芋出し画像

心のミシュランずろけるようなファンキヌ・ラヌメン#6『池田屋』

その頃もがくらを支えおたのは
やはり このラヌメンだった

幎の蚘憶
(番倖線で「ちゃんぜん」です。店舗・通販の状況、文䞭のハむパヌリンクは、圓時のもので倉曎等がありたす)


さあ、楜しいむンタビュヌの時間デス。

ロングむンタビュヌの第䞀匟は、䜐賀倧孊本庄キャンパスの近所で、今では貎重ずなった和颚出汁ちゃんぜん泚釈を、幎平成幎の開店以来、幎にわたり提䟛しおいる「池田屋」です。


むンタビュヌに入る前に、少々予習をしおおきたしょう。そもそも「ちゃんぜんずは䜕か」ずいうこずず、「池田屋」が味を承継しおいる「䞭村食堂」に぀いお。


■「ちゃんぜん」ずは䜕か

「ちゃんぜん」の語圙ずしおの意味は、「たぜこぜ・混同」ずいうものず、長厎発祥の料理をさすものずがある。

広蟞苑第六版第䞀刷、2008.1.11発行、岩波曞店及び倧蟞泉増補・新装版第䞀刷、1998.11.20発刊、小孊通によれば、いずれも前者の意味を䞀番目に蚘茉し、埌者の料理ずしおのちゃんぜんのは二番目の意味ずしお蚘茉されおいる。

事実ずしお、「たぜこぜ・混同」の方は江戞時代から甚䟋が芋られ、長厎で料理の名称ずしお甚いられ出したのは、諞説あるようだが明治時代で間違いはないようなので、䞡蟞曞の扱いは正しいのかも知れない。

料理ずしおの「ちゃんぜん」をこよなく愛するわたくしずしおは、「たぜこぜ・混同」の方に料理の方が負けおいるのは心倖なのだが、さすがわれらの「新解さん」こず新明解囜語蟞兞第版、2012.1.10発行、䞉省堂。こちらでは、「肉・野菜などを入れお、䞭華颚のスヌプで煮た麺料理。元来、長厎料理」ず「たぜこぜ・混同」を差し眮いお䞀番目に蚘茉されおいる笑

料理ずしおの「ちゃんぜん」の発祥は、明治埌期の長厎の「四海暓」である泚釈ずいうのが定説のようだが、私が自身のブログで『「ちゃんぜん」だ、ニャロメ』ずいう゚ントリヌでちょっず觊れおいるように、明治初期に遡るずの異説もあるようである。

たぁしかし、様々な語源説泚釈があったり、沖瞄料理「チャンプルヌ」ずの関連性があったりず、「ちゃんぜん」の䞖界はカオス的で魅惑に満ちおいるのは間違いない。


■「䞭村食堂」のちゃんぜん

珟圚の䜐賀倧孊本庄キャンパスの正門前道路の角で幎の歎史を刻み、平成幎に閉店した䞭村食堂は、旧制䜐高の時代から䜐賀倧孊の孊生・教授・職員に名物の和颚出汁ちゃんぜんを提䟛し続けおいた。

䞭村食堂は、もずもず「矎どり屋」ずいう屋号だったらしいのだが、垞連客は四぀角にあったので「かどや」ず呌んだり、孊生たちは芪しみを蟌めお「なかむら屋」ず呌んでいたそうである。泚釈

平成幎月日付の䜐賀新聞の蚘事では、前日にその歎史を閉じた䞭村食堂の歎史を玹介するずずもに、閉店日の賑いを䌝え、「䜐倧時代、教授に”䞭村食堂のチャンポンを知らないものは䜐倧生にあらず”ず蚀われたのをおがえおいる。残念です」ずの同倧卒業生のコメントず、圓時歳だった店䞻の故䞭村ハルさんの写真を茉せおいる。

䞭村食堂で、開店圓時に二十銭で提䟛されおいた「和颚出汁ちゃんぜん」は、鶏ガラ出汁や豚骚出汁のちゃんぜんにおされ、珟圚ではマむナヌなちゃんぜんずなっおしたったが、その味を今も頑なに承継し続ける池田屋の「物語」は、私たちがい぀の間にか捚おおきた、叀き良き時代の、単にノスタルゞックでは片付けられない「人ず人の぀ながり」や「食べ方・生き方の基本」を教えおくれるものである。


それでは、「池田屋」の倧将・池田信宏さんぞのむンタビュヌです。

たずは、「池田屋」を開店し、「䞭村食堂」の和颚出汁ちゃんぜんの味を守るこずずなったいきさ぀を。

『高校生の頃に䜐倧正門前にあった旭屋泚釈ずいう酒店でアルバむトをしおいたので、䞭村食堂のちゃんぜんはよく食べおいた。その圓時、他に矎味いず思っお食べおいた「ちゃんぜん」は鶏ガラ出汁の若柳食堂ぐらいのものだったかな。

県倖に就職しブランクはあったけど、Uタヌンし䜐賀で働きだしおからは頻繁に通っおいたんだ。結婚しお子䟛もできた頃かなぁ、䞭村食堂のハルばあさんが、いきなり厚房越しに声をかけおきたんだ。「池田くん、あんたちゃんぜん屋にならんかいあたいがちゃんずおしゆっけん」っお。

それから半幎ぐらいどうしようかず躊躇しおいたんだけど、䞭村食堂のそう遠くない閉店は感じおいたんで、この和颚出汁のちゃんぜんが食べられなくなっお䞀番困るのは自分自身だなず思っお決断した(笑)』


ハルばあさんの鶎の䞀声のあず、決心した池田屋の倧将は、以前からの仕事を぀づけながら修行に入るこずになったのである。


『朝の五時か六時ぐらいには䞭村食堂に行っお、仕蟌みの手䌝いをし぀぀、和颚出汁ちゃんぜんの手法を孊んでいった。出勀の時間が迫るず、自分甚のちゃんぜんを䞀杯だけ䜜っお、自分の朝食ずしおいた。

半幎ぐらいはそういう生掻を続け、䞭村食堂の閉店の日には、サポヌトずしお厚房の䞭に入っおいた。幎月日の池田屋開店にあたっおは、ハルばあさんは䞭村食堂の屋号も備品も譲るよず蚀っおくれたのだが、土釜の移蚭だけは甘えお、その他は敢えお自力で始めようず決めた。』


どうしお、ハルばあさんは、池田屋の倧将に埌を蚗そうず思ったのだろうか。


『䞭村食堂の閉店時には、有償で和颚出汁ちゃんぜんの手法を教えおほしいずいう芁望もあったらしい。そんな䞭で、なぜ私を遞んだのかは、ハルばあさんには盎接、聞いたこずはなかった。その頃は今ず違っお私も人圓たりが良く笑、客商売に向いおいるずハルばあさんは思ったのかもしれない。

ただ、近所の酒店・旭屋でアルバむトをしおいた過去があるので、䜐賀倧孊の教職員やその呚蟺の䜏民ずは顔芋知りだったので、その人たちが「぀ながり」を感じお莔屓にしおくれるずいう、ハルばあさんの「そろばんずく」だったのかもしれないず、今ずなっおは思ったりもする。』


鶏ガラや豚骚から出汁を採る、珟圚䞻流のちゃんぜんずは違い、和颚出汁のちゃんぜんには、経隓ず手間が必芁なのだずか。なおか぀、調理時も繊现な手順を守らなければ「池田屋」のちゃんぜんは完成しない。


『昆垃ず数皮類の節から採る出汁の仕蟌みは前日には必芁。たずは昆垃をアルカリ氎で長時間煮だす。その際は匱火であるこずが必須。そうでないず十分な旚味は出ない。そこに節類を加えるが、繊现な調敎が必芁なので䞀床に倧量には仕蟌めないので、そこが和颚出汁の難点であり面癜さでもある。

ちゃんぜんのオヌダヌがあっおから玉ねぎは切る。そうしないず゚グ味が出おしたう。人参も熱を加えすぎるず必芁以䞊に発色しおしたうので、切り方や鍋ぞの投入のタむミングには工倫が必芁。もやしはシャキシャキ感を生かすため、鍋の火を止めおから投入する。炒めた具材に和颚出汁を加えるタむミングで倧きく味が異なるし、スヌプにずろみを加えるための氎溶き片栗粉の量を季節に応じお倉えるなど、なかなか気が抜けるポむントがない。

最埌に麺を投入するのだが、通垞の茹で麺の堎合は、麺自䜓をほぐし熱を加える皋床。時々、「硬麺」オヌダヌがあるけど、生麺でなく茹で麺なので硬くしようがない笑いちいち説明するのもバツが悪いから、ノヌマルのものを「はい、どうぞ」っお出すんだけど・・・。』


開店以来、お店を取り巻く環境も倧きく倉わっおきたのだそうだ。

『開店盎埌は䜐賀倧孊ぞの出前が倚かった。分の間隔で䞉床に分けお持っお行っおいた。たぁ、時代も倧らかだったから出前を取ったお客さんも、正午前から「麺が䌞びるから」ず食べられた時代だったんだけどね。

今は、そのあたりが厳しいから正午䞁床でないず出前は持っおいけない。そうなるず、店舗に来店しおくれるお客さんずバッティングするから、実質䞊、出前は難しくなっおしたった。それに、䜐賀倧孊の孊生も様倉わりしおしたった。

以前は、先茩が埌茩を連れおきお「ちゃんぜん」の味が申し送りされるような感じだったのだけど、いたはほずんどそんな光景はない。孊生のラむフスタむルが倉わり、䞀人あるいは数人で孊食や近所のファミレスなんかで食事をし、個人経営の食堂ぞ行こうずいう孊生は珍しくなったようだ。

そのこずず盎接関係しおいるかどうかは自信がないけど、最近の孊生・若者は食べ方を知らない。麺ず具材をバランスよく食べるずいう感芚がなく、䞌に倧量に野菜が残ったたたで箞を眮いたり、カレヌセットをオヌダヌした時にカレヌから口を぀けお、和颚出汁ちゃんぜんの繊现な味わいを感じられなくなるような食べ方をしたり。

お客さんだから文句は蚀えないけど、䜜り手ずしおなんだか寂しくなるのは事実。そんな光景を繰り返し芋おきお、私自身が寡黙な職人になっおしたったのかもしれない。昔はこう芋えおも、ものすごく愛想が良かったんだよ笑』


幎から提䟛を始めた「蒞し麺」は、デフォルトの「茹で麺」ずは、たた違った食感で舌を楜したせおくれる。


『北九州の戞畑にある田䞭補麺所の蒞し麺を䜿っおいる。独特の補法で䜜られる麺は、保存性に優れおいお、垞枩でも二週間は味が倉わらない。ちゃんぜんず皿うどんで䜿っおいるけど、最近はオヌダヌが倚くなった。

もちろん、茹で麺ずは違うその食感は䞀床詊しおみお欲しいのだけど、初めおの来店でいきなり蒞し麺をオヌダヌされるず、少し悲しくなるね。たずは茹で麺を食べお、うちの基本の味を確かめおほしい。最近は情報を食べに来おいる若い人も倚いように感じる。劙に面癜い時代になったず感心するこずがあるよ。』


開店圓時に、メニュヌ構成を考えお加えたずいうカレヌも池田屋の名物メニュヌずなっおいる。


『自分の奜きな味のカレヌを䜜っおいるだけ。具材がゎツゎツず入っおいるのは嫌いなので、すべおの具材はミキサヌにかけおペヌスト状にしおスパむスず合わせおいる。

芋た目からは想像できないけど、結構な数の材料を䜿っおいる笑野菜の甘みが先ずは舌を刺激し、蟛さが埌から远いかけおくるタむプだけど、砂糖は䜿っおいないから嫌な埌味は残さない。ほんずうに、流行廃りずは関係なく、自分の奜みず舌を信じお䜜っおいるだけなんだけどね。』


池田屋の「ちゃんぜん」ず「カレヌ」は通販での賌入も可胜で、電話・FAX・メヌルで泚文を受け付けおいる。たた、「カレヌ」は「䜐賀颚土通 季楜 盎販本店䜐賀垂倧財䞉䞁目泚釈」、「altaアルタ開成店」、「altaアルタ高朚瀬店」及び「altaアルタ新栄店」でも賌入が可胜である。


『出来立おのちゃんぜんを熱々のたた袋詰めし、玠早く密封・冷华するこずで野菜のシャキシャキ感を残し、ほずんどお店の味に近い状態のたたクヌル宅急䟿でお届けできる。結構、党囜各地から泚文をもらっおいる。

䜐賀倧孊から定期的に泚文がくるず、こちらも嬉しくなるね。ただ、ちゃんぜんはどうしおも賞味期限が限られるから、東京あたりだず届いおから二、䞉日のうちに食べおもらうこずになるけどね。カレヌは冷蔵すれば䞀か月は倧䞈倫だから、ぜひ詊しおみお欲しいね。』

これからの抱負や倢があれば。

『特にこれずいったものはないけど、䜕事に぀いおも「基本を知れ」ずいうこずを自分自身に蚀い聞かせおいる。ちゃんぜんの䜜り方に぀いおも、今たでは職人の勘で䜜っおきたけど、歳を食っお味芚が鈍化するかもしれないず、正確なレシピを蚘録した。

倉わらない味を出し続けるずいうのは、思ったよりも難しいものだよ。店䞻ずしおの戯蚀だけど、お客さんも食べ方の基本を知っお、矎味しく正しく食べおほしいものだね。サラリヌマンじゃなくお商売をしたいずいう気持ちがあっお、池田屋を幎もやっおきたけど、趣味のバむクに走りたいずいう気持ちもあったりする。

日曜日を店䌑日にしお、今乗っおるBMWのK1200RSで仲間ずツヌリングに出かけたいずいう欲望もあるけど、日曜日にしか来店できない垞連さんも倚いから無理なんだけどね笑』


鶏ガラや豚骚から出汁を採るちゃんぜんが䞻流ずなった珟圚、池田屋の和颚出汁ちゃんぜんは、たさに絶滅危惧皮状態である。その貎重な味がい぀たでも身近に食べられるように、店䞻には頑匵っおほしいず願わずにはいられない。

そしおい぀の日か、「あんたちゃんぜん屋にならんおいがちゃんずおしゆっけん」ず意䞭の誰かに告げお、その味を承継させおほしいものである。



泚釈りィキペディアの「ちゃんぜん」の項によれば、圊根ず八幡浜にも和颚出汁ちゃんぜんは存圚しおいるようである。
泚釈四海暓の珟代衚取締圹瀟長である陳優継氏の著曞『ちゃんぜんず長厎華僑』長厎新聞瀟2009幎、P17では、曟祖父であり四海暓の創業者・陳平順氏の蚃報が幎月日付の長厎日日新聞朝刊に掲茉されたず蚘茉するずずもに、陳平順氏が「ちゃんぜん」「皿うどん」の考案者だず玹介されおいる。
泚釈日本語源倧蟞兞小孊通2005幎4月1日初版第䞀刷発行では、「攙和の䞭囜音chan-hoから」及び「チャン鉊ずポン錓を亀互に鳎らしたこずからか」ず蚘茉されおいる。参考リンク独りしゃべり「チャンポンの由来」
泚釈既廃刊のフリヌペヌパヌ「HANAKO」の1984幎4月号での、䞭村食堂店䞻・故䞭村ハルさんぞのむンタビュヌ「なかむら屋物語」で、店䞻自らが語っおいる。
泚釈道路拡匵に䌎う移転で、珟圚は䜐賀垂鍋島町蠣久で営業されおいる。
泚釈池田屋は「季楜 盎販本店」に、お盆ず幎末幎始には数量限定で䜐賀牛のリブロヌスを䜿った、かなり莅沢な極䞊カレヌも玍品しおいる。


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