わかったような気になることの罠
ゲシュタルトセラピストのロルフィング体験レポートの中に、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉が出てきました。
私はセッションで起きたことをすぐに解釈せず、まずは現象としてそのまま観るようにしていますが、この姿勢とも通じるものがあるように思います。
ある理念や基準に立てば、一つの説明や解釈が成り立ちます。しかし、視座や立場が変われば、その説明はまったく意味をなさないこともあります。それどころか、一つの解釈として断定されることで、その人の捉え方や可能性が制限されてしまうことさえあります。
答えを求めるように問い続けることをいったん止め、
「わからないことは、わからないままにしておく」
という力は、ロルファーやセラピストをはじめとする援助職のあり方として、とても大切なのではないかと思います。
このことは、英語圏でロルフィングのトレーニングを受けた経験とも、どこかでつながっています。
英語でトレーニングを受けることは、決して容易ではありません。知らない内容に加えて、それを説明するための例え話がかえってわかりにくさに拍車をかけます。そんな荒波に揉まれながらも、日本と違って、個を出していくことが促されます。いつもとはまったく違う自分を使うチャレンジの連続です。そんな中、説明に用いられる言葉をあらかじめ知っていると、それだけでわかったような気になりやすいものです。一方、英語を母語としない受講生は、言葉だけでは十分に理解できないからこそ、必死に観て、感じて、そこから吸収しようとします。
一見するとハンディがあるように思われますが、授業中にわからない単語があっても、すべてをその場で確認できるわけではありません。質問したくてもうまく言葉にできないこともあります。そのため、理解できないことをすぐに解消しようとせず、わからないまま抱えておくことに、少しずつ慣れていきます。
ソマティックな領域では、むしろその方が、結果として深く学べることもあるように感じています。
「わかったような気がする」ことで安心してしまうところに、一つの罠があるのかもしれません。
研究もまた、わからない時間をどれだけ楽しめるかにかかっているように思います。
冒頭で触れたゲシュタルトセラピストの方のレポートは、以下のリンクからお読みいただけます。
クライアントとしての感受性と観察力がとても高い方で、セッションがセラピストとしてのあり方にも影響を与えたと書いてくださったことを、大変光栄に思います。
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