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考えすぎて疲れた日に 禅語「喫茶去」が教えてくれる 心の休め方

「喫茶去(きっさこ)」という禅語があります

現代の日本では
「どうぞ お茶でも召し上がれ」
という おもてなしの言葉として
用いられることが多いように感じます

お茶をさしだす
相手を迎え入れる
ひと息ついてもらう

そんな穏やかな響きを持つ言葉として
日本では茶席や暮らしの中でも
親しまれてきました

けれど、この「喫茶去」という言葉には
もともともう少し厳しい意味があった
とも言われています

「喫茶去」とは
本来は 単なる「お茶を召し上がれ」ではなく
「茶を飲みに行け」
「茶を飲んでから出直してこい」
という 禅の世界における叱咤の言葉
でもあったとされています

その由来は 中国唐代の禅僧
趙州従諗(じょうしゅう・じゅうしん)
の問答にあります

あるとき 趙州禅師のもとに
二人の僧が訪れました
趙州は一人の僧に
「ここへ来たことがあるか」
と尋ねます

その僧が
「いいえ、ありません」
と答えると 趙州は
「喫茶去」
と言いました

次に もう一人の僧にも同じように尋ねます

その僧が
「はい、以前来たことがあります」
と答えると 趙州はまた
「喫茶去」
と言いました

初めて来た者にも そうでない者にも
全く同じ言葉をかけたのです

それを不思議に思った院主が
なぜ二人に同じことを言ったのか?
と尋ねると
趙州は その院主にも
「喫茶去」
と言った と伝えられています

この話を知ると
「喫茶去」は単なるお茶のすすめではない
ことがわかります

初めて来たのか?以前来たことがあるか?
修行歴があるか?ないか?
立場が上か?下か?

趙州禅師は そうした違いによって
人を分け隔てることなく、平等に
ただの人自身に
向き合っていたのではないでしょうか

大切なのは、知識や経験の多さではない
今この場で
自分が自分として 目覚めているか
自分自身のあり方に
ちゃんと気づいているか

そのことを 趙州は「喫茶去」という一言で
示したのかもしれません

本来の「喫茶去」には
「一度下がって、茶を飲み
もう一度自分自身に立ち返りなさい」
という 厳しくも慈悲深い響きがあります

一方で
この言葉が日本へ伝わり
茶の湯の文化や 禅の精神と
結びついていくなかで
少しずつ やわらかな解釈も
重なっていったように感じます

日本には
相手を思いやり 静かに迎え入れる
「おもてなしの心」 があります

お茶を淹れる という行為は
単なる飲み物の提供 ではありません
相手に くつろいでもらうこと
その人の疲れを そっと受けとめること
言葉にならない気持ちに 寄り添うこと

そうした
日本人らしい感性が重なり
現代では「喫茶去」が
「どうぞ、お茶でも召し上がれ」
という やさしい言葉としても
受け止められるようになったのではないか
と考えています

けれど そのやさしさの奥には
やはり 禅の精神 が垣間見えます

お茶を飲むという行為は
ただ喉を潤すこと ではありません

湯気を感じる
香りを感じる
手のひらに伝わる温かさを感じる
ひと口含み ゆっくり味わう
息を吐く

その一つひとつに 意識を向けるとき
私たちは自然と「今この瞬間」に
戻ってきます

頭の中で悩み続けていたこと
過去への後悔
未来への不安
誰かと比べる気持ち
こうしなければ、ああしなければ、という焦り…

そうしたものから 一旦離れて
ただ目の前のお茶を味わう

それは 現代を生きる私たちにとっても
自分と向き合うための とても大切な
禅のような時間 なのではないでしょうか

私たちの毎日は
たくさんの情報や刺激であふれています

スマートフォンを開けば
次々に 新しい情報が入ってくる
仕事や家事 人間関係に追われ
気づけば 心はいつも外側へ向いている
自分の体が疲れていること にも
心がこわばっていること にも
気づかないまま 過ごしてしまう

そんな自分をいたわる『養生』とは
決して 特別なことから始まるのでは
ありません

まずは 自分の状態に気づくこと

今 疲れていないだろうか?
呼吸は 浅くなっていないだろうか?
体は 冷えていないだろうか?
心は 緊張し続けていないだろうか?
本当は 少し休みたいのではないだろうか?

そうやって 自分に問いかける時間こそ
心と身体をととのえる 第一歩

予防医学も 養生も
病気になってから慌てて対処するのではなく
日々の 小さなサインに気づき
『暮らしの中でととのえていく知恵』なんです

そういった意味でも
一杯のお茶を 丁寧にいただくことは
とても身近な養生になるのですね

お茶を淹れる
深呼吸をしてみる
香りを楽しむ
温かさを感じる
ゆっくり味わう
今ここにいる自分に戻る

それだけで
心のざわめきが 少し静かになる
ことがあります
体のこわばりが
ふっとゆるむ
ことがあります
自分を置き去りにしていたことに
気づくことがあります

「喫茶去」

その言葉は ただ優しくお茶をさしだす言葉
であると同時に
「一度立ち止まりなさい」
「今ここにいる自分に戻りなさい」
「自分自身と向き合いなさい」
という 禅からの静かな呼びかけ
のようにも感じます

忙しい日々の中で 私たちはつい
答えを外側に探してしまいます

もっと 良い方法はないか?
もっと 頑張らなければいけないのではないか?
誰かのように ならなければいけないのではないか?

けれど ときには答えを探す前に
ただ 一杯のお茶を飲む

考えすぎている頭を休め
張りつめた心をゆるめ
今ここにある自分の呼吸や感覚に戻ってくる

その静かな時間の中で
自分にとって 本当に必要なものが
少しずつ 見えてくるのかもしれません

喫茶去
~どうぞ お茶でも召し上がれ~

その一杯を通して
今 ここにいる自分自身と
静かに 向き合ってみませんか

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