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「当たり前」の正体――ルールと秩序を支える見えない気配り

たまたま居合わせた人に、気を使う必要なんてあるのだろうか。

親切にしてあげたところで、もう二度と会うことなんてないのに。

例えば、電車で席を譲ってあげる、道に迷ってしまった人に正しい道を教えてあげる、知らずに落とし物をした人に教えてあげる・・・、などなど。


全く人に気を使わない人を見かけることがある。

電車の座席に我が物顔で座る人、公衆の面前で大声で会話をする人、ビジネス用のスーツケースを他の通行人の迷惑も顧みずに引っ張って歩く人・・・

そんな人たちを見ていると、人に気を使うことがバカバカしく思えてくる。

自分のことだけを考えて、自分のわがままを押し通して、それでいて誰からも咎められない。

ルールや秩序なんて守らなくても生きていけるんだ。


それなのに・・・

世の中は自分勝手な人より、良識のある人が圧倒的に多い。

誰もがルールや秩序を守って生活している。

どうしてなんだろうか。

それは皆がルールを乱したら、社会が成立しなくなるからだ。

日本中の人々が好き勝手な振る舞いをしたら、世の中はどうなるだろうか。

電車に乗る時は列に並ばなければ、事故が多発するだろう。

誰もがゴミを好き勝手に捨てたら、街中がゴミで溢れるだろう。

至る所に自動車が路上駐車されていたら、通行する車両も歩行者も困ってしまう。

しかし、現実はそんなことにはなっていない。

皆が良識ある人だからだ。


例えば、山奥でたった一人で生活しているなら、好き勝手なことをやっても、誰も迷惑する人がいない。

それが二人になったら、もう社会が出来上がる。

互いに迷惑にならないように、気を配らなければならない。

たった二人なのに。

それが何百人、何千人になると、誰もが共有するルールが必要になる。

その根本は気配りだ。

ルールや秩序は、人が社会で生活するためになくてはならないものだ。

それは同じ社会に住む人たちが、互いに思いやるためにある。

その原理原則を理解している人は、良識ある行動を当たり前だと思っている。

そう、当たり前の行動だ。

それができないなら、山奥で暮らしていただくしかない。

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鈴々堂 / 昭真 小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。