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「服装は自由」が身上のボクが、銀行員を二度見した理由。自分、意外と古い人間です。

自分が嫌うことを、実は自分がやっていることがある。

先日、公共料金の支払いを忘れ、督促状が届いていたので銀行に行ってきた。窓口からカウンター向こうを見ると、そこにはTシャツ姿の男性が数名いた。

工事かなにかの業者かな?と思ったが、いくつか並ぶ机のひとつに座ったではないか。つまり、行員さん。

「銀行も自由になったもんだ」なんて、シニア世代のような感想をついつい小声でつぶやいてしまった。また不快感はなかったが、銀行という「信頼」も売っている業種で軽装はどうなのか?と疑問も浮かんだ。

あれだけ働く上での服装に関して、他人に指摘されるのを嫌う自分が、他人の服装に疑問を抱くとは……古い人間だなと、少し落ち込んだ。

スーツにネクタイが信頼を担保するものではないが、幼い頃からそれが正装だと教えられ、実際に目にしてきたことで、信じるに値すると思いこまされている。服装だけで中身が決まるわけではないのに。過去から逃れられない典型。

先日、話題になったのがコンビニ大手のファミリマートの宣言、「あたりまえ」を脱ぎ捨てる。昨今の人手不足解消を目的に、いままでの制服をよりカジュアルに。髪型などは個々が最低限のマナーをわきまえていれば自由度が、今まで以上に高くなった。

暑いのにスーツにネクタイ。それが嫌でクリエイター職に就いたボクとしては、これまでの古い慣習、価値観の打破は喜ばしい。吉報だ。

地元のスーパーではファミマより早く、服装や髪型の自由化が進んだ。金髪の子がいれば、ピアスやネイルをしている若者もいる。やはり見慣れないので、最初はドキッとするが、慣れてくれば当たり前の風景になる。

要は、これまでの「当たり前」に切り込めるかがポイント。不快感の正体は刷り込まれた外部からの意識、価値観によるものだと思う。

サラリーマン=スーツ、銀行員=皴ひとつない服装に七三、公務員=襟付きかつシャツはズボンにイン。固定概念がボクたちを苦しめる。当たり前を疑い、それを打破しようとする人の壁になる。

銀行で驚いたボクは普段、Tシャツで働いている。「自分が一番働きやすい」ことをモットーにしているからだ。スーツにネクタイ、革靴でクオリティが上がるならばそうするが、ゲームのようにアイテムでクリエイター値が変わるわけではないので、自分の心地よさを優先している。

もちろん清潔感は携帯している。自由を謳うが、一方で一定のマナーは必要だ。極端な例で申し訳ないが、サッカーのユニフォーム上下では、さすがに働けない。

そのように服装の自由化、個人に判断を任せられるべきだと思っていた自分が、当たり前を越えて行こうとする人に疑問を抱く。まさか古い価値観の持ち主だとは意外だった。

一時的に凹んだが、そういう側面もあるのか、と新たな自分の「表情」に気付けたとプラスに捉えた。とはいえ、自分より年下の人間が、打ち合わせ中にガムを噛んでいるのには慣れない。その人にとって一番心地よいならばいいか、と考えられる許容度を持ちたいものだ。

思いのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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