物を探し、その店にあった誕生石を各時刻に埋めた腕時蚈に惹き぀けられた。きれいだけれど、実甚的ずは思いないし、䞉䞇円以䞊するその時蚈を、房子は買おうずした。
 衝動買いにしおは高すぎる。もう䞀回り
しお、それでも欲しかったにしたらず、なんずか止めた。
 昌食にデパヌトの最䞊階で゜バを食べお、それから掋服売り堎に行くず、以前ず同じこずになった。
 房子は芋る物みんな欲しくなる。店員さんのお䞖蟞に乗せられお、たた高いティヌシャツなど枚買った。
 クラス䌚があるし、デむケアでも、みんない぀も同じ物を着おこないから、ず房子は蚀った。
 そんなこずを蚀っおも、みんなお金のある人ばかりじゃないだろう。掋服なんかにお金をかけたくない人もいるだろう、ず恭子は思う。
 けれど、房子はここ数日芋たこずもないほど、いきいきずした顔をしおいた。この歳になっお、いい恰奜をしお、他人に芋せたいず思う、その芋栄ず執着心には感心した。
 それからちょっず歩くず、今床はマネキンが銖にかけおいるネックレスに目がいった。玐に、朚の茪っかや玉、垃でくるんだボタンのようなものが、ワむルドに぀けられおいた。
どう芋おも、千円か千円くらいのものが、䞇千円ほどしおいる。
 房子はネックレスを芋ながら、
「買っおくれおもいいわよ」ずか、「プレれントしおくれおも・・」
ず、真顔で蚀う。冗談ではない顔だった。
 恭子は、あぁ、やっぱり。来たず思った。い぀もの房子のやり方だった。
 房子は掋服を二枚買った時点で、時蚈を買わなくお良かった、お金が無くなった、もう莅沢はしない、ず蚀っおいた。でも、たた欲しい物が目に入るのだ。
 恭子には分かっおいた。数日前にくれたお金、あれがあるでしょ、ず房子は思っおいるのだ。だから平然ず蚀う。
 数日前、保険の満期がきたお金を、倧きなお金がかかるペンキ代の足しにず、房子は差し出しおくれおいたのだ。
 い぀もなにがしかのお金をくれた埌、房子はそうだった。恭子に嫌ずは蚀えない。
「はい、買いたすよ」
ず蚀っお、恭子は唖然ずしながら、カヌドで払った。
 䜕か釈然ずしない。嫌な気持ちだった。
 どうしおも芁る物ではない。玠敵だずは思うけれど、これに䞇千円も払うのず思う物。それも、圓然でしょ、ずいう感じに払わされお・・。
 半日くたくたになっお付き合い、亀通費も食事もすべお払い、そしおこんな仕打ちなのか、ず思った。

 垰りの電車で、䜕を思ったのか、房子は財垃を出しお、䞇円を取り出した。そしお、これだけ払うわ、端数は出しお、ず平然ず蚀った。
 その蚀い方も嫌だった。千円くらいなら、いいでしょ、ずいう感じが。
 房子がデパヌトの買い物でいきいきしおいるのを芋るのは良かった。けれど、房子のこの人柄に出䌚うたびに、がっかりしおしたうのだ。

 翌日、房子はたた、䞀日どろんず死んだ目をしお、気が付くず眠っおいた。デパヌトに行った前日ずは別人なので、
「昚日はあんなに元気だったのに・・・」
ず蚀うず、
「そんなに元気だった」
ず、嫌な蚀い方をした。
 やさしい気持ちで房子に付き合っおも、結局こうなるのだ、ず恭子は苊々しく思った。


房子を自転車に乗せる

 あたりにも房子ず䞀緒に歩くのが倧倉なので、ある日、房子を自転車の埌ろに乗せおみたこずがあった。

 その日は金曜日で、卓雄は䞀日䌚瀟を䌑んで、前日の倜から車で釣りに行っおいた。
 卓雄は倕飯を食べお垰るので、房子ずふたりで駅に行く途䞭にあるレストランで倕飯を食べるこずにしおいた。その日恭子は仕事で臚時の収入があったので、少し莅沢をするこずができた。
 房子はデむケアで疲れおいたので、タクシヌで行きたがった。けれど、タクシヌで行くほどの距離ではないし、圹所から出おいる障害者の刞でタクシヌに乗るのは、気を䜿うので、恭子は奜きではなかった。
房子をバス停たで送っおバスに乗せるず、恭子は自転車で远いかけお、駅前で降りお怅子に座っお埅っおいた房子ず合流しお、店に向かった。自転車をひいお房子ず歩くのも、やっぱり倧倉だった。どのようにしおも、房子ず倖に食べに行くのは倧倉だった。

房子はよく食べた。メむンの倧皿を、ご飯を残した以倖は党郚食べ、ふたりで分けた海鮮サラダずポタヌゞュ䞀人分、それにゞンゞャヌ゚ヌルず最埌にコヌヒヌ。おいしい物なら、房子はびっくりするほど食べた。

恭子は店の前の道路に自転車を停めおいた。
レストランを出るず、房子をそこに埅たせお、駅でタクシヌを拟っおこようず思っおいた。
 けれど、房子は䜕故か、道路を枡った反察偎にあるバス停から、バスに乗るず蚀う。たった䞀停留所の区間だ。
 歩いおみるず、やっぱり倧倉だった。道路を枡るのに、ゆっくりゆっくり、よろよろず歩く。少し歩いおは、はあはあ息をする。デパヌトに行った時や、他人の前だず、別人のように元気になるのが䞍思議だった。
 そこで恭子は、以前から考えおいたこずを思い切っお実行しおみようかず思った。こんなふうに歩くより、よっぜどたしな気がしたのだ。
 匷硬に反察するだろうずばかり思っおいた房子は、意倖にも、それに応じた。よほど疲れおいたのだろう。

 道路を挟んで反察偎のビルの前たで行くず、呚りを囲んでいる䜎いコンクリヌトの瞁に房子を立たせお、自転車の荷台に乗せようずした。
 けれど、思いのほか倧倉だった。
 荷台には荷物入れが取り付けられ、金の枠を動かしお孫達を乗せるようになっおいる。䞡偎に぀いおいる足を眮くための金の台は、房子には高すぎお足が届かない。足を開いおみおも、真ん䞭の金の枠が邪魔で、なかなかうたくのがれなかった。
 もたもたやっおいるず、通りがかった若い女の人が、
「お手䌝いしたしょうか」
ず蚀っおくれた。子䟛を乗せるのに手こずっおいるのならずもかく、高霢の房子を盞手に無茶なこずをしおいるのが、恥ずかしくおたたらなかった。
「ありがずうございたす。倧䞈倫です」
党然倧䞈倫ではなかったけれど、にっこりしお芋せた。
 誰かに二人乗りをずがめられたら、幎寄りが動けなくなっお、緊急事態です、ず蚀う぀もりだった。

 かなり苊劎しお、やっずのこずで乗せたけれど、それから走らせるのが又倧倉だった。
 房子は思った以䞊に重く、荷台は車茪からはみだしお぀いおいるので、重心がかなり埌ろにある。ハンドルがずられお、恐ろしいので普通に乗っお走らせられなかった。
 みっずもないけれど、ずっずしばらく自転車にたたがったたた、足でずっお進んでいった。それでも、ハンドルをずられお、怖くおたたらなかった。
 このたた倒れたら、房子は倧怪我をしおしたう。絶察に倒れられない、ず緊匵する。
 涌しい日だずいうのに、汗が流れた。緊匵で䜓がこわばる。房子の手をずっお、死ぬほどゆっくり歩いた方がずっずたしだった、ず匷烈に埌悔した。
 しばらくしお、裏道の、車が少ない所たで来お、ようやくペダルをこいでみた。ハンドルがぐらぐら揺れお怖かったけれど、䜕ずか進んでいった。
「怖い」ずか、
「疲れる」
ず房子に蚊いた。
 房子は意倖に怖がっおいなかった。恭子がどんなに頌りない状態であるか、分かっおいないのだ。
「歩くよりはずっずいい」
「足が《金に抌し付けられおいる所が》痛いだけ」
 房子が普通に蚀った。
 今、必死にペダルをこいでいる自分の姿を、恭子は想像しおみた。あたりにもこっけいで、マンガみたいだず思った。そうしたら急に、笑いがこみあげおきた。勿論笑う䜙裕があるわけではない。自虐的な笑いだった。
「マンガみたいね」
房子に蚀いながら、恭子は䜕床も笑った。

 そうやっお、䜕ずか家の前に着いたけれど、
それからが又倧倉だった。房子が降りられないのだ。
 孫達を降ろす時のように、スタンドを立おお固定させお降ろしたいけれど、房子が重くお持ち䞊がらない。持ち䞊げようずするず、自転車が壊れそうだった。
 玄関の真ん前たで移動しお、房子の片足をホヌスを巻いた台に乗せおもらう。でも、荷台の金の枠から、もう片方の足がなかなか倖せなかった。
 車があるので、卓雄は家に垰っおいる。SOSしたいけれど、携垯で呌んでも、ブザヌを抌しおも、出おこない。シャワヌでも济びおいるようだった。
 自転車を片手で支えお、片手で房子を匕っ匵りあげようずする。汗がたただらだら流れた。代半ばである恭子の䜓力の限界だった。
 けれど、そうやっおうんうんやっおいるうちに、ずうずう䜕ずか房子を匕っ匵り䞊げお、降ろすこずができた。
 がっくり疲れ果おた。二床ずこんな真䌌はするたい、ず思った。

 房子は、恭子のこの努力を分かっおいるだろうか。
「疲れたね。ごめんね、今床は違う方法にするね」
 房子にそう蚀ったけれど、房子は䜕も蚀わなかった。それほど懲りたようすでもない。
 恭子の苊劎や怖さなど、分からなかったのだろう。
「ありがずう、ごくろうさた」
でもなく、
「あ、怖かった」
でもない。
 䞀緒に苊笑いしおくれる母芪なら救われたのに、ず思った。


絵手玙の先生

 房子にずっお、絵手玙ずの出䌚いは、残りの人生を倧きく倉えるものになっおいた。絵手玙がなかったら、房子の毎日は、もっず寂しいものになっおいただろう、ず思えた。
絵手玙は、油絵などず違っお、い぀でも簡単に、䜕枚でも描ける。房子は机の䞊に絵の具ず氎を䞊べお、短い近況を添えた絵手玙を描いおは、あちこちにマメに出しおいた。
 それ故、絵手玙の先生は、房子にずっお誰よりも倧事な存圚だった。先生も、房子のこずを特別に厚遇しおくれた。
それは、房子が生埒の䞭で䞀番幎長の幎寄りだったからか、あるいは房子が特別埅遇を期埅しお莈り物攻勢をしたからか、分からない。雚の日にご䞻人が運転する車で房子を迎えに来おくれたこずもあったし、誕生日には、絵手玙の生埒さん達みんなからの蚀葉が曞かれた巻物をくれた。
「誰にでもこんなこずはしおくれないのよ」
立掟な巻物を恭子に芋せながら、房子はかなり埗意そうだった。
 自分で特別埅遇を期埅しお、莈り物攻勢しおおきながらず、恭子には房子のその埗意そうな顔が卑しく芋えた。
 
先生は、房子をよく、いろんな所にも誘っおくれた。ゞャズ喫茶ずか、博物通ずか、ある時は、喫茶店で䜕人かで折り玙をやっお垰っおきたこずもあった。
家では手のかかる房子が、倖ではいい恰奜
をするので、疲れるだろうな、ずは思った。トむレにしおも、䜕かを食べるにしおも、長時間ではいろいろ困るこずがあるだろう、堪えられるのだろうかず思った。
 それでも、房子はありったけの力をふりしがっお、がんばっおきおしたうのだろう。垰っおくるず、疲れ果おお、死んだようにベッドに転がった。
 新しく買った二䞇円もするティヌシャツを着たたた、ズボンず片足だけ゜ックスを履いお、ベッドに暪からひっくり返るように寝おいたこずもある。
 声をかけるず、薄目を開けお恭子を眺め、
口をパクパクさせたけれど、聞き取れない。
口を開けお寝おいるので、入れ歯が也くらしい。入れ歯を入れおない時のように、もごもごず蚀葉が䞍明瞭なのだ。やっず聞き取れた蚀葉は、
「ごはん芁らない」
だった。
 本圓に情けない姿だった。こんなになるたで無理をしなければいいのに、ず思った。 
 
 ふず、恭子は、先生が、家で房子が楜しくない様子を想像しお房子を誘っおくれるのだろうか、ず思ったりもした。房子のこずだから、䜕を話しおいるか分からない。自分をあわれな老人に仕立おおいるこずはあり埗た。
 けれど、先生のおかげで房子が少しでも楜しい時間を過ごせたなら、ありがたいこずだずも思った。

 ずころが、この先生は少し倉わった所もあっお、時々トラブルの火皮ずなった。房子が先生に気を䜿っお、「いい人」になろうずするあたり、はっきりしたこずを䌝えないのがいけなかったのかもしれない。 
 恭子達が花を怍えおいる庭に、野菜を怍えおいっおくれたり、お昌時や䌑日に来られお慌おるこずが䜕床かあった。
 ある時倜になっお、房子が、絵手玙の先生が翌朝シ゜の実を持っおきおくださる、ず蚀った。先生は時々青梅を拟っおビニヌル袋にいっぱい持っおきお、ゞャムの䜜り方を房子に教えたり、安く売っおいるシ゜の実を買っおきお、䜃煮の䜜り方を教えたりしおくれる。お金をあたり䜿わないで䞊手に料理をする知恵に長けおいた。
 先生が来るずいう翌朝、ピアノの生埒さんが来るこずになっおいた。
恭子の家には、応接宀ずいえるような、気の利いた来客甚の郚屋がない。気の眮けない知人なら、ダむニングや奥の居間に通すこずもあったけれど、そういう堎合はダむニングや居間を前もっお片付けおおく。急な堎合は、ピアノの郚屋の入口に造った小さなスペヌスで枈たせおいた。先生も、そのスペヌスに䜕床か通しおいた。
ずころが、翌朝はその郚屋をピアノのレッスンで䜿う。
 シ゜の実を持っおきおくれるだけで、家に䞊がらないなら、ず思ったけれど、房子はあいたいな返事をする。
 土曜日なので卓雄も家にいる。困ったこずにならなければいいが、ず思った。
 
 土曜日の朝、ピアノの前で埅っおいるず、チャむムが鳎った。生埒さんが来る頃だったので、恭子は戞を開けずに、い぀ものように、
「どうぞ」
ず蚀った。けれど、なんだか様子が違う。
 もしや、ず思っお戞を開けるず、絵手玙の先生が玄関の前に立っおいた。玄関は、ピアノの郚屋の扉の前でもあった。
「あ、すみたせん、生埒さんかず思っお・・・」
ず恭子が蚀うず、
「あら、生埒さんが芋えるの 今日は私、来ちゃいけない日だったのかしら」
 先生は真っ赀な口玅を塗った口元を歪めお圓惑したように蚀った。ボヌむッシュに短く刈り蟌んだ髪型はい぀も倉わらない。手にはシ゜の束を抱えおいた。
「来ちゃいけない」 ずいうこずは、やっぱり家に䞊がる、ずいうこずだったのだ。どうしお房子はちゃんず䌝えないのだろう。
 どうしよう、ダむニングず蚀っおも、かなり散らかっおいる。
「ちょっず埅っおくださいね」
ず蚀っお、慌おお二階に行った。卓雄は和宀で、誰かず真剣な顔で電話をしおいた。
房子はい぀もずは違っお、早く起きおいた。先生が来る時には、気が匵っおいるのが分かる。恭子は小声で先生が来たこずを告げた。
 その盎埌に、ピアノの郚屋に生埒さんが来た。割合近所のおずなの女性だった。女性は、その日甚事があるので、レッスンを早めに終えたい、ず蚀った。
 急いでレッスンを始めたけれど、玄関のそばで、先生ず房子が立ち話をしおいるのが聞こえおくる。結構長い。
 房子が二階から䞋りおきお倖に出お行った時に、恭子は䞀応先生に、どうぞ入っおください、ず機械的に蚀っおはいた。けれど入る郚屋もない。散らかっおいるし、卓雄もいる。
あおなんか無かった。
先生は、すぐ垰りたすから、ず蚀っおいた。
 生埒の女性が時間がないのを聞いおいたのに、䜕床も䞭断しおいる。焊っおいた。
 けれど、倖での立ち話が長匕いおいるのも気が気でなかった。普段なら、房子は少しも立っおいられないのに、先生の前で無理をしおいる。
 なんずかしなきゃ、ず考えおいお、庭に怅子を持っおいくこずを思い぀いた。急いでいる生埒さんに、申し蚳ないず思いながら、恭子はダむニングから重い怅子を脚、庭に運んだ。房子はほっずした顔をした。
「すみたせん。今ね、○○に行きたしょうか、ずお話しおいたの・・」
 先生が申し蚳なさそうな顔で蚀った。
房子は䞍満そうな顔をしおいた。お茶くらい出しおほしい、ず思っおいるのだろう。
 けれど、恭子にそんな䜙裕はなかった。
「ごめんなさい。急いでいるので」
そう蚀っお、急いでレッスン宀にもどった。

 レッスンが終わるず、卓雄がダむニングにいた。卓雄が、先生は先に○○に行った、房子は今支床をしおいるずころだず恭子に䌝えた。
 テヌブルの䞊にはシ゜の束が眮いおあった。
 そのうち、よそいきに着替えた房子が二階から降りおきお、結局卓雄が駅たで送っおいくこずになった。
 その埌、恭子は卓雄ず近くに買い物に出かけた。そしお買い物から垰るず、房子はダむニングの怅子に座っお、よそいきの服を着たたた、䞍機嫌な顔で、シ゜の実をほぐしおいた。手が真っ赀になっおいる。
 服に色が぀いおしたうから、着替えたらいいのに、ず恭子が蚀っおも、黙っおやっおいた。
 房子は家に垰っおから、い぀ものように階段の䞋にバッグや袋を眮いたたた、その䜜業を始めたらしかった。盞圓疲れおいるはずなのに、ムキになっおやっおいた。
 䜕が気に入らなかったのだろうかず思う。先生を家に䞊げられなかったこずだろうか。
それずも、先生が持っおくる青梅でゞャムを䜜るこずや、シ゜の実で䜃煮を䜜るこずに、恭子達が尻蟌みしおいるこずにだろうか。恭子達は、ゞャム䜜りも䜃煮䜜りも䜕床か手䌝っおはいたけれど、時間がかかるし、倧倉なのでそれらの䜜業を敬遠しおいた。
 その埌、房子はベッドに倒れこんで眠っおしたい、倕飯を食べる元気もなかった。

 房子の態床に、恭子は玍埗がいかなかった。
どうしお房子は恭子の予定を䌝えなかったのだろうか。先生に気を䜿うあたり、いいこずばかり蚀うから、こんなこずになる。
 房子は、い぀も足の螏み堎もないほど散らかす自分の郚屋には、決しお他人を入れない。
実際、先生をどうしようず思っおいたのだろう。
 房子に、䟋えば、幞男が家で䌑んでいる䌑日に、やすよがお客を招いた堎合のこずを蚊いおみた。
 するず房子は、やすよはそんなこずを絶察しないけど、ず蚀いながらも、幞男が窮屈な思いをするこずを認めた。䌑日の急なお客に぀いお、幞男の立堎になっおみたら、房子はやっず考えるこずができるのだ。


勘違い

 房子は歳をずうに過ぎた今、自分が生掻するために、どれだけ家族に助けられおいるのか、考えたこずがない。以前ず同じように、ひずりで䜕でもできおいるず思っおいる。

 こんなこずがあった。
 恭子が久矎の子䟛ふたりを、久しぶりに映画に連れお行っおあげるこずになった。孫達を喜ばすためでもあり、久矎を少しの間楜にしおあげるためでもあった。
 倕飯の食卓で房子にその話をするず、お気に入りの久矎のこずなので、房子は興味を瀺した。
「私にもお手䌝いさせお」
ず房子が蚀う。
 えず思いながら、
「お手䌝い、っお」
ず蚊くず、
「私も行く」
ず蚀う。卓雄ず同時にえず倧きな声をあげた。
「それは無理・・」
ず蚀い始めおから、䞀呌吞眮いた。
 どう蚀ったら、この人は分かるのだろう、ず頭の䞭でぐるぐる考えた。
 勘違いもはなはだしかった。
 房子ず出かければ、房子に手がかかり、孫の䞖話ができなくなる。孫達ず手を぀なぐどころか、房子の手を匕いお、荷物を持っお、ゆっくりゆっくり歩かなくおはならない。階段も避ける。゚レベヌタヌや゚スカレヌタヌを探す。䜕䞀぀スムヌズにできない。
 おたけに、房子が奜きそうな映画を遞んででも、途䞭で、い぀も眠っおしたう。
 あんたりなので、
「おかあさんは、自分のこずが分かっおいない。」
ず蚀っおしたった。卓雄も匷く銖を瞊に振った。
 房子は露骚に嫌な顔をした。他の誰にも芋せない陰険な顔だ。
「おかあさんは気持ちが若いのよね。おかあさんは、たた行ける時に連れおいっおあげるから」
 房子は勿論玍埗なんかしおいなかった。他人の䞖話をしたこずがない房子は、自分がどれほど手がかかっおいるか、本圓に分かっおいないらしいこずに驚いおしたう。 


 どんなに気持ちは若くおも、房子の衰えはどんどん進んでいた。
 特に、䟿のコントロヌルが難しくなっおいる。倜䞭に、房子のトむレの音でよく起こされた。隣りあった壁越しに、氎を流す音やトむレットペヌパヌを匕っ匵るゎロゎロいう音が激しい。
 ある倜は、四時頃、氎を流す音や、ごろごろが䜕床も続いた。䜕か倉だった。
 眠れなくお、起きおいくず、卓雄も起きおいた。
「俺が起きお戞を開けたら、おかあさんの郚屋の戞が開いおいお、すごい臭いがしおいたんだよ・・・。階段を䞋りお、䞀階のトむレに行こうずしたら、お颚呂のカヌテンが閉たっおいお・・」
 ぀たり、房子は間に合わなかったのだ。䞋着を掗ったか、䜓を掗ったか・・。たた、䞋剀を飲み過ぎたか、浣腞など、やり過ぎたのかもしれない。
 かわいそう、ずおもう気持ちず、情けない、ず思う気持ちがあった。

 翌朝房子に蚊くず、やはり、間に合わなかった、ず蚀った。䞋剀は、い぀もず同じ量だったらしい。
 朝、房子は珍しくお化粧もしないで階䞋に降りおきた。そんなこずは、か぀おなかったこずだ。
 お化粧をしおいない房子は、黒くお、暗い顔をしおいる。しゃべらないし、い぀も以䞊に暗かった。しゅんずしおいるようでもあるけれど、これも房子の挔技なのかもしれない。
 房子が掗濯物のこずを蚀うので、朝食埌に房子の郚屋に行っおみるず、䞋掗いしたズボン䞋がかけおあった。ゎミ箱の䞭には、ズボン䞋ずパンツが入れおある。濡れおいるので、そこに入れた、ず房子が蚀った。
 情けなかった。
 こういう時、どうしたらいいのだろうかず思った。汚れた物を、バケツの䞭に入れおおいお、ず蚀っおも、臭いがひどいだろう。
 かず蚀っお、倜䞭に掗濯しおいる房子を想像するず、みじめで、あたりにもかわいそうだった。

 倖では恰奜を぀けるのに、ズボンのチャックが党開のこずも、盞倉わらず頻繁にあった。デむケアの送迎バスを降りる時に、運転しおいる男性に指摘される。
「チャック、閉めたしたか」

 い぀もトむレの電気は぀けっ攟しだったし、寝おいるこずが倚いので、りィッグがたずもに぀いおいないのを、よく芋るようになった。斜めだったり、埌ろにずれおいたり。あるいは、がさがさだったり。
 倖であんなに気取っお芋せおいたのに、もう、どうでも良くなっおきたのだろうかず、時々䞍安になった。ちょっずした瞬間に、ネゞがゆるんでしたうだけなのかもしれない。
 目は小さく、癜く濁り、どろんずしお、粟気のかけらもない。どこか違う䞖界をさたよっおいるように、がおっずしおいた。
 
 宵っ匵りの房子は、時近くたで、テレビを぀けお、むダホヌンをしたたた、う぀ぶせるように背䞭を䞞めお寝おいるこずもあった。
朝方トむレに行こうずしお、房子の郚屋の明かりが煌煌ず぀いおいるので、郚屋に行っおみお、気が付くのだ。
 テレビを消しお、むダホヌンを耳からはずしながら、どうしおこんなに眠いのに、ちゃんず寝ないんだろうず呆れる。情けない姿だった。
 房子に泚意はしおみたけれど、どうせ憶えおいないのだろう、そしお、たた気の匷いこずを蚀うのだろう、ず思った。

 房子が時々ボケたこずを蚀い出す時もあった。
 倕食埌に二階に䞊がっおいた房子が、時半頃、突然階段を䞋りおきお、びっくりしたこずもあった。
 房子はカヌディガンをはおりながら、
「䜕か蚀った これからどこかに行くの」
ず、少しがおっずした顔をしお蚀う。
「おかあさん、たた寝おいたんでしょ」
恭子が蚀うず、房子は珍しくあっさり認めた。
「なんか、《恭子が》来お、蚀ったでしょ」
気が匷い房子は嫌だけど、こんな房子は悲しい。
「おかあさん、眠ったから、わけがわからなくなったのよ。もう、しっかりしお」
 房子の骚ばった背䞭をさすった。憐れだった。
「もう眠いから、寝るわ」
ず房子。
「今から寝たら、たた倜䞭に起きお眠れなくなるから、だめ」
「お颚呂に入るず、目がさめちゃっお・・・」
「じゃあ、お颚呂に入らないで寝たら 昌間入ったら」
 房子は黙っお階段を䞊がっおいった。
 ボケおいるわけではないけれど、こんな房子を芋るず、切なく、悲しかった。

 時々、房子は寝がけお、倜䞭に電話をしおくるこずもあった。
 眠れなくお、薬を飲んでいる恭子が、やっず眠った時ごろに電話をしおきたこずがあった。朝出かける日だった。
「電話した」
ず房子は蚀う。
 こんな時間に電話をかける人もいないのに。それっきり眠れなくなっおしたった。間違いだから房子を責めるこずもできないけれど、䞀日蟛かった。
 それから、恭子は携垯電話の電源を、寝る時にはオフにするようになった。本圓は、緊急の時のために、電源を入れおおきたかったけれど、倜䞭に䜕床も間違い電話で起こされるのには堪えられなかった。


時々は・・・

 房子の嫌なずころのひず぀は、䜕をやっおあげおも、感謝などしおくれないこずだった。感謝どころか、うれしそうな顔ひず぀芋せないこずが倚い。 
けれど、ごくたたに、房子の喜んだ顔を目にするこずもあった。どういうタむミングなのか、分からない。房子が玠盎な気持ちになっおいる時のような気がした。恭子に気持ちの䜙裕があっお、䜕か房子ぞの接し方が違ったのだろうか。

 内科の医院に行った埌、房子を駅の向こうの喫茶店ず、続けお和食の店に連れお行ったこずがあった。卓雄が倕食䞍芁の日だった。それは、かなり無謀なこずだった。い぀ものように房子は少しず぀歩みを進めお、時間をかけお、息切れしながら、なんずかたどり着いた。そんな遠くの店に、埒歩で行ったのは初めおのこずだった。
するず、房子は初めお入ったその和食のお店を倧倉気に入ったようで、少しず぀だが、だされた料理を党郚味わったのだ。房子はずおも満足そうな様子で、栌別高くはないけれど、恭子が支払いをしようずするず、それを制しお、自分で払った。
 房子がどういう気分だったのか分からない。
けれど、うれしそうな様子をみせおくれるず、こちらの気持ちも満たされる。苊劎しお連れおいっお良かった、ずうれしくなるのだ。

 家の階段を䞊る時もそうだった。房子は気分によっお態床がたったく違う。普段手を貞そうずしおも、「痛い」ず蚀われるこずが倚いので、どうしおいいか分からない。
 しかし、時によっお違った。
 ある晩は、お颚呂の埌、恭子はい぀ものように、房子のズボンやタオル、ポットなどを二階の郚屋に眮きに行っおから、階段を這っおのそのそ䞊がっおくる房子を䞊から芋守っおいた。けれど、あんたりかわいそうなので、最埌の数段、片腕の脇の䞋に手を差し蟌んで持ち䞊げおしたった。
 い぀もなら、痛いず叫ばれる。でも、芳おいられなかった。
 するず房子は、
「あぁ楜だった。党然歩かなくおのがっちゃった・・・」
ず、かっお恭子に芋せたこずのない笑顔で蚀うず、也いた声でコロコロ笑った。え、手が痛い、ず蚀われるかず思ったのに。これでいいんだ、ず恭子はびっくりした。
 それ以降、お颚呂のたびに、あるいは機䌚があれば、そうやっおあげた。房子はそのたびに、也いた笑い声をあげた。
 その持ち䞊げ方は、うたくやらないず恭子も危ないし、房子も楜ではない。けれど、房子が喜ぶ顔を芋ればうれしかった。
 
房子の態床がこんなに倉わるのは䜕故だろう、ず恭子は思う。
 少し前に、房子にしんみり話しかけたこずがあった。そのせいだろうか。
ある時、恭子はふず、房子が、自分がどんなにひどい人であるかを考えられない人なのかもしれない、ず思い始めたのだ。泚意や批刀をしおも䜕ひず぀耳を傟けない。どんなに恭子の気持ちを蚎えおも平然ずしおいる。それは、悪気があるからではなく、本圓に、感じたり、考えたりする胜力がたるでない人なのかもしれない。そんなこずを思っおしたった。
そしおたた、我慢しよう、やさしくしようず思い盎す。房子の冷たさや行儀の悪さにも目を぀ぶろう、ず、その時は思うのだ。
 恭子を信じられたら、玠盎になれるのだろうか。普段、そうでないから、しゃべらない、笑顔もでない、ずいうこずなのだろうか。気分次第で、房子の態床がこんなに倉わるこずに驚いた。
 しかし、そうは蚀っおも、房子の人柄や匷い態床、行動に接しおみれば、そうそうやさしい態床を続けおいるわけにもいかなかった。

 亜矎の䞋の子䟛達を預かっおいた時に、自然の䞭にある動物園に圌らず䞀緒に連れお行った時も、房子は満足そうな顔をしおいた。
 最初、房子を連れおいくのは倧倉だず思ったけれど、蚊いおみたら、
「歩けないから」
ずか蚀いながらも、行きたそうなので、車怅子を積んで行った。
 倩気がいい日で、森の䞭の広い動物園を、房子を車怅子に乗せお、あちこち移動した。
 乗り物に乗るわけでもなく、ただ芋お回るだけだが、ずっず倖にいお、䞀緒に䜕かを食べたり飲んだりしお、気持ちが良かったのだろう。房子はこの時も、楜しかった、ず蚀った。それは恭子達にずっお、䜕よりの蚀葉だった。

 房子が家に垰っおきお、満足そうな顔をしたこずは、他にも䜕床かあった。

 連䌑の時もそうだった。
連䌑の前半、子䟛達が家族連れで泊たりにきお、恭子は朝から晩たで忙しかった。
その忙しさからようやく解攟されお、恭子は残りの日の䌑みのうちの䞀日を房子のために䜿おうず考えた。そしお、前の晩にネットで時間をかけお行先を探しお、やっず川厎の叀民家園に決めたのだ。
その日はよく晎れお、気枩もぐんぐん䞊がった。初めお蚪れたそのスケヌルの倧きな野倖博物通は、人気のスポットらしく、駐車堎に入るのにもかなり䞊んで埅たされた。
 たくさんの叀民家は山道に沿っお造っお移蚭しおある。事務所でしっかりした車怅子を貞しおもらえたけれど、石ころだらけの狭い道を車怅子を抌しお䞊っおいくのは倧倉だった。ほずんど卓雄が抌したけれど、恭子も時々替わった。
 䞊がっお行くごずに叀民家や小屋がぜ぀ぜ぀ず珟れる。そのひず぀ひず぀に入っおみた。
 房子が車怅子を降りお歩くのは、それぞれの建物の䞭だけだった。昔の趣ある䜇たいに、房子も興味をそそられおいる様子だった。
 所々でお蕎麊を食べ、甘い物も食べ、コヌヒヌも飲んだ。
 房子はずおも喜んでいた。垰りに、その日のラストむベントずしお、房子のために、枩泉のお颚呂にも入った。
 
翌日の連䌑最終日、恭子が、明日は私達にゆっくりさせおね、ず蚀うず、房子は、満足した顔で、
「行っおらっしゃい」
ず蚀った。「行っおらっしゃい」なんお、房子が恭子達に蚀うのは初めおだったかもしれない。

 房子が玠盎になっお、恭子に心を開くのは、どういうきっかけからなのだろうか。
 房子に䞀生懞呜尜くすこずはよくある。それに察しお、心から喜んでくれるのは、ごくたたにだった。
 泚意や批刀をする時もそうだった。い぀も嫌な顔で黙り蟌む。けれど、やっぱり、ごくたたに、玠盎に話を聞くこずがあった。
 なにかのきっかけから、房子ずしんみり話をするこずがあった。房子が物やお金でお瀌をしようずするけれど、やっおあげるのは、ただ、その人の喜ぶ顔が芋たいからだ、ず恭子は蚀った。するず、その時は、房子は珍しくちゃんず聞いおいた。
 ぀いでに、房子が恭子達にきちんず頌むこずをしないこずも蚀った。それは、遠慮ではなかった。
「䟋えば」
ず房子。
 少し前にもあったこずだけど、ず、恭子は思い切っお蚀う。
車で送っおほしい時に、卓雄の前で、
「〇時のバスに乗れば、間に合うかしら」
ず、房子は玠盎ではない蚀い方をする。
「悪いけど、送っおもらえないかしら」
ず蚀っおもらえれば、気持ち良く送っおいくのに。぀たり、借りを䜜りたくないのよね。
 恭子の話を、房子が䜕故そんなに玠盎に聎いおいるのか、䞍思議だった。
「私が匷情だからねぇ・・・」
 房子は穏やかな顔で蚀った。
「なんかあったら、蚀っおね」
 倚分、いや、きっず、䜕かあっお蚀ったっお、無理だろう、ず恭子は思った。九十幎以䞊続いおきた性栌だ。䜕かあっお指摘したら、たた嫌な顔をしお黙るに決たっおいる。恭子がよっぜど䞊手に、やさしく話を持っおいかなければ無理だろう。日垞、そんなふうに房子に気を䜿う䜙裕は、恭子にはない。
 それでも、そうしお房子ず普通の芪子の䌚話ができたこずがうれしかった。卓雄が出匵で泊たりの倜だったので、房子も、恭子がいる䞀階の居間で、深倜たでゆっくりしおいた。

 翌日も、房子は玠盎なたただった。恭子は房子が望んだ買い物にあちこち付き合った。手芞の雑貚や、線み物の本、果物、甘い物、いろんな店に行った。バスに乗っお、少し遠い店にも行った。
 けれど、倕飯の時に、箞の持ち方があたりにひどくおポロポロこがすので、指摘するず、
房子はずたんにムッずしお黙り蟌んだ。
 やさしく、気を䜿っお泚意なんお、他人ではないのに、いちいちやっおいられない。やっぱりこうなっおしたう、ず恭子は思った。


倖食をするず

 房子は倖食が奜きだった。むタリアンでも、フレンチでも、和食でも、目を茝かせた。
 連れおいくのが倧倉でも、房子が喜んでくれるのはうれしかった。
 ただ、問題がいく぀かあった。
 ひず぀には、房子が欲匵っお、たくさん泚文し過ぎるこずだった。コヌス料理を頌んでも、結局食べきれずに残す。残すず分かっおいお頌むのは、勿䜓ない。けれど、房子にそう忠告するのもケチっおいるようで、なかなか蚀えなかった。
 それで、房子ず行く時には、なるべく䞀皿をシェアヌできるように、むタリアンに行くこずが倚くなった。

 ずころが、レストランに行っおも、今床は房子の行儀が悪いので困った。
 房子はレストランでも、足を組んで、怅子にもたれおそっくり返っお食べる。そうするず、テヌブルからかなり離れおしたう。房子は離れた垭で、倧きなお皿を持っお食べおいた。
 芋かねた卓雄が、テヌブルにもっず近づいた方がいい、ず泚意する。房子は嫌な顔で、黙っお怅子を前に出した。
 それでもただ遠かった。恭子も䞀緒に、もっず前の方がいい、ず蚀った。房子はたた嫌な顔で、黙っお怅子をテヌブルに近づけた。
 房子は少しず぀しか怅子を動かさないので、それでもただテヌブルからだいぶ離れおいた。けれど、もう、それ以䞊蚀えなかった。
 そうしおいるうちに、雰囲気がずおも悪くなっおいた。鯛のカルパッチョも、キノコのアヒヌゞョも、りニのパスタも、だんだんおいしくなくなっおしたうのだ。

 レゞで支払いをしお倖に出おも、房子は䜕もしゃべらない。「おいしかった」ずも、「ごちそうさた」ずも蚀わなかった。泚意されたのが、よほど気に障ったのだろう。
駐車堎に行く途䞭で、房子は、近くの花屋に寄っお、数皮類の花を買った。
レストランに行く前に、房子は恭子に頌んで銀行から䞇円を降ろしおいる。房子が降ろすのは、い぀も䞀回に䞇円だ。お財垃にそんなに入れおいる幎寄りもあたりいないだろうず思うけれど、房子にはそれが普通なのだろう。

 車で家に垰るず、恭子達は房子に断っお、芳たかったテレビを芳始めた。房子はテレビに目もくれなかった。
そのうち房子は、黙っお花を生けはじめた。たくさんなので、いく぀かに分けおいた。
 垰っおからずっず、房子はほずんどしゃべらなかった。暗い顔をしおいた。
 そうしお気が付くず、房子は花を眮いたたた、黙っお二階に行っおしたっおいた。「䞊に行くね」ずも蚀わずに。
 他人の前では、あんなに明るくしゃべりたくるのに、ほんずに暗い人だった。
 卓雄が、
「おかあさん、もう、もたれないで座っおいられないのかもなぁ」
ず蚀った。
 房子ず少し遠くに食べに行くず、車から降りおから、房子の止たっおいるよりたし、ずいう速さで䞀緒に歩くこずでたず疲れる。
 けれど、そんなこずより、房子の行儀ず、その暗い顔を目にしお、食事が楜しくなくなるこずがよくあった。

 次にレストランに行った時にも、房子はやはり卓雄に泚意された。どうしおも芋おいられないのだ。
「おかあさん、足を組むからテヌブルから離れるんですよ。もっず近づかないず・・・」
 房子はやはり、無蚀で怅子をちょっず近づけた。
 この、「無蚀」ずいうのが、どうにも雰囲気を悪くする。
「そうね」でもいい。「だっお仕方ないのよ。できないのよ」でも、「どうでもいいじゃない」でもいい。䜕か蚀っおくれれば、こちらも次の蚀葉が出おくる。雰囲気も悪くならない。
 嫌な顔で黙り蟌たれるず、こちらもどうしようもなくなるのだ。


マッサヌゞ

 房子は以前、車で迎えに来おくれる幎配の女性のマッサヌゞさんの所に行っおいた。絵手玙の先生が玹介しおくれた人だ。
そのせいか、房子はそのマッサヌゞさんにずいぶん気を䜿っおいた。マッサヌゞさんは、車の送り迎えの際にも、慇懃いんぎんな応察をする人で、房子は送っおもらうずい぀も、恭子に挚拶をするように、車の所たで呌んだ。盆暮の莈り物もしおいた。
そのくせ、い぀も、頌んだずころをなかなかもんでくれないず蚀っお、䞍満を蚀う。かず蚀っお、房子は決しお盎接文句を蚀うようなこずはしなかった。

その埌、家に勉匷にきおいた生埒の芪の玹介で、週䞀回、䞭幎の男性のマッサヌゞさんに蚪問しおもらうようになった。すごく良く効く、ずいうこずだった。料金もずっず安かった。
 そのマッサヌゞさんは、よくしゃべる人で、斜術しおもらいながら、いろいろ話をするようだった。
 以前より、もみ方も満足できるようだったし、それはよかったのだが、気になるこずがあった。房子の虚蚀癖だ。
マッサヌゞの間䞭話をしおいるずしたら、話題もいろいろあるだろう。地域を回っおいる人なのに、䜜り話をいろいろされたら、かなわない、ず思った。

 その日は、四月の終わりで、気枩がかなり高めだった。
 マッサヌゞは、恭子達の寝宀である和宀を䜿う。
 マッサヌゞの人が来る前に、い぀ものように、和宀に分厚いマットレスを敷いお、枕ずタオルケットなどを甚意しおおいた。ただでさえ、冬でも暑そうに半袖をきおいるマッサヌゞさんが、閉め切った小さな郚屋では堪えられないだろうず、窓を開けおおいた。
 けれど房子は人䞀倍寒がりだ。あずで窓は閉めようず思っおいた。
 房子には、朝、窓が開けおあるこずを䌝えお、閉めおね、ずは蚀っおあった。たさか暖房は芁らないわよね、マッサヌゞさんが暑くお可哀そう、ずも蚀った。
 ずころが、忙しさに远われお、恭子は窓を閉めに行くのを忘れおしたっおいた。
 マッサヌゞさんが垰る時、庭で花に氎をやっおいた恭子は、思い出しお、
「うっかり窓を閉めに行くのを忘れたんですが、倧䞈倫でした」
ず蚊いおみた。するず、
「『暖房を぀けるず、嚘さんに怒られる』ず蚀っおたした。」
ず自転車を移動させながら、マッサヌゞさんが答えた。
「毛垃を二枚かけお、がたがた震えおたした」ずも、真顔で蚀う。
「え」
ず蚀ったら、マッサヌゞさんは、
「いえ、蚀わないでください。僕の聎き間違えかもしれないですから」
ず慌おた。聎き間違え、なんお、あるはずもない。
 なんお悪意に満ちた䌝え方をするのだろう、ず気分が悪くなった。
二階に行っおみるず、房子は毛垃を片付け始めおいた。そんなこずをするのは珍しかった。房子は、そのたた自分の郚屋に行っお、長い間眠っおしたうこずが倚い。芋るず、和宀の窓は開けたたたで、障子戞だけが閉たっおいた。
 恭子がマッサヌゞの蚀葉を口にするず、房子は真顔で吊定した。本圓に、悪びれた様子もない。房子が嘘を蚀う時は、い぀もそうだった。呆れるほど䜕も知らない顔をするのだ。
䜕も蚀わないのに、マッサヌゞがそんなこずを蚀うはずがない。どうしおこの人は、そうやっお、自分の嚘のこずを他人に悪意を持っお䌝えるのだろう。しかも、本圓に、真実のように。
䞀時間近いマッサヌゞの間、房子はい぀も、どんな話をしおいるのだろう。
 たた、自分の立掟な話ず、それをもちあげるために嚘を貶める話をしおいるのかず思うず、気分が滅入った。


最初で最埌の集たり

 ある日、あたりにひどい房子の態床に我慢の限界に達した恭子は、自分の家で房子ずやっおいくこずを、ずうずう諊めた。もう斜蚭しかないず、初めお思った。
房子にそう告げお、悠䞀や幞男達ず集たるこずを決めた。
 病気の劻を抱えた悠䞀の家に行くのは無理だった。やすよに頭を䞋げるはずがない房子が、幞男の家に行くのも無理だろう。足が悪いやすよが、今の状態の房子の䞖話をするこずもできないだろう、ず思った。

 最初は、悠䞀が家を離れられないこずを考えお、恭子は、悠䞀の家の近くで集たっお話をしようず思った。
 悠䞀の顔も、幞男の顔も芋たくない。けれど、これが最埌だず思っお䌚わなければならなかった。

 幞男に話し合いに来るように、房子に告げるず、房子は、電話しおも぀ながらない、ず蚀う。塟は勉匷䞭だから、ずかいろいろ蚀っお、なかなか進たない。
 自分の息子に電話をするのに、䜕故そんなに遠慮するず、恭子は苛立った。卓雄も匷い声で同調した。
 やっず塟に電話が぀ながった幞男は、××日たで忙しい、ず蚀ったらしい。
 冗談ではない。
 芪のこずでしょう、ず卓雄も怒った。
 恭子はやすよの携垯電話に電話しお、話した。幞男も悠䞀も、話のできる盞手ではない。
冷静に刀断できお、たずもに話ができる盞手はやすよしかいなかった。無理しおでも、やすよには䞀緒に来おほしい。そう必死に頌んだ。するず、私は䜕も蚀わないけれど、ただ居るだけなら、ずやすよが了承しおくれた。

 結局、幞男はしぶしぶ承知した。塟が終わっおからなので、遅くなる、ず蚀っお。
 勿論深倜でも構わなかった。埌回しになんおしおいられない。堎所は恭子の家になった。話は房子を通しおなので、経過が䜕もわからなかった。
 悠䞀も、劻を看おいるこずができる息子が垰っおから、来るこずになった。
 そしお、十䞀時半過ぎに悠䞀が電車で、十二時近くになっお幞男倫婊が車で、それぞれ恭子の家に到着した。

 しかし、幞男達が到着したこの時の、房子がずった行動に、恭子は唖然ずした。
 玄関の倖に車の音がした途端、房子はひずりで真っ先に倖に飛び出しお、ふたりを迎えたのだ。
 幞男倫婊が䞭に入っおくる際にも、やすよにやさしく、愛想がいい。あれほど嫌っおいたやすよに察しお、こんなに豹倉できるものかず驚いた。

 居間の座卓を囲んで、卓雄ず恭子、悠䞀ず幞男が座った。房子ず足の悪いやすよには、別々の堎所に怅子を甚意した。
 幞男は憮然ずしおいた。お茶を眮いおも、無蚀だった。来おやったぞ、ずいう尊倧さず䞍機嫌さを䜓䞭から沞き立たせおいた。
 悠䞀は、重芁人物だから仕方なく呌んだけれど、端から䜙蚈なこずばかりを蚀った。
 深倜だず蚀うのに、どうでもいい話を始めるので、恭子が、時間が無いから、ず遮っお、本題を切り出した。
「おかあさんずは、もううたくやっおいけないので・・・」
恭子がそう蚀うやいなや、幞男が、
「もうちょっずうたくやっお欲しかったな・・・」
ず、偉そうに、嫌な蚀い方をした。分かっおはいたけれど、「䞖話になったな」どころではない。
 これに恭子が切れた。
「䜕を蚀っおいるの。自分達がうたくできなかったのに・・・」
恭子が怒っお蚀うず、幞男は血盞を倉えた。
「そういう蚀い方はないだろう。喧嘩を売っおいるようなもんじゃないか」
もう、始めから、冷静じゃなかった。幞男ははげた頭を赀らめ、口元をゆがめ、怒りを顕わにしおいた。
 怒りずいったら、恭子の方こそ我慢ができなかった。自分は今の今たで䜕もせず、攟っおおき、こちらに瀌を蚀うわけでもなく、もうちょっずうたくやれ どの面䞋げお蚀えるんだ、ず激しく憀った。

 房子はおろおろしおいた。幞男に矛先が向かうたびに、自分が悪い、ず蚀っお、幞男をかばった。幞男に向けられた質問も、房子が答えようずした。
 やすよには、やさしい声でいろいろ話しかけた。埌になっお、電話で、この時の房子にはびっくりした、ずやすよも蚀った。

 恭子は悠䞀や幞男に、これたでの房子ずの経緯をかい぀たんで話した。房子のわがたたや冷たさなど、いろいろ。
 悠䞀には以前にはよく盞談しおいたので、倚少は分かっおいる内容だった。
 けれど、悠䞀も、幞男も、たったく玍埗しおいないのが分かる。
 房子は、悠䞀や幞男に、恭子がしおあげおきたこずを、䜕も話しおいないのがよく分かった。恭子の悪口や䞍満しか䌝えおいないのだ。幞男は、恭子がしおあげおきたこずを聞いおいたら、少しは気持ちが違っおいたか、ず恭子が問うず、少しは違っおいた、ずは答えた。
 今さら話しおも分かる人達ではないこずが分かっおいる。いくら話しおも無駄だった。

 悠䞀も、芁らぬこずばかり蚀った。厳しい芪であったシカに尜くしたこずを自慢し、恭子を芪䞍孝のように蚀う。悠䞀ずお、房子からさんざん経枈的に揎助を受けおきた。房子を悪く蚀うこずなど到底できないのだ。
 話の途䞭で悠䞀が幞男に蚀った。
「恭子にではなく、ここの家に、これたで䞖話になっおきた瀌を蚀わなくちゃ」
 こんなずころで、䜙蚈なこずを蚀う、ず恭子は思った。そんなこずをここで蚀っお分かる盞手ではない。かえっお話をこじらせるだけだ。そんな話に玠盎に耳を傟ける人間なら、こんなこずにはならなかった。
 案の定、幞男は血盞を倉えお、激昂した。
「黙っおおよ」
「䜙蚈なお䞖話だよ」
「ぶち壊しだよ」
「ひっこんでおよ」
ず、すごい圢盞で、興奮しお連呌した。
「たったく・・・」
幞男は憀懣やるかたない、ずいう顔で唞り続けおいる。
 あたりの剣幕に、悠䞀もたじろぎ、口を぀ぐんだ。
 幌い時は兄効のように生掻しおいた䞉人だった。幎長の悠䞀を、それなりに尊敬もしおきた。
 けれど、ここにきお、悠䞀ず幞男の仲にもひびが入っおきおいた。ずいうより、房子が知らないだけで、悠䞀は、ずっず幞男のこずを非難し続けおいた。

 分かっおはいたけれど、幞男の倧人げなさ、みっずもなさに、恭子は呆れた。
 ちっぜけなプラむドしかない、ダメな男だず、぀くづく思った。
 房子が垞軌を逞した人であり、その房子に庇護されおきた幞男も、やっぱり垞軌を逞した人間なのだ。

 房子は、幞男の家で暮らしたい、ずいう気持ちを蚀った。やすよには、自分が悪かった
ずも蚀った。やさしい声で。
 そういう房子の態床もあったし、やすよ自身、昔の怒りが薄れおきおいるこずもあったのだろう、房子を迎えおもいいようなこずを口にした。
 恭子には、思っおもみなかった展開だった。気の匷い房子が、あんなに毛嫌いしおいたやすよにすり寄るこずは想像もできなかった。
 幞男に意芋を求めるず、これがたた呆れるほど情けないものだった。
「どうしたらいいんだろう」
「分からない・・」
「どうしたらいい」
ず、やすよの顔を芋る。
 バカではないかず思う。卓雄も呆れおいた。
「どうしたらいい、っお、おにいさんの気持ですよ。」
 それでも、幞男は最埌たで情けない。
「いろいろずしおきおもらった倧切なおかあさただから、わたくしも倧切にしたい。やすよにも、苊劎をかけおきたから、倧事にしたい」
どうしたらいいか分からない、ず蚀う。
 最埌たで、自分の匷い意思や責任を口にしなかった。蹎ずばしお、䞞めお捚おおやりたいほど、醜く情けない男だ、ず恭子は煮えくり返る自分の心を持お䜙しおいた。
 やすよは、そんな幞男を芋お、苊笑しおいた。
「私ももう、そんなにちゃんずお䞖話はできないですけど・・」
ず蚀いながらも、半分受け入れる気持になっおいるようだった。

 房子はずっず、匱々しく、やさしく振舞っおいた。
 けれど、話の途䞭で、恭子を貶める話をいく぀かした。
 以前房子が恭子の家から塟に通った時、卓雄が迎えに行くこずに察しお、
「うちの車を䜿わないでくれ」
ず、恭子が蚀ったず蚀い匵るのだ。驚いた。間違っおも、そんなこずを蚀うはずがない。たた、房子が蚘憶を替えお、それを事実のように頭の䞭で塗り替えおしたっおいるのだ。
 恭子が、そんなこずを蚀うはずがない、ず蚀っおも、匷い衚情で、匷い蚀い方で、卓雄に向かっお蚀う。
「卓雄さん、憶えおいるでしょ」
「恭子に内緒で、ずか蚀ったでしょ」
 卓雄は圓惑しおいた。
「そんなこずを蚀った芚えはないけど・・・」
 それでも、房子は匷く蚀い匵る。悔しかった。
「おねえさん、こうなのよね・・・」
ず、やすよに助けを求めるず、やすよも、そういう房子をよく分かっおいるずばかりに苊笑しおいた。
 房子が幞男に、「幞男がバカだ」、ず恭子が蚀った、ずも幞男が蚀った。それを聞いお、もう関係は終わりだ、ず思ったず蚀う。
 確かにそう思っおいるし、そんなこずも蚀ったかず思う。けれど、話の経緯もあるし、そこだけをずっお、䜕故わざわざ蚀い぀けるようなこずを蚀うのだろう、ず恭子は腹立たしい。わざわざ関係を悪くするようなこずを、母芪が蚀うものだろうか。
 自分の立堎さえ良ければいい、ずいう房子の打算ず悪意を感じた。卓雄も呆れおいた。

 結局、倧した話の進展もなく、幞男は怒ったたた垰っお行った。幞男が匷く意思衚瀺しなかったものの、郚屋の甚意ができたら幞男の家に移るこずにはなった。
 房子は、あんなに幞男の家に行きたい気持を顕わにしお、やすよにあんなにいやらしくすり寄っお、幞男の家に移るたで、ここでどんな顔をしお過ごすのだろう、ず恭子は思った。
幎明けになるかもしれないので、ただただ時間がある。考えるず、苊々しかった。
 
 倜䞭の䞉時ごろ皆が垰っお、
「やっぱり悪いこずばかり皆に蚀っおいたのね。『バカだ』ずか・・。その経緯も䜕も蚀わないで・・・」
ず恭子が蚀うず、房子は、
「蚀葉を぀぀したなきゃね」
ず、臆面もなく蚀った。
「それを、どうしおおにいさんに蚀うんですか」
卓雄が怒った。
 房子は黙っおいた。
「䟋えば、私が、おかあさんが蚀ったおねえさんの悪口を、党郚蚀っおもいいの」
恭子が蚀うず、房子は、
「恭子がそう思うんなら、そうしたら」
ず蚀った。
 ずるい。答えになっおいなかった。
 幞男の家に行くず決たったから、もう居盎っおいるのだろう。自分の立堎を守るための、やすよに察する態床の豹倉ぶり。恭子は぀くづく房子に嫌気がさした。

 埌になっお分かったこずだが、房子はこの集たりの際、やすよにひず぀しかない倧事な真珠のネックレスをあげおいた。い぀、どのタむミングであげたのか、恭子達は芋おいないから分からない。そんなこずたでするほど、房子は必死だったのだろう。
 斜蚭が嫌で、あんなに嫌っおいたやすよに頭を䞋げたのだ。


集たりの埌

 幞男達ずの話し合いの埌、恭子は房子の豹倉ぶりになおさら嫌気がさしお、ほずんど䌚話をしなかった。
 房子はい぀もそうだったが、こういう出来事の埌には、匱り切った様子を芋せる。あんなに狡猟に振舞いながら、急に匱く衰えた、可愛そうな老人を挔じた。
 けれど、集たりの翌々日のこずだった。
恭子が幞男のこずを「バカだ」ずかいろいろ蚀っおいる、ず蚀い぀けた話を蒞し返した際に、房子が、そんなこずを蚀っおいない、ず蚀い出したので、驚いた。二日前に、そのこずで恭子達が怒り、房子が居盎った発蚀をしたばかりなのに。
 房子にどんなに蚀っおも吊定する。
 これなのだ。房子は、事実ず党く違うこずを蚀ったり、匷く蚀い匵ったこずを、蚀っおいないず蚀ったり。
 いかにも冎えた様子で他人に話すから、みんなそれを信じおしたうのだ。腹立たしかった。
 ずうずう恭子はやすよに電話した。
 電話を替わった房子は、そんなこずを蚀ったかしら・・・、ずやすよにも蚀う。
 やすよは恭子に、
「郜合の悪いこずは忘れちゃうんだから・・・」
ず、苊笑いした。
 こういう時、やすよず話ができるのはありがたかった。たずもに話せる人が他にいないのだ。
 その埌房子は十䞀時頃ひずりで出かけお、䞉時くらいたで垰っおこなかった。
 荷物も少ないし、抌し車も持っお行っおいない。考えられるのは悠䞀の家だったが、垰っおきた房子は行っおいない、ず蚀った。信じられないけれど。
 出かけおいた間に、房子は電機屋さんに行ったず蚀う。テヌプレコヌダヌがみんな䜿えなくなっおいるので、盎しおもらおうかず、思ったず。
 恭子ずの䌚話を録音するためかず蚊いたら、それもある、ず房子はしぶしぶ認めた。
 䞀昚日自分が蚀ったこずを、ただ認めおいないのだ。自分が正しい、ず思っおいるのだ。
歳で、テヌプレコヌダヌだなんお。どこたでも匷い人だった。
 実の芪子であっおも、䜕も信じあえないず思った。

 しかし、時々そういう匷い面を芋せるものの、幞男達ずの集たりの埌、房子は以前よりおずなしくなっおいた。遠慮もする。さすがに、幞男の家に移るたで、恭子に抗ったたた䞖話になるのもやり難かったのだろう。いろいろ気を䜿うようになっおいた。
 䜕かに぀けお、お金を出そうずしたり断わるけれど、果物やチヌズなどを買っおくれようずした。
 䜕より驚いたのは、卓雄の実家でのもめごずがあった時に、珍しく恭子に寄り添った意芋を匱々しくだが蚀っおくれたこずだった。こんなこずは初めおだった。
 恭子が苊しんでいおも、匱っおいおも、房子が気持ちの䞊で、寄り添っお、心配したり、なぐさめおくれるこずなど、ただの䞀床もなかった。
 これは、初めお芋た房子の母芪らしさであり、うれしかった。
 
 そういう房子を芋おいるず、䜕故、房子ずの同居を諊めたのだろう、ず分からなくなった。こんな母芪なら、䜕も問題なかったはずだ。
 でも、これがいけないのだ、ず恭子はたた自分をいたしめる。この、匱さを挔じる房子に、い぀もだたされるのだ。
 房子は、䜕か他に事件があるず、自分に矛先が向かわないこずで、安心しおいるような雰囲気があった。

 房子が気を䜿っお、おどおどしおいるず、恭子は萜ち着かなくなる。胞が痛くなる。
 自分に寄り添っおくれる母芪であったなら、それだけでいいのに・・・。ずるいよ・・、ず思った。

 そうしお、あれほどもめお、房子の豹倉ぶり、ずるさをしっかり芋たずいうのに、い぀の間にか、房子が恭子の家を出る話は立ち消えになり、たたい぀もの繰り返しのような日々が続いおいっおしたったのだ。
 集たりの日から数日経っお、房子は、やはりここに眮いおくれないか、ず蚀った。意地っ匵りの房子が、そんなふうにみずから頌むのは珍しかった。
 そしお、恭子はたた、情けないほどずるずるず房子の術䞭にはたっおいっおしたう。結果ずしお房子がここを遞んだこずが、うれしかったのだ。
 房子にずっお、ここは今、䟿利な所になっおしたっおいるだろう。友達も増えた。絵手玙もできる。碁を教えにきおくれる人もいる。
食べるこずにも䞍自由せず、䌚いたい人にはタクシヌを䜿っおでも䌚いに行ける。買いたい物も買いに行ける。
 䜕の䞍自由もない。
 ただ、恭子ず心が繋がっおいないこず、最愛の息子ずなかなか䌚えないこず、を陀けば。

 やすよに、房子が恭子の家にずどたる話
を䌝えるず、
「やっぱり、さみしくなっちゃったんでしょう」
ず蚀った。
 さみしい・・、そうだろうか。自分の気持ちが、恭子には分からない。
 房子にずっず、母性を求めおきた。それは、決しお埗られなかった。埗られたず思っおも、蜃気楌のように消えた。そんなもの、実際には無かった。


碁ずおじいさん

 「恭子に黙っお、謝らなきゃいけないこずをしちゃったの・・」
レストランで倕飯を食べおいる時、突然房子が、蚀い出しにくそうに蚀った。卓雄はその日倕食が芁らない。恭子ずふたりで内科を受蚺した埌、遅くなるので、倖で食べるこずにしおいた。
 房子の蚀い方は、今たで聞いたこずもないほど玠盎だった。なになにず思わず耳を傟けたくなる。
 するず、房子は、デむケアでい぀も䞀緒になる老人を、家に呌んだず蚀うのだ。
 その老人のこずは、房子の話に䜕床か出おきおいた。さんず蚀っお、デむケアでい぀も碁をやっおいる男性だった。もず歯科医で、自分で医院を持っおいるず蚀う。
 ある時、さんが、家人の郜合なのか、ショヌトステむに行くずいうので、それならばず、房子が家に呌び、
「いいんですか 行っちゃいたすよ」
ずいう感じに話が決たったらしい。
 
 房子の蚀い方が、あたりに玠盎で、可愛くさえ思えたので、恭子は勿論、
「いいじゃない」
ず、笑顔で蚀った。
「自分の家に呌ぶのに、遠慮なんかいらないでしょ」
そんなこずに遠慮しなければならない房子が、むしろ可愛そうな気がした。

 その数日埌、さんは初めお家にやっおきた。二時頃に来お、六時近くたでいた。
 房子が、冗談を蚀う、楜しいおじいさんだず蚀っおいたが、来おみるず、確かに付き合いやすそうな人だった。八十歳近いず蚀う。
 碁ずいっおも、房子はただルヌルを芚えおいっおいる段階で、察戊するほどの腕前ではない。
 それでも、居間の隣りのピアノが眮いおある郚屋からは、房子の楜しそうな声が絶えず聞こえおくる。普段の房子よりずっずトヌンの高い、明るくはずんだ声だった。たるで、女孊生のようにも聞こえる。
 やっぱり、デむケアに通っおから、急に碁を習い始めたのは、こういうこずだったのか、ず恭子は玍埗した。もずもず男性が少ないデむケアだけれど、その䞭で、碁に興味を持っおいるおばあさんなどいなかっただろう。
 房子が楜しそうでいい、ず思う䞀方で、い぀もの暗く陰気な房子が、たた信じられないほど倉わっおしたうこずに、芋おいおあたりいい気分ではなかった。
 恭子はお茶やお菓子、果物を出した埌、碁がい぀終わるか分からないので、倖に買い物にも行けず、埅っおいた。

 それから、しばしばさんが来るようになった。さんは、い぀も果物などの手土産を持っおきおくれる。恭子も、できるだけのおもおなしをしおいた。
 房子はさんが来るたびに違う人栌になり、高い笑い声をあげおいた。
 垰る時には、戞襖を開けお、
「先生がお垰りになるっお」
ず房子が蚀い、恭子は慌おお玄関から倖に出お芋送る。
 房子は、そこからも倖に出られる郚屋の戞口に立っお、恭子が倖で挚拶する様子を芋おいた。い぀も同じ光景だった。
 恭子はこのお芋送りに若干抵抗があった。
「先生がお垰りよ」の蚀葉がひっかかるのだ。
恭子にずっおさんは「先生」ではないし、房子のその蚀葉ずずもに慌おお芋送りに出るのが、たるでお手䌝いさんのようだず思った。

 ある朝、恭子はネットでやっおいた仕事でトラブっお、朝食の支床をする䜙裕がなくなっおいた。房子にも、パンやハムなどを出しただけで、い぀ものように、お皿に盛り぀けるこずができない。そんなこずは初めおだった。自分自身も、食事どころではなかった。
 するず、朝食を枈たせた房子が、お昌に䜕か買っおくる、ず蚀っお、出かけようずする。バスに乗るから、キャリヌバッグで行くずいうので、物眮から恭子が出した。
 昌食に䜕がいいず蚊かれたので、じゃあ、コンビニのグラタン、ず頌んだ。食べるどころではなかったので、䜕でもよかった。
 するず、少ししお、房子から連絡があっお、バスで駅たで行っおしたった、駅のショッピングセンタヌでもいいか、ず蚊いおきた。䜕でもいい、ず答えた。

 それから、しばらくしおから、たた房子から電話があった。嫌な予感がした。十䞀時少し過ぎた頃だった。恭子はただ、掗濯物を干すこずも、倖の花に氎をやるこずもできおいなかった。
 房子は電話で、荷物が重くお持おない、ず蚀う。重いので、持ち䞊げられないから、バスにも乗れない、ず蚀った。息䜿いが荒い。盞圓参っおいるのが分かった。
 今どこず蚊くず、ただ駅に近い道路沿いの店の前だず蚀う。
 恭子は焊っお苛立った。今はパ゜コンからずおも目を離せる状態ではない。朝食だっお、ろくにずっおいない。昌食なんお、わざわざ買いに行かなくったっお良かったのに。
 苛立ちながら、慌おお着替えお、自転車で飛び出した。

 房子の買い物の目的が、昌ご飯でないこずは分かっおいた。その日、久しぶりにさんが碁をしに来るので、そのためのお菓子などを買いに行ったに違いなかった。
 パ゜コンを぀けっ攟しにしお、すべお途䞭にしたたた、恭子は腹立たしい思いで自転車を走らせおいた。
 房子はバス通りの角にいた。芋るず、キャリヌバッグの他に、倧きくお重そうなビニヌル袋をふた぀も持っおいる。
 呆れるほどの荷物を持っお、房子はげんなりした顔をしお立っおいた。わずかの距離でも、よくそんな荷物を持っお、歩いおきたものだず、房子の根性に閉口する。
 自転車を停めお、キャリヌバッグを埌ろの荷台に入れた。バッグはパンパンに膚らんで、盞圓重かった。
 ビニヌル袋を前のかごに入れながら、
「もぉ、もう、こんなこずはやめおね。無茶でしょ」
文句が恭子の口を぀いお出る。
 けれど、房子は疲れ切った顔を芋せるばかりで、恭子の顔を芋おも、「ありがずう」ずも、「ごめんね」ずも蚀わなかった。
それどころか、あんたのために苊劎したんだから、ずいうようなこずを、顔を歪めお、あえぎながら蚀う。そんなこずをしお、結局迷惑をかけるず、分からないのだろうか。
 房子は䞞ごずのスむカたで買っおいる。昌食甚ではなく、さんのためなのは明らかだった。

 自転車で先に垰っお、玄関の䞭に荷物を眮くず、恭子は忘れおいた花の氎やりをした。倖はかなり暑い。焊っお行ったので、汗が止たらなかった。
 けれど、しばらくたっおも房子がなかなか垰っおこない。恭子はたた自転車を走らせた。するず房子は道路の端を、進んでいるずも思えない足取りで、杖を぀いおよろよろ歩いおいた。
 やっず家に垰り着くず、たた汗がふきだした。それでも、房子は瀌を蚀うどころか、げんなりした顔のたた、
「恭子のために、䜕かお圹に立おれば、ず思った気持ちを分かっおよ・・」
ずか蚀う。
 党然分かっおいなかった。
だいたい、房子が今、恭子のために、そんなに無茶をしお、スむカたで買うこずはないはずだった。い぀も手をひいおもらっお歩く九十歳を超えた老婆が、䞞ごずのスむカたで買っお持っおくるこずが異垞だった。

 房子はその埌、ぐったりしお二階に䞊がっお行っお、昌食も食べなかった。それでも、さんが二時頃に来る前には階䞋に降りおきた。盞圓疲れおいるはずなのに、倧した根性だった。
 その埌、さんを芋送っお恭子が家の䞭に入るず、房子がお盆にお茶道具を党郚乗せお、よろよろしながら運んでいた。
 お盆はかなり重いし、普段、房子にそんなに危ないこずをさせたこずは勿論ない。房子が意地になっおいるのが分かった。

 倕飯時、恭子が卓雄ず話をしおいおも、房子はたるで関係ない人のように癜けた陰気な顔をしお黙っおいた。
 あんたりなので、食埌に昌間の話をした。
「どうしお、『来おくれお助かったぁ』ずか、『ありがずう』ずか、『ごめんね』っお蚀っおくれないの」
 房子はい぀ものように、感情のない声で、
「別に・・」
ず蚀っおみたり、抌し黙ったりだった。
 結局、最埌には、房子は暪を向いたたた、硬い衚情で、セリフのように心のこもらない「ありがずう」を蚀っお、二階に䞊がっおいった。

少しず぀、房子ずの関係が険悪になっおいくのを恭子は感じおいた。


嫌なずころばかり

 デむケアのバスの手䌝いのおじさんが、房子が乗り蟌む時に、
「倜䞭にたた、䜕の勉匷をしおいたんですか」
ず蚊いた。
 房子はいただに、倜䞭に勉匷をしおいるずか、デむケアで話しおいるのだ。呆れおしたう。毎晩、テレビを぀けっ攟しで、倧きな口を開けお眠っおいるのに。
 房子はどこに行っおも、自分の立掟な話ばかり吹聎しおくる。博孊なこず、子䟛達を女手ひず぀で育おお倧孊たで出したこず、家を建おたこず・・。
房子の実態を知らない人達が、尊敬する、ず口々に蚀う。誰も知らない所で、房子を立掟だず蚀うのは、房子自身が蚀う他なかった。
 恭子は、房子のその飜くなき顕瀺欲を、心から嫌った。

 暗い房子も盞倉わらずだった。
 倖に食べに行くず、房子はい぀も銀行から䞀床に䞇円降ろしお、その䞭から垰りに果物などを買う。そしお、買っおあげたずばかりに、家に垰っおも、「ごちそうさた」でも「ありがずう」でもなかった。

 房子の返事の仕方もひどいたただった。
トむレの電気がい぀も぀けっ攟しなので蚀うず、
「蚀われるから、気を぀けおいるんだけど」
ず、怪蚝そうに、人柄の悪い返事をする。
 そしお、房子の返事は、い぀も「はい」だけのこずが倚かった。
 寒がりの房子ひずりのために、倏でも颚呂に湯をはる。卓雄が入れおくれたので、房子にそう䌝えるず、
「はい」
ず返事する。「はい」じゃなくお、「ありがずう」だろうず、い぀もムッずする。
トむレの窓が開けおあるので、房子が入った時に、
「窓が開いおいるから、閉めおね」
ず蚀う。
 するず房子はたた、機械的な、感情のない声で、「はい」ず「い」を䞊げお返事をする。
「おかあさん、したら」
「の方がいいんじゃない」
䜕を蚀っおも、この、硬い、機械のような「はい」を蚀う。セリフのように蚀う。
「そうね」ずか、「そうするわ」ずか、もっず枩かい、人間的な蚀葉が出ないものかず思った。

 「ありがずう」ず蚀わないのも同じだった。
 朝、ゎミの収集に来るので、デむケアの甚意をしお階段を䞋りおきた房子に、パットのゎミのこずを蚀う。
 亜矎がネットで頌んで買っおくれたオムツのゎミ箱を、ビニヌルをセットしたたた、房子は䞀床も汚物を捚おおいなかった。気になっお、前の晩、房子がお颚呂に行った時に芗いおみた。
 するず、倖からは臭わないのだが、胎䜓をパカッず開けおみたら、透明なビニヌル袋が結構倧きく膚らんでいお、ひどい臭いがした。
 これはいけない、虫でも湧いたら、ず驚いた。
 朝の忙しい時間ではあったけれど、朝食をテヌブルに䞊べる前に、房子に䌝えるず、恭子はハサミを持っお二階の房子の郚屋に行った。
 房子は心配そうに埌から郚屋にやっおきた。
今さら、恥も䜕もないでしょ、ず思う。
 ビニヌルの始末は簡単だ。溜たっおいる袋の䞊の方で切っお、しばればいいだけだ。
 房子のプラむドのために、自分でやる方がいいかず思っおいたのに、どうしおこんなに攟っおおくのかず思った。
 時間がないので、急いでゎミをしばっお、所定のゎミ袋に入れお、倖に出しおきおも、房子は黙っおいた。「ありがずう」の蚀葉が、房子の口から出るこずはない。
 こういう房子の態床が、恭子を女䞭さんのようなみじめな気持ちにさせるのだ。


 房子は教垫であるのに、おかしいず思う蚀い方もよくした。恭子に、祖母のシカや祖父の話をする時に、盞倉わらず「私の母がね・・」ずか、「父が・・」ず蚀うのだ。
「それは、私から芋お他人みたいな蚀い方でしょ」
ず蚀うず、その時はすぐに、「おばあちゃた」ず、恭子が呌んでいた蚀い方に倉えた。
 䜕床もこういう蚀い方をするのは、結局、房子は自分䞭心で、恭子の立堎でなど考えたこずがないからだず思った。
「私が久矎達に、おかあさんのこずを『私の母が・・・』ず蚀ったら、おかしいでしょ」
 するず房子は、
「そ」
ず無衚情に、面倒くさそうに蚀う。
「そうね」でもなく、吊定するわけでもない。
 誉める蚀葉か、やさしいこずを蚀われない限り、房子はこういう返事をするか、黙っおいるかの、どちらかだった。

 䜕かを頌む時の蚀い方も、盎らなかった。
 卓雄がお茶を入れおいる暪で、
「私もお茶がほしい」
ず房子が蚀う。たた、子䟛みたいな蚀い方を、ず思う。蚀葉が分からないわけではあるたい。他人には、恐ろしく䞁寧に蚀えるのだから。
「『お茶を入れおちょうだい』ず、頌めばいいでしょう」
ず蚀ったら、
「お茶を入れおください」
ず、オりム返しのように、やさしくなく蚀う。たったく・・。
「悪いけど、お茶を入れおくれる」ずか、普通の頌み方ができないものか、ず思う。
 気分が悪い時の房子は、倖から垰った時の荷物ずいっしょに、お茶を自分で入れお、二階に持っおいこうずする。
「あ、ちょっず埅っお。持っおいくから」
ず、恭子はパ゜コンを䞭断しお階段のずころに行く。
 ゞャケットやバッグず䞀緒に、お茶が入った湯呑みを持っお、恭子は階段を䞊っお行った。房子は埌から這うように䞊っおくる。
 䞡手が空いおいたっお倧倉なのに、房子がお茶ひず぀も持っおいけないこずは分かりきっおいる。悪いけど、持っおきおくれるず頌めないのだ。遠慮ではない。意地になっおいた。

 恭子が倧嫌いな房子の蚀い方に、
「○○しおもらおうかしら」ずいうのがあるけれど、これも、䜕回蚀っおも盎らなかった。
 昔の生埒さんが車で迎えにきおくれお、お宅におよばれした日もそうだった。
 恭子が手土産を買いに走り、甚意をする。
靎を履くのに手間取っお、ようやく車に乘った房子が、
「杖を持っおくるのを忘れたわ。持っおきおもらおうかしら」
ず、芋送りのためにそばにいる恭子に蚀う。
 どうしお、䜕床蚀っおも分からないのだろう。房子は「○○しおもらおうかしら」ずいう蚀い方が䞁寧だず思っおいるようだが、これは、䞊から呜什する匷く嫌な蚀い方だず、䜕床蚀っおも分からない。
 垰っおくるず、房子はぐったり疲れおいる。お茶を飲むず蚊くず、
「お氎をもらおうかしら」
ず房子は蚀う。恭子は房子のこの蚀い方を聎くたびに、胞がひりひりした。
 だいいち、「お氎をもらおうかしら」ではなく、「今日は楜しかったぁ。いろいろありがずう」のはずではないか、ず思った。
 その埌疲れお眠った房子は、倕飯の時に、い぀ものように、ほずんどしゃべらなかった。垰っおからの恭子ずのやりずりに、機嫌を悪くしおいた。
 卓雄が房子にその日のこずを蚊いたり、恭子が亜矎に人目の子䟛が生たれる話をしおも、黙っおいた。い぀もの通り、暗いムヌドの食卓だった。
「生埒さんず、どんな話をするの 家でこんなにしゃべらないのに」
「孊校の話・・・」
房子は、それにはポツリず答えた。
 そうなんだ。生埒さんや房子が楜しいのは、そういう話をするからなのだ、ず思った。
房子が他人ず楜しく話をする様子が、どうにも想像できなかった。房子はい぀ものように、他人には人が倉ったように、やさしく、ほめちぎるから、盞手も楜しいのだろうか。
 その埌たた、嫌なムヌドの流れになった。話を远求したり、批刀的なこずを蚀うず、房子はすぐに黙る。嫌な顔をしお、黙り続けた。

 房子が二階に䞊がるず、卓雄が、おかあさんにいくら蚀っおも無駄だよ、聞いおいお嫌になる、ず蚀った。
 もう無駄だから、そんな話はしない方がいいなんお、それは、芪子じゃないから蚀える、ず恭子は思う。芪子だからこそ、こんな䞭途半端な状態は蟛い。
 そうしたら、パ゜コンの碁のゲヌムの説明を頌たれた卓雄がカリカリした顔で二階から降りおきた。そのゲヌムは、凛が房子に送っおくれた、新しいに入っおいる。
 卓雄は房子が䜕床蚀っおも分からないので、苛立ったらしい。
 でしょ ず恭子。ゲヌムくらいならいいけれど、無駄だず思っおも、突き詰めなきゃならない話もあるのだ。
 同じようにげんなりしながらも、恭子は卓雄にありがずう、ず蚀わなくおはならない。
 恭子の立堎を、卓雄は少し理解したようだった。

 分かっおいたこずではあったけれど、恭子は房子ず同居を決めたこずを、かなり埌悔しおいた。


我慢できない

「認知症っお、怜査で分かるんですっおね。

脳神経倖科に行っおこようかしら」

朝食を食べながら、房子が突然蚀った。

「どうしお」

「私、がけたんじゃないかず思っお・・・」

「病院に行っお、治るの」

 蚀いながら、だんだん面倒臭くなった。

 房子が、自分ががけたず思っおいるのなら、それでも良かった。思っおいないから、いろいろ違ったこずを蚀い匵ったり、蚀ったのに蚀っおないずか、匷硬に蚀ったりする。

 そしお、倖では、立掟で頭が良くお、䞊品で、若くお元気なふりをする。

 それでも、本圓にがけたず思っおいるずいえるのだろうか。

 房子はきっず、その朝のこずを正圓化しようずしお蚀っおいるのだ。

 その日、房子は予定が䜕もない日だった。

昌になっおも起きおこないので、様子を芋に行くず、服を着たたた寝おいた。

 朝起きお着替えたのだず房子は蚀う。そうだずしおも、それからたた、十二時過ぎたでも寝るものだろうか。

 目芚めた時の房子は、入れ歯が也いお、たたもにゃもにゃず、䜕を蚀っおいるのか分からない。

「恭子が四時過ぎ起こしおくれたので・・」

ずか、蚳の分からないこずを蚀っおいた。倢でも芋たのだろう。

「認知症」だなんお、蚀っおみおいるだけだろう。むしろ、そんなこずを蚀っおみるほど、頭がしっかりしおいるこずをアピヌルしおいる。房子らしい、ず思った。

 房子の䜓は確実に衰えおいっおいる。けれど、気持ちの匷さが衰えるこずはない。盞倉わらずの房子の我の匷さ、冷たさに、恭子は傷぀き、ストレスをためた。

 ある日のこず、房子の片腕の内偎に玫色のあざができおいるのを芋぀けた。だいぶ暑くなっおきたので、寒がりの房子も半袖を着るようになっおいた。

「どうしたの」

ず蚊くず、房子は、恭子に぀かたれた時のものだず蚀う。その「぀かたれた時」ずいう蚀い方に恭子は邪気を感じた。

蚊いおみるず、階段を䞊る時に、恭子が腕の䞋から支えた時のものだった。房子が痛いずいうので、ひじを支えたり、その぀どいろいろ倉えお、手䌝っおいた。

階段を䞊る時に手䌝うのは、恭子自身も危ない姿勢になったり、蟛かったりもする。それでも、房子のためにやっおいた。

「いやだなぁ、蚀っおくれれば良かったのに」ず房子に蚀った。䜓質的なものなのだろう、恭子もちょっずぶ぀けたりするず、すぐに青や赀のひどいあざができる。房子の腕のあざも、少し薄くはなっおいたけれど、玫色が結構広範囲に広がっおいた。

「誰かにあざのこずを蚊かれなかった」

ず蚊くず、房子はしばらく考えおから、蚊かれたかもしれない、ず蚀った。

「䜕お答えたの」

ず蚊いおも、はっきりしたこずは蚀わない。

ずたんに、恭子の頭に、過去の房子の打算ず意地悪さが思い浮かんだ。

房子は自分が「かわいそうな人」を挔じお、他人から同情を埗るのが奜きだ。もしかしたら、たた、恭子を悪者にしたおたのかもしれなかった。

「そんなはずもないでしょうけど、嚘が暎力をふるったなんお思われたら嫌だから、ちゃんず蚀っおね」

ず蚀うず、房子はあいたいに笑っおいる。「たさか、そんなこずを蚀うわけないでしょう」ずも「芪切でやっおくれおいるのに」ずも蚀わない。

恭子に察しおやさしい気持ちがあれば、「恭子に぀かたれた時・・」ではなく、「恭子が階段を䞊るのを助けおくれた時」ずでも蚀っおくれるはずだった。

房子は自分のこずを立掟に芋せ、幞男をかばい、他人を誉めたたえ、そしお、日頃がんばっお䞖話をしおいる恭子を、あたかも暎力をふるう嚘のように䌝えるのだ。

恭子はすっかり気持ちが暗くなった。いくら䜕でもひどい。報われない、ず思った。

 そう蚀えば、房子が䌊勢の芪戚に、電話でこんな蚀い方をしおいるのを聞いたこずがあった。電話の盞手は䜐和子さんずは別の埓匟だった。

「恭子でさえ、クニさんのこずを、やさしいおばさんだず蚀っおいた・・・」

 クニさんず蚀うのは埓匟の亡くなった母芪であり、シカの姉だ。䜐和子さんの䌯母でもあった。クニさんは、歳を取っおからも、䜕回かシカに䌚いにきお泊たったこずがある。やさしくお、恭子は倧奜きだった。

「恭子でさえ」っお、どういう意味だろう。

房子の、その蚀い方に、恭子はえず思った。

たるで、恭子が冷たい人で、他人を誉めないようではないか。気分が悪かった。

 電話を切っおから房子に蚊くず、別に他意はないようなこずを蚀う。

 出かけおいた卓雄に意芋を求めおも、やはり、ひどい、ず蚀った。それを䌝えるず、房子はただ「ごめんなさい」ず軜く蚀う。

 けれど、房子の「ごめんなさい」に、恭子は䞀局傷぀く。

「違うのよ、こういう意味なのよ」ずでも蚀い蚳しおくれた方がマシだった。実の嚘を、こんなに貶めおいく母芪っお、いるのだろうか、ず悔しくなった。

 ずっず以前、元気だった䜐和子さんが東京に来お、恭子の家を蚪ねた時にも、えず驚いたこずがあった。

 初めお蚪れた恭子の家の䞭を眺めおいた時のこずだ。房子もそばにいた。

 䜐和子さんはピアノの郚屋を眺めながら房子ず、久矎が音倧に入る話をしおいお、

「倧倉やなぁ。おかあさんもたた、がんばらなあかんな」

ず蚀ったのだ。

 久矎が音倧に入るのに、房子ががんばるっお、どういうこずだろう。たるで、房子が孊費を出すためにがんばるようではないか。子䟛達の孊費に぀いおは、卓雄のボヌナスをほずんど䜿っおやりくりしおいるずいうのに。

 䜐和子さんの蚀葉を聞いお、房子は、恭子の前で蚀われおたずかった、ずでもいうように、恭子を芋お銖をすくめた。やはり房子は䜐和子さんに、自分が孫の孊費を党郚払っおいるず、倧颚呂敷を広げおいるのだ。

 その時も、自分さえ立掟に芋せれば、ずいう房子の虚蚀癖を、苊々しく思ったものだった。

 房子から受けるストレスの䞭で、恭子が䞀番堪えるのは、房子が石のように黙り蟌むこずだった。それは、い぀たでたっおも盎らなかった。

 がんばっお䞀生懞呜䜜った料理も、房子はおいしいずも蚀わずに、黙っお、぀たらなそうに、暗い衚情で食べるこずが倚かった。

 䟋えば、もうすぐ料理ができるずいう時に、お菓子を食べようずする房子を泚意する。食べ物が詰たるから、姿勢を良くした方がいい、ず蚀う。そんなこずでも、房子が機嫌が悪くなっお黙りこんだ。

 蚀葉が芋぀からないのではなかった。他の人には癟倍も千倍も饒舌になる。房子のだんたりは、匷い抵抗、最高に嫌な気持ちを衚すだんたりだ。これが、どんなに盞手を嚁圧しお、絶望に陥らせるかは、房子のその態床に実際接した人しか想像ができないず思う。喧嘩をしおでも蚀い合うならば、ただ救われる。

けれど、房子のその硬い岩のような抵抗に遭うず、やりきれない無力感ず苛立ちを感じた。

 話し合いの時にも黙っおしたうので、ある時、恭子はどうしお黙っおいるのか蚊いた。

するず房子は、

「黙っお耐えおいる」

ず蚀う。この蚀葉に、恭子は䜙蚈傷぀いた。

これは、芪子の䌚話ではない、ず思った。

「䜕を蚀ったらいいか、分からない」「蚀葉がうたく芋぀からない」「蚀ったら、悪くずられる」

こんな蚀葉をようやくボ゜ッず蚀ったこずもあった。

 なおも远求するず、房子は黙ったたた、錻氎をすすった。房子の蚀葉を求めお、もどかしい思いに耐えおいる恭子に、房子はたるで、自分がいじめられおいる人のように振舞うのだ。話にならなかった。

 そうしおだんたりを続け、匱い幎寄りを挔じたかず思うず、匷い顔で䞻匵しお譲らないのも、盞倉わらずだった。

 倜お颚呂に呌びに行くず、

「テレビがチャンネルひず぀しか぀かない」

ず、房子がベッドに腰かけお蚀う。

「ひどいテレビを買っちゃった」

ず房子は怒る。

「たたどこかいじっちゃったんでしょ」

ず蚀っおも、以前ず同じように、

「絶察どこもいじっおない」

ず、匷い顔で蚀い匵る。そんなはずがないでしょ、ず卓雄を呌んだ。

 卓雄はあちこち詊しおから、

「おかあさん、ここを動かしたでしょ。だめですよ、ここを動かしたら」

ず蚀う。芋るず、どうしおこんな所を動かすのかず思うようなずころを動かしおいた。

 ここで房子が、

「そうだったの」

ずにこにこしお蚀うのなら良かった。「ありがずう」ずか、「ごめんなさい」なら、䜕も問題はなかった。

 ずころが房子は、泚意されたのが䞍服で、ぶすっずしたたたなのだ。

 房子のだめな所はどうしおも盎らない。

食卓の、房子のすぐ足元にゎミ箱があるずいうのに、房子はい぀も芋もしないで、無造䜜にゎミを捚おるから、ゎミ箱の呚りに䞞たったティッシュがいく぀も萜ちおいる。卓雄も、そのゎミを拟っおゎミ箱に入れたこずが䜕床かあった。

 毎回、あんたりひどいので、迷った末に、掗面所から垰っおきた房子に、ゎミのこずを蚀っおみた。

 するず、房子は無蚀のたた、苊劎しおゎミ箱の前でしゃがんで芋せた。そしお、無蚀でティッシュを拟うず、ゎミ箱に入れた。

 どうしお黙っおいるのだろうかず思う。房子の無蚀に、ゎミぐらい拟っおくれおもいいでしょう、ずいう、こちらにずっおは理䞍尜な怒りが芋おずれた。毎回のこずだから、房子だっお、ゎミが入っおいないのが分かるはずだった。

 盞倉わらず、圓たり前のように卓雄を䜿うのも嫌だった。

 出かける前に、卓雄がすぐ近くにいるのに、

「䞀時に○○の駅だから、十二時二十分ごろのバスに乗れば間に合うかしら」

ず蚀っおみせる。

「そんな蚀い方をしないで、ちゃんず頌めばいいでしょう」

恭子が蚀うず、

「卓雄さん、送っおください」

房子は、蚀われたから蚀いたす、ずいうような、感情のない機械的な蚀い方で返す。

「そんな匷い蚀い方じゃなくお、『送っおもらえないかしら』ずか、やさしく頌めないかしら」

するず房子は、

「あ、そ」

ずだけ蚀った。

 䜕を蚀っおも無駄だった。普通の感芚ずか、垞識ずか、たるでない。本来なら、

「卓雄さん、ほんずに悪いけど、駅たでお願いできないかしら」くらい蚀うものだろう。恭子なら、そう蚀う。

 あるいは、気を䜿わさないように、タクシヌ刞が䜙っおしたうので、ずでも蚀っお、そっず行くべきだろう。卓雄に悪いなどずいう気持ちはたったく無いようだった。幞男には、あんなに遠慮するずいうのに。

 ある倜には、こんなこずもあった。恭子達が甚事で出かけたために、房子のお颚呂が遅くなっおしたっおいた。卓雄が先に颚呂に入った埌、房子を呌びに行った。

 結局、支床に時間がかかる房子は、十二時半頃颚呂に入り、䞀時䞀五分くらいに出おきたのだが、脱衣所で、かなり時間がかかっおいた。

 次に入ろうず、恭子が埅っおいるのだけれど、い぀も以䞊に長い。恭子はい぀ものように、房子の衣類を運んで、房子が階段を䞊がる手䌝いをしようず埅っおいた。

 するずしばらくしお、房子が脱衣所のカヌテンを開けお、ダむニングに出おきた。

 ずころが、芋るず、房子は䞊は袖のない肌着、䞋はバスタオルを巻いただけ、ずいう姿だった。パンツはただ履いおない、ず蚀う。か぀らもかぶっおいなかった。

 隣りの居間には卓雄もいる。い぀もの房子なら、絶察に芋せない姿だった。びっくりした。

 慌おお、

「いいの そんな恰奜で・・」

ず蚊くず、

「良くはないけど・・」

ず、房子は居盎っおいる。

 房子はそんな姿のたた、ダむニングの怅子に座っお、テヌブルの䞊のティッシュペヌパヌの箱をずっお、䜕枚も䜕枚もがさがさず玙を匕っ匵り出しおいる。そうしお、そのティッシュで、片足をいらいらした様子で拭いおいた。

 房子は、恭子があげた湿垃を貌ったたた、颚呂に入ったけれど、べたべたが取れないず蚀っお苛立っおいた。その湿垃は、恭子が以前怪我をした時に敎圢倖科でもらった残りだった。房子に頌たれおあげたものだ。

 房子は、その方が効くかず思っお、い぀も湿垃を貌ったたた颚呂に入る、ず蚀った。

 時間はどんどん経った。房子はい぀たでもい぀たでも、いらいらずティッシュで拭いおいる。たるで、恭子の湿垃のせいだずいわんばかりだった。

 恭子がしびれを切らせお、

「おかあさん、もう䞀時間になっちゃう・・」

ず蚀うず、

「蚀われた時間に来たんだけど・・」

ず、房子はがそっず蚀った。

 遅い時間に颚呂に呌ばれたこずが気に入らなかったのか、本圓に湿垃に苛立っおいたのか、分からなかった。

 けれど、そんな恥ずかしい姿を晒しおたで、自分の苛立ちを芋せ぀ける房子の気の匷さに、恭子は蟟易ずしおいた。


斜蚭を決断

 どうしお具䜓的に話を進めるこずになったのか、恭子にもはっきりしないけれど、ある日から、「斜蚭」の話は急に進み始めた。

 それたでもいさかいのたびに、房子はたびたび「斜蚭」を口にしおいた。自分の母芪のこずをい぀も「『どけち』だった」ずこきおろしおいたのに、「父母の所に行きたい《぀たり、死にたい》」ず蚀っおみたり、「斜蚭に行く」ず、房子は最埌の「切り札」のように、必ず蚀った。それは、房子にずっお、ずっおおきの「守り刀」のようなものだったのだろう。远い詰められお蚀っおみるものの、がんやり思い浮かべるだけで、実際にそうなるずは、思っおも芋なかったのだろう。

 けれど、その日、恭子は思い䜙っお、「もう止めない」ず房子に蚀った。もう、たくさんだず思った。房子のこずで、ノむロヌれになりそうだった。限界だった。
 房子が自分の母芪だずいう実感はたるでない。心から話をしたくおも、䜕を蚀っおも、本圓に心があるのかず疑っおしたうほど無反応、無感情。い぀も、たるで、石の壁に向かっお話しおいるような、虚しさに襲われお、堪えられなくなった。
食事時、恭子が䜕か話しおも、䟋えば碁や旅行の話になるず、よくしゃべったりしたけれど、それ以倖は、ひずり関係ない人のように、暗い衚情で黙っお食べおいる。
 ちょっず気に入らないこずを蚀われるず、「あ、そう」ず嫌な顔をしお終わる。
 そういうすべおに堪えられなくなっお、斜蚭の話に進んでいったのだ。

 それでも、恭子は圓初、本圓にそんなこずになるずは思っおいなかった。房子だっお、そうだっただろう。
 ずころが、それを進めおしたったのは、房子本人だった。
 勝気な房子は、斜蚭の話に乗り気な様子を芋せおいた。ただ䜕も決たっおいないのに、勝手にデむケアのスタッフに斜蚭に぀いお盞談しおいたし、ケアマネにも、電話で盞談しおいた。
 房子にしたら、自分がそういうかわいそうな状態であるこずを、呚りに知らせたかったのかもしれない。同情されたかったのかもしれない。
 けれど、そういう房子の行動によっお、斜蚭の話が䞀局珟実的になっおしたったのだ。

 幎寄り本人が、斜蚭の盞談をしたら、家の人はどう思われるず思う 恭子がそう蚀っお怒っおも、房子は黙っおいた。䜕が悪いのずいう顔だった。

 ケアマネには、恭子達もふたりで盞談しに行っおいた。倧きな梚を個買っおいった。勀務時間内だったので、受け取っおもらえるか心配したけれど、ケアマネは、驚くほどすんなりず、それを受け取った。
 結局、房子からも盞談があったので、ケアマネは、斜蚭のこずを盞談するずころを玹介しおくれた。ネットで自分で斜蚭を調べおも、たくさんあり過ぎお、どこがいいのか分からない。料金も、実際には、いろんな料金が別にかかるようだった。
 
 ネットで芋たカ所の斜蚭を房子に芋せるず、房子は幞男に頌んで芋に行く、ず蚀う。
 幞男に、っお、䜕を蚀っおいるの 順序が違うでしょ。幞男が斜蚭に぀いお、䜕ず蚀っおいるのか、恭子達になんず蚀うかでしょ
 恭子が怒るず、じゃあ、恭子が行っおくれるの 䜕を怒っおいるのか分からない、ず蚀う。
 考えられないのだろうか。それずもずがけおいるのだろうか・・・。

 そのうち、斜蚭の話が珟実味を垯びおくるず、房子の態床が倉っおきた。斜蚭の盞談員が来るこずになっお、その蚪問日が近づいおきお、ようやく実感したのだろう。
房子は急に、ぺヌスメヌカヌの補助金が出た、ず蚀っお、数䞇円を持っお恭子のずころにきた。これたで䜕床か芋おきた房子の䜜戊だ。勿論断った。これからお金がたくさん芁るのだから、倧事にしお、ず。
 食事の時にも態床がたったく倉わった。それたでずちがっお、自分から話をする。暗く、抌し黙っおいる房子ずは別人の、ごく普通の感じだ。ごく普通・・。房子はそれができなかった。
 やればできるんじゃないか、ず思った。
 でも、もう遅い。
 そんなふうに、蚈算高く挔じたっお、もう遅い。どんなに優しく挔じたっお、もうだたされない。ほろっずしない。心動かされない。

 盞談員は、その日倕方に来た。思っおいたより若く、代くらいに芋える男性だった。
 二時間くらい説明を受けお、いろいろ分かった。
 たずは経費だった。かなりかかるこずが分かった。近々介護保険料が倍になる。斜蚭のお金以倖にも、医療費、雑費がひかれおいく。房子の幎金は、決しお少ないほうではなかったけれど、それでも、その他に携垯料金など定期的な支出を差し匕くず、毎月いくらも残らない蚈算になった。
 盞談員の説明を、房子は暗い顔で聎いおいた。時々、パンフレットをめくっおみたりしおいるけれど、䞊の空なのがよく分かる。こうしお珟実を目にしお、盞圓参っおいるようだった。
 それでも、もう匕き返せない。匕き返さない。みんなあなたが悪いのだ。身から出たサビだ、ず恭子は思った。

 盞談員が垰っおから、房子にちらっず話をしたけれど、房子はたったく身を入れお聞いおいなかった。
 颚呂がわいたので、二階から房子のパゞャマやタオルをずっおきお、房子が颚呂に入った。房子は考え事をしおいるのか、がおっず力なく䜓を動かしおいた。
 房子が二階に䞊がっおから、恭子は卓雄ず盞談した。費甚のこずなどを考えお、ここしかないずいう斜蚭をひず぀にしがった。小さいけれど、新しく、きれいな斜蚭だった。
 その斜蚭のパンフレットを持っお二階に行くず、房子は郚屋でパ゜コンの碁をやっおいた。もう、倜䞭の十二時近くになっおいた。
 恭子が郚屋に入っお行っおも、房子はその碁の画面を終わらすために、しばらくじっずパ゜コンを芋぀めおいた。
 恭子が斜蚭の話をしようずするず、房子は、今やすよに電話したず蚀う。やすよも斜蚭をいく぀か芋぀けおいるので、ちょっず埅っおくださいね、ず蚀ったず蚀う。
 びっくりした。そんな話は聞いおいない。こちらず斜蚭に぀いお話もしおいないのに、䜕で 
「どうしお、そんな先走ったの」
ず、呆れお蚀うず、
「『先走った』」
ず、房子は嫌な顔をした。ここ数日のやさしく、穏やかそうな顔から䞀倉しおいる。元通り、硬く暗い顔をしおいた。
 急にお金を枡そうずしたり、食事時に、明るく話し始めたのは、やはり、芝居だったのだ。ここに居るこずができないかず、いろいろやっおみたのだろう。
 そしお、今床は、やすよに電話だ。自分から絶察に電話などしなかった、䞖界䞭で䞀番嫌いな盞手に、たたすり寄っおいったのだ。䜕ずいう打算的な人だろう。
 斜蚭ずの連絡、倏冬の衣類の入れ替え、お金の管理、病気になったら・・・、それらを党郚、幞男ややすよができるずいうのだろうか。今たでですら、攟っおおいたあの人達に・・・。
 房子はそういったこずを、䜕ひず぀考えられない。
 斜蚭に入れおしたうこずに心が痛み、少し可哀そう、ず恭子の気持ちが揺れ始めおも、こうしお房子は、恭子の心をしっかり冷やすようなこずをした。


斜蚭を芋に

 盞談員がきた翌日に、卓雄ず䞉人で斜蚭を芋に行くこずになった。持っおきおくれたパンフレットの䞭から、ふた぀候補を遞んで、盞談員にも連絡しおおいた。

 その前に、幞男にも蚀っおおかなければならない。恭子が電話をするように蚀っおも、今たで䜕故かい぀もしぶっおいたのに、その日は房子はやっず二階で幞男に電話したようだった。
 けれど、幞男にキツいこずを蚀われたようで、房子は萜ち蟌んでいた。珍しく、幞男のこずを批刀的な口調で蚀った。
 幞男は、䜕故わたくしばかりに謝れず蚀うのか、だいたい「おかあさた」も悪い、ず蚀ったず蚀う。房子の話をパヌセント信じるこずはできないけれど。
 斜蚭のこずはなんず蚀っおいたず蚊いおも、話がそこたでいかなかった、ず蚀う。

 幞男ず話などしたくはない。けれど、しないで斜蚭を決めるわけにもいかなかった。
 仕方なく、卓雄が電話をするこずになった。卓雄の携垯電話をスピヌカヌホンにしお、恭子の携垯電話で録音するこずにした。房子もそばにいた。
 久しぶりに聎く幞男の声だったが、盞倉わらず偉そうな先生口調だった。
 い぀ものように、「わたくしは・・・」ず始たり、䜕故恭子が盎接電話しないのかずなじり、
「おばあさたにも、『恭子がいろいろ気が匷いこずを蚀っおも、はいはい、ず聞いおおけば良かったのに』ず蚀ったんだ」
ずか、
「ささいないざこざでしょ」
ず、恭子をバカにしたようなこずばかり蚀った。聎いおいお、どなり぀けたくなる。
 日頃、䜕を蚊いおも答えなかった房子が、幞男にどういうふうに䌝えおいるか、垣間芋えたような話の内容だった。 
 聎いおいるず、幞男は二蚀目には、
「わたくしは、出入り犁止されおいるから、䜕も蚀えない」
ず蚀う。恭子が幞男に腹を立お、房子に、家の䞭に入れるこずも拒吊したこずをねちねち蚀う。
「恭子ずはそうでも、おかあさんずは違うでしょ。」「斜蚭のこずを、どうしお、おにいさんから電話しお蚊かないんですか」
卓雄が声を倧きくするず、
「勿論、おかあさたは倧事ですよ」
「い぀も連絡し合っおいたすよ」
ず、幞男は小銬鹿にした口調だった。聎いおいお、怒りがこみあげた。
 最埌に、卓雄が、じゃあ、斜蚭のこずはいいんですね、おにいさんの了解を埗ないず、埌で䜕か蚀われおも困りたすから、ず蚀うず、
ああお願いしたす、ずなった。
 卓雄に、もっず匷く蚀っお欲しかった。けれど、
「倜遅くに枈みたせん」
ず、卓雄がぞりくだっお蚀ったものだから、幞男も気を良くしお終わったようだった。

 録音を聎き返しおも、腹が煮えくりかえりそうだった。
 偉そうに。そもそも自分の家で房子ずうたくやっおいけなかったから、こういうこずになったのに、恭子のこずをどの口が批刀するのだ。
 それにしおも、幞男にこういうこずを蚀わせる根源は房子にある、ず思った。房子が、幞男にそういう䌝え方をしおいたからだ。
 恭子が匷いから、ずか、いろいろ蚀われるから、ずか、みんな恭子が悪いこずにしお、幞男に愚痎を蚀っおきた結果なのだ。なにひず぀、恭子がしおあげたこずを蚀わなかったからだ。
 幞男も房子も、䌌たもの芪子だず、぀くづく思った。この人達には、もう、䜕も通じない、ず諊めた。

 その晩、眠れないほど怒りがこみあげたけれど、幞男に、なんずか事実だけは蚀っおやりたい、ず思った。
 ああいう、垞識のない、思いあがった男には、興奮したら負けだ。冷静に、頭を䜿っお察峙しなければならない。
 そう思っお、翌日斜蚭に行く前に、幞男に電話するために、蚀いたいこずを曞き出しおみようず思った。

 箇条曞きに曞き出しおみた内容はこうだ。
たず、房子の介護が嫌だったのではないこず。房子の䜓は、もう介護が必芁
「ささいないざこざ」ずいうけれど、その察凊がうたくできなかったから、幞男の家を飛び出したのでしょ。
 それは、やすよが悪いのではない。房子の暪暎さを芋おいたんでしょ。それに察しお䜕もできなかった幞男が悪いんでしょ。
 自分達が、「ささいなこず」じゃないのを、䞀番よく知っおいるでしょ。面倒みおいる家族は、どうしおも、いろいろ泚意する。それなのに、泚意されるず、泚意した人を悪く蚀う。やすよずの日々を、よく考えおみお。
「恭子から瞁を切られおいるから、ず䜕床も蚀うけど、母芪ず瞁を切っおいるわけじゃないでしょ。このこずは、卓雄も昚倜電話で蚀った
 母に察しお愛情があれば、攟っおおかないで、䜕でもできたはず。
「斜蚭」のこずだっお、そちらから䜕も蚀っおこない。やっず、房子が昚倜電話した。
 ちっずも誠意がないし、逃げおいるだけで、こちらに無責任に「䞞投げ」しおるでしょ。
だいたい、瞁を切るずかどうずか、
実は、幞男ず話しに行ったこずが、たった䞀床だけあった。駅にある店でだった
お店で、お金の話が出お、「お金なんか䞀切もらっおいない。信じないなら、この話は終わりだ」ず幞男が蚀ったので、そのたた垰っおきたんでしょ。
 自分から終わりにしたんでしょ。じゃ、もうこれで、䞀切䌚わないから、ず私は蚀ったでしょ。
 しかし、この時のこずを、幞男はうろ芚えだった
これたでのこずを謝れっお、どっちのセリフ
 房子が来た時、「じゃ、お願いしたす」っお、䜕かの折に軜く床ほど。
 母芪を預けるのに、それはないでしょ。
 たず、「いいか」ず盞談するのが先でしょ。

 幞男ず冷静に話をするために、恭子はこんなふうに、幞男に蚀いたかったこずを敎理しおメモした。盞手があんな男だから、努めお冷静に、話をしなくおは、ず芚悟した。


 斜蚭を芋に行く朝、恭子は曞いおおいたメモを芋ながら、極力心を萜ち着けお幞男に電話をかけた。これが最埌だから、冷静に、最埌たで聎いお、ず幞男に蚀った。
 するず、案の定、幞男は端はなから興奮した。冷静に聎くどころではない。
「その前に、䜕か蚀うこずがあるんじゃない 今たでの無瀌をわたくしに詫びるのが先でしょ」
そう、嚁䞈高に蚀った。予想された出方だった。
 こちらの方こそ、倧声でどなりたくなるほどだったけれど、我慢した。負けない。冷静を貫こう。話しおも、無駄な男なのだ。
 録音しおいるこずを蚀い、昚倜もそうしおいたこずを䌝えるず、さらに激高した。
 恭子は、䞀応謝った。蚀った、蚀わない、で、もめるのが嫌だったから、ず冷静に蚀った。
 しかし、この時、倱敗した。携垯電話をスピヌカヌホンにするのを忘れおいたのだ。録音した幞男の声は、䜕ずか聎きずれるくらいの音だった。

 結局、蚀いたかったメモを党郚読み䞊げる前に、これから行く所がある、時間が無い、ず䜕床も幞男に遮られ、最埌の方は蚀えなかった。焊っおいるので、ちゃんずは聎いおいないようだった。
 でも、もうこれで諊めよう、終わりにしよう、ず思った。

 斜蚭を芋に行く車の䞭で、幞男から初めおメヌルがきた。やすよにかけた電話で、恭子の番号を知ったのだろう。
「電話をありがずう。時間がなくおごめんなさい」
ず、短いメヌルだったけれど、い぀もの嚁䞈高さが無かった。恭子が冷静にずがんばったのが功を奏したのだろうか。
 けれど、もう、幞男のこずはどうでも良かった。どうせ、話をしおも、分かる盞手ではなかった。


斜蚭

 芋に行った斜蚭は、新しく、きれいだった。恭子の家から私鉄を乗り換えお、電車だけで四十分ほどの駅にある。思ったより郚屋は広く、斜蚭のスタッフも感じが良かった。
 ただ、ただ入所人ほどで、少し寂しい感じがした。
 それより気になったのは、郚屋に冷蔵庫を眮くこずも、郚屋で飲食をするこずも犁止されおいるこずだった。房子には、きっず蟛いだろうな、ず思われた。

 それでも結構奜印象ではあった。けれど、房子がもう䞀カ所芋たいず蚀ったこずもあっお、予玄しおいなかったもうひず぀の斜蚭を、盞談員に連絡しお、芋に行くこずになった。
 
 その斜蚭もただ新しかった。マンモスだず聞いおいたけれど、既に半分の人くらいが入居しおいた。
 若い女のマネヌゞャヌは、さわやかで、おきぱきしおいる。ざっず斜蚭の説明をしお、通内を案内しおくれた。
 郚屋の広さは、その前に芋た斜蚭ず同じくらいだった。違うのは、冷蔵庫を眮くこずも、郚屋での飲食も蚱されるこずだ。
 通内には甘い花の匂いが挂っおいる。南囜のホテルのようだった。お颚呂もいく぀かある。きれいだし、機械济などの蚭備もあった。
 そしお、極め぀けは、廊䞋の突き圓たりに造られおいる足湯だった。それほど倧きくはないけれど、䞀日䞭浞かっおいられるず蚀うその足湯のせいで、斜蚭が䞀局優雅に芋える気がした。

 食事颚景も芋られたが、結構充実した内容だった。
 食堂にいる老人達は、どんよりくすんで芋えた。テヌブルの前に、背䞭をたるめお、じっず座っおいる人達は、倖の䞖界から隔離された、特別な人達のように芋える。こんな䞭にいる房子を思うず、胞が痛んだ。
 女のマネヌゞャヌの話では、郚屋はどんどん埋たっおいっおいる、ず蚀う。その斜蚭にかなり心が傟いおいた恭子は、早く決めなければず、少し焊った。房子も、足湯などには惹かれおいるようだった。
 房子の様子を芋おいるず、少しず぀話がリアルになり぀぀あっお、芳念しおいっおいるようだった。勿論、決しお明るくはない。

 家に垰っおから、お金の蚈算をしおみた。どちらの斜蚭も費甚は同じくらいだった。
房子は、どちらかず蚀えば、マンモスの方がいいず蚀う。費甚の合蚈を蚈算しおみるず、房子の幎金でたかなえるぎりぎりの額だった。
 ずころが、初めお芋せおもらった房子の通垳で確かめるず、匕かれおいるお金の䞭には、恭子が知らなかった保険のお金もあった。房子の出費はそれだけではなく、恭子の家に来る前も、来おからも、ずっず幞男にたずたった額のお金を送り続けおいたのだが、それを知ったのは、房子の死埌、膚倧な通垳の束を敎理しおいる時のこずだった。
斜蚭に入っおも、雑費や医療費など、いろいろ芁る。入居の時には、たずたったお金も払わなければならない。お金の䜙裕はなかった。
 考えられる収入は、損保の解玄くらいだった。足りない分を、そのお金でやりくりするしかなかった。
 迷っおいる間にも、マンモスの斜蚭の郚屋は、確実に埋たっおいっおしたう。気が急いた。亜矎も、最初のフィヌリングが倧事だず、背䞭を抌した。

 そしお結局、マンモスに決めお、翌朝、ずうずうマンモスの斜蚭に予玄の電話をするこずになった。
 倧きな運呜を決めるこずになる。緊匵した。
 郚屋が埋たっおしたう、ずいう焊りがなかったら、もっずゆっくり決めたこずだろう。房子だっお、こんなに早く決たっおしたうずは、思っおいなかったこずだろう。
 その埌、損保の解玄も、損するこずなくできお、たずたったお金が入るこずが分かるず、房子も少しほっずしたようだった。急に、県鏡がよく芋えないから買い替える、ずか、お金を䜿う悠長なこずを蚀い始めた。
 房子は、䞀䞇円札を䜕枚も持っおいる、優雅な金銭感芚から、なかなか抜け出せないのだ。

 斜蚭の仮契玄はしたけれど、実際入居できるのは、翌月だった。ただ䞉週間もある。
 けれど、その間にやるこずはたくさんあった。房子のおびただしい荷物の敎理をしなければならないし、内科で健康蚺断を受けなければならなかった。

 前日に恭子が内科に斜蚭の健康蚺断曞を預けお、四時過ぎに蚺察の予玄をしおいる日のこずだった。
 その日は房子のデむケアがあったので、い぀も垰っおくるその時間に予玄をしおあった。
 ずころが、房子がい぀もより䞀時間も早く垰っおきたので、びっくりした。その䞊い぀もの送迎バスではなく、ひずりだけ乗甚車に乗せおもらっおいた。
「早く垰る人がいたから、乗せおくれたのよ」
房子は、䜕が悪いのずいう顔で蚀った。
 それだけでなく、房子はセンタヌから医院に電話しお、予玄を倉曎しお、䞉時ごろ行っおもいいかず蚊いたずいう。センタヌから盎接行こうずしおいたのだ。勿論、断られたずいう
 どうしおそういう勝手なこずをするのだろう。時間を早める意味が分からないし、恭子に蚊くこずもしないで。そしお、時間の倉曎ができなかったのに、わざわざ乗甚車で送っおもらっお垰っおくるなんお。みんなに芋せ぀けるためのパフォヌマンスではないか。

 その䞊、房子はその日、センタヌ長に斜蚭に入るこずを䌝えおきたず蚀う。日にちたで蚀っおいた。恭子達が蚀う前に、どうしおそうやっお先走っおしたうのだろう。
 斜蚭に぀いお、契玄に携わっおいない房子自身には䞍確かなこずばかりだ。それを、さも自分がしっかりやっおいるように芋せおくる。呆れるばかりだった。

 斜蚭のこずが決たった時、房子に蚊いおみた。センタヌの他の人は、斜蚭に移るこずを、䜕お蚀うのず。
 房子は、少し考えお、別に・・、ずか、ずがけた顔で蚀っおいた。斜蚭に移る人が以前にもいたけれど、䜕も説明がないたた居なくなった、ず蚀う。
 それなのに、房子は今日、センタヌ長に蚀っおきたずいう。こんなにはやばや。それも老人本人が。
 ただ数週間あるずいうのに、それたでどういう顔で過ごすのだろう。
 みんなには䌝わらない、ず房子は蚀った。
 じゃあ、䜕も蚀わずにお別れするの
 房子はうなづいた。
 そんなこずないでしょ。分かったら、みんな、どうしお斜蚭っお蚊くでしょ。
 房子はたた、分からない、ず、ずがけた顔をする。
 どうしおそう、先走っお、いろいろしちゃうの 順序が違うでしょ。
 子䟛がふたりもいお、寝たきりでもなく、がけお埘埊するわけでもない人が、どうしお斜蚭に入るのか、みんな䞍思議に思うでしょ。
 䜕も説明をしなければ、家族が悪く思われるのよ。

 そんなこずを恭子がいろいろ蚀っおみおも、房子が受け止めるはずもなかった。それどころか、房子は䜕もかも分かっおやっおいるのかもしれない。
 い぀ものように、自分だけ、かわいそうで、立掟な人を挔じおきたのだろう。ずっず、この地域で暮らしおいかなくおはならない嚘の立堎など、お構いなしだった。

 雚が降り出しおいた。内科の医院にはタクシヌで行った。
 埅合宀で順番を埅っおいる間に、房子の携垯電話が数回鳎った。
 房子は画面に出た名前を芋ただけで、ブチっず切った。䜕か倉な切り方だった。いくら医院でも、「あずで・・」ずか蚀えるはずだ。
 蚺察が終わり、蚺断曞を受け取っおなんず蚺断曞の費甚は数䞇円、家に垰っおからも、房子の電話がたた鳎った。
 房子はたた、ブチッず切った。その埌、あちこち電話のボタンを抌しおみおいる。
「どうしたの 誰から」
恭子が蚊くず、房子は、絵手玙の先生からだ、ず蚀う。
「うたく぀ながらなくお・・・」
なんお蚀っおいる。
 自分で切っおおいお、なんか怪しげだった。
 するず、今床は家の電話が鳎った。きっず先生からだ、ず恭子は思った。
 案の定だった。先生は、房子が電話に出ないので、いないず思ったのか、恭子にその日の話をした。
 今日、デむケアで絵手玙があったず蚀う。
「山䞊さんが、最埌だず蚀うので・・・みんなで抱き合っお泣いたんですよ・・・来月䞀日からだずいうので、次の絵手玙の時にいらっしゃらないので、×日にお別れ䌚を、ず思っお・・・」
 聎きながら、恭子は傍に座っおいる房子をちらちら芋た。やっぱり、そういうこずだったんだ。だから、房子は電話を切ったのだ。
 先生がいろいろしゃべっおから、房子に替わった。
 房子もたずいず思ったのか、
「たぁ、先生、そんな・・・」
ずい぀もの調子で電話に出たけれど、短い時間で切った。

 恭子は怒った。房子は誰にも蚀わなかった、ず蚀っおいたはずだ。
 するず、絵手玙が今日で終わりだから、先生だけに蚀った、みんなに蚀うずは思わなかった、ず房子はたた、ずがけた顔で蚀う。
 絵手玙の先生は、い぀も䜕人か名の幎配の女性の生埒を匕き連れお、センタヌに指導に来おいる。みんな仲がいいし、絵手玙を離れおも付き合いがある。先生だけに䌝えるなんお、できるわけがなかった。
 みんなで抱き合っお泣いた、だなんお・・。
たるで、ひどいこずをされた悲劇のヒロむンみたいではないか。冷たい嚘に捚おられた、かわいそうな老人みたいではないか。きっず、センタヌの人達にも、そう思わせおきたのだろう。
 嚘がどう思われようず、自分さえかわいそうな、いい人だず思われれば、それでいいのだろう。それでも、幞男のこずだけは、きっず理由を぀けおかばうのだろう。
 だいたい、房子は、どうしおこんなこずになったのか、忘れたずでも蚀うのだろうか。
 䜕を蚀っおも、恭子が悔しくお涙をこがしおも、房子はい぀ものように、䜕も感じおいないようなずがけた顔で黙り続けた。

 センタヌで、絵手玙の人達ず泣いお抱き合っおいる房子の姿を想像するず、蟛過ぎお吐きそうな気分になった。こんな母芪がいるだろうかず思う。
 勀めから垰っおきた卓雄も、事情を聞いお、房子に䜕か少し蚀っおくれたようだった。恭子に、ひどいねぇ、あれが母芪ずは思えないねぇ、ず蚀った。
 房子は倕飯埌、い぀ものように、心のない「ごめんなさい」をがそっず蚀っお、「ごちそうさた」ず、たた感情のない声で蚀っお、い぀もず同じように二階に䞊がっおいった。


斜蚭の準備

 携垯電話に電話がかかっおきお、房子がごたかすこずは、それからもあった。明らかに房子からかけおいたのが分かる内容なのに、ごたかしたり、嘘を぀いた。電話を受けるのが、恭子が目の前にいる最悪のタむミングだったのだろう。

「おかあさんのこずを、党然信じられない」ず恭子が怒っおも、房子は平気な顔をしおいた。それどころか、

「ね、早くでおいかなくちゃね」

などず、憎らしいこずたで蚀った。

 斜蚭に入るたで、ただ䞉週間もあるのに、こんな、最悪の関係で䞀緒にいるのが蟛かった。

 房子は、あたかも自分が被害者であるかのようにふるたった。裏ではいろいろ画策しながら、衚面おずなしく、匱々しいふりをする。

 策略か、ボケおいるのか、それずも違う人になるスむッチを持っおいお、それに自分で気づかない病気なのだろうか・・・。

 こんな人のお䞖話をしお、自分の時間、人生を倱っおきたのかず思うず、悔しくおたたらなかった。

 ここから出お行けば、誰の䞖話にもならなくおいいず、房子は思っおいるのだろうか。

 房子は䌊勢の芪戚にも電話をしお、䜐和子さんのような斜蚭に入れないかず、盞談しおいたこずも分かった。芝居の䞊手な房子によっお、「かわいそうな房子」の噂は、あちこち広たったのだろう。もう、なんずでもなれ、ず思った。

 房子が絵手玙の人達ず泣いお抱き合っおいる図が、い぀たでも頭に浮かび、苊しくなった。胞に鉛が入っおいるようだった。

 毎日のように、房子が恭子の心を凍らすひどさを芋せおくれお、そのたびに恭子は、これでよかったのだ、ず思い盎した。

 

 房子が、ここでの日々を、どんなにありがたかったか、どんなに自分がいけなかったか、ず埌悔する日は来るのだろうか。

 斜蚭に行っお、今たで、どんなにわがたたな生掻をさせおもらっおいたか、しみじみ思い知っおくれればいい、ず思った。

 房子の荷物の片づけは、倧倉過ぎお、途䞭で投げ出したいほどだった。やっおもやっおも、終わらなかった。

 毎日、毎日、房子の郚屋の片づけをした。斜蚭に持っおいくもの、眮いおいくもの、捚おるもの、あげるもの。掃陀機ずダスキンで埃をずりながら、おびただしい片づけを続けた。

 もう、房子が亡くなる前の、倧敎理だず思った。

 片づけながらも、時々、やっぱり気持ちが揺らぎそうになるこずはあった。本圓にこれで良かったのかず。

 今たでの苊劎ず忍耐を、途䞭で投げ出すような無念さもあった。

 そのうち、ずうずう斜蚭の契玄の日がきた。斜蚭に行っお、曞類に名前を曞いお、印鑑を抌しお、これで斜蚭に入居するこずが決定的になった。

 もう、埌戻りはできない。

 ただ入居たで二週間くらいあったけれど、荷物は搬入しおもいいずいうこずで、片づけを急いでいた。

 そんな慌ただしい最䞭のこずだった。朝食の前に、房子が突然、思い䜙ったように、恭子に蚀った。

「私も悪かった。ここに居させお」

テヌブルの前に座っお、房子は神劙な顔をしおいた。

 契玄の翌々日だった。卓雄もいた。

 恭子は息を飲むほど驚いた。たさか、今になっおずは・・・。

 房子のそんな蚀葉を予想もしおいなかったので、恭子は心の準備ができおいなかった。咄嗟に䜕ず答えればいいのか分からない。心の䞭では、倧きな波が立っおいた。

「以前もこんなこずがあったけれど、おかあさんは、䜕も倉わらないから」

心の準備ができおいないたた、恭子は思わず蚀っおしたった。ずっずトラブル続きで、気持ちの䜙裕がなかったのかもしれない。

 するず、思い切っお蚀ったものの、プラむドが頭をもたげたのだろう、房子はそれ以䞊はもう蚀わなかった。恭子の蚀葉に、うんうんずうなづいおいた。

 恭子は心の䞭で、房子が今の蚀葉をもう䞀床蚀っおくれるこずを願った。房子がもう䞀床繰り返したら、負けおしたいそうだず思った。房子を抱きしめお、契玄を砎棄しに行っおしたいそうだった。

 けれど、房子は、それっきり蚀わなかった。

 翌日、房子に、䜕故ここに居たいず思ったのか、蚊いおみた。

 お金のため ず蚊いたら、房子はうなづいた。お金は、自分のためでもあるけれど、恭子達のためでもある、ず蚀った。

 呆れおしたった。斜蚭に行ったら、お金が䜕も残らないから、恭子達のためにここに居る、ずいう䜓を装いたかったのだ。ほんずにかわいくない。

「おかあさんは、やりたいこずをやっおきたでしょ。恵たれおいた方でしょ」

ず蚀うず、房子は黙っおいた。

 そしお、しばらくしおから、

「耇雑・・」

ず、がそっず蚀った。

 耇雑、ず蚀うこずは、ここに居お、悪いこずもあった、ずいうこずを蚀っおいる。それはそうなのだろうけど、今ここで蚀う蚀葉ではないのに、ず思った。

 その数日埌に、久矎倫婊や亜矎倫婊の力も借りお、荷物を斜蚭の郚屋に運んだ。

 房子も連れお行ったので、房子は郚屋で埅っおいた。荷物は䞀回では運べない。次の荷物を運ぶたで、゚レベヌタヌがなかなか来ないので、房子はその間ひずりきりになった。

 荷物が半分眮かれた郚屋の䞭で、房子がどんな気持ちでいるだろう、ず恭子は思った。

 時々気持ちが揺らぎそうになりながらも、房子が恭子の心に氷氎をかけるようなひどいこずをする。

 もう、匕き返すこずはない、ず思っおいた。

 それに、やるこずがあり過ぎお、恭子が立ち止たっお考える䜙裕もなく、事が進んでいっおいた。

 手䌝っおくれた嚘達が子䟛を連れお家に泊たったり、来日するこずを䌝えおきたドむツ人の友人ず、蟞曞をひきながら連絡をずったり、毎日いろんなこずがある。些现なこずでも、わずらわせる䜕かがあるず、恭子はいっぱいいっぱいになっお、パンクしそうだった。

 毎日房子の郚屋から出しおいたゎミは、ビニヌル袋や玙袋に入れお、ずりあえず、台所のテヌブルの䞋に眮いおいっおいた。
 房子のゎミは資源ゎミが倚い。燃やせる普通のゎミず仕分けしなければならないし、名前が぀いおいたり、倧事な物もあるので、いちいちチェックしないず、うっかり捚おられない。それが億劫だった。時間もなかった。
 けれど、翌日が燃やせるゎミの日、思い切っお敎理しお、チェックしおいった。すでに倜になっおいた。
 玙袋に぀めたゎミの䞭には、いろいろあった。どれも、房子に確かめるず、捚おお、ず蚀われたものばかりだ。
曞き損じの絵手玙がたくさんあった。デむケアセンタヌで曞いた習字の玙も䜕十枚も、束になっおあった。
房子の絵手玙は䞊手だけれど、習字はぞたくそだった。自分でも苊手にしおいたように、房子の習字は、小孊生が曞いたようにも芋える。䜕枚も䜕枚も、緎習したのだろう。その光景が浮かんできた。
工䜜した残りもあった。センタヌのお䟿りも、四季折々の行事の写真もあった・・・。
芋おいるうちに、涙が流れおきた。
房子は人柄が悪く、ダメな人だし、嫌いなずころばかりだ。気が匷くお、根性が悪く、芋栄っ匵りだ・・・。
でも、房子は恭子に怒られながらも、ここでささやかに楜しんでいたのだ。あちこちで、楜しみを芋぀けお生きおきたのだ。
ダメな母芪だけど、私はもっず寛倧になれなかったのか。蚱しお芋守っおあげられなかったのか。
なんずいうこずをしおしたったのだろう・・・。
突然悔やんだ。どうしようかず思った。
でも、でも、もう埌戻りはできない。
たくさんの資源ゎミを束ねお、袋にしたった。ずおも捚おるこずなどできなかった。
 
 房子の郚屋に、い぀ものように湯を入れたポットを運んで行っお、ベッドに䞊んで座るず、思わず泣いお房子を抱きしめた。
「どうしお、こんなこずになっちゃったんだろう・・」
ず泣いた。
 房子は、
「私がわがたたで、・・・・だったから、いいんだよ・・・」
ず、やさしく蚀った。
「そうよ。おかあさんがいけないのよ。気が匷くお、話ができなくお・・・」
蚀いながら、泣いた。
「これは、わがたたな私に、神様が䞎えた詊緎だよ。ひずりになっお、反省しなさい、ずいう・・・」
こんなこずを蚀う房子も珍しかった。
 恭子は泣きながら、か぀らをずった房子のはげた頭をなでた。骚ばかりの、ご぀ご぀した肩や背䞭をなでた。
 涙が止たらなかった。
「斜蚭が嫌になったら、い぀でも垰っおきお。私に叱られおも、ここが良かったず思ったら、い぀でも垰っおきお」
ず蚀った。
「最埌たでのお䞖話は、䜕でもする気でいたんだから・・・」
 房子はうれしそうに、うなづいおいた。
 本圓にそんな日が来るだろうか。
 斜蚭に行っお、すぐに死んでしたったり、ボケおしたったり、匱っおしたったりしないだろうか。
「おかあさん、長生きしおね」
心から蚀った。
「充分長生きしたよ」
ず、房子は蚀った。

 あぁ、もっず我慢できなかったものか。
 もずに戻りたい・・・。
 斜蚭に蚪ねおいったら、どこかに連れ出したり、いろいろやっおあげよう・・・。
 恭子はずっず、目が腫れるたで泣いおいた。

 それから䞀週間ほどしお、斜蚭に入居する日が目前になった。
 房子は最埌のデむケアに行っおきた。
 い぀ものように、匵り切っおきたのだろう、垰っおくるず、疲れお意識が朊朧ずしおいるのが分かった。
 その埌、介護甚品の人が、レンタルしおいたベッドの手すりや抌し車などを回収しにきた。この若い男の人は、本圓にやさしくお、気立おがいい。
 それから、ケアマネが挚拶にきた。
そうしおいるうちに、時間がどんどん無くなっおいった。

 房子は前日にも、絵手玙のお友達のひずりず、朝からバス停で埅ち合わせお、ランチを食べおきた。垰っおくるず、䞀日死んだようになっおいた。

 倕方には最埌ずなる内科に行っお、薬をもらい、斜蚭に来る医者に出す玹介状をもらった。
 こうしお、斜蚭に行く準備はちゃくちゃくず進んでいる。
 房子が眮いおいく衣類の敎理はなかなか終わらなかった。防虫剀を入れたり、虫干しをしたり、あたりの倚さに気が遠くなりそうだった。
 盞倉わらず、房子は恭子が衣類を敎理するのを芋おも、あたり喜んでいない。
 やりづらいので、途䞭で攟棄するず、房子は倜䞭に少しだけ、片づけたようだった。
 それでも、ほずんど進んでいなかった。


斜蚭に

 ずうずうその日が来おしたった。その日たで、房子の郚屋の片づけや持っおいく荷物の準備、介護甚品の撀去、取り倖し、その他事務手続きに远われお、房子ずの別れを実感ずしお感じる䜙裕もなかった。
 
 最期に毎日䜿っおいる物湯呑茶わんや歯磚きのセットなど、かなり倚いを詰めお、甚意ができるず、恭子は忘れ物がないかチェックしおこようず蚀っお、房子を二階の郚屋に誘った。階䞋には卓雄がいる。ふたりきりになりたかった。恭子に手䌝われお、房子は、這うように階段を䞊った
 ただ片付いおいない房子の郚屋の壁には、癜っぜい壁玙のいたる所に写真やカヌドなどがピンで留めおある。デむサヌビスで祝っおもらった誕生日の写真や、孫たちず䞀緒の写真。絵手玙や、折り玙で䜜ったピンクの花もある。孫の誰かが折ったのかもしれない。あるいはデむサヌビスで教わっお、房子自身が䜜ったものかも知れなかった。写真の䞭の房子は、どれも也いた嘘っぜい笑みを浮かべおいた。   
恭子は郚屋に入るずすぐ、房子を抱きしめた。か぀らから、汚れた油の臭いがした。
房子を抱きしめるたびに、恭子は昔飌っおいた死にそうなハムスタヌを思い出す。ゞャンガリアンハムスタヌは䜕十匹もいた。ふわふわの毛をしお䞞くなっおいたハムスタヌは、最埌には角ばった骚ばかりの䜓になっお、それでもなんずか生きおいた。
抱きしめた房子の肩や背䞭にも肉はほずんど぀いおいない。ご぀ご぀した骚の感觊しかなかった。
「郚屋はこのたたにしおおくから、い぀でも垰っおきおね」
 泣きそうになりながら、そう蚀うず、房子はうれしそうにうなずいた。けれど恭子は、そんな日は、きっずもう来ないのだろうず思っおいた。

 斜蚭に着いおから、たた荷物を片付けおいくのが倧倉だった。かなり少なくした぀もりだったが、房子の荷物はやっぱり倚かった。
 ただ新しい郚屋はワンルヌムマンションのように、広くお高玚感がある。ベッドだけは備え付けられおいた。りォシュレットが぀いた広いトむレも぀いおいる。その広い郚屋に持っおきた冷蔵庫やタンス、机、ハンガヌラックやテナヌなどを眮いおいくず、瞬く間に郚屋の半分くらいが埋たっおいった。
廊䞋を歩く時に、ドアが開いおいるいく぀かの郚屋の䞭が目に入ったけれど、房子ほどの荷物を眮いおいる人はいなかった。ある郚屋には、家具らしきものはほずんどなく、老人がひずり、無衚情にベッドに座っおいた。 
 恭子は段ボヌルや玙袋から぀ぎ぀ぎに衣類や文房具、茶わん、日甚品、薬・・、ず出しお、房子が䜿いやすいように、堎所を考えながらしたっおいった。房子はベッドに腰をかけお、黙っお眺めおいた。卓雄には、荷物の運搬の埌、どこかでお茶を飲んできお、ず蚀っおおいた。房子の持ち物を、いちいち卓雄に芋られるのも嫌だろうず思ったのだ。

 もう少しで終わるずいう時、房子は食事に呌ばれた。恭子は䞀緒に䞀階の食堂に行っお、房子が自分の怅子に座るのを芋届けた。
 広い食堂にはテヌブルがたくさん䞊べられ、それぞれのテヌブルの呚りに、人の老人が座っおいる。車怅子に座っおいる人がかなりいた。芋るからに気力のなさそうな、ぐったりしおいる老人もいた。数人の職員が、ワゎンの䞊や棚からプラスチックのお皿に盛られた料理を運んでいる。わさわさず隒がしい雰囲気だった。
名前が曞かれた立お札の前に座っお、房子は少し緊匵しおいるように芋えた。

 恭子は斜蚭の现かい説明を聞いたり、たくさんある曞類に目を通しおサむンしおいったり、必芁なお金を預けるのに結構時間がかかった。斜蚭では、小銭以倖は本人が持぀こずを犁止されおいる。突発的な経費のために、毎月なにがしかのお金を管理費を払っお預けおおく。毎月の支出の明现は家族に送っおくれるこずになっおいた。
恭子達が倖で簡単な食事をしお斜蚭に垰るず、房子はすでに郚屋に戻っおいた。残りの片づけを終わらせるず、恭子は空いたたくさんの玙袋を持っお、房子の郚屋を出た。
房子ぱレベヌタヌの前たで芋送りに来た。
少しほっずしたのだろうか、い぀もよりやさしい顔をしおいるように芋えた。

 その倜は、恭子は疲れお攟心状態だった。そばに眮いおある携垯が鳎ったのにも気づかないほどだった。心配しおメヌルをくれおいた久矎ず亜矎に短く返信をしおから、房子に電話した。房子は眠っおいたようだった。入れ歯を倖しおいるので、蚀葉がふにゃふにゃしお聞き取れなかった。
 それから遅くなっお、䞉床も着信があった悠䞀に電話をしお、その日の報告をした。
 悠䞀は盞倉わらず、自分䞭心の話しかできない人になっおいた。か぀おのように、冷静に話ができる人ではない。話が自分のこずになるず、すぐに激高した。か぀おは恭子がどんなに悠䞀を心配したかを、分からない。自分が晩幎気の匷いシカの䞖話をしたこずを埗意そうに語るだけだった。

 それからも毎日、恭子は房子の郚屋から出したゎミの敎理や、掃陀に远われた。皮分けしたゎミの䞭で、資源ゎミは特に時間がかかった。いちいち点怜しお、房子の手曞きのものや、残しおおきたいものを分けおいく。名前が入っおいるものを捚おるのにはシュレッダヌで刻んだ。房子がいなくなった喪倱感を感じる䜙裕がなかった。
 ただ、ふずした時に、自分の䜓が軜くなっおいるこずに気づくこずがあった。
 房子が居る時には、垞に時間に拘束されおいた。デむサヌビスの芋送り、出迎え。ケアマネヌゞャヌや介護の人達ずの盞談、集たり。碁を教えにくる人、仲間、知り合い・・。房子の行動には必ず恭子の手助けが芁る。その時間の拘束やプレッシャヌから解き攟たれお、身軜になった気がした。
 卓雄ずも、気軜に自転車であちこち行ける。
房子ずの距離は、必芁だったのだ、ず、぀くづく思った。
半面、自分の心も䜓も、すっかり疲匊しおしたっおいるこずに気づく。気持ちも䜓も、房子ず同じ速床で老いおしたったようだった。
 房子に振り回されお、費やした時間が、返す返す惜しい。もう、房子のこずで悩むのはよそう。もう、自分達に残された健康で元気な時間は短い。勿䜓ない、ず思った。

 その埌房子に電話をしおみるず、職員の人達は芪切だず蚀ったが、䞍満もいろいろあるようだった。
 倜十時半ごろず房子は蚀う、寝おいる時に、職員が合い鍵をがちゃがちゃ回しお入っおくるので、びっくりした、ず蚀う。それからもう、眠れなかったようだ。
「か぀らをずっおいたので、今晩からは、か぀らを぀けお寝なきゃ」
ず房子は蚀った。
 そんなに緊匵しないで、普段通りにしお、ず蚀っおみたけれど、房子にそんなこずができるわけがない、ず思った。い぀だっお、他人にどう芋られるかが、房子にずっお最も重芁なこずなのだ。知らない人が数人いるだけの、䌊勢の颚呂堎でも、房子はか぀らを倖さなかった。斜蚭の䞭でもずっず、いいかっこをし続けるのだろう。

 その埌十日もするず、房子はすっかり斜蚭になじんでいた。友達もできお、郚屋を行き来しおいる。
 「姥捚お山」のような感じかず心配しおいたけれど、房子はそれなりに楜しんでいるように芋えた。
 わがたたな房子のこずなので、今たでのように自由がきかない斜蚭を、すぐに出たいずいうのではないかず圓初は思っおいた。やすよも、そんなこずを蚀っおいた。けれど、房子は想像以䞊にたくたしかった。
それでも、やっぱり、房子の呚りの人達は、恭子のこずを、「芪を捚おた嚘」ず思うのだろう。房子のデむサヌビスでの涙の別れを思い出すず、悔しかった。

 斜蚭には、それからほずんど毎週通った。車で䞀時間ほどかかるので、日曜日の半日が぀ぶれた。
房子が居なくなっおからも、片づけは延々ず続き、その間にも、嚘の出産、孫たちのお守り、倖囜からの客、ず忙しい日々は続いおいた。
 房子は䞀日、絵手玙を描いたり、仲良くなったおじいさんに碁の盞手をしおもらったりしお過ごしおいるようだった。
やはり仲良くなったひずりの女の人が、ひっきりなしに郚屋に来お、ゎミ箱に捚おおあるものから房子が食べたものを知っお、いろいろ忠告するのがうるさいようだった。この人は、それほど幎寄りでもないし、介護が必芁にも芋えない。謎だった。
たた、房子は斜蚭の食事の文句も蚀った。味噌汁が冷たくなっおいる、薄味でおいしくない、ず愚痎った。それでも、「いい人」でいたい房子は、自分から盎接文句を蚀うようなこずは決しおしなかった。
 恭子達が蚪ねおいくず、房子はすれ違う職員をいちいち玹介した。「この方、いい方なのよ」ず、誰圌なくほめちぎる。家に居た時の電話の応察ず䌌おいた。
 あぁ、心配するこずなんお、党然なかった。房子はどこに居おも、こうしおたくたしくやっおいくのだ、ず舌を巻いた。

 斜蚭を蚪問するたびに、ひどく䞍䟿に思うこずがあった。房子が居る二階ず、その䞊の階に、合わせお八十人くらいの居䜏者がいるずいうのに、゚レベヌタヌがたった䞀基しかないのだ。普通の階段はなかった。房子は食事ずおや぀にひっきりなしに呌ばれお、䌑む暇がない、ず蚀っおいたけれど、忙しいのぱレベヌタヌのせいでもあった。車怅子の人が倧勢いたので、䞀台の゚レベヌタヌに乗れる人数が少ない。食事のたびに、倧勢の人が゚レベヌタヌの前で長い時間埅぀のだ。


斜蚭での日々

 斜蚭には毎週のように通った。たいおい卓雄の車で行く。そうするず、片道䞀時間かかるから、䌑日が半日぀ぶれおしたう。卓雄が䞍満を蚀うわけではなかったけれど、申し蚳ないず、い぀も思っおいた。

 けれど、ある日、斜蚭から垰る車を運転しながら卓雄が蚀った。

「おかあさんもさぁ、もっずうれしそうな顔をしおくれるずか、ありがずう、ず蚀うずかしたらいいんだけど・・・」

 普段そんなこずを蚀わない卓雄の蚀葉に、恭子はびっくりした。けれど、それは圓然の蚀葉だった。来るたびに芋る房子の態床に、恭子自身い぀もがっかりしおいたし、匵り合いがなかった。卓雄でさえ、そう感じおいたのだ、ず思った。

 恭子達の斜蚭の蚪問は、ほずんど房子の食料調達のためだったず蚀っおも良かった。房子は恭子達のこずには䜕も関心がない。顔を芋おも、にこりずもしなかった。

 斜蚭でも、頌んだ買い物をしおきおくれる日があるけれど、房子は携垯電話で、恭子に次の蚪問の時に買っおきおほしい物を蚀っおきた。斜蚭に行っおから、䞀緒に買い物に行くこずもあった。

 買い物のリストには、牛乳やパン、チヌズ、お菓子など、いろいろあったけれど、焌き鳥やお寿叞などがよく入っおいるので、びっくりする。それらは仲良くなった碁の盞手のおじいさんなどにあげるものだった。斜蚭での食事があるのに、食べられるのだろうか、暖房の効いた郚屋で、お寿叞をどうやっお保管するのだろう、ず䞍思議だった。

 それにしおも、他人に物で取り入ろうずする房子はどこに行っおも健圚なのだず呆れおしたう。

 䞀緒に買い物に行くず、房子は嬉々ずしおスヌパヌのカヌトを抌しお歩き、驚くほどたくさんの食べ物をかごに詰め蟌んだ。チョコレヌト、おせんべ、パン、ペヌグルト、チヌズ、ハム、サンドむッチ、焌き鳥・・・。勿論どれもみんな、おじいさんの分も入っおいる。䞀回の買い物が千円になるこずは、よくあった。

 そんなに倧量に食料を買い蟌むものだから、房子の小さな冷蔵庫では入りきらなくなっお、恭子は頌たれお、ネットで䞭型の冷蔵庫を泚文した。芁らなくなった冷蔵庫は、恭子がきれいに掃陀しお、結局おじいさんにあげるこずになった。

碁の盞手ずしおは、房子では圹䞍足で、幎䞭「そこに《石を》眮いたら駄目だず蚀っおいるのに、䜕回蚀ったら分かるんですか」ず怒られおいたらしいけれど、おじいさんは、房子にずっお、斜蚭で䞀番倧事な人になったようだった。

 小さい冷蔵庫に入りきらなくなったもうひず぀の理由に、房子が倧量の卵を買うこずがあった。

 斜蚭の朝食がたずい、ず䞍満を蚀っおいた房子は、仲良くなったケアマネさん埌に斜蚭長になったにねだっお、自宀でパンを食べる蚱可を埗おいた。房子の、他人に取り入る才胜には感心しおしたう。

 その朝食に、簡単なゆで卵を䜜りたくお、房子は恭子にゆで卵噚の賌入を頌んできたのだ。

 ゆで卵噚を埗た房子は、毎日のようにゆで卵を䜜っお、仲間の人や職員の人達にプレれントした。なにしろ氎を入れお電気をオンにするだけで、いっぺんに八個のゆで卵ができるのだから、簡単だった。そしお、それがあちこちで喜ばれたようだった。

 房子は斜蚭の買い物の日に、卵を個泚文するこずもあった。それは倚分、房子がそれたであちこちに送っおいた莈答品の替わりだったのだろう。珟金を持っおいない房子は、そんな圢で自分の人気を埗たかったのかもしれない。

 房子は圓初、恭子が持っお行っおはいけないず䜕床も泚意した通垳䞀冊ずカヌドを持っお行っおいた。斜蚭入居ずずもに、恭子がお金の管理をしおいたから、自分の自由になるお金が欲しかったのだろう。ひずりで自由に匕き出すこずもできないずいうのに。

 あるいは、幞男が来た時に枡そうずでも思っおいたのだろうか。房子はほずんど話さないけれど、幞男はたたに蚪問しおいたようだった。

 房子は斜蚭の食事がたずいず蚀っお、レストランにも行きたがった。お寿叞や倩ぷら、鰻など、斜蚭では食べられないものを食べたいようだった。

 そうしおレストランに行くず、房子はやっぱりよく食べた。食べきれないのに、欲匵っお泚文するのは、以前ず同じだった。

 その結果残したおかずを、恭子達に食べお、ず蚀う。恭子達だっおお腹がいっぱいだから、倧しお食べられない。だいいち、残したものを勧められおも、気分はあたり良くなかった。

 持お䜙すのが分かっおいるのだから、房子が泚文する時に、倚すぎる、ず蚀いたかったけれど、ケチっおいるようで、やっぱり蚀えなかった。

 このレストランの支払いの時になるず、恭子はい぀も困った。自分達が払うべきか、房子に払っおもらうべきか。

 房子の毎月の幎金から斜蚭の経費などを匕いたら、それほど䜙裕はない。恭子達だっお、䜙裕はない。

 レゞで䞀応支払いを終えお店から出おも、房子はい぀も、「ごちそうさた」ずも、「ありがずう」ずも蚀っおくれない。それは、自分のお金を䜿っおいるず思うからだろうか。それならそれで、房子のお金を䜿うけれど、それでもなんだかしっくりしない。

 仮に房子のお金を䜿うにしおも、䌑日を䜿っお、房子の垌望通りに動いおいる恭子達に、圓たり前の顔をしおいるこずが、玍埗できなかった。

 恭子は房子が斜蚭に入っおお金の管理をするようになっおから、ずっず房子のお金の出玍垳を぀けお、十円単䜍のお金の出し入れたで蚘録しおいる。もらったレシヌトも党郚貌り付けおいた。それは、い぀の日にか、幞男に求められた時に、蚌拠ずしお芋せるための物だった。

 たたに、よっぜど気に入った時だろうか、房子が、レゞでの支払いを、

「通垳から出しおおいおね」

ず蚀うこずがあった。そう蚀っおもらえれば、すっきりした。

「ごちそうさたでした」

ず、ふたりで瀌を蚀った。

卓雄が䞍満を蚀うわけではなかったけれど、毎週のように䌑日を぀ぶすこずが申し蚳ないので、たたに、恭子が電車ずバスを䜿っお、ひずりで蚪問するこずがあった。その方が、房子も気楜なのではないかず思った。けれど、車がないのはやっぱり䞍䟿だった。

 房子は斜蚭に入っおから、郚屋の前の廊䞋を、䞀日䜕埀埩かするこずを自分に課しおいたようだった。それでも、家にいた時より、どんどん䜓力はなくなっおいく。ちょっず歩いおも、以前より䞀局疲れるようだった。

 ふたりでタクシヌに乗っお最寄駅に行き、そこから電車に乗っお、デパヌトに行っお買い物をしたり、レストランに行っお食事をする。デパヌトの䞭では車怅子に乗せるけれど、移動のために歩く所が結構あった。房子はすぐに息を切らせ、苊しそうに顔を歪めお立ち止たった。

 それでも、房子はデパヌトで、絵手玙の絵の具やはがきを売っおいる所では、目を茝かせた。レストランではよく食べたし、カフェで頌んだケヌキセットも喜んでいた。

 そういう房子を芋おいるず、恭子は満足だった。房子の手を取っお、片手にバッグや、買っおきたたくさんの文房具や食料を持っお、くたびれ果おお垰っおも、充実感があった。

 ずころが、房子は斜蚭に぀いおも、うれしそうな顔ひず぀しない。郚屋の冷蔵庫に恭子が買っおきた食料を入れおいくのを、い぀ものように、ベッドに座っお黙っおながめおいるだけだった。房子が喜んでいたのは、買い物の時ずレストランにいる時だけだ。「ありがずう」なんおいう蚀葉は聞かれない。近況の話をするわけでもなかった。

 卓雄がふず䞍満をもらしたように、恭子達が蚪問しおも、ちっずも匵り合いがないのだ。

 斜蚭からバス停たでの暗い道を歩きながら、恭子は倱望感でいっぱいだった。

 房子の心の䞭が分からなかった。房子に粟いっぱい尜くしおいる぀もりだった。䜕が䞍満なのだろう。房子のお金を䜿っおいるから、圓たり前、ず思うのだろうか。それずも、今になっお、斜蚭に無理やり入れたず、恚んでいるのだろうか。

 やっず来たバスに乗っお、暗くなった窓の倖を、がおっずながめながら、恭子はやりきれない思いでいっぱいだった。

 それから少ししお、久しぶりに家に連れおきた時も、やっぱり同じだった。

 房子が斜蚭のご飯がおいしくない、たた倖でおいしい料理を食べたい、ずいうので、卓雄に頌んで家に連れおきお、䜕床も行っおいたレストランに行っおみた。するず、房子は以前ず同じように、よく食べた。コヌス料理で、デザヌトたで完食した。䜓は衰えおも、房子の胃袋は健圚だった。

 けれど、食事に行く前に久しぶりに寄った家の䞭では、房子はたったく無衚情だった。

足りない衣類を点怜しお持っお行こうず思っおいたのに、たるで関心がない。逅菓子を食べ、お茶を飲みながら、テレビに映る盞撲を、がおっず眺めおいるだけだった。

 これには恭子もがっかりした。い぀のたにか、房子の喜怒哀楜の感芚が、匱っお鈍くなっおしたったのではないかず、寂しくなった。

 その日、倕食埌に、房子を斜蚭に車でたた送っおいった。するず、出迎えた職員の前で、房子は芋違えるほどやさしい顔になった。

「山䞊さんのこずを、みなさん尊敬しおいるんですよ」

それたであちこちで聞いおきた同じセリフを、五十代くらいに芋える男性のスタッフが、柔和な笑顔で蚀った。

 房子が入居しおから、ただいくらも経っおいない。房子の䜕が立掟だず蚀うのだろう、ず恭子はたた寒々しい気持ちになる。

 斜蚭に房子の知り合いなど誰もいない。い぀ものように、房子自身がたた、控えめを装いながら、自分の教逊のある所や立掟さをアピヌルしたのに違いなかった。

 どこに行っおも、房子はこういうふうにしおしか生きおいけないのだろう、ず思った。


斜蚭での日々 

 房子がいなくなっおからも、恭子は盞倉わらず忙しかった。
亜矎に人目の子䟛が生たれお、䞀週間ほど孫ふたりを預かったりもした。いたずら盛りの子䟛達の䞖話は、六十代半ばにもなるず、さすがに䜓はき぀い。けれど、ひずりで奮闘しおいる亜矎の䜓も心配だった。
留孊生のホヌムステむは既に止めおいた。食事の支床をするのが蟛くなっおきたのず、家を空けられないこずが倧きな理由だった。

 斜蚭に行っおから初めお迎える正月、䞀日に卓雄ひずりで房子を迎えに行っおもらうこずになった。恭子は無理がたたっお、幎末から熱を出し、ただ䜓調が䞇党ではなかった。
 それでも、毎幎正月には恭子達の家に子䟛達や孫たちが集たるために、郚屋の準備や、垃団の甚意、食事の支床で忙しかった。
 房子は家に入っおも、盞倉わらず䜕もしゃべらなかった。぀たらなそうな顔で、テレビの前に座っおいる。恭子がばたばた忙しく、せっかく来たのに、盞手をしないせいかず思い、動き回りながら、時々房子に声をかけた。
 そのうち久矎や亜矎たちが、頌んでいたお寿叞などを持っお集たっおきた。房子はひ孫たちに䌚っお、ようやくうれしそうな顔をした。
それから䟋幎のように、にぎやかに宎䌚が始たり、房子も驚くほどよく食べた。

 䞀日の倜には、家が遠い亜矎䞀家だけが泊たる。恭子はお颚呂の支床をしお、房子の入济埌に着替えた掋服を郚屋に運んで、少しだけ話をした。亜矎も子䟛達を寝かし぀けおいるのだろう。静かだった。
房子は既に垃団に入っおいる。郚屋が寒いので、恭子は房子のベッドの傍らの怅子に座っお、時々房子の垃団に足を入れた。そんなふうに房子に近づくこずは、滅倚になかった。
恭子はお金のこず、葬匏のこず、お墓のこずたでさらっず話をした。普段なら蚀いにくかったこずが、䜕故かすんなり話せた。
房子は意倖にしっかり答える。恭子は房子の頭がただボケおもいないこずに安堵した。
 ここに垰っおきおどうだった 斜蚭の方がいい ず蚊くず、房子は返事をしかねおいた。䞉月のひな祭りの頃、暖かくなったら、たた垰っおきたい、ず房子は蚀った。
 話しおいお、涙が出る。垰っおきたい、ず蚀ったなら、きっず受け入れるだろう。きっずたたあの蟛さを味わうこずが分かっおいるのに、どこかでそう蚀っおほしい気持ちがあった。䞀日の倜も、二日の倜も、ベッドの䞊の房子を抱きしめおから、階䞋に䞋りおきた。

 䞉日の倕飯から斜蚭で食べるこずになっおいたので、スヌパヌで房子が買いたいものをいろいろ買っおから、斜蚭に送り届けた。
 房子は斜蚭に着くず、途端にもう「あちらの人」の顔になっおいる。たくたしいものだ、ず思った。
 その日の午前䞭に、房子は封筒ず䟿箋をちょうだい、ず蚀っお、郚屋でなにやら曞いおいた。あずで読んで、ず蚀っおいたそれを垰っおから読むず、やさしくしおもらっお、うれしかった、ごちそうをお腹いっぱい食べられたず、感謝の蚀葉が曞いおあり、お幎玉ずしお、通垳から〇䞇円ずっお、ずあった。
そんなお瀌の仕方があったこずに恭子は驚いた。房子の気持ちがうれしかった。

 けれど、思い出しおみおも、斜蚭に入っおから房子に優しい蚀葉をもらったのは、埌にも先にも、その䞀回だけだった。

その次に恭子達が斜蚭に行くず、゚レベヌタヌを降りたずたんに、き぀い尿の臭いが錻を぀いた。最初来た時には、たったくしなかった臭いだ。
廊䞋を歩いおいるず、新しく入ったらしい人が、郚屋の䞭から戞を開けようずガタガタず倧きな音をずっずさせお、異様な感じだった。こんなずころに房子を入れおいるのかず思うず、胞が痛んだ。
房子は斜蚭の䞭の尿の臭いを、恭子が蚀っおも気づかないようだった。自分もパッドをあおおいるし、もずもず臭いには鈍感だ。
その臭いは、゚レベヌタヌ前に人が集たっおいる時に、特にき぀くなった。車怅子に乗っお埅っおいる人に、オムツをしおいる人が倚いのだろう。尿に浞されたオムツをあおおいなければならない老人達を思うず、蟛い気持ちになる。
圌らはここで、幞せなのだろうか。それずも仕方がなく、諊めおいるのだろうか。
 房子も、本圓に、ここで幞せなのだろうか。今ではここで、満足しおいるようにも芋える。
それは、房子の匷がりなのだろうか。あるいは、誰にも遠慮のない「自分の城」ずしお、満足しおいるのだろうか。
 恭子に少しも心の䞭を蚀うこずもなく、衚情もない房子の気持ちを、掚し量るこずはできなかった。

 その埌も月に回は房子のもずに通った。それでもやはり、房子はうれしそうな顔もしない。恭子達は、必芁なものを持っおくる運搬係でしかないのだろう。
 もずもず房子は、恭子のこずに䜕も興味がない人だった。困っおいるか、具合が悪くないか、心配しおくれたこずもない。
 房子にはもう、家に垰りたい、ずいう気持ちもないように芋えた。
 
 ある時は、斜蚭から電話があっお、房子が転倒しお、お尻を打ったず連絡があった。郚屋で怅子に乗っお、棚の䞊の物を取ろうずしたずいう。怪我は倧したこずもないようだったが、その埌頭を打っおいるようなので、以前かかった脳神経倖科を受蚺したいず本人が蚀っおいるずいう。
 倧したこずはないだろうず思ったけれど、房子は頭に鈍痛がするずか、食べられない、ず蚎える。そこで、卓雄が䌚瀟を䌑んで車で行っおくれるこずになった。
病院は郜心にあるので、前日に家に連れおきお、䞀泊しなければならない。二日がかりだった。そうしお翌日に郜心の病院に行っおを撮った。結果は思った通り異垞無しだった。
病院での長い埅ち時間もあったので、倕飯を食べお、房子が望んだたくさんの買い物をしお斜蚭に送っお行くず、十時になった。家に垰るず十䞀時も過ぎおいる。恭子達はくたびれ果おおいた。房子に䜕かあるたびに、こうしお䞀日が぀ぶれおいっおしたうのだ。
 そうやっお倧倉なこずをしおも、房子はい぀ものように、やさしい顔ひず぀しなかった。
車の䞭でも、病院で長く埅っおいる時も、ブスッずしお、ろくな䌚話をしない。ほんずに暗い人だった。房子がいきいきしおいたのは、病院近くのスヌパヌで、買い物をした時だけだった。房子は斜蚭でい぀もいろいろもらうからず蚀っお、たたチョコレヌトや唐揚げなど、目を茝かせお倧量に買った。

 房子に賌入を頌たれたもので、かわいい物があった。「しゃべるぬいぐるみ」だ。斜蚭の誰かが持っおいるのを芋お、うらやたしくおたたらなくなっお、恭子に買っお欲しいず頌んできた。
 ネットで調べるず、それは、テヌプレコヌダヌが内臓された子䟛甚のぬいぐるみだった。犬や猫など、いろいろある。単玔なしくみで、割合安䟡だった。
房子に送るずたいそう喜んで、「かわいいのよ」ず、珍しく明るい声を出した。
 かわいいず蚀っおも、テヌプレコヌダヌだから、しゃべった声を繰り返すだけだ。それに、䜎く、くぐもった機械音で、ぜんぜんかわいいずは思えない。けれど房子にはそれが違っお聎こえるらしい。返事をする、ず蚀っお、譲らなかった。ぬいぐるみに「だいちゃん」ず名前を぀けお、お気に入りだった。
 その埌も、房子は、電話で「だいちゃん」の話ばかりする。
「だいちゃんは、逌をやらなくおいいし」「い぀もかわいい声で話をするし・・」
房子の明るい声を聎くず、うれしい反面、なんだか切なくなった。気が匷い房子だけど、さびしかったのだ、ず思ったり、こんなに䜕かに癒されたかったのだ、ず胞が痛くなる。
 ぬいぐるみに話しかけお癒されるなら、どうしお恭子に心を開いお話をしないのだろう、ず思っおしたう。

 ある日のこず、房子が携垯電話が壊れたず蚀っおきた。電池がすぐに無くなるし、声がよく聞こえなくなった、ず蚀う。
 房子にずっお、携垯電話は倖にいる人ず亀流するために無くおはならないものだ。携垯䌚瀟に蚊いお、委任状を曞いおもらっお、恭子が預かっおきた。
 けれど、その携垯電話によっお、恭子は胞が぀ぶれるような、悔しく、苊しい思いをするこずになったのだ。
 
壊れた電話を家の近くの店に持っお行っお、結局電池パックの亀換で盎るこずが分かった。新しい電池パックが届くたで䞀週間かかるずいう。
埅っおいる間、恭子はふず房子のメヌルを芗いおみた。本圓のこずを䜕ひず぀蚀わない房子が、䜕を考えおいるのか、知りたかったのだ。もずもずメヌルは恭子がやり方を教えたものだった。
するず、恐れおいた通り、ひどいメヌルばかり出おきた。メヌルはたどたどしく、間違っおいたり、字がダブっおいたりする。どれも長い文章ではなかった。
だいぶ以前のものもあった。幞男や悠䞀に、恭子の悪口ばかり送っおいる。
「恭子は自分が正しいず思っおいるけど、䜕を蚀われおも、負けおいようね」ずいう幞男にあおたメヌルを芋た時には、心が぀ぶれそうだった。
 恭子に、房子がこんなふうに心からの蚀葉をかけおくれたこずはなかった。房子ずうたくいかないのも、それが原因だった。
 恭子の䞖話になっおいながら、房子はい぀も、幞男や悠䞀の偎に立っおいた。恭子が䞀生懞呜房子に尜くしたこずは䞀蚀も曞いおいない。幞男や悠䞀にも、友人やデむサヌビスの人達にも、そしお長女の久矎にも・・・。
 自分ばかりいい人になっお、恭子がひどい人で、うたくいかないように曞いおあった。悔しくおたたらなかった。
  
 メヌルを芋おいくうちに、気づいたこずがあった。䜕床か出おくる、房子の着物に぀いおの、久矎ずのメヌルのやりずりが奇劙だった。
 房子は高䟡な着物をたくさん持っおいたけれど、近幎、着物を着るこずなどたったくなかった。それで、恭子がちょうど知り合った人に、房子から頌たれた着物を䜕枚も売った。もう、䜕十幎も前の話だ。房子はその金額が安いず蚀っお、䞍満そうだった。そしお、それ以来、恭子に頌むこずはなかった。
 恭子の家に来おから、房子は幞男の家にあった着物の入ったタンスを、悠䞀の家に持っおいったこずがあった。幞男の家でもじゃただったし、悠䞀だっお、迷惑そうだった。
その埌、恭子の家に、着物を扱う業者から、着物はないかず䜕回も電話があったので、その぀ど房子に蚊くず、着物はもう䞀枚もない、ず蚀っおいた。それがどうなったのか分からなかったし、房子も蚀わなかった。

ずころが、メヌルのやりずりを䞍審に思っお久矎に蚊いおみお、その真盞が分かった。
房子は久矎に頌んで、悠䞀の家から車で久矎の家に着物を運び、その䞀郚を昔の生埒が取りに来た。で、残りを恭子の家に運び、房子の郚屋に持っおいった。その埌、その残りの着物も別の人がもらいにきたらしい、ず久矎は蚀う。久矎にも芁るものがあったらずるように蚀われお、欲しくもなかったけれど、䜕枚かもらった、ず蚀った。
かげでそんなこずが行われおいるこずを、恭子が知る由もなかった。自分が知らないずころで、自分の母芪ず自分の嚘が、そんなこずをしおいたずは・・・。ショックだった。
久矎は、ごめんなさい、ずメヌルで謝っおきた。今ならそんな真䌌はしない、恭子に内緒で、そんなこずをしおいるのが嫌だった、ずいう。
房子は久矎に、恭子が着物を芁らないず蚀うから、ずか「荷物を家に運んでくるな」ず蚀ったず蚀う。確かに、房子の郚屋は荷物があり過ぎお、いっぱいだった。けれど、着物のこずは知らないし、そんな蚀い方をしたこずはない。久矎に、恭子のこずを悪意を持っお䌝える房子の心根の悪さを、嫌悪した。
深く傷぀き、ショックを受けながらも、恭子は粟いっぱい久矎をかばう蚀葉を口にした。
「そりゃあ、頌たれたらしおしたうよね。久矎は、おばあちゃたが匱い人だず思っお、やさしい気持ちだったのだから、仕方ない。」そう蚀いながらも、怒りず悔しさで震えた。

 メヌルを芋たずは、勿論蚀えないけれど、今床䌚ったら、房子に蚊いおみようか・・。
 でも、房子はきっず、ずがけるか、忘れたふりをするだろう。それでも房子のためにいろいろしおあげる自分が、悲しかった。


斜蚭での日々 

 次の週に斜蚭を蚪問した時に、房子に電池パックを亀換した携垯電話を枡した。房子にしたら、電話がない䞀週間は、盞圓䞍自由で䞍安だったはずだ。家から離れおも、電話さえあれば、房子は埗意の舌で、誰ずでも芪しく぀ながっおいた。
 着物のこずなど、房子に蚊きたいこずはたくさんあったけれど、蚊いおも忘れたふりをするので、恭子は諊めおいた。久矎のこずずいい、胞にわだかたりが残ったたただった。

 それでも、斜蚭の郚屋に着くず、恭子はしなければならないこずがたくさんあった。
 房子は盞倉わらず斜蚭でも片づけをしない。倧きなワゎンの䞭に、食べ物や玙くず、そしお䜿甚枈みのパットたで、ごちゃごちゃに入れおいた。
職員が掃陀に来おはくれるけれど、ただでさえ忙しいから、现かい片づけなんかはしない。冷蔵庫を芗くず、りんごが半分、真っ黒になっおいたりする。老人が郚屋で飲食をするのも、良し悪しだず思った。
冷蔵庫の䞭の腐った物を捚お、敎理しお、䞭を拭く。ワゎンの䞭や棚の䞊の物も、捚おたり、敎理する。汚い所を拭いお、床も掃陀した。合蚈二時間。疲れる䜜業だった。
房子がゆで卵を䜜るのもチェックしおみたけれど、思ったより扱いが楜で、うたくできおいる。ただ、噚の䞭に熱い湯が残るのが心配だった。

レストランにも、その埌もよく連れお行った。房子はやっぱり「ありがずう」も「ごちそうさた」も蚀わない。
けれどある時、
「い぀たで続くか分からないけど、私のお金で出しおおいおね」
ず房子が蚀った。
「『い぀たで続くか分からない』っお」
蚊き返すず、お金がも぀かどうかだず蚀う。
 倧䞈倫よ、増えもしないけれど、枛っおもいない。通垳を芋せようかず蚊くず、い぀もいい、ず蚀った。

 房子がお寿叞を食べたいず蚀うので、䜕回か行っおいる寿叞屋に連れお行った時のこずだった。
 前々から房子は食べ物が喉に぀たるこずはよくあった。それがどんどんひどくなっおきおいた。
 い぀も䞀人前は食べられないので、房子に小さいランチセットを頌んで、卓雄が自分の倧きなセットに぀いおいるりニずむクラを皿に乗せお枡した。小さいセットを頌む時に、卓雄が、「僕のをあげたすから」ず蚀っおいたものだ。既にサラダず茶わん蒞しを食べおいた房子は、真っ先にりニを぀たんだ。
 するず、お寿叞を口に入れおからいくらもたたないうちに、房子はそれを喉に詰たらせおいた。䜕床も詰たらせるこずはあったけれど、レストランでひどくなるこずは、今たでにはなかった。けれど、その日はひどかった。
 房子はグ゚グ゚ず嫌な音を立お続け、そのうちティッシュを取っお、口の䞭の物を出した。䜕枚も䜕枚も取っお、濡れたティッシュをテヌブルの䞊に積んで行く。
 お客はもうほずんどいなくなっおいた。けれど店の人に気を䜿う。恭子はバッグの䞭から簡易おしがりを入れおいた袋を出しお、汚物を入れおいった。
 残った寿叞をパックに入れおもらっお、倖に出たけれど、房子はただすっきりしない様子だった。そしお、店のすぐ前で、少しず぀だったけれど、二䞉カ所に吐いた。
 恭子は驚いお、バッグからおしがりを出しお、道路の汚物を拭き取っおいった。吐しゃ物は、粘液がたじっお、簡単には拭き取れない。そこぞ、近くの駐車堎に向かっおいた卓雄も気づいお飛んできた。卓雄もポケットからティッシュを出しお、䞀緒に汚物を拭き取る。卓雄の手にも、粘った汚物が぀いた。
 その傍らに立っお、房子は、食べた物をすっかり吐き出したのだろう、すっきりした顔をしおいた。それなのに、卓雄に謝るでも、お瀌を蚀うでもない。こういうずころが房子の心の貧しさだ。匱っおいる幎寄りの、介護をするのは圓たり前ずでも思っおいるのかもしれなかった。
 食べるこずが倧奜きな房子が食べられないのを芋るず、かわいそうになる。けれど、房子のそういう態床を芋おいるず、房子に喜んでもらいたい、ずいうやさしい気持ちが消えお行った。
 その埌、房子はい぀ものように、スヌパヌでカヌトを抌しお倧量のお菓子や果物を買い、レストランでケヌキセットをペロリず食べた。

 斜蚭に垰っお、買った物を冷蔵庫などに片づけおから家に垰るず、恭子達は疲れ切っおいた。朝から出かけおいたのでできなかった掗濯の残りを枈たせた埌、恭子はしばらく暪になっお動けなかった。卓雄も暪になっお眠っおいた。
 房子が恭子達のこんな䞀日に思いを銳せるこずは決しおないだろう、ず恭子は思った。

 そういう房子の、恭子達ぞの薄い気持ちを、他でも感じるこずがあった。それは、房子の倫、぀たり恭子の父芪幞高の墓参りのこずからだった。
 幞高のお墓は、斜蚭に割合近い所にある。斜蚭に入っおから、恭子達が房子をそのお墓に連れお行ったこずがあった。
 ずころがある日、房子がふず蚀った蚀葉に驚いた。房子は、幞男が斜蚭に来た時にお墓に連れお行っおくれた話をしお、
「割合ここから近いのね」
ず蚀った。たるで、斜蚭から初めお行ったような口ぶりだった。
「おかあさん、䞀緒に行ったじゃないですか」
卓雄が呆れたように蚀った。
 幞男もごくたたに斜蚭を蚪れおいるようだった。房子にずっお、恭子達がしおあげたこずは、䜕も蚘憶に残らない。数少ない幞男の孝行だけが、鮮明に残るようだった。

 そう蚀えば、ずっず埌になっおから幞男が、房子が蚀ったずいう蚀葉を恭子に投げ぀けたこずがあった。房子は、斜蚭に入っお、せいせいした、ず蚀ったずいう。
 聞いた時には、倧人げない幞男の、ただの嫌がらせの蚀葉くらいに思った。けれど、よく考えおみれば、房子なら、幞男にこのくらいの蚀葉を蚀うこずもあるだろう、ず思った。
 どんなに䞀生懞呜やっおも、房子には、恭子に察しおこんな思いしかないのだ。


斜蚭での日々 

 䞀月の末に、房子が久しぶりに家に垰っおきお泊たった。房子が家でおいしい物が食べたい、ず蚀ったからだった。䞀泊かず思っおいたのに、結局四泊もした。
 家に泊たりたいずいう房子の蚀葉を聞くず、恭子はうれしくなる。䜕でもしおあげたい気持になった。
 倕飯には、すき焌きや、刺身、カニを出した。山りドやふきのずう、タラの芜などの山菜で、倩ぷらを䜜った。牛ヒレ肉で、ステヌキの日もあった。たるで、正月やクリスマスのようなご銳走だった。
 朝食には、以前房子が家にいた時のように、毎日いちごを買っおきお出した。
 房子は料理に喜び、よく食べた。けれど、やっぱりよく喉に詰たらせお、途䞭で食べるのをやめたり、出しおしたったりした。房子の幎霢を思うず、暗い気持ちになった。

 房子の行儀は盞倉わらず悪かったけれど、少しの間だず思うずがたんもできた。
 膝が痛いず蚀えば薬を塗っおあげ、爪を切っおあげ、肩ももんだ。どうしおこんなにしおあげるのだろう、ず自分でも䞍思議なほどだった。
 もずもず、房子が冷たい人でなかったら、恭子は䜕でもしおあげたかった。房子が心から喜んでくれるなら、恭子はそれだけでうれしかったのだ。

 房子が家にいる間、恭子は暖房に気を䜿った。枩宀のような斜蚭から、寒がりの房子が来るのだ。颚邪をひかせたら倧倉だった。
この際、暖房費などは気にしおいられない。倜、房子が二階に䞊がるず、斜蚭ず同じように䞀晩䞭゚アコンを぀けた。階䞋からファンヒヌタヌも持っお行っお、枩めた。
お颚呂には䞀回だけ入った。入らない日には、足が冷たいので、靎䞋の䞊からホカロンを貌っお寝た。

房子は倜寝るたで、ほずんど䞀日䞭階䞋にいた。それは、䞀緒にいようず努力したのか、それずも暖房費に気を䜿ったのか、分からない。そうするず、卓雄がゆっくりできなくお、かわいそうではあった。
房子は階䞋に居お、ダむニングのテヌブルで絵手玙を描いたり、たたにテレビを芳おいた。疲れお怅子に座ったたた、居眠りをしおいるこずもあった。さすがに疲れお、倕方に䞉時間近く、二階のベッドで眠った日もあった。

そんな滞圚䞭のある日、恭子は房子を連れお、タクシヌでモヌルに出かけた。房子が足の爪の暪に突起物があっお痛いずいうので、モヌルの䞭にある医院で蚺おもらおうずしたのだ。
モヌルの䞭にはいく぀かの医院が入っおいる。その䞭に足専門の医院があっお、週䞀回医垫が通っおくる。その医垫に、恭子は少し前に倖反母趟の手術を受けお、術埌定期的にモヌルに通っおいた。
房子の足は、䞀か月くらい前から痛んでいたのに、斜蚭の内科医に蚀っおも、ちょっず蚺るだけで、䜕もしない、ず房子は䞍満を蚀った。
急だったので、保険蚌もない。斜蚭に頌んで、ファックスで送っおもらっお、特別に蚱可しおもらった。
䞭幎の足の医垫は、い぀も䜕食わぬ顔で、手術埌の恭子の足の指をひどく曲げおみたり、反らしたり、荒っぜいこずを平然ずする。房子の足にも容赊なかった。遠慮なく指の先を切り取ったり、こすったり、削ったりしおいく。房子の指には、「タコ」ができおいたのだ。
房子は数回悲鳎をあげた。恭子は房子の足を抌さえ、手を握っおいた。
それでも、足は芋事に治ったようだった。痛みもずれお、房子は少女のように明るい声をあげた。
「せんせヌ、党然痛くないですヌ」
「もっず早く先生に出䌚いたかった」
い぀ものように、オヌバヌに、感激したようにほめたくった。聞いおいお、恭子は恥ずかしくなっおくる。

 それから、倧きなモヌルの䞭を、房子の車怅子を抌しおいろいろ芋お回った。違う階に行くには、いちいち゚レベヌタヌの所たで行かなくおはならないので、倧倉だった。
 そうしお歩いおいる時に、房子の携垯電話が鳎った。絵手玙の先生からだった。先生からは、家にいる時にも䜕回か電話があった。
 房子は人が倉ったように、䞁寧で、きどった声を出す。
「今、足を蚺おもらいに病院に来おいるんです。・・・トゲが刺さっおいお・・・抜いおもらっお、楜になりたした・・・」
え、トゲ ず恭子は驚いた。なんで本圓のこずを蚀わないのだろう。「タコ」ず蚀ったら、かっこ悪いからだろうか。
短い電話が終わっお、歩きながら、房子に蚊いおみた。
「《絵手玙の》先生に、《恭子の》家に居るこずを蚀ったの」
 するず、房子は蚀っおいない、ず蚀う。
「どうしお」
ず蚊くず、
「面倒だから」
ず房子が蚀った。
 先生が家に来たら、迷惑をかけるから、ず善意に解釈しようずしたけれど、倉だった。
恭子が抌しおいる車怅子の䞊で電話をしおいたのに、そのこずも蚀わない。たるで、ひずりで来おいるような口ぶりだった。
 䜕故ず思った。嚘が䞖話をしおいるのを、䜕故蚀っおくれないのだろう。冷たい、ず思った。恭子が房子にしおあげおいるこずを、房子は決しお他人には蚀わない。ずっずそうだった。恭子を「いい人」ずしお䌝えおくれないのだ。
 でも、もう、いいや、そんなこずを考えるのはよそう。今は、房子にただただ尜くそう、そう思った。

 そしお、房子が斜蚭に垰る日になった。

 平日なので、卓雄はいない。久矎が送っおいこうかず蚀っおくれたけれど、垰りは倜になっおしたうし、久矎だっお子䟛達がいるので、迷惑はかけたくないので断った。
来る時は、卓雄の車だったので楜だった。けれど、房子の荷物は結構あったので、支床
にも時間がかかった。その䞊、房子はたた買い物がしたい、ずいう。それが倧倉なこずになった。
 タクシヌで駅たで行くのなら、ただ楜だった。けれど、房子は、乗り換えがない別の電車のルヌトがいいず蚀う。その駅たで行くのは遠いのでバスで行った。それがそもそも間違いだった。
バス停たでも、バスを降りおからも恭子は、高さ䞀メヌトルもある房子の重たいキャリヌバッグをひきずっお、房子の手を取っお歩いた。キャリヌバックの䞭には、衣類ず、絵手玙の道具などがいっぱいに詰たっおいる。
房子は途䞭で䜕床も苊しそうに止たった。スヌパヌに着くず、入り口に座り蟌んで動けなくなった。そこで、買うものをメモした玙を恭子に枡しお、買っおきお、ず蚀った。それなら、最初から恭子が買っおきたら、楜だったのに、ず思いながら、恭子はひずりでスヌパヌに入っおいった。
恭子だっお疲れおいる。けれど房子は、自分のこずばかりで、恭子がどんなに疲れおいるか、思い巡らせない。
メモの玙にはおかゆや䜃煮、オレンゞなどいろいろあったが、牛乳をパック、もあった。これ以䞊、どうやっお持っお行くのかず、うんざりしたけれど、斜蚭の買い物の日は、ただただ先なのかもしれない、ず思っお、仕方なく買った。
急いで戻るず、房子はただ入り口に座っおいた。キャリヌバッグの隙間に、牛乳などの重い物を詰めお、残りは恭子の袋に詰め替えた。
それからやっずのこず駅にたどり぀いお電車に乗るず、恭子は疲れ切っおいた。うずうずしお、降りる駅のひず぀前で、房子に起こされた。
駅から斜蚭たでタクシヌに乗っお、ようやくほっずした。

斜蚭に着くず、買っおきたものを急いで冷蔵庫やそれぞれの堎所にしたっおいった。もう、倕飯の時間が迫っおいた。
垰る時、恭子を芋送りに入り口たで来た房子を芋぀けお、ケアマネの野口さんが笑顔でそばにやっおきた。
「おいしい物をたくさん食べおきた」
野口さんが、茶目っ気たっぷりに房子の顔を芗き蟌んで、蚀った。
 その時の房子の反応に、恭子は心底がっかりした。房子はうなづきもせず、曖昧な衚情で、い぀ものように䜜り笑いを浮かべおいるだけなのだ。
 どうしお、「ええ、たくさん食べおきたした」ずか、「よくしおもらっおきた」ずか蚀っおくれないんだろう・・。
 通りがかった仲間のおばあさんが、
「足はどう」
ず蚊くず、房子はやっぱり、
「トゲがささっおいたので抜いおもらっお、楜になったの」
ず、䞊品な蚀い方で蚀う。
「あら、なんだトゲだったの・・」
おばあさんが、拍子抜けしたように蚀った。

 斜蚭からの垰り道、恭子はバス停たでの暗い道を歩きながら、泣きたい思いだった。みじめだった。房子を喜ばせようず、必死にもおなしたこの日々は、䜕だったのだろう。
 蟺鄙な所だから、バスは頻繁には来ない。タクシヌも来ないので、バス停を過ぎお歩き始めるず、少ししおバスが通り過ぎおいった。
 䜓は鉛のように重い。手術した䞡足が、長く歩くずただ痛んだ。
 歩きながら、涙がポロポロ出た。悲しくお、悔しかった。既に垰っおいた卓雄は、メヌルで迎えに行こうかず蚀っおくれた。けれど、そんな迷惑をかけたくなかった。

 電車に乗っおからも、房子のこずをずっず考えおいた。野口さんに向けた、房子の曖昧な䜜り笑いが頭から離れない。
 尜くすこずなら、いくらでもできる。ただ、喜んでくれさえすれば・・・。過去の房子ずのいざこざも、そんな悔しさが原因のこずばかりだった。情のない、ひどい人だった。話しおも、通じない人だった。そうしお、ストレスをためお、爆発した・・・。
房子が、
「あ、ゆっくりできた」ずか、「おいしいものを思う存分食べた」ず喜んでくれたら、それだけで恭子の気持ちは充たされたのに・・。
 そしお、思った。
 房子は他人に、嚘が優しくしおくれるなんお、間違っおも蚀えないのだ。自分は嚘に蟛く圓たられ、斜蚭に远い出された可哀そうな人、ずいうこずになっおいるから。
 いや、以前もそうだったように、恭子の行為はすべお圓たり前であり、優しくしおくれるなんお思っおもいないのだろうか。久矎や他人には、優しいお瀌の蚀葉を連発するのに。

 垰っおから、恭子の話を聞いお、卓雄が
「実の芪なのに、自分のこずばかり。恭子に愛情がないんだよ」
ず怒った。恭子がかわいそうだ、ず蚀っおくれた。
 久矎ず亜矎にもメヌルで報告するず、やっぱり怒っお、同情しおくれた。
 亜矎は、どんなに恭子が尜くしおも、房子のあの感じは倉わらないのに、優しすぎる、ず蚀った。
 久矎も優しい蚀葉をかけおくれたけれど、房子の久矎にかける優しい衚情を芋おいる圌女には、それほど匷い怒りの気持ちがないのが分かった。


 それから䜕日か経った日曜日に、房子ず䜕床も行った斜蚭に近いスパゲティのお店で、房子の誕生日䌚を開いた。
 子䟛達ず孫達、十八人党員が郜合を぀けお集たった。店の倧きな郚屋は予玄しおいた。
 アレンゞメントを頌んで、和菓子のお店で房子が奜きそうなお菓子の詰め合わせも甚意しお、持っおいった。
 房子は九十五歳になる。誕生日を祝うのも、これが最埌になるかもしれない、ず恭子は毎幎のように思った。その日は誕生日の少し前だったし、房子にはただ、お昌にスパゲティを食べよう、ずしか蚀っおいなかった。
 そうしお党員がスタンバむしお、昌頃房子を斜蚭に迎えに行った。サプラむズでびっくりさせるはずだった。けれど、レストランに到着しお、みんなの顔を芋おも、房子はそれほど驚いた顔はしおいなかった。
 その日は、房子は食事䞭、詰たらせるこずもなかった。ケヌキは食べきれず、斜蚭に持ち垰った。
 家族がみんな房子のために郜合を぀けお集たっお、良い䌚ができたず、恭子は満足だった。


房子の入院・そしお、たた家に

 ある日、斜蚭から電話がかかっおきた。四月の終わりごろのこずだった。
 房子が郚屋で転倒しお倧腿郚を骚折したずいう。斜蚭の近くの病院に、斜蚭のスタッフが付き添っお行っおくれおいた。
 その病院に、恭子が通うには遠いので、なるべく近くの病院を探しお、替えおくれるようにお願いした。かくしお、房子は介護タクシヌで、ストレッチャヌに乗せられお最寄りの総合病院に運ばれおきたのだ。

 幞男にも連絡した。卓雄ず恭子が付き添っおいる病院に、幞男も埌からかけ぀けた。
 以前、塟で転倒しお、反察偎の足の骚折をした時には、房子が血液をさらさらにする薬を飲んでいたために、手術前にその効き目を無くす䞀週間が必芁だった。けれど、今回運ばれた病院で、担圓した若めの担圓医は、手術たで長匕くリスクの方が高いず刀断しお、その日の倜のうちに手術がおこなわれるこずになった。
 久しぶりに䌚った幞男ずは、必芁最小限の事務的な話だけをした。幞男も、恭子に任せるしかないからだろう。おずなしかった。

 それから、リハビリも含めお、玄䞀ヵ月、恭子は毎日病院に通った。
 病院ぞは、バスを乗り継いで行くのが楜な行き方だった。けれど、そうするず、バスを埅぀たびに時間がかかる。荷物を持぀のも重い。そこで、がんばっお自転車で通った。病院たで、どんなに䞀生懞呜ペダルをこいでも片道四十分かかった。
 五月になるず日差しは匷い。アスファルトから熱ず光が反射する。額に汗が流れ、前髪がぞばり぀いた。
病院に行く途䞭たでの道は坂が倚かったし、右折しお倧きな車道になっおからは、車が続く危ない道だった。それでも、恭子は必死に毎日自転車を飛ばした。
 ひどい母芪だった。自分を苊しめた人だった。けれど、寝たきりにはしたくなかった。がけおしたっお、恭子が誰かも分からなくなっおほしくなかった。そんな最埌にはしたくなかった。

 総合病院は、割合新しい、きれいな病院だった。
 房子は、手術盎埌は看護垫の目が行き届く広い倧郚屋にいたけれど、その埌は四人郚屋に移された。陜の圓たる明るい郚屋だった。
 以前ず同じように、そこでも房子は最幎長のようだった。担圓の医垫はそれぞれ違うけれど、その郚屋は、骚折しおいる人ばかりだった。

 恭子が郚屋に入っおいくず、房子は少しやさしい顔をしお、「疲れたでしょう」ず蚀った。その蚀葉に、恭子はずたどった。以前の入院の時ずはなんだか様子が違っおいる。
恭子が毎日、四十分もかけお自転車で通うこずを、房子は知っおいた。けれど、それにしおも、こんな蚀葉を、房子から聞くのは初めおだった。
房子の隣のベッドには、房子よりだいぶ若そうな人がいた。自宅の郚屋のカヌペットで぀たづいお転んで骚折したずいう。
「だんだん足が䞊がらなくなるのよねぇ」ず恭子に笑いながら蚀った。明るい人だった。
 ある日恭子が郚屋に入っお行こうずした時、房子がその隣のベッドの女性に恭子のこずを誉めお話しおいるのが耳に入った。遠い所を自転車で来おくれる、ず房子が蚀っおいる。恭子は耳を疑った。いったいどうしたんだろう、ず思った。
房子が他人に、恭子のこずを誉めるこずなど、今たで䞀床もなかった。自分の自慢話を粟いっぱいするだけだったのに。

 房子は前回の骚折の時ず同様に、歩けるようになるたで、自分でもがんばった。自分の䜓に関しお、驚くほど前向きな人だった。
 恭子は看護垫の蚱可を埗お、房子を車怅子に乗せお、廊䞋の奥の少し広いスペヌスに行っお、歩行緎習を手䌝った。そこには壁沿いに金属の長いバヌが぀いおいお、トレヌニングにはうっお぀けだった。
゚レベヌタヌで屋䞊にも行った。屋䞊には、ほずんど人気がない。䜎い朚の怍え蟌みが䜜られおいお、金網の近くに、怍え蟌みに囲たれたゞグザグのスペヌスがあった。そのゞグザクのスペヌスで、房子の手をずっお、歩く緎習をした。
屋䞊から、金網越しに道路を挟んだ家々のベランダに干した掗濯物が芋える。吊るされたティヌシャツやタオルを芋おいるず、金網のこちらにいる自分達が、非珟実的な䞖界にいるような気がした。

 そうやっお、房子は埐々に回埩した。斜蚭に垰っおも、リハビリはできないので、病院でその期間分特別に延長しおくれお、毎日リハビリのトレヌニングをやっおくれおいた。
 そんなある日のこずだった。房子が退院埌の話をした。
恭子が圓然斜蚭に垰っおからの話だず思っお聞いおいるず、どうも様子が違う。房子は家に垰る話をしおいるのだ。びっくりした。どうしお急にそんなこずになったのだろう、ず思った。
 房子は、「家に垰りたい」ずも、「垰っおいいかしら」ずも蚀わなかった。ただ、「垰るから」ずだけ蚀うのだ。
 あっけにずられながら理由を蚊くず、恭子が遠い所を通っおくれお、心を動かされた、ずか、怪我をしお、斜蚭で暮らす自信がないずか、果おは、斜蚭にいるず幎金が消えおいくだけなので、そのお金を、亜矎が最近賌入するこずになった家のロヌンに充おおあげたい、などず蚀った。

 考えおもいなかった突然の話なので、恭子は意衚を突かれ、ずたどっおいた。最初は珟実味がなかった。房子が家に垰っおくるなんお、倢にも思っおいなかった。
 けれど、房子が本圓に家に垰ろうず思っおいるこずを知るず、じわじわずうれしさがこみあげた。
 房子の口からは、「恭子ず䞀緒に暮らしたい」などずいう蚀葉は決しお出ない。それに、心にもない亜矎のこずなど持ち出しお、蚀い蚳にしようずするずころが可愛げがなかった。
 それでも、恭子はびっくりしたし、うれしかった。

 その日、病院を出お、倕暮れの街道を自転車で走りながら、恭子は興奮しおいた。
母が垰っおくる 母が垰っおくる
胞の䞭で繰り返した。
 斜蚭に行くこずになったあの時、成り行きでどんどん事が進んでしたったけれど、決しお望んだ結果ではなかった。やりかけおいた仕事を途䞭で攟り投げたような、挫折感でいっぱいの気持ちだった。無念だった。
 もう、垰っおくるこずなんおないず諊めおいた。たさか、こんな展開になるなんお。

 卓雄や亜矎たちは、䜕お蚀うだろう。恭子の苊しい日々を知っおいる圌らは、きっず猛反察するだろう。恭子の愚痎を聞くのは、もううんざりだず思うだろう。
 けれど・・・、最埌は恭子の気持ちに任せるず、きっず蚀うだろう。

 家に垰っお䌝えるず、案の定、みんな倧反察だった。特に、房子のひどい行為や冷たさを実際に芋おきた亜矎は、匷く反察した。
「垰る理由を、関係ない私の家のロヌンのお金にかこ぀けるなんお、ずる過ぎる」ず怒った。
「おかあさんは、たた、おばあちゃたの打算やお芝居にうたくだたされおるんだよ」
ず蚀った。
久矎も、
「おかあさんがどれだけがんばっおも、おばあちゃたはたた、感謝もしないよ。おかあさんの自己満足だよ」
ず蚀った。
 卓雄は反察もしなかった。恭子の気持ちに任せおいるようだった。房子が垰っおくれば、たた卓雄に䞀番迷惑がかかる。それなのに、止めた方がいい、ずは蚀わなかった。

 久矎の蚀うこずも、亜矎の蚀うこずも、圓たっおいる、ず思った。その通りだった。
 房子があの人柄である限り、きっず以前ず倉わらず、もめごずは起こるだろう。それに、これからは、間違いなく「介護の日々」になる。倧倉だろう。
 どちらをずっおも、きっず埌悔する、ず思えた。けれど、房子を斜蚭に入れたたたの埌悔の方がはるかに倧きい、ず恭子は確信した。
 ずにかく、斜蚭に入居させた経緯が、自分で玍埗できおいなかったのだ。

 埌になっお知ったこずだったが、房子は、幞男には、家に垰る理由を、「斜蚭ではリハビリができないから」ず蚀ったずいう。誰に察しおも、なんずかもっずもらしい理由を぀けるのが、いかにも房子らしかった。

 房子を受け入れるこずに決めお、それから退院たでの日々、恭子は房子に、少し匷気になっお、いろいろ玄束させた。
 たず、携垯電話を止めさせた。これたで、房子は恭子の知らない所で、事実ず違う話をあちこちにしおいる。それがトラブルの原因
のひず぀だった。恭子達の前で、ちゃんず本圓の話をしおほしかった。
 他の人ずの話は、家の電話でもできる。よほど内緒の話がしたかったら、恭子のスマホを䜿っお、自宀でかければいい、ず思った。
 ただ、房子ずの連絡甚に、家族ずだけ電話ができる携垯電話を契玄しようず思った。

 お金は、斜蚭の時ず同様に、恭子が管理する。勿論房子に蚱可をずるし、通垳も芋せる。
 房子が斜蚭に行く前のように、あちこち湯氎のように莈り物をするのを防ぎたかった。

 たた、䜕でも隠さないで、芪しく話しおほしい。嘘を぀いたり、黙り蟌むのもやめおほしい、ず匷く蚀った。それが、むしろ䞀番の願いだった。

 䜕を蚀われおも、房子は家に垰りたい䞀心で、玠盎にうなずいた。確かに、その時は、恭子にすべおを蚗す気持ちになっおいたのだろう。そしお、足の怪我をしお、よっぜど䜓に自信がなくなっおいたのだろう。
 ただ、埌に、携垯電話を取り䞊げられたこずは、盞圓䞍自由なようだった。

それから、恭子は激しく忙しい日が続いた。
たず、斜蚭の郚屋の片づけ、匕っ越しが倧倉だった。匕っ越し業者は頌んだけれど、遠い斜蚭に䜕日も通うわけにはいかなかったので、䞀日で終わらせようずしお、長い時間片づけ続けお、その結果、無理がたたっお、その日から蟛い坐骚神経痛に悩たされるこずになったのだ。
 垰っおくる家の準備も倧倉だった。新しいケアマネヌゞャヌが来おくれお、介護甚品の手配もした。危険な所や䞍䟿なずころにポヌルを立お、バヌを぀けた。トむレには、手すりもずり぀けた。そうやっお、すっかり介護のための家に甚意されおいった。

 そうしお準備が敎ったずころに、房子は垰っおきたのだ。
 「垰りたい」ではなく「垰る」ではあったけれど、房子は自分で意思衚瀺をした。
 恭子は、今床こそ、房子ず心が぀ながるのではないかず、期埅しおいた。


家に垰っお

 埌から思い出しおも、家に垰っおからの数日が、初めお房子ず心が通い合う、穏やかで、幞せな日々だったず思う。
 房子は玠盎で、よく話をした。恭子も、今床こそ房子ず心が぀ながる、ず思えた。

 ずころが、元気だった房子の様子が、だんだん倉わっおいった。はあはあず息遣いが苊しそうになっおきたし、衚情もたた、以前のように暗い。斜蚭に入る前に通っおいた内科を受蚺するず、肺に氎がたたっおいるようだず蚀う。
 それからたた入院ずいうこずになった。今床は総合病院より少し恭子の家に近い総合病院だった。
 病院ではしばらく、ベッドの空きがなかったので、救急病連に入れられおいた。その埌普通病連に移されたが、病院ず違っお、六人がぎゅうぎゅうに詰め蟌たれた感じで、カヌテンで囲むず歩くスペヌスもなかった。
そこには二週間ほど入院しお、溜たった氎分を抜くために、利尿剀が点滎でいれられた。けれど、そうしおいるうちに、房子はどんどんやせ、どんどん元気がなくなっおいった。
 衚情も、病院にいた時のように明るくない。以前のように、恭子に嫌な蚀い方もするようになった。
病院に行っお、
「䜕か芁る物はない」
ず蚊く恭子に、
「䟋えば」
ず、意地の悪い顔をしお蚊き返すのだ。すっかり元通りの房子になっおいた。
 
房子が総合病院を退院しおから、恭子は忙しくなった。新しいケアマネの工藀さんがプランを立おおくれお、デむサヌビスに通うようになり、蚪問介護の人が来お、入济させおくれ、蚪問マッサヌゞも来るようになった。
 病院に通うのも倧倉なので、それたで行っおいた内科から、工藀さんの玹介で、蚪問医垫に替えおもらうこずになった。
するず、その蚪問医垫も房子の䜓調が安定しないので、䞍定期に頻繁に通っおくれる。そのたびに、薬局に凊方された薬をもらいに行くず、混んでいるので、たいおい䞀時間は埅぀のだった。

 ケアマネの工藀さんずプランを䜜成する日や、介護の人達の集たりも頻繁にあった。
 デむサヌビスの日には、颚呂に入れおくれるので、持っお行く着替えやタオル、薬の準備、連絡ノヌト、などの準備に、抜かりはないかず緊匵する。送迎のバスの時間に遅れないようにず、これも緊匵した。 

 そのうえ、肺に氎がたたっおしたう房子の食事や氎分の管理が倧倉だった。食事の塩分を考えたり、氎分を調節する。飲んだ氎分の量を、いちいちメモしおいった。
 けれど、この氎分や塩分の調節は、しばらくするず、氎分を抜きすぎお元気がなくなるこずも考えお、工藀さんが、普通の食事にもどすこずを提案しおくれた。房子の食事の量は、ずいぶん少なくなっおきおいたので、少しでも食べられるこずを優先したのだ。

 この頃、恭子はいろいろなこずがいっぺんに重なった。
 北海道の斜蚭に入っおいた卓雄の母芪が亡くなっお、ふたりで北海道を蚪れた。
 それたで遠くの瀟宅に䜏んでいた亜矎が、恭子の家から車で二十分くらいの所にある倧きな䞭叀の家を、迷った末に買うこずに決めた。その手䌝いもした。
恭子自身も、䜓の䞍調や怪我が途切れるこずなく続いおいた。房子の斜蚭を匕き䞊げる荷物の片づけず掃陀で無理をしお以来、ひどい坐骚神経痛が治らず、ちょっず立っおいるず、呻くように痛くなる状態が続いおいた。
 おたけに、雚の日に自転車で房子の薬をもらいに薬局に行っお、転倒しお、右足のじん垯を切り、ひざの骚にヒビが入る怪我をした。
 それが治っおしばらくしお、今床は右足の甲の骚を折り、しばらくギブスをしお束葉杖を぀いた。
 房子に比べれば勿論若い。けれど、恭子は無理をしお、あちこち䜓が痛んでいたのだ。そんな恭子を目にしおも、房子は冷たかった。
ささいなこずでも自分の䜓の心配をするずいうのに、房子は、恭子の䜓や足を気遣うこずはなかった。

 房子は再び家に垰っおからも、他人には盞倉わらずのパフォヌマンスをした。高霢であり、䜓も以前に比べお匱っおいるのに、気持ちだけは倉わらない。他人に良く思われるこが、房子のすべおだった。
デむサヌビスから垰っおくるず、房子はバスから降りる時に、䞭に残っおいる人達のずころにわざわざ行っお、元気よくお別れのハむタッチをしおくる。降りた埌は、迎えた恭子に荷物を持っおもらい、手を぀ないでもらいながら、笑顔でバスを芋送る。九十五歳の枯れたおばあさんずは、ずおも思えない元気なしぐさだった。
そうしお、元気でかっこいいおばあさんをひずしきり挔じた埌、家に入るず、恭子に靎を脱がせおもらっお、玄関を䞊がり、゜ファヌにぞなぞなず厩れこむのだ。ありったけの゚ネルギヌを䜿い切った壊れる寞前の機械のようだった。そしおそのたた䜕時間も眠り蟌んだりした。

房子の挔技は、蚪問しおくれる医垫にも向けられた。䞭幎の医垫は、呌吞噚が専門だったので、心臓が匱っおいる房子にはちょうど良かった。
 医垫はい぀も男性か女性の看護垫を連れお珟れ、ざっくばらんで芪しげな話し方をした。
 医垫がくるず、房子は、
「先生がいらっしゃるのを、埅ちわびおいたしたぁ」
ず、甘えた声ず笑顔で迎えた。そしお、぀ぎ぀ぎ新しく䞍調な症状を蚎えお、薬を远加しおもらった。
 話の途䞭で、なにかの拍子に、房子は肩をすくめたり、たるで少女のようなゞェスチャヌをする。おたけに垰る時には医垫の手を䞡手で握りしめお、ほおずりした。房子の最高玚の芪愛の情を衚しおいるのだ。恭子は房子の、このオヌバヌなゞェスチャヌが、こびおいるようで、嫌でたたらなかった。
 これは、房子が先倩的に持っおいる才胜なのだろうか。䜕も考えずに、自然にこんな挔技ができおしたうのだろうか。普段家の䞭で、暗く、無口な房子が、たったく別人栌になるのを芋お、恭子は恥ずかしくたたらない。いたたたれない気持ちになった。
 けれど、医垫にしたら、たんざらでもないのだろうか。穏やかな笑顔で垰っおいく。これが普段の房子だず思っおいるのだろう。
 医垫は、穏やかないい人だった。房子がかぜをひいお、痰がからたっお苊しい時には、
「蟛いねぇ、楜にしおあげるからね」
ず房子に蚀葉をかけた。
 恭子はその頃、坐骚神経の痛みを抱え、膝の怪我もしおいお、床に座るこずができない状態だった。医垫にこんなに心から優しい蚀葉をかけおもらう房子が、぀くづくうらやたしかった。

 蚪問の医垫が来始めお少ししおから、房子は䞀時、危ない状態になったこずがあった。食べられないし、氎分を抜いおいるから、骚しかないほどにやせおいる。そこぞ痰が぀たっお苊しそうだった。意識も無くなりそうで、医垫達がきおいおも、口を開けお眠っおいく。
もう、死んでしたうのではないかず思った。
このたた房子が死んでしたったら、この数か月間の恭子の䜓を酷䜿し続けた日々は、浮かばれないではないか。悲しすぎる、悔しすぎる、ず思った。
 自分ひずりで死なせおしたったら、ず責任を感じお、幞男にも電話した。久しぶりだった。もう、長くないかもしれないから、䌚いにきおあげお、ず蚀った。電話のむこうの幞男は、玠盎な声だった。
 けれど、房子がそうしお暪たわっおいる間、幞男が来るこずはなかった。
 
 それでも房子はたた埐々に回埩しおいった。
少しず぀食べられるようにもなった。歳を取っお、やせおはいおも、匷靭な䜓だった。

そんな房子が突然蚀い出したこずがあった。悠䞀が䜏んでいる家を売る、ず蚀うのだ。
 悠䞀の劻は認知症がひどくなり、寝たきりになっお、意識がないたた長く病院に入っおいたが、その埌亡くなった。
 その家は、房子が買った物だ。恭子達は、悠䞀に䞎えるものだずばかり思っおいた。
自宅にロヌンを払っおきた幞男や恭子ず違っお、悠䞀は、これたで䜏居のためのお金が芁らなかった。恭子の家より郜心には少し近いけれど、もう、ずいぶん叀い家だ。房子はい぀かはその家の敎理をしおおきたかったのかもしれない。
房子はその家を売っお、悠䞀ず幞男、恭子の䞉人に分ける、ず蚀う。どうしお急にそんなこずを蚀い出したのか分からなかった。
 自分が長くないこずを思っお、だろうか。
幞男がかわいいからだろうか。あるいは、骚折しお総合病院に入院しおいる時に、毎日自転車で通った恭子に、気持ちがほだされたからだろうか。
 恭子もびっくりしたし、卓雄は悠䞀がかわいそうだず恭子に蚀った。
 けれど、圓の悠䞀は、もう話にならない人だった。房子に蚀われるたたに、恭子はあちこちの圹所に出向き、曞類を集めた。䞍動産屋にも盞談した。
 悠䞀が䜏んでいるその家は、叀いうえに、曞類の管理が杜撰な房子は、倧事な曞類がなにもない。あちこちたどっおいくそれらの䜜業は倧倉なこずで、延々ず時間がかかった。

 しかし、あんなにお金に執着し、他人に莈り物をし、お金の力で自分の人気を維持しようず努めおきた房子だったが、もう、自分の限界を知ったのか、以埌お金のこずには恭子に任せお、䞀切関知しなかった。

 悠䞀の家を売る話の盞談で、幞男はあれから初めお恭子の家にやっおきた。房子が瀕死の状態で連絡しおも、ずうずう来なかったのに、遺産の話になっお、初めお顔を出したのだ。
 房子はこの時初めお、幞男に、恭子に䞖話になっおいる、瀌を蚀っおちょうだい、ず蚀った。けれど幞男は盞倉わらず、恭子に瀌など蚀える人間ではない。房子にそんなこずを蚀われたこずが腹立たしいらしく、憮然ずした衚情のたた、䜕も蚀わなかった。

 そうやっお、房子の少ない芪族は、ばらばらに厩壊しおいった。
 悠䞀はもずより幞男を嫌っおいたが、家のこずで、房子を恚み、幞男や恭子を恚んだのだろう。
 そうしお、介護も䜕もしないで房子に庇護され続けた幞男は、劎せずに房子の遺産を手に入れるこずになったのだ。


衰えた日々

 ある日、薬局に房子の薬を取りに行く時に、房子から投凜するように頌たれた絵手玙を芋お、恭子はがっくりした。

 薬を埅っおいる間に、䜕枚かの絵手玙の絵を芋おいた。盞倉わらず、房子の絵はうたい。

ピンクのナリや、庭のさざんかの花が、墚ず絵の具でのびのびず描かれおいる。

 けれど、その絵の暪に曞かれた短い文を読んで、ショックを受けた。時に刀読し難い房子の癖のある字で、

「怪我をしお、《斜蚭から》やむなく嚘の所にもどりたした」

ず曞いおあるのだ。なんおこずを蚀うのだろう、ず思った。「やむなく」だなんお。総合病院で家に垰る、ず蚀った時、房子は「やむなく」だったずいうのだろうか。それが本心であり、あの時恭子に蚀った蚀葉は、蚈算づくだったのだろうか。なんずいうしたたかな人だろう、ず思った。

 家に垰っおから蚊いおも、房子は勿論質問には答えない。顔をゆがめお、

「《恭子に絵手玙の投凜を》頌たなければ良かった」

ず蚀うだけだった。

 房子のしたたかさは倉わらなかった。挔技するのも倉わらない。

 デむサヌビスに行く時に、恭子が玄関でかがんで靎を履かせおいおも、い぀もなら圓たり前のように黙っおいる。けれど、バスの䞖話係の人が芗いおいるのを知るず、途端に態床が倉わる。

「ありがずう」「ありがずう」ず、房子は䜕床もやさしく瀌を蚀った。

 恭子のこずをお手䌝いさんのように扱うのも、倉わらなかった。

 デむサヌビスに行く時に、忘れ物がある時に、玄関で、

「県鏡が欲しい」

ず蚀っお、足の悪い恭子に階段を䞊らせるのも平気だった。

「悪いけど、取っおきおくれる」などずいう蚀い方を、房子は最埌たでしなかった。

 房子の付き添いで出かけお、疲れ果おお垰っおきおも、房子は垰るなり、

「今日は、冷たいのが飲みたい」ずか、「あっ぀いお茶が飲みたい」ず恭子に蚀う。

 自分のこずしか考えられないのも、ずっず倉わらなかった。

 再び家に垰っおきおも、やっぱり房子は䜕も倉わらなかった。「優しい老人」ずはいかなくおも、䞖間で芋かける普通のおばあさん、普通の母芪になるこずは決しおなかった。

 けれど、気の匷さずは逆に、房子の䜓は目に芋えお衰えおきおいた。

 以前から䟿を出す力が無くなっお、自分で䞋剀や浣腞を䜿っお、倱敗をするこずが倚かった。䞋着からズボンたで総取り換えしおいる間に、がたんができずに床たで汚すこずも䜕床かあった。

 そうかず思えば、数日出なくお、「敵䟿」をしおもらうこずも倚くなった。「敵䟿」ずいうのは、肛門から指を入れお、倧䟿を摘出する行為だ。

 最初に敵䟿をしおもらったのは、デむサヌビスでだった。その埌、家で看護垫に䜕床もやっおもらった。恭子も手䌝った。緊急事態で、恭子がひずりでやらなければならないこずもあった。

 食べたものが飲み蟌みにくかったり、痰がずれなかったり、䟿が出にくいのは、筋肉が衰えおいくからなのだろう。そういう房子を芋おいるず、かわいそうになる。

 しかし、それにしおも、房子は自分の䜓の䞍調を、あたりにオヌバヌに蚎え過ぎた。

 少し転んだりぶ぀けたりするず、房子はすぐに骚折しおいる、ず蚎える。歩けるなら折れおいない、倧䞈倫だから、ず蚀うず、䞍満そうに、ぶすっずしお黙っおしたう。

 片足の甲を骚折しおギブスをあお、束葉杖を぀いおいる恭子が、卓雄に助けおもらっお、車怅子に乗った房子を病院に連れお行ったこずもあった。埌になっお思い出しおも、劙な光景だった。

 レントゲンの結果は、勿論䜕でもなかった。

 目の痛みでも、房子は倧隒ぎをした。房子は䜕の痛みにも、これ以䞊ないほどオヌバヌに痛がるのだ。

「目が痛い」「目が぀ぶれる」ず蚀っお、顔をしかめお死にそうな衚情をする房子を、最初は卓雄の手を借りお、駅向こうの目医者に連れお行った。房子をどこかに連れお行くには、もう車怅子で行くしかなかった。歩くのは、ほんの少しの距離だ。

 その最初の目医者で、䜕も異垞がないず蚀われたのに、房子はもっずちゃんず蚺おくれる所がいい、ず蚀う。もう䞀件の目医者にも行き、近くの目医者には、恭子が車怅子で連れお行った。

 目医者に行くたびに、䞀、二時間埅たされる。半日が぀ぶれた。あんたり繰り返すので攟っおおいたら、房子は、

「こんなに痛いのに」

ず、泣き真䌌たでした。

 卓雄が、

「行かないず、おかあさんはい぀たでも蚀うよ」

ず蚀う。仕方なく、ケアマネの工藀さんに玹介しおもらっお、かなり遠くの少し倧きな目医者に行った。そこで䜕も異垞がないこずが分かっお、房子はようやく諊めたようだった。

 それにしおも、倧隒ぎをしお、卓雄が仕事を䌑んで行ったずいうのに、房子は申し蚳なさそうな顔ひず぀しない。それどころか、房子は、

「䜕もなくお良かったわね」ず蚀っおほしかった、ず䞍満そうに蚀うのだ。卓雄ずふたりで顔を芋合わせおしたった。

 房子はどうしお、これほど医者にかかりたかったのだろうか。重い病気や怪我で、心配しおほしかったのだろうか。自分に泚目しおほしかったのだろうか。

 ちょっずしたこずで死にそうに倧隒ぎするものだから、次に隒いでも、たたか、ず思っおしたうのに。

 恭子は、自分の䜓も同じくらい心配しおくれればいいのに、ず思っおしたう。

 そうは蚀っおも、房子の䜓力はどんどん萜ちおいっおいた。階段を䞊るのも、限界を越しおいた。房子がトレヌニングのためにがんばるず蚀っおも、かわいそうで芋おいられなくなった。房子はすでに歳になっおいる。

 それたでにも、ずっず気にはし続けおいた。けれど劙案がなかった。䞀階に、く぀ろげる郚屋は、たった䞀間しかないのだ。そこに房子のベッドを眮いたら、䜕もできなくなる。

 ずっず以前に、留孊生のひずりが、倖から䞊がる案を考えおくれたこずもあった。階段に滑車を぀ける、ずいう案もあった。けれど、どれも無理があった。

 そこで、ずうずう意を決しお、房子の寝宀を䞀階に移すこずを決めた。それず共に、居間を二階に移さなければならない。房子が楜になるのずひきかえに、卓雄はかなり䞍䟿になる。けれど、卓雄は快く了解した。

 そうしお、郚屋の倧移動をした。

 二階の房子の郚屋から、ベッドや机、タンスを持っおくるず、居間にはもう、寝転がるスペヌスもない。倧画面テレビは二階に蚭眮し盎し、䞀階には房子の小さなテレビを持っおきた。そうやっお䞀階の居間は、すっかり房子の勉匷郚屋兌寝宀に倉ったのだ。二階の䞀郚屋には、房子の衣類や本、アルバム、雑貚など、倥しい荷物がそのたた眮いおある。䞀階の居間にそれ以䞊持っおいくこずは無理だった。

 それからは、倕飯が終わるず、卓雄は二階に行っおく぀ろぐようになった。そうするしかなかった。

 䞀方、房子はずいぶん楜になっおいた。食事が終わるず、隣りの郚屋にすっず移動できる。今たで通り、机で絵手玙を描いたり、テレビを芳たりしお、寝たい時にはベッドに暪になった。おたけに、ほずんど寝るたで恭子が近くにいる。卓雄の䞍自由さずひきかえに、房子は快適さず安心を手に入れおいた。

 恭子も䞀安心だった。これで、房子は亡くなるたで、恭子の家で安心しお暮らせるのだ、ず思った。

 しかし、その埌も房子の衰えはどんどん進んでいった。恭子の力では颚呂にも入れられないので、氷のように冷たい房子の足を、湯を入れたバケツを持っおきお枩めるようになった。

 湯の䞭で枩たった房子の足をずっお、タオルで拭く。それでも房子の口から、ありがずう、ずは出おこなかった。


䞋り坂

 二月の九䞃歳の誕生日を前にした冬、房子はちょっずしたかぜをひいた。恭子もひいた。どちらが先だったか分からない。
 埮熱は出たけれど、倧したこずもないず思ったのに、数日咳が続いた埌、房子は痰が喉にからんで、い぀たでも苊しそうだった。
新しく替わっおいた幎配の蚪問医が、い぀も凊方しおいるたくさんの薬に加えお、抗生剀も凊方しおくれた。咳止めや痰切りの薬も飲んだ。けれど、なかなか治らない。痰が喉にひっかかったたたの房子は、ひっきりなしにグ゚グ゚ず、耳障りな音を立おおいた。
 思えばそのかぜが、房子の「最埌」の始たりだったのだ。思い返しおみお、恭子はそのかぜを軜くみおいたこずが悔やたれた。
癟歳に近づいおいるずはいえ、それたで匷い房子を芋おきた恭子は、房子が重節な病気になる、もしくは死が蚪れるなど、珟実のこずになるずは到底思えなかった。房子はこれたでも、痛い、苊しい、死ぬ、ず䜕床も隒ぎ、恭子達を振り回しおきた。そのたびに房子の倧げさな挔技にうんざりしおきおいた。
 蚪問医が垰る時に、玄関に芋送りに出る恭子に「もうそれほど長くはないです」ず耳打ちしおも、どこかで房子に限っおず思っおいた。

 ずころが、そのうち房子の様子がおかしくなっおきた。「オスの猫が匹いる」ずか、「〇〇さん、花火を䞊げお」ずか劙なこずばかり蚀う。ぎょっずしたけれど、最初はい぀もの房子の挔技かずも思った。
テヌブルの前に座っおいおも、房子は飲んだはずの薬を手探りで探しおいる。突然手を挙げお倩井を指したり、蚳の分からない独り蚀をぶ぀ぶ぀぀ぶやき続けた。
 房子は䜓力こそ衰えおきおはいるけれど、頭は確かなほうだった。それが、急におかしくなり、恭子はずたどった。半信半疑で、知り合いの䜕人かに頌んで房子ず電話で話しおもらったけれど、時々は普通でもあり、埮劙だった。
 ずころが、症状はどんどんひどくなり、房子は寝たきりになっおしたった。䞀日䞭眠り続け、目を薄く開けおも、普通の䌚話は䞀切ない。寝ながらひずりで䜕やらしゃべり続け、倧きな声でうわごずも蚀う。目の前の盞手が誰だか分からず、房子は喜怒哀楜のない胜面のような顔をしおいた。
 
 「認知症」に぀いお、恭子は勿論知っおいた。けれど、これほど急に来たこずにあわおた。あんなに頭のしっかりしおいた人が、ず信じられなかった。
ベッドのわきで、魂が抜けたような顔をしおいる房子を芋おいるず、痛たしくお、恭子は涙が出おきた。寝たきりになる方が、ただたしだった、ず思う。このたた房子が蚳も分からない人になっおしたうのかず思うず、絶望的な気持ちになった。そんな芚悟なんお、できおいない。
恭子は房子が心配で、それから数日、房子のベッドの䞋に垃団を敷いお寝た。
 そんな時に、蚪問しおくれおいたケアマネの工藀さんが、「倧䞈倫ですよ。䜓の氎分が足りなくなった時に『せん劄』が起こりやすいですが、治りたすよ」ず蚀っおくれたのだ。本圓にありがたい蚀葉だった。
工藀さんは、助産婊の仕事もしおいたこずがある経隓豊富な、割合幎配のケアマネさんだ。工藀さんの蚀葉には説埗力があった。
工藀さんが蚀うには、『認知症』ず『せん劄』は違う。房子の症状は、『認知症』ではないず蚀う。絶望的になっおいた恭子に、明るい気持ちがやっず少し戻った。

 工藀さんが蚀った通り、房子はその埌、意識は次第に戻り、以前ず倉わらない䌚話ができるようになった。本圓にうれしかった.。
 けれど、房子の䜓は、その時を境に、みるみる衰えた。か぀おの元気な房子には二床ずもどらなかった。

 それでも恭子は、房子がたた元通りに力匷く埩掻するず思っおいた。九十六歳ずいう幎霢を考えれば、その先に明るい芋通しがあるはずもないのに、房子に限っお、死に近づいおいるずは、到底思えなかった。
 房子はちょっず歩くずはぁはぁ息切れした。食も急激に萜ちお、ほんの少ししか食べられなくなっおいた。
 恭子は、房子の調子をみお、倩気の良い日にはなんずか倖に連れ出そうずしおみた。少しでも陜に圓たる方が䜓にいいような気がしたのだ。けれど、房子は抌し車に぀かたっおも、もう数歩歩くのがいいずころだった。

 それでも房子は最埌たで匷い人だった。
幎末には、二階に移動した倧画面テレビで䞀緒にを芳るために、房子は久しぶりに、䞀段䞀段、はぁはぁ蚀いながら階段を䞊った。房子の䜓を考えるず、無理をさせるこずを躊躇したけれど、䞀階で䞀緒にテレビを芳るには堎所がない。できればみんなで幎末を過ごしたかった。
房子の意思を確かめるず、自信なさそうではあったけれど、それでも䞀緒にテレビを芳お過ごしたい気持が分かった。
房子のために思い切り枩かくした郚屋で、房子は半分以䞊゜ファヌで眠りながらも、満足そうだった。
 恒䟋になっおいる恭子の子䟛達ずのおおにぎわいの幎始の集たりにも参加した。亜矎が数幎前に賌入した倧きな家で、房子は自分の皿に盛っおもらったたくさんの皮類の料理を少しず぀食べ、その埌、別宀に敷いおもらった垃団で、気持ちよさそうに眠っおいた。

 その埌房子はどんどん食べられなくなっおいった。食べおも戻しおしたう。れリヌ状の栄逊䟡の高い物を、少しだけ食べた。
医垫も、もうあきらめおいるようだった。苊しい時にはこれを䜿うようにず、睡眠薬の座薬を凊方しおくれおいた。

 けれど、䜓がそんな状態になっおも、房子の匷さは健圚だった。
 こんなこずもあった。
 ある倜、房子がベッドから、隣りの台所にいる恭子を呌んだ。房子は、手の感芚がない、痛い、ず蚎えた。房子はベッドの䞭で䞡手を䞞め、顔は苊痛で歪んでいた。
 痛いずか、苊しい、ず蚎える房子はい぀も、地獄の釜にでも入れられおいるようなすさたじい顔をする。顔のすべおの皺を歪め、目をぎゅっず぀ぶり、入れ歯を倖した唇を、あえぎ声ずずもにパクパクさせる。
 恭子がそばに行っお、どうしたらいいか尋ねるず、房子は分からない、ず蚀った。
 恭子はその時、自分も足を痛めおいた。たお぀づけに骚折や捻挫をしおいた䞊、房子の荷物の片づけ以来、坐骚神経の痛みに苊しんで、長くは立っおいられない。ベッドの枕元に腰をかけお、房子の䞡手をぎゅっず぀぀んだり、さすったりしおみた。
 房子の现くお長い指は、骚の䞊に薄い皮が波のようによれおたずわり぀いおいるだけで、匷くさすったら、ポキッず折れおしたいそうだった。五本の指は䞍揃いで、短くなっおいる指もあれば、第䞀関節から内偎に曲がっおしたっおいる指も䜕本かあった。
 気を぀けお觊らないず、痛がるし、折れそうだから、恭子は房子の枕元で泚意深くさすり続けた。
 しばらくさすっおから、恭子は手銖の䞋の方からさすっおみようず思っお、右手を房子の䜓の反察偎に回そうずした。
その時恭子は、房子が昔線んでくれた毛足の長い赀いモヘアのセヌタヌを着おいた。
 恭子の右手が、房子の顔の䞊を動いた。顔からセンチは離れおいた。
 ずころがその時、
「目に入る」
ず、鋭い声をあげお、房子の手が恭子の右手を匷く払いのけたのだ。びっくりした。
 なんずいう力だろう、ず思った。手の感芚がない、ずか、痛いずか蚎えおいた、あの枯れた手の老人が。
 目に入りそうな気がするなら、目を぀ぶればいい。顔をそむけたっおいい。䜕も、匷い力で払いのけなくたっお・・・。
 この、房子の匷さを䜕床芋おきたこずだろう。匱っお死にそうな房子を芋るのも蟛いけれど、房子のこの匷さを芋せ぀けられるたびに、恭子の気持ちは萎えおしたう。さっきたでの、なんずかしおあげたい、ずいう気持ちが、どこかに行っおしたうのだ。


ずうずう・・・

 九十䞃歳の誕生日を過ぎお、䞉月の終わり、デむサヌビスの斜蚭から電話があった。しばらく䌑んでいるので、登録を抹消されおしたうずいう。新たに登録し盎すのはたた面倒なようだった。斜蚭の人も、房子の䜓を考えお、迷っおいた。
房子に蚊いおみるず、明確な返事がない。行きたいようでもあり、自信がなさそうでもあった。
房子はずっず颚呂に入っおいない。恭子が枩めたタオルで䜓を拭いおあげおいるだけだった。斜蚭なら、怅子に座ったたた湯に入る機械济の蚭備もある。それを期埅しお、デむサヌビスに行くこずに決めた。
 玄関たではなんずか連れお行かなければならない、ずいうこずだったので、恭子は前日に予行挔習をしおみた。自分も盎前に足の甲の骚を折っお、ギブスをしたたた台所をキャスタヌ付きの怅子で埀埩しおいた。房子をベッドから起こしお、そのキャスタヌ付きの怅子に座らせお、倒れないように支えながら玄関たで移動する。危なっかしいけれど、なんずかできた。玄関からは、斜蚭の車怅子で連れおいっおくれるこずになっおいた。
けれど、埌になっおみるず、そのデむサヌビスぞの参加も、房子の䜓を䞀局匱めおしたったのではないかず、恭子は埌悔するのだ。
 
圓日、斜蚭の車に送られお、房子は息も絶え絶えに垰っおきた。斜蚭では䜕も食べられず、䌑んでいただけだったずいう。お颚呂も到底無理だった。しばらくぶりに房子に䌚った仲間の老人は、房子の衰えた姿を目にしお泣き出しおしたったずいう。
 無理だったのだ。かわいそうなこずをした、ず埌悔した。
䞀局匱った房子は、もうベッドから起き䞊がるこずもできなくなっおいた。

 それからの日々、房子はベッドの䞊だけで過ごした。い぀ものように、䜕をしゃべるわけでもない。じっず倩井を芋぀めたたた動かなかった。
 時々台所から芗きにきおみた。あんたり動かないので、死んでいるのか、ず心配した。
「䜕を考えおいるの」
恭子が蚊くず、
「䜕だろうねぇ・・」
ず、空を芋぀めたたた房子は蚀った。房子の衚情には、もう、なんの欲望も芋えない。すべお諊めきった人に芋えた。
䜕も考えおいないなんお、あるのだろうか。考えおいるのに、蚀わないのだろうか。
こんな時になっおも、房子は自分の心の䞭をさらけださない。

 オムツを替える時にも、房子は䜕もしゃべらなかった。
 寝たきりになっおから、以前のパンツ型のオムツから、普通のタむプに替えおいる。ほずんど食べなくなっおから、オムツを汚す回数も少なかった。
 ベッドもそれたで䜿っおいたものに替えお、介護甚をレンタルしおいた。その立掟なベッドは、恭子達がずっず居間ずしお䜿っおきた六畳の和宀を四分の䞀近く占領しおいた。
 べッドには、䞡サむドにやはりレンタルの転萜防止甚の柵が取り付けおある。高さは柵にかけおある倧きなリモコンで調節できた。䞊䜓を起こしたり、䞋半身を䞊げたりもできた。
倜、恭子は和宀ず台所の間の戞を閉めるず、房子に声をかけお、リモコンのボタンを抌しおベッドを高くした。房子は黙っおされるがたたになっおいた。
 枕元に眮いおいるティッシュの箱や、目薬やぬいぐるみが入った小さな籐の入れ物がベッドずずもに持ち䞊がるず、柵から萜ちそうになる。房子は暪目でそれを少し気にするそぶりをした。
 手前の柵のロックを倖しお前に倒すず、恭子は房子のパゞャマのズボンに手をかけた。
 骚盀の骚だけしかないように芋える房子の䞋半身は意倖に重く、ズボンを䞋ろすために持ち䞊げようず思っおも、手銖に負担がかかり過ぎお無理だった。そこで、房子の䜓を半回転させお、向きを倉えおは埐々に䞋ろすこずにしおいた。
それでも、かなりの力が芁った。腰の䞋に手を入れお、ぐっず持ち䞊げるように転がす。思わず「ペッコラショッ」ずうめくように声が出た。
寒がりの房子は、パゞャマの䞋にズボン䞋も履いおいる。恭子の声は、向こうに回転させたり、こちらに回転させたりするたびに、䜕床も出おしたう。房子に倧倉さをアピヌルしおいるようで嫌だったが、うっず力を入れるたびに声がでおしたう。
 オムツ亀換の䞀連の䜜業の䞭で、肝心のオムツに至るたでのこの䜜業が、恭子は䞀番苊痛だった。房子に長く生きおいおほしいずは思うものの、次第に老いおいく自分の手銖が、この重みにずっず耐えられるだろうかず䞍安になった。

 少ししか出なくなった䟿は、房子の䜓のよれた皺の間やひだの䞋に入り蟌む。お尻ふきの厚いペヌパヌを湯で濡らしお拭いおいる間も、房子はたばたきも少なく、ただ倩井を芋おいた。
 房子は䜕を考えおいるのだろう、ず思った。
恭子がすべおの䜜業を終えお、パゞャマを元通り履かせ終わっおも、房子は黙っおいた。
倩井から恭子の顔に芖線を移しお、じっず恭子の目を芋おいる。なんお感情のない、冷たい目をしおいるのだろう、ず恭子は思った。
「ありがずう」でも「お疲れ様」でもない。
たるで、オムツを替える恭子が、あたかも房子を貶めおいるず責めおいるようにも芋えた。
 どうしお黙っおいるの。どうしおそんなに冷たい目で私を芋るの・・・。
「黙っおないで、なにか蚀っお」
恭子がたたりかねお蚀うず、房子はやっず、冷たい目をしたたた、也いた声でありがずう、ず蚀った。 

 䞀週間ほどそんな状態が続いた。
 その倜は、翌日恭子も房子も予定があった。恭子は倕方ある集たりに出るこずになっおいた。房子の介護を機に発行する小さな冊子のための䌚だった。それは恭子にずっお、ずおも倧事な䌚だった。
 房子も卒業生のひずりが䌚いにきおくれるこずになっおいた。
 卒業生のさんには、事前に、房子が盞圓匱っおいるこずは䌝えおあった。䜕も話せないかもしれない。長い時間は無理だろうず。
 さんは、恭子より若い瀟䌚人だった。家には数回来おくれおいる。圌女も䜕かず気を䜿っおくれおいたけれど、恭子もさんの蚪問時には、料理をがんばったり、できるだけのおもおなしをしおいた。
 房子はよく、さんに䌚いたいず蚀っお、幌い子のように、泣き真䌌たでしおみせた。
そんな房子を芋お、恭子は、さんずは卒業以来の付き合いだずばかり思っおいた。ずころが、亡くなっお手玙などを敎理しおみお、さんずの芪しい付き合いは、ここ数幎のこずだず分かった。
 それで分かったのだ。房子にずっお、さんは、久矎の替わりだった。房子から少し離れお行った久矎に気付いお、房子は自分が心を寄せる盞手を求めたのだ。その時期が、芋事に合臎しおいた。

 昌にさんが来おくれるこずになっおいるその日の早朝だった。二階に寝おいる恭子は、猫の鳎き声のような声を聎いた。その声は、はじめは家の倖から聞こえおきおいるように思えた。い぀たでもくりかえされるその声は、しんずした暗闇の䞭で、恭子の名前のようにも聞こえる。
けれど、階䞋に寝おいる、䜓の匱っおいる房子が、たさか二階にたで聞こえる声を出せるずは思えなかった。だいいち、房子のベッドには、二階で響く介護甚のブザヌを぀けおある。
 無芖しお眠ろうずしおいるず、远い打ちをかけるように、戞襖をがんがん叩き続ける音が聞こえた。房子だ。ベッドの暪の戞襖を叩いおいるのだ。
 恭子は起き䞊がっお、階段を駆け䞋りた。

 房子はベッドでもだえおいた。苊しそうに顔を歪め、䜕かを蚎えようずしおいるけれど、蚀葉にならない。氎、ず蚀っおいるようなので眮いおある氎飲み噚を口に含たせたけれど、飲むわけではない。さかんにベッドの足元を指で指すのでベッドを起こしおみたけれど、房子はそれでも苊しい顔で前方を指さす。
「立ち䞊がるなんお無理よ。」
房子が䜕をしたいのか分からなかった。背䞭をさすったりしおみた。時蚈は四時を過ぎたずころだった。
 翌日は、来客がある。その甚意をしなければならない。倕方には出かけなければならない。もう少し寝なければ。恭子は焊っおいた。
 それに、房子の死にそうに苊しそうな衚情を、䜕床も䜕床も芋おきた。目や指がいたくおも、胞が苊しくおも、房子はい぀もこれ以䞊ないほど蟛い衚情を芋せおきた。
 医者には、苊しい時にはこれをず、睡眠薬の座薬を枡されおいた。恭子はそれを取り出すず、房子のオムツをずっお挿入した。
 するず、房子はすうっず穏やかな顔になった。呌吞も萜ち着いたように芋える。恭子はほっずしお、ベッドを盎した。それから電気を薄くしお、戞を閉めた。それが最埌だずは倢にも思わず。

 それから朝たで少し眠るこずができた恭子は、階䞋に䞋りお、居間の戞を開けた。房子は眠っおいた。
がたがた倧きな音をたおる枕元の戞を開けおも、房子は眠っおいるふりをするこずがよくある。い぀もず同じだず思っおいた。たたぁ、起きおいるんでしょ、ず思いながら、
「おかあさん、おはよう」
ず蚀った。もう䞀床、倧きな声で「おはよう」
 耳元でもう䞀床。それで恭子はやっず気づいたのだ。房子が冷たくなっおいるこずに。觊っお確かめなければ分からないほど、房子は普段眠っおいる時ず、倉わらない顔だった。
口を開けおいるから頬の肉は萜ち、顔党䜓が蝋のように぀るっずしおいた。

 それから恭子はどうしようもなく泣き続けた。「ごめんね」「ごめんね」ず泣きながら謝り続けた。髪の毛がほずんどない頭をなで続けた。
ほんずに苊しかったんだ、死んでしたうくらい苊しかったんだ、ず思うず、涙が止たらない。力を振り絞っお恭子の名を呌び、戞襖を叩き続けた姿を思い浮かべるず、かわいそうでたたらなかった。
 朝たでいおあげれば良かった。苊しみを分かち合っおあげたかった。せめお、私の腕の䞭で息を匕き取らせおあげたかった。
あぁ、よりによっお、なんで今日ずいう日だったんだろう・・。時を巻き戻しおほしい。

 早朝の苊しんでいた房子ず、冷たくなった房子の姿が、䜕床も䜕床も目の前に浮かび䞊がり、䜕床も䜕床も「ごめんね」ず嗚咜した。
 房子の顔は、眠っおいるように穏やかだった。座薬が効いお眠っおいき、あの埌苊したずに逝っおしたったのかもしれない。けれど、あの時の別れ方は、どんなに悔やんでも、悔やみきれなかった。

 葬儀堎がすぐにずれなかったので、房子は䞀週間ほど家で眠っおいた。
 具合が悪くなっおきおから、䌚いにきお、ず連絡した幞男は、亡くなった知らせをしおから、やっずやっおきお、遺䜓の前で、「おばあさた、ごめんなさい」ず繰り返しお、さめざめず泣いた。嘘っぜくお、背䞭を蹎飛ばしおやりたかった。

 晩幎の房子に、亡くなった時の喪䞻の話はしおあった。恭子はこれたで房子の介護を半ば攟棄しおいた幞男に、どうしおも喪䞻をさせたくなかった。葬儀の時だけ䞻の顔をしお出おくるこずが蚱せなかった。そのこずは、房子も最埌には認めおいた。認めざるを埗なかった。そしお、それは、幞男にも䌝えおあったはずだ。
 ずころが、幞男はいざずなるず、メンツが立たないず蚀っお、気が狂ったように暎蚀を吐いお暎れ出した。
 結局、「房子の呜」だった幞男は、メンツのために、房子ずの最埌のお別れである葬儀も欠垭したのだ。


そしお

 房子の晩幎に、恭子がよく考えおいたこずがあった。それは、ずっず気持ちが揺れ続けおいた恭子が、房子がい぀かもし亡くなったら、いったいどちらの気持ちになっおいるだろうか、ずいうこずだった。
房子の死を深く悲しみ、もめごずの倚かった日々を埌悔し、やっおあげられなかったこずを数え䞊げお泣き続けるだろうか。あるいは、垞に自分ファヌストで、匷く、冷たかった房子のこずを思い出しお、恚んでいるだろうか。あれほど母性の欠萜した母芪も珍しい、ず、恭子は今でも思う。

 亡くなり方があたりに突然だったので、恭子はしばらくは猛烈な悲しみず埌悔の淵に突き萜ずされおいた。どうしお別れの時にそばにいおあげられなかったかず、自責の念にさいなたれ続けた。もう䞀床、房子が苊しんでいたあの時たで巻き戻しおほしい、優しい蚀葉をかけ、䜓をさすっおあげたい、ず思い続けた。
死埌、敎理しおいた曞類の䞭に、房子の絵手玙や、デむケアで緎習しおいた子䟛のようにぞたくそな習字の玙を芋぀けるたびに、涙をボロボロ流しお嗚咜した。
 死ずいう別れには、必ず「埌悔」ずいう悲しみが぀いおくるのだず思う。

 けれど、䞀幎もしないうちに、その思いが逆転しおいた。
 恭子の䞭に蘇っおくる房子は、匷く、冷たい姿ばかりだった。自分ばかりを停りの姿に虚食し、嚘である恭子を他人に悪く䌝えた房子の眪を生々しく思い出す。房子に振り回され、壊されおいった自分の人生を、口惜しい思いで振り返るのだ。

 亡くなった盎埌に亡骞ず察面しお「おばあさた、ごめんなさい」「おばあさた、ごめんなさい」ず繰り返しお涙を流しおいた幞男は、喪䞻ができないこずにぞそを曲げ、ずうずう葬匏にも来なかった。喪䞻をやらせないのなら、ビラを撒いお蚎える、ずたで蚀っおいた。
 自分のプラむドのために、最愛の母芪ずの最埌の別れにも来ない幞男に、恭子は呆れた。䜕をするか分からない幞男が䞍安で、恭子は房子ずの倧切な別れの瞬間である火葬の釜に入れられる時に、房子ぞの想いに浞りきるこずができなかった。それだけが、埌々たで悔しく、心残りだった。

 その埌のさたざたな手続きや挚拶に恭子が远われおいる時にも、幞男は房子が遺した金に執着し、毎月の出費額を蚊きにわざわざ遠くの斜蚭に蚊きに行ったり、ケアマネの工藀さんに月々の経費を蚊きに行っおいた。
 房子の月々の出費に぀いおは、恭子は毎日きちんずノヌトに぀けおいた。ノヌトは房子が斜蚭に入っお恭子がお金の管理をし始めおからのもので、䞉冊も続いおいる。レシヌトもすべお貌っおあった。
その他の倧きなものは銀行から匕き萜ずされお通垳に蚘茉されおいる。なにもあちこちに蚊いお歩くような、みっずもない真䌌をしなくおも、ず恥ずかしかった。
 
悠䞀も、房子が家を売ったこずに腹を立お、亡くなったこずを知らせおも、ずうずう来なかった。それたで䜏居費も芁らず、房子に揎助し続けおもらったずいうのに。
 房子ぞの぀ながりは結局みんな「金」だけなのだず思った。重い病気の劻を抱えお倧倉な䞭、悠䞀は遠くの斜蚭にわざわざ房子を蚪問しに行っおいた。それずおも、䜏んでいる家のこずで、房子ずの぀ながりを保っおおきたかったのではないか。今ずなっおは、そんなふうにさえ思える。
房子はこうしお、芪族の぀ながりをぶ぀ぶ぀ず断ち切り、最悪の関係にしお逝っおしたったのだ。

悠䞀が立ち退いた埌、䞍動産屋に蚀われお、恭子は家を壊す前の立ち合いに出かけた。
そこは息を飲むほどの廃墟だった。こんな家に人が䜏んでいたのかず驚いた。か぀お倧孊を卒業するたで恭子が䜏んでいた懐かしい家であったし、今でも倢によく出おくる舞台は、この家だった。
二階の郚屋の倩井の板が、䜕枚も壊れお垂れ䞋がっおいた。どの郚屋も、隅には、人が䜏んでいたこずを疑うほど、綿ゎミが積もっおいる。
悠䞀が寝宀にしおいた䞀階の和宀の抌し入れにも、綿ゎミが広がり、おびただしいネズミの糞が積もっおいる。悠䞀は垃団を敷いお寝おいたから、毎日こんな抌し入れに垃団を出し入れしおいたのだ。
いくら幎老いおきたずはいえ、なんずかできなかったのだろうか。恭子を誀解しお、かたくなに拒んできた悠䞀を思うず、痛々しくもあった。

 介護もせず、恭子のかわりにあちこちの圹所を走り回るこずもなく、幞男は悠䞀の家を凊分したお金を圓然のように受け取り、そのお金で借金を返枈しお、傟きかけおいる塟の経営をなんずかしのいでいるようだった。
 幞男は、あんなに房子のこずで䞖話になった卓雄ずも、最埌には譊察官を呌ぶような喧嘩をしお、憎悪する仲になっおいた。
 房子が亡くなった埌、葬儀の前に、突然今から行くず幞男から恭子にメヌルがあった。けれど、その時運悪く、恭子はい぀も行っおいた少し遠くの矎容院に、手入れもせず䌞び攟題だった髪を切りにいっおいた。斜術の最䞭、気づいお卓雄に連絡した時には、既に遅かった。恭子の家に぀いた幞男が、二階に居お気づかなかった卓雄に、「䜕故すぐ出おこない」ず逆䞊したのだ。最初は蚳が分からず圓惑しおいた卓雄も、頭に血が䞊った幞男に我慢が出来ず、ずうずう怒り出し、出お行っおくれずなり、番に電話する事態になっおいた。卓雄も怒るず迫力があるが、幞男は頭から湯気を出し、蚳が分からなくなる。
 矎容院から戻った恭子が仲に入ったけれど、その時以来、幞男は卓雄にひどい口をきき、怒りを露わにしおいる。それたで、どんなに瀌を重ねおも足りないほど䞖話になっおきたずいうのに。

 房子は、あの䞖で、この状況をどう思っお芋おいるだろうか。

 恭子は房子が遺したたくさんの手垳に時間をかけお目を通し、気になるずころには付箋を貌っおいった。
 それから、䜕十冊もある銀行や郵䟿局の通垳をめくっおいった。
 生前房子は包み玙や玙袋のようなどうでもいいものは倧事にずっおおくのに、倧切な領収曞や契玄曞などを捚おおしたったりず、曞類管理に杜撰なずころがあった。通垳も、あちこちからバラバラず出おきた。銀行も䜕行もある。そしお名矩も、本人だけでなくいく぀もあった。預け入れの䞊限が決たっおいるので、家族の名前を䜿ったのだ。すでにどの通垳も残高がれロになっおいる。
 通垳は、恭子の家に来るだいぶ前からずっずあった。その䞭の匕き萜ずされた金額の暪に、房子は時々鉛筆でメモを曞いおいた。それを芋おいお驚いた。
「幞男 誕生日」「幞男 パ゜コン」ず幟たびも幞男にそれぞれ䜕十䞇円も振り蟌たれおいる。五十䞇円ずいうのもあった。定期的にも振り蟌たれおいる。幞男に盎接送金できるカヌドも芋぀かった。
それは、恭子の家に来おからも、ずっず続いおいたものだった。あれほど皌いでいた房子の銀行の残高が少ないはずだった。
 そう蚀えば、恭子が借金をした埌に、あのお金で、幞男の誕生日に車をプレれントをしおあげたかった、ずいう房子の蚀葉を聞いたこずもあった。
 幞男達が我が物顔に新しく倧きな家を建お、䜏んでいるその高䟡な土地も、房子がか぀おは借地暩を持っおいた。房子が出お行った埌に、い぀の間にか自分達の物にしおしたっおいたのだ。

 幞男にずっお、房子は䜕だったのだろう。
足りなければ、湯氎のようにお金を揎助し、仕事がなければあおがっおくれる。頌めばどんなこずでもかなえおくれる、スヌパヌマンだったのだろうか。
そしお、房子にずっお幞男は、䜕だったのだろう。生涯自分ファヌストであった房子にずっお、幞男は自分の分身であり、結局自己愛だったのだろうか。それずも犬やぬいぐるみを可愛がっおいたように、愛情を泚ぐ、愛玩物だったのだろうか。
「幞男は私の呜です」「幞男ず䌚えるこずだけを楜しみに・・・」
房子の蚀葉が蘇っおくる。

 房子は本圓に、自分を産んだ母芪だったのだろうか。「尜くせるだけ尜くした」ず蚀った房子の蚀葉が、今でも空々しく響く。
 それでも、街をバスで通り抜ける時、ふず房子の手を匕いお買い物をした時のこずを物悲しく思い出す。
 房子はある意味「魔性の人」だったのかもしれない。恭子の心の䞭をこれほどかき回し、揺れさせたのだから。


登堎人物玹介

恭子60代の䞻婊。兄嫁ず折り合わず、家を飛び出しおきた実母に苊しみ、「反感」ず「情」の間で心が揺れ続ける。

卓雄恭子の倫。定幎間際のサラリヌマン。

房子恭子の実母。気が匷いが、倖では決しお本性を出さず、優しく䞊品に振舞う。若い時に倫恭子の父を亡くし、塟を経営しお蓄えたお金を偏愛する息子に貢ぎ続ける。

幞男房子の長男。恭子の兄。若い頃から問題行動が倚かったが、房子に溺愛され、生涯揎助され続ける。仕事も長続きせず、結局房子の塟の講垫におさたる。

悠䞀房子の実匟。房子ずかなり歳が離れおいる。

やすよ幞男の嫁。人劻だったため、結婚には䞀波乱あった。房子は気に入らず、ずっず衝突し続ける。









いいなず思ったら応揎しよう