わらびは、呼びに来ない
7月のはじめ、庭で草刈りをしていたら、車が一台入ってきた。
絹さんです。
農業学校の食堂のおばちゃん。私が学校にいた頃から、今もそこで働いている。
住まいは鶴岡の街中だけど、実家がうちの近所らしい。
この日は実家にきゅうりを取りに来たついで、とのこと。
刈払機を止めて、しばらく立ち話。
帰り際に、お手製のきゅうりのキムチをもらった。
話の途中で、わらび畑の話になった。
私は山にわらび畑を借りている。
春に収穫して出荷する、あのわらびです。
収穫は5月で終わる。
でも、そこで終わりではない。
夏のあいだに、わらびごと畑を一度刈り払う。
そうしないと雑草に負けて、来年のわらびが出てこなくなる。
山の中なので、刈払機を担いで上がることになります。
そろそろ行かなあかん。
ずっとそう思っていた。
絹さんの実家にも、山にわらび畑があるらしい。
それで、つい言った。
「私もわらび、そろそろ刈りに行かんとあかんのですけどね」
返ってきたのは、こうです。
「そんなの刈らなくっていいのよ。
手を抜かなきゃどうせ儲からないんだし」
まあ、そうやんな。
わらびは、たしかに儲からない。
山まで登って、腰をかがめて一本ずつ折って、袋に詰めて、出荷する。
時間で割ったら、いくらになるのか考えたくもない。
そこに夏の刈り払いぶんの労力を足したら、収支はもっと悪くなる。
絹さんの言っていることは、経営として正しい。
ただ、この時点で私はまだ、行くつもりでいた。
結論から言うと、行けませんでした。
わらびの刈り払いには、適期があります。
6月下旬から、7月上旬まで。それだけ。
その窓が開いているあいだ、私は自分の山にいなかった。
そのタイミング、ぶどう園にいた。
市の紹介でつながった、ばあさんのぶどう園。
修行に通って3年目です。
6月から7月は、ぶどうがいちばん待ってくれない時期。摘粒が遅れると、もうハサミが入らなくなる。
行かない、という選択肢はなかった。
それが一段落したと思ったら、今度は柿畑の地主に呼ばれた。
うちの柿畑を貸してくれている人です。
「時間がある時に来い」と言われて、よその柿の摘果に通った。
こっちも、断れません。
お金が欲しくて行っていたわけではない。
ぶどう園は、いずれ自分がぶどうを作るための修行だし、
柿の摘果のほうは、いつもお世話になってる恩返し。
どちらも、断る理由がない。
そうこうしているうちに、わらびの窓は閉まっていた。
気になって、AIにわらびの刈り払いを調べてもらった。
何のためにやるのか、いつやるのが正しいのか。
返ってきた答えは、こうです。
今年はもう、刈らないほうがいい。
わらびは、葉っぱで光合成をして、地面の下の茎に栄養を貯める。
その貯金で、来年の春に芽を出す。
7月半ばを過ぎてから全部刈ってしまうと、わらびは新しい葉を出そうとして貯金を切り崩す。
けれど秋までの日照では、使ったぶんを貯め直せない。
地下の茎が痩せて、来年のわらびが細くなる。
やらなくていい、ではない。
やる時期を過ぎたから、今やると害になる、ということです。
絹さんとは違うルートで、同じ場所に着いてしまった。
ここで、ふと気づいた。
この結論を聞いて、私はホッとしていました。
暑い山を登らなくていい。刈払機を担がなくていい。熊にも会わなくていい。
同時に、モヤモヤもしています。
ぶどうには、行く理由がある。地主にも、行く理由がある。
理由を持たない相手が、ひとつだけあった。
私が断れる相手は、自分の畑だけやった。
わらびは文句を言わない。呼びにも来ない。
だから、後ろに回った。
もらったキムチは、その日の晩に食べた。
よく漬かっていて、うまかった。
来年の6月下旬。
柿の作業が本格化する前に、必ず山に上がる。
そう決めた。
…今のところは。
