人生は平等じゃない。でも「いい人」ほどそれを隠したがる。
職場で言われた。「人は見かけによらないよ、みんな平等だよ」
一瞬うれしかった。でも、あとで考えたら、その言葉がいちばん刺さっていた。
そんな甘言を、優しい声で放つ“いい人”がいる。だが、それは違う。むしろ、その言葉こそが一番人を傷つける。今日はその話をしたい。
1.学歴って実は金で買える「部分」がある。
学歴は努力の証明だと、信じたい人がいる。けれど現実には、金で買える部分がある。
東京に住む人と地方に暮らす人とでは、同じ「努力」をしても結果が違う。
都市には大型書店があり、塾があり、刺激がある。親が月に十万単位で教育費を払う家庭もある。東京で住もうと思えば、家賃は6万以上だ。
一方で、六畳一間で弟と机を共有し、夜はテレビの音の中で勉強する子どももいる。
塾に通う金もなければ、東京に出る家賃も払えない。
同じ「努力」という言葉の重さが、まるで違うのだ。
にもかかわらず、合格した者は「努力が報われた」と言い、落ちた者は「努力が足りなかった」と責められる。
努力は美徳として語られやすい。だが、努力という言葉の裏には、構造的な不平等が隠れている。
教育格差を「自己責任」で片づける言葉ほど、残酷なものはない。
2.ルックスの良い人は「若い間」はちやほやされる。
ルックスのいい人は、10代、20代のうちは確かに輝く。
社会は若さを消費する装置だからだ。
黄色い髪の芸能人Aさん。若き頃の写真を見たとき、誰もが「美しい」と言った。
しかし今、その評価はどこにあるのだろうか。
若さと美貌は、社会の通貨であり、やがて価値が減価していく資産でもある。
しかも、ルックスによって周囲の態度が変わる。
美しい人は笑顔で迎えられ、そうでない人は「暗い」と言われる。
この経験の差は人格を形成する。若い頃は人格形成期でもあるんですよね。他人が集まる、注目される、好意を向けられる、と言う中で育つのと、悪口やいじめられて育つのと、性格に、思考に影響がないとは言い切れないでしょう。
人は平等に生まれない。にもかかわらず、“平等な競争”があるふりをしている。
これが現代社会の最大の欺瞞だ。
3.「人生は平等」という奴の詭弁
恵まれた人ほど「人生は平等だ」と言いたがる。
それは、自分の特権に気づかないからだ。
学歴も、収入も、容姿も、健康も、家庭環境も、偶然の配列でしかない。
だが、偶然の上に立つ者は、自分の成功を必然と錯覚する。
その錯覚こそが、社会を冷たくする。
「人生は平等」ではなく、「社会は不平等を平等と呼ぶように設計されている」。
この一文を、僕たちはもっと意識しなければならない。
4.“やさしさ”の裏にある暴力
人を癒す言葉ほど、時に暴力的である。
「平等だよ」という言葉は、傷を撫でるふりをして、
その人が受けてきた痛みの現実を見えなくする。
だからこそ、わたしたちは言葉に慎重でありたい。
やさしさは、見下しと紙一重なのだ。
🩶まとめ
この社会でほんとうに平等なものがあるとすれば、
それは誰もが何かを欠いて生きているということだけだ。
その欠けを、笑うか、受け入れるか。
あなたはどう思う?
本当に、人生は平等だろうか。
辛口だったかな。共感したら、あなたの経験も教えてください
