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韍暹『䞭論』11.3

韍暹『䞭論』11.3
「もし生が先であり老・死が埌であるならば、(第䞀に)老・死のない生が成り立぀こずになり、(第二に)䞍死の者が生たれるこずにもなっおしたう。」
蚳語:
生(jāti);
老・死(jarāmaraṇam);
䞍死の者(amṛtaឥ)。

投皿者蚻:
この偈では、"生が時間的に先行し、老・死が埌続する"ずいう想定を仮定的に受け入れた堎合、そこから導かれる二぀の垰結を韍暹は瀺す。
i) 第䞀の垰結:
生が老・死に先行しお独立に成立するならば、生は老・死ずの連関なしに存圚しうるこずになる。これは"老・死を離れた生"ずいう事態である。十二支瞁起においお"有の瞁により生があり、生の瞁から老死が生ず"ずいう瞁起芳がある。老・死なしの生は成立しえないのであり矛盟に逢着する。ゆえに生が老・死に先行しお独立に成立するこずはありえない。
[補足]
月称の蚻釈を軞ずすれば次のずおり..
月称はたた別ルヌト(本質においおは同等)での蚌明を瀺しおいる。぀たり、生が老・死ずの連関なしに存圚しうるずすれば、このような生は無為(asaṃskṛta)に垰着するいうのである。すなわち、生(jāti) は有為法の盞(laká¹£aṇa)ずしお、老(jarā)・無垞(anityatā)などず䞍可分に把握されるものであるから、これらを離れた 生(jāti) はもはや有為法の盞ではなく、無為に分類されるこずになる。これは有為法たる"生"の抂念においお矛盟である。

ii) 第二の垰結:
さらに、生が老・死から"独立"しおいるならば、生たれながらにしお老・死ず無瞁な存圚、すなわち"䞍死者(amṛtaឥ)"が誕生しうるこずになる。これは、無明を根本原因ずしお成立する"生死茪廻" - そこでは䞀切の有情が老・死を免れない - ずいう仏教の䞖界芳においお矛盟である。
[補足]
月称の堎合は仏教䞖界芳を持ち出すたでもなく論理的な問題ずしお、"別所で既に䞍死であるずころの䞍死者が、初めおここに生を受ける"ずいう垰謬ずしお提瀺する。すなわち、すでに䞍死の存圚ずしお確立されたものが新たに"生たれる"ずいう矛盟に陥る。

この偈は察論者の分別的立堎を仮定的に受け入れた䞊での垰謬論蚌であるから、(無明に基づく)䞖俗的認識の枠組みで論じるこずが蚱される。存圚様態ずしおの"生死茪廻"ずは䞖俗諊(埌出)においお認識されるものであり、そこにおいおは 生 → 老・死 ずいう掚移が認められる。他方、勝矩諊(埌出)の智慧のもずでは䞡者はいずれも自性をもたず空である。この二諊の区別に぀いおは埌出ずなるが、結論ずしお蚀えば、生は滅(あるいは老・死)に䟝り滅は生に䟝っおいるわけである。䞖俗諊を抜け出お芋れば、自らがその䞭にいる珟象の掚移においお生滅は空なのである。

⚪ 批刀の察象:
ここで批刀されおいるのは、生ず老・死を時間的に分離可胜な独立した実䜓(svabhāva)ずしお捉える芋解である。アビダルマ的な法の実䜓芖、あるいは異孊の垞芋的立堎が想定されうる。そのうえで韍暹は、生は滅に䟝り滅は生に䟝るずいうこずを瀺すこずで、それらの自性的成立を吊定する。
なお、この偈は経隓的事実の蚘述ずいうのではなく、抂念的・論理的分析である。"生が先、老・死が埌"ずいう珟実的芳察(䞊述の甚語法では䞖俗諊)を吊定しおいるのではなく、それらを時間的に分離可胜ずしお独立実䜓芖するこずの論理的垰結を垰謬ずしお瀺しおいる。ただし圢の䞊では玔粋に論理的に芋えるが、真意ずしおは䞖俗諊を抜け出し存圚をありのたたに芋るこずを念頭に眮いおいるのである。

⚪ 章党䜓の文脈:
第11章「前埌の考察」は、時間的先埌関係を実䜓化する芋方を批刀する。この偈は11.1-2で瀺された茪廻(saṃsāra)の始たりの問題を受け、生ず老・死の前埌関係に぀いおも同様の論理を適甚するのである。
この11.3から11.5たでの偈は、生・老死の前埌関係を (i) 生が先(11.3)、(ii) 老死が先(11.4)、(iii) 同時(11.5)ずいう䞉択で怜蚎し、11.6 でいずれも䞍成立ずする。11.7–8 ではこの論法が因果・所盞胜盞・受者所受など他の範疇にも拡匵適甚される。

[Sanskrit Original]
pūrvaṃ jātir yadi bhavej jarāmaraṇam uttaram .
nirjarā maraṇā jātir bhavej jāyeta cāmṛtaឥ .

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