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NO EXCUSE(Short Version)

 これは1980年代の、地方都市での話だ。私はこの話を絶対に書いておかなければならない。これは私の恥部についての話で、加害の記憶、活動家と名乗った理由、マジョリティとしての責務を思う理由、自分の核なのだ。

RYOJI

 初めてそれに参加したとき、私は小学3年生くらいだったのではないだろうか。私の学校では地域のろう学校との交流があった。年に一度、クラスにひとりの代表者が選出されて、ろう学校を訪問する。その日に限って代表者は授業に出なくてよくて、ポテポテと数十分の道を歩いてろう学校に行く。そして数時間をそこで過ごすのだった。両校の交流はそれだけだった。
 
 教師が「立候補する人!」と子どもたちに挙手を求める。私は毎年手を上げて、そのまま代表者になっていた。全く競争率は高くなかった気がする。なぜなら、常に私が選ばれていたからだ。私にはどうして他の子が参加しないのか不思議だった。授業に出なくていいし、耳が聴こえない子と遊ぶだけでいい。なぜか帰りにはお菓子だってもらえた。自分の学校に戻るとクラスメートらの前で先生から褒められるのはくすぐったいが、とても良いことをしたみたいで、ものすごく嬉しいのに。
 
 魔法がとけたのはいつ頃だったのだろう。
 
 ある時期まで楽しい思い出だったその記憶が忌まわしいものとなり、今では心を乱さずに思い出せない。私はあの場所で何をさせられたのか。何に加担させられたのか。事前講習代わりにいつもの教室で、先生たちは私たちに訪問先の子どもたちがどれほど「かわいそう」か説いた。そして「お世話してあげましょう」と言った。代表者になった私たち児童はもちろんそうした。ろう学校の児童と向かい合って座り遊んだ。手話ができるわけでもない私たちは、ろう学校の児童に唇の動きを読んでもらわなければ会話ができないから、絶えず音声言語で話しかけていた。それは致し方ないかもしれない。しかし問題は、私が彼に対して幼児をあやすような口調と言葉で話しかけていたことだ。私はそのことを覚えている。忘れられるわけもない――その交流では、同じ年齢の子どもがペアを組む決まりだった――彼は私と同じ年だったのである。同じ年の子を、赤ちゃん扱いしていたのである。

 現在もそのことについて考える度に、私は叫び出しそうになって喘ぎを飲み込む。ただ聴覚障害をもつだけのちがいしかない同じ年の子に、私はまるで情動の発達が遅い相手に話しかけるように、話しかけていたのだ。

 そのあやし言葉のニュアンスを彼が聞き取れていたかどうかは関係ない。子どもだった私の年齢も無知も未熟も関係ない。他の子たちの誰もがそうしていたことも全く関係ない。――私はそうしていたのである。「私が」「彼に」そうしていたのである。その罪深さを思い、謝りたくなる。すまなさに泣く。今書いていてもそうだ。
 エクスキューズはない。私はあの場所で、彼にひどいことをした。
 
 「何年生だったのか」「何十分歩いたのか」「何時間くらいそこで過ごしたのか」。――私がこれを書こうとしながらそれらの点について書けないのは、心に重く閉じているからだ。できれば思い出したくないのだ。それは私の恥部で、真っ先に忘れたい「加害の記憶」だから。でも私は忘れがたく彼の目を覚えている。彼は怒っていなかった。悲しんでもいなかった。しかし全く楽しんではいなかった――あの目はそう、「あきらめた目」だった。あの目の、その色を変えたくて、今がある。

 私の始まりについて考えるとき、胸に浮かぶのはその経験なのだ。5歳で自分が男の子に惹かれていることに気づき、それが社会の禁忌だと理解した経験よりも苦しく思い起こされる。
 
 彼は私が友達になれなかった子だ。なあ、君の目におれはどう映ってた?
 
 そして私は、当時の教師たちに対して恨みの感情を抱き続けている。その年頃の子どもには理解できないことが多いし、動機付けも必要だったのかもしれないのだとしても、どうして「お世話してあげましょう」「遊んであげましょう」などと言ったのか。なぜ「ただ耳が聞こえないだけだ」「彼にも君と何も変わらない感情がある」「カン違いするな」「いい気になるな」と教えなかったのか。どうして「君は彼と友達になれる」と教えてくれなかったのか。教師たちはあの場所を使って、子どもだった私に何をしたのか。
 ——あれは「支配者化教育」だった。

 私はヒーローでも何でもなかった。単なる抑圧者だった。それに気づいた時の絶望、無念。マジョリティとしてのスティグマ。――これが私の、「マジョリティとしての」経験である。

 これは1980年代の、地方都市での話ではない。2026年現在の状況はおそらく本質的に変わっていない。ヒトの心がそれほど変わっていないからだ。そして私はマイノリティとしてはみ出さないように「わきまえて」発信することが、多分これからもできない。苦しさを知ってる、あなたもやめたいんじゃないのかと、問わずにいられない。私はまだ、思い出しては泣くのだ。


記事をご紹介いただきました

川本 麻央 様、ありがとうございます。


記事をご紹介いただきました

タイラー|五感翻訳家|五感解析ラボ主宰 様、ありがとうございます。


確かな未来を残せるのでなければ何のために生まれたのか

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