全ての人間が同じことをする必要はない。おそらく私は多くの人がしないことをして生きていくのだろう。
いよいよ選挙戦も大詰め、この選挙期間中、政治家は
全方位の人間から好感を得ようと必死だ。
どの層の人間にも気を遣い、機嫌を損ねないように
発言には細心の注意を払う。
みんなが同じように豊かに幸せになるように、
そういう社会を作るのが国の責務なのだろうけど、
私は日本のこの"みんなが同じことをする中流根性"
が好きではないし、もし昭和のような中流社会に戻ることがあったら、絶望して生きていけなくなってしまうだろう。
でも人間は割合的に、特に日本人は、他者と同じようなレベルでいること、同じことをすることを好む。
それで安定した時代もあったけれど、一時代を築いてしまった時点でそれはもう終わった時代になった。
もう人間そのものと、世界が成熟しきってしまった中一億総中流に戻すことでまた安定したみんなが幸せな社会になるとは到底思えない。
人は知ってしまったことを忘れられない生き物だ。
例えば、洗濯機で問題なく洗濯ができるのに
今さら川に洗濯板を持って洗濯しに行く人は恐らくいないだろう。
それと同じことで、
人より抜きん出ている人間が存在すること、その人間がどれくらいの豊かさを得ているのか知ってしまった現代人では、みんなと同じになりたいとは思えない人たちが一定数いたとしても仕方がない。
人間には向き不向きがある。たとえ多くの人間がしていることが合理的だったり、幸せを感じる行為だったとしても、別の人間には全くしたくない、全然楽しくない、と思うことも当たり前だがある。
だけど人間という知的生命体は、群を成して生きていかなければたちまち大自然の脅威にやられてしまい、絶滅してしまう恐れがある。
だから人間は群を成して、できるだけ多くの人数で身を寄せ合って生きていく術を得た。それで今まで生きてこられた。
群の中では、できるだけみんなと同じことをしないと生きていくことが困難になる。
一人だけ外れた行動をする人間は和の調和を乱し
集団を命の危機に晒すことになってしまうから
疎外されてしまっていた。
だけど現代では孤立は問題だが、
群れ過ぎて、自分の頭で何も考えずに人と同じことをしていると共倒れになりうる時代になってしまった。
何も考えず、疑問も持たずに多くの人と同じように雇用され、社会の制度に助けられながら
一生を終えようとするとなかなか厳しい人生になりそうだ。
現代人は何でもかんでも与えられ過ぎて、
自分の人生を良くするということでさえ、
自分以外の他者が用意してくれることが当然だと思っている。
昔の人間は、権利を勝ち取るため、主張を通すため
命を懸けてそれを獲得してきた。
今の人間はそれすらしない。
ちょっとデモしただけでもヤバい奴、
国会や政治家に攻撃したら暴力は許さないなど
甘ったれたことを抜かす。
とはいえ現代社会では、犯罪とされる行動をするには惜しすぎる社会だ。
楽しいこともたくさんあるし、自分次第でいくらでも人生は良くなる。昔と違って、失うものがあり過ぎるから革命やテロや戦争を起こすことは賢い選択ではないかもしれない。
でもだからこそ、大衆に埋もれてみんなで共倒れ、一緒に不幸になることを待っているなんて、私は勘弁だ。
矛先を社会ではなく自分に向けること。
何かをして欲しいではなく、自分で勝ち取ること。
難しいなら難しいなりに挑んでいくこと。
結局社会を見ていたら助けて助けて言ってる人間よりも自ら勝ち取っている人間の方がどんどん豊かに幸せになっている。
先人が流した血に値するような何かを
今を生きる我々も持たなければならない。
