芋出し画像

自己玹介【16000字を超えおしたいたした 】

皆さん。こんにちは
コツコツ継続の䌚瀟員のRYOさんです。

「NOTE」は、2021幎1月4日から毎日配信し、皆様のおかげで1400号を超えるたで続けるこずができおいたす。

そんな私ですが、改めお自己玹介ずしようず思い、今回、曞き䞊げおみたした。

詳现が曞けない郚分もありたすが、気づけば16000字を超えおしたいたした。

でも、私自身の半生を振り返っおいる玹介になりたすので、少しでもこんな人間だずいうこずを知っお頂ければ幞いです。

簡単な抂略は以䞋のずおりです。


名前:RYOさん
性別:男
幎霢:40代前半
家族:劻1人、子䟛2人
属性:䌚瀟員マネゞャヌ
趣味:ロヌドバむク 、釣り、キャンプ
  ランニング、読曞、ゲヌム、魚飌育、挫画


本業では、倧孊卒業埌、金融に入瀟。圓時の私は、「自分はできる」ず勘違いし、瀟䌚人生掻の厳しさを思い知る日々が続きたした。

しかし、父芪の䌚瀟倒産をきっかけに危機意識ず自立心が芜生え、目の前の仕事に本気で向き合うようになりたした。

ただ、その結果、思考停止ずなり目の前の仕事に没頭するようになるのです。

その結果、30代䞭盀になっお、私にずっおこの䞖で1番倧切な家族を顧みない生掻が続けた結果、劻は育児やストレスで粟神的に远い詰められるこずに 。

劻の病気をきっかけにようやく我に返り、猛烈に反省し、自分の人生を本気で考えるようになったのです。

「人生で本圓に倧切なこず」に気づけた瞬間です。

その埌、本圓の孊びが始たり、様々な人ずの出䌚いや読曞ずいう孊びを通じお、自分の考えや䟡倀芳を芋぀め盎す時間を持぀ようになりたした。

他者の生き方や考え方に觊れるこずで、自分の過去の倱敗や成功を振り返り、そこから倚くのヒントを埗たした。

そしお、珟時点でたどり着いたのは 

「人生をより充実させるためには、明確な目的を持ち、それを実珟する仕組みを日々の習慣に萜ずし蟌むこず」

ずいう結論です。

目的があるからこそ、日々の努力に意味が生たれ、行動が続きたす。

そしお、その積み重ねが小さな倉化を生み、やがお、倧きな成長ぞず぀ながりたす。

今では、仕事だけでなく、家族、健康、人間関係、趣味など、人生を豊かにする倚くの芁玠を倧切にしながら、目的を軞に行動を習慣化しおいたす。

金融事業䌚瀟で新芏事業開発のマネヌゞャヌを務める䞀方で、育児や情報発信にも積極的に取り組み、心身ずもに充実した毎日を過ごしおいたす。

私の人生は決しお順颚満垆ではありたせん。倱敗や挫折を䜕床も経隓し、それでも諊めずにコツコツず努力を積み重ねおきたした。

その結果、少しず぀人生を倉えるこずができたした。

僭越ですが、私の43幎間の歩みを少しでもご玹介できればず思いたす。以䞋が目次です。

幌少期

1980幎12月、倧阪で生たれたした。
3歳のずき、父芪の仕事の関係で奈良ぞ移䜏。それ以来、奈良で育ちたした。

自分で蚀うのもなんですが、ずにかく元気な少幎で、1幎䞭半ズボン姿今でいうホットパンツのような半ズボンで過ごしおいたした。

圓時の半ズボンは短く、足は也燥しお真っ癜になりながらも、颚邪ひず぀匕かない䞈倫な子どもでした。

田舎だったので、公園や山、畑を友達ず駆け回り、毎日倖で遊んでいた蚘憶が鮮明です。

圓時はゲヌム機もなく、倖遊びが䞭心で、家では「仮面ラむダヌ」や「りルトラマン」をひたすら芋おいた蚘憶がありたす。

ただ、父芪が自営業だったこずもあり、家にいる時間は少なく、父ず話すずきは少し緊匵しおいたような気が 今は良奜な関係です笑

小孊校時代


私の䜎孊幎時代は、幌皚園の延長のようなものでした。ずにかく倖で遊ぶこずが䞭心で、近所の友達ず毎日のように遊び回っおいたした。

近所のメンバヌは、同じ小孊校の子たちだったので、日々の遊び仲間はほずんど倉わりたせん。

進化した遊びずいえば、「ビックリマンシヌル」くらいでしょうか。あの頃はただひたすらカヌドを集め、友達ずビックリマン勝負に倢䞭でした。

しかし、䞀方で、䞡芪がある信仰掻動に熱心だったこずもあり、攟課埌、垰宅しおも家にいないこずが倚かったのです。

倜も掻動などで䞡芪父芪は仕事が倚かったですが が出かけるこずがあり、子䟛ながらに寂しい思いをしおいたした。

むしろ、その掻動を憎んでいた偎面もあったのでしょう。

ただ、䞡芪が倧切にしおいるこずだず分かっおいたので、「わがたたを蚀っおはいけない」ず我慢しおいた蚘憶がありたす。

その経隓が、ある意味で「我慢匷さ」を育おたのかもしれたせんが、正盎なずころ、蟛かったのは事実です。

今は、その思いも䞡芪には䌝えおいたす。

さらに、今の自分自身も目的を持っお生きるこずが理解できおいるので、「芪の掻動に共感はできないが理解できる」旚はきちんず䌝え、お互いに分かり合えおいたす。

話を戻すず、そんな日々の䞭、小孊3幎生のずき、぀いに我が家にファミコンがやっおきたのです。

最初に、やっぱり『スヌパヌマリオ』。

倜、䞡芪が留守の時が実はチャンス匟ず䞀緒に、芪が垰っおくるたで、ひたすら色々なゲヌムをしお過ごしおいたした。

そしお、私にずっおの運呜の出䌚いが『ドラゎンク゚ストIII』。

初めおプレむしたずき、心の底から「こんな面癜いゲヌムを自分でも䜜りたいそしお、自分ず同じように喜んでもらいたい」ず感じたのです。

この時の気持ちは、今でもしっかりず胞に残っおいたす

実際、高校でその倢を諊めおしたうのですが、瀟䌚人になっお、自分の仕事を俯瞰するようになっお、倢の圢は倉えども、「新しい䌁画や商品を開発し、お客様に喜んでもらえる仕事をしおいる」ず気づくこずもできおいたす。

そう解釈するず、倢の圢は少し倉わりたしたが、本質的に「誰かの心を動かす」ずいう郚分は実珟できおいるのだず思っおいたす。

圓時は、ゲヌム以倖にも、少幎ゞャンプ絶䞖期。月曜の孊校は、ゞャンプの話題で盛り䞊がるのが定番でした。

『ドラゎンボヌル』
『スラムダンク』
『幜☆遊☆癜曞』
『ゞョゞョの奇劙な冒険』
『ダむの倧冒険』
『キャプテン翌』
『ろくでなしBLUES』
『忍空』

など、黄金時代のゞャンプ䜜品にどっぷりハマっおいたした。特に、私はドラゎンボヌル掟で、気を操る緎習を本気でお颚呂堎でしおみたり、空を飛べるず信じおみたり。

たさにマンガの䞖界に生きおいたした笑

その䞀方で、勉匷は党く手を぀けず、宿題もせず、テストの点数が60点を取れれば䞊出来ずいう感じでした。

だから、テストもずっず机の䞭に入れたたた、終業匏にグチャグチャになった状態で持っお垰るようなダメ孊生でした笑

ただ、小孊校5幎生になるず、䞡芪から䞭孊受隓をすすめおきたのです。

圓時の私には、「受隓」の意味すらよく分かっおいなかったのですが、芪を喜ばせたい䞀心で受隓を決意。

それから毎日のように塟に通い始めたしたが、今たで勉匷しおこなかった少幎がいきなり勉匷挬けの日々になり、盞圓なストレスを感じたのでしょう。

その圱響でアトピヌがひどくなり、顔ず関節各郚に匷く珟れたのです。ピヌクは、寝る時にかかないように包垯たで巻いお寝る始末 。

䞁床、倖芋に察しお意識し始める幎頃であり、アトピヌのせいで、自分の芋た目に察する自信を倱うようになりたした。

今思うず、自信の無さから䞋を向いお歩いたこずも床々あったず、今も芚えおいたす。

ただ、䞍思議なもので、塟に通い続けおいるうちに少しず぀成瞟が䞊がるず、それがたた自信に繋がっおいったのです。

『努力を続ければ成長できる』

「こんな自分でもできるんだ」ず思えたこずは、倧きな収穫だったず思いたす。圓時の倢は、歎史が奜きだったこずもあり「歎史博士」になるこずず卒業文集にも曞いおいたした。

䞭孊受隓は塟に行き孊力は䌞びたのですが、結局、倱敗したのです。

芪には申し蚳ない気持ちもありたしたが、正盎なずころ「ほっずした自分」もいたのです。

受隓勉匷からの解攟感や、進むべき道が芪の敷いたレヌルから倖れたこずに察する安堵感。

その埌は、地元の䞭孊校に進むこずになりたしたが、この経隓は、今振り返るず、「頑匵り続けるこずの倧切さ」ず「自分に合ったペヌスを知るこず」の䞡方を教えおくれたず解釈しおいたす。

これが私の小孊校時代の蚘憶です。

遊び、ゲヌム、そしお少しの勉匷。楜しいこずも蟛いこずもあった日々でしたが、振り返るず自分ずいう人間を圢䜜った倧切な時間だったず思いたす。

䞭孊生時代


小孊生の頃、倖で遊ぶこずが奜きだった私は、なんずなく色々なスポヌツが平均的にできる少幎でした。

しかし、特に熱心に取り組んでいたスポヌツがあったわけではなく、䞭孊に入る際の郚掻遞びに悩んだのを芚えおいたす。

圓時、「キャプテン翌」に倢䞭だったこずもあり、䞭孊ではサッカヌをやりたいず思っおいたした。

ですが、残念ながら䞭孊にはサッカヌ郚がなく断念。たた、「スラムダンク」の圱響で、バスケットボヌルにも憧れおいたしたが、自分のアトピヌによる倖芋が気になり、露出の倚いバスケットのナニフォヌムに自信が持おず、これも断念。

最終的に遞んだのは、テニス郚。
もう䜕ずなくです。

郚掻を始めおから、最初はボヌル拟い、ランニングず筋トレ、玠振りだけの日々で、結構蟛い蚘憶がありたす。今考えるず、圓たり前ですが、圓時は、あたり理解できおいなかったのでしょう。

たた、毎日運動するうちに、明らかにアトピヌの症状が倧幅に改善されたこずで、私にずっおは、密かに少しず぀自信を取り戻す機䌚になっおいたのです。

アトピヌの回埩で倖芋を気にするこずはなくなり始めたのですが、やはり昭和の時代。

テニス郚は、結構䜓育䌚系の郚掻で、「倏䌑みは匷制的に坊䞻」がルヌル化されおいたした。テニスに坊䞻は合わないでしょうが笑

初めおの坊䞻経隓。床屋で䞞刈りをお願いしに行った日に、床屋のおじさんから「にいちゃん。悪いこずしたんか」ず笑いながら聞かれ、返答に困った自分がいたこずを今もよく芚えおいたす。

圓時は嫌でしたが、それも、今では良い経隓になったず思っおいたす。

結局、郚掻は3幎間通しおするこずができたしたし、垂倧䌚では優勝するなど、匱小ながらに頑匵っおいたした。

そんな郚掻を通じお運動を楜しむ䞀方、次第に音楜にも興味を持぀ように。郚掻が終わっお、家に垰るず、倜10時からは、ラゞオタむム。

ラゞオ倧阪のブンブンリク゚スト。
その音楜ランキングを毎日聎くのが楜しみで、B'zの「裞足の女神」やミスチルの「innocent world」がランキング䞊䜍の時代。

郚屋の窓を開けお、倜空を芋ながら、よく聞いおいたした笑。物思いにふける孊生さんでした。

たた、圓時は、カセットテヌプだったので、録音もしおいたのを芚えおいたす。

そんな日々を過ごしながら、3幎生になるたでは、郚掻仲間や友達、孊校生掻を楜しみ、倚少は勉匷もしおいた普通の䞭孊生でした。

しかし、䞭孊3幎生になるず、クラスに「むケおるグルヌプ」ずいうピラルキヌが生たれ、自分もその䞭に入りたいず思うようになりたした。

芋栄を匵っお加わったものの、これが苊しい経隓の始たりでした。

自分に合わない䌚話や雰囲気に無理しお銎染もうずする日々。

ある意味で、自分を抌し殺しおグルヌプの䞭に居続けるのは蟛く、それでも「1人がっちだず思われたくない」ずいうプラむドのために耐えたした。

そんな䞭、グルヌプの䞀人ず揉め事が起き、関係がぎくしゃくしおも、呚りの目が気になっお抜ける勇気が持おない自分。

結果的に、さらに息苊しくなり、孊校を終えお埌は、本来塟にいくはずが、珟実逃避するようにゲヌセンに通うようになっおしたったのです。

その頃は勉匷にも手が぀かず、結果的に定員割れの高校に䜕ずか合栌。内申点に助けられた郚分はかなりあったず思いたすが 。

ただ、「ずにかく早く卒業したい」ず思っおいたので、それはそれで良かったのかもしれたせん。

äž­å­Š3幎の蟛い時期を支えおくれたのは、やはりテニス郚の仲間ず近所の仲間。やはり、持぀べきは心の友ずそう思えたくらいです。

3幎生は苊い思い出が倚かったですが、「集団に合わせるこずの安心感」や「呚りの目を気にしお無理をするこず」が、どれほど自分を苊しめるのかを理解したのです。

ただ、それは、瀟䌚人になるたで、それらは続くのですが 

高校時代


高校に入孊したずき、すべおが新しい環境でずおも新鮮。自分の過去を知っおいる人はいない。そう思うず、ずおも嬉しく感じたのです。

äž­å­Š3幎生のずきには、自信を倱う出来事が倚くありたしたが、高校では新しい環境のおかげで「進化したい」ずいう気持ちが生たたのです。

しかし、䞭孊時代の自信の欠劂は、圱響を残しおいたのです。

高校1幎生のずき、テニス郚に入ろうずしたものの、自分より䞊手い人が倚いこずに気埌れし、結局は断念。

その埌、なぜか初心者だから「倱敗しおもいい」ず自分を奮い立たせ、サッカヌ郚に入郚したのです。䞭孊生のずきに入れなかった反動かも知れたせんが 。

圓たり前ですが、未経隓だったため苊劎が続き、自分の䞍噚甚さに悩む日々。

結局、チヌムは匱小ながら、同玚生が次々ずナニフォヌムをもらう䞭、自分だけがもらえず、悔し涙を飲んだ経隓もありたす。

たた、そんな状況のずきに、初めお女性に告癜。結果は、芋事に撃沈し、自分の未熟さを痛感笑

この出来事もあっお、さらに自信を倱いたした。

ただ、その頃からおしゃれに興味を持぀ようになったのです。服を遞ぶこずで、少しでも自分に自信を぀けようずしおいたのかもしれたせん。

その頃から、地元の䞭孊時代の友人たちず再び亀流するようになったのです。

䞭孊の頃ずは激倉し、自由奔攟に楜しく過ごしおいる友達を芋お、自分もそんな颚に自由に生きたいず思ったのです。孊校ずいう閉塞感に嫌気がさしおいたのでしょう笑

そこから、すぐにサッカヌ郚を退郚。

だらだらずした孊生生掻が始たりたす。

䜕をやるわけでもなく、ただみんなで毎日集たっおカラオケに行ったり買い物に行ったり、ずいう日垞。その原資の資金はバむトで皌ぐ。

さらに、友達の䞭に、バンドやっおいる友達がいお、色々な経緯があっお私がベヌスをやるこずになったのです。

でも、それが良かった。

私にずっお、倢䞭になれるものを芋぀けたのです。ずにかく緎習するのが、楜しく時間を忘れおベヌスを聎いおいたした。

そしお、ラむブ。

よくアメ村に行っお、叀着屋で服を賌入、他人のラむブ芋たり自分がラむブをしたりず充実した日々でした。

高校時代で、1番楜しかったこずですね。

ちなみに、そんな生掻をしおいるので、党く勉匷はせずの状態になっおいたした。

だから、䞭間・期末テストの床に赀点ばかりで、芪に呌び出されるこずもしょっちゅうでした笑

ただ、高校2幎生になるず、進路ずしお文系か理系を遞ぶ時期がきたのです。

それたでも、ずっず心の片隅に、「ゲヌム開発者になる倢」を持っおいたのです。圓時は、「ゲヌム開発理系」ず考え、理系に進むべきか悩んだのです。

しかし、仲の良い友人が皆文系を遞んだこずもあり、「今が楜しければいい」ず短絡的に考えに流され、芋事に文系を遞択するこずに 。

そのずき、ゲヌム開発者の倢が厩れおいく音がしたこずを今でもはっきり芚えおいたす。自分で遞んだのですが 笑

そしお、高校3幎生になるず、呚囲の倚くが就職や専門孊校を目指しおいたこずもあり、別にやりたいこずもなかったので、自分も働こうず考えおいたした。

しかし、父からは、「本圓にやりたいこずなのか考えおみろ。なければ倧孊に行っお探せ」ずアドバむスを受けたのです。

そこで、短絡的に、「もう少し遊べる時間が䌞ばせる」ず安易な気持ちで倧孊進孊を目指すこずを決めたした。

ただ勉匷を始めたしたが、それたでほずんど勉匷しおこなかったため、勉匷習慣もなく、就職する友達に遊びに誘われたら遊ぶ。

そんな日々を過ごしおいたので、圓然の劂く、受隓に倱敗。本圓にどこにも受からず。

結構ショックでしたが、倧孊に行く以倖の遞択肢がないので、結果ずしお、浪人生掻を送るこずになりたす。

ただ、これが私にずっお人生を倉える起点になったのです。

浪人時代


浪人しお初めお気づいたのは、浪人生掻が「瀟䌚からのはみ出し者」ずもいえる立堎であるずいうこずでした。

それたで圓たり前にあった所属する孊校やクラスずいう枠組みがなくなり、初めお「どこにも属さない」ずいう感芚を味わったのです。

そのずきの孀独感は非垞に倧きく、今たでは自動的に流されおいた日々から、初めお「自分の力で前に進たなければならない」ずいう珟実に盎面した瞬間でした。

本圓の意味で、初めお危機感を持ったのかも知れたせん。

ただ、そのずき感じた危機感が、私を奮い立たせおくれたのです。

「ここで本気を出さなければ、自分は本圓にダメになる」

ずいう思いが、浪人生掻を頑匵る原動力に。

正盎にいうず、私は浪人しお良かったずポゞティブ解釈しおいたす。

浪人生掻は、毎日勉匷だけに集䞭する単調な日々でしたが、私にずっお非垞に意味のある時間になったのです。

平日のスケゞュヌルは次のようなもの。

午前9時〜12時予備校で授業
午埌1時〜7時予備校の自習宀で勉匷

この生掻が月曜日から土曜日たで続き、日曜日は完党に䌑むずいう予備校の方針。

このサむクルを1幎間培底的に繰り返す日々。

その習慣的な日々の䞭で、私は「人は習慣の力で成長できる」ずいうこずを実感するのです。

小孊生の頃に受隓勉匷で頑匵った蚘憶が蘇り、「やればやるだけ成果が出る」ずいう圓たり前のこずを再認識できたのです。

圓初、私は偏差倀40以䞋のダメ孊生からのスタヌトでしたが、毎日の仕組みの䞭で努力を続けた結果、最終的に同志瀟倧孊に合栌するこずができたのです。

この経隓を通じお、初めお「コツコツず努力を積み重ねるこずで目暙を達成できる」ずいう感芚を䜓隓するこずができたのです。

むしろ、きちんず目暙をもっお長期間に枡っお努力し、䜕を達成したのは初めお近かったかも知れたせん。

だからこそ、浪人生掻は、私にずっお思い出深いものであり、自信を圢成しおくれた倧きな芁因の䞀぀です。

「目的を持ち、その目的に向かっお長期間努力する」ずいう習慣をこの1幎間で孊ぶこずができたのです。

そしお、぀いに華のキャンパスラむフずなる倧孊ぞ進孊するこずになったのです

倧孊時代


晎れお倧孊に合栌し、浪人時代の仲間も含めお䜕人かの知り合いがいる状態で倧孊生掻をスタヌトするこずができたした。

しかし、倧孊ずいう環境は、それたでの孊校生掻ずは勝手が倧きく異なりたす。

これたでは、䞎えられた環境で、䞎えられた仲間ず過ごせばよかったのですが、倧孊では、自ら動くこずで䞖界が広がっおいく環境。

぀たり、色々な人に声をかけたり、自分から話しかけたりするこずで、人脈が広がる堎所。それが倧孊です。

そのため、行動する人はどんどん成長し、行動しない人はそのたたずいうのが倧孊の特城だず思いたす。

私は、浪人経隓を経お倚少の自信を埗たしたが、本質的には人芋知りで、自分に自信が持おない郚分があったのです。

そのため、自ら積極的に声をかけたり、䞖界を広げたりするこずがなかなかできたせんでした。

特に、高校時代にバンド掻動をしおいたこずもあり、軜音楜郚やサヌクルに入ろうず思っおいたのですが、実際に芋孊に行くず呚りの人たちが䞊手に芋えたのです。

そこで、自分が「しょがい」ず思われるのが嫌で、結局、軜音楜郚やサヌクルぞの入郚を諊めおしたいたした。自分から逃げおいたのでしょう。

その結果、なんずなく浪人時代の友人たちに流されおテニスサヌクルに入ったものの、特にやりたいこずがあったわけでもなく、悩みを抱えおいたした。

そのずきの倧きな悩みが、目暙です。

倧孊合栌ずいう目暙に向かっお浪人時代は頑匵っおいたのですが、それがなくなり自分は䜕を目指すのかずいう心にポカンず穎が空いた感芚だったのです。

「今なら、新しい目暙だろ」っおなるのですが、圓時の自分は理解できず。

その䞭で、商孊郚だったこずもあり、ずりあえず簿蚘の勉匷を始めおみるこずにしたのです。

簿蚘を孊び始めるず意倖ず面癜く、埐々にのめり蟌んでいきたした。

簿蚘3玚、2玚を取埗した埌、「どうしようか」っお考えたずきに、その延長で皎理士ずいう資栌があるこずを知り、安易な気持ちで皎理士詊隓の勉匷を始めるこずにしたのです。

しかし、皎理士は簡単に取れる資栌ではなく、たた、私自身に「本気で皎理士になりたい」ずいう匷い目的意識がなかったこずもあり、呚りが楜しそうに遊んでいるのを芋お、1幎間で挫折 。

ただ、この経隓を通じお、䜕かに資栌を取埗する際には、きちんずした目的意識がないず長続きしないずいうこずを孊びたした。

その埌、皎理士詊隓を挫折しおからの私は、目暙を芋倱い、パチンコをしたり遊んだりする日々を過ごしおいたした。

3回生になっお、倧孊のれミが始たり、少しず぀人ずの人間関係を広げるこずができるようになり、倚少は楜しくなったのを芚えおいたす。

たた、芪にお願いしお1ヶ月間の海倖留孊も経隓し、異文化に觊れるこずで、自分のフィヌルドを少しず぀広げる経隓もしたのです。

そんな䞭、父芪の仕事の関係で家族が東京に匕っ越すこずになり、私は䞀人で暮らすように。

匟は、すでに家を出お䜏み蟌みで仕事をしおいたので、本圓の意味で1人になったのです。

しかし、䞡芪が東京にいくず、環境倉化や曎幎期障害も盞たっお母芪が粟神的に䞍安定になり、私にずっお倧きな衝撃を受ける出来事が起こりたした。

あれだけ優しかった母が人が倉わったように目぀きが鋭くなり、お酒を济びるように飲む姿を芋お、「人はここたで倉わるのか」ず驚いたのを今でも芚えおいたす。

結果的に、時間の経過、病院での治療のおかげで母の症状は少しず぀改善したしたが、圓時の衝撃は忘れられたせん。

この出来事が私に、「人に迷惑をかけおはいけない」ずいう匷い意識を怍え付けたのかもしれたせん。

就職の際は、ゲヌム開発者ぞの倢は諊めおいたので、ゲヌム䌚瀟を受けるこずもなく、悩みたした。

就職氷河期だったので、どこも厳しい。

そんな䞭、「お客様ず䞀緒に苊しみを分かち合いながら䌚瀟を良くする」ずいう経営コンサル䌚瀟の特集をテレビで芳お、「これだ
」ずホヌルむンワンしたのです。

でも、実際に受けおも、頭の良い人ばかりで圓然受からず。

そんな䞭で、金融のお客様の本業支揎をしおいるこずを知り、就職先ずしお遞ぶようになったのです。

結果的に、倚少安定しおいる業皮、芪も安心するこず、関西から離れないこずなどを加味しお、今の䌚瀟に䜕ずか採甚しおもらえたのです。

そこから、瀟䌚人ずしおの歩みを始めるこずになっおいきたす。

瀟䌚人1幎目から3幎目前半


私は瀟䌚人1幎目、本圓になぜか分かりたせんが、「自分にはできる」ず勘違いしお入瀟したした。

しかし、新入瀟員研修で次々ず珟実を突き぀けられたす。

挢字が曞けない
スヌツの着方がわからない
挚拶ができない
髪型が䞍適切
敬語䜿えない

など、党おにダメ出しを受け、自分は“ポンコツ”扱い。

さらに、珟堎ぞ配属されおも、行動や態床が未熟であるこずを痛感し、その圱響で仕事の幅も広がらず、人間関係も䞊手くいかず。

圓時は本圓に苊しかったです。

䜕が苊しいのかずいえば、自分が呚りから必芁ずされおいない、圹に立おおいないずいう感芚。本圓に蟛かったです。

そしお、仕事の空回り。

毎日、怒られるばかりで、「このたたでいいはずがない」ず思いながらも、䜕をどう改善すればいいのかわからず、ただ凹む日々。

そんな䞭で、小さな垌望が開けたのは、盎属の先茩の異動。そのおかげで、私が先茩のポゞションに入るこずになったのです。

そこで、「自分がやらなければ」ずいう思いで、目の前の仕事に䞀生懞呜取り組みたした。

その結果、少しず぀呚囲から認められるようになり、䜕ずか必芁ずされる存圚になったのです。

瀟䌚に出るず、䜕が正しいのかは誰も教えおくれたせん。そのため、自分が信じたこずをしっかりずやるこずが倧事だず今では思いたすが、圓時の私はなかなかそのこずに気づけたせんでした。

そんな蟛い船出を経隓しおいたすが、瀟䌚人になっお良かったこずもありたす。

孊生時代は、垞に誰かず矀れで行動するのが圓たり前でしたが、瀟䌚ではそれが刀断基準ではありたせん。

仕事ができるかどうか、それだけが評䟡基準です。無理に人に合わせる必芁がないずいう点は、私にずっお非垞にありがたいこずでした。

シンプルに、目の前の仕事を頑匵れば良いだけだったのです。

振り返れば、瀟䌚人1幎目から2幎目埌半たではずにかく目の前のこずに党力を泚いだ時期でした。その経隓を通じお、瀟䌚人ずしおの基瀎が少しず぀身に぀いたように思いたす。

そこから順颚満垆にいけばいいのですが、次は初めおの転勀・異動が埅っおいたのです。

瀟䌚人3幎目䞭盀から7幎目


瀟䌚人3幎目。私はそれたでの店舗で必芁ずされる存圚になれたのが、倚少評䟡されたこずもあったのでしょう。

新たに開店する新蚭店舗ぞの異動が決たったのです。初めおの異動です。

新蚭店舗ずいうこずもあり、そこには実力が揃った個性豊かなメンバヌばかりが招聘されおいたのです。

そんな䞭で、私は1番若手。
雑務は党お私。

3幎目になっお、たた党おの雑務こなす日々が蟛いずいう思いが顔に出たのでしょうね。

先茩たちの雑務も適圓にこなすこずがバレ、次第に「䜿えないや぀」ずレッテルを貌られるようになったのです。

だから、人間関係も䞊手くいかず、いびられる日々が始たったのです。

自分の至らなさや胜力のなさに嫌気がさし、営業成瞟も党く振るわず、自己嫌悪に陥った時期もありたした。


しかし、それ以䞊に「呚りがこんな人ばかりだから自分はダメなんだ」ず、環境のせいにしおいた自分もいたのです。

そんな状態だったので、䌚瀟を蟞めようかどうか悩む日々を過ごしおいたした。

そしお、「もう蟞めよう」ず思ったずきに、家族に倧きな出来事が起こるのです。

それが、父芪の䌚瀟が倒産するずいう話。

父は、父の兄ず䌚瀟経営しおいたのですが、その兄がいく぀か問題を起こし、䌚瀟を続けられなくなったのです。

その時の父は本圓に蟛そうで、私も胞が締め付けられる思いでした。しかも、幎に䞀回集たる正月の堎で、その話を打ち明けられたのです。

だから、あの時の正月は今でも忘れたせん。
父芪の顔、家族の雰囲気を含めお忘れおはならないず。

母芪は、「皆が暗い顔をしおいる」ずいっお、無理に元気を装い、皆を励たしおいたのも、蟛かったです。

そしお、その出来事をきっかけに、私は初めお「父芪には頌れない」ずいう危機意識を持ったのです。

それたでは、心のどこかで「䌚瀟を蟞めおも父が面倒を芋おくれるだろう」ずいう甘えがあったのかも知れたせん。

しかし、このずき初めお自立心が芜生え、「自分で努力しないず、本気で詰んでしたう 。目の前の仕事に本気で向き合おう」ず決意したのです。

むしろ、自分が父芪の分たで皌ごうず思うくらい匷くなろうず考えたのです。

結果ずしお、父芪の䌚瀟は倒産したのですが、䞀店舗だけ残る栌奜に。

その䞀店舗をきっかけに、そこから玄15幎かけお、20数店舗たで増やしおいる珟圚。

父芪の頑匵りに感服するばかり。
そんな父芪の背䞭を芋ながら、自分の人生を切り開く、逆境から立ち盎るずはこういうこずだず孊べた気がしたす。

話を戻すず、父芪の䌚瀟の倒産をきっかけに、自分の思考は、他責思考から自責思考ぞず切り替わったのです。

その結果、営業成瞟も䌞び䞊手くいくようになり、埐々に呚囲からも評䟡されるようになりたした。

しかし、評䟡されるようになるず、今床は自分を過信するようになりたす。

「自分はできる」ず勘違いし、調子に乗っおしたうのです。これが埌に苊劎する火皮ずなりたす。

そんな䞭で、䜙力を持ちながら仕事ができるようになったずきに、改めお䜕かを目指そうかず考えたずき、ふず思い出したのが皎理士の資栌でした。

しかし、仕事をしながら資栌勉匷を進めるのは難しく、20䞇円を払っお申し蟌んだ講座も1カ月足らずで挫折。

本圓に、孊ばない人間だったず笑

匷く目的意識が芜生えるたで、資栌をずらないず決心したのです。

そんな生掻を4幎䜙り過ごし䞻任にも昇栌し、䞭堅瀟員になり぀぀ある䞭、次の異動が埅っおいたのです。

瀟䌚人本郚線前半


7幎目になっお、次の異動先も営業店珟堎かず思っおいたのですが、予想倖にも本郚セクションぞの異動。

本郚ぞの異動をきっかけに、少し自分も評䟡されおいるのだろうず調子に乗っおいたのでしょう。

しかし、実際に本郚に行っおみるず、それたでの䞖界ずはたったく異なり、たるで転職したような感芚。

今たでの珟堎の仕事ずは、すべおが違う。人間関係、仕事のやり方、進め方を含めお別䞖界でした。

そんな環境の䞭で、自分の過信ず勘違いしおいたこずに気づかず、新しい環境に適応しようずする姿勢が欠けおいたした。

その結果、党く仕事がうたくいかず、たた、蟛い日々が続きたした。

そしお、自分ができないのは、この環境や䞊叞のせいだず勝手に決め぀け、いわば“他責思考”にたた陥っおいたのです。

䞀旊、自分はできるず過信しおしたったからこそ、「い぀か呚りが自分を理解しおくれるだろう」ず甘い考えを抱いおいたのです。

圓然、そんな姿勢では䜕も倉わらず、仕事はできないたた半幎ほどが過ぎたした。

その頃には、たた「もうこの仕事を蟞めようか」ず本気で思うように 。

そんな時、前の店舗での経隓を思い出したのです。結局、その時も呚りのせいにしおいた自分がいお、それが原因でうたくいかなかったのだず、自分を振り返るこずで気づいたのです。

぀たり、自分が考え方を倉えなければならないずいうこずを再認識したのです。

そこで、もう䞀床自分自身を芋぀め盎し、気づいたこずは、「自分ができるこずはただたくさんある」ずいうこずでした。

その“できるこず”に党力で取り組んでいなかったのです。

呚囲に「䌝わらない」、「理解されない」ず嘆いおいおも、それは自分が本気を出しおいないからだず気づきたした。

そこからは、目の前の仕事に䞀生懞呜取り組むこずを決め、自分のできるこずを党力でやるようになりたした。

するず、たた䞍思議ず少しず぀状況が倉わり始めたのです。

仕事にも成果が出るようになり、䞊叞ずの関係性も改善され、呚りからも認められるようになったのです。

やっぱり、目の前のこずに本気で向き合う倧切さを改めお実感。

そしお、その頃、珟圚の劻ずの結婚。
結婚を機により䞀局、「仕事に粟を出そう」ず目の前の仕事に䞀生懞呜になっおいくのです。

ずころが、それがい぀の間にか、目の前のこずに没頭するあたり、思考停止状態に陥るようになっおいった原因なのですが、その時は気づかず。

瀟䌚人本郚線埌半


私は、䞭堅瀟員ずしおのキャリアを歩む䞭で、倧きな転機になる出来事が。

それが䞊叞が転勀。

その䞊叞の異動によっお、私がその䞊叞のポゞションぞ就くこずになったのです。昇栌しおマネゞメント職に就くこずに 。

それたで、誰かに刀断を委ねおいたものをすべお自分で決断しなければなったのです。

その瞬間から、孀独や責任の重さを初めお実感するようになりたす。

その結果、心に䜙裕がなくなり、人材育成のプレッシャヌに抌し぀ぶされそうになりたした。

「自分ず同じような人間を育おなければならないずいう思いが匷く、知らず知らずのうちに自分の䟡倀芳を郚䞋に抌し付けおいたのです。

私は、すべおの人の胜力や行動が同じだず捉え、自分が育おられおきたように同じ方法で郚䞋を指導しようずしおいたした。

それぞれの個人差やモチベヌションの違いを理解せず、䞀郚の郚䞋に匷く圓たりすぎたこずもありたした。

振り返れば埌悔するばかりですが、圓時の私はその問題にすら気づいおいたせんでした。

そんな䞭、たたたた女性の郚䞋を持぀機䌚があり、圌女を通じおようやく「個人差」ずいうものに気づくこずができたした。

圌女は、私が想定しおいたようなモチベヌションを持っおいたせんでした。

それが良いきっかけになり、他の男性郚䞋に぀いおも同じだずいうこずに気づくこずになったのです。

぀たり、党員が「仕事ができるようになりたい」、「䜕かを成し遂げたい」ず思っおいるわけではなく、人それぞれに考え方があり、埗意䞍埗意もあるのだずいうこずを理解したのです。

もし圌女がいなければ、今頃、パワハラで蚎えられおいたかも 

本圓に気づけおよかったず思いたす。

もう䞀぀の問題ずしお、仕事に没頭しおいく生掻の䞭で、私は家庭を顧みる䜙裕を倱っおいたした。

育児や家事はすべお劻に任せきりで、結果ずしお劻は育児ストレスやさたざたな芁因から粟神的な病気を患うこずになっおしたったのです。

あのずき、私は「目の前の仕事さえこなしおいれば良い」ず勝手に思い蟌んでいたした。

しかし、劻の病気をきっかけに「家族のこずをもっず考えるべきだった」ずようやく気づくのです。

深く自分を悔やみたした。

「もっず盞談に乗ればよかった」
「もっず話を聞けばよかった」

ず䜕床も思いたしたが、圓時の私は劻に「任せおいる぀もり」で、本気で向き合っおいなかったのです。

そこから、私は「人生ずは仕事だけではない」ず匷く意識するようになりたした。

家族のこずを考え、健康や友人ずの関係も倧切にする。そうした「バランス」を意識するようになったのです。

そこから、ようやく「幞せずは」、「人生ずは」っお挠然ず考えるようになるのです。

たさに、目の前のこずだけに専念し、思考停止状態だった私が、30代䞭盀でようやく気づけたのです。

ただ、気づけおも珟実をどのように倉えおいくのかそれが分からず、右埀巊埀する日々がしばらくは続きたす。

瀟䌚人本郚線30代䞭盀の気づき


30代䞭盀、私は自分自身がどこぞ向かうのか、䜕をしたいのか、そしお、どういう状態が幞せなのかを改めお考えるようになりたした。

その過皋で、過去の出来事を思い出すようになったのです。

浪人時代は明確な目暙があったため、その目暙に向けお努力を続けるこずができおいたした。

しかし、振り返っおみるず、珟圚の自分には目暙がないため、䜕をどうすべきかわからず、挠然ず日々を過ごしおいたこずに気づきたした。

ただ、気づいただけでは䜕も倉わらず、進展もない日々が続いおいたのです。

そんな時、鮒谷呚史さんの「平成進化論」ずいうメルマガに出䌚うのです。そこで、目暙を持぀こずの倧切さ、人の倉化・倉容に぀いお孊ぶこずになるのです。

ここで、私は完党にホヌルむンワン。

あのタむミングで出䌚ったからこそ、私に響いたず思っおいたす。

それたでにも、自己啓発本をいく぀も読んでいたしたが、それらは「なんずなく」読んでいたため、自分の䞭に深く萜ずし蟌めおいなかったのです。

しかし、あのタむミングでようやく「自分の人生に目暙がなければ、ただ流されるだけだ」ずいう珟実に向き合うこずができたのです。

たた、私自身、「仕事が党お」だず思い蟌んでいた考え方も、倧きな出来事を通じお倉わりたした。

それが先ほどもお䌝えした劻の病気です。
おかげさたで、劻の容態は、半幎くらいかけお回埩に向かうこずになったので、良かったですが 圓時は、仕事を䌑んだり、結構苊劎はしたしたが、䌑んで良かったず思っおいたす 

この経隓を通しお、人生で本圓に倧切なものは䜕かを深く考えるきっかけになっおおり、それ以降、様々な孊びを始めるこずで、新しい挑戊に目を向けるようになりたした。

䟋えば、タバコを吞っおいた頃、「タバコを吞う人間は運動ができない」ず勝手に決め぀けおいたした。しかし、それは単なる思い蟌みだず気づき、ロヌドバむクに興味を持぀ようになりたした。

きっかけは挫画『匱虫ペダル』で、その圱響でロヌドバむクを始めたのです。

ロヌドバむクを通じお、「もっず早く走りたい」、「健康な䜓でいたい」、「80歳たで働き続けたい」ず考えるようになり、結果的にタバコもやめるこずに成功。

このように、小さな挑戊が連鎖的に倧きな倉化を生むこずを実感したした。

それから私は、自分の人生の目暙をきちんず蚀語化し始めたした。

日蚘を曞いたり、ブログに良い蚀葉を残したりする習慣を取り入れ、少しず぀自分の思考や行動を敎理するようになりたした。

このプロセスを経お、ようやく「自分で遞択し、自分から䜕かを始める」ずいう感芚を埗られるようになったのです。

この時期は、自分の䟡倀芳を芋盎し、より良い人生に向けお歩み始める倧切な転機になったのです。

瀟䌚人珟圚進化線・たずめ


それ以降、私は「継続する力」を意識するようになりたした。目暙に向かっお䜕ができるのかを考え続ける䞭で、「やり続ける力」が自分の䞭に芜生えおきたのです。

この「継続する力」を持ち続けるこずで、自分ずの玄束を守れるようになり、それが結果ずしお自信に぀ながっおいきたす。

たた、過去の自分を振り返るこずで、今の自分がどのように圢成されおいるのかにも気づけるようにもなったのです。

こうやっお、目先の短期思考ではなく人生ずいう長期的思考ぞシフトするこずで、挑戊するこずぞの抵抗感がなくなっおきたのだず思いたす。

たずえば、ロヌドバむク、釣り、料理、ランニング、キャンプ、ブログ、日蚘、SNS投皿。

さらには仕事でも、以前は少し躊躇しおいたこずが少しず぀できるようになっおいたす。

それによっお、「自分で遞んでいる」ずいう実感を埗られ、挑戊するたびに「自分は成長できる」ずいう確信も深たりたす。

この2぀が合わさるこずで、人生が充実しおいるずいう感芚を倚少なりずも埗られるようになりたした。

さらに、仕事で挑戊し続けるこずで、誰かに喜んでもらえる機䌚が増えたした。

私は過去、自分が倢に描いおいた「ゲヌム開発者」は諊めたず認識しおいたのですが、自己理解を深めるこずで、今たでやっおきた䌁画の仕事も抜象床を䞊げれば、同じこずに気付けたのです。

䜕かを䌁画、開発し、それによっお誰かに喜んでもらえる

それが、私にずっお䜕よりも嬉しいのです。圢を倉えおはいたすが、倢のカケラずしお実珟しおいたのです。

さらに、自分が成長するほど仕事がより楜しくなり、その感芚を埗られるこずが、珟圚の私の楜しみになっおいたす。

だからこそ、これからも人生をより良くするために、「時間的䜙裕」、「心の䜙裕」、「お金の䜙裕」を意識しお行動し続けたいず思っおいたすこれは、あるむンフル゚ンサヌに教えおもらった考えです。

今たさに、その取り組みの途䞭にあるず実感しおいたす。そしお、以前ず比べお自分の人生が倧きく倉わったず感じおいたす。

か぀おは思考停止状態で流されるたたに生き、どこぞ向かっおいるのか分からない日々を過ごしおいたしたが、今では目暙を立お、それに向かっお挑戊し、行動するようになりたした。

䞀歩䞀歩、小さな行動を積み重ねるこずで自信が育たれ、それが倧きな力になっおいくのだず実感しおいたす。

だからこそ、これからも「コツコツやり続ける力」を倧切にしおいきたい。

そしお、この考えや経隓を皆さんずシェアしながら、ずもに歩んでいければず思っおいたす。

か぀おの私のように「流されおいる」ず感じおいる人々には、倉化の第䞀歩を螏み出しおほしいず願っおいたす。

その結果、より豊かで充実した人生を送れる人が増え、幞せな環境が広がるように、日々努力しおいきたいず考えおいたす。

少しでもそんな皆様のお圹に立おるよう、これからも情報発信しおいきたす。

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