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小谷城 〜お城マニアへの道 No.55

こんにちは!

歴史と食がつながると、旅はもっとおもしろくなる。
アラフィフ旅ライターの更科そば子です。

6月のお城検定に向けて、日本全国の100名城、続100名城について学ぶシリーズ、今回から滋賀県の名城を深掘りして行きます。

滋賀県は、岐阜と京都のあいだに位置し、戦国時代にはまさに天下の分かれ目の舞台となった地。
なんと、6つも名城登録されているお城があるんです✨

そんな滋賀の名城の中から、今回取り上げるのは浅井三代の居城、山城の名作と名高い小谷城です🏯

信長の妹・お市の方が嫁いだ浅井長政のお城です。
ではではお城検定+旅目線で、じっくりまなんでいきましょう!


基本情報:小谷城

  • 城名:小谷城(おだにじょう)

  • 区分:日本100名城

  • 所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部

  • 築城者:浅井亮政

  • 築城年代:1525年頃

  • 城郭構造:山城

  • 標高:約495m(小谷山)

  • 主な城主:浅井氏

  • 別名+由来:小谷山城
    → 小谷山に築かれたことに由来。

👉 ポイント

・浅井三代(亮政・久政・長政)の居城
・織田信長と激突した戦国史の重要舞台
・尾根上に曲輪を連ねる典型的な戦国山城

小谷城の歴史

● 浅井氏の台頭

小谷城は、戦国大名・浅井氏の本拠地として築かれました。

初代・浅井亮政は北近江を統一した戦国大名。
二代・久政、三代・長政へと続きます。

三代当主の浅井長政は、織田信長の妹・お市の方を妻に迎え、当初は織田家と同盟関係にありました。

しかし、信長が越前の朝倉氏を攻めたことで関係は決裂。
浅井氏は朝倉氏側につき、信長と敵対します。

浅井長政は、義兄との同盟よりも朝倉家から受けた恩義をとった、とされていますが、その背後には、信長と対立していた足利将軍の「信長包囲網」の影響もあったとされています。

● 姉川の戦いと落城

1570年、織田家との間で姉川の戦いが勃発。

織田・徳川連合軍と浅井・朝倉連合軍が激突しました。

戦いは織田側の勝利。
その後も小谷城は持ちこたえますが、1573年、ついに信長軍の総攻撃を受け落城。

浅井長政は自害。
お市の方と三姉妹(茶々・初・江)は救出されます。

この城の落城は、戦国史の大きな転換点でもありました。
小谷城の落城によって、織田信長は北近江を制圧し、敵対していた浅井氏・朝倉氏という有力勢力を完全に排除しました。

これにより信長の勢力拡大が一気に加速し、天下統一へ向けた流れが決定的になったのです。

その後、小谷城は廃城。
山城ゆえに近世城郭として再利用されることはなく、建物遺構は残っていないが、曲輪の跡や石垣、堀の跡をみることができます。

見どころ

● 自然地形を生かした曲輪構造

小谷城最大の魅力は、尾根上に連なる曲輪群です。

山の稜線に沿って、本丸・京極丸・山王丸などが段状に配置されています。

これは自然の尾根をそのまま城の骨格として活用した縄張。

攻め手は細い尾根道を進むしかなく、左右は急斜面。
「地形そのものが防御壁」という、戦国山城の真髄を見ることができます。

実際、織田信長も小谷城をなかなか攻め落とすことができませんでした。
現代の貧弱アラフィフ、またも山城の威容にビビり倒しております・・・。

● 石垣

小谷城は基本的には土塁と空堀で構成されている土の城ですが、一部に石垣が確認されています。

特に大広間跡周辺では、石積み遺構を見ることができます。

戦国前期の山城らしく、後世の近世城郭のような高石垣ではありませんが、
土から石へと城郭技術が進化していく過程を感じられる点が魅力です。

城下町グルメ(※試験には出ません)

山城を登った後はお腹が空くのです。
というわけで、小谷城を訪れたら食べてみたい、現地グルメ情報を調べてみました!

小谷城のある長浜市は、湖北エリアとよばれ、独自の食文化がたくさん!

■ 焼鯖そうめん

若狭から京へと続く「鯖街道」を通って運ばれた鯖は、湖北の貴重なたんぱく源でした。
海から遠い内陸部でも保存がきくよう、焼いて甘辛く煮る工夫が生まれ、それをそうめんに合わせたのがこの料理です。

戦国期の小谷城も、流通の要衝を押さえる立地でした。
物資の流れを押さえることは、そのまま勢力の強さにつながりました。
鯖の流れはまさにこの地域の経済と直結していたのですね。

一皿の中に、街道と交易の歴史が詰まっているのが感じられます。

■ のっぺいうどん

茂美志やののっぺいうどん https://www.momiji-ya.jp/index.html

長浜名物・のっぺいうどん。
寒さの厳しい湖北エリアで体を温めるために生まれた料理です。

大きな椎茸、湯葉、麩などがのった、とろみのあるあんかけうどんが特徴です。

冬場の山城は、平地よりも一層冷え込みも厳しかったはず。
のっぺいうどんは明治時代発祥ですが、もし戦国期からあったなら、きっと殿様も老中も、こぞって食べたでしょうね。

山城に行った後、疲れた体にじんわり広がる一杯。
長浜を訪れたらぜひ食べたい一品です。

■ 鮒ずし

滋賀を代表する発酵食品です。
塩漬けしたフナを米とともに長期間発酵させて作る「なれずし」は、日本の寿司の原型ともいわれています。

冷蔵技術のない時代、魚を保存するための知恵から生まれた一品。
湖国ならではの保存食文化です。

強い旨味と酸味は好みが分かれますが、その奥深さはまさに歴史の味。
小谷城と同じく、長い年月を越えて受け継がれてきた滋賀の誇りだそうです。

私、酸っぱいの苦手なんだよなあ〜!!食べきれるかな?!

こういう時に、一人旅って困る!
残すのもあれだし!

でも、鮒ずしにハマってる人もたくさん知ってるし!

一切れだけ、のっぺいうどんに添えてくれるお店がないか調べてみたいと思います。

更科そば子的旅のまとめ

ここまで東北〜関東、そして沖縄のお城をめぐってきましたが、近畿地方に入った途端、歴史の密度がぐっと増した気がしています。

やはりこのエリアは、日本の戦国期における“ど真ん中”。
京都を中心に、常に勢力がぶつかり合い、同盟と裏切りが交錯していた場所です。

だからこそ、お城の背景をたどると、単なる悲劇や英雄譚では終わらないストーリーが表に出てきます。
地理や街道、周辺勢力との関係まで見えてきて、一気に立体的になる気がするのです。

今回の小谷城も、浅井長政とお市の方の物語が有名ですが、地政学的に見るとまた違った景色が広がります。

北の朝倉と連携し、京都の足利将軍や石山本願寺、さらに東から圧力をかける武田と結ぶことができれば、織田信長勢力を完全に包囲する可能性もじゅうぶんあった。
だから、決して“勝ち目のない反乱”だったとは言い切れないのかもしれません。

それを見越して、浅井家は戦略を練りながら鯖そうめんを食べてたのかなあ、なんて思ってみたり。

お城を拠点に、歴史・地理・郷土料理を横断していくと、切り口がどんどん増えていく。
ひとつの城から、時代の構造まで見えてくる。

これだから、やめられません。

お城検定のおかげで、訪問前から全国の城のつながりを学び、それぞれの関係性を俯瞰できるようになってきた気がします。
知ってから行く旅は、やっぱり何倍もおもしろいのです✨

これからもお城とグルメ、どちらも楽しみながら歴史探訪を続けていきます。
楽しんでいただけたら、スキ&フォローしていただけると嬉しいです。

#小谷城
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#浅井長政


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