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からだを支えてくれたものたち― いま、ここに戻るために ―

映画を観ていても、
いつの間にかスマホを触っている。
本を読んでいても、
数ページで意識が逸れてしまう。

「集中できなくなったな」
と、思うことが増えた。

今回は、気持ちが少し先走ってしまう自分が、
「いま、ここ」に戻るために
続けてきた工夫について、書いてみようと思う。


前に進み続けてきた感覚

子どものころから、どこか生き急いでいるような、そんな前向きな勢いがあった。
気持ちはいつも、身体より少し前に出ていたように思う。

大人になってからも、その感覚はあまり変わらなかった。
やりたいことが浮かぶと、気づけばもう次のことを考えている。

ただ、動悸がしたり、ふっと呼吸が浅くなる感覚が、以前より増えていた。

それはきっと、
身体が「少し戻ろう」とブレーキをかけてくれていた、そんなサインだったのだと思う。


立ち止まるようになったきっかけ

気持ちが前に出すぎていると感じたとき、
目を閉じて「自分は、ここにいる……」と
心の中でつぶやく。
いつの間にか、そんなことを自然とやっていた。

ほんの数秒のことだけれど、前に出すぎた気持ちを、いったん身体に戻している。そんな感覚に近かった。

そうやって一度戻ってみると、
散っていた意識が、少しだけ一か所に集まるような感覚がある。
集中し直す、というほどではないが、続きを始められる余地が生まれる。

集中できなくなってきた理由は、きっとひとつではない。スマホや情報量の多さ、年齢による変化もあると思う。
それだけで説明できる話ではないし、無理にひとつにまとめる必要もない。

ただ、気持ちが前に出すぎているときと、
意識が散っていると感じるとき。
その感覚が、自分の中ではどこか重なっていた。


マインドフルネス

しばらくしてから、こうした感覚が
「マインドフルネス」という言葉で語られていることを知った。

紹介されている内容を見ていくと、
自分がやっていたことと、大きく違うものではなかった。

特別な思想というより、今の状態に気づき、
いったん立ち止まるための考え方。
難しいものではないけれど、とても奥の深いものだと思った。


プチ瞑想

あるとき、
寝る前に両足を地面につけて、「いま、ここにいる」ことを意識しながら、呼吸に意識を向けて、瞑想のようなことをしてみた。

すると、
ふっと神経が落ち着く瞬間があった。
正直、「なにこれ?」と驚いたのを覚えている。

自分では気づかないレベルの身体の張りのようなものが、すっと切れた感覚だった。
そして、そのまま自然に眠りに入れた。

自分の場合、長い時間やる必要はなかった。
むしろ、短いほうがしっくりきた。
こうした時間を、私は勝手に「プチ瞑想」と呼んでいる。

夜中や早朝に目が覚めて、「もう一度寝られるかな」と頑張ってみるものの、なかなか寝られないことがよくあった。

今は、目が覚めて眠れないときは、
一度ベッドで起き上がり、プチ瞑想をするようにしている。


そして今、思うこと

マインドフルネスは、今の状態に気づき、
いったん立ち止まるための考え方として語られることが多い。

私のように、「前より集中できなくなった」と
感じている人も少なくないと思う。

食事をしているとき。
映画を観ているとき。
家族と過ごしているとき。

完璧に意識を向けようとしなくてもいい。
ただ、今この時間にいる、という感覚を少しだけ大切にしてみる。

マインドフルネスは、そうした感覚を思い出すための、ひとつの手がかりなのかもしれない。


この記事は「見えない不調と生きる」マガジンの実践編として綴りました。
揺らぎの中で見つけたことや、日々の中で続けている工夫が、同じように悩む誰かのひとつの参考になればうれしいです。

※本記事は筆者自身の体験をもとに綴ったものであり、医療行為や特定の方法を推奨するものではありません。

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