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【第6話】100キロの砲と闇タバコと、ばあちゃんの切ない愛〜親父のルーツ・四国編〜

♪ BGM : Ed Sheeran - Castle on the Hill

親父・義明がなぜあれほど四国の家に執着し、自分の家すら後回しにして建て替えたのか。その理由は、四国の山奥で壮絶な時代を生き抜いたじいちゃん「武士(たけし)」と、ばあちゃん「しず」の存在があったからだ。

子供の頃の私にとって、四国の実家はただの田舎だった。グルリと深い緑に囲まれた本当の山奥で、家の前で「ヤッホー!」と叫んでは「近所の人も住んでるんだからやめなさい!」と怒られたものだ。

遊びに行くと、しずばあちゃんがひたすらご飯を作って、食べきれないほどの量を出してくれた。幼い子供にとって煮しめや田舎そばの連続は正直きつく、「もういいよ」とぐずったこともある。だが今となっては、いくらお金を出しても食べられない、素朴で最高に貴重な思い出の味だ。

この武士の人生が、とにかく破天荒で凄まじかった。

結婚もしていない若い頃に、亡くなった姉の忘れ形見(私の親父・義明)を引き取った武士だったが、やがて出征が決まる。幼い義明を託すために急ぎ結婚し、妻となったのが「しず」だった。

満州へ送られた武士は、100キロ近い砲を担いで行軍し、隣の同期が寒さでそのまま凍死する過酷な戦場を生き抜いた。さらに「田中!貴様は幼い子を残して死ぬな」という情ある上官の言葉で後方へ送られ、奇跡的に生還。復員後も、米ができず、細々と野菜を作るだけでは飢え死にする山奥で、危険な闇タバコなどの商売で警察の検問を潜り抜け、必死に家族を養ったという。

幼い私から見ても、じいちゃんの手はまるでグローブのように分厚く大きかった。歳をとっても肉が大好物で健康そのもの。あっけらかんとした豪快な性格で、自分が一人暮らしになってからも「あの人が心配だ」と言っては、近所の一人暮らしの老人を訪ねて回るような世話好きでもあった。

また、長男の長男である「長男オブ長男」の私を心からかわいがってくれ、のちに私が連れて行った妻のことも誰より大事にしてくれた。私の原風景の中にいる武士は、豪快で、温かく、底抜けに明るいじいちゃんだった。

だが、このじいちゃんの破天荒さには、目を疑うような側面があった。

あろうことか、外で別の女性と子どもを3人も作り、その子たちを堂々と我が家に連れ帰り、正妻であるしずに面倒を見させたのだ。

物心ついてこの事実を知ったとき、幼い私は「え、そんなことある……!?」と強烈な衝撃を受け、言葉を失った。

武士は5人兄弟だったが、姉(義明の母)の下にいた3人の兄弟は全員5歳足らずで幼くして亡くなり、唯一生き残っていた姉もまた幼い義明を残して亡くなっていた。

世間の常識から見れば「あり得ない破天荒さ」かもしれないが、血縁者を失い続けた男の血縁を求める切実な業であり、必死の生き残り策だったのかもしれない。

一方で、3人の異母兄弟を突然突きつけられ、養子の義明と一緒に育てる羽目になったばあちゃんの葛藤と切なさは、察するにあまりある。

だからこそ、しずは「外で作ってきた子たち」ではなく、武士と最初に引き取り、共に過酷な時代に守り抜いてきた私の親父・義明にだけは、格別の愛と同情を注いでいた。幼い私の目から見ても、ばあちゃんが一番かわいがっていたのは、間違いなく義明だった。

しずは体が弱く、心臓に持病を抱えていて、実子をなさなかった。(のちにこの持病が原因で私の結婚式の前日に亡くなり、私の卒業式・結婚式・葬式が日替わりという怒涛の事態になるのだが……それはまた先の話だ)。

複雑すぎる家庭環境の中で、ばあちゃんにとっての救いであり、義明にとっても唯一無二の母であった「しず」。そして、時代に翻弄されながら命がけで居場所を守ってくれた「武士」。

家族のドロドロとした情念が渦巻く四国の家とばあちゃんに対して、義明は途方案ない感謝と恩義を抱き続けていたのだろう。自分の家を後回しにして、四国の家を建て替えた義明の行動。そこには、言葉では語り尽せない血と情のドラマがある。

ここ数年、四国へ帰るたびに、親父は90歳近くになるばあちゃんの姪っ子の家へ私を連れて行く。ばあちゃんが逝ってもう36年以上が経つのに、血は争えないもので、その姪っ子さんの顔はしずばあちゃんにびっくりするほどそっくりなのだ。声のトーンまでどこか似ている。

「一人暮らしだから時々顔を出すんだが、耳が遠くて会話がちっとも噛み合わんのだよ」

そう苦笑いしながらも、親父はせっせと足を運ぶ。噛み合わない会話の向こうに、自分を一身に育ててくれた「おふくろ」の面影を重ね合わせているのだろう。その姿を見ていると、私もまた、たまらなく懐かしい気持ちに包まれるのだ。

この夏、田舎の墓参りに行ってきた。

車を走らせる道中、ふと気づくと鼻歌でエド・シーランの『Castle on the Hill』を口ずさんでいて、隣の妻から「その歌、本当に好きだね」と笑われた。

四国へ向かうとき、昔から自分の中に負の感情が湧いてくることは一度もないことに気付く。むしろ「ここに自分の原点があるんだ」と、静かに再確認させられた。

そして今、私はその昭和の遠い記憶や山奥の静けさから遠く離れ、南国の強く眩しい日差しと爽やかな風にうっすら排気ガスの匂いが交錯する、まったく別の土地に立っている。



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