芋出し画像

匥生時代に四぀目の方盞氏はあったのか

 å›³ã®å·Šã¯ã€åŒ—九州垂城野遺跡の石棺の線刻画城野遺跡の䌚HPより
右は䜐賀県川寄吉原遺跡の戊士が描かれた銅鐞型土補品『匥生のマツリを探る』より

匥生時代の方盞氏の解釈ぞの違和感


京郜府倧山厎町小倉神瀟奉玍絵銬

 宮䞭で行われおいた「远儺の儀匏」の行列の再珟。小倉神瀟は奈良時代718幎の創建ずされ、平安遷郜の際には「埡所の裏鬌門陀けの瀟」ずしお重んじられた。

行列の䞭倮に面をかぶった方盞氏

 方盞氏ほうそうしが、緑ず赀の「獅子」を埓えおいる。その埌方に五色の幡ばんを掲げた神職や奉仕者たちが䞊んでいる。
 方盞氏は矛ず楯を手にしお四぀目の仮面をかぶり、四方を回っお邪鬌をはらう圹割をもち、節分の豆たきでは鬌を退治する圹を挔じる。
 䞀般的に次の図のようなむメヌゞずなる。

むラストACより

 この方盞氏は、日本では埋什期からの登堎ず理解されおいたが、匥生時代から叀墳時代の日本にもあったずする説明がよく芋られる。
 蚭楜博巳氏は、匥生時代の入門曞などに熱心にこの説を解説、唱導しおおられる。『顔の考叀孊』では、叀代䞭囜の人物俑なども挙げながら、匥生土噚に描かれた人物や叀墳時代の盟を持぀城茪などを方盞氏ずしお説明されおいる。
 

 䞭囜2䞖玀頃の墓の壁の画像石。巊が蚩尀ずいう䞡手に歊噚を持った戊神 右が人を食べようずする怪物。

䞭囜12䞖玀頃の歊人俑盟持俑。䞡手に歊噚を持っおいたず思われる。

 フランス・セルシヌヌ矎術通蔵の「䞍気味に笑う方盞氏の俑」 盟を持぀人物の顔が裏偎にもある。

 こういった方盞氏が、冒頭の右偎のような日本の匥生時代の土補品や叀墳時代の城茪にも描かれおいるずいう。


 巊熊谷垂暩珟坂城茪窯跡出土盟持人物城茪。 䞭倮埌玉県前の山叀墳の人物城茪。 右京郜黄金塚2号墳城茪偎面に描かれた人物。

 こういったものすべお方盞氏ずされる。さらに叀墳時代の終盀にも。

奈良県藀ノ朚叀墳 金銅補鞍金具の鬌神の像

 この鬌面文は, 広く東アゞアで発達した獣文で, 日本では鬌瓊などずしおも身近な文様だ 鬌面は 鋭い県光ず牙を剥いた倧きな口に特城があるこれによっお蟟邪の象城ずしお, あるいは魔力に察する嚁嚇を衚す異獣」ずの説明が䞀般的だ出口2009。それが蟟邪ずいう圹割から方盞氏だずいう蚀い方もできおしたうようだ。
 以䞊の図の出兞はいずれも『顔の考叀孊』より。

 他にもいくらでも出おくるようなのだが、私はこれには違和感があったが、やはり異論を投げかける研究者がおられた。

 寺沢薫氏は、「実際に『呚瀌しゅらい』が描く特城を備えた叞祭的な人物は、䞭囜では北宋の建隆二幎961の『䞉瀌図』、朝鮮半島では昌埳宮に遣る李朝の15䞖玀の四぀目の面、日本では長保四1002幎の『政事芁略』に描かれた方盞氏の図像や法隆寺に䌝䞖する平安時代の行道面以前にはみえない」寺沢2026、ず指摘されおいる。
 匥生時代の戈ず楯を持぀叞祭的な人物を、なんでも方盞氏にたずめるこずに懞念を衚明されおいる。
 おっしゃるずおりである。ただ党く別のものではなく、根底には、疟病や事故などをもたらすず考えた邪鬌を远い払いたいずいう人々の願いから生み出されたものであるずいう共通点はあろう。だがそれを「方盞氏」ずいう抂念で䞀括りにしお捉えおよいのだろうか。
 京郜の吉田神瀟の祭瀌など、平安時代からの方盞氏のむメヌゞを匷く持぀ものには、受け入れにくいものがある。匥生時代の人物像は、寺沢氏のおっしゃるように矜食りを぀けるなど鳥装のシャヌマンず捉える方が無難であるように思えるが。
 しかも、方盞氏は四぀目だずいうのだが、䟋に挙げた匥生や叀墳時代の図や造圢に四぀目が描かれたものはない。ただ䞭囜にも䟋があるように䞡面に顔のある城茪も、方盞氏の四぀目ず同じものずされおいるのである。
 

和歌山県岩橋千塚叀墳矀倧日山35号墳
和歌山県立玀䌊颚土蚘の䞘

 和歌山県倧日山35号墳の䞡面に顔のある城茪も、方盞氏の四぀目ず同じものずなるのであろうか。䞡目が二段に重なったものが方盞氏の四぀目であろう。寺沢氏が指摘されおいるように、埌の時代になっお、今の節分に登堎するような四぀目が芋られるのである。

也闥婆面 出兞『顔の考叀孊』

 法隆寺像「也闥婆けんだ぀ば」面 8䞖玀前埌。
 也闥婆の䞀般的な説明にこれを方盞氏ず結び぀けるものは芋圓たらないが、確かにこの四぀目の衚珟が、方盞氏ずの関係を思わせるが、これは時代が8䞖玀ず新しいのである。
 
 蚭楜氏も四぀目のこずが気になっおいたようで、四぀目の人物が描かれたずいう石棺の出土を方盞氏ず結び぀ける奜䟋ずされたのである。さおこれはどうであろうか

城野じょうの遺跡の線刻画は方盞氏なのか

 北九州垂城野遺跡の箱匏石棺朚口郚の線刻画が戈ず楯を持぀四぀目の方盞氏だずいう。
 

城野遺跡石棺の線刻画のスケッチ

 蚭楜氏はこの石棺の線刻画に぀いお、「幌児の枕元である石棺の小口には歊噚ず盟を持぀人物が描かれおいた。子どもを疫鬌から守るのが方盞氏の圹割であったこずからすれば、描かれた人物は方盞氏の可胜性が高いずみた」蚭楜2024ずされるのだ。だが気になるこずがある。線刻をよく芋おいただきたい。

出兞HP「北九州垂 時ず颚の博物通」

 そもそも城野遺跡の線刻はスケッチ図にある通りのものであろうか。拡倧写真を芋おもずおもわかりにくいものだ。最初に調査された方々も、䜕が描かれおいるのか芋圓が぀かなかったそうだ。巊目の䞊にもう䞀぀の目があるずするが、かなり無理なずらえ方に芋える。たた右目の䞊には党く目に圓るような線刻はない。戈や楯も埮劙だ。さらに胎䜓の栌子のような線も、スケッチずは違っお芋えるのだが。スケッチには描かれおいないラむンもあるように芋える。
 私は博物通北九州垂立埋蔵文化財センタヌでこの展瀺の解説を芋たが、実物の写真の線刻䞀぀䞀぀をなぞるように説明しおもらわないず、どうもよくわからなかった。
 どなたが、このスケッチを䜜成されたのかず思っおいたのだが、城野遺跡の䌚HPの䜐藀浩叞氏の寄皿された蚘事によれば、調査に圓った人たちは、この図が圓初、䜕を意味しおいるのか党く分からなかったそうだ。そこで蚭楜氏に盞談するず、この線刻絵画を方盞氏ず想定されおスケッチを描かれたずいう。蚭楜氏の䜜品であった。他の研究者のみなさんは、それで玍埗されたのだろうか。第䞉者による怜蚌はなかったのであろうか。
 
 ふず思ったのだが、ひょっずしおこれは、顔ではないものが顔に芋えるパレむドリア珟象の類いではないかず考えるのは倱瀌であろうか。
 次の匥生時代の朚補品の文様を芋おいただきたい。

奈良県纏向遺跡出土匧文板 

 囲ったずころをよく芋るず、私にはパヌマン日本のアニメのキャラクタヌのように芋えるのだが。叀墳時代に䟋があるが、石宀の石板に盎匧文などが描かれたり、装食叀墳などには幟䜕文様の線刻画よく芋受けられる。匥生時代の吉野ケ里遺跡の石棺の蓋には無数のペケ印が描かれおいた。この城野遺跡の堎合も、幟䜕文様の可胜性は無いであろうか。
 もしこれが戈ず楯を持぀人物であるずしおも、四぀目は無理があるず思われる。蚭楜氏も右目の䞊には目ず想定できるものはないず認めおおられる。
 

四぀目にこだわらずに方盞氏を考える。

 この城野遺跡の絵画を巡っおは、新聞報道に日本に匥生時代から節分があった、ずいう報道がなされたこずもあった。しかしこれはちょっず違うであろう。
 そもそも匥生時代に節分祭があったなどずいう解釈がおかしい。『魏志倭人䌝』に描かれた倭囜の習俗の蚘事の䞭で、裎束之はいしょうしの泚に次のような蚘述がある。
 「魏略曰。其俗䞍知正歲四節、䜆蚈春耕秋收爲幎玀。」
 倭の習慣には、1幎の䞻芁な4぀の祭りずいうものはなく、春の皮たきず秋の収穫だけを1幎の暊ずみなしおいる。節分ずは1幎を4぀に分けた各季節の始たりの日のこず。魏志倭人䌝に暊がないず曞かれた圓時の倭囜に、節分などあったずは蚀えないのである。

 では、城野遺跡の図は方盞氏ず無関係であるかずいえばそうずも蚀えない。䞭囜の方盞氏ず理解されおいる人物俑や鎮墓像にも四぀目はない。これに぀いお、次のような指摘もある。
 「方盞氏ず歊士俑は区別が難しい。いずれも墓に䟵入する悪鬌を远いはらう圹割をしおいる。しかし、墓䞭の俑は必ずしも『呚瀌』の述べる方盞氏の姿をしおいない。ずいうよりも、珟圚、出土しおいる方盞氏ずされる俑の䞭で「四぀目」のものは芋圓たらない。たた「熊の皮」ではなく、鎧甲を着おいるようにみえる」倧圢2024、ずいったように、方盞氏ず蚀っおもいろいろな圢があるずしおおくしかないようだ。

 子䟛が埋葬された石棺の内偎に四぀目の方盞氏が描かれおいたずは断定できないが、子䟛の再生を劚げるような邪鬌を近づかせないようにするための、シャヌマンなどの人物や呪術のための幟䜕文様が斜されたずする可胜性は高い。それを広い意味で「方盞氏」ず呌ぶこずは可胜なようである。葬儀の際に棺に先立っお墓宀に入り、戈で四隅を突いお鬌を远い払う圹割を担っおいたようなので、それが石棺に描かれおいおも䞍自然ではない。

 そうなるず、匥生時代から奈良時代たで、カタチは違っおも方盞氏ずなるものが描かれおきたずいうこずになりそうだ。適切な䟋えは浮かばないが、人類もチンパンゞヌもゎリラも、それらをたずめお「猿」だ、ず蚀っおいるような気もするが。
 先ほどの寺沢氏は、戈を持぀人物を闘うシャヌマンず衚珟されたが、これも広い意味では方盞氏のこずずなるかもしれない。
 
 以䞊のように、今のずころは匥生時代に四぀目の方盞氏は存圚したずは蚀えないし、これにこだわる必芁はなく、たた節分もしかりだ。ここは「方盞氏」ずいう定矩、颚貌や仕草、その人物の特城を䞀般的にわかりやすいものにしおいただきたいず思う。さらには、奈良、平安時代以降の祭瀌の方盞氏ず叀代の蟟邪の図像における方盞氏も分けお説明しおもらえればわかりやすくなるず思うのだが。

 さお、方盞氏に぀いお考えおいくうちに、ふず思うこずがあった。人々は、はるか以前からこの方盞氏のような存圚を必芁ずしおいたのは間違いない。人々を苊しめる疟病や自然灜害、獣害に事故などの芁因ずなる邪悪な存圚を鬌ずいった魔物ず考えお、なんずか远い払おうず考えたのは、い぀の時代も同じではないか。
 するずはるか昔から方盞氏の前身ずなるような存圚によるマツリが行われおいたのではないかず。この点に぀いお次に考えおみたい。
 

参考文献
蚭楜博巳『顔の考叀孊』
蚭楜博己2024『盟持俑小考』駒柀倧孊孊術機関リポゞトリ
寺沢薫2026『銅鐞の䞖界』新泉瀟2026 
出口祐資『藀ノ朚叀墳の金銅補鞍金具に関する䞀考察』京郜孊園倧孊人間文化孊郚2009
倧阪府立匥生文化博物通『匥生のマツリを探る』平成30幎床倏季特別展図録

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