蝉しぐれとアート——夏の午後、距離が縮まる瞬間

アートとの距離感がわからない。 どう近づけばいいのかも、わからない。 そんな問いを、よくいただくことがある。

海外からの客人に、「このあたりに充満している大きな音は機械音?」とたずねられたことがあった。場所は真夏の東京。はて、いくら耳を澄ましても、機械の音などきこえない。それが"蝉しぐれ"だとわかったときには、心底驚いた。 騒音か、季節の音色か。この差はどこからきているのか。 後日、虫の声を慈しむ感覚は、それをノイズとして処理する右脳と、言葉として処理する左脳の違いにあると知った。


一方、アメリカ人のギャラリストを、八ヶ岳の森に囲まれたガーデンに案内したときのこと。季節は夏の夕刻。"ひぐらし"の声を生まれて初めて聴いたという彼は、たった一言「Peaceful」とつぶやき、いつまでもそこに佇んでいた。いきものたちと自然、そしてひとが織りなす穏やかな空氣は、言葉を超え、誰をもひとしく包みこむかのようだった。

蝉の声を、騒音と聞くか、静かな音と聞くか、あるいは声のようだと感じるのか。 これは、場の気配と融和する心もちの深さとも、関係があるように思えてならない。


先日、ある盆栽店を訪れた。ここでも、降るような蝉しぐれに迎えられた。水やりを終えたばかりなのか、たわわに実った姫林檎(ひめりんご)に滴る水滴が美しい。庭の木陰を吹く風はひんやりしている。静かに立ち働く職人さんの中には、海外のかたもいた。 彼の耳に蝉の声がどう聞こえていたのか、わからない。だが、そこで働いている、ということが、私には一つの答えにも思えたのである。

アートは、わからないと決めつけてしまえば、わからないままである。わかろうとしてもしなくても、それはかまわない。ただ、すこし親しくなってみようか、と一歩近づくひとを、別の世界に連れていってくれる懐の深さが、アートにはある。

ふと立ち止まり、蝉の声に耳をすますこと。 アートに近づくヒントは、日々の過ごし方にも、案外散りばめられている。

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