高市人気だけでは、次は勝てないのではないか――ドイツ、米中間選挙、地方の暮らしから考える
ドイツのザクセン・アンハルト州議会選挙で、AfDが第一党になった。報道によれば単独過半数には届かず、政権を組めるかは別の問題として残っている。ロイター
この結果を見て、私は日本も無関係ではいられないと思った。
ただし、「ドイツで右派が伸びたから、日本でも右派が伸びる」という単純な話ではない。注目したいのは、既存の政治への不満と、新しい指導者への期待が、どこへ向かうかということだ。
ここで見落とせないのは、ドイツの連邦政権を率いるCDUも、中道右派の保守政党だという点である。AfDは一般に急進右派・極右と位置づけられ、CDUと同じ性格の政党ではない。それでも、保守層の支持をめぐる競争という角度から見れば、今回の動きには「保守対保守」という側面がある。
問われているのは、保守かどうかだけではない。何を守る保守なのか、という中身だ。
CDUは欧州統合や西側諸国との協力を重視する。一方、AfDは国家主権を前面に出し、EUの国家化に反対している。既存の国際的な枠組みを通じて国益を守るのか、その枠組みを見直して国家の裁量を取り戻すのか。そこに対立がある。CDU・CSUの公約・AfDの基本綱領
私はこの大きな流れを、「グローバリズムと反グローバリズム」の対立として捉えている。ここでいう反グローバリズムとは、外国との取引をすべてやめることではない。国際的なルールや資本、人の移動が、国内の暮らしや地域社会に負担を生むとき、国家の判断でどこまで見直すかという問題である。
この対立軸に限って日本に当てはめると、CDUに自民党、AfDに参政党を重ねて見ることができる。
自民党は日米同盟を基軸とする外交と、ルールに基づく国際秩序の維持を掲げる。参政党は、行き過ぎたグローバリズムを見直し、国家主権と国民の暮らしを優先すると説明している。自民党の公約・参政党の説明
もちろん、四党の政策や歴史が同じという意味ではない。自民党にも国内産業を保護する政策があり、参政党も国際協力を否定してはいない。欧州統合と日米同盟も別の制度だ。それでも、既存の国際秩序への向き合い方をめぐって、保守の内側で競争が起きるという比較には意味があると思う。
物価高や地方の衰退を前に、「今の国際的な仕組みの中で、自分たちの生活は本当に守られているのか」と感じる人が増えれば、この対立は暮らしに直結する争点になる。
ここにイタリアを加えると、もう一つの共通点が見えてくる。
イタリアでは、「イタリアの同胞」を率いるメローニが首相を務めている。従来の保守政治とは異なる強い主張を持つ勢力が政権の中心となり、移民政策や国家のあり方をめぐる議論に影響を与えてきた。AP通信
ドイツのAfD、イタリアのメローニ、日本の高市さんへの期待や参政党の伸長。この三カ国を並べると、既存の保守政治に満足できない人が、「もっとはっきり国の方向を示してくれる保守」を求める動きとして読むことができる。
保守が人気なのではなく、「これまでの保守とは違うことをしてくれそうな保守」に期待が集まる。
ただし、その期待が政治に表れる形は違う。AfDは既存の主要政党の外から挑み、メローニは自らの党を率いて連立政権の首相になった。高市さんは既存の大政党である自民党の内側から変化への期待を集める。参政党は、その自民党の外にいる。三カ国で同じ種類の政権交代が起きているわけではない。
外交路線も一様ではない。メローニは政権入り後もウクライナ支援を続け、欧州・大西洋諸国との関係を重視している。2026年6月には、対ロシア交渉で欧州が共通の代表を立てるべきだと訴えた。AfDと同じ対露路線や、国際協調そのものを退ける立場として扱うことはできない。ロイター
つまり、「グローバリズム対反グローバリズム」は重要な対立軸だが、それだけですべては決まらない。従来の政治への不満を集めた指導者が、政権を取った後、既存の制度や同盟とどう折り合いをつけるか。その違いも見なければならない。
日本でも、高市さんへの期待が自民党の政策として実現しないと感じられれば、同じ保守層が党の外に変化を求める可能性がある。メローニの例を加えると、「新しい保守への期待」と「政権を担った後の評価」を分けて考える必要が、よりはっきりする。
ドイツではAfDが伸びる。一方、アメリカでは、トランプ政権への失望が共和党を追い詰める可能性がある。この二つは矛盾しない。
暮らしを変えてくれると期待した相手が、期待に応えられなければ見限られる。右か左かだけでは説明できない政治の動きがある。
反グローバリズムを掲げる側も、政権を担えば実績で判断される。その点で、米中間選挙はドイツとは違う角度から、保守政治の中身を問う機会になる。
トランプに投票した人の中には、従来のエリート政治にうんざりしていた人もいるだろう。「この人なら変えてくれる」と考えて大統領にした。それでも生活が楽にならなければ、「トランプでも駄目だったのか」という失望が生まれる。
8月末のロイター/イプソス調査では、トランプの支持率は33%と報じられている。中間選挙の結果はまだわからないが、期待が失望に変わる局面には注意が必要だ。ロイター
もし共和党が大敗すれば、日本の保守政治にも問いが突きつけられる。米国との関係の近さを強調するだけで、日本の暮らしを守れるのか。
もちろん、中間選挙に負けても大統領は続投するし、それだけで米国の国力が失われるわけではない。それでも、政策を実行する力や同盟国への説得力が弱まれば、日本側も従来の前提を見直さざるを得なくなるだろう。
そこで浮上し得るのが、米国との同盟を維持しつつ、日本の裁量をもっと広げるという保守の立場だ。その受け皿の一つとして、参政党が伸びる可能性はあると思う。
参政党は消費税の段階的廃止や社会保険料の軽減などを掲げている。ただし、実際に外交や為替の路線をどう組み合わせるかは、今後の政策を見なければわからない。参政党の政策
これは参政党を支持するという話ではない。自民党に失望した保守票が、どこへ向かうかという話である。
前回の総選挙で自民党に入った票も、すべてが自民党への信頼の表れだったのだろうか。
私は、「高市さんに総理大臣をやらせてみたい」という期待で集まった票も相当あったのではないかと見ている。これは投票理由の調査で確定した話ではなく、私自身の解釈だ。
自民党と中道側の違いが見えにくければ、「どちらも大きく変わらないなら、高市さんに任せてみよう」と考える人がいても不思議ではない。
しかし、次の選挙では事情が変わる。
一度目は「やらせてみたい」で投票できる。二度目は「やらせてみて、どうだったか」を問われる。
高市さん個人への好感が残っていても、自民党にもう一度投票するとは限らない。「高市さんの目指した方向はいい。でも自民党では実現できなかった」と受け止めれば、似た期待を託せそうな別の政党へ移ることもある。
参政党がその位置に見えれば、投票先の変更は、本人にとって思想の転換ですらない。同じ期待を、別の相手に託すだけなのだ。
そして、この期待を削っていくのが、日々の暮らしである。
政府は物価高対策を説明する。しかし、私がスーパーで値札を見ていると、じわじわ上がっていると感じる。値段が同じでも量が減り、安い商品に替えてようやく出費を維持している場合もある。
物価の上がる速度が鈍っても、以前の値段に戻るわけではない。収入が追いつかなければ、生活が改善したとは感じられない。
政府が数えるのは実施した対策でも、有権者が見るのは買い物かごの中身だ。
特に地方では、家計と地元の商売の苦しさが結びつきやすい。
年金暮らしの人が買い物を控えれば、地元の店の売り上げにも響く。店も仕入れや電気代の負担を抱えるが、お客さんの懐事情がわかるから、十分に値上げできない。利益が減れば、従業員の給料も上げにくくなる。
年金額が多少増えても、自分が買う食品や生活必需品の値上がりに追いつかなければ、実感は「苦しくなった」のままだ。
地方の問題は、東京との比較だけでもない。
私の親戚を見ていても、同じ県の第二の都市から、県内最大の都市へ移る例がある。これは全国の傾向を証明する統計ではないが、身近な変化として感じている。
中心都市へ人が移れば、周辺では買い物をする人も働く人も減る。店や交通の選択肢が減れば、残った人も移住を考える。中心都市そのものが人口増でなくても、周辺の減少が速ければ集中は進む。
資産の面でも、東京への資産所得の集中や、相続を通じた地方から大都市圏への金融資産移動が研究されている。ただし、資産所得と金融資産残高は別であり、都市の住民全員が豊かだという意味ではない。ゆうちょ財団の研究紹介
それでも、株高の恩恵を感じず、地元の店が閉まり、親戚や子供が出ていく人にとって、「日本全体では豊かになっています」という説明は遠い。
高齢者には、さらに切実な問題がある。
元気で車を運転できる間は暮らせても、体が弱って運転をやめると、病院やスーパーまでの距離が壁になる。持ち家があっても、修繕や庭の管理が負担になる。
都市へ移りたい理由は、華やかな暮らしへの憧れとは限らない。「ここで安心して年を取れるのか」という不安なのだ。
地方で長く支持を集めてきた政党にとって、これは重い。
「ずっと任せてきたのに、老後に住み続けることさえ難しくなった」
そう感じる人が増えれば、地元議員とのつながりだけでは票を維持しにくくなるだろう。
次の選挙で参政党が躍進するかどうかはわからない。ただ、自民党への影響を考えるうえで、参政党が何議席取るかだけを見ても足りない。
小選挙区では、保守票が割れることで、別の候補が勝つことがある。参政党自身が当選しなくても、自民党の接戦候補を落とすほどの票を取れば、結果は変わる。
もちろん、参政党の票がすべて自民党から来るわけではない。無党派や、これまで棄権していた人から集まる可能性もある。だから見るべきなのは、どこで候補を立て、誰の票が動くかである。
ドイツでAfDが伸び、イタリアではメローニが政権運営の実績を問われる。米国で共和党が苦戦し、日本で保守票が分かれる可能性もある。これらをつなぐのは、「右派の時代」という言葉だけでは捉えきれない、変化への期待と、その結果を評価する有権者の動きではないか。
日本でも、自民党と参政党の競争を通じて、「国際秩序との協調を重視する保守」と「国家の裁量を取り戻すと訴える保守」のどちらが暮らしを守れるのかが、争点になる可能性がある。看板が保守であるだけでは、答えにならない。
高市人気で一度集まった票を、自民党の固定票だと考えるのは危うい。
「この人なら変えてくれる」で集まった票は、「この人でも変わらなかった」と思われた瞬間に動き始める。
選挙を決めるのは、首相の人気だけではない。スーパーの値札、地元の店の閉店、通院の足、そして次の年もこの場所で暮らせるかという不安だ。
次の選挙で問われるのは、もう一度期待してほしいという言葉より、期待して任せた結果として、何が良くなったのかだと思う。
