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生き様は顔に出る

 仕事終わり、夜の電車の窓に自分の顔が映っていた。ああ、疲れている。目の下に影があり、口元が少し固い。朝、家を出る前に洗面所で見た顔とは違っていた。誰かに見せるための顔ではなく、一日を終えたあとの、油断した顔だった。

 こんな顔で、今日一日を過ごしていたのか。そう思うと、少しだけ申し訳ない気持ちになった。誰に対してなのかはわからない。今日会った人に対してなのかもしれないし、自分に対してなのかもしれない。窓の外は黒く、車内の明かりだけが自分の顔を薄く浮かび上がらせていた。

 生き様は顔に出る。

 ふとこんな言葉を思い出した。

 ずっと顔というものをもっと単純に見ていたような気がする。整っているか。目鼻立ちがはっきりしているか。肌がきれいか。笑ったときに魅力的か。そういう、わかりやすい基準で人の顔を見ていた。

 けれど最近は、見方が変わったように思う。きれいな顔よりも、よく生きてきた顔に目がいく。よく笑う人の顔には、笑ってきた時間が残っている。それは目尻の皺かもしれないし、口元のゆるみかもしれない。あるいは、誰かの話を聞くときに、ほんの少しだけ眉を下げる癖かもしれない。

 何度も我慢してきた人の顔には、我慢の跡がある。けれど、それは必ずしも暗いものではない。簡単には怒らなくなった人の眉のやわらかさ、苦労を苦労として見せない人の、少しだけ乾いた表情。そういうものに、ふと惹かれるようになった。

 もちろん顔は履歴書ではない。その人がどこで生まれ、どんな仕事をして、誰を愛し、何を失ってきたのか。顔を見ただけですべてがわかるわけではない。人はこちらが思っているよりずっと複雑で、見えているものだけで判断できるほど単純ではない。

 けれど、顔には何かが残るのだと思う。

 毎日ご機嫌に生きている人の顔には、ご機嫌が少しずつ住みつく。いつも誰かを疑っている人の目には、疑いの細い影が差す。よく笑う人の顔には、笑いの通り道のようなものができる。無理に明るくしている顔と、本当に人を受け入れてきた顔は、どこか違う。

 自分の顔は、自分ではいちばん見えないものだ。

 鏡を見れば見えるけれど、それはそこに映った顔に過ぎない。人に会っているときの顔。考えごとをしているときの顔。誰かの言葉に傷ついた瞬間の顔。うれしいのにうれしいと言えず、変な冗談でごまかしているときの顔。そういう顔は自分ではわからない。

 だから、ときどき怖くなる。

 この生き方は間違っていないだろうか。小さな嫉妬。見栄。疲れ。諦め。誰かにやさしくしたいと思いながら、結局自分のことで精一杯だった日もあった。そういうものが、少しずつ顔に滲んでいたらどうしようと怯えている。

 でも、きっと滲んでいるのだと思う。人は隠しているつもりのものほど、どこかに出してしまう。言葉にしなくても、表情の端や目線の動き、笑い方などに出る。自分では取り繕えているつもりでも、長い時間をかけて積もったものは、簡単には隠せないものだ。

 けれど、それは悪いことばかりではない。弱さを抱えたまま人に会ってきたことも顔に出るし、傷ついても誰かを傷つけすぎないようにしてきたことも顔に出る。そういうものが少しずつ積み重なって、いまの自分になっているのだ。

 顔に出る生き様というのは、立派なものだけではないのだと思う。堂々とした顔だけが、生き様ではない。何度も折れそうになりながら、折れきらなかった顔もある。

 そういう諦めなかった日々の連続を美しいと思うようになった。

 若さには若さの美しさがある。まだ何も刻まれていない表情や、自分がこれから何者にでもなれると信じている目はたしかに眩しい。でも、年齢を重ねた顔には、別の光がある。それは消えなかったものの光だ。

 ある喫茶店で、年配の女性がひとりでコーヒーを飲んでいるのを見たことがある。

 窓際の席だった。髪はきれいにまとめられていて、指先の動きがゆっくりだった。彼女は文庫本を開いていたけれど、ほとんど読んでいなかった。ときどき窓の外を見て、その後にまた本に目を落とす。カップを持つ手の動きも、ページをめくる仕草も、誰かに見られることを前提にしていない静かさがあった。

 その横顔がとてもよかった。何がよかったのかはうまく言葉にできない。ただ、急いで誰かに理解されようとしていない静けさがあった。長く生きてきた人だけが持つ、余計なものを少しずつ手放したあとの顔だった。何かを諦めた顔にも見えたし、何かを許した顔にも見えた。たぶんその両方だったのだと思う。

 ああいう顔になりたい、と思った。整った顔になりたいわけでも、若く見られたいわけでもない。ただ、自分のしてきた選択が、ちゃんと自分の顔になっていたらいいと思う。

 やさしく生きたいなら、やさしさが顔に出るまで生きるしかない。面白がって生きたいなら、面白がってきた人の顔になるまで、日々を見つめるしかない。どちらにしても、顔だけを変えることはできない。変えられるのは、毎日の過ごし方だ。

 人の生き様は顔に出る。それは少し怖い言葉だ。けれど、少し救いのある言葉でもある。今日どう生きるかが、いつかの顔をつくるのだとしたら、まだ間に合う気がするからだ。

 家に帰って、洗面所の鏡を見た。電車の窓で見た顔よりは、少しましに見えた。けれど、いい顔だとは思わなかった。少し疲れていて、少し意地悪で、少し情けない顔をしていた。でも、今日を生きたのは事実だ。そういった日々の積み重ねをなかったことにはできない。

 洗面所の明かりを消すと、鏡の中の顔も消えた。暗くなった廊下を歩きながら自分の頬に少しだけ触れた。今日の疲れも、今日の意地悪さも、今日のささやかなやさしさも、たぶんどこかに残っている。それでも明日になれば、またこの顔で人に会う。そう思うと、少しだけ背筋が伸びた。

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