ジョージアラグビーの象徴は、何故その名を傷つけたのか。
メリブ・シャリカゼ。
ジョージア代表104キャップ。長くチームの中心に立ち、2022年にはカーディフでウェールズを13対12で破った歴史的勝利の試合での主将でもありました。BBCはこの試合を、ジョージアが自国史上最高級の結果を残した一戦として報じました。そしてこの勝利は、ジョージアをシックスネーションズに加えるべきではないかという議論を、さらに強める出来事にもなりました。
しかしその人物が今、ジョージアラグビー史に残る、まったく別の事件の中心にいます。
World Rugbyは2026年5月、WADA(世界アンチ・ドーピング機構)と共同で進めていた大規模な調査「Operation Obsidian」の結果として、ジョージア男子15人制代表の6選手と元チームドクター1人に制裁を科したと発表しました。対象となったのは、2023年ラグビーワールドカップ以前の期間に行われた尿サンプルのすり替えです。World Rugbyは、これをラグビー史上もっとも広範なアンチドーピング調査だったと説明しています。
その中で最も重い処分を受けたのが、シャリカゼでした。
World Rugbyの発表によれば、シャリカゼには11年の資格停止処分が科されています。ギオルギ・チコイゼは6年、ラシャ・クマラゼ、ミリアニ・モデバゼ、オタル・ラシュキは各3年、ラシャ・ロミゼは9か月。元チームドクターのヌツァ・シャマタヴァには9年の資格停止処分が下されました。これらの処分は、暫定停止期間を含めて適用され、対象者はラグビー活動から完全に停止される形になります。
この事件の特異な点は、これが「ドーピングによるパフォーマンス向上」そのものを目的としたものではなかったという点です。World Rugbyの調査によれば、ドーピングの証拠は確認されませんでした。選手たちが隠そうとしていたのは、大麻やトラマドールなど、競技能力強化とは無縁の物質でした。
シャリカゼの罪は、自分自身の検査逃れではありません。自分の「クリーンな尿」を他の選手のサンプルとして提供し、検査制度そのものを欺いたことでした。The Guardianによると、2022年から2023年にかけて彼の尿が他選手のために使われたのは3回。
2025年11月、The42は、シャリカゼがSetanta Sports Georgiaのインタビューで、自分の尿サンプルが他の選手のアンチドーピング検査に使われたことを認めたと報じています。つまり、彼は「何も知らずに巻き込まれた人物」ではないという事です。

なぜ彼は、自身のキャリアを捨てるような行為に手を染めたのか。
Planet Rugbyが紹介したDaily Mailのインタビューで、シャリカゼは自らの過ちを認めています。ただ、本人の説明では、それは金銭や競技上の利益のためではありませんでした。
彼が語ったところによれば、問題となった物質は大麻でした。シャリカゼは、自分はイングランドでもフランスでもプレーしてきたので、ラグビー界で大麻を吸う人間を多く見てきたと話しています。
もちろん、それは今回の行為を正当化する理由にはなりません。ただ、本人の認識としては、パフォーマンス向上薬を隠すための大掛かりな不正ではなく、仲間が抱えた問題をその場で助けようとした、という感覚だったようです。
さらに彼は、すり替えの場面についてもかなり具体的に説明しています。本人の話では、何か大掛かりな計画を実行したというより、自分の部屋にいて、選手たちが小さな容器を持ってきて、そこに尿を入れ、それを持っていったという流れだったとの事です。
もし本人の説明通りなら、代表チームの内部で、ドーピング検査の根幹を揺るがす行為が、日常の延長のように実行されていたことになります。
そして、シャリカゼは調査への協力と引き換えに免責を得る道があったにもかかわらず、それを拒んだとされています。結果として、彼は最も重い11年の処分を受けることになりました。本人は、自分の尿サンプルを使った人物が当局に情報を渡して処分を免れ、自分を含む他の者たちが捕まった事に対し「背中から刺されたような裏切りだった」と強い怒りを示しています。
シャリカゼは、前述したように、何も知らずに巻き込まれた人物ではありません。自分の尿が他人の検査に使われることを知っていたと認めています。その為もちろん議論の余地なく責任はあります。しかし、彼の言葉をそのまま信じるなら、これは「悪事を働いて得をしようとした男」の話ではなく、「仲間を助けるつもりで一線を越え、その仲間に裏切られたと男」のように映るのもこの事件のまた1つの側面のように感じます。
そして、この問題は彼の家族にも影を落としました。彼は母親がこの状況で大きく傷ついたとし、亡くなった後に母親の財布から「メラブをキャプテンとしてフィールドに戻してほしい」というメモが見つかったとも語っています。
そして、代表選手としての時間も止まりました。
シャリカゼが最後にジョージア代表でプレーしたのは、2024年3月のラグビー欧州選手権決勝、ポルトガル戦でした。その後、同年7月のフィジー、日本、オーストラリアとのテストマッチを前に、彼は国際舞台から静かに姿を消します。
代表100キャップ以上の主将が、突然いなくなった。事情が本人の口から語られるまでには、約1年半の空白がありました。
その沈黙の先で、彼が向かっていたのがなんとMMAでした。

Cageside Pressは、シャリカゼがラグビーでの輝かしいキャリアを経てMMAへ転向し、約4か月のトレーニングでデビュー戦に臨むことになったと紹介しています。本人は、格闘技の技術面ではまだ学ぶことが多い一方で、ラグビーで培った身体能力を新しい競技にどう生かすかを語っていました。
そのデビュー戦は、2025年11月29日。ジョージア・トビリシで開催された新興格闘技団体「Rkena Fighting Championship 1」。この試合は大会のメインイベントとして組まれ、シャリカゼは1回34秒、膝蹴りとパンチによるTKO勝ちを収めました。
ラグビーを離れた元代表主将が、わずか数か月の準備で別競技のメインイベントに立ち、初戦を勝利で飾った。これだけを見れば、新しい人生の始まりにも見えます。
Setanta Sports Georgiaで沈黙を破った時、彼が語っていたのは6年処分の見込みでした。ところが、最終的にWorld Rugbyが発表した処分は、その倍近い11年。つまり、ラグビー人生を奪われた男が、別競技でようやく新しい扉を開いた直後に、次の人生にも影を落とすものでした。
かつてシャリカゼは、ジョージアラグビーの未来を語る側の人間でした。
BBCの2023年記事では、南アフリカ勢がURCへ加わった流れを引き合いに出しながら、ジョージアのクラブも良質なラグビーを示せば、将来的にURC入りの可能性があると述べ、さらにジョージアがTier1国として見なされる未来を望んでいると話していました。
ジョージアは、長い間「欧州の外側」に置かれてきた国でした。シックスネーションズの外にいて、Tier1国との対戦機会も限られ、それでもラグビー欧州選手権で勝ち続け、ウェールズを倒し、Black Lionを通じてクラブレベルでも欧州へ足を伸ばしていった。
シャリカゼは、その物語の顔の一人でした。だからこそ、ジョージアラグビーの成長を背負っていた男が、今度はジョージアラグビーの信用問題の中心人物になってしまった。
栄光の物語との残酷な対比。
ジョージアラグビーの成長を背負っていた男が、今度はジョージアラグビーの信用問題の中心人物になってしまった。
これは、ただ一人の元主将の転落ではありません。
メリブ・シャリカゼの物語は、ジョージアラグビーの栄光と影を、あまりにも残酷に映し出しているように思います。
