見出し画像

「人間関係に疲れた。でも、居場所はつくりたい。」

大学に入ってから、自分は人間関係を頑張ることをやめた。

自分から話しかけること。
輪に入ろうとすること。
無理に話題を探すこと。

やめてみた。
意外だった。
困ることは、ほとんどなかった。

高校ではけっこう話すほうだった。
会話をリードしたり、遊びに行く予定を立てたり、
笑いあったり、ふざけたり、会話をすることなんて普通だった。

でも、大学に入ってから、人間関係を頑張ることに、疲れてしまっていた。
話していても、疲れる。
無理をしている自覚なんてなかったけれど、頑張っている自分がいた。

だから、やめた。
一人でいることを選んだ。
それで十分だった。
そんな自分を見て、ふと疑問が浮かんだ。
「人間関係を頑張ることに疲れた人が、居場所なんてつくれるだろうか。」

居場所をつくりたい、人とかかわる場をつくりたいと思っている人間が、人との関わりを減らしている。
ものすごく矛盾した行動をしているんじゃないかと怖くなった。

このことを、しばらく考えていた。
でも、考えているうちに気づいた。
自分は、人が嫌いになって関わりをやめたわけじゃない。
疲れたのは、人間関係そのものではなかった。

本当に疲れたことは、
「友達をつくらなきゃ。」
「輪に入らなきゃ。」
「自分から話しかけなくては。」
「頑張らないと。」
「みんなと同じようにしないと。」
そんな、名前もつけられない焦りに、いつの間にか疲れていたんだと思う。
その焦りはもしかしたら、中学校に入学してから、高校を卒業するまでの6年間、心のどこかにずっとあったのかもしれない。
それが大学に入ってから、疲れとして現れたのかもしれない。

ここまで考えて、あらためて思った。
自分がつくりたい居場所は、どんな場所なんだろう。
自分がつくりたい居場所は、友達をつくる場所ではない。
もちろん、友達をつくることを否定したいわけじゃない。
でも、それを目的とする場をつくりたいわけじゃない。
話したければ話せばいい。
話したくなければ、話さなくてもいい。
一人で本を読んでいてもいい。
スマホを見ていてもいい。
何もせず、ただそこにいてもいい。
そこで自然に誰かとかかわることがあるなら、それもいい。
でも、それは「しなければならないこと」ではなくて、あくまで自然なものにしたい。

以前、自分はこんなことを考えた。
もし居場所に来た人が、友達を一人も作らず一年間すごしていたとしたら。
自分はどう思うのか。
失敗なのか。
成功なのか。
どちらでもない。
その人が「ここでは無理をしなくて済みました。」
そう言ってくれたなら、それでお互い幸せだと思う。
居場所は誰かと仲良くなるためだけに、あるものじゃない。
自分でいられるためにある場所があってもいい。
人間関係を頑張ることに疲れたからこそ、無理をしなくてもいい場所をつくりたい。
それは、人が嫌いだからではない。
無理をしなくても、人は安心できる。
そんな場所が、一つくらいあってもいいと思う。
もし、自分が居場所をつくる日が来たら、入口には一つだけ言葉を書きたい。
「ここでどう過ごすかは、あなたが決める。」

いいなと思ったら応援しよう!

りゃーき 将来の居場所活動の資金にしたいと思います。