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そして誰も粘らなくなった|ノワール短編小説| 1985文字


薄暗い部屋の真ん中、剥き出しの電球が6人の女たちの顔を白く照らしていた。

「まずは、マクラの法則ね」

A女史が冷たい声で切り出す。

「事件の幕開け(導入)は完璧よ。彼がいつも帰宅するときの脇道。防犯カメラはないわ。あそこから全てを始めるわ」

「私は天国の法則を適用するわ」

B女史が不敵に笑う。

「男を一度『天国』に引き上げるの。男が欲しかった物を手に入れさせて、幸せの絶頂の時に油断した瞬間に絶望へ突き落とす」

「私の担当はズームの法則」

C女史が細い指でグラスの縁をなぞる。

「逃げ道を一つずつ塞ぎながら、彼の視界が私一人で埋まるまで、じわじわと距離を詰めていくのよ」

「私は感情移入の法則よ」

D女史が髪をかき上げる。

「男なんて簡単。私に完全に心を許させれば、私のために自ら破滅の道を選んでくれるわ」

「私は彼の視界を切り取る、フレーミングの法則ね」

E女史が冷酷に呟く。

「都合のいい偽の証拠だけを見せて、警察の目も完全に騙してあげる」

「そして最後は私。フェードアウトの法則」

F女史が静かに微笑んだ。

「足音も気配も残さず、彼をこの世から消し去る。これで、誰も粘れない(抵抗できない)完璧な計画の完成よ」

6人の女たちの視線が交差し、息を呑むような緊密な沈黙が部屋を満たした。計画は、今まさに完璧に固まろうとしていた。

カチャ、と軽やかな音がその静寂を破る。

「――お飲み物のおかわり、いかがですか?」

エプロン姿の若い女性店員が、いつの間にかテーブルの傍らに立っていた。 差し出されたピッチャーから、琥珀色の液体が6人のカップへと、なめらかに注がれていく。トトト、と小気味よい音が響いた。

「あ、ありがとう」

A女史が緊張感のない声で応じる。

その瞬間、張り詰めていた部屋の空気が、ふっと霧のように霧散した。

「――うん! 今のFのセリフ、ノワールっぽくていいんじゃない?」

A女史がノートパソコンのキーボードを軽快に叩きながら、満足げに声をあげた。 剥き出しの電球に見えたのは、お洒落なカフェのデザイナーズ照明。

天井のスピーカーからは、軽快でどこか気怠いジャズとボサノバのメロディが低く流れている。 店内に漂うのは、挽き立てのコーヒーの深いコクと、香ばしい焼き立てパンの甘い香りだ。

6人の正体は、1編のノワール小説を共同執筆している女性ライターたちだった。

「Aの導入(マクラ)から、Fの結末(フェードアウト)への流れ、完璧ね」

「これなら読者も文句のつけようがないわ。もうこれ以上プロットを粘る(練る)必要もないしね」

彼女たちは口々に笑い合い、原稿の出来栄えに満足しながら、店員が注いでくれたばかりの温かいコーヒーをそれぞれ一気に飲み干した。

周囲のテーブルには、他にも多くのお客がいた。 しかし、彼らは誰もが目の前の世界に夢中だった。ひたすらスマートフォンの画面をスクロールする若者。眉間に皺を寄せ、キーボードを激しく叩いてパソコンの画面と格闘するビジネスマン。

すぐ隣のテーブルで「物騒な完全犯罪」が語られていようが、誰もが徹底的に無関心だった。他人がどれほど長く店に粘っていようと、興味すら持たないのだ。

「ごちそうさま。じゃあ、そろそろ行きましょうか」

A女史が伝票を手に取ろうとした、その時だった。

ガタ、と激しい音がして、B女史が糸の切れた人形のように机に突っ伏した。

「え……?」

異変に気づく間もなく、C女史が、D女史が、次々と白目を剥いて崩れ落ちていく。

喉に爪を立てようとしたE女史の手は力なくデスクに落ち、結末を語ったF女史も、声を発することすらできずに崩落した。

悲鳴をあげる暇も、苦しんで粘る時間すら与えられない、完璧な即効性。

しかし、ジャズとボサノバの心地よい音色に満ちた店内で、他の客たちは相変わらずスマホの画面を眺め、パソコンのキーを叩き続けている。あまりの無関心さに、6人が突っ伏した音すら、ただの「よくある雑音」として処理されていく。

6人のいたテーブルだけが、急速に静寂へ沈んでいく。

「失礼いたします」

冷え切った彼女たちのテーブルへ、先ほどのアルバイト店員が、足音もなく近づいてきた。

店員はトレイを片手に、ピクリとも動かなくなった6人の顔を、冷徹な目で見下ろした。

毎日毎日、お気に入りのBGMやコーヒーの香りを台無しにするように、何時間も店に居座り、楽しそうに「誰をどうやって追い詰めるか」といった不吉な空想を垂れ流す女たち。

それが、ただただ、心底目障りだった。**こんな客は、この6人が初めてではない。**

だから、おかわり――ほんの少しの眠り薬を混ぜたそれ――を注いでやった。それだけのこと。

店員は淡々と、まだ温かいコーヒーカップをトレイへと片付け始める。
周囲の客は、まだ誰も気づかない。

――もう、彼女たちは粘らない。粘れない。

店員は今日も、次の目障りな客を静かに待っている。

そして、これからも、誰かが、粘らなくなる。

(了)
(1985文字)

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